「ルネサンス」タグアーカイブ

【要約と感想】イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』

【要約】考えるな、感じるんだ!

【感想】読んで知識を蓄えるタイプの本ではなく、修行を実践するための指南書だ。頭で理解するのではなく、行動と実践を通じて「体験」しなければ、本書に書いてあることは何の意味も持たない。だから、修行も体験もしなかったし、最初からするつもりもなく、おそらく今後もしないであろう私にとっては、ほぼ無意味な読書ではあった。まあ、私にとって無意味であることを知っただけでも意味があるのかもしれない。他の誰かにとって有意義であればいいのだ。他の誰かにとって無意味だと主張するつもりは、まったくない。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンスと人文主義
 ロヨラの本文ではなく、解説のところで、ルネサンスと人文主義に関する言及があった。が、その記述には疑問なしとしない。

「パリ大学で学んだことはイグナチオに多くのことを教えた。まず第一に、ルネサンス・人文主義を学び、ルネサンスの最初のヒューマニストと見なされるようになった。」36頁

 わたしの知識の範囲だと、ルネサンス最初のヒューマニストと呼ばれるべき人物はペトラルカだし、百歩譲って「ヒューマニスト」という言葉にケチをつけて範囲を絞るとしても、他にエラスムスやトマス・モアなど候補はいくらでも挙げられる。本書がどういう観点からどういう意図でロヨラを「ルネサンス最初のヒューマニスト」と言うのか、よく分からない。
 で、ここに続く文章は、教育史的に考慮すべき材料を多く含んでいるのでサンプリングしておく。

「というのは、イエズス会を創立し、若い会員を養成するとき、ラテン語・ギリシャ語とギリシャ・ローマの文学の徹底的な勉学を義務づけ、その上で哲学・神学の研究をさせるようになったからだ。その後、イエズス会のコレジウムが全ヨーロッパに拡がり、この教育方針が受け継がれ(一六世紀には二百校を数えた。その中の一つ、ラフレーシュ王立コレジウムから近代哲学の祖デカルトが生まれた)、西洋近代教育史に絶大な影響を与え、西洋文化にヒューマニズムの伝統を築き上げる上に大きな影響を与えた。」36頁

 イエズス会が近代に続く学校制度の源流の一つであろうことまでは否定しない。ヒューマニズムの伝統を築き上げる上で影響を与えたこともある程度は事実だろう。だがしかし、たとえば同時代のエラスムスと比較した時、どうなのか。最終的には徹底的に宗教的修行と神秘的体験を重んじて「考える」ことを相対的に低く置いたイエズス会の理念と、とにかく「考える」ことを中心に丁寧なテキストクリティークを積み重ねていったエラスムスなど人文主義者の活動では、どちらがヒューマニズムの伝統の中核に位置付くのか。ロヨラやイエズス会が仮にヒューマニズムの時代的雰囲気に棹さしていたとしても、本質はまったく別のものではないのか。

「「霊操を授ける人」から「霊操を受ける人」へ神体験が伝えられ、霊的伝承がイグナチオから現代にまで継承され続けている。それがキリスト教の本質を形成する上の根幹となっているだけでなく、この霊的伝承から近代教育が生まれ、西洋文化全体を活性化させている。」41頁

 教育学者から見れば、筆が滑っているように見える記述である。確かにロヨラの活動の一端は近代教育に繋がるのだろうとしても、いやいや、他にもっと源流として重要な要素がいくらでもある。
 あるいは、そもそも、「キリスト教の本質を形成する上の根幹」というところが、意味が分からない。例えばアウグスティヌスから見たら、ロヨラの考え方はペラギウス的異端に似ていたりしないか。実際、ヒューマニズム的感性からキリスト教の本質に迫ろうとしたエラスムスの試みは、カトリックからもルター派からも異端の疑いを受けた。だとしたら、著者が言うようにロヨラが「ルネサンス最初のヒューマニスト」とすれば、異端へ転がり落ちるのは容易だ。実際、自らの意志による修行で神に近づけるという傾向を持つビザンツ的な修道士たちは、ペラギウスがアウグスティヌスから批判されたのと同様に、カトリックから何度も異端の烙印を押されている。ロヨラのように自らの修行で神的体験を得ようという傾向は、「キリスト教の本質」から言えば極めて危険な考え方ではないだろうか。
 解説者は「禅宗の師資相承による法灯伝統とそれによる日本文化への影響を考えれば、日本の読者にはわかり易いかも知れない」(41頁)と畳みかけるが、それこそビザンツ(東方)的な小乗の感性に近いということであって、カトリック(西方)的な大乗の本質からすれば危険であることの証拠に過ぎない。キリスト教の本質とは、貧しく、弱く、醜いものにこそ神への道が開かれているという考え方ではなかったか。厳しい修行を経なければキリスト教の本質に近づけないという「強者」の発想は、キリスト教の土台を掘り崩すものではないのか。

 とはいえ、アウグスティヌスに非難されたペラギウスが極めて高潔な人物で、カトリックから異端の烙印を押されたネストリウスが人望厚い立派な人物であったのと同様、仮にロヨラの思想と活動がカトリックから見てどうだったとしても、立派な人物だったであろうことには変わりない。ただそれが「キリスト教の本質」とか「ルネサンス最初のヒューマニスト」だったかと聞かれると、それはさすがに怪しいですよね、となるだけの話だ。

イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』門脇佳吉訳・解説、1995年、岩波文庫

【要約と感想】マキアヴェッリ『フィレンツェ史』

【要約】イタリア半島の都市国家フィレンツェの、ローマ帝国滅亡(5世紀)から1492年までの歴史を描きました。フィレンツェ以外のイタリア半島の諸勢力(特にミラノ公国、ナポリ王国、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ローマ教皇)の動向にも目を配りつつ、フィレンツェ内の党派争いを詳述しているのが類書と異なる著しい特徴です。

【感想】ところどころにマキアヴェッリ節(目的のためなら手段は選ばない)が垣間見えて、単純に読み物としても面白い。ただ、訳者によるツッコミを見ると、単なる事実誤認もかなりあるようで、そのまま歴史的事実として受け取るのには気をつけた方がよさそうだ。

 歴史的に事実かどうかはともかく、面白く読めるのが、市内の党派争いに勝つためなら市外の敵と組むことも厭わない事件が連発する、一般的に言われる「内憂と外患が連動する」というメカニズムがよく分かるような、フィレンツェ市内の党派争いの醜さだ。まさに「目的のためなら手段は選ばない」というマキアヴェッリ理念を体現したような醜さで、しかも前書きから察するに、マキアヴェッリは意図的にこの醜さを強調するように全体を構成している。自身が権力闘争の渦中にいたマキアヴェッリとしても、度しがたい連中だと心底苦々しく思っていたのだろう。
 そして本書を踏まえると、『君主論』や『ディスコルシ』の表現の背後にあるものもなんとなく見えてくるような気がするのだった。

【今後の研究のための備忘録】有機体論
 都市を一つの「人体」に喩えている議論をサンプリングしておく。

「祖国に対して武器を取るのを、どんな理由からであれ、非難する者はいないでしょう。なぜなら、都市はいろいろな部分からなるとはいえ、一個の人体に似ているからです。都市には、鉄と火なしには治せない病いが幾度も生じますが、都市にたいへん不幸な事態が多発して鉄が必要になった際、祖国に忠実な善人が都市を治療せずに放置するとしたら、その人は間違っているのです。こういうわけですから、共和国という一個の人体にとって、隷属よりも重い病いなどありうるでしょうか?」第5巻第8章

 都市国家(ポリス)を一つの人体に喩えるのは、もちろんプラトン『国家』の伝統を踏まえたものであり、その観点から言えば極めて人文主義的な議論ではある。が、これがフィレンツェ自体を攻撃することを正当化するレトリックに使われているのが、なんともいやはやな議論だ。

【今後の研究のための備忘録】ペトラルカ
 ペトラルカは、もちろん教科書的にはイタリア人文主義の嚆矢と位置付けられる詩人であり、マキアヴェッリを200年遡る人物だ。マキアヴェッリがペトラルカに触れているところはサンプリングしておく。

「彼に期待を抱かせたのは、とりわけ「この手足を支配する崇高な精神」で始まる、ペトラルカの詩の数行であった。詩人はこう歌う。
 タルペイアの丘の上で、歌よ、汝は出会うであろう
 全イタリアが讃える一人の騎士
 わが身よりも他人の身を案じる者に
 ステファーノ殿は、詩人たちが神々しい予言者の精神にしばしば満たされるのを知っていた。だから、ペトラルカがこの歌の中で予言したことを何としても実現しなければならない、そしてそのような栄光に満ちた事業を成し遂げるべき者は自分である、と思ったのである。」第6巻第29章

 ペトラルカは古代ローマ賛美を通じてイタリア・ナショナリズムを浮上させたと見なされている。それが近代的なナショナリズムとどれくらい同じでどれくらい隔たっているかは丁寧に検討する必要があるが、この引用箇所でマキアヴェッリはペトラルカをイタリア・ナショナリズムを体現する詩人として扱っている。日本で言えば頼山陽の日本外史が幕末の志士たちを鼓舞したのと似た現象なのだろう。

【今後の研究のための備忘録】フィレンツェの人文主義
 コジモ・メディチがフィレンツェの人文主義を保護した記述をサンプリングしておく。

「コジモは、さらに文人を愛し、賞讃した。そこで彼は、ギリシア生まれで当時最高の教養人であったアルギュロプロスをフィレンツェに招聘したが、それは、フィレンツェの若者がこの人からギリシア語やそのほかの学識を習得できるようにするためであった。プラトン哲学の第二の父であり、彼が熱愛したマルシリオ・フィチーノの生活の面倒を自宅でみた。そして、マルシリオがより快適に学問の研究に打ち込めるように、またより気楽に使うことができるように、カレッジの別荘近くの土地と家屋を贈った。」第7巻第6章

 ここにフィチーノの名前が挙がり、「プラトン哲学の第二の父」と言われていることは気に留めておきたい。

【今後の研究のための備忘録】ひろゆき
 ひろゆきがもてはやされる風潮が分析されていた。

「多くの場合は平和なときに生じがちな災厄が、この都市に起きた。というのは、通常よりも束縛のなくなった若者たちが、衣服や宴会やそのほかの同様な放縦に常軌を逸した浪費をおこない、暇をもて余しては賭け事や女に時間と資産を空費したからである。かれらの努力は、華麗な衣服や、利口ぶった抜け目ない話しぶりをみにつけることにあった。他人をうまくへこますことのできる者が、より利巧とされたし、より高く評価された。」第7巻第28章

 人間の性は、洋の東西や歴史の違いに関わらず、そんなに変わらないということか。

【今後の研究のための備忘録】印刷術
 印刷術が宣伝合戦に活用された事例が記述されていた。

「教皇は狼であって羊飼いではないことが明らかになったので、在任として貪り食われてしまわないように、ありとあらゆる手段を使って自分たちの大義を正当化し、自分たちの国家に対して為された背信行為をイタリア全体に周知させた。」第8巻第11章

 ここに「フィレンツェ人は、モンテセッコの告白録を導入されたばかりの活版印刷によって刊行し、ここに正真正銘の文書合戦が始まった」と註が付されている。これが1478年のこと。グーテンベルク活版印刷の発明が1450年頃のこととされているので、本当だとしたらまさに直後の出来事だ。活版印刷を使用したプロパガンダ合戦はルター以後の宗教改革の事例がよく知られているが、これはもちろん1517年以降のことになる。宗教改革プロパガンダよりも40年早くイタリアの勢力争いで活版印刷が利用されていたことは気に留めておきたい。

マキアヴェッリ『フィレンツェ史』(上)齊藤寛海訳、岩波文庫、2012年
マキアヴェッリ『フィレンツェ史』(下)齊藤寛海訳、岩波文庫、2012年

【要約と感想】ロレンツォ・ヴァッラ『快楽について』

【要約】ストア派「人間にとって最大の善とは高潔の徳ですが、人間本性は邪悪で、自然も悪意に満ちていて、高潔の徳には辿り着きません。」
エピクロス派「高潔の徳などというものは存在せず、人間にとっての善は快楽のみです。自然は五感を通じて我々を楽しませる美しい物で満ちています。」
キリスト教修道士「確かに人間にとっての善は快楽ですが、現世の快楽は人間を堕落させる邪悪なものなのに対し、天上の快楽は至高の神の愛です。」

【感想】様々に多様な読み方ができる本なのだろうが、個人的な関心から言えば、「自然」に対する新しい感性・態度が生じているところをまず味わいたい。ストア派は自然を人間本性に敵対し堕落させるものと理解する一方、エピクロス派は自然を人間本性に調和し恵みをもたらすものと理解する。ストア派とエピクロス派の違いは、表面的には本書タイトルのように「快楽」に対する態度として表出するわけだが、その根底には「自然」に対する考え方と姿勢の決定的な違いがある。逆に言えば、「自然」に対する態度の違いを考慮に入れずに表面的な「快楽」への態度だけあげつらっても、意味がない。このあたり、amazonレビューを見ると皮相な読み方をしている人が多いような印象を持つ。
 ただし、著者のヴァッラはストア派に対してもエピクロス派に対しても正確な理解をしていないように思える。本来のストア派(セネカやエピクテトス)が自然をそんなに単純に人間本性に敵対するものと考えているわけがないし、エピクロス派(アリスティッポスやルクレーティウス)が無条件に自然を人間性に調和するものと考えているわけでもない。だから本書で描写されるストア派やエピクロス派の主張をオリジナルの姿と理解するのは極めて危険だ。「自然」に対する二つの極端な態度を擬人化した上で、ストア派とエピクロス派に配したものと理解して読み進めるのがいいのだろう。
 無論、ヴァッラの無理解をヴァッラ個人の資質に帰してもならない。むしろ、その無理解の有り様こそがルネサンス期の知性が何に関心を持ち、何を新しく生み出したかを浮き彫りにする。本書で言えば、中世にはありえなかった「自然」に対する態度の有り様が決定的に重要なように思える。そして中世の自然観とは、本書では3人目のキリスト教主義者が言う「天のしくみ全体も世界内の万物も、すべて人間個々人のために造り出されたと考えるべきです。」(400頁)という言葉に端的に表れているような、目的論的自然観だ。一方、ヴァッラが描くストア派もエピクロス派も、こういう目的論的自然観から遊離している。敵対的と見るか親和的と見るかの違いはあるが、人間(あるいは神)とは切り離されて独立した外部的な環境と捉える点では共通している。そして中世的な目的論的世界観では、人間存在は完全に自然(あるいは神)の位階秩序の中に組み入れられているため、自由意思に基づいた「徳」なるものを考慮する余地は出てこない。一方、人間を自然(あるいは神)から切り離すと、襲い掛かってくる災害と理解するとしても逆に利用可能な資源と理解するにしても、問題の焦点は自由意思に基づいた「徳」へと移行する。だからヴァッラの描くストア派とエピクロス派は、表面上は「徳」(あるいは快楽)に対する考え方が相反しているとしても、実質的には共犯者だ。カトリック正統派の「恩寵」概念から見たら、両者とも許容することのできない異教・異端だ。だから本書でも、キリスト教修道士はストア派・エピクロス派共に切って捨てることとなる。まっとうなカトリック的見解である。またあるいは、キリスト教にとっては、人間の自由意思で「徳」(あるいは「善」)を形成できるという考え方(ストア派)の方が危険だ。キリスト教によれば、「徳」「善」とはすべて神に由来して、人間の自由意思が関与できないものだ。(このあたりは100年後にエラスムスの自由意思論とルターの奴隷意思論で激しい論戦が行われることになる)。だから本書でも、キリスト教修道士はストア派よりもエピクロス派の方を好ましく思っている。エピクロス派は自然本性に従うことを尊び、自由意思で「徳」を形成しようとはしないからだ。しかしもちろん、カトリックの目的論的自然観とエピクロス派の機械的自然観は、根本的になにもかも違っている。ガリレオやデカルトにつながるのは、もちろんエピクロス派の機械的自然観だ。
 で、このヴァッラの本が思想史的に重要なのは、近世以降の機械的自然観に連なるエピクロス派の自然観が、ルクレーティウスなどキーパーソンの名前も挙げながら、前面に表れているところにある。単に「快楽」を主張していることに意味があるのではない。その背後にある機械的自然観の表出こそが重要なのだ。そしてこの機械的自然観は、単にガリレオやデカルトなどの自然科学の発展の背景をなすだけでなく(いや、これだけでもものすごいことだが)、社会契約論のような「人間社会の在り方も機械的に構成できる」という発想をも醸成していく。これは14世紀のペトラルカやダンテのような人文主義者にはまったく見当たらない、15世紀の人文学者の特徴だ。そしてこれは「ルネサンス」という概念そのものを考える上で、極めて重要な観点となる。

 さて、ここまでの理解を踏まえて、ヴァッラの思想に関する論争に対し、個人的な意見を記す。論争点は、ヴァッラの目的は現世的快楽を肯定するところにあってカトリック的な言辞はアリバイに過ぎないと見るか、あるいは本心からカトリックの教義を信じているのか、というところにある。個人的には、本心からカトリックの教義を信じていると主張したい。根拠は、教父的古代からカトリックが直面してきた最大の論理的課題がペラギウス派への対処だった、というところにある。ペラギウス派の特徴は、人間の自由意思を重視し、自ら「徳」を形成する努力を促すところにある。これを古代最大の教父アウグスティヌスは「恩寵」の立場から徹底的に批判した。アウグスティヌスによれば、人間の自由意思など神の恩寵の前では塵芥ほどの価値すら持たず、人間が「善」であり得るのはもっぱら神の恩寵による。そしてこのアウグスティヌスの恩寵主義がカトリックの公式教義となる。しかしアウグスティヌスが徹底批判したペラギウス派異端は、何度も何度も甦る。分かりやすいからだ。しかしそれはカトリックにとって最大の躓きの石でもある。だから徹底的に自由意思を主張する考えは挫かねばならない。アウグスティヌスもルターも徹底的に自由意思を叩いた。ヴァッラの同時代であればトマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』のような無知礼賛という形にもなるだろう。そういう文脈を踏まえておくと、本書は一風変わった形ではあるが、やはり自由意思を徹底的に叩いている。「快楽」の賛美も、自由意思(本書の言葉で言えば「善」)の否定という観点から首尾一貫している。ということで、私の個人的な感想では、ヴァッラはカトリック正統思想の擁護を企図し、具体的には人間の自由意思を挫くためにエピクロスの援用が有効だと考えた、ということになる。

【個人的な研究のための備忘録】子ども観
 子どもに関する言及があったのでサンプリングしておく。

ストア派「じっさい子どもたちは、幼年のころからすぐに見られることですが、栄誉や高潔へと自分を高めるよりもむしろ美食や遊びや享楽に流れ、叱正をきらい、へつらいを好み、教訓を避け、放縦を求めます。かれらに良風美俗を教えこむにはどれほど骨が折れるかについては黙っておきます。」39-40頁
修道士「きみによれば子どもは食い意地や遊びや娯楽などの悪徳に従順ですが、その子どもたちにしても悪によって誘導されているのではありません。かれらが理解できる身体的善を求めているので、これはかれらにあっては悪徳とはみなされないのです。かれらは自分たちの理解しない栄誉や高潔の徳をすぐには追い求めません。追い求めるようにあまり急きたてるべきでもありません。きずつきやすい年少のことですから、疲れはて憔悴することのないようにすべきです。これは粗野な農夫でも知っていることです。農夫は、やわらかい小枝にも鎌をあてるべきだとは考えません。なぜなら若枝は鉄製の鎌をおそれていて、まだ傷跡には耐えがたい、そんなふうに見えるからです。それに子どもたちは、日々正しく教育されると、賞賛すべきものを愛するようになり、年とともに子どもっぽい情念を捨てていきます。」347頁
修道士「ぼくは子どものことに言及しました。ぼくらは子どものころ、たくさんのことを楽しんでいましたが、いまもそれらの楽しみにふけることは、楽しくないばかりか恥ずかしいでしょう。たしかにぼくらは、いまなお半ば子どもであって、こうした遊びの魅力に捕らえられていますが、しかし今はまだ子どもっぽくても、やがてはほうとうに賢明になったとき、やはりこうした遊びの魅力に捕らえられているべきだと思うでしょうか。ただし、ぼくらが精神的に異常で子ども以上に子どもであって、将来の知恵にたいする願望に導かれず、天上においても愚かに生きることをえらび、愚かさにこそ最高の愉楽があるかのように思うなら、そのかぎりではありません。」430頁

 ストア派の意見はまさに伊武雅刀の「わたしは子どもが嫌いだ」のようで、子どもを単に未成熟な存在とみなしているだけだが、いっぽう修道士のほうは子ども期の固有性を見出している。この子ども期の固有性についての見解には、そうとうの注意を払っておきたい。とはいえ、発達論的に子ども期を大切にしようという発想はまだ見えない。

【個人的な研究のための備忘録】学校と教師
 当時の学校や教師に関して言及された文章をサンプリングしておく。

ストア派「あなたはおそらく、われわれを子どものように鞭で従わせようとのぞんでいるのでしょうか。別の道をとるべきです! この残酷な道は子どもにもふさわしくありません。なぜなら、ことばによる叱責によって学習へ導かれない者は、鞭による叱正によっても導かれはしないでしょう。」47頁

修道士「しかし神は、それでも忠告することをお止めになりません。懇望し、叱責し、希望と恐れを教え示してくださいます。それも学校教師のようにではありません。つまり子どもたちに読み書きを教えこみ、教えるとき罰したり励ましたりする、そのような学校教師のようにではなく、まるで父親のように、です。自分の子どもたちといっそう親密なかかわりをもつ父親のように。」401頁

 当時の体罰上等な学校の在り方がうかがえる一文だが、体罰の効果を否定しているのは注目をひく。また「学校教師」と「父親」を対比的に理解し、教師の方が単なる学習を担当しているのに対し、父親の方が「親密なかかわり」を担っていると言っているところにも注目しておく。

【個人的な研究のための備忘録】処女
 快楽論の中で「処女」についても言及されている。処女に注目するのは、14世紀のボッカッチョがまったく処女性を重視しているように見えないのが、単にボッカッチョの個人的資質に由来するのか、あるいはイタリア・ルネサンス期に広くみられる態度かを判断する材料にしたいからだ。

ストア派「われわれはなぜ、貞婦や生娘や修道女や貴婦人を凌辱すると、これほど喜びをおぼえるのでしょうか。われわれは彼女たちをたらしこんで淫らな行為をすると、娼婦や性悪女や淫婦や下女たちとそうする場合よりも(たとえ彼女たちが美女であっても)もっと情欲に燃えやすいのはなぜでしょうか。(中略)かれが欲したのは罪を犯すことそのこと、また高潔なものをけがすことにほかなりません。」41頁

エピクロス派「処女の修道女を最初に考え出した人は、にくむべき風習を国に持ちこんだのです。こんな風習は地の果てにいたるまで地上から抹殺すべきです。」129頁

 ここからは、少なくとも15世紀イタリアでは処女に高い価値を置いていたと判断するしかない。

【個人的な研究のための備忘録】人間の尊厳
 「人間の尊厳」について言及された文章をサンプリングする。

修道士「そしてきみが高潔を唯一の善としたのは、それが唯一の善だからではなく、それだけが人間の尊厳にかかわるからで、ほかの善は人間ばかりか獣にも固有のものであるようにみえると考えたのです。」345頁

 「人間の尊厳」という言葉に注目するのは、もちろんこれが15世紀イタリア・ルネサンスを象徴する言葉だと考えられている一方、最新の研究では疑義も呈されている、論争的な言葉だからだ。この引用文でも「人間の尊厳」という言葉の具体的な意味内容は必ずしも明確ではない。今後の研究のための材料としてキープしておきたい。

ロレンツォ・ヴァッラ『快楽について』近藤恒一訳、岩波書店、2014年

【要約と感想】マキァヴェッリ『ディスコルシ―「ローマ史」論』

【要約】真の実力(ヴィルトゥ)を身につけて、運(フォルトゥナ)を乗り越えていこう!

【感想】代表作『君主論』と比較すると、こちらのほうが論の運びが丁寧で、実例も多く、視野も広い。が、その分、勢いには欠け、全体を通じての統一感は薄い。そして表面上、『君主論』のほうは君主制を称揚する一方、本書は共和政を重視しているように読める。また本書はローマ帝国の事例を豊富に扱っているだけあって、古典教養を重視する人文主義の傾向が強くなっている。
 とはいえ共通点ももちろん多く、まず解説でも指摘されているとおり「力(ヴィルトゥ)」への志向は一貫している。日本語ではいろいろな言葉に翻訳されているが、要するに、現実に影響を及ぼすことができる真の実力を意味している。偏差値や学力などのように相対的で潜在的な可能性を意味している言葉ではない。これがいわゆるマキアヴェリズム(目的のためなら手段を選ばない)に直接通じる傾向だ。
 そしてもう一つの共通点は、心理主義的な傾向だ。人々の行動の裏にある欲望や心情を推察し、その流れに乗ると何事もうまく運ぶし、逆らうと失敗する、と一貫して主張している。これは現代では当たり前のことなのだが、中世までは「こうあるべし」という規範を土台に据えた議論ばかりで、人間の欲望や心情を根本に据えて展開する議論にお目にかかることはない。この傾向が、いわゆるマキアヴェリズムの「手段」の説得力に関わってくる。
 ということで、「力への志向」と「心理主義」の二つが組み合わさって、目的のためなら手段を選ばないというマキアヴェリズムが成立するように思える。この2つとも中世までには見当たらないものだし、後の近代の傾向を先取りしているようにも思える。
 逆に言えば、「目的」についてはさほど大きな関心を持っていないように思える。『君主論』は確固たる君主制の実現を目指す方法を説き、『ディスコルシ』は国家を発展させるためには共和政のほうがよいと言っていて、表面上は矛盾しているわけだが、そもそも著者が「目的に関心を持っていない」と考えれば、辻褄が合ってしまう。いったん何かしらの目的を置いてしまえば、あとはそれを実現するための「手段」の考察に全力をかける、というわけだ。これは確かに「目的論の世界」にどっぷり浸かっていた中世から離陸した態度と言えるような気がする一方、アリストテレス(あるいはアヴェロエス主義)の姿勢を極端に推し進めたものとして中世から連続するものと考えてもよいような気もする。こうなると、マキアヴェッリが当時の「自然科学」からどの程度の影響を受けていたかが俄然気になってくるのであった。

【個人的な研究のための備忘録】マキアヴェッリにおける教育
 「教育」に関わる文章がそこかしこに出てきた。が、いま我々がイメージする「学校教育」を語っているわけではないことには注意する必要がある。

「英雄的な偉業は正しい教育のたまものであり、正しい教育はよき法律から生まれる。」42頁
「こうした連中が腐敗した都市に住みなれて、彼らの心に立派な人格を作る教育を受けていないような場合には、どんなささいなことにでも必ず異議を差し挟むものだ。」595頁
「このように好運に恵まれれば得意になり、逆境に沈めば意気消沈する態度は、君たちの生活態度とか、受けてきた教育から生ずるものなのである。教育が浅薄であれば、君たちはそれに似てくる。教育がそれと逆の行き方であれば、君たちは違った性質になる。」602頁
「同じような行為とはいうものの、地域によってその内容に優劣があるのは、それぞれの地域で教育の仕方が違うので、それにつれて異なった生活態度を掴み取るようになるからである。」642頁
「それぞれ異なった家風をもたらす原因は、教育差に基づくものである。なぜならば、若者は幼い時から、事の理非善悪をたたきこまれてはじめて、やがて必然的にこの印象がその人物の全生涯を通じて行動の規範となるからである。」649頁

 上記引用文で言及されている「教育」は、明らかに社会教育を含意している。子どもたちを一定期間教育施設に閉じ込めてもっぱらトレーニングを課す学校教育ではない。そして社会教育とは、「法律」を通じた人格形成を意味している。知識を脳味噌に詰め込むことではない。マキアヴェッリは本書を通じて「良い法律」の制定と遵守を極めて重視している。それは単に治安を維持するためだけでなく、それ以上に、ここで言及されているように「教育=人格形成」に対する効果を考慮してのことだ。「法律」を通じた平時の教育によって確固たる人格を形成することで、緊急時(主に戦争)においても毅然たる行動をとることが可能となる。
 このような「法律」を通じた教育は、なにもマキアヴェッリだけが主張しているわけではなく、プラトン(あるいはソクラテス)以来の伝統だ。またあるいは、「学校教育」による人工的な教育など近代になってから初めて登場したものであって、西洋だろうが東洋だろうが、「教育」と言えば法律を通じた社会教育を含意していたことには注意しておいていいのだろう。だからinstituteという言葉は、現在では「制度を設ける、制定する」という意味で理解されているが、中世までは「教育」を含意していた。(そういう観点から、上記引用部の「教育」の原語が何かは調べておいていいのかもしれない・・)

 一方、「学校」に関して興味深い記述があった。

「市内の上流貴族の子弟が学んでいた学園の一教師が、カミルスとローマ軍の歓心を買おうと考えた。彼は城外において実習を行なうという口実を作って、カミルスの陣営へ生徒全員を連れて行った。そして生徒をカミルスに引き渡し、彼らを人質にすれば、この都市はあなたの手に落ちましょうと言った。だがカミルスは、贈り物を受け取らないばかりか、この教師をまる裸にして後手に縛りあげ、生徒の一人ひとりに鞭を渡し乱打させたあげく、生徒の手で市内に送り返した。」561頁

 街の外で「実習」を行なうということだが、いったいどんなカリキュラムでどんな実習を想定していたかがとても気になる。

【個人的な研究のための備忘録】昔はよく見える
 「昔はよかった」という語りをけちょんけちょんにやっつけている文章があったので、引用しておく。

「人間は、しばしば理由もなしに過ぎ去った昔を称え、現在を悪しざまに言う。このように古い時代に愛着をそそられがちな人びとは、歴史家が書き残した記録を手がかりとして知りうるような古い時代だけにとどまらず、すでに年をとった人びとがよくわるように、自分たちの若かった頃に見聞きした事柄までも褒めあげるものである。人びとのこんな考え方は、たいていの場合間違っていることが多い。」267頁

【個人的な研究のための備忘録】自由
 「自由な政体」のほうが軍事的にも経済的にも発展するという主張は、古代のトゥーキュディデース『戦史』にも見えるところだ。現代の中国やロシアは、果たしてどうなるか。

「国家が領土でもその経済力でも大をなしていくのは、必ずといってよいほどその国家が自由な政体のもとで運営されている場合に限られている」283頁

【個人的な研究のための備忘録】人格
 「人格」という言葉を見つけたのでメモしておく。原語が何かは未調査。

「当人の人格を侮辱すること」479頁
「この人物が立派な人格と力量とで」594頁

マキァヴェッリ『ディスコルシ―「ローマ史」論』永井三明訳、ちくま学芸文庫、2011年

【要約と感想】佐藤三夫『イタリア・ルネサンスにおける人間の尊厳』

【要約】「人間の尊厳」という考え方そのものは古代や中世からありましたが、ルネサンス期に至って「世界内超越」という形で決定的に新しい思想へと昇華します。具体的にはペトラルカ、マネッティ、ピコに関する先行研究を網羅した上で、原典に即して考察しました。

【感想】中世からルネサンスにかけての「人間の尊厳」の問題を考える上でのポイントはおそらく2つで、一つは「自然」に対する考え方、もう一つは「自由」に対する考え方だ。
 まず「自然」に関しては、アリストテレスの立場(そしてそれを極端に推し進めたアヴェロエス主義)を採用するか、それに反対するかだ。もしも仮にアリストテレス(あるいはアヴェロエス主義)のように自然科学の立場を推し進めて、ついには「魂の不死」を否定するに至れば、人間は他の獣などの被造物と同じような扱いとなり、「人間の尊厳」は否定される。だから「人間の尊厳」を称揚する立場は、アリストテレスを否定するところから生じてくることになる。そして伝統的なカトリック主義は、アリストテレス(そしてアヴェロエス主義)に徹底的に反対する。もちろん加えてエピクロスやルクレーティウスなどの唯物論も唾棄すべき敵となる。それはいわゆる「単一知性論」への反対となっても現れるし、また翻ってプラトン(加えてプロティノス)に対する好意としても表現される。この立場はペトラルカに典型的に見られる他、いわゆるキリスト教的人文主義におおむね共通する傾向だ。
 一方「自由」に関しては、人間の自由を一切認めないアウグスティヌスの恩寵主義に立てば、神の前では塵芥に過ぎない人間ごときに尊厳などありえない。だからルターやカルヴァンなど自由意志を否定して神の恩寵を強調する立場からは「人間の尊厳」を称揚する発言は出てくるはずがない。仮に人間を称揚するとしたら「神の似姿」として他の被造物とは一線を画するという意味合いであって、近代以降の「人間の尊厳」の考えとは発想が根本から異なる。しかしだからこそ逆に人間の「自由」を認める立場からは、自分の意志で善にも悪にもなることが可能な人間の「尊厳」が語られることになる。これはアウグスティヌスが徹底的に論駁を試みたベラギウス的異端に親和的な立場であり、ルターが「奴隷意志論」で徹底的に論駁を試みたエラスムスの「自由意志論」に親和的な立場だ。
 こうしてみると、「人間の尊厳」とは、極左的な立場(唯物主義的無神論=アヴェロエス主義やエピクロス)と、極右的な立場(神の恩寵主義=アウグスティヌスやルター)に挟まれた、中道的な立場から出てくる主張であることがよく分かる。だからかどうか、「人間の尊厳」のチャンピオンと見なされてるピコ・デラ・ミランドラは調和を旨とした折衷主義的な議論が持ち味だ。あるいは人文主義者のチャンピオンと見なされているエラスムスの優柔不断な態度を想起してもよい。
 こういう観点から考えてみると、例えばペトラルカの場合は、最初はカトリックの観点からアヴェロエス主義を批判するという「反左翼」という立場にあったものの、詩作(ポイエーシス)を通じて人間の「自由」を謳歌するという形で中庸的な立場を得ることになったように見える。また例えばピコの場合は、最初はアリストテレスに学びアヴェロエス主義に近い観点から「左翼」という立場ではあったものの、後にフィチーノを介してプラトンに近づき、カラバなど神秘思想に親しんで右側に傾いていくことで中庸の立場を得たような感じもする。そうなると、「反左翼」から中庸に至るか「左翼」から中庸に至るかで、「人間の尊厳」の中身も具体的にはかなり違ってきそうな印象もある。

【ポイントとなる著作】
・ペトラルカ(1304-1374)『秘密』
・アントーニオ・デ・フェッラリイス「人類の高貴さと区別について」
・バルトロメオ・ファーチョ(1400-1457)『人間の優越と卓越について』
・ジャンノッツォ・マネッティ(1396-1459)『人間の尊厳と優越について』
・マルスィーリオ・フィチーノ(1433-1499)『人間の尊厳と悲惨についての手紙』
・ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)『人間の尊厳について』1486

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス
  著者は一貫して中世主義者に対しても近代主義者に対しても批判を加えて距離を取り、ルネサンス特有の性格を浮き彫りに使用と努力している。

「イタリア・ルネサンス文化とフランスを中心とした中世文化とは、ある程度並行的に共存したことになる。しかもフランス文化が遅まきながらイタリア文化に影響した結果、イタリア文化は十三世紀の末頃になってその内部に同時にスコラ主義とヒューマニズムという二重の伝統をはらむことになった」22頁
ルネサンスを直線的な時間の経過において、「中世の秋」あるいは「近代の初め」、さらには中世から近代への単なる「過渡期」として捉える見方に対しては、われわれは批判的にならざるをえないであろう。」22頁

 このルネサンス特有の位置は単に時間的・空間的な区分ではなく、「中世カトリックの恩寵主義に対する自由主義」に加えて「近代の自然科学主義(アリストテレス・アヴェロエス主義的)に対する人文主義」という思想内在的な位置から主張される。こうなると、「人間の尊厳」がルネサンスに位置づくのも論理必然的ということになる。

【今後の研究のための備忘録】人間の尊厳
 「人間の尊厳」について、先行研究の見解をコンパクトにまとめた上で原典をほぼそのまま紹介してくれているので、めちゃめちゃ勉強になる。

「それ(自由学芸artes liberales))を市民のサルターティやブルーニが「人文学研究」studia humanitatisと読んだのは、その学芸を学ぶことによって人間としての限りにおいて人間を完成させる(hominem perficiant)研究とみなしたからである。つまり人間を尊厳ならしめる学芸という意味でそう呼んだのである。」50頁

「通称イル・ガラテオと呼ばれたアントーニオ・デ・フェッラリイスは、その「人類の高貴さと区別について」という書簡の中で、人々の間の基本的区別を、社会的身分によってではなく、むしろ人々を動物から区別する特徴そのもの、すなわち悟性と理性に基づけている。」60頁

「注意すべきことが三つある。第一は、「人間の尊厳」ということだけが一般的に問題であるならば、すでにギリシアの文学や哲学の中にも認められるし、旧約聖書の創世記にも記されているところであって、ルネサンス・ヒューマニスト固有の問題とは言えないことである。第二には、「ストゥディア・フマニタティス」についてルネサンスにおいて最初に語ったサルターティは、それを「ストゥディア・ディヴィニタティス」すなわち神学と対比して問題に下。それゆえ「ストゥディア・フマニタティス」から結果する「人間の尊厳」に関しては、人間としての限りにおける人間の尊厳、言いかえれば世俗的人間の尊厳が問題であることである。第三に「人間の尊厳」の問題は、トリンカウスが指摘しているように、中世における「人間の状態」の問題と関連しており、それゆえ中世的伝統のある概念であって、それにも拘らずルネサンス・ヒューマニストが自分たちの固有の問題として「人間の尊厳」を強調したのには、その概念の中世的伝統以上の何ものかが強調されているということである。」68-69頁
「中世の思想の特徴がもっぱら「世の蔑視」あるいは「人間の悲惨」であって、ルネサンスになってようやく「人間の尊厳と優越」が発見あるいは回復されたとみなす通俗の見解は、誤りであると言わなければならない。つまり、中世の初めからすでに「世の蔑視」は「人間の尊厳」と盾の裏表のように密接に関連づけられて問題にされてきたのである。」87-88頁
「「世の蔑視」の精神は、それゆえ教父の時代とこの修道生活改革時代においてその典型を見出すことができるであろう。それは愛による神との一致の中に最高の人間の尊厳を見出す、禁欲的神秘主義であると言えよう。」89頁

「この「人間の尊厳」観を先ず問題にした代表者のひとりがペトラルカであった。」50頁
「ペトラルカが多くの頁を割いて自然主義的探究に対して「ストゥディア・フマニタティス」(人文学研究)を対立させている」(57頁)
「「新しき人間homo novusなるものは真に存在するか」という問いを発するジュゼッペ・トッファーニンにとって、ルネサンスの人間観を中世の人間観から根本的に区別することは疑わしいことのように思われる。対立は中世の人間観とルネサンスのそれとの間にあるのではなくして、むしろペトラルカが定式化したように、霊魂としての人間の科学(真の知恵つまりフマニタス)と自然としての人間の不毛な科学との間にあるのであり、精神的な価値と科学的な価値との間にあるのである。つまりはアヴェロエス主義的な科学的人間観と、古典文学的人間観との対立が問題である。そしてヒューマニズムは教会と同様にギリシア・ローマ・カトリック的なものとみなされる。」85頁
「死すべき人間にとって自分の生命を受け継ぎながら独立の人格を担った作品を生み出すことは、永遠へ橋をかけることである。ペトラルカはこうして死すべきものと自覚しつつ、「世界内超越」の有意義性を『秘密』のアウグスティヌスに主張して譲らないのである。そしてかかる「世界内超越」こそは、固有の意味でルネサンス的な「人間の尊厳」を特徴づけるものである。それゆえペトラルカは、その詩作を通してルネサンスの地平をひらいたと言いうるであろう。」96頁

ジャンノッツォ・マネッティ『人間の尊厳と優越について』
「ペトラルカにおいては受動的防禦の姿勢で弁明されていた「世界内超越」の思想が、今やマネッティにおいて積極的攻撃の姿勢で宣言される。その意味でまさにマネッティのこの論著は、ルネサンス的人間観および世界観のマニフェストであると言えよう。」101頁
「こうして「世界内超越」による「人間の尊厳」の概念が確立される。ペトラルカにとってこの超越は何より詩的なものであったが、マネッティにとってそれはむしろ道徳的なものである。そして両者の「人間の尊厳」の概念には共通して一種の個人的貴族主義が見られる。「個人的」というのは、「貴族が貴いのは血統による」という考え方ではなく、むしろ「個人的ヴィルトゥvirtuによる」とみなすからである。こうした個人的貴族主義こそは、ルネサンス独自の貴族主義である。」102頁

「フィチーノにおける「人間の尊厳」の問題にとって最も重要なことは、理性的霊魂が自然の初段階を結合するきずなであるということである。」

ディ・ナポリによればバルトロメオ・ファツィオ(15世紀のヒューマニスト)『人間の優越と卓越について』は「修辞学的小論」であり「その作品において、人間の偉大さは、聖書の語っているかの『神の像にして似姿』に関わっていた。反アヴェロエス的命題を強調しながら、ファツィオは、人間はまさに不死ということに関して神に同一視されるのだと言明する。かかる不死ということが、人間のすべての偉大さにとって基本的にして根源的なテーマとして、『霊魂の神性』について語ることを得しめる。」167-168頁

「中世においても近代においても、「人間の尊厳」が問題になったとしてもそれは二義的な意味においてであった。ところがルネサンス・ヒューマニズムにとって「人間の尊厳」はまさに第一義的な主題をなしていた。人間はかれ自信のヴィルトゥ(virtu能力)によって評価され、「より大なる自己の名誉のために」世の中に出ようとした。つまり尊厳の問題は、人間がこの世において自分のヴィルトゥによって凡俗の世間を超え出て永遠の名誉をかち得ることであり、このようにして「世界内超越」の問題であった。」119頁
「このようにしてルネサンスの世界観・人生観は、多少ともベラギウス的異端に近くなり、多少とも主体性を重視する創造的な人間主義となった。」120頁

「古典的精神は、例えばマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で述べられたような精神とは基本的に異なっている。ウェーバーやトレルチの言うように近代文化がルネサンスからではなく、プロテスタンティズムから生まれたとするならば、ひとはなぜ近代文化のもとで人間の自己疎外が展開したのかをよく理解するであろう。」まえがき2頁
「実際、もし人間が神の奴婢であったり、あるいは反対に、ニーチェのいう末人der letzte Menschであったりしたならば、「人間の尊厳と優越」についてどうしてひとは語りえようか。つまりその意味では、中世人も近代人も、「人間の尊厳と優越」について語る資格を喪失していると言えるのではなかろうか。それゆえ、ルネサンスにおける「人間の尊厳と優越」について、われわれは、メディーヴァリストや近代主義者のような超越的な仕方ではなく、ルネサンス文化の固有性に内在的に即しながら再評価することが必要であるように思う。」179頁

 ナルホド、というところだ。

【今後の研究のための備忘録】人格
 ジャンノッツォ・マネッティ(1396-1459)『人間の尊厳と優越について』について述べるところで、「人格」という言葉がよく出てくる。

「それらのうち第一の理由は、初めの三巻で述べられた人間の身体と霊魂の全ての天賦、および全的人間のすべての特権が、あならのまことに気高く見事な人格の中に、いかに豊かに群がり集うているかを、この序文によって示さんとしたことであった、」180頁
「わたしが著作全体を四巻に分けたのは、わけもなく偶然によってではなく、ある独特の特別な考察によってである。すなわち、人体において、次いでその霊魂において、また全人格において、ある程度まで明らかになっている長所の各々をわたしは入念に性格に考察したので(攻略)」181頁
「つづいて、人間の全人格と人間生活について、不名誉なこと、非難さるべきこと、また呪わしいことの理由が、若干の有能な著作家たちによって言及されたことを、手短に考察することへと進もう」186頁

 ここで語られる「人格」が「人間の尊厳」の概念と論理内在的な関係にあるのかどうかは、よく分からない。さしあたって、ルネサンス期に「人格」の用例があることは記憶しておきたい。

【今後の研究のための備忘録】教育機関
 本書の趣旨と直接関係するわけではないが、間接的には実はけっこう重要なことかもしれない。

「マルスィーリオ・フィチーノのアカデミア・プラトニカにしても、いわゆる大学のような教育機関でもなければ、後世の学会のような規則的な集会がなされる公式な機関とも異なっていた。」45頁

 ここから「台頭しつつあった市民階級の人間観を代弁する」(50頁)ものとして「人文学研究(studia humanitatis)」が立ち上がる。「人間の尊厳」の観念が生まれたのは公的な教育機関からではなく、私的な学問サークルのようなものからだった。ルネサンスのいわゆる「人文主義」が、中世大学のスコラ学の外から出てきていることには注意しておく必要がある。日本における鎌倉時代の金沢文庫、近世の伊藤仁斎「古義堂」や本居宣長「鈴屋」を想起していいかもしれない。公的なアカデミアにはない「自由なポイエーシス」から生まれる何ものかがある、ということだ。今のマンガやアニメやゲームのようなものにも、同じような可能性がある。

【今後の研究のための備忘録】子ども観
 本筋とは関係ないが、「子ども観」についてメモしておきたい一文があった。

フィチーノの「「人間性について」と題されたトンマーソ・ミネルベッティに宛てた手紙においては、「子供たちが老人たちよりも、狂人たちが賢明な者たちよりも、愚鈍な者たちが才能のある者たちよりも、なぜいっそう残酷なのであるか。なぜなら、前者は他の者たちほど言わば人間でないからである。」」109頁

 「子供たち」が「人間でない」ということで、身も蓋もない。

佐藤三夫『イタリア・ルネサンスにおける人間の尊厳』有信堂高文社、1981年