「主体的・対話的で深い学び」タグアーカイブ

【要約と感想】河村茂雄『アクティブ・ラーニングのゼロ段階―学級集団に応じた学びの深め方』

【要約】協同学習を表面的に取り入れるだけでは、子どもたちの学力は伸びません。本物のアクティブ・ラーニングを実現するためには、学級経営で「安定と柔軟性がある学級集団」を作らなければなりません。学級集団の個性に応じて、働きかけ方を変えていきましょう。

【感想】最新学習指導要領から「アクティブ・ラーニング」という言葉は跡形もなく消え去った。形式的で無意味な実践が横行してしまったからだ。
本書は、そんな形式的で無意味なアクティブ・ラーニングに陥ることを戒めている。本質は「学級経営」にあることを看破している。本質的な学びになるかならないかは、学級集団の質に決定的に依存しているのだ。だから、小手先の協同学習を導入するのではなく、本腰を入れて学級経営に取り組む必要があるということだ。
まあ、なるほど、確かに、というところではある。学級経営に関しては、同じ著者の「Q-U」理論が大いに参考になるわけだが、それはまた別の本で。

河村茂雄『アクティブ・ラーニングのゼロ段階―学級集団に応じた学びの深め方』図書文化、2017年

【紹介と感想】田村学著・京都市立下京中学校編『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践 公立中学校版』

【紹介】新学習指導要領では、アクティブ・ラーニングに代わって「主体的・対話的で深い学び」という言葉が打ち出されましたが、「深い学び」の具体的な中身は分かりにくいものでした。本書は、具体的な「思考ツール」を活用することで「深い学び」が実現できることを示しています。国語や数学など実際の学習活動の中でどのように思考ツールを使うかが分かりやすく示されており、様々な授業で応用できそうです。

【感想】著者の田村学氏は、別の著書『深い学び』で理論的に「深い学び」の在り方を明らかにしている。本書はその理論を踏まえた上での実践編といったところだ。ただの机上の空論ではなく、実際の授業の中で思考ツールを活用した記録が伴っているので、説得力がある。「深い学び」が何なのか困っている先生にとって、実際の授業で役に立つ何らかのヒントがある本かもしれない。
が、まあ、思考ツールを使うこと自体が目的になると本末転倒なので、「どうして手段として思考ツールを使う必要があるのか」を常に問いながら、「深い学び」について考えを深めていく必要があるだろう。表面だけ思考ツールを導入することに、さしたる意味はない。そういう意味で、理論編『深い学び』とセットになって初めて意味がある本であるように思える。

田村学著・京都市立下京中学校編『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践 公立中学校版』小学館教育技術MOOK、2018年

【要約と感想】小針誠『アクティブラーニング―学校教育の理想と現実』

【要約】アクティブラーニングという言葉に乗せられて右往左往していませんか。これ、よく考えると(あるいは考えなくても)、とても胡散臭い言葉ですよ。歴史的に何度も失敗を繰り返しているし、理論的にも無理があるし、そもそも学校教育の理想と現実のギャップを踏まえれば、変だってことが分かりそうなもんですよね。

【感想】いい本だった。とてもありがたい。アクティブラーニングの胡散臭さに対しては授業でも多角的に指摘しているつもりではあるが、今後は「アクティブラーニングに違和感を抱いたら、この本を読め」と言っておけば足りそうだ。
個人的には、アクティブ・ラーニング問題の本質は、「教育目的」に対する議論を欠いたままで「主体性の調達」に躍起になっているところにあると思っている。本書は戦中にも「主体性の調達」のためにアクティブラーニングが利用された例を的確に指摘していて、とても説得力がある。現在のアクティブラーニングも、所詮は知識基盤社会や第四次産業革命下で斜陽化しつつある日本の産業界に寄与できる有能な人材を作ろうという偏った目的に奉仕するために構想されているだろうことは、誰の目にも明らかだろう。ここが胡散臭さの一番の根底にある。

と言いつつも。やはり教育に携わる身としては、教師が一方的に知識を与える19世紀型授業よりも、学習者の興味や関心に基づいて内側から個性を伸ばす21世紀型スタイルの方が、人間形成にとって本質的な在り方だろうという直感を抱くのも確かなのだった。時の政権や偉い役人たちが命令するから行なう他律的なアクティブラーニングではなく、「教育目的に即して本質的な教育方法=メトーデ」を模索しながら構想された主体的なアクティブラーニングであれば、きっと子どもたちの成長に資する有益な実践になるはずだ。そう信じて、頑張ろう。

小針誠『アクティブラーニング―学校教育の理想と現実』講談社現代新書、2018年

【紹介と感想】澤井陽介編著・横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校著『鎌倉発「深い学び」のカリキュラム・デザイン』

【紹介】新学習指導要領の理念を実際の教育活動に落とし込んだ小学校の実践が報告された本です。学校全体で理論的なVISIONを共有した上で、具体的に各教科それぞれの「本質」や「見方・考え方」を構成しているので、全体的な統一感があります。従来の各教科指導案の羅列では見えてこなかったような「教科等横断的な資質・能力の育成」や「プロセスを重視した指導」の具体的な姿が、この取り組みではとても見えやすくなっています。学校の「重点目標」の策定から、それを踏まえた具体的な「カリキュラム・デザイン」までを考える際に、実践的に練り込まれた例として参考になるのではないでしょうか。

【感想】「カリキュラム・デザイン」というPDCAサイクルの「P」および「プロセスを重視した指導=深い学び」という「D」の部分に集中した実践報告として、とても興味深く読んだ。(逆に言えば「C」と「A」は主要テーマとして扱われていないので、いわゆる「カリキュラム・マネジメント」が全般的にカバーされているわけではないけれども。)
「校内研修」でボトムアップ式に積み上げてきただけあって、個性的で独創的な取り組みに発展してきているように見える。印象に残るのは、多様性や協働性を実践に落とし込む際の「ズレ」という言葉の使い方や、「賢いからだ」という独特の表現だ。文科省や教育委員会の文書から言葉を借りるのではなく、日々の経験を校内研修を通じて積み上げていく姿勢が感じられる。独創的な実践を作り上げていく際に、見習うべきところが多いように思った。
また、「学校目標」の実際的な作り方に関しては、一つの事例として興味深く読んだ。従来の小中学校の教育目標は、著者も言うように「知・徳・体」をキャッチフレーズ的にまとめたものが多かった。明治期に輸入したスペンサーの三育主義以来、140年間変わっていないわけだ。新学習指導要領では、この旧来型学校目標の見直しを強く求めてきている。文科省が想定している新しい学校目標とは、おそらく学校教育法に定められた「学力の三要素」をベースとしたものだ。しかし旧型目標と新型目標の整合性をどう取るかは、なかなか厄介な実践的な課題となる。その厄介な課題に対して本書が示した解決法は、なかなか実践的だと思った。

気になったのは、「社会に開かれた教育課程」という概念が論理的に矮小化されていたところだ。が、まあ、ボトムアップ式の取り組みという点から考えれば、別に文科省の言う概念を無批判に取り入れる必要はなく、目の前の子どもの姿から徐々に課題が立ち現われていくものであるだろうとは思う。

澤井陽介編著・横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校著『鎌倉発「深い学び」のカリキュラム・デザイン』東洋館出版社、2018年

■参考記事:「カリキュラム・マネジメントとは―3つの指針と学校運営の要点―

【要約と感想】田村学『深い学び』

【要約】今時学習指導要領の重要キーワードの一つが「主体的・対話的で深い学び」であることは周知の事実ですが、特に「深い学び」という概念が重要です。「深い学び」は単なる「主体的」で「対話的」な活動で成立するわけではなく、教科の本質を理解した教師による適切な指導が必要です。「深い学び」を実現するためには、単元全体を見透したカリキュラム・デザインを前提とし、「知識」が相互に関連付けられ構造化される仕組みを理解し、プロセスを重視して評価と一体となった授業を作りあげ、そうして練り上げられた授業の経験を「授業研究」等で共有化していくことが必要となります。

【感想】学習指導要領改訂の理論的な背景や時系列的な経緯も簡潔に説明されている上に、具体的な実践例も豊富に提示されていて、さらに「知識が駆動する」というパワーワードが前面に打ち出されていてビジュアル的なイメージが浮かびやすく、「深い学び」の諸相が多面的に理解できる。現場の先生だけでなく学生が読むにも良い本だと思った。最新学習指導要領では「カリキュラム・マネジメント」と「主体的・対話的で深い学び」が密接不可分不離一体なので、本書と合わせて田村学『カリキュラム・マネジメント入門』も読むと全体像が見えやすくなると思う。またこの理論を実際の授業で使用した実践編とも言える『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践』と併せて読むと、具体的な実践のあり方がイメージしやすいかもしれない。

とはいえ、個人的には、同じことを既にヘルバルトが論理的には全部言っているとも思ってしまった。結局は「教授のない教育などというものの存在を認めないし、逆に、教育のないいかなる教授も認めない」ということなのだった。噛み砕くと、ヘルバルトの言う「教授」とは基礎・基本の知識の習得であり、ヘルバルトの言う「教育」とは活用を通じた学びに向かう人間性の涵養(ヘルバルトの言葉では「多方の興味」)なのだった。具体的にはカリキュラム・デザインは「中心統合法」だし、単元構成は「開化史的段階」だし、深い学びは「五段階教授法」として提示もされているのだった。200年かけて、時代がようやくヘルバルトに追いついたということか、どうか。あるいはヘルバルトの教育理論を、ようやく我々が「活用・発揮」できる段階に入ったということか、どうか。ただ「評価」という観点に関しては、ヘルバルトよりも圧倒的に進化しているようには思う。今後の教育技術の進展は「評価」にかかっているのだなあと、改めて思った次第。
まあこのあたりの思想史的なあれこれは現場の先生方や学生には直接的には関係ないし、あれこれしたところで著者が主張したいことを生産的に発展させるわけでもないので、まあ個人的な研究として深めていくことにしたい。本書が学習指導要領が目指す理念を具体的な授業実践に落とし込む上でとても参考になるいい本であることは間違いないので、教職を目指す学生にはぜひ読んでおいてもらいたいと思った。シラバスで参考書に指定しておくのかな。

田村学『深い学び』東洋館出版社、2018年

■参考記事:「主体的・対話的で深い学びとは―アクティブラーニングを超えて―