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教育原論(栄養)-3

栄養科 5/7

前回のおさらい

・18世紀半ばから日本では子供の教育に関心が持たれるようになりました。どうして教育が必要なのか?←リテラシーを身につけると幸せになれるからです。
・身分の違いによって、藩校や寺子屋というふうに学ぶ場所に違いがありました。

今回の目標

・市民社会の成立によって、新しい教育が必要になったことを理解しよう!
・近代西洋教育思想の特徴をつかみ、現在の教育に繋がっていることを理解しよう!

民主主義の教育

市民社会の成立

・ヨーロッパの政治体制を民主主義の成立に向けて決定的に変えた事件を、まとめて市民革命と呼びます。
*市民:農村の生産者ではなく、都市に暮らし、市場でお金を使う人々を指します。基本的にお金持ちです。
*革命:「一揆」と勘違いする日本人が多いですが、いわゆる一揆は支配者の交代を伴いません。支配階級が覆る事態を革命と呼びます。
*市民革命:ヨーロッパでは様々な地域と時期に革命が発生しましたが、全て共通して「市民」が支配者になる革命だったので、「市民革命」と呼びます。

市民革命重要人物政治思想書教育思想書
清教徒革命1642トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
名誉革命1688ジョン・ロック『市民政府論』『教育論』
アメリカ独立戦争1776トマス・ペイン『コモン・センス』
フランス革命1789ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』『エミール』

・市民革命には、それぞれ理論的指導者と代表的な政治思想書が関わっています。政治に関わった人物が同時に教育理論書を書いていることにも注目しましょう。
・新しい世の中(民主主義)に変わったら、それに相応しい新しい教育が必要となります。それまでの身分制社会では、偉い人の言うことを聞いていれば問題がありませんでした。新しい世の中では、自分の頭で考え、判断し、行動する、自律的な人間でなければ生きていくことができません。
・どうして教育が必要なのか?←民主主義の世の中で幸せになるためには、誰かから命令されて動くような人間ではなく、自分の頭で考えて行動できる自律的な人間になったほうがいいに決まっているからです。
・身分や属性に縛られず、他人に動かされるのではなく、自律的な人間になることを「人格の完成」と呼びます。

憲法と教育の自由

・人格が完成した自律的な人間の権利を保障するために、憲法というものが存在しています。

思考実験:法律を破ったことはありますか?

・市民は、リーダーが作った法律に従う義務があります。法律を破ったときには、ペナルティが課されます。法律は、それぞれの市民が平和かつ幸福に暮らすことができるよう、選ばれたリーダーによって定められます。←自分たちが決めたことは自分たちで守りましょう=自律。
・市民は、法律を破ることはできますが、憲法を破ることはできません。法律と憲法は、どこがどう違っているのでしょうか?
・そもそも憲法を守る義務があるのは誰でしょうか?→日本国憲法第99条。
・憲法は市民に何を期待しているのでしょうか?→日本国憲法第97条と第98条。

『日本国憲法』第十章 最高法規
〔基本的人権の由来特質〕
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

〔憲法尊重擁護の義務〕
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

基本的人権

基本的人権:誰がリーダーになったとしても、絶対に人々から奪うことができない生まれながらの人間の権利です。性別や身分や才能などの特殊性に関係なく、あらゆる人が平等に持っている普遍的なものです。*確認:多数の専制の怖さ。
自由権:国家が侵害することができない、個人が持つ権利です。「国家からの自由」のことです。具体的には、身体の自由、財産の自由、居住の自由、職業選択の自由、教育の自由などなどがあります。
教育の自由:自分の子供をどのように教育するかは、国家から関与されることではありません。←信仰の自由:どのような思想信条を持つかについて、国家が個人に命令することはできません。

教育基本法と日本国憲法

・教育基本法は、1947年に日本国憲法と一体のものとして制定され、準憲法的性格を持つと考えられています。→つまり、教育基本法を守らなければいけないのはリーダーの側であって、一般国民は守らせる側ということになります。

近代西洋(18~19世紀)の教育思想

ロック John Locke

・市民革命、経験主義。
・1632年~1704年。イングランド出身。
・主著『市民政府論』(政治思想)、『人間悟性論』(認識論)、『教育論』あるいは『教育に関する一考察』(教育思想:翻訳が異なるだけです)
・キャッチフレーズ:紳士教育タブラ・ラサ(白紙説)
・名言:健全なる精神は健全なる身体に宿る。←まず体育(食物、睡眠、居住環境など)の重要性を強調しました。
・身分制を反映した古い教育を否定して、新しい市民社会を担う紳士(ジェントルマン)を作ることを目指す教育です。自発性を重視して詰め込み教育を否定し、大人になってから役に立つ習慣形成を重く見ました。

ルソー Jean-Jacques Rousseau

・市民革命、ロマン主義。
・1712年~1778年。ジュネーヴ出身。
・主著『社会契約論』(政治思想)、『人間不平等起源論』(政治思想)、『新エロイーズ』(恋愛小説)、『エミール』(教育思想)
・キャッチフレーズ:子どもの発見消極教育
・名言:万物を創る者の手を離れるときはすべてよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる
・子供期の独自性を初めて主張しました。消極教育とは、書物による早期教育をいましめ、まず自然による教育(たとえば感覚の訓練など)を重視する姿勢を指します。また、思春期や青年期の持つ独特の意義について意識を向けたのも大きな特徴です。

カント Immanuel Kant

・1724年~1804年。ドイツ出身。
・名言「人間は教育されなければならない唯一の被造物である。
・大人になって自律性を獲得をするためには、子どものときにある程度拘束されたり外から知識を与えられたりすることが必要かもしれません。

ペスタロッチー Johann Heinrich Pestalozzi

・1746年~1827年。スイス出身。
・主著『隠者の夕暮』『シュタンツだより』『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』『白鳥の歌』
・キャッチフレーズ:実物教授。直感教授。労作教育。3つのH(Hand、Heart、Head)=知徳体。
名言:「玉座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間だ」=身分に関係なく、普遍的な人間を教育するということです。
・孤児や貧民の子供の教育を通じて、身分や階級に関わらない人間一般の教育原理を打ち立てました。ルソーが理論だけだったのに対して、ペスタロッチーは実践を通じて教育原理を明らかにしました。
・アメリカを経由したペスタロッチー主義(開発主義教育)は、明治初期に日本でも流行しました。

復習

小テスト
・時代背景を考慮しながら、各教育思想の本質を押さえよう。

予習

・義務教育とは何か、その導入経緯について調べておこう。特にコンドルセとオーエンの仕事を調べよう。

発展的な学習の参考

ジョン・ロック『教育に関する考察』:新しい時代にふさわしい紳士教育の形が示されています。
ジャン・ジャック・ルソー『エミール』:普遍的な「人間」をつくるという、まったく新しい教育の姿が描かれています。
ペスタロッチー『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』:ペスタロッチーの教育思想のエッセンスが詩という形式で表現されています。
フレーベル『フレーベル自伝』:フレーベルの教育観の一端を伺うことができます。

教育概論Ⅰ(中高)-3

栄養・環教 4/26
語学・心カ・教福・服美・表現 4/27

前回のおさらい

・生理的早産:人間は他の高等哺乳類と比べて弱々しい状態で生まれます。しかしだからこそ、人間は他の動物と違って様々な可能性に満ちています。
・しかし、7歳以前の子どもの扱いは現在と比べてたいへん苛酷でした。7歳以降は、大人と一緒に労働をしていました。
・家族は子育てをしていませんでした。社会(ムラ)全体で子育てを担っていました。

今回の目標

・「形成」という言葉を手がかりに昔の子育ての様子を理解し、現在の「家族と学校」中心の子育てと比較しよう!
・「イニシエーション」という言葉の意味を理解し、「大人になること」の意味が現在とどのように違うかを把握しよう!

「形成」とは?

・要するに、私たちが現在当たり前だと思っている教育(学校教育や家族の子育て)は、昔は行われていませんでした。

「形成」と「教育」の違い

・「学校」がなかったころも人々は人間形成を行っていました。「教育」と異なる形の人間形成のことを専門用語で「形成」と呼びます。
・たとえば初めてのアルバイトをするとき、仕事の内容をどうやって覚えていくでしょうか?

形成と教育の違い
カテゴリー形成(前近代)教育(近代)
【何を習得するか】カンとコツ知識と教養
【どこに修めるか】身体
【どうやって伝えるか】行動文字
【規範意識】恥じ・しつけ公共性・道徳
【根拠】経験と仕来り科学と合理性
【指導する人】村落共同体資格を持った教師
【見える光景】背中
【労働との関係】労働と一体労働と分離
【祭祀との関係】祭祀と連続祭祀と分離
【遊びとの関係】遊びと連続遊びを排除
【カリキュラム】実践的・偶然的意図的・計画的
【行政】自治中央集権
【大人の条件】一人前人格の完成
【人間像】身分・地域の特殊性普遍的人間

・商人や職人の世界では、「方-弟」の疑似親子関係を結ぶことがあります。徒弟制、丁稚奉公、ギルド等、実の親以外にも「親」がたくさんいました。←先生は「親」ではありません。
*昔の子どもは活き活きしていた? →子どもが変わったわけではなく、子どもを取り巻く環境のほうが変化したと考えれば、理解できそうです。
*昔の大人は尊敬されていた? →大人が変わったわけでも、子どもが変わったわけでもなく、労働と教育のあり方が変わったことを考慮すれば、理解できそうです。
*どうして「形成」ではなく「教育」が必要となったのか? →親と一緒の仕事をするなら「形成」で問題なさそうですが、別の職業に就く場合には「形成」はむしろ意味がなくなりそうです。労働のかたちが変わると、教育のかたちも変わるということです。

イニシエーションとは?

・イニシエーションとは:日本語では「成人式」や「通過儀礼」とも呼ばれています。一人前の共同体(ムラ)のメンバーになるために、全ての若者が突破しなければならない試練のことです。日本だけではなく、世界全体に共通して見られます。
・イニシエーションの必要性:肉体的に一人前の条件(自分の子どもが作れる)を揃えつつあるとき、精神的にも一人前になる必要があります。
←昔の人たちが何歳くらいで親になっていたのか考えてみよう。アンケート
・イニシエーションの内容:「死」と「再生」を象徴するものと言えます。一人前の共同体(ムラ)メンバーになるために、家族と分離(親離れ、子離れ)し、ムラ全体の子供として再び生まれなおす必要があるということです。

若者組……学校がない世界での精神的成熟

*若者宿(メンズハウス):一人前になるために、年齢別集団へ加入して、親元を離れて、様々な知識や技術を身につけます。(女性の場合は「娘宿」など)←参考:「學」の漢字の元の形。
・家族でも学校ではない場所(若者宿)で、親や先生ではない人(同年齢集団)を通じて、経験を積みます。
・若者組の役割:集団労働力の提供、祭礼や村芝居の執行、消防・警察、性や結婚の管理など。
・近代の学校教育と決定的に異なるのは、「死」と「生=性」の重要性かもしれません。

復習

・「形成」という人間形成について、現在の教育と比較しながら理解しておこう。
・「イニシエーション」の理念と実際の在り方について、現在の「成人式」の在り方と比較しながら理解しておこう。

予習

・江戸時代の日本の教育について調べておこう。特に「寺子屋」と「藩校」と「郷校」という言葉を調べよう。
次回の範囲で、教員採用試験に実際に出た問題5問です。予習がすんだ人はチャレンジしてみてください。

参考文献

ファン・ヘネップ『通過儀礼』
文化人類学の観点からイニシエーション(通過儀礼)を捉え、人生の節目で危機を乗り越えるための儀礼と理解し、越境の過程を「分離→過渡→統合」という図式で理解する。古典的名著。

佐野賢治『ヒトから人へ』
「大人になる」ために昔の人々が行っていた伝統的な習俗を、「一人前」という視点から描き出すエッセイ集。高度経済成長後に失われた伝統的な人間形成の在り方について考えさせられる。

教育原論(保育)-3

短大保育科 4/25・4/27

前回のおさらい

・西洋古代の教育:ソクラテスの思想。外部から知識をつけ加えるのではなく、自分の内部から本物の知を出産する手助け。
・生理的早産:人間は他の高等哺乳類と比べて弱々しい状態で生まれます。しかしだからこそ、人間は他の動物と違って様々な可能性に満ちています。
・しかし、7歳以前の子どもの扱いは現在と比べてたいへん苛酷でした。7歳以降は、大人と一緒に労働をしていました。

今回の目標

・昔の「家族」の姿が現在とはまったく異なっており、子育てに対するイメージが違っていたことを理解しよう!
・「形成」という言葉を手がかりに昔の子育ての様子を理解し、現在の「家族と学校」中心の子育てと比較しよう!

「形成」とは?

昔の「家族」の生活を考えてみよう

・「家族」は子育てしていたでしょうか?
*生産力:生産力の低い世界では、子供も労働しなければ家族が生きていけません。父親も母親も、生きるための労働で精一杯であって、子育ての優先順位は下がっていきます。←昔(第一次産業が主流だった頃)、専業主婦はいませんでした。共働きが当たり前でした。
(専業主婦が登場したのはせいぜい100年ほど前のことで、広く一般的になったのは50年ほど前のことです。)
*社会(ムラ)と家族との関係:現在は家族が独立した島宇宙のようになって社会から隔絶していますが、かつては家族と社会(ムラ)の間の境界線は曖昧でした。家族が子育てをできなければ、社会全体でそれを担います。

「形成」と「教育」の違い

・要するに、私たちが現在当たり前だと思っている教育(学校教育や家族の子育て)は、昔は行われていませんでした。
・「学校」がなかったころも人々は人間形成を行っていました。「教育」と異なる形の人間形成のことを専門用語で「形成」と呼びます。
・たとえば初めてのアルバイトをするとき、仕事の内容をどうやって覚えていくでしょうか?

形成と教育の違い
カテゴリー形成(前近代)教育(近代)
【何を習得するか】カンとコツ知識と教養
【どこに修めるか】身体
【どうやって伝えるか】行動文字
【規範意識】恥じ・しつけ公共性・道徳
【根拠】経験と仕来り科学と合理性
【指導する人】村落共同体資格を持った教師
【見える光景】背中
【労働との関係】労働と一体労働と分離
【祭祀との関係】祭祀と連続祭祀と分離
【遊びとの関係】遊びと連続遊びを排除
【カリキュラム】実践的・偶然的意図的・計画的
【行政】自治中央集権
【大人の条件】一人前人格の完成
【人間像】身分・地域の特殊性普遍的人間

・商人や職人の世界では、「方-弟」の疑似親子関係を結ぶことがあります。徒弟制、丁稚奉公、ギルド等、実の親以外にも「親」がたくさんいました。←先生は「親」ではありません。

【教育と形成に関する意識アンケート】自分が保育のプロとして活躍するためには、知識を獲得するための勉強と、実際に経験を積む実習と、どちらが役に立ちそうですか?

*昔の子どもは活き活きしていた? →子どもが変わったわけではなく、子どもを取り巻く環境のほうが変化したと考えれば、理解できそうです。
*昔の大人は尊敬されていた? →大人が変わったわけでも、子どもが変わったわけでもなく、労働と教育のあり方が変わったことを考慮すれば、理解できそうです。
*どうして「形成」ではなく「教育」が必要となったのか? →親と一緒の仕事をするなら「形成」で問題なさそうですが、別の職業に就く場合には「形成」はむしろ意味がなくなりそうです。労働のかたちが変わると、教育のかたちも変わるということです。

復習

・「形成」という人間形成について、現在の教育と比較しながら理解しておこう。

予習

・「イニシエーション」や「若者宿(メンズハウス)」という言葉の意味を調べておこう。
・イニシエーションの具体例をいくつか調べてみよう。
・昔の人(平安時代や鎌倉時代)が、何歳で父親や母親になっていたのか調べよう。
調査結果はこちらに記入

参考文献

ファン・ヘネップ『通過儀礼』
文化人類学の観点からイニシエーション(通過儀礼)を捉え、人生の節目で危機を乗り越えるための儀礼と理解し、越境の過程を「分離→過渡→統合」という図式で理解する。古典的名著。

佐野賢治『ヒトから人へ』
「大人になる」ために昔の人々が行っていた伝統的な習俗を、「一人前」という視点から描き出すエッセイ集。高度経済成長後に失われた伝統的な人間形成の在り方について考えさせられる。

教育原論(栄養)-2

栄養科 4/23

前回のおさらい

・教育基本法の概要:教育の目的は「人格の完成」です。知識を外からたくさん付け加えることではありません。
・西洋古代の教育:ソクラテスの思想。外部から知識をつけ加えるのではなく、自分の内部から本物の知を出産する手助け。
・西洋近世の教育:コメニウスの思想。印刷術が発明された結果、リテラシー(文字を読んだり書いたりする能力)がとても重要になりました。

今回の目標

・日本でもリテラシーが重要になった経緯を理解しよう!
・昔の日本の教育機関のことを知ろう!
・寺子屋と藩校の違いを理解しよう!

昔の日本の教育

・ほとんどの人は学校に行っていませんでした。生活をする上で、リテラシーはまったく必要ありませんでした。
・ごくごく一部の人が学校に行って勉強していましたが、それはリテラシーを必要とする専門家(書記・宗教)になるためでした。

書記の教育(儒教)

・律令制の整備とともに、書記の教育が始まります。書記は文字が読めないと務まりません。
大学寮(中央の公立官僚育成機関)・国学(地方の公立役人育成機関)
大学別曹(私立の書記育成機関):藤原氏の勧学院など

仏教の教育

・お坊さんは文字が読めないと務まりません。
空海(774-835):綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)。828-845年。
最澄(766/767-822):比叡山延暦寺。山家学生式(さんげがくしょうしき)。818年。

武士の教育

・武士の地位を上げるためには教養が必要です。
金沢文庫:北条実時。1275年?
足利学校:上杉憲実が再興。1432年。

日本での教育の始まり

※江戸時代の基礎知識:人間が平等ではなく、主に「サムライ/それ以外」で違いがありました。教育も、サムライの教育とそれ以外の教育で、かなり異なります。

寺子屋

寺子屋:一般庶民が自分たちのために必要とした教育機関です。幕府や藩など支配者層が上から押しつけたのではなく、下からの自発的な要求によって自然発生的に増加していきました。
・庶民の生活と要求に対応して、手習い(習字)を中心として、そろばんや裁縫を教えていました。
※「往来物」と呼ばれるテキストを使っていました。

・江戸時代中期(西暦1750年頃)あたりから子供に対する意識が変わり始めます。
←生産力の向上、遺産相続への関心、家意識の形成
←商品経済の展開、識字能力の有効性の拡大

リテラシーの展開

・リテラシーと学校:学校に行って勉強する目的の一つは、リテラシーを獲得することです。
・「話し言葉」は意図的にトレーニングしなくても身につけることができますが、「書き言葉」は意図的・計画的にトレーニングすることで初めて身につけることができます。
・かつてリテラシーを持っていたのはごく一握りの知的エリートだけで、大半の人々は文字の読み書きができませんでした。
・最初は一部の意欲のある人々だけが学校に行ってリテラシーを獲得していましたが、リテラシーの有用性が広く認識されてくると、次第に全ての人が強制的にリテラシーを持たされるような制度に変わっていきます。
コンピュータ・リテラシー:コンピュータを使って情報を獲得したり発信したりすることができる能力を意味します。現在はコンピュータ・リテラシーを持っていることが当たり前とされ、学校で習得するようになっています。この能力がないと就職活動すらできません。

江戸時代の文化

長期間にわたる平和と繁栄によって、学問が独自に発達を遂げていました。
*儒学:中国発祥の学問ですが、徳川家が推奨したのをきっかけとして、江戸時代の日本で独特の発展を遂げます。昌平坂学問所や藩校などで教えられていました。基本的には支配者階級のための学問で、主に武士が学んでいました。
昌平坂学問所:林羅山の私塾(1630年)を起源として、1790年に正式に幕府の直轄学校となりました。1871年に閉鎖された後、現在では建物が湯島聖堂として残っています。
藩校:全国に260あった藩が、それぞれ作っていた教育機関です。水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館、薩摩藩の造士館、会津藩の日新館が有名です。
郷校:例外的に武士ではない人々も学ぶことができた教育機関です。岡山藩の閑谷学校が有名です。
私塾:学問サークルが発展して、個性的な塾が運営されていました。広瀬淡窓の咸宜園や、伊藤仁斎の古義堂、吉田松陰の松下村塾などが有名です。

*蘭学:日本は外国との交流を避けていましたが、長崎などを通じて入ってくる海外情報を元に、ヨーロッパの学問が研究されていました。シーボルトの鳴滝塾や、緒方洪庵の適塾が有名です。
*国学:中国とは異なる日本独自の文化を特に尊重して研究する姿勢が生まれていました。私塾としては本居宣長の鈴屋が有名です。

復習

・日本にあった学校について、創設者や成立年代など、自分なりに整理しておこう。

小テスト

日本の昔の学校地図へのリンク

予習

・「ジョン・ロック」や「ジャン・ジャック・ルソー」について調べておこう。

教育概論Ⅰ(中高)-2

栄養・環教 4/19
語学・心カ・教福・服美・表現 4/20

前回のおさらい

・教育基本法の概要:教育の目的は「人格の完成」です。知識を外からたくさん付け加えることではありません。
・東洋古代の教育:「教」と「育」の漢字の源。外部(神)から強制される規範と、出産を出発点にした人間関係。
・西洋古代の教育:ソクラテスの思想。外部から知識をつけ加えるのではなく、自分の内部から本物の知を出産する手助け。
※教育を「外部から知識を与える」ものと考えるようになったのは、いつでしょうか?

今回の目標

・大人と子供の境界線の存在と理由を意識しよう!
・子供に関する学説のあらましを理解しよう!
・「家族」の形について、常識を捉え直そう!

大人と子供の境界線

・「人格の完成」とは、日常的なことばで簡単に言い換えれば、「大人になる」ということになります。
・「教育」とは、「子供」だった存在を「大人」へと成長させる手助けと言うこともできます。

【思考実験】「子供」と「大人」の違いとは?

▼自分が「子供」なのか「大人」なのか、生活を振り返って考えてみよう。

子供と大人の境界線アンケート

・現在は、様々な基準で大人と子供の間に境界線が引かれています。
・たとえば、労働(働いているのが大人、働いていないのが子供)、経済的自立、年齢制限(酒や煙草を許されるのが大人、許されないのが子供)、選挙権、結婚、子供を持つ、精神的な成熟などという基準が考えられます。

【思考実験】「子供」とはどういう存在か?

▼あなたは「子供」をイメージすると、どういう言葉を思い浮かべますか?

子供に対するイメージアンケート

・子供は……かわいい・守ってあげたい・将来の世の中のために大切・初々しい・無邪気・純粋・天真爛漫、あるいは自立していない・弱い・未熟。
・しかし実は、日本でもヨーロッパでも、「子供」をこのように考え始めたのはそう昔の話ではありません。
・かつて、「大人」と「子供」の間には、現在のような明確な境界線はありませんでした。

子供はいなかった?

・かつての世界では、「7歳」という年齢が大きな境界線となっていました。
労働:7歳以後、人々は働いていました。つまり大人たちの仲間として世界と関わっていました。子供の仕事としては、日本では柴刈りや馬引、水汲み、子守などに従事している姿が絵の中に残されています。
遊び:同様に、遊びは子供だけの特権ではなく、大人も一緒に楽しむものでした。日常生活のなかに、定期的に「遊び」が組み込まれていました。
→昔は、労働や遊びという点で、大人と子供に明確な区別はありませんでした。

生理的早産

・人間以外の高等哺乳類(犬や馬や象や鯨)は、誕生してからすぐに親と同じような行動をとることができます。しかし人間の赤ん坊は「能なし」で生まれてきます。他の高等哺乳類と同じくらいできるためには、人間はあともう一年は母親の胎内にいる必要があります。←頭が大きくなりすぎるので、無理です。
・この一年早く生まれてくる現象を「生理的早産」と呼びます。この特徴こそが、人間を人間たらしめているのかもしれません。
・生物学的・自然科学的な過程によって必然的に成長が決められるのではなく、歴史的・文化的な過程によって選択的に成長が決まります(たとえば、箸を使うのか、フォークを使うのか)。ここに人間らしい「個性」が生まれるわけです。
【参考文献】ポルトマン『人間はどこまで動物か』

人間はどこから人間か?

・かつては「7歳」に境界線がありました。7歳未満の存在が「人間」として扱われていなかったのではないかという疑惑は、埋葬、捨て子、マビキなどの在り方に見ることができます。
・妊娠中絶は殺人か? →昔と今とでは、「なかったことにする」という意味で、やっていること自体は変わりません。単に「どこから人間か」という境界線が移動しているだけなのかもしれません。

昔の「家族」の生活を考えてみよう

・「家族」は子育てしていたでしょうか?
*生産力:生産力の低い世界では、子供も労働しなければ家族が生きていけません。父親も母親も、生きるための労働で精一杯であって、子育ての優先順位は下がっていきます。
*社会(ムラ)と家族との関係:現在は家族が独立した島宇宙のようになって社会から隔絶していますが、かつては家族と社会(ムラ)の間の境界線は曖昧でした。家族が子育てをできなければ、社会全体でそれを担います。

復習

・「子供」が「大人」になるとはどういう意味なのか、自分の生活を振り返って考えてみよう。
・アリエスやポルトマンの学説を踏まえながら、昔の人の「子供」に対するイメージが現在とまるで違っていることを、自分なりにまとめておこう。
・「家族と社会」の関係によって「子育て」に対する考え方がまるで変わってくる理屈を、自分なりにまとめておこう。

予習

・「イニシエーション」や「若者宿(メンズハウス)」という言葉の意味を調べておこう。
・イニシエーションの具体例をいくつか調べてみよう。
・昔の人(平安時代や鎌倉時代)が、何歳で父親や母親になっていたのか調べよう。
調査結果はこちらに記入

参考文献

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』
主にフランスにおいて「子供期」がどのように生じてきたかを分析した社会史研究書。中世まで人々は子供に無関心だったが、17世紀から子供と大人の間の境界線が厚くなっていったという見解。

カニンガム『概説子ども観の社会史』
ヨーロッパと北米において、子どもの実際と観念がどのように変化したかを概観した社会史研究書。20世紀における急激な変化を強調。

柴田純『日本幼児史』
日本において7歳という境界線がどのように生じたかを分析した歴史学の本。古代・中世の人々は子供に対して無関心だったが、江戸中期以降に子供に対する心性が大きく転回したという見解。