鶴ヶ城から東南東に1.5kmほど行ったところに小田山という山があり、峰の上に小田山城が築かれておりました。
小田山城は戦国期まで会津を治めていた蘆名家の城です。現在は戦国時代風の冠木門が復原されて、雰囲気が出ています。
案内板によれば、黒川城(現在の鶴ヶ城の位置にあった)の詰城として機能していたようです。
冠木門には蘆名の幟も翻って、なかなか雰囲気を醸し出しております。こういう復元は楽しいですね。
曲輪は会津松平家の家老の墓所として整備されていて、堀や土塁など城の痕跡はあまり残っていません。
ほぼ、ただの山登りになっております。
本曲輪に立つ。堀や土塁は確認できませんが、まあ、明らかに人の手が入った平らな場所が曲輪として機能していたことは明らかではあります。
さて、小田山の山腹には、戊申会津戦争で新政府軍が鶴ヶ城を砲撃した砲陣跡がそこかしこに残されています。
案内板によれば、佐賀鍋島藩のアームストロング砲が、上野彰義隊戦争に続いて大活躍したようです。
砲台跡から鶴ヶ城を臨むの図。天守閣が丸見えで、撃ちたい放題だったでしょう。
案内板には、「西軍」と書いてあります。「新政府軍」と書きたくなかったのでしょうか。行間から無念さが滲み出ています。
訪れた2014年秋は、2013年に放映された「八重の桜」の余韻が残っておりました。
彼岸花の向こうに、鶴ヶ城天守閣が丸見えです。訪れたときは秋風が爽やかで、幕末の動乱があったことなど微塵も感じさせない美しい小田山でした。
(2014年9月訪問)