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【要約と感想】クインティリアーヌス『弁論家の教育』

【要約】最強の弁論家を作るための教育をお見せしましょう。ちなみに最強の弁論家とは、道徳的に立派な弁論家です。道徳とは哲学の専売特許ではなく、雄弁術こそがまさに扱うべきものです。
 類書ではほとんどの著者が基礎教育を無視していますが、本書は幼年期の教育から丁寧に考察します。ちなみに地頭が良くないと優れた弁論家にはなれませんが、もちろん適切な教育が欠けてもダメです。教育は幼少期から始めるべきですが、もちろん発達段階を考慮して、遊びを適切に採り入れましょう。弁論家になるからといって言葉の勉強ばかりしていてはだめで、あらゆることを知っている必要があります。自発性や創造力を養うことが大事なので、子どもの自己肯定感を踏みにじるような叱責は厳禁ですし、体罰などもってのほかです。教師は学生個々の持ち味を見極め、適切な援助をしましょう。向いてないことをムリヤリやらせても時間の無駄だし、誰も幸福にしません。家庭教育ではなく、学校教育を推奨します。学校教育をディスる論者もいますが、学校に通ってダメになる程度の奴は、家庭教師をつけたところで大成しません。
 と書いたところで、将来有望と見込んでいた自慢の子供が死んでしまった。若くして死んだ妻のことも思い出した。うおおおおおお、辛すぎる。こうなったら学問に打ち込むしかない。
 話すことも書くこともたっぷり練習しましょう。良いお手本をたくさん読んで、暗唱しましょう。お手本としては特にキケロがお勧めです。座学だけでは立派な弁論家になれませんので、たくさん練習しましょう。

【感想】理想的な弁論家を教育するために必要な事項が思いつくままに羅列してあって、教育を実践する上で必要なことは一通り網羅されているような印象は受けるが、決して体系的・論理的な記述ではない。そういう意味ではローマっぽい(ギリシアではなく)と言えるのだろう。
 またルネサンス期にペトラルカからエラスムス、アグリコラ、ヴィーベス、あるいはモンテーニュに至るまで大きな影響を与えている一方で、啓蒙期を経てロック・ルソーあたりには射程が届いていないような感じも拭えない。産業革命と自然科学(コペルニクス・ニュートン)による断絶は超えられなかったと理解していいのだろう。雄弁術は所詮は蓋然性(如何様にもあり得る)について扱う技術であり、天文学やニュートン力学のように100%の確実性を扱う学問領域にはまったく噛み合わない。ラプラスの悪魔がリアリティを持って受け容れられる時代に、蓋然性の技術が顧みられなくなるのはまったく不思議ではない。だがその射程距離の限界も含めてマイルストーンとしての役割を期待できるような、人文主義的教育思想の起源の一つとして何度も立ち返って参照すべき教育学の古典であることは間違いない。

 しかし一方で想像力を逞しくしてみると、中世から近代への移行期に本書が重んじられたのは民主主義への離陸にとっては大きな意味を持つかもしれない。スコラ神学による階層的コスモロジーと身分制封建秩序が噛み合ったヨーロッパ中世では、一人の人間の雄弁の力によって世界を変えていくことはちょっとイメージしにくい。雄弁術自体、中世スコラ学の世界では単なる修辞学へと矮小化していた(あるいはクインティリアーヌスの生きた帝政ローマの時代に既に共和制を制度的な裏付けとする雄弁の精神は衰退していたわけだが)。しかし階層性ではなく多様性を基盤とする近代社会では、世界は如何様にもあり得るため、蓋然性をコントロールする技術である雄弁術が活躍する余地も生まれてくる。というか民主主義が公共的な対話の過程から立ちあがるものだとすれば、まさに雄弁術こそが民主主義を裏付ける技術となる(実際、福沢諭吉はそう理解していた)。また蓋然性をコントロールする雄弁術の試みの中から、特に人間と動物・人間と神との比較という主題(およびその練習)を通じて、「人間の尊厳」という観念が結晶化してくる。ピコ・デラ・ミランドラは、哲学に対する雄弁術の優位性を追求していたのではなかったか。はたしてルネサンス期に雄弁術が復活してくるのは、階層性秩序(キリスト教的・封建的)が崩壊する過程で何らかの蓋然性を確保しようという動機に裏付けられていたのかどうか。中世の秋における多様性と蓋然性という観念を補助線とすると、どうやら雄弁術というものが近代とは何かを考える上で重要な研究対象として浮かび上がってくる気がするし、そういう意味でクインティリアーヌスはなかなか侮れないのであった。

 読み物としては、亡くした子供と妻を嘆く第6章の特異っぷりが、意表を突かれて印象に残る。今も昔も変わらない人間性の本質が存分に表れた箇所と言うべきか。

【今後の研究のための備忘録】道徳性と普通教育
 まず本書で決定的に重要なことは、クインティリアーヌスが弁論家の教育の目的を単なる技術ではなく道徳性に置いていることだ。

「さて、ここでは完璧な弁論家を育てるのが目標なのですが、「よき品性の人」でなければそれたり得ないのです。それゆえ弁論家にはただ話す能力が卓越しているだけでなく、精神のあらゆる徳性を備えていることを要求するのです。」第1巻序文

 これが重要だというのは、本書の目指す教育がいわゆる「専門教育」ではなく「普通教育」の文脈で語られることになるからだ。単に技術を身につけることを目指すのであれば、弁論家という極めて限られたキャリアを志向する対象にしか当てはまらない。しかし道徳性の育成という普通教育の文脈に置かれると、全ての子どもたちを対象とした教育論として読むことが可能となる。本書が2000年の時間を超えて生き残ったのも、普通教育の書として読み継がれてきたからだ。
 ただし、本書全体を通覧した時、普通教育に関わる話は全体の2割以下の分量(特に全12巻のうちの第1巻)しか持たないことは踏まえておいた方がいいだろう。紙面の大半は弁論家を育成する専門教育の話に費やされている。(ラテン語の音韻変化や綴りの具体的な考察は、失礼ながら専門外の人間にとっては退屈ではある)
 普通教育に関わるトピックは、ルネサンス期の教育論に極めて大きな影響を与えている。たとえば幼少期の時分から教育をためらってはならない早期教育論はエラスムスなどにそのままそっくり引き継がれている。しかもしっかり発達段階を踏まえて、「遊び」を学びの手段として活用する論点も多くのルネサンス期教育論に引き継がれている。

「何にも増して避けるべきことは、まだ学業を愛することのできない年齢の子供がそれを嫌悪したり、一度味わってしまった苦い想い出のために幼児期が終った後までも学業をこわがってしまうようにさせてしまうことである、幼少の時の学習には遊びがなければならない。」第1巻第1章20

【今後の研究のための備忘録】体罰否定
 また特記しておくべきことは、明確な体罰の否定だ。

「勉学というものは強制され得ない学ぼうという意志にかかっているからである。」第1巻第3章8
学習するものを叩くということは一般に受け容れてもいるし、クリュシッポスもこれに反対していないとはいえ、私は少しも認める気にはならない。それは第一に、醜く奴隷的な扱いであり、疑いもなく(どの年齢にあてはめてもだとうすることであるが)一つの不正な侵害だからである。また第二に、その子供の心が叱責によっては矯正されないほどに〔自由民らしくなく〕下劣だとしたら、奴隷の中でさえ最も手に負えない者の場合と同様、たとえ笞に訴えても変わりはしないであろうからである。第三には、その子供の側について熱心に勉学を監督してやる者がいれば、こういう折檻さえ不必要となろうからである。」第1巻第3章14

 上げられている3つの理由が極めて明瞭で、一つめは自主性・自発性を阻害するという観点、二つめは教育可能性という観点、三つめは教育環境という観点だ。現代にも通用するかどうかは丁寧に検証する必要はあるが、2000年前から明確な理由と共に体罰が否定されていたという事実は踏まえておいて損はない。

【今後の教育のための備忘録】個性
 また繰り返し繰り返し、子どもの個性を把握してそれに適した方法を工夫するべきだという話が出てくる。

「教育を委ねられた子弟たちの才能の相違を周到に見分け、それぞれについて生来の傾向が主として何処に向っているかを知ることは、教師たる者の資質だと普通見做されているが、これはもっともなことである。実際生来の素質には信じ難いほどの多様性が見られ、体つきの違いにも優るとも劣らないほど色々な精神の型があるものだからである。」第2巻第8章1
「そのために、大抵の者には、個々の生徒を教えるには自然が授けた固有のものを、善き学問で育んでやり、生まれつきの才能をそれの傾く方へ向けて極力援助してやるのが有益だと思われたのである。」第2巻第8章3

 もちろん近代的な人権観念から個性を尊重しようという話ではなく効率や有効性の観点から語られているわけだが、教育の方法に関連づけられながら子どもの多様性が観察されていることは注意しておいていいだろう。そしてこの論点も、ルネサンス期教育論にそのまま引き継がれていく。むしろ啓蒙期以降の自然科学的な教育のほうが子どもの個性を度外視して進む傾向にあったりしないか。

 また、本文にも「個性」という言葉が登場する。

「アラトスは主題に盛り上がりが乏しく、その作品には変化も感情の起伏もなく、登場人物の個性も、どんな種類の弁論も見出されない。」第10巻第1章55

 原文のラテン語でどんな語が対応しているかは機会を見つけて確認しておこう。

クインティリアーヌス『弁論家の教育1』小林博英訳、明治図書世界教育学選集96、1981年
クインティリアーヌス『弁論家の教育2』小林博英訳、明治図書世界教育学選集97、1981年