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【要約と感想】河合敦『吉田松陰と久坂玄瑞』

【要約】吉田松陰の人となりが、松下村塾の塾生たちに大きな影響を与えました。

【感想】幕末維新期をどう見るかというとき、いくつかの立場があって、まず会津藩や新選組に感情移入するような佐幕派があり、もう一方に坂本龍馬や高杉晋作のような進取の無頼派に感情移入する立場がある。吉田松陰や久坂玄瑞に惹かれるのは、比較的マイナーな立場なのかなと思い込んでいるが、いかがか。ちなみに私はさらにマイナーで、佐久間象山とか横井小楠とか橋本左内のような学者に関心を持つタイプであり、そういう意味で吉田松陰も気になる人物だ。

本書はオーソドックスに書簡などの一次資料を交えながら、松陰と玄瑞の人となりを淡々と描いていく。極端な私見を交えることがなく、安心して読める本ではある。逆に言えば、それ以上でもそれ以下でもないといったところか。
学問的には、松陰の業績は明治以降に必要以上に盛られているとする見解もあったりして、評価はなかなか難しい。まあ、信長などと並んで、日本人離れした、他に類を見ない、得がたいキャラクター(後に作られたとしても)であることは間違いないところではある。今後もある種の教師の模範としてもてはやされ続けるのだろう。

【メモ】
松陰が獄中から妹に出した手紙の中に、次の一節がある。

「およそ人は、天地の正しき気を得て形を拵へ、天地の正しき理を得て心を拵へたるものなれば」

朱子学の理気二元論を土台として、「理/気」=「心/形」という二項対立を示している。この儒教的な心身二元論の射程距離が、かねてから気になっている。松陰が胎教を語るときに言及していたことは、記憶しておきたい。

河合敦『吉田松陰と久坂玄瑞―高杉晋作、伊藤博文、山県有朋らを輩出した松下村塾の秘密』幻冬舎新書、2014年

【要約と感想】藤原辰史『給食の歴史』

【要約】給食について、貧困・災害・運動・教育・世界史の5つの観点から多角的に考えることで、給食の歴史と思想の実相を捉えます。すると、給食とは「境界」にあるものだということが分かります。給食を通じて、日本や世界の姿がはっきりと見えてきます。

【感想】事前の予想に反して(と言ったら失礼で恐縮だけれども)、非常に情報量が多いにも関わらず論理的に明快で、読み応えがあって、勉強になり、様々なインスピレーションを与えてくれる本だった。おもしろかった。意表を突かれるような記述も多かったが、それだけ私の視野が狭かったということだ。目から鱗が何枚か落ちた。

本書の論理的な柱である5つの観点それぞれがいずれも重要な論点を提出している。たとえば「貧困」に関しては、私も個人的に地域の「子ども食堂」に少し噛んでいるわけだが、貧困対策の本丸は給食にあるという本書の記述には、激しく納得する。表面上はどれだけ「飽食」を叫ぼうとも、貧困は見えないところに確実に存在する。現在は、ますます貧困の実相が見えにくくなっている。その貧困を掬い上げるのが福祉の仕事のはずだ。ところが小さな子ども食堂ですら「教育/福祉」の境界をどう調整するかで悩ましい問題がたくさん生じているなか、給食ではさらに大変な問題に直面しているであろうことは想像に難くない。その問題を解くには、おそらく「教育/福祉」を一体化した理念を提出できるかどうかがポイントになるのだろう。やはり児童の権利条約の精神が鍵を握っている気はする。

そして「教育」に関しては、大学で栄養教諭養成に関わっていることもあって、多少は勉強して知っているつもりではあったものの、改めてその重要性を認識し直した。授業では学生に対して「食育基本法」の精神だとか「教科等横断的な視点」における食育指導について話をしているわけだが、やはりまずは給食に関する根本的な理念を土台に据えることが決定的に重要なのだと感じた。表面上の条文やカリキュラム規定を暗記しても、土台となる精神を理解していなければ、何の意味もない。
また、教育学者が給食に対して関心を持ってこなかったという告発には、頭が下がる思いがした。確かに教育学の世界では「学力」に関する論争は盛んに行なわれる一方で、「食」に関しては周辺的な領域に追いやられがちなのだ。単に「食」を学習の題材にするという意識では、おそらくいつまでも周辺的な要素に留まり続ける。既存の常識に固執するのではなく、「生活」という広い観点から本質的に発想を組み換える論理が必要とされているように思った。

また「世界史」に関して、アメリカの影響と新自由主義の波がこれほどダイレクトに給食に表れていることは、言われてみればナルホドではあるが、普段はさほど気にしないところではあった。給食ほど日常生活の中に「世界史」が組み込まれている例は、確かにあまりないかもしれない。一点突破全面展開の材料として、給食がこれほど実り豊かな成果を出し得るポテンシャルを持っていたものだったとは、不覚にも認識していなかった。著者の着眼点の鋭さと、着実な成果を挙げる研究手法の確かさには、かなり感じ入った。いい本だった。
個人的には「遅刻しそうになって食パンを加えながら学校へ急ぐ」という戯画的なエピソードが極めてアメリカ的な心性の反映であり、象徴であるという仮説を持っていたわけだが、本著の成果と研究スタイルは私の仮説を裏付けるのに何かしらの意味を持っているように感じた。

【今後の個人的研究のための備忘録】
教育という営みが本質的に抱え込むアポリアに対して誠実に向き合っている本は、実はそんなに多くないだろうと思った。だいたいは、アポリアを抱え続ける不安定な緊張に耐えられず、どちらか一方の立場から論を進めてしまうものだ。以下の記述は、なかなか感慨深く読んだ。

「給食は、国家に依存しない自立した人間をつくる、という考えは、当然、冷戦体制が急速に構築されていくなかで生じたものであるが、それ以上に、給食とは何かを根源的に問うものだ。なぜなら、学校とは社会の力で子どもを守るところであるとともに、一人の自立した人間として育てるところでもあり、厳守すべき社会のルールを学ばせつつ自己の独創性を育てなければならない、という、決して簡単には調和しない課題を引き受けており、日本の給食はまさにその教育の二面性の象徴だからである。」(123頁)

教育を仕事にするということは、この本質的なアポリアをアポリアとして断念したまま、それでも前に進む意志を持ちつづけるということだ。すぱっと割り切れないモヤモヤしたものをいつまでも抱え続ける勇気と根性が必要なのだ。いやはや。
本書が示した「境界」という言葉は、どちらか一方に倒れ込むことなく緊張感を保つための、よい戒めの言葉だと思った。境界に立っていることを自覚できれば、軽率に一方に決め込む愚を避けられる。

藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018年

【要約と感想】芳賀登『成人式と通過儀礼』

【要約】昔は、大人になるのは大変だったんだぞ。

【感想】教育勅語が一時期話題になったとき。これがあたかも日本の伝統的道徳かのように主張する人もいたけれど。こういう民俗学の本を読むと、実際には教育勅語が日本の伝統的習俗の否定の上に成立していたものだということが分かる。

本書は、「成人式」や「成女式」を中心に、日本において「大人になる」ということが、かつてどういうことだったかを明らかにしようとしている。そして「若者組」や「娘組」の実践を振り返り、村落共同体全体での「しつけ」の重要性を強調している。この村落共同体全体での「しつけ」が、明治政府による一連の政策によって失われていったことを、丁寧に示していく。盆踊りや若者組の禁止など、自然村から行政村への転換の過程で失われた伝統は数知れない。
(1945年の断絶を強調する人々がいるけれど、それは1868年の破壊的な断絶に意識的であった時に初めて説得力を持つはずだ。教育勅語は日本の伝統的な姿を引き継いではいない。それが儒教的価値を近代的価値で装った「明治」という特殊的な時代状況において一定の役割を果たしたことは間違いないだろうが。)

しかし本書は同時に、前近代の習俗が示す非人間的な残虐性に対する戸惑いを隠していない。特に女性を奴隷のように扱う伝統的習俗は、修正されて良かったと言う。近代を評価するのか、それとも批判するのか、著者の立場は一貫せず、最後まで価値判断は揺れている。

したがって、同じ話が何度も執拗に繰り返されたり、話題が飛躍したり、行論がブレまくって、立場が一定しない。しかし論理的な破綻は、一つの判断基準では裁断できない主題に対する著書の誠実さの現れなのかもしれない。

芳賀登『成人式と通過儀礼―その民俗と歴史』雄山閣、1991年

【要約と感想】斉藤研一『子どもの中世史』

【要約】昔の子供は、今よりも過酷な環境に置かれていました。

【感想】「昔の子供はこうだった」などと安易かつ軽率に発言してしまう人たちがいるけれども。実際のところ、昔の子供がどういう生活を送っていたのか、総体的かつ包括的に理解して言及している人はほとんどいない。大半が自分の狭い経験と独断的な思い込みを最大限に理想化して垂れ流しているに過ぎない。

かくして、現実の子供問題を適切に判断するためにも、昔の子供が実際にどういう生活を送っていたのか、知識と教養として理解しておく必要がある。歴史的な深みを知ることで、さらに広い視野から現実問題を捉えることができるようになる。本書は個別的なテーマを掘り下げることで、中世の子供たちの現実の様相に様々な角度から光を当てている。

出産の時のおまじない、子供の安全を祈願する習俗、御守りなど、子供の健やかな成長と発達を願う事例に加えて、子供の人身売買、捨て子、子供の連続誘拐殺人事件の多発、子供の地獄など、昔の子供が過酷な状況に置かれていたことも明らかになる。事実を知るにつけ、「昔の子供は…」などとは、もはや安易には言えなくなっていく。

このような歴史学の成果を現実にどう活かしていくかは、教育学の仕事になる。がんばりましょう。

斉藤研一『子どもの中世史 (歴史文化セレクション)』吉川弘文館、2012年<2002年

【要約と感想】柴田純『日本幼児史』

【要約】昔、子供はそんなに大切には扱われていませんでした。

■確認したいことで、本書に書いてあったこと=江戸時代中期まで、日本人は子供の保護や教育にまるで関心を持っていなかった。道ばたに子供が捨てられて泣いていても、特に関心を持つ者などいなかった。人々の無関心のうちに、大量の子供が死んでいった。子供が死んでも正式に埋葬せず、袋に詰めて山に捨てていた。しかし江戸中期以降、子供の教育や福祉に対する関心が浮上してくる。子供に対する愛情が決して普遍的な感覚ではなく、歴史的に形成されたものだということを教えてくれる。

【感想】教育学研究者としては、「七つ前は神の内」というキャッチフレーズが、実は日本人の伝統的心性となんの関係もなく、近代以降に形成されたただの俗説だという説明に、かなり安心した。授業でアリエスなどを扱う際に日本の話に及ぶとき、この「七つ前は神の内」という言葉のせいで整合性が失われてしまうような違和感があったからだ。

説得力を感じたのは、7歳という境界線が、物忌みに対する合理的な判断に由来してるという説明だ。古代から中世にかけて、現在では考えられないほど「儀式」というものの重要性が高かった。そして物忌みに対する神経質なこだわりは、我々の想像を絶する(伝染病等に対する当時の合理的な対処であったかもしれないが)。しかし当時の子供の死亡率は極めて高かったため、子供が死ぬたびに物忌みを行っていたら、儀式の円滑な遂行が不可能になってしまう。儀式を滞りなく行うためには、子供を無視する必要があった。これは子供への愛情があったかどうかという問題ではなく、制度として子供の位置をどのように定めるかという問題である。勉強になった。

要確認事項=いっぽう、どうして江戸中期に子供へのまなざしが変化したかという説明には、多少の違和感は残る。本書では、「天道=人知を越えるもの」から「政治=人間の手で可能なこと」へという意識の変化が、子供への福祉への意識を高める結果となったと見ている。確かに同時代に起こった変化だろうが、それは相関関係であっても因果関係ではないような気がする。私の個人的な研究視点からすれば、商品経済の展開という下部構造が両者に共通する土台のような印象がある。

柴田純『日本幼児史―子どもへのまなざし』吉川弘文館、2013年