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【要約と感想】ジョナサン・ハリス『ビザンツ帝国の最期』

【要約】1204年の十字軍による劫掠以降に力を失っていたビザンツ帝国がいよいよ1453年に滅びるまでの最期の半世紀を中心に扱っています。ビザンツ帝国とオスマン帝国の関係は、現在の国民国家の枠組みで捉えると本質を見誤り、妙な感傷にふけったり、逆に一方的に断罪することになります。滅亡寸前だというのに内部抗争や駆け引きに明け暮れ、あまつさえ平気で敵と通じるパライオロゴス朝の人々の醜い選択や行動は、現在の感覚からは愚かに見えますが、当時の中世的な背景を踏まえ、西(カトリック諸国)と東(ムスリム)のパワーポリティクスの文脈に置いて考えると、合理的に理解することができます。

【感想】訳がこなれていることもあるのだろうが、さくさく面白く読めた。記述自体は一見淡々としているのだが、ところどころに本気なのか韜晦なのかよく分からないようなユーモアがあって、飽きない。
 で、ビザンツ帝国の滅亡については、高校世界史レベルではメフメト2世による「船頭多くして船が山をも登っちゃった」くらいしか思い出さないわけだが、本書にはそのエピソードはさらっと出てくるだけだった。代わりに当時の世界状況が丁寧に描かれて、人々の行動や選択の理由がよく分かるようになっている。ローマ教会との教会合同への対応(それに伴う正教会内部の温度差)、ヴェネツィアとジェノヴァによる地中海貿易、東欧諸国の利害関係、オスマン帝国および周辺諸国の軍事的緊張、パライオロゴス朝内部の権力争いなど、考える要素はかなり多いのだが、よく整理されていて、分かった気になった。
 そして本書の特筆すべき特徴は、ビザンツ帝国滅亡後に各地に散り散りになった旧ビザンツ帝国民の生き様と運命について丁寧に記述しているところにあるのだろう。故国の滅亡後、西ヨーロッパに活路を見いだす者もいれば、オスマン内部で生き残りを図る者もいる。が、やはり、祖国を喪った者の極めて厳しい転落人生が印象に残る。
 個人的には、実はビザンツ帝国滅亡後の人々の行方に一番関心があって手に取ったのだが、私の予期とは異なる展開だった。事前には、ビザンツ帝国に蓄えられたギリシアの知識がイタリアのルネサンスにどのような影響を与えたかが分かるような記述を期待していた。で、確かにある程度の関連性を覗わせるエピソードはあったものの、全体的なトーンとしてはそんなに強調すべき事案でもないような感じだった。まあ、現実とはそんなものなのかもしれない。

 また、ビザンツ帝国滅亡に際する人々の冷淡な様子は、近代的な国民国家の枠組で見ると不思議な感じがするのだが、権力が多極化していた中世の文脈に置いてみれば不思議ではないのだろう。現在の目から見て国民国家に「国民」として忠誠を捧げているように見える場合も、実際は家産国家に「臣民」として奉仕しているだけなのだろう。中世では一人の人間が複数の集団に所属し、複数の権力から支配される(あるいは複数の領主に税金を払う)のが当たり前だった。場合によってはある権力者が別の権力者の臣下となることもあった。というかよくあった。本書の主人公パライオロゴス朝の皇帝がまさにそうであった。現在のようにすべての国民が一元化された国家権力に従う(あるいは税金を納めるところが一か所だけ)ということは、中世には考えられなかった。
 そういうふうに権力が多極化(あるいは偏在化)しているとき、おそらく、いわゆる「人格」というものも一元化せず、多極化(あるいは偏在化)するのだろう。そしてそういう中世の世界においては、多極化(あるいは偏在化)した人格(と言っていけないとしたら「関心や欲望の束」と言おうか)を統合するものは「宗教」以外には考えられない。というのは、中世だろうが古代だろうが「死」というものは各人の人生に一度きりしか訪れない問答無用に個人的な出来事であり、その「死」という得体のしれない一回きりの何かを概念化し統御する知恵を一身に担うのが「宗教」という体系だからだ。
 だから1453年のビザンツ帝国の滅亡という出来事のインパクトは、本質的には、地球上からある一つの家産国家(パライオロゴス朝)が消滅したという世俗的な観点から捉えるだけでなく、ギリシア正教という宗教の歴史の流れの中で理解する必要があるのだろう。そしてこの後、教義上のライバルを失った西方キリスト教(カトリック)が急速に世俗化の波に飲み込まれ、代わりに国民国家による権力の一元化が進むとともに、人間が「人格」として一元化されているという意識が浮上してくることも。

ジョナサン・ハリス/井上浩一訳『ビザンツ帝国の最期[新装版]』白水社、2022年

【要約と感想】アリソン・ブラウン『イタリア・ルネサンスの世界』

【要約】ルネサンスという概念は、研究が進むにつれ、かつてのような進歩性を剥ぎ取られ、プロパガンダの一種であることが明らかになってきましたが、しかしだからといって中世と一切変わらないというわけではなく、独特の心性が生まれつつあったのも確かです。ルネサンスという概念を一貫性をもちつつも包括的に描写するために、商業的な「交換」や「流通」という観点を盛り込んで、パトロネージの重要性や劇場の表象的な意味を浮き彫りにしました。

【感想】極端な見解(ルネサンスが西洋の近代化に決定的に重要だったとか、あるいはルネサンスなど何の価値もなかったなど)に偏ることなく、最新の研究成果を踏まえた上で、具体的な史料を提示しながら落ち着いた筆致で論を展開しており、大きな違和感もなくナルホドと思いながら読んだ。勉強になった。中世のイタリアは、ガリア(フランス)やゲルマン(ドイツ)とは異なり、古代ローマの共和制の衣鉢を継ぎつつ(政治的)、地中海貿易で蓄えた富とネットワークを背景に(経済的)、「自由」への感覚を独自に展開していったようだ。政治的な自由を確保しようと試みるとき、現在の為政者が支配権を獲得するよりも前の時代に遡って正統性を覆そうとするのは洋の東西を問わない普遍的な現象で、日本では武家政権を倒そうと試みた王政復古に見ることができる(あるいは天皇制を相対化しようと試みるときは、縄文にまで遡る)。イタリアでは王政や貴族制に対抗しようとするとき、古代ローマの共和制が呼び起こされる。この試みが経済的な利益と結びついて共振したとき、新しい時代に対応した新しい人間像(そして社会像)が説得力を持ち、それに応じた新しい教育(人文主義・リベラルアーツ)が生まれるのだろう。

 また本書を読んで意を強くしたのは、「新大陸発見」のインパクトだ。ルネサンスの王者エラスムスがほとんど新大陸発見に関心を寄せていないように見えることからどれほどのインパクトがあったかを推し量りかねていたものの、本書では新大陸発見のインパクトを(印刷術との関係も含めて)そうとう高く見積もっている。ルネサンスや宗教改革を考えるときは、それが同時に大航海時代でもあったことを忘れてはならないように思う。

【今後の研究のための備忘録】教育
 ルネサンス期の教育に関する言及がたくさんあった。

「ペトラルカの本に対する情熱は、次々と他の新たな熱狂をもたらした。その中でも最も重要であるのは、新たな指導カリキュラムを備えた新たな学校であった。彼自身は教師ではなかったが、彼が育んできた教科――歴史記述、詩や文学、手紙の書き方や個人と道徳の問題に関する自問自答――は全て人文主義、つまりはリベラルアーツにかかわるものである。これは中世の教育カリキュラムのより技能志向的な、あるいはより科学志向的な諸教科とは対照的なものである。芸術もペトラルカが育てた教科の一つである。」80頁
「学者たちはノウハウを提供した。まさに彼らが、古代の学校や往事の教育プログラムを当世に伝える古代の書物を復活させ、その内容を実践したのである。この新たな知識人階層が人文主義的教育に、制度的支援や生徒を提供した。これ無くしては何事も変わらなかっただろう。」80-81頁

 そして決定的に重要な本として、クインティリアヌス『弁論家の教育』とプルタルコス『子どもの教育について』を挙げ、「それらは共々に新たな学校と新たな教師の出現を促した」(81頁)と言う。まあ、ここまでは教育史の教科書でもお馴染みのところではあるが、具体的に職業軍人や新たな商人階級の子息に対する教育として機能したことは、なるほどと読んだ。

「ゴンザーガ家のような職業軍人やアルベルティ家のような商人銀行家にとって、この新たな教育の何が魅力的であったのか。表面上、ラテン語やギリシャ語やアーチェリーといったものは、軍人にとっても銀行家にとっても実用的な技能ではない。それらが急速に流行するようになった。(中略)歴史家は人文主義教育によって教えられる自由主義、共和主義の価値観は魅力的なものであったと考えている。なぜならそれらはイタリアの自治都市における政治生活に関わっており、中世の学校における聖職者養成教育に取って代わる、より世俗的かつ「人間的」な尺度を提供してくれるからであった。修辞学のようなコミュニケーション技術や言語、歴史は、市民が政治に積極的に参加する自治社会にとって明らかに有用な知識であった。」85頁

 しかしそれは一方で「旧スコラ哲学よりも自主性を抑制した」(86頁)とされ、「このカリキュラムは、自治市民というよりも忠実な官僚や廷臣を作ることに適合していた」(86-87頁)ということで、「つまり我々は、ルネサンスの教育を共和主義や個人主義と全く同一視すべきではない。」(88頁)と評価されている。

【今後の研究のための備忘録】ルクレーティウス
 ルクレーティウスはルネサンス期に再発見されることになり、個人的には後の社会契約論との関係が気になっているわけだが、本書でも言及されている。

「ネジェミーが述べているようにルネサンスは、ルクレティウスのそれの如き文献の発見とも相まって、それらの持つ恐怖と空想に形を与えることにより、新世界の発見がその克服の助けとなったような、人間の身体の「通常の生活」に関する「懸念の深さ」を思わず露呈させてしまっている。」187-188頁
「ルクレティウスのような古代の文献の再発見もまた、人間性に関するこの新たな「非文明的」視点に寄与した。なぜなら彼の評判は高いが危険な詩『事物の本性について』において、宗教的迷信を非難することによりルクレティウスは、心も魂もそれなしでは生きることはできないと肉体の重要性を強調するだけでなく、さらに重要なことに、人間の動物からの進化に関するダーウィンに先行する記述をも提供しているからである。」189頁

 本書はルネサンスの「野蛮さ」を強調する文脈でルクレティウスに言及しており、私が関心を持っている社会契約論との関係には一切触れていないものの、ルクレティウスがルネサンス期に大きなインパクトを与えていることは確認しておきたい。

アリソン・ブラウン『イタリア・ルネサンスの世界』石黒盛久・喜田いくみ訳、論創社、2021年

【要約と感想】ラ・ボエシ『自発的隷従論』

【要約】たった一人の権力者が多数の人々を支配できるのは一見道理に合いませんが、多数者が自発的に権力者に隷従したがっていると考えることで理解できます。

【感想】ラ・ボエシが書いた本文そのものは極めて分量が少なかった。そして個人的な感想だけでいえば、内容にもさほど感心しなかった。しかし本書に添えられた論文や解説は、やたらと褒めそやしている。個人的な感想では、著者ラ・ボエシの執筆意図を遙かに超えて読み込み過ぎだし、あるいは自分の意見を開陳したいばかりに意図的にありもしない裏を読んでいるような気がする。たとえば、後の「社会契約論」との関連は、(解説でも否定されているとおり)ないだろう。近代的な社会契約論は、個人的な見解ではエピクロスやルクレーティウスの唯物論的な流れから生じてくるが、ラ・ボエシはエピクロス派からの引用を一切していない。社会契約論をイメージして議論を展開しているようにはまったく読めない。また本書のテーマである「自由」についても、近代的な意味はなく、ヘロドトスから引用してきているとおり古代的な意味で使用しているに過ぎないだろう。
 それでも多くの人々が本書について語りたくなるのは、おそらくタイトルが極めて秀逸だからだ。おおげさに言ってしまえば、本文を読まなくても、「自発的隷従」というタイトルだけで何かしらのインスピレーションを受けることが可能だ。たとえば私の専門の教育については、「教育とは自発的に隷従させる営みである」という議論を即座に思い出す。subjectという単語は、名詞で「主体」とか「自我」という意味と同時に、形容詞で「従属する」とか「従うべき」という意味を持っている(ついでに言えば学校の「学科」という意味もある)。まさに学校とは、「従属することによって主体(自我)となる」ようなことを身につける場所だ。「自発的隷従」というタイトルを見ただけで、それくらいのことは一瞬で思い浮かぶ。
 ということでタイトルだけ見てそういう類の逆説的議論が展開されるだろうと予期して本文を読み始めたところ、期待したような鋭い話はまったく出てこなかったので、拍子抜けしたのだった。そこで改めて考えてみると、私が追究したい近代教育の逆説は「自発的隷従」ではなく「隷従的自発」だということに気がついた。それだけでも読んだ意味はあった。

【今後の研究のための備忘録】教育
 「教育」に関する言及があったのでサンプリングしておく。ただし、16世紀のフランス語でどう呼ばれていたかは原典で確認する必要がある。éducationではない可能性は十分にある。ちなみにさくっと英語で読めるものでは「trained」となっていた。個人的には「教育」ではなく「馴致」とか「仕込む」と訳したいところだ。

「たしかに人間の自然は、自由であること、あるいは自由を望むことにある。しかし同時に、教育によって与えられる性癖を自然に身につけてしまうということもまた、人間の自然なのである。
 よって、次のように言おう。人間においては、教育と習慣によって身につくあらゆることがらが自然と化すのであって、生来のものといえば、もとのままの本性が命じるわずかなことしかないのだ、と。したがって、自発的隷従の第一の原因は、習慣である。」43-44頁

 もしもこの「教育」の原語がéducationであったら、まさに近代の「隷従的自発」の逆説を説く文章に読めなくもない。しかしそれが「train」だったら、そこそこ凡庸なことしか言っていない。

【今後の研究のための備忘録】リテラシー
 当時のリテラシー教育のあり方を垣間見せてくれる文章があった。

「そのありさまは、彩色本の目にも鮮やかな挿絵を見たいばかりに読みかたを習う小さな子たちとくらべて、愚かさの点では同じくらいであった(攻略)」54頁

 16世紀半ばは、印刷術が発明されてから既に100年あまりが経過し、宗教改革絡みで両陣営がパンフレット出版に血道を上げていたこともあって、日常生活の中にも「彩色本」が出回っていただろうと推測できる。そこに描かれた挿絵が子どもたちがリテラシーを獲得するための誘因となっているのであれば、知識人ラ・ボエシが「愚か」と決めつけているとしても、それは大きく世界を変える出来事のように思えるのだった。

ラ・ボエシ/西谷修監修・山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫、2013年

【要約と感想】森安達也『東方キリスト教の世界』

【要約】カトリック(西方教会)とは異なる伝統や教義を持つ東方キリスト教について、巡礼・神秘思想・建築・イコン・儀礼・異端などを詳述しています。

【感想】御多分に漏れず、東方キリスト教と言えば私も馴染みがあるのはお茶の水にあるニコライ聖堂くらいで、西方から見た偏った知識しか持ち合わせていなかったわけだが、実際には東方キリスト教にもいろいろあることがよく分かった。勉強になった。印象に残るのは、神化を目指して山に籠もり修行に励む隠修士の姿だ。日本で言えば修験道の山伏のような感じか。
 印象としては、カトリックの方が弱者救済に焦点を当てる大乗的な姿勢を示すのに対し、東方教会は修道士などの個人的な修行による「神化」を目指す小乗的な傾向を示しているように思えた。カトリックがビザンツ的な文化を蔑むのは、大乗仏教の壮大な宇宙論を学んだ正統派僧侶が無学な修験道山伏のスピリチュアルな言動をバカにするのと似ているような感じがする。カトリックはイエス・キリストを人間には手の届かない絶対的な無限遠に置くが、東方キリスト教はお手本となる先達だとみなす。それは仏教でいえば、絶対に手の届かない「如来」と手の届く「菩薩」の違いに当たりそうだ。そして、14世紀ヨーロッパの神秘主義(主にエックハルトを想定)は、この東方キリスト教の修験道的な文化に影響を受けているのではないかとも思ったりした。
 で、「個」に関する思想史では、東方キリスト教の理論が「個の誕生」に極めて重要な役割を果たしたという研究があるが、だとしたら大乗仏教に対する小乗仏教の論理も同じような機能を果たすこともあるのではないかとも思ったりするわけだ。さてはて。

【個人的な研究のための備忘録】神化への傾向
 いわゆる「三位一体」論のうちの父と子についてはなんとなく分かるような気がするものの、日本人にとってまったく理解できないのは「精霊」というものの存在と意味と役割で、これまで私以外にも「精霊についてサッパリわからない」という言質をたくさん得てきたわけだが、本書でもは精霊の意味不明さの原因に触れている。

「精霊論は古代教会の時代に徹底的に議論されなかったつけが中世以降にもち越されたわけである。」30頁

 とはいえ、西方カトリックよりは東方キリスト教の方が精霊に対する理解と尊敬は深いようで、それが小乗的な「神化」の思想にも繋がってくるようだ。

「東方の修道士が厳しい修行と禁欲生活を身に課してひたすら求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであった。異端とされたキリスト単性論が東方であれほど根強く信奉された理由も、自己完成の目標ともいうべき模範、キリストに少しでも近づきたいとの願望からキリストの完全なる神性を特に重視したことに求められるであろう。」91頁

 このような「神化」への憧憬が、一般教養を旨とする学問の発達を阻害するのかもしれない。

「教育思想は意外に扱いにくい問題である。その理由はいくつか挙げられる。まずビザンツ帝国の教育の実態があまりわかっていない。首都コンスタンティノープルに大学と称すべき高等教育機関が存在したことは疑いないが、それに関する直接史料は現存しない。(中略)
 次に、ビザンツ文化は神秘思想家は多数生んだが、教育思想の面ですぐれた著作家を輩出していない。(中略)こうした著作家の作品分析を通じてビザンツ時代に特有の教育思想を抽出することは多大の困難を伴うし、またあまり意味がない。」72-73頁

 個人的な修行を通じての「神化」という傾向が東方キリスト教にあるという補助線を引くだけで、いろいろな事象がすっきり見えてきそうな気がするのだった。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスとの関連
 イタリア・ルネサンスを多面的に考える上でのヒントもあった。

「東方におけるラテン語の衰退は西方におけるギリシア語の忘却とほぼ軌を一にする。これは考えてみれば奇妙な現象である。ギリシア語にしろラテン語にしろ有力な文化的背景を持ち、通用語としての衰退は理解できるものの、政治と文化の領域においてはけっして無視しえない重要な言語のはずである。結局、ビザンツ文化そのものが本質的には内部に留まる、すなわち求心的なものであったからかもしれない。」77頁

 いや、本当に、「奇妙な現象」だ。地理的にもただアドリア海を挟んでいるだけなのに、どうしてカトリックとビザンツはこんなにも交流が絶たれたのか。あるいは両者の間に位置するヴェネツィアやナポリやシチリアが実は地政学的に何かしら決定的に重要な役割を果たしていたということか。

「ヘシュカスモスをめぐって教会が論争に明け暮れた十四世紀は、他方ではパライオロゴス朝ルネサンスの名で知られるヘレニズムへの回帰がおこった時代でもある。(中略)
 しかしパライオロゴス朝ルネサンスの灯が消えたわけではなかった。著名な異教的哲学者ゲミストス・ブレトンはフェララ・フィレンツェ公会議に参加したのちイタリアに留まり、フィレンツェのプラトン・アカデミアの創設に尽力した。ブレトンはイタリア・ルネサンスの展開に大きな足跡を残したわけである。」94-95頁

 ビザンツ帝国からイタリア・ルネサンスへの影響は各所で語られているが、実は具体的に詳しい実相はさほど詳らかになっていないように思う。

【個人的な研究のための備忘録】近代以降の東欧の教育
 スラヴの教育に関わって気になる記述があった。

「オストロクスキ公は、イエズス会の教育活動をまのあたりにして、正教徒の教育の必要を痛感し、教会スラヴ語の聖書(いわゆるゲンナディイの聖書)を刊行するほか、1580年にはオストルクに正教徒のための最初のコレギウム(神学校だが一般教育をも行った)を開設した。」233-234頁
「そこで信徒団に学校開設の許可をあたえ、出版事業のためにイヴァン・フョードロフの印刷機を買わせた。」234頁

 オストロクスキ公とは、キーフ付近と西ウクライナ・リトアニアに領地を持った大貴族だ。もちろん教育学者として気になるのは、この時期の直後にヨーロッパ全域で活躍することになるモラヴィア(現在のチェコ)出身の教育学者コメニウスとの関係だ。コメニウスは薔薇十字団と関連があると指摘されているし、ポーランドのソッツィーニ派からの影響も気になるが、コメニウスの「光」への極度のこだわりなども鑑みて、彼のキリスト教はプロテスタント的に理解するよりも、東方キリスト教の文脈で理解する方が分かりやすくなるかもしれないと思った。

森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫、2022年

【要約と感想】ペトラルカ『ルネサンス書簡集』

【要約】若いころは愛と理想と名誉のために情熱を燃やしたし、祖国復興のために熱弁を振るったり、古典文学復興のために努力を重ねたりもしたけれど、歳をとってきたら落ち着いてきて、しみじみとキリストの愛に感じ入るようになりました。

【感想】訳文の妙もあるのかもしれないけれど、さすが人文主義者の先駆けとの誉れも高いペトラルカだけあって、近代的な感性に溢れているように思えた。特に自意識のあり方には、確かに中世を抜け出しているような印象を持つ。
 個人的に極めて面白かったのは、キケローに宛てた手紙だ。キケローの作品そのものしか知らなかった時はとても尊敬していたけれど、実際の人となりを知って幻滅した、という内容だ。実は私もまったく同じ感想を持っていた(参考:『キケロー書簡集』)。キケロー、言っていることは立派なのだが、やっていることは下衆の極み。そしてペトラルカが尊敬するアウグスティヌスも、キケローに対して似たような感想を抱いていたりする。まあ、おそらく時と場所の違いを超えて、誰もが同じような印象を抱くのだろう。
 そしてキケロー(あるいはローマ的伝統)に幻滅したペトラルカがアウグスティヌス(あるいはキリスト教的伝統)に心酔していくのも、興味深い。近代哲学の祖と言われるデカルトに先行する自我の論理をアウグスティヌスが示していたりもするが、ルネサンス人文主義の祖とみなされるペトラルカに先行するのも「自分の心」に沈潜したアウグスティヌスだ。西洋の考え方の大枠を形づくったのはアウグスティヌスと言われることもあるが、まあ宜なるかな、だ。思い返せば、アウグスティヌス自身が、ギリシャ・ローマ的伝統(あるいは合理性先行)からキリスト教(あるいは不合理・神秘先行)に転向した経歴を持つ。ペトラルカの生き方自体がアウグスティヌスの伝統を繰り返していると考えてもいいのかもしれない。改めて、アウグスティヌスは侮れないとの感を強くしたのだった。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンスとヒューマニズム
 解説のところで、さすがにルネサンスとヒューマニズムについて言及している。

「さて、いわゆるルネサンスヒューマニズム運動(人文主義運動)とともにはじまるが、この運動にペトラルカのはたした役割は絶大であった。かれの生涯は、ほとんどそのまま、ヒューマニズムの形成・成立の過程にほかならなかった。ところでヒューマニズムは、まず広義の文学研究、なかんずく詩や歴史や修辞学の研究とむすびついておこる。要するに、中世以来の修辞学的伝統を母体として、その自己更新運動としておこり発展したのである。だがこの運動は、けっして審美的次元のそれにとどまりはしなかった。むしろ、すぐれた文学にそなわる偉大な人間形成の働き、つまり「雄弁」に注目し、これを人間とその生に役だてようとする根強い実践的要求に突きうごかされていたのである。」17頁

 実は個人的に未だによく分からないのは、西洋的伝統において「雄弁」が担ってきた意味だ。形式的に言えば、古代ローマから論理学的な「弁証」に対して実践的な「雄弁」が対置され、ギリシャでは弁証が重んじられたのに対し、ローマでは実践的な雄弁が重んじられたことになっている。実際、キケローは「雄弁」を重んじる著作を残し、自らも実践している。ペトラルカもその伝統にのっとって、キケローに心酔し、スコラ的論理学に対して雄弁の価値を強調している。その後のイタリア・ルネサンスでも、アカデミズムのスコラ的な弁証に対して雄弁を重んじる議論が繰り返される。という事情は一通り知っているのだが、その意味が個人的にはピンとこない。
 現代的な文脈に当てはめて、大学アカデミズムのお固い論文(これがスコラ学に当たる)に対し、民間商業ルートに乗るジャーナリズム(これが雄弁にあたる)のようなものをイメージしていいのかどうか。

【今後の研究のための備忘録】アウグスティヌスとキケロ
 まあギリシャ語が読めないのでギリシャ教父ではなくラテン教父の方に傾くのは自然ではあるが、それにしてもペトラルカのアウグスティヌスに対する入れ込みようは相当のものだ。

「私のアウグスティヌスは、あなたのヒエロニムスのように、夢のなかで永遠なる裁きの庭にひきだされたこともなければ、自分をキケロの徒と呼んで責める声を聞いたこともないのです。ところがヒエロニムスは、ご存じのように、そのような声を聞き、もはや異教徒の著作にはいっさい触れないと誓って、あらゆる異教作家とくにキケロから懸命に遠ざかりました。しかしアウグスティヌスは、なんら夢などで禁止されることなく、かれら異教徒の書物を親しく利用しつづけて恥じなかったのです。そればかりではありません。かれが率直に告白しているところによりますと、プラトン派の書物のうちにわれわれの信仰の大部分を見いだしたのであり、『ホルテンシウス』とよばれるキケロの書により驚くべき転換をなし、あらゆる偽りの希望や相争う諸学派の無益な論争からひきはなされて、唯一なる心理の探究へと向かったのです。」87-88頁

 この時点では、ペトラルカはキケロを通じてアウグスティヌスへの親愛の情を深めているようだ。だがこの後、キケロに対して幻滅する事件が起こる。

訳者解説「この発見によってペトラルカは、キケロという人物の未知の一面を知ることができた。キケロの哲学書や弁論(演説)からはうかがいえないような、弱点や矛盾をそなえた一個の人間の姿が浮かび出てきたのである。ことに、政治的行動におけるキケロの首尾一貫性のなさは、あわれみの情をそそるほどであった。」143頁

 そしてこのキケローに対するペトラルカの批判のあり方が、実に多面的というか、人間味溢れるというか、まあ、味わい深い。キケローが単なるキャラクターではなく、個性を持った一人の人間として浮かび上がるような味わい深い文章になっている。こういう、ダンテ『神曲』(特に地獄篇)にも共通するような、身分とか役割に還元しつくされない「多面的な人間」の表現こそが、おそらく「もっと人間らしい」教養のあり方を求めて中世を超えたルネサンスの神髄というものなのだろう。

ペトラルカ『ルネサンス書簡集』近藤恒一編訳、1989年、岩波書店