【要約】若いころは愛と理想と名誉のために情熱を燃やしたし、祖国復興のために熱弁を振るったり、古典文学復興のために努力を重ねたりもしたけれど、歳をとってきたら落ち着いてきて、しみじみとキリストの愛に感じ入るようになりました。
【感想】訳文の妙もあるのかもしれないけれど、さすが人文主義者の先駆けとの誉れも高いペトラルカだけあって、近代的な感性に溢れているように思えた。特に自意識のあり方には、確かに中世を抜け出しているような印象を持つ。
個人的に極めて面白かったのは、キケローに宛てた手紙だ。キケローの作品そのものしか知らなかった時はとても尊敬していたけれど、実際の人となりを知って幻滅した、という内容だ。実は私もまったく同じ感想を持っていた(参考:『キケロー書簡集』)。キケロー、言っていることは立派なのだが、やっていることは下衆の極み。そしてペトラルカが尊敬するアウグスティヌスも、キケローに対して似たような感想を抱いていたりする。まあ、おそらく時と場所の違いを超えて、誰もが同じような印象を抱くのだろう。
そしてキケロー(あるいはローマ的伝統)に幻滅したペトラルカがアウグスティヌス(あるいはキリスト教的伝統)に心酔していくのも、興味深い。近代哲学の祖と言われるデカルトに先行する自我の論理をアウグスティヌスが示していたりもするが、ルネサンス人文主義の祖とみなされるペトラルカに先行するのも「自分の心」に沈潜したアウグスティヌスだ。西洋の考え方の大枠を形づくったのはアウグスティヌスと言われることもあるが、まあ宜なるかな、だ。思い返せば、アウグスティヌス自身が、ギリシャ・ローマ的伝統(あるいは合理性先行)からキリスト教(あるいは不合理・神秘先行)に転向した経歴を持つ。ペトラルカの生き方自体がアウグスティヌスの伝統を繰り返していると考えてもいいのかもしれない。改めて、アウグスティヌスは侮れないとの感を強くしたのだった。
【今後の研究のための備忘録】ルネサンスとヒューマニズム
解説のところで、さすがにルネサンスとヒューマニズムについて言及している。
実は個人的に未だによく分からないのは、西洋的伝統において「雄弁」が担ってきた意味だ。形式的に言えば、古代ローマから論理学的な「弁証」に対して実践的な「雄弁」が対置され、ギリシャでは弁証が重んじられたのに対し、ローマでは実践的な雄弁が重んじられたことになっている。実際、キケローは「雄弁」を重んじる著作を残し、自らも実践している。ペトラルカもその伝統にのっとって、キケローに心酔し、スコラ的論理学に対して雄弁の価値を強調している。その後のイタリア・ルネサンスでも、アカデミズムのスコラ的な弁証に対して雄弁を重んじる議論が繰り返される。という事情は一通り知っているのだが、その意味が個人的にはピンとこない。
現代的な文脈に当てはめて、大学アカデミズムのお固い論文(これがスコラ学に当たる)に対し、民間商業ルートに乗るジャーナリズム(これが雄弁にあたる)のようなものをイメージしていいのかどうか。
【今後の研究のための備忘録】アウグスティヌスとキケロ
まあギリシャ語が読めないのでギリシャ教父ではなくラテン教父の方に傾くのは自然ではあるが、それにしてもペトラルカのアウグスティヌスに対する入れ込みようは相当のものだ。
この時点では、ペトラルカはキケロを通じてアウグスティヌスへの親愛の情を深めているようだ。だがこの後、キケロに対して幻滅する事件が起こる。
そしてこのキケローに対するペトラルカの批判のあり方が、実に多面的というか、人間味溢れるというか、まあ、味わい深い。キケローが単なるキャラクターではなく、個性を持った一人の人間として浮かび上がるような味わい深い文章になっている。こういう、ダンテ『神曲』(特に地獄篇)にも共通するような、身分とか役割に還元しつくされない「多面的な人間」の表現こそが、おそらく「もっと人間らしい」教養のあり方を求めて中世を超えたルネサンスの神髄というものなのだろう。
■ペトラルカ『ルネサンス書簡集』近藤恒一編訳、1989年、岩波書店