「教育」タグアーカイブ

【要約と感想】高木清『15歳までの必修科目―非行臨床と学校教育の現場から』

【要約】愛情と信念を持って接すれば、非行少年も必ず更生します。そうならないのは、教育現場がおかしいからです。

【感想】まあ、言いたいことは分からなくもないし、少年鑑別所での粘り強い取り組みには頭が下がる。こういう誠実な人が現場に増えれば、鑑別所でも学校でも、救われる子どもは増えるだろう。それは間違いない。
だがしかし、教育制度についての勉強不足は、著しい。教育基本法に対する無理解には、唖然とせざるを得ない。真に受けるわけにはいかない。御本人が誠実であることはとてもいいことなのだが、だからといって不勉強であることが免罪されるわけではない。
たとえば「○○するべきだ」という文章があまりにも多すぎるが、大半は誰もが気づいていて文部科学省が既に着手しているものばかり(キャリア教育とか人権教育とかカリキュラム・マネジメントとかチーム学校とか能力別学級編成とか初任者研修とか)だし、そもそもこのような大量の要求によって現場が疲弊しているのだということには、気がついた方がいい。教育現場に「○○するべきだ」ということを言っても、誰も幸せにならない。「○○なんて、無駄だから、やらなくていいよ」と言ってあげるほうが、遙かに大切な時代なのだ。ほんとうに、無駄な行事や書類書きは、さっさとやめるほうがよろしい。

著者の真摯さと誠実さと熱意と粘り強さと愛情をしっかり受け取め、著者が多くの若者たちを救った具体例や経験に敬意を払いつつも、教育現場に対する具体的な提言に対しては見なかった振りをするべき本であるだろうと思った。個人的な成功体験は、必ずしも組織や制度全体の改善には結びつかない。具体的な改善については、皆で知恵を出し合っていかなければならない。

高木清『15歳までの必修科目―非行臨床と学校教育の現場から』海鳥社、2014年

【要約と感想】渡部信一『日本の「学び」と大学教育』

【要約】90年以降の大学改革の流れで、FDとかPDCAとかeポートフォリオとかアクティブ・ラーニングとかが導入されましたが、それらは所詮は西洋近代の延長線上にある工学的アプローチに過ぎず、原理的な限界があり、このままでは時代の変化(グローバル化、予測不可能化、デジタル化)に対応できず、大学は滅びます。重要なのは、曖昧で複雑なものをそのまま総合的に理解することであり、状況や環境との相互作用であり、具体的で現実的な文脈を伴った身体性であり、決まった一つの答えを出すのではない「良い加減」です。これを取り戻すためには、最新の認知科学の知見を踏まえると、日本の伝統的な「学び」が極めて有効です。

【感想】御多分に漏れず、私もPDCAとかアクティブ・ラーニングの掛け声に巻き込まれているわけだが。それら工学的アプローチの限界を認知科学の立場から明らかにしてくれたのは、とても心強い。代替案として「日本伝統の学び」をクローズアップしたのも、具体的で、面白い。ぜひ自分の授業デザインに取り入れていきたいと思う。
とはいえ、西洋近代の知恵を丸ごと捨て去るのも如何なものかと思う。著者の言うように、それぞれの良いところを「良い加減」でチャンポンにするような知恵が必要なのだろう。そしてその知恵こそ、ヘルバルトが言う「教育的タクト」であり、ペスタロッチーが体現していた技術に他ならないだろうとも思うわけだ。

【今後の研究のための個人的メモ】
工学的アプローチに対する批判は、心強い。自分で言うのもどうかなという時に、積極的に引用していきたい。

「目標に向けて合理的に人間づくりをするという臣での「教育」は一五世紀の西欧において錬金術をモデルにした考え方であり、一九世紀半ば以降の学校教育制度の発展とともに広がっていったにすぎない。」p.80
「例えば、本来は工場での「物づくり」のために開発された「PDCAサイクル」と呼ばれる生産工程・業務管理を行なうためのシステムが、「人づくり」という捉え方から学校現場へ導入された。(中略)このシステムを「教育」に導入することにより、まさに工場における「物づくり」と同じように効率的に「人づくり」が可能になるというのである。」p.81

「結局、「アクティブ・ラーニング」が「きちんとした知」を教師のコントロールのもとで「学ばせよう」としている限り、外見的には「身体を動かすことによって学ぶ」という点では類似しているように見えたとしても、伝統芸能における「学び」とは本質的に異なっているのである。例えば、「効率的なアクティブ・ラーニングの実施」という発想をもっている限り、それは「よいかげんな知」を「しみ込み型の知」で身につけるという基本的な枠組とは大きくかけ離れたものにならざるを得ない。」p.88

「私が「ポートフォリオ評価」など近代教育における評価に対して懸念するのは、「学習者中心主義の立場に立ち学習者自身の自己評価を大切にする」という発想をもちながら、結果的にはすべて教師が想定した枠組みの中でのみの評価に陥ってしまうということである。」p.103

渡部信一『日本の「学び」と大学教育』ナカニシヤ出版、2013年

【要約と感想】市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』

【要約】江戸時代の学びは、近代的な学校教育とはまったく異なっていました。18世紀中頃から市場経済の展開に伴って全国に普及していった寺子屋では、師匠からの一方的な教え込みではなく、自発的な学習の姿勢が重んじられていました。自発的な学習を重視する姿勢は、教授法を発展させたヨーロッパには見られない傾向です。
しかし一方、侍の学習機関である藩校では、18世紀の半ば以降の商品経済の展開に対して旧来の身分制ではもはや対応しきれず、実力主義的な傾向が強まり、試験制度の導入が進行します。この傾向は最終的に明治維新以後の実力主義的な教育制度の受容に繋がっていきます。
自発的な人格形成を大事にする江戸の学びは、現代教育の閉塞感を打破するために大きなヒントを与えてくれそうです。

【感想】図版が多く、解説も丁寧で、とても面白く読める。絵を見ているだけで楽しい。寺子屋や昌平坂学問所、藩校の基礎はもちろん、石門心学や往来物、さらにリテラシーの諸相までも網羅されていて、情報量が極めて多い。西洋近代教育と江戸の学びを比較する論理も明快で、それぞれの特徴を掴みやすい。地方の教育状況に関する記述は手薄ではあるが、大都会江戸から見た近世の学びのあり方を概観する上で、かなり良い本であるように思う。

【要検討事項】気になるのは、江戸時代の学びに対して「人格形成」を重視しているという記述が連発されるところだ。本書は一方で商品経済の展開による功利主義的な展開を強調している。両者の整合性がどうなっているのか気にかかるところなわけだ。本書の論理では、18世紀半ばまでは市場経済の進展による功利主義的な傾向が強く、18世紀後半以降は儒教の影響を受けて「人格形成」に傾くという構成になっているが、本当だろうか? 私個人の知識と教養から見れば、相当に怪しい記述になっていると思う。
たとえば日本資本主義発達史論争や幕末明治維新期の経済史を踏まえれば、天保期に向かって不可逆的に市場経済が進展していく。商品経済の圧力が増える条件は揃っていても、「人格形成」に直ちに向かう素材は必ずしも見出せない。あるとすれば「衣食足りて礼節を知る」という条件くらいだろう。市場経済の進展によって生活に余裕ができた層から教養形成に関心を向けることは確かにあるだろうが、その逆は考えられない。人格形成への関心向上は、市場経済の更なる進展が前提条件となるはずだ。
また仮に当時の教育関係者が「人格形成」を強調する文書を遺していたとしても、それが直ちに現実を反映しているわけもない。なぜなら現在の教育関係者も声を大にして「人格形成」の重要性を説いているはずなのに、現実には反映していないからだ。
あるいはそもそも、西洋近代の契約社会を背景として成熟した「人格の尊厳」が土台となっている「人格の完成」の観念と、儒学的な天思想(自然=社会観)を背景とした江戸期の「人となる」観念は、本質的な人間理解が相当に異なっているはずなのだ。本書は、近世の「人となる」と現代教育の「人格の完成」を、そもそも「人格とは何か」についての教育原理的な考察を欠いたまま、単にアナロジーだけで結びつけているように見える。個人的には、かなり危険な論理のように見える。要検討事項だ。

市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』(ふくろうの本)河出書房新社、2006年

【要約と感想】曽和信一『希望の「教育と福祉」―子どもの社会的養護と家庭福祉を考える』

【要約】いま、子どもや若者たちから「希望」が失われています。子どもに「希望」を取り戻すのが、教育や福祉の仕事です。
保育・施設養護・母子生活支援施設・児童自立支援施設について、具体的に理念・制度・歴史・問題・今後の展望を考えました。かつては狭い範囲の限られた子どもたちを囲い込む慈恵的な福祉政策でしたが、現在の制度は全ての子どもや保護者を対象とした幅広い支援体制の構築へと関心を変えてきています。

【感想】社会的養護の全般を「希望」というキーワードで読み解こうとする意図は興味深かったけれども、具体的な制度の読み解きのところで「希望」という概念がどう絡んでくるかがイマイチ見えにくい記述になっていたところは少々食い足りなかった感じがする。
それから「規範意識の低下」や「少年犯罪の低年齢化」については、具体的な統計資料を根拠とした否定的な見解が各所から出されているはずで、客観的な吟味を経ずに無条件で前提している記述に対しては、多少どうかなあという感じもする。
が、まあ、些細なことなのかもしれない。いま困っている子どもや大人立ちがたくさん存在しており、彼らをどのように支援していくのかの知恵が求められているのは確かなのだった。過去の経緯と現在の制度を知り、そして未来へ「希望」を持つために、本書は役に立つのだろう。

曽和信一『希望の「教育と福祉」―子どもの社会的養護と家庭福祉を考える』阿吽社、2012年

【要約と感想】岩本茂樹『先生のホンネ―評価、生活、受験指導』

【要約】先生の言動の裏には、教師それぞれの経験と職員室内外の権力構造が潜んでいます。服装や髪型に関するわけの分からない校則を押しつけたり、生徒を一面的に判断したり、やたら部活動に熱心だったり、進学率ばかり気にしたり、成績で依怙贔屓するのには、それなりの構造的な理由があります。「理想の先生」なんて現実にはあり得ないので、潔く諦めて、目の前の偶然的な出会いを大切にして、関係を築き、お互いに成長していきましょう。

【感想】大勢のキャラクターが関わる一つの事件を多面的に見ることで、物事の真相が徐々に見えてきそうになりつつ、逆に全体像が見えなくなるという展開が、『藪の中』を想起させる構成となっていたわけだが、著者自身が後書きでそれを狙ったと書いていた。なるほど。教師がいかに教員同士の権力関係の網の目に捕らわれながら行動決定し、目の前の学生の個性を蔑ろにしているかが浮き彫りになる、とてもよい手法だと思った。
しかしまあ、「学生のため」という大義名分を振りかざしながら逆に自分のメンツを通していないか、私自身も自分の言動をふりかえらなければならない。いやはや。

岩本茂樹『先生のホンネ―評価、生活、受験指導』光文社新書、2010年