「教育」タグアーカイブ

【要約と感想】尾木直樹『子ども格差―壊れる子どもと教育現場』

【要約】「普通の子ども」が大量殺人を犯したり、自殺したりしています。いじめもなくなりません。原因は、新自由主義に基づく競争至上主義とゼロ・トレランス導入です。競争原理と管理主義によって教育現場からゆとりがなくなり、子どもたちの声を聞く姿勢が失われています。
大切なのは、子どもを一人の人間として扱うことです。子どもが主体的に社会に参加することで、自己有用感を持つようになります。大人が一方的に「いい子」を押しつけるのは、完全に逆効果です。大人が押しつけた「いい子」こそ、むしろ犯罪者になってしまう恐れがあります。大人側が「よかれ」と思って行なうあいさつ運動や「心の教育」など、なんの効果もありません。押しつけるのは、やめましょう。

【感想】民主党政権時代に書かれた本で、教育政策に関する情報には古いものも含まれる。が、教育に関する基本的な考え方は、決して古くなっていない。というか、現実のほうがほとんど変わっていないと言ったほうがいいか。
子どもの権利をしっかり保障していくことが、遠回りのようで、結局はいちばんの近道になる。教育の基本がわかる、いい本だと思う。

しかしほんと、毎回思うのは、こんなに論理的でいい本を書く人が、どうしてブログだとたいして調べもせずに脊髄反射で吹き上がってしまうんだろうって疑問なのだった。

尾木直樹『子ども格差―壊れる子どもと教育現場』角川oneテーマ21、2010年

【要約と感想】小林哲夫『ニッポンの大学』

【要約】偏差値というモノサシだけで大学を測るのは、もったいないことです。様々なモノサシで日本の大学の個性を見てみましょう。

【感想】12年前の本なわけだが、この12年での大学を取り巻く環境の変化にはけっこう驚く。
21世紀初頭も、小泉改革による規制緩和で大学が乱立したせいもあって、大学を巡る状況が大きく変化した。基本的な発想は、従来は「PDCA」のPの部分で統制していたものを、Cの部分で管理しようというものだ。端的にはマネジメント概念の導入ということになる。
そして現在は、少子化と「大学全入時代」を基調に、「選択と集中」の論理で、具体的には「3ポリシーの策定と質保証」を合言葉に、大学を巡る情勢が急速に変化しつつある。センター入試廃止によって高大接続という「入口」の部分が大きく変化するとともに、労働環境の変化に伴って「出口」の部分の改革も急速に進行しつつある。そして教育に関わる内部プロセスは、「質保証」と「PDCAサイクル」でマネジメントの対象となりつつある。
さてはて、大学は今後どうなっていくのか。巻き込まれる側としては無関心ではいられないし、主体的にどう関わっていくかが問われる問題なのであった。いやはや。

小林哲夫『ニッポンの大学』講談社現代新書、2007年

【要約と感想】全生研常任委員会編集『荒れる中学生をどうするか』

【要約】1998年頃から、中学生の荒れ方が変化してきています。それまではツッパリのように目に見える荒れだったのですが、最近は「普通の子」が「いきなりキレる」ようになりました。表面上は「やさしい」けれども、実際は競争と同調の圧力によってストレスが貯まり、「権力的・暴力的なもの」が鬱積しているのではないかと思われます。

【感想】1998年の黒磯教師刺殺事件等をきっかけにして、新たな荒れが注目され始めた頃の本だ。ただ、本書の内容そのものは「新しい荒れ」というよりも、昭和型のツッパリ対応が中心となっている。新しい事態を正確に受けとめて対応することは、なかなか難しい。
近年では、学校の様相がまた変わってきているように思う。学校の中での荒れそのものは目立たなくなっている。その代わりに、静かに「無力感」が子どもたちを支配しているようにも見える。ゼロ・トレランスは、子どもの「生きる力」を叩きのめすという点では、これ以上ない効果を上げているように思える。
学校や教育をどうするのか。現場も教育理論も知らないし知ろうともしない政治家たちが適当でいい加減な対応を繰り返し、現場は混乱に陥っている。

全生研常任委員会編集『荒れる中学生をどうするか』大月書店、1998年

【要約と感想】ウィリアム・ヴーア『いじめっ子にしない、いじめられっ子にならない簡単な方法』

【要約】いじめは子どもの心に取り返しのつかない傷を付けるので、甘く見てはいけません。
いじめられっ子にならないためには、子どもの気持ちを尊重しながら、自己主張の練習をさせるのがいいでしょう。いじめっ子にしないためには、親自身が体罰をやめて責任感を持ち怒りをコントロールする必要があります。

【感想】アメリカのいじめも、日本のいじめとそんなに変わりがないなあということがわかる。とすれば、もちろん対処法もそんなに変わりがない。要点は、子どもの感情を尊重しながら、親の感情をコントロールすることだ。普遍的に通用するのだと、確認できた。

ただ気になるところは、おそらく2001年発行の本だからか、ネットいじめの現実には対応できていないところだ。従来のいじめからその傾向はあったにせよ、ネットいじめが新しいのは、匿名性を利用した「強いものいじめ」が横行するというところだ。優等生やアイドル的生徒のみならず、先生や親ですらいじめの対象になるというところだ。この点は、知識をアップデートしておいた方がいいだろうと思う。

あと、ありがちな話ではあるが、邦訳タイトルが酷い。原題の「いじめに関する親の本」のほうが遙かによろしい。本書で示された解決方法は、必ずしも「簡単」ではない。むしろ「本質的」と言ったほうがよいだろう。

ウィリアム・ヴーア/加藤真樹子訳『いじめっ子にしない、いじめられっ子にならない簡単な方法』PHP研究所、2001年

【要約と感想】中島隆信『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育』

【要約】インセンティブを刺激すれば、なんでもうまくいきます。

【感想】って、うまくいくわけがないよなあ。まあ、トンデモ本の類に入れていい本だと思う。単純な事実誤認や間違いも多い。

特に酷いのが、教育の「公共性」について考慮された形跡が一切ないところだろう。単に「税金」のレベルで話が進んでしまう。「公共サービス」と「公共性」の区別がついていない。
そもそも「市民」と「公民」の区別をつけているかも怪しい。あるいは民主主義に関して常識的な理解があるかも疑わしい。たとえば「すべての国民にとっては消費は生活に欠かせないものだから、主体性ある消費は民主主義の基本的条件といってもよい」(11頁)と言っているが、いっちゃダメでしょう。なぜなら、それは「民主主義」ではなく「自由主義(資本主義)」だからだ。自由主義と民主主義は、違うものだ。著者は慶応出身だからかやたらと福沢諭吉を称揚するけれど、そもそも福沢自体が「自由主義者であっても民主主義者ではない」と評される思想を展開していることも想起されるところだ。福沢は意図的に民主主義を無視して自由主義思想を展開しているのだろうが、著者のほうは意図せずに単に勘違いしているように読めてしまう。
「市場経済における消費者主権の考え方と憲法の三本柱がほとんど同義」(133頁)というトンデモ文に差し掛かった時は、目の前が真っ暗になった。あらゆる意味で、「消費者」と「憲法の三本柱」が同義なわけがない。「人間」と「消費者」は、違う概念だ。「人権」に関する意識が日本に根付かない厳しい現実を再確認させられた気がするのだった。

おそらく「義務教育」も正しく理解していないように見える。そもそも「社会権」について理解しているかどうかが極めて怪しいところだ。
またあるいは、「投資としての要素の強い高等教育サービスは原則として受益者負担となっているので特に問題はない」(47頁)などと言うが、OECDの教育政策分析からすれば大問題に決まっているところだ。高等教育を受益者負担にするとインセンティブが上がるなどというエビデンスは存在しない。むしろ世界的な経済学的発想からは逆行している。なぜヨーロッパに高等教育が無償の国があるのか、考えてみてはいかがだろうか?

「子ども観」や「いじめ」に関する認識のマズさは、もはや言わずもがなだ。昭和の知識から何もアップデートされていない。認識が平成の教育現実と乖離しすぎている。リバタリアンの机上の空論というレベルの話ではない。

なんというか。「消費者教育」そのものは、ちゃんとやればいい。現代社会で、賢い消費者になる必要は、確かにあるだろう。しかし、人権や公共性に関わる次元まで「消費者」で塗りつぶすのは、むちゃくちゃだ。
まあ、本書が現場に影響を与えることなどないだろうとは思うけれども。いやはや、ちょっと勘弁してほしいところだ。

中島隆信『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育』ちくま新書、2007年