【要約】(1531年出版『学問伝授論』の一部を訳出したものです。)
人々の自分たちの生活を良くしようという努力と経験に、神から与えられた知性と好奇心が加わることで、学問(術知)は立ち上がってきました。学問を身につけるために優れた本を読みましょう。
学校を建てる場所に気を付けて、教師には豊かな学識を持つことはもちろん人格的にも立派な人を採用しましょう。子どもは堕落しやすいので小さい時から厳しく躾けましょう。中には学問に向いていない子どももいるので、すぐに別の進路を与えましょう。
教育課程では、ラテン語に精通すべきことはもちろんですが、各国語やアラビア語も学ぶべきです。ギリシャ語は後回しでかまいません。健康のためにスポーツもして、食事にも気をつけましょう。読む本は優れたものを精査しましょう。
言語に習熟したら高等な学問として論理学と自然研究に進みましょう。自然の観察から確実な知識だけを得る姿勢を身につけたら、次に第一哲学(形而上学)と討論に進み、確実な知識から普遍的な真理を導き出しましょう。討論では名誉を追及するのではなく、真理の認識を心がけましょう。運動も忘れてはいけません。続いて修辞学を身につけ、数学を学びましょう。数学は根気強さや集中力を養います。
一通りの術知を身につけたら、社会で役に立つ実学的な学びを深めましょう。もはや学びの場は学校ではなく、商店や工場でのインターンです。ちなみに教師は人間の霊魂(感覚・感情・理解・記憶・推理・判断)の作用についての洞察を深め、教育に役立たせましょう。自然観察は人々の生活をより良くし、食物研究は健康を増進し、医学は病から身を守ります。実践的な判断力は歴史や倫理哲学(家政学・政治学)や法律の研究によって養います。
学者は謙虚な気持ちで研究に熱意を傾けましょう。あなたの力は神から与えられたものだということを忘れて高慢になってはいけません。金儲けや追従阿諛で学問を売ることなどもってのほかです。名声の追及も感心しません。学問的な成果を上げたら、本に書き残して、公共の福祉に還元しましょう。
【感想】なるほど、近代的で包括的な教育論の先駆けと評価されている理由がよく分かった。論旨は素朴でありつつ取っ散らかってまとまりもなく、読後直後は凄さにピンと来ていなかったが、こうやって感想をまとめようとして振り返っているうちにジワジワ来ている。これは確実に新しい。さすが巨匠エラスムスが一目置いた男だけのことはある。
まず決定的に重要なのは自然科学的な手続きに関する意識的な言及だ。これは同時代の人文主義者たちにはまったく見られなかったものだ。いちおう帰納法の萌芽みたいなものは各所に散見されつつも、ここまで意識的に前面に打ち出したのは管見の限りではあるが本書が最初のような気がする。デカルトはもちろん、ガリレオやフランシス・ベーコンより早い。もちろん自然科学そのものは既に様々な形で展開しているわけだが、本書はその手法を教育論としてカリキュラムの中に位置づける試みを見せているところが画期的なように思う。このあたりは小林博英(1961)「ヴィーヴェスに於ける実学思想の発端」が勉強になる。
また、14~15世紀の人文主義は日常生活に役立つ実学を徹底的に軽蔑して古典学習と雄弁術ばかりを推奨していたわけだが、本書は実学の価値を極めて高く評価している点が極めてユニークだ。しかも実学は学校で学ぶものではなくインターンで修得するのが良いとまで主張している。また、数学や歴史を現実的に役に立つ学問と理解しているところも新しい。このあたりは小池美穂(2018)「ルネサンスにおける学問の方法化 : 知識の「有用性」」が参考になる。この実学に対する理解の進展が果たしてヴィーヴェスの個人的資質によるものか、それとも新大陸発見が何かしらのインパクトを与えているのか、そこそこ気になるところだ。
そして学者の人格に関する記述は、身につまされる。学問を金儲けの手段にするのはもってのほかだし、名誉を追及するのも感心せず、公共の福祉に貢献してナンボとか。いやはや、仰る通り。
ともかく、一応ヴィーヴェスの名は西洋教育史の教科書にも出てきてそこそこ重要人物として扱われてはいるのだが、実際に読んでみるとなるほど、これは重要だと見なされて当然だ。一時代前のルネサンス教育論からは一線を画した出色の出来になっていることは間違いない。大きく一歩近代に踏み込んでいる。しかしそのヴィーヴェスにも「かけがえのない人格」という観念が見当たらないことも確認しておく。
【個人的な研究のための備忘録】
最初のまとまった教育論ということで気になる表現は非常に多いのだが、まずは個人的関心に即してサンプリングしておきたい。
「人間がそこへ向けて造られた目的に各人が到達すること、これ以外に、人間の完成はないのである。(中略)各々の事物にとっては、それが創造された目的を達成することが結局そのものの完成であり、その全部分での仕上りでもある以上、疑いもなく敬神が人間完成の唯一の道である。」26頁
「しかし聖愛によって自己をより高く引き上げた人の敬神こそ完成なのである。」37頁
「実際、規範は完璧な形で自然の中にある。そして各人はその才能や熱心の度合に応じてこの規範に表現を与えるのであるから、ある者は他の者よりもりっぱに表現することはあっても、誰も充全かつ完全に表すことはないのである。」94頁
「完成」という観念そのものには独自性は認められず、同時代の一般的な使い方(キリスト教的目的論)をしている印象ではある。問題になるとすれば、このキリスト教的目的論の「完成」と、本書がこの後で記述する教育論の内容があまり噛み合っていないように見える点か。
「そして推理と観察とはほとんどすべてこの術知の発見に向けられていた。初めのうちは新規さに感嘆しながら、一つまた一つと獲得した経験を生活上の実益のために記録していった。知性はいくつかの個別的な実験から普遍的なものを集約し、さらにそれは引続いて多くの実験によって補強され、確認されて、確実なもの、確証されたものとして考えられるに至った。」28頁
明らかに自然科学の経験主義的な手法を祖述している。ブルーノが生まれたのは本書出版から17年後、ガリレオが生まれたのは約30年後、またコペルニクスの主張が広く知られ出すのはほぼ同時期だから、やはり相当早い時期の表現だ。また単に自然科学の手法を叙述するだけでなく、教育課程に組み込んでいこうとする点で画期的なことは間違いないだろう。
「少年の天賦の才が何にもっとも適しているかは、肉親や親戚の者が探し当てることができるが、少年の方でも、自らの才能を示す兆候を多く顕わすものである。学問に適性がない場合は、学校では学科を遊んですごし、さらに学科以上に大切な時間を遊びで失ってしまうのであるから、もっと適していると判断され、したがってこれならば豊かな収穫を得て全うできるであろうと思われる方面へ、早い時期に移してやらなければならない。」77頁
「二カ月ないし三カ月に一度、教師たちは会合をもち、受けもっている生徒たちの才能について熟考し、父親の愛情と冷厳な判断力をもってこれを洞察しなければならない。そして各生徒が適性をもっていると思われる方へ送ってやらなければならない。」87-88頁
「この後、生徒のうちで誰が学問に精進するのに適し、誰が別の道に適しているかを吟味しなければならない。」91頁
「ともあれ術知を伝授する場合には、常にもっとも完全なもの、もっと完璧なものを提供しなければならないとはいえ、教える場合には、生徒の知能に適合した部分を術知から選んで提示してやらなければならない。」95頁
「このようなわけで、一人の青年の知性が結局どの分野に最も適しているかを周到に洞察することが必要である。」179頁
「もし青年が自分で模倣しようと決心したものを下手に描くようであれば、模倣することはやめさせ、自分自身の本来の傾きの方へと移してやり、他人のものではありえない、自分自身のものになるようにさせなければならない。」181頁
「まず初めに、自分はどのような事柄に関して才能があり、どの分野について書くのに適しているかを理解するために、自分自身を知り、自らの力を吟味しなければならない。」270頁
教授に当たって子どもたちの生まれつきの才能に配慮すべきことは、繰り返し繰り返し、しつこいほどに主張される。この考え方自体はルネサンス期教育論に共通していてヴィーヴェス特有の論理というわけではないが、本書の場合はやはり教育課程に組み込まれる形で活用されている点がユニークなのだろう。そしてここでみられる個性観念が単に教授の有効性や進路の適性に関わって関心の対象になっていることも確認しておきたい。「かけがえのない人格」というニュアンスの表現は見当たらない。
「子どもたちは遊びを通して訓練されなければならない。こうすること自体が子どもの知性の鋭敏さや生来の性格を顕わすものであるが、同じ位の年齢の者や同類の者の間では、虚飾はいっさい行われないし、すべてが自然のままに現れるからとりわけそうなのである。実際、競争というものは天賦の性質を引き出しかつ示すのであって、草や根や果実を温めると香りや生来の能力が引き出し示されるのとほとんど異ならないのである。」87頁
遊びの重視も、エラスムスなどルネサンス期人文主義に共通する考え方で、特にヴィーヴェスに限った話ではない。が、ご多分に漏れずちゃんと重視しているということは確認しておく。というのは、人文主義一般とは異なる見解も多く示されているからだ。
「人々との対話や会合には節度を失うことなく親しみの心を込めて参加しなければならない。そしてこの悪臭を放つものから身を遠ざけるのではなく、慎重に品性を陶冶することによって能う限り自らを救うべきである。」107頁
「品性」にはモールム、「陶冶」にはクルトウーラのルビがある。「陶冶」という概念はドイツ疾風怒濤で鍛えられたというのが一般的な理解だが、クルトウーラ(cutureの語源)の考古学については目配せしておいた方がいいのだろう。もちろんキケロが使っている。「Cultura animi philosophia est.」
「しかし、精神の病癖がつのると人間の知能の働きが圧迫されて鈍くなるものであるから、無分別な行動は抑制させ、言葉でたしなめたり、必要な場合は鞭に訴えてでも𠮟責して止めさせなければならない。つまり理性の働きが充分でない少年の場合には、動物的な行為を止めさせるのに苦痛を咥えることが必要なのである。」124頁
そしてエラスムスをはじめとするルネサンス期人文主義者は共通して体罰を否定しており、その主張は古代のクインティリアヌスに遡るわけだが、なんとヴィーヴェスは体罰を許容している。後のロックやペスタロッチーも体罰を許容する言葉を残しているが、ここに何らかの教育学的論点を見出すべきところか。
「健康についての一切の配慮は、精神が健やかになり、かの詩人[ユニウス・ユヴェナリス]が神々に切に祈り求めたように、「健全な精神が健全な身体の中に住むように」というにつきるのである。」126頁
「健全な精神は健全な身体に宿る」というスローガンはいろいろなところに繰り返し登場する(たとえばジョン・ロック)が、ここにも出てきたことはメモしておこう。
「第一哲学を教授する場合には、一種の廻り道をして進むべきで、ある箇所まで進んだら、そこからまたもときた同じ処へもどることが必要である。AからBに進み、また逆にBからAに戻るのである。というのは、このような事柄の探究においては、われわれは精神を「存在のあり方に従って」導くのではなく、多くの曲折を含む「感覚の働きに従って」導くからである。それゆえ、より単純なもの、より生のままのもの、つまりいっそう感覚に顕わに知られているものを先に捉えるよう、常に工夫をこらさなければならない。」168頁
形而上学を後回しにして経験主義的な考え方を重視する主張だ。プラトンが聞いたら卒倒しそうな主張だが、どうもヴィーヴェスは実践的なクセノフォンのほうを重視しているような印象がある。そしてもちろんここで表現されている考え方を突き詰めていくとデカルトに至るわけだが、1531年のヴィーヴェスと1637年のデカルトの間に流れる百年の時間をどう理解するか。(もちろんフランシス・ベーコンはここに入って来るわけだが)
「こういうわけで、母国語で書くことがいっそう望ましいであろう。母国語においては民衆こそ自らの国の言葉の偉大な作者であり、教師であり、判定者だからである。」183頁
母国語の重視は瞠目すべき主張だ。この時代ではもちろん学術用語としてのラテン語が圧倒的に優位にあり、ルネサンス期人文主義者の大半はラテン語でコミュニケーションを行っており、母国語の意義を主張した論者は他に見当たらない。17世紀初頭ラトケまで待つ必要がある。ただ、本書から母国語を尊重する理由を抽出することが難しいのは残念なところだ。理由として、たとえばヴィーヴェスがスペインで活動していたことが何らかの意味は持ったりするか。深堀するといろいろおもしろいことが出てきそうなところではある。
「しかしこういうこと(円環的知識)に関しては、キケロもいっているように、学校で博学の士が講義するよりも、古老がその仲間や集いの中ではるかにすぐれた知識を披露するものである。(中略)そうであるから、ここで必要なのは学校ではなく、聴きかつ知ろうとする激しい意欲なのである。商店や工場の中にまで入って行き、そこの職人たちから彼らの仕事について詳しく訊ね、教えてもらうことを恥かしく思わないだけの熱意がいるのである。」193頁
まさにインターンを主張している。実学教育の祖と評価されているだけのことはある。ここはルネサンス期人文主義者には見られない主張、というか逆立ちしても言いそうにないことで、ヴィーヴェスのユニークさを際立たせている。この実学主義というか現実主義はどこから出て来るのだろう。新大陸発見に伴う世界観の転換に関わっていたりするだろうか。「円環的知識」の考古学を進めなければ全体像が見えてこなさそうではある。
「これに対して、人間の霊魂に関する考察研究はあらゆる学問分野に最大の援助をもたらしてくれるものである。なぜなら、ほとんどあらゆる事柄に関してわれわれが下す評価は、存在それ自体に基づくというよりは、霊魂の理解能力や把握力に依存するものだからである。」195頁
本書の中で繰り返し現れる経験主義的な主張ではあるが、その根拠としてヴィーヴェス特有の教育心理学が大きな役割を果たしていることが理解できる。後のデカルトやカントのモノ自体、あるいはフッサール現象学にまで通底するような認識論は、プラトンにもアリストテレスにも見当たらず、どこから出てきたのか不思議な感じがする。ヴィーヴェスの創案だとしたらとんでもないことだが、そんなことあるのか。中世やルネサンス期になにかモトネタがあって、私の勉強が届いていないだけか。
「歴史がかしずくところ、子どもは大人に成長し、歴史なきところ、おとなは子どもになり下るのである。」213頁
「メガロポリスのポリビウスは「全人類史」を動物の完全な体にたといえ、他との関連から切り離して部分部分を叙述した場合は、四肢に分解された体となり、誰もこのように引き裂かれた部分からは、もとの体の相貌や美しさや力を推定することができないものとなることを指摘している。それゆえわれわれも、歴史の各肢体を、その各々の部分が、たとえ動物の身体のようではなくても、しっかり組み立てられている一つの建築物のように、一つの部分が他の多くの部分と結合しているものと見ることができるように、構成しなければならない。」220頁
自然科学だけでなく歴史の教育的効果も重視しているのは、さすがに人文主義者らしいと評価すべきか、それとも法律や倫理にも活用できる学問だと見なしている点を新しい発想と見なすべきか。
「また国の道徳習慣が立派であれば、少しの法律で足りるか、ほとんど法律がなくてもよいくらいであり、逆に道徳習慣が腐敗していれば、法律がどんなに多くても充分ではないのである。それゆえ、共和国の訓令においてだけでなく、また人々がその権威を認めて非常に尊重している法律の命令によって児童の教育が汚れない、清廉なものであるように細心の注意を払わねばならない。」246頁
「「立派な子どもたちを持つにはどのようにしたらよいか」との質問に対して、「立派に治められている国で子どもたちを育てるならば」と答えた哲学者もこれに劣らぬ叡智の言葉を語っているのである。」247頁
この部分の「教育」にはエドウカチオのルビがある。学校で行われる授業ではなく、社会の中で人格を形成するというイメージの言葉だ。適切な法律が立派に守られている社会でこそまっとうな人格が形成できるという考え方はプラトンから見られる。そういう観点から、翻訳で「教育」という言葉が出てきた時も、それがエドゥカティオなのか、それとも学校教育を想起させる言葉なのかには注意して読んでいく必要があるのだった。
「学問の諸分野は人文諸学と呼ばれている。それはわれわれを人間らしくさせるためのものだからである。」266頁
人文主義の語源に触れたリアルに同時代の表現として、サンプリングしておきたい。
■ヴィーヴェス、小林博英訳『ルネッサンスの教育論』明治図書世界教育学選集、1975年