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【要約と感想】ウィリアム・ヴーア『いじめっ子にしない、いじめられっ子にならない簡単な方法』

【要約】いじめは子どもの心に取り返しのつかない傷を付けるので、甘く見てはいけません。
いじめられっ子にならないためには、子どもの気持ちを尊重しながら、自己主張の練習をさせるのがいいでしょう。いじめっ子にしないためには、親自身が体罰をやめて責任感を持ち怒りをコントロールする必要があります。

【感想】アメリカのいじめも、日本のいじめとそんなに変わりがないなあということがわかる。とすれば、もちろん対処法もそんなに変わりがない。要点は、子どもの感情を尊重しながら、親の感情をコントロールすることだ。普遍的に通用するのだと、確認できた。

ただ気になるところは、おそらく2001年発行の本だからか、ネットいじめの現実には対応できていないところだ。従来のいじめからその傾向はあったにせよ、ネットいじめが新しいのは、匿名性を利用した「強いものいじめ」が横行するというところだ。優等生やアイドル的生徒のみならず、先生や親ですらいじめの対象になるというところだ。この点は、知識をアップデートしておいた方がいいだろうと思う。

あと、ありがちな話ではあるが、邦訳タイトルが酷い。原題の「いじめに関する親の本」のほうが遙かによろしい。本書で示された解決方法は、必ずしも「簡単」ではない。むしろ「本質的」と言ったほうがよいだろう。

ウィリアム・ヴーア/加藤真樹子訳『いじめっ子にしない、いじめられっ子にならない簡単な方法』PHP研究所、2001年

【要約と感想】増田ユリヤ・池上彰『偏差値好きな教育”後進国”ニッポン』

【要約】日本の教育を、いじめに関してフランスと、原子力教育に関してフィンランドと比較してみました。
いじめは道徳教育で解決できるわけはなく、「人権」の観点から考えましょう。原子力については、日本には情報公開と責任感が欠けています。

【感想】いや、これ、酷い本だなあと。まあ内容そのものは特に悪くないのだが、タイトルが酷い。端的に言って、詐欺だ。特に本文内で池上彰は日本の教育はさほど悪くないかもしれないと言っていたりして、「後進国」などと断罪していないし、いじめに関しても「ヨーロッパも同じ」と言っていて、「先進国」から学ぶ内容になどなっていない。極めて劣悪なタイトルをつけた編集者は、腹を切って地獄の業火に投げ入れられるべきだと思う。
内容自体は、ヨーロッパのリアルないじめ事情が垣間見えて、興味深く読める。SNSの普及によって、諸外国のいじめ問題が日本化してきているように感じた。「弱いものいじめ」ではなく「強いものいじめ」になってきているという点で。
原子力に関しては、言わずもがな、という感じにはなってしまう。相変わらずの隠蔽体質は、どうにかならないものか。というか、それは教育の問題なのか?

増田ユリヤ・池上彰『偏差値好きな教育”後進国”ニッポン』ポプラ新書、2017年

【要約と感想】尾木直樹『いじめ問題をどう克服するか』

【要約】いじめ防止対策基本法ができ、国としていじめに対応する体制ができたことは評価します。被害者の側の視点に立っているところが、妥当です。
しかしまだ、人権問題としていじめを理解する観点が日本には欠けています。学校や教育委員会の隠蔽体質が改善されないのは、新自由主義による競争原理のせいです。
いじめの克服のために、厳罰主義にはなんの効果もありません。子どもの権利条約の理念にのっとり、子ども自身が主体的にいじめ対策に参加する姿勢を応援することが大切です。そして企業や地域も含めた社会全体の問題として捉えることが大切です。

【感想】現時点での要点がコンパクトにまとまっていて、良書だと思う。「いじめ防止対策基本法」の画期性と課題もよくわかる。子どもの権利条約の視点から、いじめを人権問題として理解しようとする枠組みも一貫している。そして理論的枠組みと具体例との接続も分かりやすい。具体的な行動の提案にまで昇華して、実際に関わっているところなど、とても説得力がある。

こんなに論理的で首尾一貫した立派な本が書ける人なのに、一方でブログ等には時事問題に対して脊髄反射で愚かなことを書いてしまうのは、どういうことなのだろう? ちょっと不思議な感じはするのだった。

【個人的研究のためのメモ】
「人格」に関する言質をいくつか得ることができた。

「いじめをする子どもは、人格が成長する途上にあり、未熟であるために、いじめの深刻さを充分に認識できていない場合が少なくありません。だからこそ、きちんと責任がとれる人格に成長させてやるべきなのです。」(177頁)

「しかも、子どもの人権などに関しては、さらに意識が低下しています。いじめに限らず、子どもの非行が話題になると、「子どもに人権など必要ない。社会の規範を叩きこんでやれ」などといった乱暴な意見が聞かれることもめずらしくありません。しかし、こうした日本社会の人権意識の低さ、特に子どもに対する人権感覚の鈍さが、いじめ問題の根底に横たわっているように思えてなりません。そして、このことは、子どもに対する体罰を正統化する考えにも通底しています。叩いたり、殴ったりすることで子どもにわからせようとする発想は、そもそも子どもを「一人の人格のある人間」として認めていないことと同じなのです。」(189頁)

引用したところは、内容そのものに対しては特に異論はない。が、177頁と189頁にそれぞれ登場する「人格」という言葉の中身がズレているような感じはするのだった。具体的には、前者の「人格」は心理学的な背景が、後者の「人格」には倫理学的な背景が潜んでいる。まあ、意味がズレていること自体は著者のせいではなく、現代日本語あるいは現代教育学(あるいは心理学)そのものの問題である。そして仮に意味がズレていたとして、本書全体の趣旨に、さしたる影響はない。

【眼鏡学のために】
眼鏡に関する情報を得たのは、不意打ちではあった。1998年に開催された第二回「テレビと子ども」世界サミット・ロンドン会議で打ち出された「子どもの電子メディア憲章前文」に、以下の表現がある。

「私たちはすべての子どもがテレビで自分と同じような子どもをみることができることを望む。どうしてテレビに出る子どもはめがねをかけていてはいけないのか。」

すばらしい意見である。

尾木直樹『いじめ問題をどう克服するか』岩波新書、2013年

【要約と感想】山脇由貴子『震える学校―不信地獄の「いじめ社会」を打ち破るために』

【要約】いじめが起こるのは、子どもたちが大人たちを信頼していないからです。大人同士が信頼を失っているからです。いじめは、信頼が欠けている隙間に忍び込んできます。
信頼を取り戻すために、情報を公開しましょう。コミュニケーション量を増やしましょう。強い大人になりましょう。

【感想】個人的には、各種様々のいじめ関連本の中で、いちばん説得力を感じる本だ。定義をもてあそんだり社会の変化を云々する本より、ストレートに腑に落ちる。私も著者と同じく、いじめをなくすためには、大人と子どもの信頼関係を取り戻すことがいちばん重要だと思う。そしてそのためには、大人と大人の信頼関係を築くことが大切だということにも、激しく頷く。

いわゆる「ネットいじめ」に関しても、的外れな分析をするいい加減な本が多い中、本書の考え方にいちばん説得力を感じる。本書で明示されたように、「先生ですらいじめの対象となる」ということが、ネットいじめの本質なのだ。
いじめが匿名性を帯びるようになってから、強いものや権力をもつものが「ネットいじめ」の対象となるようになった。弱いものや権力をもたないものの僻みや嫉みやストレスが、強いもの(先生ですら)の誹謗中傷に捌け口を見出す。従来のような「弱いものいじめ」の感覚では、ネット時代のいじめの特質を見失う。
むしろ、「いじめを行なうのは弱い精神」という従来からの知見を活かせば、現状の「ネットいじめ」を主導しているのが「弱いもの」だということに容易に気がついていいはずだ。弱いから、匿名でしか吠えられないのだ。この単純な事実に気がつかない「自称ネットいじめ分析」が蔓延していて、辟易する。
しかしだとすれば、子どもたちの日常に安心と安全がもたらされ、「自分は弱くない」と信じられれば、「弱いもの」による匿名的ないじめがなくなるのも当然なのだ。

もう一方で、「強いもの」によるいじめに対しては、従来通りの対応をしていく必要がある。こちらのタイプは、むしろ「いじめ」というより、恐喝とか傷害とか詐欺といった言葉を当てはめるほうが相応しいのだろうが。

山脇由貴子『震える学校―不信地獄の「いじめ社会」を打ち破るために』ポプラ社、2012年

【要約と感想】増田修治『「いじめ・自殺事件」の深層を考える』

【要約】学校や教育委員会のいじめ対応は、責任を逃れようとする的外れなものでした。子どもの現実を真剣に理解しましょう。

【感想】全体的に論点が散漫で、問題の焦点がどこ(制度論・教師論・学校論・現代社会論?)に合っているか見えにくく、最終的に何が言いたいのか分かりにくい本になっているが、いじめを本気でなくしたいという気持ちはよく伝わってくるのであった。
いじめ自体、どこに問題の焦点を合てていいかが見えにくく、教師が全方位で神経を張り巡らさないと解決できないようなものではある。本書からは、子どもの現実をなんとか理解しようと、あの手この手で様々な工夫をこらしている姿が垣間見える。本書の焦点がどこに当たっているか分かりにくいとしたら、著者のせいというよりも、いじめの本質に関わってくるせいかもしれない。

増田修治『「いじめ・自殺事件」の深層を考える―岩手県矢巾町『いじめ・自殺』を中心として』本の泉社、2017年