【要約】話し方が上手になるには、日々のマメな努力と工夫の積み重ねが大切です。
【感想】まあ、そう簡単に話がうまくなる裏技なんて、ないよなあと。コツコツと、日々の努力と工夫で技術を磨いていくしかない。そりゃ、そうだ。
どちらかというと、誰でも使えるパッケージ化された技の紹介ではなく、心の持ちようとか、姿勢とか態度とか、そういったソフトスキルのほうが大事だというメッセージ集だった。まあ、そりゃそうだ。
【要約】ゴルフのスイング指導を通じて、礼儀を身につけさせました。結果を叱るのではなく、人間としてダメなことを叱りましょう。自分ではなく、子どもを信じましょう。
【感想】まあ、こういう指導をする人がいてもいいのかもしれない。それが子どもの個性に合っていれば、問題はないだろう。それが多様性というものだ。
だがしかし、この指導法を普遍化することはできない。一般に応用したら、たくさんの子どもが不幸になるだろう。
御本人が「どんな生き方をしようが、人は所詮、井の中の蛙だと思う。(中略)知ったかぶりは、己のアホをさらけ出すだけだ」(56頁)と言っているのだが、まさにブーメランとして、著者本人に突き刺さる言葉だ。教育についてほとんど何も知らず、何も勉強していないのに、自分の狭い経験だけを根拠にして学校や教員を批判するのは、まさに「己のアホをさらけ出すだけ」なのだ。ほんとに、勘弁してほしい。
著者は「結果、塾には泣くヤツだけが残っていった」(70頁)と言う。ゴルフ塾ならそれでいいのだろう。しかし学校というところは、著者が見棄てた子どもをも受け容れなければならないところなのだ。自分の教育方針についてくる子どもだけを受け入れるのでいいなら、誰だって成功するに決まっている。
しかしまあ、体罰したことを自慢げに語るのは、人として如何なものかと思う。
【ツッコミ】
「もともと日本は自己責任の国だった」(119頁)と言っているが、とうぜんウソである。そんなわけはない。
【要約】いじめは昔からありました。また、世界中で発生しています。現代日本に特有の現象ではありません。ただし決定的に異なっているのは、いじめを深刻化させないための歯止めがあるかないかです。
近代化による「私事化」の傾向によって、集団や組織や地域社会のつながりが弱まり、世界的に歯止めが利かない状況になっています。私事化は、いじめだけでなく、非行や不登校など様々な子どもたちの問題の元凶ともなっています。
私事化傾向が止まらないのなら、いちばん良いのは市民性教育を推進して、集団への繋がりを強めることです。個々の内面への働きかけ(心理主義)には限界があるので、「社会づくり」に考えをシフトしましょう。いじめ問題を個人の問題として捉えるのではなく、公共の問題として、集団や社会の全員が責任をもって臨みましょう。児童会や生徒会を活用して、学校づくりに子どもたち自身を参加させましょう。
【感想】とても良い本だ。さすがに一日の長がある。まずは本書を読んでいじめの全体像や研究水準を把握した上で、各論に入るのが効果的なような気がする。
現在でもややもするといじめ問題を個人の心の問題に矮小化する傾向がなくもないが、本書が主張するように、根本的には社会的な広がりの中で解決していくべきものだ。そもそもいじめとは個人を孤立化させることで無力感・絶望感を与えようとするものだ。逆に言えば、孤立化を防ぐことができれば、深刻化に歯止めをかけることができる。そして孤立化を防ぐためには、心理主義的な働きかけでは限界がある。いじめの加害者や被害者に特有の心理的傾向が存在せず、誰でも加害者や被害者になり得る以上、心理的な働きかけにはさほど意味がない。「心づくり」に意味がないなら、集団全体(学級・学校・保護者・教員同士・地域)にネットワークを張り巡らせる「社会づくり」が重要になってくる。つまり「社会関係資本」が、決定的なキーワードになるのであった。
【要検討事項】
本書は、近代になってから「私事化」の傾向が拡大しているとして、「公」が衰退したと見ている。そして、「公」と「公共」をまったく同じものと理解し、「公共」が衰退したと主張する。しかし私の考えでは、「公」と「公共」は、違うものだ。私の見るところでは、「公」の力と役割は増大している。「公共」は、「私」と「公」に挟み撃ちにされてすり減っているように見えるわけだ。
私見では、「公」とは国家権力であり官僚組織である一方で、「公共」とは「私事の組織化されたもの」である。本書が言うNPO等に当たる。確かにそれは国家権力や官僚組織が担う「公」とは本質的に異なるものなのだ。
本書のように、論理的に「公」と「公共」を区別できていないと、どこかで足を掬われるような気がするが、いかがか。
【メモ】
いじめ研究で、大昔から連綿と続く「差別に端を発するもの」に言及するものは極めて少ない。本書はしっかり言及している。
本書の結論は、子どもたちの参画による「社会づくり」であった。それがきちんと「教育基本法」を踏まえて主張されているところは、好感度が高い。欲を言えば、子どもの権利条約の精神も踏まえてもらえば、もっと好感度が高かった。
「人格」という言葉の用例もサンプリングさせてもらった。
【要約】いじめはどの学校、どの学級でも起こりえます。完全に撲滅することは不可能でしょうが、重要なのは、深刻化させないことです。
そのために、授業にディベートを取り入れて、多様な考えを受け入れられるような子どもに育てましょう。子どもの「観測気球」に臨機応変に対応しましょう。過去の教訓から学び、危機管理の原則を踏まえた学校運営と学級経営をこころがけましょう。深刻な場合は、警察との連携を躊躇してはいけません。
【感想】本書の特徴は、教育方法学の立場からの考察にあるのだろう。教師の日々の授業実践が、いじめの発生に関わってくるという観点だ。教科書に書いてある決まり切った答えを一方的に教え込み、できるかできないかで子どもたちを差別し、子どもを見下すような教師の下では、自然といじめが発生しやすい条件になるということだ。まあ、そうなんだろう。
逆にというか、それゆえにというか、他のいじめ論者が主張するような「人権教育」とか「子どもの権利条約の精神」とか「加害者への徹底指導」とか「被害者の回復プロセス」とか「事実確認の手法」とかいう話は、極めて弱い。そのあたりは別の本で参照すればよいだろう。
【言質】
「アイデンティティ」と「個性」という言葉の用例サンプルを得た。
「個性尊重」という言葉に対して、使い古されて誤解を招くという認識を示しているのは、なかなか興味深い。サンプルとして確保しておきたい。
アイデンティティに関しては、「存在」という言葉を著者がどのように認識しているかが気になるところではある。