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【要約と感想】稲富栄次郎『ソクラテスのエロスと死』

【要約】ソクラテスの思想のエロスを代表するのが『饗宴』で、タナトスを代表するのが『パイドン』です。ソクラテスの生において、エロスとタナトスは一体となっています。エロスの延長線上、その頂点にタナトスがあります。ソクラテスの生は、その死によって完成されたのです。

【感想】個人的な感想では、常識的な意見が並べられてあって、特に驚くようなことはまったく書いてない。研究書というよりは、一般向けの啓蒙書のようだ。

が、産婆法の教育に関する記述は、ありがたい。「ソクラテスの産婆的対話法によって、人びとが内に宿しているものを分娩させ、自覚させるということは、いいかえればまた、彼らに真に自己の真面目を知らせるということにほかならないであろう。すなわちソクラテスの産婆的対話法は、要するに汝自身を知らせることをその究極の目標とするのである。」(110頁)と述べているわけだが。しかしおそらく、産婆法についてまとまった記述が唯一残されている『テアイテトス』をしっかり読んでも、こういう見解を引き出すことはできない。著者の産婆法に関する見解は、プラトンが自分で述べたテキストそのものから引き出せる事実を大幅に超過して、プラトン思想の全体構造から推量して構築されたものだ。

で、私も産婆法に関しては著者と同じように感じていたのだが、証拠となるテキストがプラトン自身にない以上、この意見を大きな声で言うことに躊躇していた。が、いまなら「稲富栄次郎氏もこう言っている」と胸を張って主張できる。ありがたい。しかしやはり、本物のプラトン研究者からは怒られそうな気もするのだった。

稲富栄次郎『ソクラテスのエロスと死』福村出版、1973年

→参考:研究ノート「ソクラテスの教育―魂の世話―」

【福島県いわき市】白水阿弥陀堂と磐城平城

 福島県の浜通り、いわきにある白水阿弥陀にお参りしてきました。

 湯本駅には安定の顔出しパネル。いわきは「フラのまち」で売っていますが、今回はパスして、寺。

 タクシーに乗ったら、ラジオから夏の甲子園の中継が流れていて、ちょうど福島県代表の試合中でした。したら、タクシーの運ちゃんが「11年連続で福島なんだよね」って話しかけてきて、何を言われているかまるで分からずに首をかしげていると、「昔は磐城のが強かったんだけどね」と言われて、ようやく合点がいきました。福島県代表の話で、浜通りが中通りにずっとやられているのを嘆いていたのでした。県内で地域対抗意識が強いんですねえ。タクシーの運ちゃんがアロハシャツを来てハワイアンを演出していたのも印象的でした。

 白水阿弥陀堂は、平安後期の建物で、福島県内の建造物では唯一の国宝指定です。周囲を囲む浄土式庭園も美しく、たいへん落ち着く空間でした。室町以降の枯山水庭園の美に慣れていると、浄土式庭園の様式美には多少の違和感を覚えたりもしますが。

 で、阿弥陀堂の近くに炭鉱跡があるということで、ぐるっと歩いて廻ることにしました。

 「石炭の道」遊歩道の看板がありました。道が整備されているようですね。

 ウソでした。道は整備されていませんでした。草が生い茂り、足下はぬかるんでいます。樹も倒れて道をふさぎっぱなしです。本当に先に進んでいいのか?

 昭和30年代まで実際に稼働していた「通勤山道」は、もはやただの登山。革靴で突入するところではありません。Googleマップで見ると、道が途切れていました。が、実際にはちゃんと道が繋がっていましたので、これから行かれる方は安心して突入してください。

 ところで、高校野球で磐城と言われて連想するのは、ドカベン一年生の夏に決勝で戦った、いわき東高校の緒方勉くんですね。お父さんが出稼ぎでツルハシを振るったり、地元の鉱山が廃坑になったりと、高度経済成長を象徴するようなエピソードが満載でした。親父さんがラジオの高校野球中継で息子の活躍を聞き、涙を流しながらツルハシを振るう姿は、経済成長を最底辺で支えた人たちの象徴的な姿のように思います。

 いわき東高校は、実際に1971年に夏の大会に出場して決勝まで進んだ磐城高校がモデルになっています。さらに磐城高校のエースが、里中君のモデルなんだよね。そんなことを思い出しながら、通勤山道を登山。

 炭鉱地帯を抜けて、バスに乗って、いわき駅へ。いわき駅の駅前は、磐城平城の跡になっています。北口を出ると、既にかなり高低差があって、城の立地条件として恵まれていたことが分かります。

 が、本丸は私有地につき、入ることができませんでした。残念。イベントなどが開催されているときに限って入ることができるようです。

 本丸と二の丸を分断する堀は、公園として残っていました。高低差が激しく、かなり立派な堀です。さすが伊達氏への抑えとして機能することが期待されていただけのことがあります。いちど本丸に入っておきたいなあ。
(2017年8/10訪問)

【要約と感想】内山勝利『対話という思想』

【要約】イデア論とか想起説とかいったものは、対話の流れの中から要請されるものであって、固定された学説=ドグマではありません。プラトンを理解するためには、確定された学説を見出そうとするのではなく、対話という形式自体がもつ意味について考る態度が必要です。

【感想】諸々の先行研究を読む前は、イデア論を相対化するという姿勢はとても自然に見えたわけだけど。しかし分厚い研究史を踏まえてみると、手を突っ込むと火傷必至の恐ろしい領域だと認識させられる。そんななかで、本書は対話という形式に着目することで、イデア論を相対化しようと試みている。その試みを説得力あるものに育てるためには、本当にたくさんの細かい手続きを踏まえなくてはならない。後期著作の位置づけや、「書かれたもの」に対するプラトンの評価など、厄介な問題が多い。たいへんだ。

とりあえず私としては、イデア論を相対化したほうが自分にとって都合がいいときには、本書の成果を援用することにしたい。ありがたや。

内山勝利『対話という思想―プラトンの方法叙説』岩波書店、2004年

→参考:研究ノート「プラトンの教育論―善のイデアを見る哲学的対話法」

同窓会

昨日、中学校の同窓会に参加してきました。刈谷市立依佐美中学校分校という、5年間だけ存在した学校です。

いやぁ、とても楽しかったですね。本当はプリン体の摂取量を気にしなければいけない身体なのに、楽しいばかりに基準量を超えて摂取してしまった気がする。地元に帰りやすいお盆の時期に設定してくれた幹事の方に感謝です。

男のほうは腹回りが太くなっていたり頭頂周辺が寂しくなってるやつが多かったけれど(ノリだけ変わってないのがすごかった)、女性陣は若々しかったなあ。しかし、再婚組が、確認できたところでは僕と近藤徹の2人だけというのが、いやはや。

18歳で地元を出たので、東京にいる時間のほうが長くなっているわけですが、やっぱり地元は温かくていいですね。みんな無条件に応援してくれるし。ネジを巻きなおして、もういっちょ頑張ろうという気にさせてくれます。次は50歳かあ。そのときはもうちょっと立派になってますかねえ?

ところで。分校というのは歴史的に見ると、やっぱり特殊な学校だったように思います。高度経済成長(1955年~1973年)に伴って日本全国で激しい人口移動が発生するのですが、トヨタ系の会社が集中する豊田市、安城市、刈谷市などは、圧倒的な勢いで人口が増加しています。ほぼ、倍増。

僕らの世代(1972年生)は、そうやって大量に移動してきた団塊世代の子供に当たります。親が増えれば、子供が増えます。子供が増えれば、とうぜん、教室が足りなくなるわけです。そのために行政は慌てて各地に小学校と中学校を建て始めますが(たとえば豊田市では1971年~86年で中学校が10校増加)、刈谷市では教育委員会の予想を遥かに上回るスピードで地域に人口が流入してきます。昭和63年には工場地域に近くトヨタに通いやすい場所に朝日中学校が完成しますが、それまでなんとか昭和58年~62年の5年間だけ乗り切らなくてはいけません。もともと小学校として予定されていた施設を流用した依佐美中学校分校は、予想を超えて膨れ上がった子供をどうにかして収容するための苦肉の策だったわけですね。こうやって、5年間だけ存在する分校が誕生したわけでした。

人の量が変わるということは、社会の質が決定的に変わるということです。具体的には昭和40年頃までは農村的だった世の中が、昭和50年頃から急激に工業的な社会に変化します。僕が小学生の頃は小垣江各地にまだ肥溜めがたくさん残っていましたが、高校に上がる頃には急激になくなっていきました。小学生のころにザリガニを獲っていた沼や小川などは、もはや跡形もありません。(とはいえ、小垣江はかなり開発は遅かったけれども・・)

産業構造の変化は学校文化にもおそらく大きな影響を与えています。もともとの住人と、新しい住人では、子育てや教育に関する意識がかなり異なります。どっちが正しいかということではなく、環境が違うから意見が違って当たり前なわけですが。まあこれは分校に限らず、日本全国(特に都市圏の近郊)で発生していたことではありますが。

なんてことを思わず考えていたのは、職業病だなあ。まあ、これから教師になる子には、社会背景への的確な洞察を持ちながら、一人ひとりの子供のニーズを満たしてやってほしいなあと願うわけですけれども。はてさて。授業では一生懸命伝えていこうと思います。

 

【要約と感想】田中美知太郎『ロゴスとイデア』

【要約】「事物そのものに直接向かわずに言語のうちに事物を探求する」と言うことで、何をしようとしているのか。そしてイデアという現実離れした考え方が必要になるのは、どうしてか。これらは一見すると現実にまったく影響を与えない抽象的な考察に見えるが、実際にはこういった哲学的問題を根本から考えることが、強力な光の照射となって、暗がりに隠れて見えなかった現実を把握することが可能となる。

【感想】全体的な完成度の高さに、感服するしかない。戦時中にこれほど地に足の着いた体制批判が可能であったということにも、驚く。70年後のいま読んでも、決して古びていない。今でも古びない要因は、著者が流行の思想に乗って著述作業をしているのではなく、自らの根源的な問題関心に忠実に則り、さらにそのような個人的な問題関心を他者にわかりやすく伝えるために文体形式に意識的に工夫を加えているところにある。個人的な問題は時代を超えていつまでも現在の問題であり続け、他者に向けてわかりやすく語ろうとする試みは時代を超えて機能する。プラトン思想の外在的な解説ではなく、プラトンを噛み砕いて消化した上で、自分の言葉として語っている。それは「あとがき」で自ら「対話」と自称するだけの意識的な方法論を伴っている。

内容としても、いわゆるイデア論を徹底的に認識論の面から分析しているのが興味深い。最近のプラトン解説本は、イデア論に真正面から認識論で挑むのは分が悪いと認識されているのか、現象学的な手段を援用しながら価値論の方から迫ろうとするものを散見する。それはそれで意味のある仕事だし興味深く読めるわけだが。しかし本書のように何の衒いもなく真正面から認識論に突入していくのは、むしろ新しい。そして凄い。おそらく著者は、認識論を真正面から突破した上でなければ「善」について語る資格はそもそも得られないと考えているのではないか、という感じがする。

というわけで、これは哲学研究者の仕事ではなく、哲学者の仕事であるように思った。

【これは眼鏡論に使える】認識論の方向からイデア論を突き詰めることは、「眼鏡っ娘」とは何かを考える上でどうしても避けては通れない道である。我々はどうして「個々の眼鏡をかけた女性」を個別に認識するのではなく、抽象的に「眼鏡っ娘」と認識するのか。また、どうして眼鏡をかけている女性に対して「お前は眼鏡っ娘じゃない」と思ってしまう時があるのか。このような認識のプロセスを解き明かすうえで、イデア論に対する理解は決定的な霊感を与えてくれる。本書も、眼鏡論に大きな霊感を与えてくれる。

田中美知太郎『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー、2014年<1947年
■オリジナル:田中美知太郎『ロゴスとイデア』岩波書店、1947年