【要約と感想】堀越孝一『中世ヨーロッパの歴史』

【要約】本書の「ヨーロッパ」とは、ケルト・ガリア・フランクの諸民族を基礎として、フランク王国から分離して伸長するフランス(フランス王国)、ドイツ(神聖ローマ帝国)、イタリア(ローマ教皇)を中心に、イングランド、スカンジナビア、スペインまでを視野に入れています。ロシア(スラブ民族)とビザンツ帝国は視野に入っていません。また「中世」とは、ローマン・ガリアへのゲルマン人の移動と西ローマ帝国の崩壊あたりから始まり、15世紀半ば(つまり新大陸発見と宗教改革以前)までをターゲットにした1000年あまりの期間を指します。
 叙述は複層的に展開しますが、いくつかの軸があります。
(1)封建制の伸長過程(主にフランス王国と神聖ローマ帝国を題材に、王と貴族層の相克)。
(2)身分制の確定過程(騎士階級の位置づけを中心に流動的であったことを強調)。
(3)カトリック教会の展開(叙任権闘争など世俗権力との関係と、修道院改革など後の宗教改革の萌芽)。
(4)中世都市と村落の形成過程(北イタリアとフランドルを題材に、経済圏の議論)。
(5)辺境という視点(ヨーロッパに内在する辺境から、十字軍を通じた外在の辺境への視点移動)

【感想】通史というものは、折に触れて読むべきだろうなと思った。ひとつは答え合わせという意味があって、各所で仕入れた知識が正確かどうか改めて確認する機会になる。もう一つは、新たな問いを霊感するという意味があって、それまでバラバラに見えていたものに何かしらの関連を発見するきっかけを得られる。ということで、何気なく読み始めた本だったが、いろいろと勉強になった。

【要検討事項】三位一体
 カロリング・ルネサンスのところで三位一体に関する記述があった。

「キリスト教神学についても、また、このゲルマン男は一家言もっていた。「父と子と精霊」の三位一体論の解釈をめぐり、東ローマ教会の決定に反論し、「精霊は父および子から発する」との説を西方教会の根本教義としたのは、じつにアルクィンとカールの共謀であったのだ。」95頁

 なるほど。しかし一方、アウグスティヌス研究者山田晶は、この西方教会の教義はアウグスティヌスに由来すると主張し、アルクィンとカールの名前は一言も出さない。さて。

【研究のための備忘録】貨幣経済
 貨幣経済の進展と影響について、13世紀のペスト流行にも関わって気になる記述があったので、サンプリング。

「おそらくこの災禍は、都市においても農村においても、富めるものと貧しいものとの較差を、いっそう拡げる作用を及ぼしたことであろう。これまた、すでにじわじわと進行していた事態であった。この大災害は、人間と土地に拠ってたつ農業生産、一口にいってものの価値のたよりなさと、金銀貨の形でのかねの価値のたしかさを、しみじみとさらせる効果をもったのではなかったか。かねをためた商人、上級役人、大借地農、こういった連中が主役の社会が中世後期に現出する。主役の座から下ろされたのは、ものの体系である領地経営にしがみついた領主たちである。」386頁

 貨幣経済のインパクトというものは日本の歴史(特に個人的な専門的関心から言えば江戸中期以降の教育爆発)を考える上でも極めて重要な観点なのだが、感染症の流行という要素を踏まえると、なんとなく昨今のコロナ禍による環境変化にも当てはまってしまうような気がするという。

【研究のための備忘録】ルネサンス
 ルネサンスという概念について専門的な観点からの言及があったのでサンプリングしておく。

「「ルネサンス」とは「再生」を意味する。なにが「再生」したのか。言葉本来の用例では、古典ラテン語と古典古代の美術様式が、である。
 十五世紀のイタリアの人文学者は、ダンテもペトラルカもだめだ、ラテン語でものを書かなかったから、と批評している。これが、いわば本音であって、事情は「アルプスの北の」人文学者たちにとっても同様であって、彼らの神経質なまでの気の使いようは、ホイジンガが『中世の秋』最終章に紹介しているところである。」430-431頁

 要するに、13世紀~14世紀のフィレンツェ文化の華であるペトラルカやダンテは「ルネサンス」とは認められないという主張だ。そして本書はブルクハルトを「混乱のもと」「中世という時代についての無知を背景」(431頁)と名指で批判して、世俗のルネサンス概念を修正している。これが歴史学プロパーの常識というところだろうか。私個人としては、本書の理由とは異なるが、「印刷術」の登場前と後ではまったく事情が異なるという理解から、ダンテやペトラルカをルネサンスに位置付けるのにはかなり違和感を持っている。

【研究のための備忘録】説明のシステム
 ヨーロッパ中世の歴史とは関係なく、私の個人的な研究に関わって響いたところをサンプリング。

「既成の言葉では説明しきれないと感じたとき、人は、その場その場の臨機の判断で、現実を処理してゆく。理念の体系そのものは、そのまま残されていても一向にかまわない。むしろ残しておきたいのである。説明のシステムをもたない生とは、なんと不安な生ではないか。やがて数世紀ののち、既成の理念の体系をそっくり作りかえて、新しい現実説明のシステムが生まれる。」421頁

 これは中世から近代への移り変わりを説明した文章だけれども、同じことは近代の終わりにも言えるのだろう。まさに現在、近代が生んだ「理念の体系」の要であった「人格」という言葉が説明のための力を失いつつある。しかしまだ代わりとなる「説明のシステム」は見えてこない。おそらく「持続可能」とか「共生」といった言葉が重要だろうことまでは分かるのだが。

堀越孝一『中世ヨーロッパの歴史』講談社学術文庫、2006年<1977年