【埼玉県行田市】古墳の上に立つ前玉神社は埼玉県の名前の由来なのか

埼玉県行田市にある前玉神社(さきたまじんじゃ)にお参りしてきました。埼玉県の名前の由来となっている神社ということですが、調べ始めるとけっこう不思議なところだということが分かります。

訪れた時にまず目を引くのが、手水舎です。色とりどりの花が鮮やかです。

2021年現在、COVID-19の影響で、多くの神社やお寺の手水舎が利用できないようになっています。単に水を止めたり立ち入り禁止にしたりして手水舎を利用できないようにしているところが多い中。

こちらの神社は水盤を色とりどりの花で埋め尽くし、とても華やかな気分にさせてくれます。もちろんこれでは手水を使うことはできないのですが、「利用禁止」と書いてあるよりも圧倒的に気分が良くなります。まあ特にCOVID-19対策で始めたわけではなく「花手水」ということで続けてきているようですが、結果的には、何も言わなくても誰も手水を使うことはありません。これがいわゆる「環境管理型権力=アーキテクチャ」というやつですよ。

別の水盤にもフラワーアートが。こちらは学生さんが作成したもののようです。綺麗ですね。

本殿は古墳の上に鎮座しています。ご祭神は前玉彦命・前玉姫命の二柱とされています。前玉彦命の名前は記紀神話等には見当たらず、前玉姫命は古事記の出雲神話系エピソードの中で名前が出てきますが、出雲との関係は不明です。(出雲系の神様は諏訪=タケミナカタまで来ていることは分かるので、佐久か秩父を通過して行田まで伸びて、さらに氷川神社=スサノヲまで繋がると面白いのですが、妄想です。)
神社のWEBサイトでは、前玉神社はかつて「幸魂神社」と書いていたとされています。調べてみると一説には「さきたま」の「さき」は「崎」だということです。大宮大地の北端、沼沢地の中に突き出た先端部分に数々の巨大古墳が作られたことを考えると、「崎」という説にも説得力がありそうです。
まあ、今となっては、由緒はまったく分かりません。日本全国に数多ある、由来が分からなくなっている神様の一つです。

ちなみに中世になってから忍城内に鎮座していた木花之佐久夜毘売が勧請されて古墳の中腹に浅間神社が設けられたところ、もともと日本屈指の人気を誇る女神様だっただけに大人気になったようで、もともと鎮座していた前玉彦命・前玉姫命の影が薄くなってしまったとのこと。まあ由来が分からなくなってしまった神様ですから、木花之佐久夜毘売を相手にしたら分が悪いですね。

そして一般的には「埼玉県」の「さいたま」の由来がここ「前玉神社」にあるとされていますが、これも考え始めると厄介なことがたくさん出てきます。具体的には、県名と県庁所在地名がズレている地域は、幕府側に立っていたために明治政府に疎まれている地域であるという陰謀論を唱えている人がいます。司馬遼太郎ですが。まあ、確かにすぐさま「茨城/水戸」「愛知/名古屋」「宮城/仙台」「岩手/盛岡」「栃木/宇都宮」「群馬/前橋」「島根/松江」「三重/津」等が想起されるところです。福島県の場合は、露骨に会津が排除されていますね。それを踏まえると、「埼玉/浦和」はいかがでしょうか。川越が排除されているのをどう考えるかでしょうかね。まあ、どうして埼玉県が「埼玉」になったかを調べ始めると、陰謀論に巻き込まれて、いろいろ大変です。

そんな陰謀論や人間の思惑などに関係なく、境内には臘梅が見事に花を咲かせているのでした。とても雰囲気の良い神社でした。
(2021年2/5訪問)