常総市にある平将門関連史跡を訪れました。
まず平将門公本拠豊田館跡。現在はお寺の脇にちょっとした公園のような感じで整備されていて、モニュメントや説明板が設置されています。
モニュメントは、将門が主人公となった1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」の放映から10年後に建てられたもののようです。
平将門の父である平良将が豊田館を本拠としておりました。豊田館は、説明板によると、関東平野の中世城跡に多く見られるような、沼沢地の中に浮かぶ島のような要害であったようです。北方2kmほどのところには、南北朝時代に関東の南朝拠点だった関城や大宝城があります。
将門の死後、当地は向石毛城として機能したもののようです。佐竹氏との戦いの中で没落していったようですね。
地図を見ると鬼怒川の河岸段丘に築かれた要害のようですが、現在は宅地として開発が進んでおり、当時を偲ぶ手がかりは残されていません。
豊田館跡から鬼怒川に沿って南に500mほど行ったところに、「平将門公赦免供養之碑」があります。
もともとは別の場所にあったものを、鬼怒川河川工事の折に現地に移設したもののようです。
案内板によると、鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が執奏勅免を得て建てたもののようです。タイミングとしては親王将軍が誕生する翌年のことですが、関東の武家政権として将門に対して何か思うところがあったのでしょうか。動機についてはちょっとよく分からないところです。
さらに鬼怒川沿いに南に行くと、将門の父良将の墓とされる古墳があります。上記の石碑はもともとこちらにあったもののようです。
が、これはどう見ても前方後円墳で、良将の墳墓のわけがありません。
とはいえ少なくとも古墳時代にはここまでヤマトの影響が及んでいたことは分かりますね。
鬼怒川の河畔に近づくと、平将門公一族墳墓の地を示す石碑が建っています。
堤防から一段下がったところに、石柱と案内パネルが建っています。
もともとは将門の親族が葬られていたところで、将門本人が葬られているかどうかは伝説にすぎないもののようではあります。
鬼怒川の堤防に上がると、はるか北のほうに筑波山が見えます。この地から見ると、ちょうど北極星が筑波山の上に見えるような感じになるのでしょうか。
ちなみに写真を撮った地点のちょうど対岸が、2015年の台風で堤防が切れた地点に当たります。
訪れた冬の日は、風と雲はあったものの、残念ながら虹は出ませんでした。(2020年2/27訪問)