【要約と感想】早稲田大学教師教育研究所監修『いじめによる子どもの自死をなくしたい』

【要約】いじめとは、被害者から生きる力を根こそぎ奪う人権侵害です。人権という観点を大事にし、子どもたち自身が当事者として主体的に関わることが大切です。
実際の事件の分析や、弁護士によるいじめ防止の授業例、さらに北欧での取り組みなどを参考に、いじめを防止する方策を考えます。根本的な問題は、近代の原理が子どもに多くの負荷を与えていることです。

【感想】7人の著者による本で、論者によって多少の力点とニュアンスの違いはある。いちおう、「人権」と「子どもの参画」という観点は共有されていると言えるかもしれない。

【言質】近代的な学校システムそのものを問題視している文書を抜いておく。

「学校の制度的限界」26頁
「学校至上主義はすでに破たんし始めています」27頁
「資本主義がさまざまな形で変貌を遂げつつも生き続けているように、学校化された社会もまた問題の本質を巧みにずらしながらシステムをより確かなものにしてきたようにも見えます。専門家と言われる人々は、システムの枠のなかで「合理的な」処方箋を提供し、専門知自体が<近代>そのものを延命させていくことになります。」115頁
「子どもたちのありように自らが揺さぶられることを厭わず、<近代>なるものが切り捨ててきた価値を含み込む芳香でまなざしを転換していくことこそが、ホリスティックな視点に立つことにほかなりません、難題と向き合うなかでかすかに見えてきたもうひとつの学級づくりは、近代学校の限界を見極めながらほんとうに注意深く試みられてきた実践者の周辺で育まれてきたといってよいでしょう。」127頁

近代的な学校システムが必然的にいじめを生むと考えているように読めるわけだ。だがしかし考えてみれば、前近代はいじめどころか身分差別の原理が横行していたのだった。近代化によって「形式的な平等」が実現されたからこそ、実質的な差別化のためのパワーゲーム=いじめが剔出されてくる。それが果たして本当に前近代の身分差別に比べて悪いことなのかどうか、見極める作業は必要なようにも思うのだった。

早稲田大学教師教育研究所監修、近藤庄一・安達昇編著『いじめによる子どもの自死をなくしたい』学文社、2014年