【要約と感想】プラトン『パイドロス』

【要約】恋とは、人間の狂気のなかでも最も尊い。なぜなら、その狂気を通じてのみ、人は「真の美」を想起できるからです。

【感想】この本、プラトンの著作の中で一番好きだなあ。印象的なエピソードが、集中して本書に集まっている感じ。

まず、恋愛の話が凄い。恋の狂気のみが人を「真の美」へと導く。なんてことが真正面からド直球で説かれるという。技巧に走る芸術家は、狂気の人々が作る作品には決して追いつけないとか。ソクラテスは教科書的には「無知の知」で有名だけど、教科書に「ただし恋の話だけはよく知ってる」という但し書きもつけてほしいところ。

それから、「文字の発明」のエピソードが収められているのも本書。文字の発明は、実は人々の記憶力を退化させて、真の知恵から遠ざけるだけだという。文字によって、人々は見かけだけ博識家になって、うぬぼれだけが発達し、つきあいにくい性格になる。プラトンは、対話可能な言葉だけが真実へと導くと言う。「ディアレクティケー=対話」という手続きの本質について、考えさせる。

さらに、「分析」と「総合」という手続きが「ディアレクティケー(対話法)」の神髄として明確に示されているのも大きな特徴。ただ、論理的な手続きをどれだけ誠実に積み重ねても、アプリオリな総合判断には辿り着かない。その「直感」は「神がかり」の「狂気」によってもたらされるしかない。「神がかりの狂気」によって直感を得る前半部と、論理的手続きによって「ただ一つの本質的な相にまとめる」という後半部が、一つの本に両立している不思議。直感と論理の二つがどのように内在的に結び付くかは、残念ながら本書では明確に見えない。

そして、ソクラテスが楽しそうに話しているのが、とてもいい。他の本だと皮肉を言ったり、攻撃的だったり、詭弁を弄したり、ちょっとどうかな?と思うこともある。けれど、本書は終始楽しそう。いちばんスッキリするプラトンだと思う。

*9/18後記
狂気に触れた者だけが物事の本質に辿り着けるという議論は、眼鏡っ娘論に対して極めて重要な示唆を与える。「眼鏡っ娘とは何か?」という問題に対して、ある程度は論理的に迫ることができても、一定の成果を上げたところで、必ず論理的なアプローチでは超えられない深淵が見えてくる。底の見えない深淵。この「深淵」を跳躍できるのは、「狂気」だけだ。俺に跳躍の勇気をくれ!

プラトン/藤沢令夫訳『パイドロス』岩波文庫

→参考:研究ノート「プラトンの教育論―善のイデアを見る哲学的対話法」