【感想】オカルト全開で、ドン引きする本だ。エビデンス抜きの決めつけに満ちていて、これはさすがにマズい。クライアントが治っているならまだいいのだろうが、社会的な発言をするのなら歴史をしっかり勉強してからにしてほしい。
母親や保育者たちを威嚇してガッカリさせるような、教養が欠落した本だった。
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【要約と感想】町沢静夫『心の壊れた子どもたち』
【要約】最近の若いやつは、ひ弱になりました。母親が甘やかすのが原因です。親はしっかり躾をしましょう。
【感想】著者の善意は疑わないが、残念ながら事実誤認がけっこうある。著者は「最近の若者は命を粗末にする」と主張しているが、間違いだ。統計を少し調べるだけで、若者の自殺率が昔と比べて劇的に減少していることが分かる。日本の若者は、1950年~60年代に大量に自殺していたのであって、近年はさほど自殺していないのである。著者は「教育関係者にはなかなか理解してもらえないようです」(62頁)と、他人のせいにしているが、いやいや。著者の論理に説得力がないのが一番の問題なのだと思う。
具体的ないじめ対策に関しても、加害者を指導するのではなく、被害者に説教を延々とすることを勧めているが、もちろんそんなアドバイスを真に受けてはならない。子どもの無能感と絶望感を増やすだけということが、分かっている。いじめに関する基本的な知識も、古い。もはや強いものが弱いものをいじめるなどという単純な時代ではなくなっている。
ひきこもりに関するイメージも、あまりにもステレオタイプすぎる。他にしっかり科学的にアプローチしている精神科医がいくらでもいるのに、それらの著書を勉強した形跡もない。
気がついたのは、酷いと感じる精神分析の本に共通する点があることだ。間接的に報道等で見ているだけに過ぎず、直接診断したわけでもない人間に、勝手に病名をつけてしまうところだ。逆に、自分が直接診断したケースを中心に議論を進める人は、けっこう信頼できる。本書も、著者が自分の経験を話しているところだけは、そこそこ読める。患者に殴られて顎が破壊された話は、とてもかわいそうだった。同情する。
やはり精神分析が力を発揮するのは「臨床」なのであって、マクロな話をする時は逆にしっかり統計を踏まえる必要があるということだと思う。
まあ、精神分析の専門家が教育に対して発言すること自体は別に構わないのだけれど、発言するならせめて基本的なことを勉強してからにしてほしいと思ったのであった。
【要約と感想】三池輝久『学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている』
【要約】不登校は、心理的な葛藤ではなく、病気です。ホルモンバランスが崩れ、免疫機能が低下しています。身体からエネルギーが枯渇しているので学校に行けないのです。本人の努力とか気合いという問題ではありません。
子どもが疲れているのは、強制的に協調性を押しつける学校の責任です。人格を持つ一人の人間として子どもと向き合わないせいです。学校に行く必要はありません。ゆっくり休んで、薬を飲んで、まず身体を治しましょう。
【感想】脱学校論そのものは1970年代から連綿と続いているわけだけど、こういうふうに脳科学と結びつくのは21世紀の傾向なんだろうなあ。まあ、科学的な装いをしつつも、言っていること自体は変わらない気がするのであった。
気にかかるのは、現代社会に対する分析と認識が甘いというか、資本主義や新自由主義に対する洞察が一切欠けているところだ。とりあえず、変な人に変な利用をされないように気をつけてもらえばなあというところではある。私からは、「脳科学」を自称する人たちがエビデンス抜きで自分勝手な主張をしまくる傾向にあるように見えている。
【言質】
「人格」や「個性」という言葉の使い方で、けっこう言質がとれた。
逆に言えば、子どもたちは教師たちから、けっして一人前の人格が認められておらず、怠けているなどの疑いの目でみられていることを示すのである。(中略)
残念なことに、不登校はこれからは加速度をつけて急速に増えつづけると断言できるのであるが、その要因の一つに、保護者や教師が生徒を一人前の人格をもった人間として認めていないところにあると気づいていただきたいのである。」(143頁)
「大人が考えた理屈ではなく、子どもたちが幸せと感じるか否か、この感じるということが重要なのである。扁桃体に存在する自分の価値観が納得され、前頭葉に収斂されて判断されたことがその人の個性となる。この個性が本当に大事にされるときはじめて自由を得ることになり、「生きる力」がつちかわれる。」(156頁)
まあ、なるほどなあというところではある。著者によれば、「個性」の定義とは「扁桃体に詰まった価値観」ということになるようだ。そういう定義で本当に大丈夫なのかどうか、要検討事項だ。
【要約と感想】アウグスト・クリ『素晴らしい親 魅力的な教師』
【要約】これまでの教育のやり方は決定的に間違っていました。現代の子どもたちは、過剰で刺激的な情報を浴びて、感情と思考が麻痺しています。人間の記憶がコンピュータの記憶と異なることを理解して、「情報」を教えるのではなく「人格」を創る教育に変えれば、必ず子どもは幸せになります。世界が変わる鍵を握っているのは、教師です。
【感想】読み始める当初は、ありがちな自己啓発系教育論かと先入観を持っていたけれど、読み終わった今となっては大感動なのであった。これは世界中の教師に贈られた応援歌だ。ありがとう、ありがとう。教師の仕事を続る力を、私も受け取った。
【今後の個人的研究のための備忘録】
本書には「人格」という言葉が決定的に重要な概念として何度も登場する。原語がpersonalityかcharacterか気になるところだけど(雰囲気からするとおそらくcharacterか)、まあ自分で原書に当たろう。
「私たちは、子どもたちに感情を教えることも、人間にとってとても大事な知的活動―例えば美しいものを愛で、行動する前に考え、考え方を押しつけられることなくそれを表現し、理性を培い、積極的な精神を育てる―を促すこともしていません。情報を与えるだけで、子どもたちの人格を創っていないのです。」(13頁)
「では、親の人生を教えることが、子どもの人格形成に不可欠なのはなぜでしょう。」(19頁)
「個性はなくてはならないものです。というのも、個性こそ人格のいちばん基本的な部分だからです。」(24頁)
「普通の親は子どもの成長に気を遣い、健康によい食事を与えます。素晴らしい親はさらに、子どもの人格には精神的滋養が欠かせないことを知り、知性と心をゆたかにするものに気を遣っています。」(27頁)
「まず感情の領域を乗りこえなければ、試行の領域に影響を及ぼすことはできません。そこにいたって初めて、人格を形成している秘密の箱ともいうべき、意識と無意識の領域に働きかけることができるのです。」(36頁)
「ですから、知性の達人になってください。そして、子どもに考えることを教えてください。あなたの優れた人格を子どもの心に焼き付けるのです。」(39頁)
「教育者は、人格を作る職人であり、聡明な詩人であり、理想の種を撒く人である。」(61頁)
「記憶は人格を作る秘密の箱です。」(118頁)
「人格は不変ではない。どんな経験を積んできたかによって人格は変わる。」(120頁)
「過去は消去できないので、新しい人格を見いだし、トラウマと情緒障害を乗り越えるためには、無意識の領域を再編集するしかない。」(125頁)
「コンピュータは生徒に情報を与えますが、生徒の人格を形成できるのは教師しかいません。」(157頁)
「本当のことを言えば、私たち全員がこの社会の犠牲者です。アイデンティティをどんどん失い、銀行の預金高やクレジット・カードの番号そのものとなり、潜在的消費者になっています。」(172頁)
こうして改めて要点を抜き出してみると、考え方の方向性自体はペスタロッチーの教育思想とよく似ているような気はしなくもない。知識の前に感情を大切にする姿勢とか。
とはいえ、最新の精神医学的知識に基づいた「記憶」と「情報」に関する知見が加わっているのは、決定的に新しいところかな。