先生と僕

今日は、大学院の指導教官である土方苑子先生の告別式でした。23歳から指導生になっているので、僕の人生(現在45歳)の半分くらいはご迷惑をおかけした計算になります。「お世話になった」などと一言では言い表せないくらい、いま自分があるのは先生のおかげなので、訃報に接したときは何が起きたのかよくわかりませんでした。一昨日くらいから、もう先生とお話ができないんだという寂しい思いが少しずつ湧いてきましたが、今日はただただ悲しくて仕方なかったです。博士論文をお目にかけることがもはやできなくなってしまい、申し訳なくも悔しくてなりません。どうしてもっと真剣に取り組まなかったんでしょうね。後悔先に立たずですけれども。

ただ、久しぶりに会った指導生の面々の健在ぶりと多方面での活躍には大きな刺激を受けました。改めて自分もますます頑張らなければいけないと意を新たにする機会になりました。個性的な面々を見て、指導生一人一人の持ち味を見極めて丁寧に指導してきた土方先生の教育者としての姿勢を実感しました。ただ、先生の研究者としての実績は私が改めて強調するまでもありませんが、教育者としての実績はこれから僕ら自身が証明していくことになるんだなと、身が引き締まる思いもします。

正直に言えば、僕自身の観念に流れやすいキャラクターは、土方先生の実証的な研究姿勢と噛み合っているわけではありませんでしたし、そのキャラクターのズレは僕が自覚しているだけでなく、おそらく周りの人たちも認識していただろうと思います。でも土方先生は、そんな僕の抽象的な観念に流れやすい持ち味を励ましてくれて、やりたいことを自由にやらせてくれる一方で、地に足をつける実証的な研究スタイルの意味と重要性を粘り強く示し続けてくれました。この粘り強い指導がなかったら、おそらく根無し草のままどこかに飛んでいって何者にもなれなかったんじゃないかと思います。あるいは、率直にダメ出しをしてくれる土方先生がOKと言ってくれれば、間違いなく大丈夫だろうと、事あるごとに絶対的な安心感をもらっていました。さながら、背後に母親がいることを確認することで初めて安心して様々な冒険に手を染められる幼児のような行動様式です。たぶん端から見える以上に、僕は先生を頼りにしていたと思います。本当にご苦労をおかけしたなあと。

私生活でもたくさん励ましてもらいました。お目にかかるたびにいつもご飯を奢ってくれて、地に足のついていない僕の思いつきもたくさん聞いてもらいました。先生との会話をきっかけに、いろいろなアイデアが出てきました。離婚のご報告をしたときにはどんな顔をされるかと思いましたが、予想外に明るく励ましてくれて、心が軽くなりました。東京家政大学への異動と再婚の連絡をしたときは、とても喜んでくれて、これからの研究に対しても温かい励ましの言葉をいただきました。まさかそれが最後のやりとりになるとは、夢にも思いませんでした。

しみじみ、他に代わりがいない人を失ったんだと、もう本当にお話ができないんだなあと思うと、今も涙が出てきます。僕は土方先生の代わりには絶対になれませんので、でもいつも僕の持ち味を励ましてくれた言葉を信じて、自分にできる仕事、あるいは自分にしかできない仕事をしっかり続けていかなくちゃなあと、改めて思いました。

ご冥福をお祈りします。