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教育学Ⅱ(龍ケ崎)-12

■龍ケ崎キャンパス 1/15

前回のおさらい

・物事を多面的・多角的に見る。
・物事を深く考える。
・対話的に考える。
・メタ的に考える。

教育の変化

・19世紀型の知識観から、21世紀型スキルへ。
・産業構造の転換。産業化社会からポスト産業化社会へ。
・産業化社会で必要とされた教育と、ポスト産業化社会で必要とされる教育の違い。
・日本社会の変化。雇用体制の変化。働き方の変化。
・これからの社会で必要となるスキルとコンピテンシー。生涯学習社会へ。

復習と予習

・次回はレポート提出日となっています。

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-11

■龍ケ崎キャンパス 12/18(月)

前回のおさらい

・「対話的に考える」とはどういうことか。
・対話的に考えることで、自分を客観的に見られるようになり、自分が間違っていることに気がつける。
・ソクラテス対話法の、「無知の知」「産婆術」「汝自身を知れ」。
→適切な問いを投げかけることで、相手の答えを発展させていく。
・「人間にはスポーツをする余裕があるが、動物は生きるために精一杯で余裕がない」という命題の吟味。
・狩猟採集から農耕文明へ発展することで余裕が生まれた。
・戦争や宗教から切り離され、「何かのため」に行うのではなく、「それ自体のため」に行うところから、スポーツができた。

これまでの作業の振り返り(4)

メタ的に考える

・これまでやってきたことは、一つは「メタ的に考える」ことのトレーニングである。
・単に「メタ的に考えよう」と言っても身につかないので、実際に作業を行いながら具体的に考えてみた。
・「人間とは何か?」という問いは、「メタ的に考える」うえで、極めて有効に働く。メタ的な問いだからである。
・誰もが「自分は人間である」ということを認識しているが、どうしてそのような認識ができるのか。それを考えるためには、「「自分が人間であると考えている」ことを考える」ことが必要となってくる。
・しかし「人間とは何か?」という問いはレベルが高かったようなので、「スポーツとは何か?」という問いに変更した。「「自分はスポーツをこう考えている」ということを考える」ということ。

「メタ」とは?

・ギリシア語で言う「高次な~」「超~」という意味。
・「メタ認識」とは、自分自身を認識するときに、自分の思考や認識そのものを対象として客観的に思考し認識すること。思考に対する思考。認識に対する認識。
・単に物事を認識するだけでは、それが正しいか間違っているかは判断できない。また、さらに良いものに改善していけるかどうか判断できない。
・自分の思考や認識が正しいか間違っているかを判断するためにも、一歩引いたところから、自分の思考や認識の全体像を視野に入れて、客観的に考える必要がある。ここから、間違っているところや自分に足りないところを認識して、自分の思考や認識をさらに発展させることができる。
・「メタ認識」をしない者は、自分が間違っているところや、自分に何が足りないかを認識することができず、自分で自分を成長させることができない。
・「メタ認識」をするということは、批判的な考え方ができるようになると言うこと。

指導者として気をつけること

・「メタ認識」のないところに成長はない。
・「自分の思考や認識」を自分自身で客観的に思考したり認識したりできるように、ノートをつけさせる。
・自分が考えたことや理解したことをノートに書くことで、自分自身の考えを「外」に出して客観的に見つめ直すことができるようになる。

「授業」とは何か?

・「こんなものは授業ではない」と主張できるためには、「授業とは何か」が分かっていなければならない。
・どうして「授業とは何か」が分かっているといえるのか?
・教育学について長年研究を積み、実際に授業を行ってきた学者と、単に受け身で授業を眺めてきただけの者とで、どちらが「授業」について詳しく知っているのか。
・それにも関わらず、どうして「自分のほうが授業について知っている」などと主張することが可能なのか?
・あなたが思っている「授業」とは、本当に「授業」と呼ぶに価するのか。
・「メタ認識」ができないと、自分の視野の狭さに気づかない。

命題の吟味

人間は勝利や名誉を求めるが、動物は求めない。

・人間はどうして「勝利」や「名誉」を求めるのか。どうして「競争」するのか。
・動物や植物は「競争」をしていないか?→生存競争。
・「生存競争」とは何か?→種の生き残りをかけた競争。
・進化論の考え方。「適者生存」とは何か? →その環境に最も適した個性を持ったものが最も繁栄する。
・「突然変異」とは何か? →有性生殖によって様々な個性を持った変種が生み出される。
・動物や植物の生存競争は、「突然変異」と「環境への適応」によって決まる。重要なことは、ある一つのモノサシで勝負が決まるというわけではないということ。「個性」が「環境」に適応できるかどうかが問題。
・人間の生存競争の勝敗は何によって決まるのか? →動物や植物の「突然変異」は自然に任せるしかないが、人間は自分の努力や工夫で変異することができる。人間だけが自分で自分を変えることができる。

指導者として気をつけること

・勝負は一つのモノサシでつけられるのではなく、多様な個性の間の競争である。
・自分の「持ち味」や「長所」や「個性」を理解する。
・自分の武器は何で、それをいつどこでどのように使えば一番威力を発揮するのか、自覚する。
・自分の武器を磨いておくこと。他の動物や植物とは違って、人間は自分で自分を変えられることを自覚する。

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-10

■龍ケ崎キャンパス 12/11(月)

前回のおさらい

・物事を深く考えるということはどういうことか。
・「深く考える」とは、単に答えだけを知っている状態ではなく、そこから新しい問いを引き出して次のステージに登ることができる姿勢である。この「問い」を生み出す姿勢がないと、人間は成長しない。誰かから答えを与えられるだけで満足していると、同じステージに留まるだけで、成長は止まる。
→指導者は、常に「問い」を生み出す姿勢を促すために、「問い」を受け止め、許容し、一緒に考える雰囲気を作る必要がある。
・「人間には主体性があるが、動物は調教や命令によって動くだけ」という命題の吟味。
→「理想の自分」を思い描かせ、「目的」を内側から引き出す。「理想」や「目的」がない者を成長させることは、どんな有能な指導者にも不可能である。自分の胃や腸で栄養素を消化しない者に、外からいくら栄養素を与えても意味がない。
→目的を達成するための適切な「手段」は外からいくらでも与えられるが、「目的」を外から与えることは不可能である。指導者は「モデル」を見せ、憧れを与えることしかできない。

これまでの作業の振り返り(3)

対話的に考える

・これまでやってきたことは、一つは「対話的に考える:interactive learning」のトレーニングである。
・単に「対話的に考えよう」と言っても身につかないので、実際に作業を行いながら具体的に考えてみた。
・「人間とは何か?」という問いは、「対話的に考える」うえで、極めて有効に働く。対話的に考えなければ分からないからである。
・しかし「人間とは何か?」という問いはレベルが高かったようなので、「スポーツとは何か?」という問いに変更した。

対話的でない考えとは?

・「対話的でない考え」とは、単に思い込んでいるだけにもかかわらず、それが正しいと勘違いしているような状態である。
・自分が正しいか間違っているかは、自分一人だけでは判断できない。自分を客観的に見られないからである。自分の「外」からの働きかけ(対話)によって、初めて自分が間違っていることに気がつける。
・「書く」ということの意義。自分の「外」に出て、「外」から客観的に見ることができるようになる。自分自身との対話。
・「対話的でない考え」がダメなのは、いつまでも自分の間違いや勘違いに気がつかないからである。
・「対話的でない考え」がダメなのは、独りよがりになるからである。

「対話的に考える」とは?

*ソクラテス:紀元前399年に処刑されたギリシャの人物。
・無知の知:自分は何も知らないという自覚。
・産婆術:自分は何も知らないにもかかわらず、対話相手から知が生まれるメカニズム。
・汝自身を知れ:本当に知るべき重要なことは、自分自身についてであるということ。対話の過程から、自分自身に対する「本物の知」が生じる。

指導者として気をつけること

・「対話」のないところに成長はない。
・「対話」とは、答えを一方的に与えることではない。適切な「問い」を投げかけることで、自分自身の視野が狭かったことに気づかせることである。
・「答え」は相手が自分で見つけてくるが、その答えの全てが有効なわけはないし、全てを無条件に認める必要もない。間違っている場合もある。指導者が生徒と一緒になって、しっかり吟味する必要がある。
・吟味の過程で、さらに相手が「答え」を発展させ、「問い」へと結びついていくと、大きな成長に結びつく。

命題の吟味

人間にはスポーツをする余裕があるが、動物は生きるために精一杯で余裕がない。

・肉食動物が走るのは、獲物を捕らえるとき。草食動物が走るのは、逃げるとき。何らかの目的があって、走る。人間は、どんなときに走るのか? →走るために走るとき、走ること自体が目的となっている。
・人間に余裕ができたのはいつか? →狩猟採集から農耕文明へ。貯めることができるようになる。(しばらくは生活の大半を「保存食」の生産に費やすが)
・余裕=スコラ→スクール。生産活動に携わる必要がない上層階級だけが「勉強」あるいは「スポーツ」できる。

・人間がスポーツを始めたのはいつの頃か。鎌倉時代に武士がやっていた「流鏑馬」はスポーツか?
・「登山」はスポーツなのか。平安時代に山伏が山に登っていたのは、スポーツか? 「蹴鞠」はスポーツか?
・一方、古代ギリシアで行われていた競技(古代オリンピア)はスポーツなのか? マラソンは?
→戦争とスポーツ。宗教とスポーツ。
・戦争や宗教と切り離されたときに、スポーツはスポーツとなる。「何かのため」に行うのではなく、「それ自体のため」に行う。

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-9

■龍ケ崎キャンパス 12/4(月)

課題について

・締め切り:龍ケ崎2018年1/22(月)
・形式:800字~2000字。手書き可。コンピュータ使用可。B5でもA4でも原稿用紙でもレポート用紙でも可。表紙無用。名前を忘れないように。
・内容:授業で扱ったトピックから興味・関心があるものを自分で選んで、分かったことや考えたこと、調べて深めたことなどを書く。
・注意事項:剽窃が発覚した場合は、不可とする。

前回のおさらい

・物事を多面的・多角的に見るということはどういうことか。
・個性的なメンバーがチームを組んで協働すると、すごい威力を発揮するという理屈。
・「人間は手足を器用に操れるが、動物にはできない」という命題の吟味。「本能」と「文化」の違い。「型」を身につけるということ。
・「型」を身につけることが良いことかどうかは、「人間とは何か?」という問いを真剣に考えないと見えてこない。
→人間は「本能」によって動かされる部分が多いのか、それとも「文化」によって動かされる部分が多いのか?
→人間は「型」を身につけることで様々なことができるようになる動物なのか、それとも「型」というものは人間の自由を制限するものなのか?

これまでの作業の振り返り(2)

物事を深く考える

・これまでやってきたことは、一つは「物事を深く考える」ことのトレーニングである。
・単に「物事を深く考えよう」と言っても身につかないので、実際に作業を行いながら具体的に考えてみた。
・「人間とは何か?」という問いは、「物事を深く考える」うえで、極めて有効に働く。深く考えなければ分からないからである。
・しかし「人間とは何か?」という問いはレベルが高かったようなので、「スポーツとは何か?」という問いに変更した。

「浅い考え」とは?

・「浅い考え」とは、上っ面の答えだけを聞いて、知っていると勘違いすることである。答えが合っていればそれだけで満足する態度である。
・どうしてその答えになるのか、自分の言葉で理由を説明できないものは「浅い考え」である。
・「浅い考え」がダメなのは、社会に出て役に立たないからである。
・「浅い考え」がダメなのは、誰でも簡単に思いつく、個性のない考えだからである。

「深く考える」とは?

・「深く考える」とは、答えを聞いても、簡単には満足しないで、次の新しい問題を考えつくことである。
・「深く考える」とは、常に疑問を持って、「どうしてそうなるのか?」を考え続けることである。
・答えを出すことではなく、「問い」を思いつくことが「深く考える」ことである。
・社会に出て役に立つのは、答えを出す人間ではなく、「問い」を思いつく人間である。
・答えは誰にでも(コンピュータでも)出せるが、「問い」は個性的な人間にしか出せない。少なくともコンピュータには出せない。

指導者として気をつけること

・簡単に答えを与えるだけでは、なかなか成長しない。どうしてそのトレーニングが効果的なのか、わからずにただやるだけではほとんど効果が上がらない。自分で「理由」を説明できるとき、効果が上がっていく。
・自分で自分の課題に気がつけるかどうかが、成長できるかできないかのポイントとなる。自分で疑問に感じたことをコーチに質問できないような人間は、自分がどこで壁に当たっているかも認識できず、成長は望みにくい。常に「問い」を続ける者だけが、壁を発見できる。
・常に「問い」を生み出す姿勢を促す。「問い」を受け止め、許容する雰囲気を作る。「問い」を許さない姿勢は、成長をストップさせる。
・簡単に答えが見つかったと勘違いしているようなら、そこで成長は止まる。「本当にそうか?」と疑問を突きつける。

命題の吟味

人間には主体性があるが、動物は調教や命令によって動くだけ。

・達成したい「目的」が明確に定まっているとき、人は主体性を発揮する。逆に言えば、主体性を発揮するには、「目的」が決まっていなければならない。
・動物の目的は、ただ生きること。人間の目的は、ただ単に生きることだけだろうか?
・ただ単に生きるのではなく、「より良く生きる」ということを考えたときに、「目的」が生まれてくる。「より良く生きる」ということを考えない者に、主体性が生じることはない。
・「こうなりたい」という「理想の自分」があるときに、現在の自分に足りないものを自覚し、「より良く生きる」という動機が生まれる。「理想の自分」を持たないものに、「より良く生きる」という考えは生じない。
→「人間とは何か?」=動物と違って「理想の自分」というものを思い描き、今の自分に足りないものを自覚し、今の自分を主体的に乗り越え、一歩でも理想の自分に近づこうとするものである。

指導者として気をつけること

・主体性を引き出す教育とは?→「目的」を上から与えるのではなく、内側から引き出す。
・目的を引き出すためには?→「理想の自分」を思い描かせる。指導者が優れた有り様を示すことで、「自分をああいうふうになりたい」というモデルを示す。
・「理想の自分」に到達できると信じさせる。「理想の自分」に到達しようとする様々なチャレンジを応援し、協力し、助言する。
・目的を達成するための「手段」はいくらでも外から与えてよいが、「目的」そのものは外から与えるべきではないし、与えられない。

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-8

■龍ケ崎キャンパス 11/27(月)

前回のおさらい

・「人間だけがスポーツをする」ということの多面的・多角的な理解。
(ア)人間には主体性があるが、動物は調教や命令によって動くだけ。
(イ)人間は手足を器用に操れるが、動物はできない。
(ウ)人間にはスポーツをする余裕があるが、動物は生きるために精一杯で余裕がない。
(エ)人間は勝利や名誉を求めるが、動物は求めない。
(オ)人間は達成感や自己満足を求めるが、動物にはない。
(カ)人間は娯楽を求めるが、動物は求めない。
(キ)人間は言葉を使ってコミュニケーションして団体行動ができるが、動物にはできない。
(ク)人間にはルールを作ってそれを守る能力があるが、動物にはない。
(ケ)人間は文化を持っているが、動物には持っていない。
・自己評価。

これまでの作業の振り返り(1)

物事を多面的・多角的に見る

・これまでやってきたことは、一つは「物事を多面的・多角的に見る」ことのトレーニングである。
・単に「物事を多面的・多角的に見よう」と言っても身につかないので、実際に作業を行いながら具体的に考えてみた。
・「人間とは何か?」という問いは、「物事を多面的・多角的に見る」うえで、極めて有効に働く。人それぞれに様々な考え方があるからである。
・しかし「人間とは何か?」という問いはレベルが高かったようなので、「スポーツとは何か?」という問いに変更した。

物事を多面的に見るとは?

・「薄っぺらい見方」とは、物事を一面でだけ見ることである。
・薄っぺらい見方にならないためには、物事を「立体的」に捉えなければならない。
・ある物事を一つの面から見るのでは、独りよがりの偏った考え方に陥る。
・物事の様々な面を見ることによって、正確な理解に近づいていくことができる。
・「人それぞれだから考えても意味がない」という意見は、視野を狭くして正確な理解を妨げる、極めて危険な薄っぺらい考え方。

物事を多角的に見るとは?

・物は、見る角度によって「見え方」が異なる。
・ある角度から見えたものが、物の本当の姿とは限らない。
・物の本当の姿を理解するためには、あらゆる角度から物を観察しなければならない。
・事も同じ。様々な角度からしっかり見ることによって、本当の姿を理解することができる。

協働する

・しかし「物事を多面的・多角的に見る」と言っても、一人の考えには限界がある。一人一人の考えは偏っていて、一人だけでは物事の真実にたどり着くことは難しい。
・だから、様々な「個性」を持った人たちと一緒に考えることによって、様々な異なった意見をたくさん出す必要がある。
・単に様々に異なっているだけでは意味がない。それぞれの意見がそれぞれに真実を言い当てていることを理解し、尊重して、初めて意味がある。
・チームは様々に異なった「個性」が集まることで強くなる。同じような人間がたくさんいても、チームとして強くなることはない。

吟味する

・ただ言葉として知っているだけでは、「薄っぺらい」ままに終わる。
・自分のものとして確かな理解をして、使える知識にしなければ意味がない。
・そのためには、自分で理由を説明できなければならない。
・自己評価は、知識を自分のものとして理解するための手続きとなる。

命題の吟味

人間は手足を器用に操れるが、動物はできない。

・どうして人間は手足を器用に操れるが、動物にはできないのか?
※ヒント:ポルトマン『人間はどこまで動物か』の中の「生理的早産」という考え方。
・人間と動物の生物学的な違いはどこにあるのか。
・「本能」によって行動する動物と、「文化」によって行動する人間。

指導者として気をつけること

・「型」の習得の重要性←「本能」で動くのではなく、「文化」を身につけるということ。
・「型」を超えることの重要性←「文化」と「個性」。
・物事を理解するうえで、「思い込み」の重要性。
・物事を理解するうえで、「思い込み」を破壊することの重要性。