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【要約と感想】小林成樹『学校はパラダイス―認め合える「歓び」が活気ある集団をつくる』

【要約】公立中学校校長として活気ある集団づくりをしてきた経験を伝える本です。子ども、教師、保護者への関わり方や、学級経営の考え方を具体的なエピソードを元に記しています。子どもたちは、集団の中で一人一人が個性を発揮し、お互いが認め合えることで、大きく成長します。
いま学校や教育を巡る環境は大きく変わってきていますが、学校が果すべき役割は変わっていません。集団主義の教育は、まだまだ必要です。

【感想】エピソードそれぞれの繋がりが分かりにくくて散漫な印象もありつつ、よくよく考えると集団の中で一人一人が活躍できる環境を整えることの重要性を一貫して訴えており、しばらくするといい本だったなあと思えるようになってくる、という感じだ。ところどころ昭和テイストな感じも受け、これからの令和時代にどれだけ対応できるかどうかは分からないものの、学校や教育の一つのモデルを提示しているという点では、教師を目指す学生が読んでも損はしないのかもしれない。

【言質】学校目標に関するエピソードで、学習指導要領に言及したところはなかなか興味深い。

「こうなる理由の一つは、学習指導要領への無責任な追従にある気がします。一種の責任逃れです。」44頁

人間は自分で決めたことには責任を取るが、他人に決められたことは責任転嫁する傾向がある。仮に学校が隠蔽体質だったり無責任体制にあるとしたら、その原因の一端は確かに学習指導要領の法的拘束性にある可能性を疑ってよい気がする。(とはいえ、現状の新自由主義的な責任の取らせ方が効果的かどうかも、また疑問ではあるのだが)
上記引用部は、体制に反対しがちな立場の人が言ったのではなく、現場を経験した人が実体験から言っていることに意味があるように思う。

あるいは「近代の終わり」についての言及は、一つの教育的知見を代表するものであるように思う。

元々近代の公教育を制度化するに当たって描いた姿は、経済発展を支える高度な工業社会の担い手であり、国家や民族に誇りを持つ国民の育成だったと思います。その基盤となる義務教育において、日本は順調に根付かせ、成功してきた国だと言えましょう。そこで培われた組織への忠誠心や知識、技術は、巧緻性と勤勉さに支えられ世界に冠たる経済大国を実現しました。
しかし今、その仕組みを一変させるかもしれない高度な情報化社会を迎えています。その急速な発展と知識の多様さと質の変化に、平均的で個性を活かせない集団主義思考の公教育制度は対応しきれていないと考える人も増えてきました。そして、むしろ制度化されない自由な教育機関に期待する意見も聞かれます。
そこには一理ありますが、私は賛成ではありません。もったいないからです。少なくとも日本には、本書で述べてきた高い倫理観を持つ集団主義の教育を可能にする地盤があると思うからです。」227-228頁

「近代の終わり」に対する一定の説得力を感じつつも、それでも従来の学校が推進してきた「集団主義」を維持する姿勢が、はてしてこれからの時代に受け容れられるかどうか。20年後、30年後の学校や教育の姿や如何に、というところだ。注目していきたい。

小林成樹『学校はパラダイス―認め合える「歓び」が活気ある集団をつくる』幻冬舎、2018年

【大分県日田市】幕末私塾の雄「咸宜園」と、広瀬淡窓墓「長生園」

江戸後期の巨大私塾として有名な咸宜園(かんぎえん)に行ってきました。
日田へは、博多からリゾート特急「ゆふいんの森」で向かいます。乗客は、ほぼ外国人観光客です。高級感溢れる車内を満喫して、咸宜園へ。

咸宜園は国指定史跡となっており、いくつかの建物が保存されている他、たいへん立派な学習施設が付設しています。

案内パネルに、咸宜園のユニークさが説明されています。教員採用試験では「三奪法」と「月旦評」がよく出てきますね。教育史の専門家的には、近代的個人主義と業績主義(メリトクラシー)の芽ばえとしてどうなのかというところが注目されます。

域内には、塾主の広瀬淡窓(ひろせたんそう)が詠んだ漢詩の石碑が建っています。ちなみに石碑の後ろに見えるのは学習施設です。貴重な資料が展示されている他、映像資料も充実しています。

図録を3冊買ったら、学芸員さん(?)のご厚意で、おまけでもう2冊いただきました。ありがとうございました。勉強します。

さて、保存されている建造物では、まず秋風庵が目立っています。趣のある建物です。

中に入ることができます。教育課程表等が掲げられています。

床の間には広瀬淡窓が詠んだ漢詩の掛け軸があったりなど。

落ち着いた佇まいで、たいへん風情があります。

ほか、講義や寮として使われた建物は、礎石だけ残っているようです。

もうひとつおもしろいのが、遠思楼という建物です。丸い窓がかわいいです。

こちらも中に入って、二階に上がることができます。

こういう落ち着いたところで読書・思索できたら、さくさく進歩するような気がするなあ。書斎、ほしいねえ。

咸宜園から東に300mほど行くと、広瀬淡窓の墓所「長生園」があります。閑静な住宅街の中にあって、初めてだとちょっと分かりにくい場所です。

広瀬淡窓のほか、家族や塾主を務めた門人のお墓が並んでいます。

学問の大先輩にお参りして学問の成就を誓い、外国人観光客でごった返す日田を離脱するのでした。帰りは高速バスで直接福岡空港へ。体感的には、電車よりバスのほうが楽だったかなあ。
(2019年7月訪問)

【要約と感想】鈴木翔『教室内カースト』

【要約】学校内のグループ間で格差が生じており、身分差が固定するカースト制に似ているので、「スクールカースト」と呼ばれています。子どもたちは格差を「権力」と理解し、地位に基づいて期待されるキャラを演じています。教師は格差を「能力」と理解し、巧妙に利用して学級運営を行なっています。
カースト制は誰も幸せにしないので、一時的なものと耐え忍ぶか、あるいは学校から逃げ出すことを考えてもいいでしょう。

【感想】amazonレビューを見ると、読解力がゼロの人たちから酷評されていて、著者がちょっと気の毒になる。本を普段から読んでいない人に読まれてしまうってのは、大変なことなんだなあと。

とはいえ、食い足りないのも確かではある。たとえば同じことを言うにしても、「モテ/非モテ」で考えた方が分かりやすくないかとか。本書を読む限り、カースト上位は結局はモテというに尽きる。異性との社会関係を調達できる資本を持っているというだけのことだ。
あるいは、単に「社会関係資本」を蓄積していたり調達したりできる個人がカースト上位になるというだけのことだろう。社会関係資本の調達において有力な資源となるのが、ルックスだったり運動神経などのモテ要素というだけのことだ。
そしてもちろん、社会関係資本の調達に成功すれば、人に影響を与える権力を持つことになる。人間が一人で確保できる権力などたかがしれている。単に勉強ができるとか顔がいいというだけでは、大きな力にならない。権力の本質は「数」だ。勉強ができたり顔が良かったりする「資源」を、最終的に「数」に結びつけられる人間が権力を持つ。それは学校に限らず、実社会でも同様だ。仮に低学歴でも、社会関係資本の調達能力に優れている人間は、比較的楽に生きられる。

となると、実は本質的な問題は、「どうして学校内で社会関係資本が重要になってしまうのか」という問いであり、「社会関係資本を調達する上で重要なスキルとは何か」という問いである。
前者に関しては、もはや誰も「学力」を信仰していないということがポイントなのだろう。社会で成功するためには学力よりも重要な要素があると、多くの人が気がついている。それこそが「社会関係資本」を調達し、運用する力だ。
後者に関しては、まあ、「コミュニケーション能力」などを含めた「21世紀スキル」とか「非認知的能力」ということになるのだろう。
学校が、そういう「社会関係資本の確保と運用をめぐる闘争の場」になっていると考えれば、それはまさに社会の縮図であるとしかいいようがない。それがマズいのであれば、学校は社会に開くべきではないということになる。社会の論理と完全に切り離し、単に粛々と勉強する場にしてしまえば、社会関係資本を確保する動機もなくなり、スクールカーストは消滅するであろう。それがいやなら、子どもたちに「社会関係資本を調達・運用する力」をつけるような働きかけを粘り強くしていくしかない。

鈴木翔『教室内カースト』光文社新書、2012年

【要約と感想】苫野一徳『「学校」をつくり直す』

【要約】学校は、近代社会を立ち上げるには有効でしたが、いまや時代遅れです。みなが同じ内容を同じ場所で同じペースで同じように教えるシステムが賞味期限切れなのです。これからの時代に対応するには、学びの個別化・協同化・プロジェクト化を推進しなければなりません。無理だと言う人がいますが、必ずできます。

【感想】大きな刺激を受ける本だった。
全体的には著者がこれまでの本でも主張していた内容が繰り返されている。立場にまったくブレはない。が、様々な立場の人々との対話と交流を踏まえた上で、ひとつ上のステージから丁寧なフィードバックが加えられており、さらに一回り説得力を増した感じがする。さらに地に足が着いた印象を持つ。机上の空論ではなく、現実を変えてくれそうな期待感を抱かせる。

個人的に特に刺激を受けたのは、教員養成に関する具体的な話だった。私も教員養成課程で授業を持っており、著者と立場を同じくする。大学での教員養成課程にかける著者の姿勢と具体的な授業の様子を垣間見て、大きな刺激を受ける。100人超のマスプロという苛酷な環境でもプロジェクト型の講義をやりきる姿勢に、頭が下がる。私も頑張らなければいけないと、襟が正される思いであった。以前から腹案はあったが、いよいよ今年度の後期からプロジェクト化した授業でやっていこうと、腹を据えた。
評価が「合/否」でいいという話には、激しく同意する。教員が個性的でないのに、学校や子どもが個性的になるわけがない。教職コア・カリキュラムは、天下の大愚策であるように思う。また著者が言うように、教員免許更新講習も、さっさと廃止したほうがいい。誰一人得をする人がいない大愚策だ。(まあ、どっちみちやらなければいけないのなら、少しでも有益な時間になるように努力はするのだけれども。)

専門家として気がついたのは、本書に一言も「人格」と「個性」という言葉が登場しなかったことだ。昔の本ではうっかり「人格」という言葉を使ってしまう個所があったりしたが、本書は徹底的に「人格」および「個性」という言葉を排除している。個人的にかねがね思っていたのは、教育論に「人格」とか「個性」という言葉が登場したとたんに、地から足が離れ、現実感がなくなり、ふわふわした情緒的な議論に陥りやすいということだ。本書が抽象化や一般化のワナにはまっていないのは、「人格」とか「個性」といった情緒的に分かった気になるマジックワードを完全に排除して、著者のコントロール下にある概念だけで議論を構成していることが肝心なように思う。地に足が着いているように感じるのは、本書で用いられる抽象的な概念それぞれにしっかり血が通っているからだろう。

著者と私とでは、最奥の学問的立場においては決定的な相違があるような気はしているものの、そんなものは教育と学校の厳しい現実の前では極めて些細なことだ。著者の活動を、ささやかながら応援していきたい。私も目の前の小さなことから頑張ろう。まずは前期のテストの採点だ……

苫野一徳『「学校」をつくり直す』河出新書、2019年

【要約と感想】加地健『学校を変えよう! 親の心配Q&A50』

【要約】校長先生が頑張れば、学校は変われます。

【感想】全国学力学習状況調査に唯一参加拒否した犬山北小学校の校長先生だった加地健の本なので、けっこう期待して読んだのだけど、ちょっと思ってた内容と違った。「学校経営」に関する具体的な形(たとえば校務分掌のあり方とか、中間管理職の位置づけ)にそこそこ関心があったのだけど、そういう経営論は一切なく、抽象的で精神論的なスローガンに着地しがちなのであった。特に対談相手の尾木直樹は、「日本はなにもかもダメで、外国サイコー!」という150年前から連綿と続くエビデンス無用の抽象論と粗暴な自由化論に終始して、何がしたいのか意味が分からないであった。
後半の保護者向けQ&Aは、そこそこ具体的で、教員の立場と面子を守りつつ保護者の要求にも応えようとするような、さすが校長経験者というバランス感覚が垣間見えた。こういうふうに保護者をさりげなく教育でき、教員を守ってくれる校長先生だと、学校経営全体も上手くいくのだろうなとも思ったのだった。

コミュニティスクールなどが広がり、各学校の裁量権が増え、校長のリーダーシップ次第で学校を変えられる時代になりつつある。校長のリーダーシップを考える上では、先駆的な一つの事例として参考になる本ではある。

加地健『学校を変えよう! 親の心配Q&A50』じゃこめてい出版、2012年