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【要約と感想】アルベルティ他『イタリア・ルネサンス期教育論』

【収録論文】
(1)ヴェルジェーリオ(1370-1444)「学芸について」
(2)ブルーニ(1370-1444)「諸学問ならびに文学について」
(3)アルベルティ(1404-72)「家庭教育論」
(4)ピッコローミニ(1405-64)「子どもの教育について」

【要約】子どもたちが持つ本来の特性を見極めて、早期に善い習慣を身につけさせ、悪習を取り除き、自由諸学芸を学ばせましょう。歴史や修辞学、詩の古典などを幅広く学ばせ、特に雄弁術の修得を通じて徳を身につけさせましょう。教育は早く始めるに越したことはありません。体罰はだめです。

【感想】15世紀、イタリア・ルネサンスの教育論アンソロジーなわけだが、この周辺の事情は学部生向け教育学の教科書ではそうとう手薄い印象がある。私の基礎教養が欠けているのも学部の概論でしっかり学んでいないせいだ(ということにしておこう)。
 一般論としては、ペトラルカ以来のイタリア・ルネサンスによってギリシア・ローマの古典が暗黒の中世から甦り、人文主義(ヒューマニズム)が勃興・充実・発展して、現代のリベラル・アーツ(教養主義)にまで繋がることになっている。確かに本書に収められた諸論考はギリシア・ローマの古典からの引用に満ちている。特にキケロ、プルタルコス、クインティリアヌスからの引用は飽き飽きとするくらい大量だ。というか、教育に関する考え方そのものはクインティリアヌスからほとんど進歩していないようにすら見える。古代とルネサンスの距離は、論旨だけに注目すれば、極めて近い。つまりキリスト教による影響は目につかない。
 しかし一方、ルネサンス期教育論と近代的教育論との距離は、極めて遠いように思う。ルネサンスの教育論からは、ちっとも近代的な臭いがしない。体罰禁止という主張そのものには近代的な臭いを嗅ぎ取ることもできようが、禁止の根拠はまったく近代的ではない。ルネサンス期教育論と近代的教育論が似ていないと思うおそらく最も大きな原因は「雄弁術」の位置づけだろう。ルネサンス期ヒューマニストたちが雄弁術を最大限に称揚するのは、彼らの教育論の土台がクインティリアヌスにあるのだからまったく不思議ではないというか、当たり前ではある。しかし一方彼らが拝み奉る雄弁術なるものは、近代的教育論ではほぼ完全に抹殺されている。ルネサンス期人文主義を引き継いだとされる現代リベラル・アーツでも、雄弁術そのもののトレーニングなどしない。
 近代的な教育においては、任意のテーマについて雄弁に語るより、真実を見極めること(およびその手続き)の方が決定的に重要だ。もちろんそれはガリレオ、コペルニクス、ニュートン等による自然科学の仕事がベーコン、デカルト、カント等によって帰納的・論理的・理性的・科学的な思考法に定式化されて以降のことだ。現代のリベラル・アーツも、雄弁的な素養を身につけることよりも、論理的・理性的・科学的・批判的な思考を育むことを目指している。そういう近代的な観点からすると、自然科学革命以前のイタリア・ルネサンス期の教育論がやたらめったら雄弁術の重要性を前面に打ち出してくるのは、時代背景を踏まえれば理屈では分かるとしても、少なくともその雄弁術への情熱はどう頑張っても共有できない。近現代においては、雄弁術の教育的意義は地に落ちている(まあ福沢諭吉が「演説」の重要性を説いていたことは思い出しておいても損ではないか)。
 そして個人的な研究上の関心に焦点を絞ると、教育基本法第一条でいう「人格の完成」という旧制高等学校的観念が雄弁術とどういう関係にあるかが問題となる。言い換えれば、雄弁術の伝統がキケロ的古代からイタリア・ルネサンスを経て近代以降にどう引き継がれているか。あるいは仮説として、たとえば近代的合理主義の浄化作用によって「人格の完成」という古代的・ルネサンス的観念から雄弁術の伝統が漂白され、背景と文脈を失った単なる観念あるいは理念としてより純化した、と見なすべきか。ともかく、雄弁術がリアルに政治的・法的・文化的意味を担っていた時代(たとえばキケロ的古代)であれば具体的にイメージできただろう「人格の完成」というものは、近代合理主義を経て高度に抽象化してしまった結果、現代では内容を失ってただのお題目にしか聞こえない状況になっている。かつて「教養」と呼ばれていた何かが説得力を失っているのもそのせいかもしれない。
 ひるがえって。本書収録の諸論文は、科学革命以前(というか前夜)の、雄弁術がまだ大きな権威と説得力を維持していた段階における、具体的な「人格の完成」を当然の前提とするような教育論たちだ。現代的な「人格の完成」概念に至る道筋のヒントが何かないかと思って本書を手に取ったわけだが、結果として欲しかったもの(自分のストーリーに都合の良い言質)は手に入らなかった。というか、ますます混迷の度を深め、軽い眩暈に襲われているのであった。

【個人的な研究のための備忘録】個性
 欲しかったものの一つは「個性」という概念(の萌芽)だったが、「かけがえのない個人」というものを指し示すような言葉は皆無だった。モンテーニュの段階(16世紀後半のフランス)では明瞭に見いだせる「かけがえのない私」という観念は、15世紀イタリア・ルネサンスには見いだせない。むしろ14世紀ペトラルカのほうが近代的自我を彷彿とさせるくらいだ。まあ、「ルネサンス期にはかけがえのない私という個性観念は一般論としては成熟しなかった」と、しばらくはみなしておいていいのだろう。
 一方、「様々な特性を持った個体がある」という個性観念は極めて重要な論点として前面に打ち出されている。それは古代のクインティリアヌスにも明瞭に見られる考え方で、その論理をそのままそっくり引き継いだルネサンス期教育論が同じような見解を示しているのは当然と言えば当然ではある。まあ、まずは「様々な特性」という意味での個性観念がやたらめったら表明されていることは事実として押さえておく。(とはいえそれは西洋に特徴的な現象でもなく、東洋でも伊藤仁斎などが「性」概念を論究する際に盛んに主張していたことも忘れてはならない)。だから問題は、ここからどうやって近代的な「かけがえのない私」という個性観念に繋がるか、あるいは繋がらないかだ。具体的にはモンテーニュとの関係がポイントになるか。

「各人は生まれたときからその固有の才能をたいせつにしなければなりません。(中略)生来、生まれついているものがなんであるかを熱心に窮めることがすべての人にもっとも重要なこととなります。」(V.20頁)
「ある者にとっては、親たちの期待そのもの、あるいは幼児期からの習慣が障害となります。子どものころから慣れ親しんだことはおとなになってもたやすくおこないます。そして、そのゆえにこそ生み育ててくれた親たちの技術や職業を子どもはみずから選ぶのです。われわれの教育という仕事のもう一つの障害は、生まれた土地の流儀です。われわれは、そこで生活する人びとが承認し、おこなうことを純金の財宝でもあるかのように尊重するのです。そこで、人びとはその固有の人生の方向を選択することが、非常にむずかしくなっています。」(V.37-38頁)
「ところで、才能が多様な性質をもっていることは事実です。ある者は自分の思想を論証する論点と証明を、よういになにごとのなかにでも見いだします。ある者は、それとは反対に、そのようなことには時間をかけなければなりませんが、しかし判断においてはより深くかつすぐれております。(中略)また、ある者は才能にはめぐまれていながら、ことばがさわやかでないということもあります。(中略)ついで、抜群の記憶力をもった人びとがおります。」(V.53頁)
「思弁的で実務的な二重の才能にめぐまれている者は、いずれの方向に自分がより適しているかを各自が判断することによって、のぞましいとおもわれる学問研究に専念すべきです。ついで、才能のおとっている者、つまり法律用語でいう<土地につながれた者>は、普通にはなにごとにおいてもうまくいかないようにおもわれておりますが、しかしなにか一つのことで成功することを示しております。そして場合によってはかなりの力を発揮するものです。したがって当然のことではありますが、このような人びとは、彼らにもっともふさわしいある一つの教育に専念すべきです。」(V.54頁)
すべての学習者に画一的規則をもうけることはのぞましくないし、また各自が自分の能力の状態ならびにその程度を判断すべきであることをわたしはつけくわえたいとおもいます。」(V.57頁)

「父親は子どもたちに適したことをやらせて欲しいものです。「お前の性質や才能がお前をひき寄せるところに、熱心に従い、はげみなさい」と、キケロに答えたアポロンの神託をお聞きなさい」(A.101頁)
「彼等によって、息子たちがどんな修行や徳に向いているかということを知ることは、それほど困難なことではないでしょう。」(A.102頁)
「日々、子どもたちにどんな習慣が生じるか、どんな欲望が持続するか、彼らはどんなことにしばしば関心を示しているか、何に一番熱心なのか、そして、どんな悪い欲望にとらわれやすいかを、父親は注意深く観察して欲しいと思います。そうすれば、子どもたちの、多くの明瞭な特徴をひき出し、彼らを完全に認識することができるでしょう。」(A.103頁)
「子どもが生来の傾向を何がしか示しはじめる最初の日から、彼らがどんな性向を持っているかということにあなたは気がつくでしょう。」(A.104頁)
「父親は多くの場合、子どもがそれぞれ何にむいているか、かなりよく気がつくものです。」(A.105頁)
「私たちの子どもたちの漠然とした隠れた傾向に注意を払って認めた後で、天性にしたがって彼らがひかれていた傾向に反した、新しい他の道へ彼らを矯正し、導くことが、私たちにとって、非常に困難でほとんど不可能なことではないと思うのですか?」(A.122頁)
「多血質の人は憂うつ質のひとよりももちろん恋をしやすく、胆汁質の人は怒りっぽいということでもわかるように、本来、多かれ少なかれ人間の欲望には何らかの刺激が自然に付与されているということを、おそらく私は告白しなければならないでしょう。」(A.124頁)

天性は教育がなければ盲目であるように、教育は天性がなければ不具であります。両者とも訓練をしなければあまり役に立ちません。」(P.139頁)

【個人的な研究のための備忘録】習慣
 というわけで具体的な教育方法としては、特に幼少期は子どもの「個性」を見極めたうえで、悪い習慣を抑えて良い習慣を身につけさせることがポイントとなる。

「したがって、悪い習慣は大変ふさわしく、良く作られた天性をことごとく堕落させ、汚すと言うことができましょう。時を得た良い習慣は、理性的でない欲望や不備な理性をことごとく克服し、改めます。」(A.125頁)

 このあたりの理屈や筆運びはただちにジョン・ロックの教育論を想起させるところだ。自然科学革命を経た近代合理主義であっても、「習慣」という観念や教育上の意義について変更された気配は感じない。このあたりに「人格の完成」観念の連続性を考えるヒントがあったりするか。

【個人的な研究のための備忘録】体罰
 ちなみに体罰は徹底的に非難される。このルネサンスの伝統はエラスムスにまで引き継がれる。

殴打を用いるのではなく注意するべきです。たとえ、弟子を殴るのは許されることで、クリシップスがそれを非難しなかったとは言っても、そしてまた、「成人したアキレスが故郷の山で歌った時、彼はなお鞭をおそれていた」というユウェナリスの言葉がしばしば用いられても、私にとっては、クィンティリアヌスとプルタルコスの方がずっと重要であります。彼らによれば、子どもたちは、なぐったり、鞭をあてたりするのではなく、勧告や討論により、善い生活をするように導かなければなりません。殴打は奴隷にはよくても、自由人には適しません。」(P.141頁)
殴打からは憎悪が生まれ、おとなになっても残ります。学ぶ者にとっては教師に対する憎しみ以上に有害なものはありません。」(P.142頁)

 ただし、古代のクインティリアヌスが体罰を徹底的に非難しており、それを無批判に引き継いだルネサンス期教育論が体罰を否定するのも当然というところではある。ルネサンス期の具体的な状況から帰納的に体罰否定の論理が編み出されているわけではない印象だ。

【個人的な研究のための備忘録】自由諸学芸
 教育内容としては、もちろん自由諸学芸(人文主義)が全面的に推奨される。

「手職であれ商売であれ、あるいは財産の管理であれ、なりわいのもろもろのわざに専念している人びとは、自由学芸に没頭しながらもそれをいやしいなりわいにかえてしまっている人びとと同様に、実際にはすぐれた諸習慣とはまったく反対の事柄に専念しているのです。」(V.25頁)
「卑俗な諸技術がその目的としてかせぎを快楽とを目ざすように、徳と栄光とが自由諸学芸の目的となります。」(V.34頁)

 解説では以下のようになっている。

「これはヒューマニストたちの教育論の中心的テーマである。古典的人間教養研究Studia humanitatisは、完全で統合的な人間の形成をめざし、また人間を自由人とすることをめざす。Leonardo Bruniはhominem perficiunt(人間を完成する)という表現をしている。
 この定義については、セネカ、『書簡集』(Epistola 88, 2)参照。かれによれば「なぜ自由諸学芸とよばれるかといえば、それらが自由な人間にふさわしいものだからだ」。(Quare liberalia studia dicta sint, Vides: Quia honine libero digna sunt.)とされている。
 ヒューマニストたちが、自由諸学芸の教育的価値を重視していたことが注目されなければならない。それは、自由なる人間に装飾的なものとしてにつかわしいから、自由で人間的な学芸であるのではない。それが人間を人間たらしめ(古典的人間教養研究とよばれるのは人間を完成するからだ。Humanitatis studia nuncupantur quod hominem periciant.)、人間を形成し、光へみちびく古典文学lettereだからである。奴隷の状態から自由へといざなうのは古典文学研究によってである(人間を自由にするから、それゆえに自由なのである。idcirco est liberalis, quod liberos homines facit.)。」

 しかし率直に言って、現代的な感覚から言えば、「教養」なるものは単に「装飾的なもの」に過ぎず、それによって「人間を人間たらしめる」ようなものではない。おそらく、我々現代人には既に失われた何らかの前提を設定しなければ、自由諸学芸は「人間を完成する」ものにはならない。しかしその前提は、キケロを読んでもクインティリアヌスを読んでも、もちろんルネサンス期教育論にも見出すことはできない。その前提とは、たとえば奴隷の存在のようなものだ。ルネサンス期教育論は、学問を日常生活で役に立たせることを自由人に相応しくないことだと見なしている。日常生活に役に立たないことこそ人間を人間(自由人)たらしめる。そしてその具体的な内容は、政治や裁判の場で発揮される「雄弁」だ。政治や裁判の場で雄弁を発揮することだけが自由人(完成した人間)に相応しいと言われても、現代人にはもはや何のことやらサッパリだ。だから、現代においてリベラル・アーツなるものに権威と説得力を持たせようと思ったら、古代とルネサンスの遺産に頼るだけではうまくいかない。そんなわけで、古代とルネサンスで言われている「人間」とは、「奴隷」というものの存在を前提とすることで初めて理解できる概念だということを忘れてはいけないだろう。

【個人的な研究のための備忘録】大人と子どもの区別
 大人の嗜みとしては許されるが子どもからは遠ざけておくべきもの、という観念をいくつか見ることができた。

「舞踏や愛欲をテーマにした演劇から子どもを遠ざけておくことはのぞましいことです。」(V.28頁)
「子どもの時期には、特にブドー酒について子どもが節制するようにとわたくしは申しあげたいとおもいます。」(V.29頁)
「酒飲の傾向のある子どもほど不愉快なものはありません。」(P.147頁)

 淫猥な演劇やアルコールは子どもに相応しくないと見なされていて、「教育的配慮」の存在を確認できる。アリエスによればアンシャン・レジーム期にはなかった心性のはずだ。というわけで、アリエスが間違っていると見なすか、フランスがイタリアよりも2世紀ばかり田舎だと考えるか、というところだ。

【個人的な研究のための備忘録】歴史的背景
 解説の記述について考えてみたい。

「人間の個性ならびに能力の発達をうながす条件は、中世的秩序の崩壊にともなう不安定の意識の高まりにくわうるに都市生活そのものによっても準備されることになる。」(200頁)
「都市の独自の発展に由来する地方主義regionalismの伝統と意識は今日でも顕著にみられる。イタリア人としての民族的自覚よりもさきにナポリ人でありフィレンツェ人であるとする郷土意識は、都市的伝統にもとづくものだ。これは諸都市の独自性を前提とする意識であり、また都市内部においてはそれをささえ構成する市民たちの個性が尊重された。したがって文化的諸成果も市民による個性的能力のあかしとなるものであった。」(201-202頁)
「いじょうにみたようにルネサンス期イタリア都市はそこに展開される諸現実をその所与性、一面性においてうけいれるのでなく、むしろ現実との格闘をとおしてそれをつくりかえ、選択し、展望をきりひらくように、市民たちにせまったのである。そのような環境のもとで、市民たちはその運命にかかわる自己決定や独立独歩の精神を容赦なくせまられることとなり、それを主体的につちかわざるをえなかった。そしてその反映と興亡がそこで生活する市民たちの努力と資質にかかわる都市において、市民たちの多様な個性と諸能力が社会的に重視され、またその発達を可能とするような土壌の準備がなされたことはけだしとうぜんというべきであろう。」(202頁)
「ルネッサンス期も後半にいたるとペダントリーと古代作家の模倣の現象があらわれる。しかし、これはヒューマニズムの思想からすればあくまでも派生的現象であって、けっしてその本質ではない。その理想に個性的で創造的な、しかも実践的な人間の形成がかかげられるいじょう、模倣や衒学は自己撞着であり、その否定こそヒューマニズムのもとめてきたものだったからである。つまり、キケロを読むのは外面的にキケロに似ることのためではなく、自分自身のなかにキケロいじょうの個性と可能性とを発見することをめざしたからであった。」(205頁)

 都市国家形成を重要な契機と見る視点は教科書的な記述としては問題がないのだろうが、気になるのは古代との直接的な連続性である。たとえばピレンヌテーゼによれば西ヨーロッパがローマ文化を喪失したのは7世紀中盤のイスラムによる地中海封鎖によるが、イタリア半島だけはビザンツ帝国との繋がりを保ちながらローマ文化を一定程度保存できている。また12世紀シチリア王国がイスラムやビザンツとの交流の中で文化的に栄えていたこともよく知られている。だとしたら、イタリア・ルネサンスに見られる人文主義的伝統は、解説が言うような都市国家形成と市民階級の勃興を待つまでもなく、直接的にローマ帝国からの連続性を保っていたと考えることも可能だ。
 あるいは、人文主義が中世のスコラ学とも近代のサイエンスとも異なるユニークな教育論を持っていたことにも留意したほうがいいのだろう。たとえば日本で言う本居宣長の国学のようなものだと理解したらどうなるだろうか。本居宣長は市井の活動の中から中世の漢学とも近代の洋学とも異なる別のストーリを打ち立てた。一定の平和と安定と経済的余裕という前提の下、郷土的意識という土台に立ち、学問に対する熱意と情熱が既存の制度の外にユニークな学統を打ち立てた。そういう観点から言ってしまうと、人文主義と翻訳調で呼ぶより、イタリアで「ローマ学」が流行したと考える方が個人的には落ち着いたりする。

「これ[中世スコラ学]にたいして、ひとしく古代の著作をとりあげ過去にモデルをもとめながらも、非歴史的態度におちいることなくまさに歴史を動かす主体としての自覚から未来へ目をむけたのがヒューマニストたちである。この歴史における主人公としての意識から、古典研究は人間形成、つまり教育の問題としてとらえられることになった。」(204頁)
「基本テーマはあくまで人間形成の問題であり、とくに重要なのは教育における人間の多面的把握の必要の強調とその視点である。教育における人間の本来的自然の重要性が強調され、そこから出発して具体的な個々の子どもの個性と人間としての可能性との調和的均衡的な発達の人間形成にしめる役割がくりかえしのべられている。」(205頁)

 私の読解では、ルネサンス期教育論から「歴史における主人公の意識」を読み取ることはできない。確かに「具体的な個々の子供の個性」に対する関心は極めて高いのであるが、それが「教育における人間の多面的把握」かと言われると首を傾げざるを得ない。そう見えてしまうのは、私の勉強不足が原因なのかどうか。

アルベルティ他『イタリア・ルネサンス期教育論』前之園幸一郎・田辺敬子訳、明治図書世界教育学選集81、1975年

【要約と感想】モンテーニュ『エセー』

【要約】無理せず、自然体でまったりと生きていきましょう。どうせ私は私以外の何かになれないし、別の何かになろうと思ったら必ず不幸になります。金や名誉なんかは追い求めず、手の届く日常生活の幸せを噛みしめて、平凡に生きていきましょう。無学であったとしても、善良であるのが一番です。もちろん快楽を否定してもいいことはありません。たっぷり楽しみましょう。えへへ。

【感想】怪作といって言いのだろう。長く古典として読み継がれてきた理由が、実際に読んでみればよく分かる。飽きずに最後まで読めた。
 随所に見られる「自分語り」は同時代では類がないし、ところどころのコメントが妙に現代の状況にマッチしてドキリとさせられる。最初の方は人文主義的な教養を前面に押し出しているが、やはり本領を発揮して苦笑いを誘うユーモアが増えて来るあたりからがおもしろい。「近代的自我」の萌芽を見たくなる。

【個人的な研究のための備忘録】教育と自己同一
 本編の話題は多岐に渡って興味は尽きないのだが、私の個人的な仕事に関わる教育や子育てに関わる記述はかなり多いので、これを中心にサンプリングしておきたい。当時の状況を具体的に理解する上でも貴重な証言が多いように思う。また世紀の自己語りだけあって、「自己同一」に関わる洞察も興味深い。一緒にサンプリングしておきたい。

「われわれのもっとも大きな悪徳はもっとも若年の頃につくものであるから、もっとも大事な躾けは乳母の手中にあると私は思う。子供が雛の顎をひねったり犬や猫を傷つけたりして、はしゃぐのを見て喜ぶ母親たちがある。また、ある父親は愚かにも、自分の子供が無抵抗の百姓や召使を不当になぐるのを見て、男らしい魂の兆だと思ったり、あるいはその仲間を何かの意地悪い裏切やごまかしでだますのを見て、利発だと思ったりする。だが、これこそまさに残酷や、横暴や、裏切の種となり、根となるものである。」第1巻第23章

 幼少期の教育を重視する姿勢は、エラスムスなどルネサンス期の人文主義者に共通して見られる。第1巻の段階ではモンテーニュ独自の考えというより、人文主義者に共通する観点が示されているような印象だ。

「私は子供の頃、イタリア喜劇の中で、学校の教師がいつも道化役にされ、先生という名前がわれわれの間ではほとんど尊敬の意味をもたないことをしばしば残念に思った。(中略)いや、この習慣は昔からある。現に、プルタルコスも、ローマ人の間では、ギリシア人とか学校の先生とかいう語は非難と軽蔑を意味した、と言っている」第1巻第25章
「私はあの最初の理由を捨てる。そしてこの欠陥は彼らの学問に対する態度が間違っていることに由来するというほうがよいと思う。また、いまの教育法では生徒も教師も、より物識りにはなっても、より有能にならないのは不思議ではないというほうがよいと思う。本当に、われわれの父親たちの心遣いと出費は、われわれの頭に知識を詰め込むことだけを狙って、判断や徳操のことを少しも問題にしない。(中略)われわれがたずねるべきことは、誰がもっともよく知っているかであって、誰がもっとも多く知っているかではない。」第1巻第25章
「われわれは他人の知識で物識りにはなれるが、少なくとも賢くなるには、我々自身の知恵によるしかない。」第1巻第25章
「わが国の高等法院のあるものは、法官を採用するに当たって、知識だけを試験する。また、別の高等法院はそれ以外に、何かの訴訟の判決をさせてみて、良識の試験をする。私は後者の方法がずっとすぐれていると思う。」第1巻第25章

 詰め込み教育を批判して判断力や道徳性を養う教育を推奨する上に実技的入試方法を評価するところなど、現代の状況を想起せざるを得ない記述だ。このあたりから一般的な人文主義者と袂を分かっていく感じか。この姿勢は次の世紀のジョン・ロックで明確な表現を持つようになる。
 ただ、モンテーニュがキリスト教的な反知性主義の伝統を引き継いでいるだろうことも間違いない。トマス・ア・ケンピスとかイグナチオ・デ・ロヨラなどガチンコのキリスト教反知性主義の他にも、ルネサンスの元祖ペトラルカやエラスムスにも似たような姿勢を確認できる。モンテーニュが16世紀当時の状況を踏まえて実践的に考え付いたことなのか、あるいはペトラルカやエラスムスの範に従った修辞学に過ぎないのかの評価は、なかなか難しい。

「けれども実を言うと、私がここで申し上げたいのは、人間の学問のうちでもっとも困難で重大な問題は子供の養育と教育にある、ということにほかなりません。」第1巻第26章
「この世界こそは、われわれが自分を正しく知るために自分を写して見なければならぬ鏡であります。要するに私は、これが生徒であるお子様の教科書であるようにと望むのです。」第1巻第26章
「なおまた、この教育は優しさの中に厳しさをこめておこなわれるべきであります。普通、学校でおこなわれているようではいけません。学校では子供たちを学問へ誘うかわりに、実際には恐怖と残酷を与えるだけです。暴力と強制をやめてください。」第1巻第26章
「まず勉強の意欲と興味をそそることにまさるものはありません。さもないと書物をむやみに背負わされた驢馬が出来上がるだけです。」第1巻第26章

 モンテーニュは暴力一般に対する嫌悪感を前面に打ち出しおり、もちろん子どもに対する体罰も厳しく批判する。これもエラスムスなどルネサンス期人文主義の教育論に共通している。また意欲と興味を重視する観点も共有している。
 しかし教育課程に対する考え方については人文主義と大きく異なっているように思う。人文主義がギリシャ語やラテン語などの教養を最大限重要視するのに対し、モンテーニュは現実世界の在り様を重視する。その根拠については全編を通じても明らかにできないが、なんとなく自然科学の発展(コペルニクスへの言及はある)と新大陸発見(何か所かに言及がある)が関係しているような気はする。目の前で世界の在り方が大きく急激に変化している最中に、古典語よりも目の前の「世界」そのものを注視しようとする姿勢が説得力を持つはずではある。

「けれどもわれわれの習慣や意見が本性上、不定であることを考えると、私にはしばしば、すぐれた著者たちまでが人間について恒常不変な性格を打ち樹てようとやっきになるのは間違いであるように思われた。(中略)私にとっては、人間の恒常を信ずることほど難しいものはないし、人間の不定を信ずることほど易しいものはないように思われる。」第2巻第1章

 後に自分自身は恒常であると主張するモンテーニュだが、第二巻ではむしろ変化の方に傾いている。まあ、そもそもエセーは矛盾だらけの本だ。

「われわれは人を誉めるのに、子供の教育に熱心なことを取り上げはしない。いくら正しいことでも、当たり前のことだからである。」第2巻第7章

 どうやら16世紀には「子供の教育に熱心」なことは「当たり前のこと」だったようだ。重要な証言だ。

「たとえば、いま話している事柄についてもそうですが、生まれたばかりの子供を抱きしめる愛情というものが、私には理解できません。生まれたばかりの子供は、心の動きも体の形も見分けがつかず、どこにも可愛いと思わせるものをもたないからです。(c)ですから私は、彼らが私のそばで育てられることを喜びませんでした。(a)本当の正しい規律ある愛情は、われわれが子供たちを理解するのと同時に生まれて増大すべきものであります。」第2巻第8章
「私は、幼い精神を名誉と自由に鍛えようとする教育においては、あらゆる暴力を非難いたします。厳格と強制には何かしら奴隷的なものがあります。また、理性と知恵と巧妙によってなしえないものは、暴力によってはけっしてなしえないと考えます。」第2巻第8章

 子どもが可愛くないという主張は、実はキリスト教的原罪観からすれば不思議でもないし、中世に同じように子どもをクサすような詩があったことがホイジンガ『中世の秋』でも報告されているが、現代的な観点からは少々意表を突かれる。
 また改めて体罰を否定している。よほど嫌いなのだろう。

「同じ学校と同じ教育からでさえ、これよりも画一で一様な行為が出て来ることがありうるだろうか。」第2巻第12章
「最後まで徹底的に戦う闘技士を訓練する厳しい学校では、次のような宣誓をさせるのがきまりだった。(中略)それでもある年にはこの学校に入って命を失った者が一万人もあった。」第2巻第12章
「人間を害する病毒は、人間が自ら知識があると思うことである。だからこそ無知はわれわれの宗教によって、信仰と服従にふさわしい特性として、あれほどに讃えられたのである。」第2巻第12章
「神の知恵を知るのは知識よりもむしろ無知を介してである。」第2巻第12章
「ある人々は、「ある一つの、母体のように大きな、普遍的な精神があって、すべての個別的な精神はそこから出て行き、そこに帰り、この普遍的なものと常にまじり合う」と言った。」第2巻第12章
「三千年もの間、天と星とが地球のまわりを運行し、皆もそう信じていた。(中略)今日ではコペルニクスがこの説を立派に根拠づけて、あらゆる天文学の結論に正しく利用している。われわれがここから学ぶべきことは、二つの説のどちらが正しいかなどと頭を悩ましてはならないということではないだろうか。それに、これから千年後に第三の説が出て前の二つの説を覆さないとはだれにも保証できないのである、」第2巻第12章
「ところが、今世紀になって、一つの島とか一つの地域とかいうものでなく、われわれの知っている大陸とほとんど同じくらい広い、果てしもなく大きな大陸が発見されたではないか。」第2巻第12章
「われわれは愚かにもある一つの死を恐れているが、すでに多くの死を通過し、また別の多くの死を通過しつつあるのである。実際、ヘラクレイトスが言ったように、火の死滅は空気の誕生であり、空気の死滅は水の誕生であるばかりでなく、同じことはもっと明白にわれわれ自身の中に見ることができるのである。花の盛りの成年期が死んで過ぎ去ると、老年期がやって来る。青年期が終わると盛りの成年期になり、少年期が終わると青年期になり、幼年期が死ぬと少年期になり、昨日が死んで今日になり、今日が死んで明日になる。何一つとして同一のままでいるものはない。」第2巻第12章

 エセー中最大の分量を誇る「レーモン・スボンの弁護」の章だ。一般的に懐疑主義の観点で言及されることが多く、確かに懐疑派セクストゥス・エンピリコスからの引用も見られる。東洋的な無常観の表現も目立つが、これは古代ローマのオイディウスにも見られる考え方だし、実際にモンテーニュも引用している。またルクレティウスが極めて頻繁に引用されていることも目を引く。ルクレティウスはエピクロス派の唯物論者だ。また通奏低音としてキリスト教的反知性主義の考えが響いている。このあたりがモンテーニュの死の4年後に生まれるデカルトの懐疑に引き継がれているかどうかは興味深いところだ。
 教育学的な観点からは、アリストテレス的権威とか人文主義的全能感から完全に距離を置いているところが注目か。この懐疑の姿勢は、エセー全編で繰り返される日常生活に関わる実践的な道徳性を重視する姿勢と響き合っていて、まだデカルト懐疑的な科学主義には繋がっていかない。

「さて、我が国の教育が愚劣であるという問題に戻ろう。わが国の教育はわれわれを善良で賢明にすることではなく、物知りにすることを目指して、その目的に到達した。われわれに徳と知恵を追いかけ、抱きしめることを教えずに、それらの語の派生と語源をたたき込んだ。」第2巻第17章

 全編を通じて見られる教育に対する考え方がここでも繰り返されている。モンテーニュは知識の詰込みを批判し、日常生活を豊かにする道徳性を重視する。

「われわれの肉体の病気や状態は、国家や政体の中にも見られ、王国や共和国も、われわれと同じように、生まれ、花咲き、年老いてしぼむ。」第2巻第23章

 有機体論的国家観の表現があったのでサンプリングしておく。

「(a)プルタルコスはいたるところがすばらしいが、人間の行為を判断しているところは、とくにすばらしい。リュクルゴスとヌマを比較した箇所で、子供の教育と監督を父親に任せておくことがきわめて愚かであると言ったのは見事である。(c)アリストテレスも言っているように、たいていの国家は、キュクロプスたちのように、妻や子供の指導を、男の愚かで無分別な気まぐれに任せている。子供の教育を法律で規定したのは、せいぜい、ラケダイモンとクレタ島の国民くらいである。(a)国家のすべては子供の教育と養育の如何にかかっていることを知らない者があるだろうか。にもかかわらず、人々はこれを実に無分別にも、親の気ままに任せている。親がどんなに愚かで悪者でも一向にお構いなしである。」第2巻第31章

 「じゃあ誰に子どもの教育を任せるんだ」という疑問にモンテーニュは答えてくれない。この章は「怒り」について扱っていて、教育の話は冒頭に出て来るだけだ。とはいえ、教育を「法律で規定」することが良いことだと考えているらしいことまでは伺うことができる。

「だが、われわれの精神や学問や技術が考え出したものに対しては不信をいだいている。われわれはそれの肩を持つあまり、自然と自然の掟を捨て去って、節度と限度を守ることができなくなっている。」第2巻第37章

 この表現は即座にルソーの学問芸術論や自然主義教育を想起させる。モンテーニュがルソーにどの程度の影響を与えているかも気になるところだ。

「すべてのものがたえず動いている。台地も、コーカサスの岩も、エジプトのピラミッドも、世界全体の運動とそれ自身の運動で動いている。恒常不変ということさえ、やや緩慢な動揺にすぎない。私は私の対象[である自己]を確定することができない。それは生れつき酔っ払って、朦朧と、よろめきながら歩いている。」第3巻第2章
「世の著者たちは自分を何かの特別な珍しいしるしによって人々に知らせる。私は、私の全存在によって、文法家とか、詩人とか、法曹家としてでなく、ミシェル・ド・モンテーニュとして、人々に自分を示す最初の人間である。」第3巻第2章
生れつきの傾向は、教育によって、助長され強化されるが、改変され克服されることはほとんどない。今日でも、何千という性質が、反対の教育の手をすりぬけて、あるいは徳へ、あるいは不徳へと走っていった。」
「もしも、自分自身に耳を傾けるならば、自分の中のある特有な支配的な本性が、教育に対し、あるいは、この本性に反する様々な感情の嵐に対して、戦っているのを発見しない人はない。」第3巻第2章
私の判断は、いわば誕生以来、常に同一で、同一の傾向と同一の道筋と同一の力をもっているからである。世間一般の意見については、私は子供のときから、常に私の留まるべき場所に落ち着いている。」第3巻第2章
「うぬぼれるわけではないが、同じような状況の下では、私はいつでも同一であろう。」第3巻第2章

 ここに見られる描写は、もう個人的には「近代的自我」と呼んでみたくなる。肩書きなどには左右されない、一貫した性格としてのわたし。
 そして私の一貫性に対して、教育なるものが無力であるという描写にも注目すべきか。いわゆる「氏か育ちか」論争で、モンテーニュは氏の方に軍配を上げている様子だ。ただし似たような考えはクィンティリアヌスにも見られる。

「われわれは女性を子供のときから恋愛に奉仕するようにと仕立てる。彼女らの魅力や衣装や知識や言葉等、すべての躾けはこの目的だけを目指している。彼女らを躾ける女の家庭教師たちは、恋愛に対して嫌悪の念をいだかせようと絶えず言いきかせながら、かえって恋愛の姿だけを心に刻み込む。」第3巻第5章
「さて、書物を離れて、実質的に、単純に語るならば、恋とは結局、(c)望ましいと思う人を(b)享楽しようとする渇きにほかならない。(中略)ソクラテスにとっては恋愛は美を仲介とする生殖の欲望である。」第3巻第5章

 「恋愛」に対する即物的な見解が示される章だ。ここで表現されている「恋愛」の中身が近代的な自由恋愛を指しているかどうかについては十分な注意を要する。さすがルクレティウスの徒だ、とでも言っておくべきところか。隠語として「ウェヌス」を使い、連発するところは、なかなか滑稽だ。

「われわれは大砲や印刷術の発明を奇跡だなどと叫んでいたが、世界の別の端の支那では別の人々が千年も前からそれを使っていたのである。もしもわれわれが世界について見ていないのと同じ分量だけのものを見ることができたら、おそらく、事物が絶えず増加し変化することを認めるにちがいない。自然にとって唯一のもの、稀有なものは一つもない。」第3巻第6章

 物事が常に変化するというオイディウス的なものの見方が繰り返されている描写だが、「印刷術」というテクノロジーに対する見解が示されているところなのでサンプリングしておく。

「アテナイ人は、いや、ローマ人もそうだが、学校で話合いの練習をすることを大いに重んじた。現代ではイタリア人がいくらかその跡をとどめ、それで大いに得をしている。」第3巻第8章

 第3巻第8章「話し合う方法について」は、論破を良しとする現在の風潮に対しても有効な見解を示しているが、もちろんモンテーニュにとっては宗教改革に伴う世界の分断が念頭にあるだろう。ともかく人間は進歩しない。

「子供のない境遇にもそれなりの幸福はある。子供というものは、それほど強く欲するのに値しないものの一つである。特に子供を立派に育てることがきわめてむずかしい現代ではそうである。(中略)(b)だがそれでも、一度子供を得たあとに失くした人にとって、それが哀惜に値するのは当然である。」第3巻第9章

 なんだか現代のSNSに書いてあっても違和感のない表現ではある。が、モンテーニュが同時代を「子供を立派に育てることがきわめてむずかしい」と理解していたことには注目しておきたい。知識中心主義の詰込み教育によって日常生活を豊かにする道徳教育がないがしろにされている風潮を憂いていると考えていいところか。

ソクラテスについて「彼はまた常に同一であった。一時の衝動からではなく、性格から、もっとも逞しい人間性にまで自己を高めた。いや、もっと正しく言えば、何も高めなかった。むしろ、すべての強さ、激しさ、困難さを、自分の本来の自然の程度にまで引きおろして服従させたのである。」第3巻第12章
「われわれが安穏に生きるためにはほとんど学問を必要としないソクラテスも、学問がわれわれ自身の中にあること、それの見いだし方と用い方を教えている。自然にそなわる能力を超えた能力はすべて、むなしいよけいなものだと言ってよい。」第3巻第12章

 このソクラテスは、プラトンの描くソクラテスではなく、クセノフォンの描くソクラテスだ。政治家としての業績もある実践的なモンテーニュは、観照的なプラトンよりも実践的なクセノフォンんのほうに親和的なのだろう。一方、ここで同一(アイデンティティ)の表現が現れることにも注意しておきたい。

「子供らを育てる仕事は自分で引き受けてはいけない。いわんや、妻になどまかせてはいけない。庶民の、自然の掟の下で、運命が子供らを作り上げてくれるのに任せるがよい。習慣が粗食と艱難に鍛えてくれるのに任せるがよい。」第3巻第13章

 これも直ちにルソーの自然主義教育を想起させる表現だ。というか、『エミール』の要約みたいになっている。ルソーが影響を受けたかどうかだけでなく、モンテーニュによって読者層の側にルソーを受け入れる準備が整っていた可能性も考えていいのかもしれない。

モンテーニュ、原二郎訳『エセー(一)』岩波文庫、1965年
モンテーニュ、原二郎訳『エセー(二)』岩波文庫、1965年
モンテーニュ、原二郎訳『エセー(三)』岩波文庫、1966年
モンテーニュ、原二郎訳『エセー(四)』岩波文庫、1966年
モンテーニュ、原二郎訳『エセー(五)』岩波文庫、1967年
モンテーニュ、原二郎訳『エセー(六)』岩波文庫、1967年

【要約と感想】アルベルト・レーブレ『教育学の歴史』

【要約】ドイツの教員養成課程で教育史の基礎知識を身につけるための教科書です。単に人名を並べて個々の思想を解説するのではなく、背景にある精神文化生活についての深い洞察を土台として、一貫した観点から教育思想の展開を叙述します。
 古代ギリシア・ローマから始まり、中世とルネサンス・宗教改革を経て、バロックと啓蒙思想あたりまでは西ヨーロッパ全体の教育思想の展開を見ていきます。一転して18世紀古典主義・理想主義から産業化を経て20世紀に至るところでは、ドイツ語圏の教育思想に記述の焦点が当たり、イギリスやフランスはほとんど参照しません。

【感想】やはり定期的に教科書的な通史のようなものは読んでおいた方がいい。モノグラフは確かに個々の観念の解像度を格段に上げてくれるが、個人的な興味関心の全体像を俯瞰しながら個々の観念の位置を調節するためには解像度が低くとも教科書的な通史が大きな役割を果たす。
 もちろん個別的な思想に関してもとても勉強になった。特に汎愛派がコテンパンに批判されているところは「へぇ~」連発だった。さすがドイツ人がドイツ人向けに書いている教科書だけあって、日本人が記述する西洋教育史ではここまでこき下ろすことは難しそうだ。

【個人的な研究のための備忘録】古代の個性と人格
 個人的にとてもありがたかったのは、著者が「個人性と普遍性」について満遍なく配慮して記述を進めてくれた点だ。というか、本書が書かれた時期にはまさにそれこそが教育学(および人文科学全体)が解明すべき論点として共通の理解となっていたはずだ。しかし現在では多様化した論点が多方面に拡散して、もはや「個人性と普遍性」という観点から問題が立てられることがない。まあ、私が古い論点にこだわって研究をしているということなのだが、しかしこれが本質を捉えていると信じて研鑽を続けるしかない。というわけで、「個性」という概念に注目してサンプリングをしていく。

「アテネにおいては紀元前約400年頃にはじめて、高等教育理念が既存の義務教育では満足がいかないほどに発展し、その後特に紀元前四世紀に入って二方向に分かれて展開していく。すなわち、一方は(ソフィスト達の)実際生活上で用いる修辞学(詭弁術)の方向であり、他方は(ソクラテスープラトンーアリストテレスの所謂アカデメイア学派の)哲学的、学問的方向である。」32-33頁
「この合理主義者たちは自らを、それらを教える義務を果たす者とはみなしていなかった。彼らは七科(三形式科目:文法、弁論術、修辞学と四内容科目:算術、幾何学、天文学、音楽)を教えたが、これらの諸科目は西洋の近世にまで及んで一般高等教育の骨格となり、初等教育と職業教育の中間に位置して、普通高等学校の特別な基本教科目となった。」35頁

 まずソフィストを起源とする修辞学の伝統が近世にまで及ぶ射程を持つことが、しっかり教科書的な記述になっていることを確認しておきたい。「人間の尊厳」という観念の考古学を深めようという場合、古代の修辞学や雄弁術は常に参照の対象となる。

「しかし、その際に十分注意すべき点は、ここで言うところの「人間的なもの」とは未だ今日言うところの個性の意味ではなく、「型」[ここに原文傍点]としての、換言すると、国家共同体の構成員、都市国家の市民を意味しているという点である。/特に古代ギリシア初期において、個人はまだ共同体の生活秩序に強固に組み込まれていた。」22頁
「ソクラテスはこの道徳的・自主的人格を全ての共同生活の核心と見なして、人間が第一義的には国家市民ではなくて、人間である、ということを強調した。」39頁
プラトン「このようにして、彼の国家は成文化された法律によるのではなく、修練に基づいた教育を根拠にした理想国家を意味している。しかもその教育のうちでも哲学こそが最高の教育力であり、プラトンにとって哲学研究とは、いわば仮象を超克して万物の原像を観照するための極めて人間的な努力に他ならない。」43頁
アリストテレス「そして人間にとって自己自身に関する継続的な仕事、すなわち人格形成[原文傍点]が彼にとってもまた重要な課題であったことは言うまでもない。」46頁
「そもそも国家の存在意義は、万人が個性の伸長や完成を目指すと共に狭義の道徳的共同生活の実現を可能にすることにある。このような観点からすると、個性の完成と家庭生活は国家にとっての必要不可欠な基礎となる。」47頁
「後期ギリシア文化期の特徴は、ソクラテス、プラトンに端を発し、アリストテレスにおいてさらに顕著となった超国家的、普遍的人間の出現にあった。今や誰もが自覚的な「世界市民」であり、もはや単に一ポリスの市民ではない。この時期には文明と都市文化が見事に開花し、人類の概念や独自な個性の分野が自然発生的集団(家族、種族、民族)以上に高く評価されるようになった。」50頁
「しかし、同時に集団作業や世界市民的考え方と共に個性的、人格的なものに対する特別な関心、すなわち、顕著な個人主義もまた成長してきた。」51頁

 「個性」という言葉が連発されて、とても気になる。というのは、プラトンやアリストテレス自身は「個性」という概念をストレートには表現していないように思うからだ(だから著者の過剰な投影の疑いもある)。たとえばプラトンが探究する「善のイデア」の前では人間個人の差異そのものが最初から問題にならない。そもそもイデアとは個物の差異性を捨象する普遍性そのものだ。また一方プラトンとは逆に個物の唯一性に着目したアリストテレスも、エネルゲイアとかエンテレケイアとかエイドスなどという考え方に見られる通り、普遍性を看過しているわけではない。アリストテレスの詩論や雄弁論(同じものはテオプラストスの性格論に見られる)に確認できる個々人の差異的な性格描写についても、それぞれの個人の「かけがえなさ」にはまったく配慮しておらず、一般的な性格描写として理解できるものだ。そういう観点から、本書が古代ギリシア思想を評して「人格形成」とか「個性の完成」と呼ぶものがいったい何なのかは、鵜吞みにしないで突き放して考えておく必要がある。

キケロ「そのような両者の統一的総合形態の内に彼が追求したものは最高の人間性であった。その意味でキケロこそが、その後2000年に亘って重要な教育理想として尊重された人文主義的な教育理念を最初に明確に理解し根拠づけた人物と言える。(中略)キケロの求めた理想は全人(ganz Mensch)教育に他ならず、彼にとって全人とは真の政治的・国家的思考に養われ、包括的な専門的知識に精通して、内的文化や哲学的教養も豊かでなければならなかった。」60頁

 確かにキケロの後の世への影響は絶大だ。特にルネサンス期の「人間の尊厳」にダイレクトに結びつく雄弁術の伝統を考える上で無視するわけにいかない。しかしおそらく忘れてはならないのは、ポジとしてのカエサルに対してネガとしてキケロがいる、という全体理解だろう。キケロだけ取り出して云々し始めると、おそらく何か大事なものを取りこぼすことになるような気がするのだ。ともかく、キケロについてはアウグスティヌスからルネサンス期に至る評価を念頭に入れて位置付けていくしかないわけだが、「個性」という概念が明確になったと見なすこともできない。キケロに個性概念を見出すのは後知恵による過剰な投影ということになるだろうし、それでも一方で重層的な個性概念の基底的な層の一つであることも確かなのだろう。端的な評価が難しい。

【個人的な研究のための備忘録】中世の有機体とルネサンスおよび宗教改革の個性
 本書の中世理解は、完全にゲルマン民族中心主義的である。その偏りはベルギーの歴史家ピレンヌによって完膚なきまでに批判されており、それを著者も多少は気にしているのか、少々奥歯にものが挟まったような表現も見当たる。とはいえ中世理解は本書において致命的な論点ではなく、もちろん主たる問題はルネサンスと宗教改革の評価と位置づけにある。本書は、中世の有機体的世界観の下では「個性」という考え方がまったく見られなかったが、ルネサンスと宗教改革によって浮上したと明確に評価している。教科書的にはそれで問題ない。

「それと同時に中世というこの時期――この時期の個々の変化や特徴も決して無視されてならないことは言うまでもないが――を支配する統一体も形成されて行く。すでにこの中世期にロマン主義が早くも大規模な「有機体」について言及しているが、事実あらゆる領域で大規模な統一的生活秩序が明らかになってくる。すべての現象が巨大な全体的統一体に組み込まれてくる。」73頁
「またそのような力は人間を決して画一化することはないが、しかしまた個々人の個性を主張することもない。換言すると、そのような統制的に働く力は決して個性的なものではなく定型なのである。個性的なものはこの中世的生活形態においてはまだ言わば自己覚醒までに至っていないそれは後のルネサンスに入って初めて生じてくるのである。」74頁
「もちろん、学問の独立の意義は、人間が自己と世界に対して獲得する新しい位置を認識するときに初めてより深い意味で理解される。すなわち、今や単に理性の自律のみならず、個人の自我の自律を求める努力が目覚めてくる。中世期の強力な[宗教的]絆からの解放を求めた人間は、今や最も深い意味で自己への回帰を願望し、全く新しい方法で自己自身と世界を見出した。彼は自己をまさしく自我として、個性として発見し、今や初めて世界をも真に認識するようになる。」94頁
「しかし、既にこの個性の視点は中世期に際立って存在していたことも明らかなことである。主として規格品の作成の場合ではあったが、それでも独自の作品が誕生し、けっして個性的特徴を欠いていなかった。だが今や人間は個性ある存在の新しい立場を獲得した。個性的であることとは、もはや単なる客観的事実ではなく、喜びに満ち溢れた内的体験であり本来の生活理想である。中世期には個人は服装、生活態度、生活様式、心術などにおいて、自己の所属する集団と違ったり目立ったりすることを躊躇し、自らの社会階層に強固に組み込まれていたが、ルネサンス期に入ると、人間はまさしく個性としての承認と名誉を求めた。」94-95頁
「宗教改革は既に概略したように生活全体の大規模な変化との密接な関連性において考察しなければならないことが判明する。事実、今や宗教改革を通して宗教の領域に生じた個性のより深い自主独立への自覚はさらに一般的傾向となり、伝統の呪縛や中世の強固な秩序からの解放に向けての奮闘努力が出現してきた。」107頁

 本書は「個性」の目覚めに関して、なんとなくルネサンスよりも宗教改革の方を高く評価しているわけだが、それはドイツ人の偏った見方だと考えていいところかどうか。あるいはルネサンスは焦点がぼやけているが、宗教改革は論点が明確になっているということだろうか。

【個人的な研究のための備忘録】バロック・啓蒙期の普遍性志向
 そして17世紀に入ると、個性的なものに対して普遍的なものの見方が優勢になったという記述が見える。もちろん教科書的にはそうなるだろう。

「今や自律的思考や探求の原理が活発に活動し始める。この原理は既にルネサンス期に根づいていたが、具体的、個人的なものへの関心が強烈であったために妨害されていた。十五、十六世紀には思考は伝統の外的権威から解放されていたが、十七世紀になって初めて世界の普遍的法則性が本質的なものとして把握された。教会や国家の領域においてまた今や学問の領域においても、個性的なものは後退し、普遍的なものが前面に現れてきた。」144頁
啓蒙期「もちろん、この時期を(ヨエルに従えば)「個人的」と呼ぶことはできない。なぜなら合理主義とは個々人における一回性や演繹不可能性に注目するのではなく、万人に共通する法則性に注目するものだからである。合理主義とはまさしく個人を「個体」として評価するが、「個人格」としては評価しない。しかし、合理主義の関心はもっぱら人間にあり、しかも種としての人間個々人のあるべき典型に向けられており、そうして合理主義はまさしく合理的手法で自らの自律性の根拠づけを試み、理性の名において人間に自由と尊厳を約束する。」181-182頁

 ただし問題になるのは、デカルト、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツを本当に「個性より普遍」を志向した思想家と理解していいのか、というところだ。確かに科学的な考え方(特に空間の無機質的同質性)を踏まえると、普遍的なものの見方が優勢に見える。しかし例えばデカルトの「我思うゆえに我在り」という著しく個人的な主観から始まる哲学は、もちろん最後には人間理性の平等性に行きついて個人性というよりは普遍性を土台とする考え方に落ち着くのだが、丁寧に見ていくと単純な普遍主義と見なすことには躊躇したくなる。ここには後の「個性」概念に繋がるような何かしらの種が撒かれていないか。丁寧に考えていきたいところではある。
 そしてこの時代は、ドイツ人といえどもロックとルソーを無視して議論を進めるわけにはいかない。

ジョン・ロック「そして子どもにとって生き生きしていることと同様に、個性的であることもまた高く価値づけられる。(中略)この個性教育論が取り上げられたのは、ロックが家庭教師による教育を好んだためでもある。」196-197頁
ルソー「「自然教育」は、また教育目標に関して、なによりもまず普遍的な人間性を優先してあらゆる特殊な観点、すなわちすべての政治、社会、職業などの上位に根本的に位置づけられている。この普遍的な人間性に対する視野のために特殊的な観点を排除したことはルソーの革命的な業績であり、この業績こそが啓蒙主義を超克し、啓蒙主義の実用的、市民的有用性を目指す考えを遥かに乗り越えていることの証に他ならない。そしてこの普遍的人間教育の思想はその後、ゲーテの時代になって初めて完全な成果を見ることになる。」210頁

 本書では、ルソーはロマン主義の先輩のような位置づけを与えられている。まあ、教科書的にはそれでまったく問題ないだろう。ただ、ルソーには汲めども尽きぬ紛れが多すぎて、丁寧に考え始めると手に負えなくなってくる。

【個人的な研究のための備忘録】古典主義・理想主義の個性
 そして18世紀に入ると、本書は怒涛のドイツ人思想家ラッシュになる。もはやイギリス人やフランス人思想家には目もくれない。そして実際、確かにこの時代のドイツ人教育学者が果たした役割は極めて大きい。そして本書がドイツ人によって書かれたこともあるのだろうか、ここからの記述は私の知らないことが多く(いや単に私の勉強不足のせいか)、とても勉強になった。
 まず「疾風怒濤」については、もちろん日本人による西洋教育史概説でも無視されるわけではないが、本書の記述はやたらと躍動していた印象だ。ここで「個性」という言葉が連発される。

「この若者たちが埋もれていた非合理性を発見することによって、彼らはまたルネサンスが既に持っていた個性への眼差しを再び獲得した。(中略)――啓蒙主義からは本気にされなかった――民衆詩、民衆歌、神話、童話は、今や自然のままの真の芸術として見いだされ、民族の個性を特徴づける表現として称賛された。というのも「個性」は単に個人の個性であるだけでなく、また集団の個性としても評価されるからである。」239-240頁
「したがって今や真実な人間性の要請として浮かび上がってきたことは、他方ではけっして思考する理性や抽象的な道徳律だけを認めるのではなく、その自分の存在全体を尊重することであった。これによって啓蒙主義が布告された人間の尊厳と個性の自律という理念は進化するのである。」240頁
「同様にこの古典主義の時期は自由と法則の総合、すなわち人間の個性的なものと超個性的なものとの総合を目指している。(中略)その際『理念』は歴史的特殊を超えた理性的普遍性としてではなく、特殊なものにおける普遍性として理解されている。」243-244頁
「この運動は、文学や哲学にとってと同様にまた教育思想にとっても大きな意味を持っていた。すでにあげた一般的特徴からも認識できるのは、人格教育こそがこの運動な主要関心事の一つであったということである。この運動がその有機的世界像から本来の意味で初めて「形成」(Bildung)の概念を想像しドイツ語で普及させた。」247頁

 注目したいのは、ここからいきなり「民族の個性」についての記述が登場するところだ。実際、フランス革命以降にドイツ・ナショナリズムが激しく燃え上がることは世界史の一般常識ではあるが、この点が「個性」や「人格」概念の展開を考える上でも極めて重要だという印象を改めて深めた。「人間の個性」という概念の浮上は、おそらく「民族の個性」という概念の浮上と並行している。あるいは「国家主権」という概念の浮上と「人格」という概念の浮上も。疾風怒濤の探究を進めなければと思った次第。

「ジャン・パウルはヘルダー以上に教育目標の個性化をおこなった。彼の確信していたところによると、各人は誕生から定められた個性的理想像を持っており、教育はこの「価値ある人間」を自由にすること以外に何らの関係も有しない。」262頁
「ジャン・パウルの教育理論を特徴づけていた個性の原理は、ヴィルヘルム・フンボルトでは、なお一層際立たせられる。」263頁

 不勉強にも名前しか知らない教育学者だが、ここまで評価されていたら読むしかない。

「すでに『独語録』では、シュライエルマッハーはまさしく教育(Bildung)の問題を、特に自己教育の問題を追及している。その際、特に強調しているのは、個性を目指した人間教育であり、「誰もが独自の方法で人間であることを表現すべきである」としていることである。」285頁
「教育の全体目標は次のような両極的対極の中で把握される。教育は一面において人間を純粋に個人的生活圏内から導き出して、客観的全体性に能力を与えることができるように教え導くべきである。シュライエルマッハーが極端に言っているように、すなわち人間を学問、国家、教会、共同体に「引き渡す」べきである。他方、教育は人間を未発達で何物にも染まらない個人から彼本来の個性的人格をつくり出し、すなわち個性を形成すべきである。この二つの課題は種々の矛盾を孕みながらも、すべて対立しているにもかかわらず、二つの異なる大きな教育的課題の二面にすぢないのであり、それらはじょじょにさらに次第に遠ざかるに過ぎない。両者とも他方を抑圧してはならず、もしそうすれば、自ら被害を受けることになるであろう。なぜならはっきりした個性だけが完全な意味で生活全体に奉仕することができるからである。」290-291頁

 シュライエルマッハーは明治期日本教育界でも頻繁に言及される学者だ。日本の教育学への影響を考える上でもしっかりやっておかなければという認識を新たにした。勉強すればするほど勉強すべきことが増えていく。

アルベルト・レーブレ、広岡義之・津田徹訳『教育学の歴史』青土社、2015年

【要約と感想】アンリ・ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生―マホメットとシャルルマーニュ』

【要約】ヨーロッパの歴史において、ゲルマン民族侵入はこれっぽっちもたいしたことがありません。ドイツ人たちはゲルマン民族の力を不当に過大評価しすぎていますが、完全に間違いです。ゲルマン民族はヨーロッパの文化の発展に対して微塵も貢献していません。ゲルマン民族は単に移動してローマの文化に染まっただけでした。ローマ時代に発展した行政・司法・経済・文学などはゲルマン民族侵入後もそのまま保たれ、学校制度や識字能力も失われていませんでした。たとえば具体的にはメロヴィング朝にはローマの経済・精神生活が色濃く残っていました。
 ところがカロリング朝に入ると、まったく様相が変わり、ローマの経済・精神生活は見る影もなくなります。というのは、勃興したイスラム教が地中海を封鎖したことによって古代以来の通商ルートが完全に失われ、ローマ文化を維持するために不可欠だった商品の流通が途絶えた上に、人や情報の交流も断絶したからです。教育は行われなくなり、リテラシーも失われました。西ヨーロッパは商品経済から土地中心経済へと急速に衰退し、教育や行政に教会の聖職者が入り込んできます。カール大帝の戴冠とは、古代ローマ文明が完全に失われ、政治・経済・宗教・教育の閉じたシステムとして中世ヨーロッパが誕生したことの象徴です。

【感想】個人的には、納得感が半端ない。バラバラなピースが全部びしっとあるべきところに嵌まり込むような爽快感を覚える快作だ。具体的なバラバラのピースとは、地中海貿易、ゲルマン民族大移動、西ローマ帝国滅亡?、ボエティウスの学識、学校と識字の消失、ビザンツ帝国の役割、ルネサンスに至るイタリア半島の文化的意味、カール戴冠の意味、中世ヨーロッパにおける教会権力といったところだ。これらの諸要素を見事に一つの世界観に収めてみせる理屈には惚れ惚れとするしかない。まあ、もちろんドイツ人は納得しないだろうし、なるほど細かい実証レベルの話も含めて賛否両論もあろうかというところだが、このピレンヌテーゼに対して個人的には賛の側につきたい。

【個人的な研究のための備忘録】識字と教育
 ヨーロッパのリテラシーと教育を考える上で看過ならない記述が大量にあった。

「東方から運ばれて来た、消費量の大きいもう一つの商品はパピルスであった。当時未だ羊皮紙は高級品として特別の目的に使用されるに過ぎなかったから、この日常一般の筆記用紙を、帝国全域に向けてエジプトが独占的に供給していたのである。ところでゲルマン民族侵入の後にも、侵入前と同様に、文字を書くことは西方世界全体で行われていた。それは社会全体に欠くことのできない要素であった。国家の司法活動、行政活動、いな敢て言えば国家の運営そのものが文字を不可欠の前提としていたのであり、それはまた社会的諸関係についても妥当することであった。」134頁

 ローマ時代にあんなに栄えていた雄弁術なども含めたリテラシー(及びそれを支えた教育システム)がどのように失われたかは、実はあまりよく分かっていなかった。472年の西ローマ帝国滅亡に伴って文化も同時に失われたかと思いきや、どっこいボエティウスのような知識人がしっかり育っていたりする。ボエティウスがいるということは、6世紀の段階ではまだ教育システムやリテラシーは失われていなかったとみなすしかない。ピレンヌの言うことには合点するしかない。

「いわばかれ(エンノディウス)は、神聖な雄弁術の教師にありかわった修辞家であった。かれの叙述から知られるところでは、ローマでは依然として修辞学の学校が大繁盛をしていた。」167頁
知識人と学生たちの憧憬の的であったコンスタンティノープルの影響を見逃してはならない。この都市には就中有名な医学校があったらしく、トゥールのグレゴリウスの著作の多くの個所からそれを立証することができる。」172頁
文法および修辞学を授ける学校で教養を積んだ元老院貴族の階級が、高級役人の高級源であった。カッシオドルスのごとき、またボエティウスのごとき人物の名前を想起するだけで充分である。そしてこうした人物の死後も、文運の衰退にもかかわらず、同様の状態が続いたのである。」190頁
「こういったすべての役人たちのために学校があったことは明らかである。(中略)ランゴバルド王国においてさえ、学校が存続していた
 西ゴート王国では、文字を書く能力がきわめて広く普及していたから、国王は法典の写本の代価を公定したほどであった。このように読み書きの能力は、行政に関与するすべての人々の間ではごく日常的な事柄だったのである。」192頁

 そんなわけで6世紀にはまだ学校システムが存続し、リテラシーも広範に維持されていたわけだが、7世紀半ば以降にイスラム教が西地中海を封鎖することで既存のシステムが崩壊する。

(イスラム帝国による地中海封鎖に伴って)「学校はそれ以来教育を弘めることをやめてしまった。」336頁
「商業が衰退してしまい、その結果、土地が嘗てないほど経済生活の本質的な基礎になった、と。」357頁
「教養のある人士がもはや聖職者の間にしか求めることができなかったことも事実である。あの危機の間に役人の教育が途絶えてしまったからである。宮宰からして読み書きの術を心得ていなかった。民衆の間に教育を普及させようとしたカール大帝の理想家肌の努力も成功を収めず、宮廷学校の生徒の数も少かった。聖職者と学者が同義語である時代が始まりつつあった。最早ラテン語を解する者の殆どいなくなった王国で、その後の幾世紀にもわたり行政事務にラテン語を用いることを強制した教会が、重要な地位を占めるようになったのはこのためである。この事実のもっている意味をとっくりと考えてみる必要がある。この事実には測りしれない意味がある。ここに出現したものこそ中世の新しい特徴なのである。即ち国家を自分の影響の下におく宗教的階層である。」370頁
「これに対してイタリアではラテン語の存続はより完全なものであった。しかもローマやミラノでは、孤立しながらも若干の学校が引き続いて存続していた。」377頁

 世俗的な教育システムが崩壊し、リテラシーが失われ、教会が知識を独占する。地中海との人・モノ・金の流通が途絶した西ヨーロッパの経済と文化は一気に衰退していくが、一方でイタリアへの影響は限定的だったとのことだ。ビザンツ帝国との関係が大きな意味を持つということだろう。そしてこの流れはシチリア王国などを経て、大雑把にはフィレンツェ(ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョ)にも引き継がれていくと考えていいのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】ローマ皇帝
 この流れを踏まえると、800年のカール戴冠の歴史的意味も明確になる。

「嘗てのローマ帝国の称号とは異なり、カールの皇帝称号は何らの世俗的な意味あいも持つものではなかった。カールの即位は何らかの帝国的な制度を背景にもつものではなかった。ローマの保護に当たっていたパトリキウスが、一種のクーデターによって教会を保護する皇帝になったのである。」324頁

 西ヨーロッパ(フランク王国カロリング朝)は7世紀半ばに途絶した古代ローマ帝国の文化を復活させることを完全に諦め、あるいは忘却し、新たな経済圏の構築を始める。カール戴冠とは、その断絶を象徴する出来事だ。これ以降は、アルプスを南北に繋ぐルート(後の神聖ローマ帝国)やベルギー・オランダなどの低地地方、ノブゴロドから黒海に抜けてコンスタンティノープルに至るルートなどが重要な地政学的意味を持つことになるだろう。

アンリ・ピレンヌ、増田四郎監修、中村宏・佐々木克巳訳『ヨーロッパ世界の誕生―マホメットとシャルルマーニュ』講談社学術文庫、2020年<1960年

【要約と感想】桑瀬章二郎『今を生きる思想ジャン=ジャック・ルソー―「いま、ここ」を問いなおす』

【要約】ルソーの生い立ちから死までの経歴と活動を辿りながら、一つ一つの著書の内容にそれほど深入りすることはしませんが、様々な知の領域に渡って展開する不可分な思考の枠組みを示しながら現代的な意義を明らかにします。
 ルソーは今も昔も十全に理解することが困難な思想家ですが、それは多面的多角的に読める著書から領域横断的で根源的な「問い」が迫ってくるだけでなく、著者ルソー自身が読み方の「解」を提示するという他に類を見ないような形で人生とテキストが絡み合う作りになっているからです。もしも現代的な意義があるとすれば、もちろんSNSや公衆に向けた自己顕示欲など様々な観点から響き合うトピックはたくさんありますが、すべての前提と先入観を取り去って、誰かに忖度することなく、ものごとの根源を自由に考え抜く姿勢そのものが重要でしょう。

【感想】分量も少なく、著書の内容そのものにそれほど深く立ち入らない一方、ルソーの矛盾に満ちた生涯と作品の全体像をコンパクトに概観できるので、どういう人物でどういう本を残したかをさくっと知りたい人にはまず良い本のような印象だ。高校生までの世界史や倫理の教科書では、ルソーというと近代の政治や社会に関する理論を打ち立てた人ということになっているわけだが、本書はもちろんその教科書的な記述にとどまらず、音楽家や野心的批評家やベストセラー作家や自伝作家としてのルソーをしっかりと描いている。政治社会的な関心からのアプローチだけでは、『新エロイーズ』に対する評価をこういう形でルソーの思想全体に関連付けて表現することはできない。研究者の面目躍如といったところだろう。ある特定の決まった興味関心からルソーを都合よく使ってやろうというのではなく、ある程度無心にルソーの本を読んでいる人には、おそらくところどころに分かり味が深い洞察がちりばめられていて、様々なインスピレーションが湧いてくるのではないか。私個人としては、ぜひ「教育学」の立場から『エミール』以外の著作を深堀りしたいものだ(76頁には法学・経済学・宗教学・社会学は挙げられているけど、教育学は抜けてるんだよね)。

桑瀬章二郎『今を生きる思想ジャン=ジャック・ルソー―「いま、ここ」を問いなおす』講談社現代新書、2023年