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教職基礎論(栄養)-6

▼短大栄養科 5/27(土)

前回のおさらい

・教育基本法第一条:教育の目的は「人格の完成」
・人格:個性=代わりがない、アイデンティティ=変わらない、自由=責任の主体
・自己実現:ほんとうのわたし。自分こわしと自分つくり。

学習指導

・生徒児童に学力を身につけさせる。
・「義務教育」とは何か? 誰の誰に対するどのような義務なのか。子供が教育を受ける義務ではないことに注意。子供が持っているのは、教育を受ける権利
・「普通教育」とは何か? フツーの教育ということではないことに注意。
・「学力」とは何か? 法律で定義されていることに注意。

学校教育法 第21条
義務教育として行われる普通教育は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)第五条第二項 に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
二  学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
三  我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
四  家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
五  読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
六  生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
七  生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
八  健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
九  生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
十  職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

学校教育法 第30条
小学校における教育は、前条に規定する目的を実現するために必要な程度において第二十一条各号に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
○2  前項の場合においては、生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。

学習指導要領

・文部科学省が公示している教育課程の大綱的な基準。教育基本法と学校教育法を踏まえて構成されている。各学校は学習指導要領をもとに教育課程を定める。

学習指導要領の構造

・第1章 総則
・第2章 各教科
・第3章 特別の教科 道徳
・第4章 総合的な学習の時間
・第5章 特別活動

・「各教科」と「特別の教科 道徳」と「総合的な学習の時間」と「特別活動」は、それぞれどのように異なっているのか。
(1)教科書
(2)評価
(3)教員免許

復習

・義務教育や普通教育という概念について、おさらいしておくこと。
・『学習指導要領』の働きと意義について押さえておくこと。

予習

・学習指導要領の変遷について、自分なりに調べておこう。

 

 

教育概論Ⅰ(中高)-6

▼栄養・環教 5/26
▼語学・心カ・教服・服美・表現 5/27

前回のおさらいと補足

・ヨーロッパが強くなったのは、「人間の欲望」を積極的に肯定したからだった。
・人々が自らリテラシーの獲得を欲求した結果、教育が普及し、学校が説得力を持つようになる。
*教育を受けたがるのはどういう立場の人間か?
・だがしかし、人間の欲望には際限がなく、放置していたら世の中が成り立たなくなってしまう。
・人間の欲望を肯定し、利己的な人間だらけでも世の中が壊れないような仕組みはあるのか? →民主主義

民主主義と市民革命

市民革命重要人物政治思想書教育思想書
清教徒革命1642トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
名誉革命1688ジョン・ロック『市民政府論』『教育論』
アメリカ独立戦争1776トマス・ペイン『コモン・センス』
フランス革命1789ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』『エミール』

・民主主義とは何かを考えるとき、その成立過程を捉えるために市民革命について見ていく必要がある。
市民革命:時に暴力行為を伴った、世の中の仕組みの根底からの変化。領邦君主や貴族が中心だった世の中から、市民が中心の世の中へ。
市民:新興ブルジョワ。中産階級。三鷹市民とか八王子市民というような、固有領域の住民という意味での「市民」ではない。大雑把には、固有の資産を持ち、知識と教養を備えた人々のことで、基本的に金持ちで白人の男性のみ。

社会契約論

・現実に世の中を変えたのは市民革命。市民革命の理論的根拠となったのが、社会契約論。
社会契約論:市民革命を正当化する理論。王様を必要としない社会を構成するための理屈。アプリオリに世の中の存在を前提することが不可能となったとき、「剥き出しの個人」という理想的な状態を仮説的な考察の土台として、個体としての人間の本質から合理的に結論を演繹した、理想的な世の中のありかたを考える政治思想。
・政治思想書を書いている人物が、同時に教育思想書も書いていることに注意。政治と教育は切り離せない。
・ホッブズ『リヴァイアサン』→ロック『市民政府論』→ルソー『社会契約論』

ホッブズ『リヴァイアサン』

・自然状態においては、人間は自由で平等だった。→自然権
・しかし人間の欲望には制限がなく、放置していたら人々は自然権の根幹(いちばん大事な生命)を失ってしまう。→万人の万人に対する闘争
・そこで人々は理性的に考えて、自分の生命を守るために、自らの自然権を放棄し、契約を結んで、共通権力を作り上げる。→自然法
・もしも自分の生命を脅かすものがいたら、この共通の巨大権力に懲らしめてもらう。
・自分の生命を保護してもらう代わりに、人々は共通権力が決めたルールには従わなくてはならない。

ロック『市民政府論』

・共通権力(政府)は、単に人々の生命を守るというだけの必要悪に留まるものではなく、積極的に人々の私有財産を保護する義務を持つ。
・所有権の理論的根拠を、身体の所有権と労働に求める。(ただしここでロックの言う労働が、本当に彼自身が働くことかどうかについては注意。実際に肉体労働に従事したのは、彼が私有財産として所有している奴隷たちかもしれないのだ。)
・もしも政府が個々人の生命・自由・財産を侵害するのであれば、もはや政府としての役割を果たしていないのであって、人民には契約を破棄する権利がある。→抵抗権

ルソー『社会契約論』

一般意志:単なる生命の保障や、私有財産の保障は、社会契約の基礎的な理由にはならない。自由な討論の過程を通じて、個々の利害には関係がないような、全ての人々に共通する人間性に照らして妥当する普遍的な法則が引き出される。社会契約は、この一般意志を社会の根本的なルール(公共の福祉)として、普遍的な人間性を最大限に保障することを目指す。
・この一般意志が、単なる多数決とはまったく異なることに注意。多数決で得られる利害調整は、全ての人々に共通する人間性から引き出されているわけではない。そもそも、全ての人間に共通するようなものは、当然一つしかありえないのであって、最初から多数決に諮れるはずがないものである。
・人間が身分制や地域性によってバラバラに分断されていては、全ての人々に共通する普遍的な人間性を抽出することはできない。全ての人間は、自由で平等で独立した「個人」でなければならない。
・「単なる欲望の単位としての人間」から、「共通する人間性を持つ自由で平等な主体としての人間」へ。

「社会」とは何か?

社会:もともと日本語には存在せず、sociaeyやassociationの翻訳語として普及した。ヨーロッパで成熟した個人主義(人間の欲望を積極的に肯定する考え)を土台として組み立てられた世の中。
・「社会」と伝統的な「共同体」の違いとは何か。個人優先か、世の中優先か。
・そもそも、伝統的な共同体理論においては、共同体から独立した「個人」なるものは想定されるべくもなかった。アリストテレスが言うように、「人間はポリス的な動物」であり、ポリス(=政治的共同体)から独立した人間本性は考えられなかった。しかし貨幣経済の進展の末に人間の欲望が解放された結果として、どうしても利己的な人間の姿を人間性の正体として想定せざるを得なくなる。
・逆に言えば、人間の欲望が解放されず、「人間はポリス的な動物」と言って皆が納得するような状況においては、民主主義はそもそも必要とされない。

「契約」とは何か?

・西洋社会における「契約」の伝統。
・神と人との契約から、人間同士の契約へ。
・自由で平等な個人同士が合理的な判断を下した結果として成立する合意と約束。自由や平等が損なわれているところでは成立しない。

新しい社会を作るために、まず新しい個人を作る

・「個人」とは、身分や地域の特殊性にはまったく関係がない、普遍的な人間。伝統的共同体から切り離された、剥き出しの人間。
・新しい社会を作る=新しい「個人」を作る→普遍的な人間のための教育=人格の完成を目的とする教育
・教育とは、知識を注入したり偏差値を上げるような教育ではなく、または特定の職業を目指すような教育ではなく、普遍的な人間を作るための「人格の完成」を目指す教育。
・Instruction=専門教育とEducation=普通教育の違い。

憲法と「教育の自由」

思考実験:法律を破ったことはあるか?

・市民は、リーダーが作った法律には従う義務がある。法律を破ったときには、ペナルティが課される。
・法律は、それぞれの市民が平和かつ幸福に暮らすことができるよう、選ばれたリーダーによって定められる。
・市民は、法律を破ることはできるが、憲法を破ることはできない。
・そもそも憲法を守る義務があるのは誰か?→日本国憲法第99条。
・憲法は市民に何を期待しているのか?→日本国憲法第97条と第98条。

思考実験:憲法がないとどうなるか?

・もしも多数決だけで世の中がきまるどうなるか?
・「多数の専制」とは何か。
・誰がリーダーになったとしても「これだけは絶対にやってはいけない」という、リーダーの暴走を防ぐ禁じ手をあらかじめ定めておく必要がある。
・憲法の原理=一般意志 人間性に関する普遍的な原則から導き出すことができるような、合理的かつ普遍的なルール。

基本的人権

基本的人権:誰がリーダーになったとしても、絶対に人々から奪うことができない生まれながらの権利。→社会契約論で議論された、自然状態の人間が持っていた自由。
自由権:国家からの自由。国家が侵害することができない、個人が持つ権利。

教育の自由。自由権としての教育

・自分の子供をどのように教育するかは、国家から関与されることではない。←信仰の自由 どのような思想信条を持つかについて、国家が個人に命令することはできない。

復習

・「社会契約論」の理屈を、おさらいしておこう。

予習

・ロックとルソーの教育論のあらましを押さえておこう。

【要約と感想】大屋雄裕『自由とは何か』

【要約】自由について、伝統的に「消極的自由」と「積極的自由」など議論が積み重ねられてきましたが、現在は監視テクノロジーの発展によって全く別次元の様相を呈しており、今はアーキテクチャーについて真剣に考えるべき段階にあります。もはや自由意志がフィクションに過ぎないことは明確です。が、著者は近代が夢見たフィクションにまだ期待をかけています。

■確認したかったことで、期待通り書いてあったこと=法哲学の立場から見て、「自由意志」なり「人格」なりという概念が近代によって構成されたフィクションに過ぎないということが、疑う余地のない明確な形で記述されていた。今後はありがたく乗っかることにする。

【感想】「自由意志」や「人格」がフィクションであるという記述に対して、特に感慨はない。法学なら、それでいいでしょうとしか(「法」自体もフィクションだし)。しかし個人的な関心は、功利的なフィクションに過ぎなかった「人格」というものが過剰な現実性を獲得してしまうメカニズムにあるわけで。そういう関心からすると、法哲学という分野の人々が、あまりにも本質に触れたがらないことに(意図的か無意識かは知らないけれども)、ちょっとした苛立ちは感じる。まあ、そこは彼らの仕事ではないから、唖然としたところで仕方ないことは重々承知だけれども。
ここは、否定神学とか他者という分析装置を駆使して自由意志の前提条件に迫ろうとしている社会学の大澤真幸とか、「郵便的」という概念で過剰さが生じる原因の説明を試みた哲学の東浩紀のほうに、ある種の誠実さを感じるところではある。

また、私が関わる教育学という領域は、著者が投げた地点から始まるという宿命を負った学問だ。著者は「個人を「自由な個人」として作り上げる最低限のパターナリズムを認める方向に解を求めようとしている」と言った上で「その「私の結論」を押しつけることは他者を他者として「自由な個人」として、扱っていないことになるだろう」と立ち止まって「だからここで私は、再び筆を措かなくてはならない」と韜晦するが、教育学はまさにこのアポリアを引き受けた上で、そのアポリアの上に構築されなければならない。「自由を強制することが教育である」という「諦め」からスタートさせられる辛さを、改めて確認させられた。

大屋雄裕『自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅』ちくま新書、2007年

【要約と感想】大澤真幸『恋愛の不可能性について』

【要約】私とは、共約不可能な唯一的存在である。そして愛する相手も、共約不可能である。だから恋愛は、私の唯一性を否定する経験となる。

■確認したかったことで、期待通り書いてあったこと=「私」が記述の束に還元できない共約不可能な唯一的存在であることは、固有名詞が具体的記述の束に還元できないのと同じことである。それは「他者」にも言えることであって、だから私と他者はそもそも共約不可能な絶対的差異である。
そのような共約不可能な特異点を作り出す作業として否定神学的な操作(ヘーゲルの言う「否定の否定」など)が行われるわけだが、その形式が様々な領域(貨幣、表現、宗教、合理性など)で「余剰」を生み出す。個人的な関心に照らして、この操作こそが、自然科学や功利主義的構成では説明し尽くすことのできない「人格」や「自由意志」という概念にまとわりつく「余剰」を生み出す普遍的なやりかたなのだと把握した。

【感想】「否定の否定」という形式的操作でもって「無限」を理解可能にするという様式を身につけると、様々な領域に適用可能な分析の武器になることは分かるけれども。しかし直感的には、違和感がつきまとう。違和感を直感的に突き詰めていくと、「排中律」を無節操に運用しているところが怪しいような気がするわけで。「A」でなければ「非A」という「排中律」を前提として「否定の否定」が成り立つわけだけど、前提となっている「排中律」は、本当にあらゆる領域で無前提に使用してよいのだろうか? 本当は、実は「排中律」を成り立たせている「前提」のほうが真の問題を構成しているのではないか。たとえば「宇宙」は「閉じている」ことによって初めて「排中律」が成立するわけだが、仮に宇宙が破れていたりとか、膨張や収縮を繰り返していたりとか、時間軸が捻れていたりとかするとき、実は「特異点」は消失してしまうかもしれない。

【これは眼鏡論に使える】しかしこの否定神学的な思考様式は、眼鏡論を語るときに極めて有効な観点となる。「眼鏡をかけている(同一性)」ことと「眼鏡を外さない(否定の否定)」ことは、まったく違う出来事である。眼鏡っ娘が「過剰」なのだとすれば、その過剰さの産出過程に、きっと眼鏡の否定神学が関与している。

大澤真幸『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫、2005年<1998年

教育概論Ⅰ(保育)-6

短大保育科 5/25(木)

前回のおさらいと補足

・ヨーロッパが強くなったのは、「人間の欲望」を積極的に肯定したからだった。
・だがしかし、人間の欲望には際限がなく、放置していたら世の中が成り立たなくなってしまう。
・人間の欲望を肯定し、利己的な人間だらけでも世の中が壊れないような仕組みはあるのか? →民主主義

リテラシーの獲得と、モラトリアム

・人々自らの生活の必要によって教育機関が作られていく。権力者によって強制的に教育や学校が押しつけられていくわけではない。(むしろ権力者にとってみれば、一般民衆が教育水準を高めることは脅威となる)
・しかし次第に、生活をしていく上で、なにをするにもリテラシーが必要な世の中へと変化していく。リテラシーを身につけることが、人間として生きていく上での必須の条件と見なされるようになっていく。
・リテラシーを身につける場としての学校。
・リテラシーを身につける期間としてのモラトリアム。

モラトリアム:執行猶予。大人としての労働や責任等から免除されている期間。思春期・青年期の拡張。大人と子供の距離が広がっていく。

コンピュータ・リテラシー

・印刷術の登場に見られるように、新しいメディア技術の展開が人間の生活を大きく変化させる場合がある。それは現代のコンピュータの登場によって人々の生活が劇的に変化したことを考えると、わかりやすい。

コンピュータ・リテラシー:コンピュータを使って情報を得たり発信したりすることができる能力。

・ここ数年で、就職活動をするにもコンピュータ・リテラシーが必須な世の中へと劇的に変化した。コンピュータが使えないと、まともに就職もできないような世の中。

市民革命と民主主義

・民主主義とは何かを考えるとき、その成立過程を捉えるために市民革命について見ていく必要がある。

市民革命重要人物政治思想書教育思想書
清教徒革命1642トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
名誉革命1688ジョン・ロック『市民政府論』『教育論』
アメリカ独立戦争1776トマス・ペイン『コモン・センス』
フランス革命1789ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』『エミール』

市民革命:時に暴力行為を伴った、世の中の仕組みの根底からの変化。領邦君主や貴族が中心だった世の中から、市民が中心の世の中へ。
市民:新興ブルジョワ。中産階級。三鷹市民とか八王子市民というような、固有領域の住民という意味での「市民」ではない。大雑把には、固有の資産を持ち、知識と教養を備えた人々のことで、基本的に金持ちで白人の男性のみ。

社会契約論

・現実に世の中を変えたのは市民革命。市民革命の理論的根拠となったのが、社会契約論。
社会契約論:市民革命を正当化する理論。王様を必要としない社会を構成するための理屈。アプリオリに世の中の存在を前提することが不可能となったとき、「剥き出しの個人」という理想的な状態を仮説的な考察の土台として、個体としての人間の本質から合理的に結論を演繹した、理想的な世の中のありかたを考える政治思想。
・政治思想書を書いている人物が、同時に教育思想書も書いていることに注意。政治と教育は切り離せない。
・ホッブズ『リヴァイアサン』→ロック『市民政府論』→ルソー『社会契約論』

ホッブズ『リヴァイアサン』

・自然状態においては、人間は自由で平等だった。→自然権
・しかし人間の欲望には制限がなく、放置していたら人々は自然権の根幹(いちばん大事な生命)を失ってしまう。→万人の万人に対する闘争
・そこで人々は理性的に考えて、自分の生命を守るために、自らの自然権を放棄し、契約を結んで、共通権力を作り上げる。→自然法
・もしも自分の生命を脅かすものがいたら、この共通の巨大権力に懲らしめてもらう。
・自分の生命を保護してもらう代わりに、人々は共通権力が決めたルールには従わなくてはならない。

ロック『市民政府論』

・共通権力(政府)は、単に人々の生命を守るというだけの必要悪に留まるものではなく、積極的に人々の私有財産を保護する義務を持つ。
・所有権の理論的根拠を、身体の所有権と労働に求める。(ただしここでロックの言う労働が、本当に彼自身が働くことかどうかについては注意。実際に肉体労働に従事したのは、彼が私有財産として所有している奴隷たちかもしれないのだ。)
・もしも政府が個々人の生命・自由・財産を侵害するのであれば、もはや政府としての役割を果たしていないのであって、人民には契約を破棄する権利がある。→抵抗権

ルソー『社会契約論』

一般意志:単なる生命の保障や、私有財産の保障は、社会契約の基礎的な理由にはならない。自由な討論の過程を通じて、個々の利害には関係がないような、全ての人々に共通する人間性に照らして妥当する普遍的な法則が引き出される。社会契約は、この一般意志を社会の根本的なルール(公共の福祉)として、普遍的な人間性を最大限に保障することを目指す。
・この一般意志が、単なる多数決とはまったく異なることに注意。多数決で得られる利害調整は、全ての人々に共通する人間性から引き出されているわけではない。そもそも、全ての人間に共通するようなものは、当然一つしかありえないのであって、最初から多数決に諮れるはずがないものである。
・人間が身分制や地域性によってバラバラに分断されていては、全ての人々に共通する普遍的な人間性を抽出することはできない。全ての人間は、自由で平等で独立した「個人」でなければならない。
・「単なる欲望の単位としての人間」から、「共通する人間性を持つ自由で平等な主体としての人間」へ。

「社会」とは何か?

社会:もともと日本語には存在せず、sociaeyやassociationの翻訳語として普及した。ヨーロッパで成熟した個人主義(人間の欲望を積極的に肯定する考え)を土台として組み立てられた世の中。
・「社会」と伝統的な「共同体」の違いとは何か。個人優先か、世の中優先か。
・そもそも、伝統的な共同体理論においては、共同体から独立した「個人」なるものは想定されるべくもなかった。アリストテレスが言うように、「人間はポリス的な動物」であり、ポリス(=政治的共同体)から独立した人間本性は考えられなかった。しかし貨幣経済の進展の末に人間の欲望が解放された結果として、どうしても利己的な人間の姿を人間性の正体として想定せざるを得なくなる。
・逆に言えば、人間の欲望が解放されず、「人間はポリス的な動物」と言って皆が納得するような状況においては、民主主義はそもそも必要とされない。

「契約」とは何か?

・西洋社会における「契約」の伝統。
・神と人との契約から、人間同士の契約へ。
・自由で平等な個人同士が合理的な判断を下した結果として成立する合意と約束。自由や平等が損なわれているところでは成立しない。

新しい社会を作るために、まず新しい個人を作る

・「個人」とは、身分や地域の特殊性にはまったく関係がない、普遍的な人間。伝統的共同体から切り離された、剥き出しの人間=自然人。
・新しい社会を作る=新しい「個人」を作る→普遍的な人間のための教育=人格の完成を目的とする教育

復習

・「社会契約論」の理屈を、おさらいしておこう。

予習

・ロックとルソーの教育論のあらましを押さえておこう。