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教育概論Ⅰ(中高)-9

▼栄養・環教 6/16
▼語学・心カ・教福・服美・表現 6/17

前回のおさらい

・人格の完成:個性の尊重、アイデンティティの確立、自由=責任、理性、自己実現=全ての人間に共通する(男だろうが女だろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、肌が黒かろうが白かろうが、手があろうがなかろうが、人間ならば誰もが持っている同じ)ものを育てる普遍的な教育。

近代初期の教育思想

・特定の職業や身分のための人間形成を超えるような、普遍的な人間を作ることを目指す教育思想は、近代から始まる。

コメニウス Johannes Amos Comenius

・宗教改革、プロテスタント。
・1592年~1670年。モラヴィア出身。
・主著『大教授学』、『世界図絵』(世界初の絵本)
・教育学的愛称:近代教授学の父
・キャッチフレーズ:全ての人に全ての事柄を教授する

ロック John Locke

・市民革命、経験主義。
・1632年~1704年。イングランド出身。
・主著『市民政府論』(政治思想)、『人間悟性論』(認識論)、『教育論』あるいは『教育に関する一考察』(教育思想:翻訳が異なるだけ)
・キャッチフレーズ:紳士教育タブラ・ラサ(白紙説)
・名言:健全なる精神は健全なる身体に宿る。←体育(食物、睡眠、居住環境など)の重要性を強調。
・新しい市民社会を担う紳士(ジェントルマン)を作る。子供期の独自性を認めるというより、理性ある大人になるための教育。習慣形成の重要性。

ルソー Jean-Jacques Rousseau

・市民革命、ロマン主義。
・1712年~1778年。ジュネーヴ出身。
・主著『社会契約論』(政治思想)、『人間不平等起源論』(政治思想)、『新エロイーズ』(恋愛小説)、『エミール』(教育思想)
・キャッチフレーズ:子どもの発見消極教育
・名言:万物を創る者の手を離れるときはすべてよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる
・子供期の独自性を初めて主張する。消極教育とは、書物による早期教育をいましめ、まず自然による教育(たとえば感覚の訓練など)を重視する姿勢。

近代初期教育思想の特徴

・完成した大人の理想像から教育を組み立てる考え(ロック的なもの)と、純粋な子供の理想像から教育を組み立てる考え(ルソー的なもの)の両側面。子供の誕生=大人の誕生。
・いずれにせよ、あらゆる人間が共通して持つ「理性」に対する全面的な信頼。
・個人を育てる私教育。自由権としての教育(国家からの自由)。集団(学校教育の固有性)の軽視。

近代教育学の展開

・他の学問分野から独立した、固有の教育学が形成されていく。

ペスタロッチー Johann Heinrich Pestalozzi

・1746年~1827年。スイス出身。
・主著『隠者の夕暮』『シュタンツだより』『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』『白鳥の歌』
・キャッチフレーズ:実物教授。直感教授。労作教育。3つのH(Hand、Heart、Head)=知徳体。
名言:「王座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間だ」=身分に関係なく、普遍的な人間を教育する。「生活が陶冶する」
・孤児や貧民の子供の教育を通じて、身分や階級に関わらない人間一般の教育原理を打ち立てた。ルソーが理論だけだったのに対して、ペスタロッチーは実践を通じて教育原理を明らかにした。
・アメリカを経由したペスタロッチー主義(開発主義教育)は、明治初期に日本でも流行した。

伊沢修二

・1851年~1917年。長野県出身。
・アメリカに留学して教育学を学んだ後、日本で開発主義を広めた。
・主著『教育学』。
・音楽教育や体操の普及、植民地での国語教育などにも深く関わった。

高嶺秀夫

・1854年~1910年。福島県出身。
・アメリカに留学して教育学を学んだ後、日本で開発主義を広めた。
・主著『教育新論』。ジョホノット教育学の翻訳。
・高等師範学校の校長として、開発主義の普及に貢献した。

ヘルバルト Johann Friedrich Herbart

・1776年~1841年。ドイツ出身。
・主著『一般教育学』『ペスタロッチー直感教授のABC』
・キャッチフレーズ:教育学の父。目的としての倫理学、方法としての心理学。段階教授法。
・名言:「教授のない教育などというものの存在を認めないし、逆に、教育のないいかなる教授も認めない
・ペスタロッチーの実物教授を引き継ぎながら、教育学を体系化された学問へと鍛えた。家庭教師による教育ではなく、学校における教師の教授法を理論化した。

ヘルバルト主義教育学

・ヘルバルトを引き継いで、科学的な教育学を発展させた。
・チラー、ライン。
五段階教授法。予備→提示→比較→総合→応用。
・中心統合法。宗教(道徳)を中心としたカリキュラム(スコープ)構成の原理。
・開化史的段階。カリキュラム配列(シークエンス)の原理。

谷本富

・1867年~1946年。香川県出身。
・主著『実用教育学及教授法』『科学的教育学講義』
・ヘルバルト主義を日本人にわかりやすく改変し、流行をさせた。後にヘルバルト主義を捨てて、新教育にコミットした。

フレーベル Friedrich Wilhelm August Fröbel

・1782年~1852年。ドイツ出身。
・キーワード:幼稚園の創始者。恩物
・主著:『人間の教育
・ペスタロッチーの影響を受け、幼児教育に人生を捧げた。

倉橋惣三

・1882年~1955年。静岡県出身。
・形式化した幼児教育を批判し、子供の個性と自発性を重んじた幼児教育の発展に尽くした。
・「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世の中にこんな楽しい心があろうか」

復習

・時代背景を考慮しながら、各教育思想の本質を押さえよう。

予習

・義務教育とは何か、その導入経緯について考えておこう。

【要約と感想】プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』

【要約】ソクラテスは処刑されました。有力者たちに恨まれてしまったためです。なぜ恨まれたかというと、彼らが賢いように見せかけながら、実はまったく賢くないことを暴いてしまったからです。誰も「正義」とか「美」については何も知りません。それらは神だけが知る真実であり、人間には手が届きません。彼らは自分だけは世界の秘密を知っていると思い込んでいましたが、やはり勘違いに過ぎず、実際には何も知りませんでした。ソクラテスだけが「人間の身で神の知恵に届くはずがない」ということを知っていたのでした。
 裁判の結果、ソクラテスは死刑となり、牢屋で執行を待っていました。死刑前夜、旧知のクリトンがやってきてソクラテスに脱走を進めます。しかしソクラテスは「善く生きる」ことを目指すべきことをクリトンに納得させたうえで、自分を死刑に追いやった国法に従うことこそが「善く生きる」ことだということを納得させます。

【感想】何回読んでも、すげえな、としか。さすが、古典中の古典。芸術的な完成度も高いし、ソクラテスの卓越したブレないキャラクターの魅力はハンパないし。

 で、やっぱり私たちも、ソクラテスに死刑判決を言い渡すんだろうなあと。何回も殺すことになるんだろうなあと。共謀罪が成立した日に思う。

 気になるのは、「解説」でプラトンの芸術的センスを誉めるあまり、クセノフォンをディスっているところだ。解説者もプラトンによるソクラテス像に恣意的な脚色があることを認めつつもそれがいかに芸術的に優れた脚色かを賛美しまくる一方、クセノフォンに関しては視野が狭いとか単細胞とか口汚く罵る。ただ個人的には、クセノフォンのソクラテス像には相当程度の真実が含まれているようにしか見えない。解説者があまりにもプラトンが好きなのは良いとして、クセノフォンに対するディスり様にはそうとうの違和感がある。

【個人的な研究のための備忘録】教育
 教育にまつわる発言がいろいろあって、ソクラテス本人の考え方の他、当時のギリシアの一般的な教育の在り様もある程度推測できる。

「また諸君が誰かの口から、私が自ら僭して人を教育すると称し、しかもこれに対して謝礼を要求すると聞かれたならばそれもまた同じく真実ではない。もっとも人が他を教育する能力を持っているならば、謝礼を受けるのは結構なことと自分にも思われる。(中略)もし彼が実際かくの如き術を解し、こんなに巧妙な教授をすることが出来るとすれば、もし自分がその術を解していたとすれば、私自身は自ら高しと自ら誇るであろう。しかしアテナイ人諸君、私はそれを解しないのである。」17-18頁

 ここでソクラテスが「教育する」と言っている言葉の中身には重々注意する必要がある。ソクラテスが「教育」だと思っているものは、「人間の内側から本来持っている徳を引き出す営み」である。そして自分はそんな能力を持たないことを明言し、さらにソフィストたちにもそんな能力はないだろうことを示唆している。しかしソクラテス以外の、特にソフィストたちが言う教育は、「外部にある知識を脳みそに叩き込むような営み」を指している。だからソクラテスは具体的にソフィストたちの名前を挙げて、彼らの言う「教育」が外部から知識を与えるに過ぎず、人間の内部から徳性を発展させるものではないことを示唆する。
 ここに「無知の知」の典型的な姿が見られる。ソフィストや、彼らに金を払って教育を受ける大衆は、「教育」とは何なのかを知ったつもりでいるけれども、ソクラテスにしてみればそんなものは「教育」でもなんでもない。じゃあソクラテスが「教育」を知っているかと言うと、もちろん知らない。「人間の内側から徳を引き出す営み」の技術などというものは神にしか手が届かない超人間的な術であって、人間には辿り着きようがない。
 ちなみにソクラテスの言う「徳」とは、もちろん東洋的な「外面的なルールに無条件に従うこと」ではなく、ギリシア語の「アレテー」を翻訳したもので、実際には「私が本来持っていた力を最高度に発揮する」というようなイメージを持つ言葉である。一人一人がもつ潜在的な可能性を最高度に引き出すことは、果たして外側から知識を付け加えることで可能になるのか。ソクラテスの問いは、現代にまで射程が伸びている。

「けだし私が歩き廻りながら鞅掌するところは、若きも老いたるも、諸君のすべてに向って、身体と財宝とに対する顧慮を、霊魂の最高の完成に対するそれよりも先にし、またいっそう熱心に、することがないように勧告すること(後略)」38頁

 というわけで、ソクラテスが考えている教育とは「霊魂の最高の完成」に至る技術だ。しかしその術を知らないソクラテスは、ただ「勧告」することしかできない。
 ちなみに教育基本法第一条「人格の完成」はキリスト教に由来すると理解されているが、しかし「完成」という概念そのものは古代ギリシア(つまりキリスト教誕生前)に既に現れていることについては注意しておいていいのかもしれない。

「彼らの如き智慧をも彼らの如き愚昧をも持たずに自らあるがままにあるのと、彼らの持つところを二つながら併せ持つのと、私はいずれを選ばんとするか、と。そこで私は、私自身と信託とに対して、自らあるがままにある方が私のために好い、と答えたのであった。」23頁

 ここで表現されている「自らあるがまま」という言葉を、現代的に「私らしい私」と解することができるのであれば、近代的自我にまで手が届いている。
 ただしソクラテスが、「霊魂の最高の完成」を全ての人間に共通の普遍的な状態と考えているのか、それとも個々の違いを保持したままの個性的な状態と考えているのか、テクストだけからは明示的に読み取れない。しかし『クリトン』で死後の世界にも固有名詞を使って議論を進めているところを見ると、後者なのではないかという感触もなくはない。「霊魂の最高の完成」が具体的にどういう状態を指しているかで、話は大きく変わってくる。

プラトン/久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』岩波文庫

→参考:研究ノート「プラトンの教育論―善のイデアを見る哲学的対話法」

【要約と感想】芹沢俊介『「いじめ」が終わるとき』

【要約】反復継続的な暴力である「いじめ」は、反復継続的に通うことを強制する「学校」という場が引き起こしています。「ひとり」であることに耐えられない子供たちは、特定の一人を標的として分離することで、集団の一員であることに安住します。特定対象への執拗な暴力は、自分が「みんな」の側にいることを固定するために反復継続されます。であるなら、いじめが終わるのは、「みんな」という帰属性を求めず、「ひとり」でいられる力を持ったときでしょう。

【感想】命の危険を感じるくらいなら、学校なんか行かなくていい。そう大きな声で言えるようになったのは、そんな昔の話ではない。著者のような人たちが真剣にいじめ問題に取り組んでいるなかで、そういう認識ができあがっていった。

そもそも「学校」という組織は、産業革命の進行に伴って必要となった「過渡的な形態の組織」である可能性が高く、人間の成長にとって不可欠な役割を果たすかどうかは、極めて怪しい。「教育」が必要かもしれないとして、その役割を「学校」が一元的に独占するのは絶対に避けられないことなのかどうか。あんな狭い空間に人間が何十人も強制的に集められ、毎日顔を合わせることになったら、子供だろうがなんだろうが、万人の万人に対する闘争が勃発し、ある種のリバイアサンが誕生するのは不可避だろう。
いじめが発生するたびに、「学校なんか解散してしまえばいい」と思ってしまう自分がいるが、本書はその気持ちを半分だけ代弁してくれる。いじめをなくそうと思ったら、学校を解散するのがいちばん簡単だ。

もう半分は、それでも学校は必要だという、ある種の感覚。民主主義的な精神を涵養する教育を考えたときに、民間経営の塾ではダメだろうという直感。実は、民主主義的な精神を育てるというのは、「いじめ」が不可避的に発生するような場を敢えて作り、子供をその環境に強制的に閉じ込めた上で、万人の万人に対する闘争を意図的に発生させ、子供の人間関係調整能力を発達させようという、ものすごい過酷な試練なのではないか。

そういう意味でいうと、民主主義的精神を育てようと意図的に構成された学校では、実は必然的にいじめ発生に直面するリスクが高くなる。デモクラシーという目的が放棄されない限り、構造的に「いじめ」を終わらせることは不可能だろう。しかしそのリスクを低めることはできる。リスクを低めるための技術を蓄積することはできる。教師にできることは、その技術を多面的に活用し、万人の万人に対する闘争からリバイアサンを生み出すのではなく、「一般意志」を作り上げることなんだろうと思う。

芹沢俊介『「いじめ」が終わるとき-根本的解決への提言』彩流社、2007年

教育概論Ⅰ(保育)-9

▼短大保育科 6/15(木)

前回のおさらい

・アイデンティティ。自主性や主体性。
・自由と責任。みんなで作ったルールは、みんなで守る。自由は単なる自分勝手やワガママとはまったく違う。

人格の完成(つづき)

理性

・法則を発見する手続き=科学。
・科学的思考とは何か。「分析/総合」。「演繹/帰納」。

分析:ひとつのものをいくつかの要素に分けて、本質的な要素を析出する。
総合:析出された本質的な要素をつなぎ合わせて観念を構成する。
観察:個別具体的なもののうち、似ているところや異なっているところを把握する。
感覚:客観的な対象を主観的な印象として取り込むための窓口。

演繹:抽象的な理論から個別具体的なものや現象を説明する。
帰納:個別具体的なものから抽象的な理論を発見する。
推論:具体的なものを改めて観察するまでもなく、頭の中だけで論理的に考えて結論を導き出す力。

・幼児教育において、自然とふれあうことが極めて重要となる。理性=科学的思考法を身につける基礎(人格形成の基盤)は、幼児教育にある。

自己実現

・どのように人格は完成へと向かうのか。
自己実現≒ほんとうのわたしデビュー、わたしらしいわたし。社会的な成功とは基本的にはあまり関係がない。
・直線的な発達ではなく、ジグザグな成長。矛盾と葛藤。
・弁証法的発展。自己耽溺(自分勝手)と自己疎外(適応過剰)の葛藤から、自由で主体的な決断を経て、責任を引き受けて、自己実現へ。
・「自分こわし」と「自分つくり」。

「近代教育」まとめ:人格の完成とは・・

・個性の尊重:独立。かけがえのないわたし。
・アイデンティティの確立:主体。まさにこのわたし。
・自由の獲得:責任。わたしが作ったルールに従うわたし。
・理性:科学。ほんものを見つけるわたし。
・自己実現:夢。ほんとうのわたし。
→「近代的自我」

近代の教育思想

・特定の職業や身分のための人間形成を超えるような、普遍的な人間を作ることを目指す教育思想は、近代から始まる。

コメニウス Johannes Amos Comenius

・宗教改革、プロテスタント。
・1592年~1670年。モラヴィア出身。
・主著『大教授学』、『世界図絵』(世界初の絵本)
・教育学的愛称:近代教授学の父
・キャッチフレーズ:全ての人に全ての事柄を教授する

ロック John Locke

・市民革命、経験主義。
・1632年~1704年。イングランド出身。
・主著『市民政府論』(政治思想)、『人間悟性論』(認識論)、『教育論』あるいは『教育に関する一考察』(教育思想:翻訳が異なるだけ)
・キャッチフレーズ:紳士教育タブラ・ラサ(白紙説)
・名言:健全なる精神は健全なる身体に宿る
・新しい市民社会を担う紳士(ジェントルマン)を作る。子供期の独自性を認めるというより、理性ある大人になるための教育。習慣形成の重要性。

ルソー Jean-Jacques Rousseau

・市民革命、ロマン主義。
・1712年~1778年。ジュネーヴ出身。
・主著『社会契約論』(政治思想)、『人間不平等起源論』(政治思想)、『エミール』(教育思想)
・キャッチフレーズ:子どもの発見消極教育
・名言:万物を創る者の手を離れるときはすべてよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる
・子供期の独自性を初めて主張する。消極教育とは、書物による早期教育をいましめ、まず自然による教育(たとえば感覚の訓練など)を重視する姿勢。

近代教育思想の特徴

・完成した大人の理想像から教育を組み立てる考え(ロック的なもの)と、純粋な子供の理想像から教育を組み立てる考え(ルソー的なもの)の両側面。子供の誕生=大人の誕生。
・いずれにせよ、あらゆる人間が共通して持つ「理性」に対する全面的な信頼。
・個人を育てる私教育。集団の軽視。

復習

・近代の教育思想家の主張について、単に暗記するのではなく、時代背景を思い浮かべながら、それぞれの考えを味わってみよう。

予習

・ペスタロッチーやヘルバルト、フレーベルという人物について調べよう。

教育概論Ⅰ(栄養)-9

▼短大栄養科 6/13

前回のおさらい

・自由の罠。「働いたら負け」になってしまうメカニズム。
・社会権としての教育。全ての子どもが教育を受ける権利を持つ。子どもの学習権。
・コンドルセとロバート・オーエン。

産業革命と階層分化

・産業革命が進行すると、独立自営農民がいなくなり、資本家と労働者に分解していく。
・自給自足の世界から、分業の世界へ。
・土地利用法の変化。生活(衣食住)のためにあらゆるニーズを生産→換金するために商品価値のある単一作物を生産。
・余談:生活(衣食住)の市場化。「家事」とは何か?
・年貢(モノ中心経済)から賃金労働(お金中心経済)への変化。
・エンクロージャー(囲い込み)。農村からの人口流出。労働力しか売るもののない人々の発生。
・大量の労働力を必要とする産業。急速な都市の形成(たとえばマンチェスターやリバプール)。腐敗選挙区問題。都市スラム問題。浮浪者問題。
・ヒトとカネとモノの大量移動と流動化=原始蓄積。「二つの国民(資本家と労働者)」の形成。階層分化。

分業と個性

・分業によって生産性が格段に上がる。アダム・スミス。
・分業が促進されるほど、個性が意味を持つ。社会に人材を送り出すとき、それぞれの特性に応じた持ち場に就けることができれば、社会全体の効率が上がる。適材適所。
・この場合の「個性」とは? 「人格の完成」に関わる「個性」なのか?
メリトクラシー:身分や血筋の高い者が社会を統治する体制を否定する。出自に関係なく個人の持っている能力によって地位が決まり、能力の高い個人が社会を統治する。
学歴主義:学校の勉強に高い適応能力を示した個人が、きっと社会一般でも高い能力を発揮するだろうと期待する態度。しかし、学校の勉強に高い適応能力を示す個人が、一般社会で高い適応能力を示すとは限らないということは、広く気がつかれている。それにも関わらず、どうして学歴主義が説得力を持つのか?→「隠れたカリキュラム」及び「文化的再生産」参照。

モニトリアル・システム

ベル・ランカスター法:助教法。大勢の生徒に対する一斉授業方法。教師はまず成績優秀な学生に教え、優秀な学生(モニター・助教)が一般学生に教える。
・「人格の完成」を目指すというよりも、工場労働で必要となる必要最低限のリテラシーとモラルを身につけることを目指す。

隠れたカリキュラム

・カリキュラム:教育目的を達成するために、文化財から選ばれ、教育意図を持って計画的に配列された、教育内容。
・正式のカリキュラム:学校や教師が教えていると公式に表明されている教育内容。学生や保護者や世間にとって、学生が学校で身につけることを期待している学習内容。
隠れたカリキュラム:教師は教えていると思っていないし、保護者や世間も学校でそれを教えているとは思っていないにもかかわらず、いつのまにか学生たちが身につけている暗黙の内容。
・知識や考え方、行動様式が、意図されないまま、いつのまにか教えられている。
・学校で身につける意識と行動様式=労働者として必要な意識と行動様式。(他に性別役割分業に関する意識等)

文化的再生産

・学歴の高い親の子どもの学歴も高くなりやすいのはなぜか?
・遺伝=生物的再生産か、環境=文化的再生産か?

近代教育のさまざまな相

(1)リテラシーの教育:自分自身の能力や可能性を開発するために必要となる知識や技術を身につける。伝統的な世界で生きていくためには必ずしも必要ではないが、世界が大きく変化するときには身につけないと死んでしまうような基本能力となる。文字の読み書き能力や、コンピュータを使う能力など。
(2)民主主義の教育:民主主義社会の構成員にふさわしい、自由で平等な個人として人格を完成する。市民権を行使する(契約行為の主体となることができる)ために必要な知識や教養を身につける。(自由権としての教育)
(3)義務教育:全ての子どもが自律した個人となれるよう、国家の援助によって平等な教育機会を保障する。(社会権としての教育)
(4)産業革命の教育:経済的な成長を支える優秀な労働者を供給するために、低予算かつ大量に人材を養成する。その一方で、分業体制に対応し、産業界が必要とする多様な人材を供給するため、特性と長所を見極めた育成と配分を行う。それぞれのステータスに応じた科学教育を伴う。

復習

・産業革命に伴って生じた教育の変化について、「メリトクラシー」などの言葉と一緒に押さえておこう。

予習

・教育における「国家」の役割を考えてみよう。「自由権としての教育」では、国家は目立たなければ目立たないほど良かった。しかし「社会権としての教育」では、国家は積極的な役割補果たすことが期待された。国家は活躍するべきか、しないべきか?