鵜殿篤 のすべての投稿

【教育学でポン!?】2023年1月11日

事務の仕事をたくさんこなした一日。
【本日の歩数】7738歩■自宅と学校を往復。

働き方改革

■中学校 部活動の地域移行をどう支援する? 三和区で話しあい(上越妙高タウン情報)
NPOが学校と地域の間に入って機能すると、前に進みやすそうです。

ICT

■学校の体力テストをDX データ集計管理分析システム「DOSA SCHOOL」(ASCII)
体育とICTとの相性は良いはずです。

学校間接続

■「小中学校受験する? それともしない?」……良かれと信じた“お受験”が不幸を呼ばないために、気を付けたい“4つの落とし穴”(文春オンライン)
良い記事でした。

■「小1や小2で入塾させる」よりむしろ有利!?「中学受験」するなら低学年でやっておきたい5つのこと
教育学的に言えば、まず「中学受験をやめる」という選択肢を真剣に考えるのが良いと思います。

学校

■茨城の名門、土浦第一高校にインド人校長 ヨゲンドラ氏インタビュー「部活は日本語禁止にしようかと」(エコノミストOnline)
茨城県の公募校長で、もちろん教職課程は受けておらず、教員免許も持っていないでしょう。こういう人材が学校現場に入って、どれくらい活性化するものか、楽しみですね。

■避難所にもなる学校のトイレ、バリアフリー化7割…「25年度100%」難しく(讀賣新聞オンライン)
基本インフラ整備にお金がかけられないというのは、優先順位を間違えた結果のように思います。

■「英語力を」保護者の需要に応え、インターナショナルスクール続々…公立校と掛け持ちも(讀賣新聞オンライン)
こういう形で「就学義務」がなし崩しに溶けていくのか、踏みとどまるのか。

■汚職で贈賄側の中学教科書、使用打ち切りへ 「不公正行為」で全国初(朝日新聞DIGITAL)
これに懲りて、内容で勝負してください。

■「至誠」と「打吹」両方取り込み「打吹至誠小学校」 住民団体は「公募にない案ですから、それはいけんと思います」 17日に市議会で審議へ(BSS山陰放送)
不自然な結果なのは間違いないのだから、不自然な結果になった理由を説明しなければいけないのですが、なぜかそうならない。

教育全般(国内)

■育児と仕事の両立が難しくなる“小1の壁”に不安の声 学童保育の待機児童は増加、「小学校に上がれば手がかからない」という職場の風潮も(ABWMA TIMES)
かつて地域社会が機能していた時期には心配しなくてよかったことです。家庭にだけ子育ての負担を押し付けてきたので、こういう問題が生じています。

■子どもへの冷たさが「異次元」の日本政治(Newsweek)
数字は正直です。

【教育学でポン!?】2023年1月9日

昨日からずっと籠もって論文を書いて、無事に完成しました。
【本日の歩数】2107歩■引きこもり。

文部科学省

■文科審議官・伯井美徳「日本の教育の根本揺らぐ危機」、教員の処遇改善に全力 つねに新たな課題生まれる学校現場は「生き物」(education×ICT)
文科省の現段階の公式見解として理解しておこうと思います。本当に、仕事頑張ってほしいです。

ICT

■メルカリ・山田進太郎、「女子中高生の理系志望者」が増えると起こる大変化 財団設立でSTEM分野を目指す女子に奨学助成金(education×ICT)
良いお金の使い方です。どんどんよろしくお願いします。が、本来は公教育がしっかり支えないといけないところではあります。

学校間接続

■東大、早大でも…激増する“推薦入学者”「お荷物」から「一般入試より優秀」へ10年で評価激変のワケ(FRIDAY DIGITAL)
アメリカ型の高大間接続に近づいているということでしょう。

■共通テスト「情報I」、国立大3校が「配点しない」…25年実施新科目の扱いに差(讀賣新聞オンライン)
「情報」という科目の本質を考えた上で出した結論ではなく、浪人と現役の格差に配慮しているという話ではあります。

学校

■感動の学校行事「2分の1成人式」 個別の家庭事情が教育に利用されつづけている(Yahoo!JAPANニュース)
そもそもこういう無意味な行事がどうして根付いてしまったか、反省が必要です。

■全国の教員らが授業の創意競う「授業の鉄人」コンクール 岐阜市(ぎふチャン)
もりもり切磋琢磨していきましょう。

幼児教育

■認定こども園 長野県内 5年で倍増 保護者ニーズを引きつけたわけ(信濃毎日新聞)
長野県だけでなく、全国的な傾向です。

教育全般(国内)

■「大人が過熱して子どもを置き去りにしないで」スポーツに励む子どもを支える大人に、大山加奈が伝えたいこと(Yahoo!ニュースオリジナルVOICE)
勝利至上主義は、スポーツに限らず、いろいろなものを歪ませます。

■“18歳成人”初の成人の日 成人式の対象はほとんどが20歳(NHK NEWS WEB)
■「大人」とは…思いさまざま 18歳引き下げ後、初の「成人式」(毎日新聞)
かつては14歳あたりでイニシエーションを経たら大人扱いでした。

■リーゼントに特攻服…1月の風物詩「荒れる成人式」は日本の学校教育”失敗”の盛大なお披露目式である 顰蹙を買ってまで目立ちたいというやんちゃな承認欲求行動(PRESIDENT Online)
学校の責任と言い切る覚悟は貴いのですが、たとえば中世の「婆娑羅」とか「傾き」も同じ理屈で説明できるでしょうか。実は単に楽しいからやってる、ということはないでしょうか。

【愛知県岡崎市】岡崎城

 岡崎城に行ってきました。2023年の大河ドラマ『どうする家康』で賑わっているかと思いきや、天守閣と三河武士の館は1月上旬段階では工事中でした。

 まあ、高校は岡崎高校に通っていたので、城自体は見慣れたものだったりします。知立から名鉄本線に乗り換えて、進行方向左手に天守閣が見えたら「もうすぐ東岡崎駅だ」という感じ。

 とはいえ、線路を挟んで高校と反対側にあったため、わざわざ岡崎公園まで足を運ぶ機会はそんなになかったような気もします。

 大手門が復元されたのは1993年で、私が岡崎高校を卒業してから2年後のこと。あまり馴染みがない風景だったりします。

 東照公産湯井。まあ、家康が生れた時にはもちろん高石垣や天守閣なんてものはなく、土の城でした。

 本丸はさほど広くないのですが、所狭しと神君絡みの石碑が立ちまくっています。

 まあ、関ヶ原後に家康が作ることになる名古屋城とか丹波篠山城は、真っ直ぐすぎる縄張が人工感バリバリで個人的にはあまり好きではないのですが、岡崎城は自然地形の高低差を活かしたテクニカルな作りになっていて、中世の面影を感じます。空堀もなかなかワイルドです。

 二の丸はけっこう広く、江戸時代はここが政庁の中心だったのでしょう。今は各所に石像が建ちまくっています。この「しかみ像」、昔はなかったような。(2007年に設置のようでした)。現在の歴史学では「しかみ像」みまつわる定説エピソード自体が怪しいとされていますが、そもそも岡崎城ではなく浜松城の出来事ではあります。

 家康像は浜松、静岡、東京などにもたくさんありますが、この銅像はけっこうオーソドックスな印象です。

 本田忠勝の像も。桑名にある像も立派でしたね。

 ちなみに2011年4月に岡崎公園で行なわれた「グレート家康公「葵」武将隊」結成イベントの現場に私もおりまして、その時は東日本大震災直後でテンションが低かったせいもあって「いつまで続くのかな」と思ったものの、メンバー交代を経つつ、現在も頑張っているようです。今後も岡崎を盛り上げていってほしいです。

(2011年4月、2023年1月訪問)

【愛知県名古屋市緑区】桶狭間古戦場はどっちだ

 桶狭間古戦場に行ってきました。とはいえ、野戦だったため、もちろん戦場は大高の東方丘陵地の広範囲に渡り、今川義元が討ち取られた正確な場所などは特定されておりません。有力な場所は2箇所あります。

 まず名鉄中京競馬場前駅を北に出るとすぐ目の前に「桶狭間古戦場伝説地」あります。

 現在は公園として整備されていてのどかなものですが、国指定の史跡になったのは昭和12(1937)年のことで、盧溝橋事件によって本格的に日中戦争が始まった年です。

 江戸時代の石碑が7本ほど立っておりますが、最初の石碑が立ったのは1771年のことで、桶狭間の合戦から200年以上経ってからのことです。どうやら戦死者を葬った塚がこのあたりにたくさんあったようで、今川義元の塚も含まれているという判断だったのでしょう。「桶狭間弔古碑」が立ったのは1809年。
 18世紀半ばから19世紀前半は日本全国各藩で観光地の整備をしていた時期でもあり、東海道の脇に石碑が立ちまくるというのは、学問的な根拠があってのものというよりは、なんとなく金の匂いがするような気もします。

 1771年の一号碑の脇にある塚が「今川治部大輔義元の墓」とされています。が、明治9(1876)年になってから地元民によって作られたものです。

 公園から道を挟んだ向かい側の高徳院には、今川義元公本陣跡の石碑が立っています。

 一段と高いところにあるので、丘の上に陣を構えていたということであれば、死亡地の真上に本陣があったのは自然ではありますが、しかし信長公記で義元が本陣を構えていたとされる「おけはざま山」は、ここから西に500mばかり離れたところにあったりします。
 緩やかな坂を登っていくと、住宅地のど真ん中に「おけはざま山」の石碑が立っていて、「今川義元本陣跡」となっています。

 500メートルを隔てて「今川義元本陣跡」が2箇所あるわけですが、どっちが正確な位置だったかは分かりません。個人的な感想だけで言うと、中京競馬場前の石碑群には江戸時代の金の匂いと日中戦争に絡む恣意的な国家意思を感じるのに対し、おけはざま山の方には信長公記という資料的根拠があるので、こちらの方が分が良い気はします。が、まあ信長公記そのものの信憑性の問題もあったりして、断定するのは難しいところです。

 おけはざま山の石碑の周辺は、現在は何の変哲もない坂道の住宅街になっていますが、坂を下りたところにある「桶狭間古戦場公園」に当時の写真を掲載した案内パネルがあります。

 おけはざま山のふもと、いわゆる「田楽坪」と比定される場所が「桶狭間古戦場公園」として整備されています。

 信長と義元の銅像も並び立っています。義元の方は公家の姿で描かれることが多いのですが、ここでは甲冑をまとっていて格好いいです。

 公園内には今川義元の墓もあります。公園の南側にある長福寺では義元の首を検分したとされています。

 公園内の案内パネルで、桶狭間の戦いの解説をしています。案内パネルの地図の大高城には鵜殿長照が配置されていますが、義元討ち死にの瞬間に大高城に入っていたのは兵糧入れのミッションを終えた徳川家康(当時は松平元康)だったはずです。

 桶狭間の後の家康の行動は大樹寺の記録などでよく分かっていますが、鵜殿長照が大高城の守備交代後に何をしていたかはまったく分かっていません。鵜殿長照が今川義元の本陣に合流していたら桶狭間の結果はまるで変わっていたかもしれません。
 個人的な感想では、鵜殿軍が大高城から本領の蒲郡上ノ郷城に帰る際、水軍を使って知多半島を回った可能性があると考えています。というのは、陸路で大高から蒲郡に向かうとしたら、義元の本陣に合流しないはずがないからです。そしてそうなっていたら、桶狭間の合戦そのものに参加していたはずです。しかし鵜殿軍が桶狭間の合戦に参加した様子は見当たりません。だとしたら、桶狭間の合戦の時には、鵜殿軍は伊勢湾に浮かんでいたということです。義元が大高城に入るのを、海から援護しようとしていたということです。しかし義元は大高城の手前、東方3kmほどの田楽坪で討ち取られました。鵜殿軍はその報を聞いてから、陸に戻ることなく、知多半島を回って蒲郡に帰ったのでしょう。なんの物的証拠もありませんが、個人的にはそう思います。さて、2023年の大河ドラマ『どうする家康』ではどう描かれるでしょうか。
(2011.5.2訪問、2023.1.5訪問)

【教育学でポン!?】2023年1月7日

大倉集古館で開催中の「大倉コレクション—信仰の美—」を観てきました。いろいろ眼福でしたが、特に「探幽縮図」というものが美術的にも歴史的にも凄いことを今さら知ったのが収穫。
【本日の歩数】10834歩■神谷町周辺を散策。

学校間接続

■女子受験生、理系志向くっきり…コロナ禍で「手に職」求める(讀賣新聞オンライン)
コロナ禍だからなのか、これまでの粘り強い取り組みが功を奏したのか、入試制度の変化が影響しているのか、ただの偶然か、長期的なトレンドか。まだ分かりません。

学校

■「不適切な指導」盛り込む 教員用手引書12年ぶり改訂 「指導死」遺族ら期待(長崎新聞)
『生徒指導提要』は旧版の出来も良く、基本線を維持しながらアップデートしてきている印象です。

■山梨独自の「25人学級」、小3と小4に拡大へ 基金取り崩して財源(朝日新聞DIGITAL)
お金をバラまくより、公教育を充実させるこっちの方向が少子化対策として正道です。塾に行かなくてもよくなります。

■茨城・つくばに県立高新設の声 つくば市長「当然県の仕事、市立高検討の時期でない」(茨城新聞クロスアイ)
市立高ができて困るのは県の方のような気がしないでもない。

教育全般(国内)

■教育現場の著作物使用が問題視される理由 “著作権後進国”の行く末とは(デイリー新潮)
授業をする立場にある者としては、気を遣う話です。意識を高めていこう。

■「1年間習い事、旅行せず」3割 低所得層の小学生、補助呼びかけ(共同通信)
金をバラまいても解決には程遠いので、本質的には公共財の充実で解決すべき問題です。

■「異次元の少子化対策」実現に必要なたった一つのこと(Wedge)
経済学の理屈ではそうなのでしょう。教育学の観点からは、まったく別のことを考えます。どこから財源を引っ張ってこようが、そのお金が新自由主義的なサービス消費に消えるのであれば、何をしても無意味です。

教育全般(海外)

■「女子教育で社会腐敗」繰り返される過激発言 タリバン“新”高等教育相就任で女子学生らの恐れは現実に…(ytv news)
酷い話です。が、個人的には何もできないので、目の前のできることで頑張るしかない。