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【要約と感想】土田陽子『公立高等女学校にみるジェンダー秩序と階層構造』

【要約】戦前期の和歌山市における高等女学校の生徒出身階層、メディアイメージ、学校文化、生徒文化、ジェンダー規範を、各種統計資料や個票、各種メディア記事、インタビューを資料として調査したところ、威信の高い公立高等女学校は先行研究でも指摘されている通り新中間層の文化と親和性が高いことが確認された他に、抽象的な良妻賢母主義に生徒たちはあまりピンと来ていなかったことや、武家文化を引き継ぐ質実剛健という学風による厳しい校則への違和感や、西洋音楽への志向なども確認されました。男子と女子を隔離した上で女性を下位に貶めるジェンダー秩序は強固に存在していましたが、中央集権的に一方的に押し付けられていたわけではなく、生徒の家庭や卒業生、地元メディアなどから往還的に形成されたと思われます。

【感想】とてもおもしろく読んだ。バラエティに富んだ複合的な史料で研究対象を多角的・多面的に浮かび上がらせているだけでなく、インタビュー記事などで当時の具体的な様子がよく分かり、痒いところに手が届いている感じがした。級長に選出される生徒の特性を成績表の記述から確認するのは、有為的な結果だけでなく分析手法としてもおもしろい。女子野球に対して地元和歌山では好意的だったとか、厳しい校則に対するささやかな反抗など、一般的な通史ではこぼれそうなところが丁寧に掬い取られていて、とてもリアルだった。
 あとがきにもホッコリする。一冊の研究書がまとまるまでに、ドラマがある。

土田陽子『公立高等女学校にみるジェンダー秩序と階層構造』ミネルヴァ書房、2014年

【要約と感想】小山静子編『男女別学の時代―戦前期中等教育のジェンダー比較』

【要約】1899年の高等女学校令以降に確立した戦前中等教育の男女別学体制の内実を多面的に明らかにしますが、特に一般的という表現で隠蔽されてきた男性の特殊性に留意しながら比較を試みたところ、世紀転換期から1930年代にかけて、標準と見なされていた男子中等教育が、高等女学校や実業学校からの影響を受けて変化していく様子が見られました。具体的には教科目の違い、生理衛生教科書、音楽の扱い、投書文化の男女差、スポーツの表象などを通じて、従来から明らかにされてきた女子中等教育のジェンダー格差だけでなく、一般的と見なされていた男子中等教育にも男性性を付与しようとするジェンダー圧力が確認されました。

【感想】本書のテーマとなっているジェンダー関連の歴史的知見を深められただけでなく、人種論の諸相とかポピュラー音楽差別の実態とか野球表現作法の原点など、いろいろ勉強になった。確かに教育にとってジェンダーという境界線は極めて大きな問題だけれども、世の中には他にも様々な境界線(進学と就職・階層・人種・学校文化と民間文芸)があって、簡単には割り切れないことを改めて確認した。
 個人的な研究に関わっていちばん知りたかった裁縫や家庭科関連についてはほとんど触れられていなかったけれども、書いてなかったことをちゃんと確認しておくのも研究の一環なのだった。

小山静子編『男女別学の時代―戦前期中等教育のジェンダー比較』柏書房、2015年

【要約と感想】南川高志『マルクス・アウレリウス―『自省録』のローマ帝国』

【要約】ローマ帝政期の皇帝マルクス・アウレリウスは、ストア派の思想を記した『自省録』の著者として知られてきましたが、それはもともと出版するために書かれた作品ではありません。哲学者としての著者ではなく、マルクスを通じてローマ帝国の社会を歴史的に明らかにします。
 マルクスの統治期には凄惨なパンデミックと長期にわたる戦争がある一方、剣闘士競技会のように人間の死をエンターテインメントにする文化もあり、人々は常に死と隣り合わせで生活していました。『自省録』に頻繁に見られる「死」にまつわる記述は、単にマルクス個人の感慨を記したものではなく、当時のローマ帝国の日常を反映しています。
 当時のローマ帝国の政治は、属州出身者の台頭という点で、大きな転換点にありました。ローマ帝国が抱える様々な課題に対して、マルクスは前帝の振る舞いを模範としながら任務として誠実にこなしました。マルクスの統治にはストア派の哲学が反映しているというよりは、誠実な仕事人としての前帝の影響の方が強いでしょう。

【感想】個人的にも『自省録』は興味深く読んだ。長く読み継がれている理由がよく分かる名著だった。
 しかし確かに著者が言うように、実際にやったことや起きたことについてはほとんど記録されておらず、「歴史」の史料としては制約が多い。まあ、だからこそ時代を超えて読み継がれているという事情はあるのだろうが。
 ということで、ローマの政治史を中心に、いろいろ勉強になった。当時の教育と子ども観について厚い記述があって、よい復習になった。

【個人的な研究のための備忘録】教育
 マルクスの受けた教育について、当時の時代背景も含めて解説があった。

「マルクスの他の上層ローマ市民男性と同じように、読み書き算術の初等教育、文法教師による中等教育、そして修辞学教師による高等教育の三段階をこなした。ただし、注意が必要なのは、教育を受けた場所である。現代社会では教育は「学校」でなされることが一般的であるが、それは近代後期以降の現象であり、上層階級の人々の間では「家」での教育が重視された時代が長かった。」70頁
「ギリシア文化を受け入れたローマでは、ギリシア語による修辞学の教育に学んで、ラテン語による修辞学も発展し、とくに共和制末期のキケロと一世紀のクインティリアヌスの活躍で、単に美しく巧みに語り書く技術としての修辞学ではなく、自由学科の一般教育を習得した「教養ある弁論家」を育成する修辞学教育という理念が唱えられた。しかし、この教育目標は達成されなかったといってよいだろう。皇帝政治の時代に政治弁論の比重は低下し、政治支配層の社会規範、交際の術としての修辞学の意義が大きくなると、その学問は形式を重視するようになり、弁論の技術的向上の方に力が注がれるようになったのである。」79-80頁

 まあ、そういうことだろう。とはいえ、やはり「修辞学」とか「雄弁術」の位置づけに対する理解が、特にルネサンスになって復興することを考えるととても重要なのだ。しかしこれが肌感覚で分からない。本書でも現代人にはピンと来ないだろうと指摘していた通りだ。
 個人的には、古代の人々が学問を「哲学」と「雄弁術」とで二分していたことが気になる。その伝統はルネサンスにも引き継がれる。個人的にはピンとこないが、暫定的に古代の「哲学/雄弁術」の区分は、乱暴に言えば現代の「理科系/文化系」の区分に近いものかとイメージするようにしている。

【個人的な研究のための備忘録】子ども
 子どもに関する記述が、アリエスの研究を絡めてあった。

「ローマ人の平均寿命はたいへん短かったと考えられている。今日の研究では二〇~二五歳ほどと見積もられている。発見されている子供の墓や墓碑の数が想定より少ないのも、乳幼児期に死亡する者の数が多すぎたためと推定されている。」135頁
「ローマ帝国の経済と社会の研究に画期的成果を上げたケンブリッジ大学教授キース・ホプキンズは、平均寿命を二五歳と推定し、乳児の二八パーセントが誕生後一年以内に死んだと見ているが、イタリアに残されている一歳未満で死亡した子供の墓石は一・三パーセントに過ぎないとも述べる。ほとんどの子供は、何の記念もされずに集合墓に葬られ、この世からいなくなったのだろう。知られているローマ法の規定によれば、一歳に満たずに死亡した子供の服喪期間の定めはなく、三歳未満の子供の死亡の場合は大人の服喪期間の半分であった。」138頁

 日本には「七歳までは神のうち」という言葉があったりなかったりするが、さすがにローマでは「1歳」と「3歳」で区分されていたようだ。体力的・健康的な区分としてはこっちのほうがしっくりくる。7歳は、精神的・労働的・コミュニケーション能力的な区分だろう。

南川高志『マルクス・アウレリウス―『自省録』のローマ帝国』岩波新書、2022年

【要約と感想】宮嵜麻子『ローマ帝国の誕生』

【要約】ローマ帝国は最初から「帝国」を目指していたわけではありません。共和制の小さな都市国家がカルタゴやイベリア半島の先住部族やヘレニズム国家と生き残りを賭けた対外戦争や外交を繰り返すうちに、思いもかけずに「属州」を統治する必要に迫られるようになりますが、しかし既存の都市国家の価値観や権力構造では属州統治がうまくいきません。従来は小さな都市国家なりの共和制として権力の集中を防ぐ合理的な仕組みを用意していましたが、それらは都市国家を超える属州の統治運営には役に立ちません。複数の広大な属州を統治する現実政治の有り様に適応するため、共和制の統治方式を形式的には踏襲しながらも、実質的には前3世紀半ばあたりから権力の集中や例外適用がなし崩しに進行し、前2世紀には都市国家内に広がった矛盾(市民間の格差拡大)への動揺が収まらず、前1世紀の凄惨な内乱を経て、挙句に一人の人物へすべての権力が集中するようになります。それが後世からは「帝国の誕生」と見なされるようになります。

【感想】たとえば鎌倉幕府も最初から「幕府」の設立を目指していたわけではなく、武士階級による土地支配の適切な有り様を模索しているうちになし崩しに権力構造を上書きしていったわけで、1192年の征夷大将軍とは後の武家権力(室町幕府と江戸幕府)が振り返った時に「幕府」成立のメルクマールと見なしただけであって、12世紀後半の権力最前線で新たな世界にアジャストしようと試行錯誤していた人間にとってはもちろんそんな意味は持たない。明治維新やフランス革命くらいまで時代が下ると様々な「過去のモデル」を参照できるようになる(し実際にする)が、秦漢帝国や鎌倉幕府の立ち上げに過去のモデルなどないのである。ローマ帝国も、また同様。という話として理解した。
 個人的には納得感が高い。権力構造の特質は地方行政の有り様に典型的に表れると思っているので、イベリア半島の統治を丁寧に解説しているところに深い説得力を感じる。そもそもよく知らない話だったので、勉強になった。そしてローマ帝国の滅亡も、おそらく地方行政の有り様に深く関わっているのだろう、という見通しをさらに強くした。
 そして本書が明らかに意図しているように、そういう政治的ダイナミズムの観点は現代の国際関係の在り様を理解するヒントになる。もちろん特にアメリカ共和国がなし崩しに帝国へと変わりゆく過程について。マクドナルドやスターバックスやディズニーランドを自主的に生活様式に取り入れる属州の在り様について。

【個人的な研究のための備忘録】ヘレニズムとローマの哲学
 個人的な研究に係わる興味関心から言えば、ヘレニズム哲学(ストアやエピクロス)やキケロ、セネカ、クインティリアヌスの背景を押さえておくために、ローマの政治史・社会史は必須の教養だ。折に触れてローマ帝国の歴史についてはアップデートしていきたい。大カト、大スキピオ、小スキピオの人物像については、従来の思い込みにかなり修正を加えることになった。勉強になった。
 それから単なる思い付きなのだが、プロティノスやプロクロス等いわゆる新プラトン主義の哲学は、ローマ帝国の成立を背景として成立しているなんてことはあるのか。新プラトン主義の考え方を乱暴にまとめると「一」と「流出」である。ギリシア古代哲学から「一と多」の両立がどう成り立つかは議論の的だったが、国家レベルでそれを達成したのが実はローマ帝国に他ならない。ローマ帝国はローマ帝国として「一」でありながら、その内部には統治エリアとして多の属州を含み、多の部族を抱える。「一かつ多」というあり方としてローマ帝国そのものの在り様は厳然たる事実として説得力を持つ。そしてその成立の仕方が「流出」である。都市国家ローマの外部を殲滅して占領するのであれば「流出」と呼ぶに値しないが、(実態はともかくとして観念的に)ローマ的な生活の在り様など先進的文化が辺境を感化した結果としてローマ帝国が成立したと見なすのなら「流出」と呼べる。目の前のワールドワイドな「国」の在り様から「世界」そのものの在り様を構想することで新プラトン主義は立ち上がる、と言えるのかどうか。そして同様に、目の前のワールドワイドな「国」の在り様から「個人」そのものの在り様を構想することで「人格」なり「個性」なり「アイデンティティ」なりという概念が立ち上がってくる、と言えるのかどうか。

宮嵜麻子『ローマ帝国の誕生』講談社現代新書、2024年

【要約と感想】三好信浩『手島精一―渋沢栄一が敬愛した日本の名校長』

【要約】東京工業大学の前身である東京職工学校の校長を勤め、黎明期の実業教育に大きな足跡を残した手島精一の事績と教育思想を、特に「名校長」という観点からコンパクトにまとめた評伝です。帝国大学のような高等教育と比較すると傍系に見られがちな実業系教育ですが、日本の近代化を支えた極めて重要な柱であったことが、手島の事績と思想から分かります。

【感想】伝統ある東京工業大学が、2024年秋から東京医科歯科大学と統合して「東京科学大学」となるらしい。最前線で近代化を支える「職工」を育成する使命を帯びて「東京職工学校」としてスタートした東京工業大学は、「頭と手」のバランスを重視して理学(Science)と工学(engineering)を統合を目指して、帝国大学の理学部・工学部とは一線を画す人材育成を行ってきたが、ここにきて工学(engineering)の看板を下ろして科学(science)の旗を掲げることとなった。これも時勢か。草葉の陰から手島精一は何を思うか。

 個人的には、手島も創立に関わった女子職業学校(現・共立女子大学)について何かヒントがあればと思って手に取ったわけだが、本文に敢えて触れない旨が述べられていて、少々残念ではあったが、まあ、勉強になった。

三好信浩『手島精一―渋沢栄一が敬愛した日本の名校長』青簡舎、2022年