【要約】ドイツの教員養成課程で教育史の基礎知識を身につけるための教科書です。単に人名を並べて個々の思想を解説するのではなく、背景にある精神文化生活についての深い洞察を土台として、一貫した観点から教育思想の展開を叙述します。
古代ギリシア・ローマから始まり、中世とルネサンス・宗教改革を経て、バロックと啓蒙思想あたりまでは西ヨーロッパ全体の教育思想の展開を見ていきます。一転して18世紀古典主義・理想主義から産業化を経て20世紀に至るところでは、ドイツ語圏の教育思想に記述の焦点が当たり、イギリスやフランスはほとんど参照しません。
【感想】やはり定期的に教科書的な通史のようなものは読んでおいた方がいい。モノグラフは確かに個々の観念の解像度を格段に上げてくれるが、個人的な興味関心の全体像を俯瞰しながら個々の観念の位置を調節するためには解像度が低くとも教科書的な通史が大きな役割を果たす。
もちろん個別的な思想に関してもとても勉強になった。特に汎愛派がコテンパンに批判されているところは「へぇ~」連発だった。さすがドイツ人がドイツ人向けに書いている教科書だけあって、日本人が記述する西洋教育史ではここまでこき下ろすことは難しそうだ。
【個人的な研究のための備忘録】古代の個性と人格
個人的にとてもありがたかったのは、著者が「個人性と普遍性」について満遍なく配慮して記述を進めてくれた点だ。というか、本書が書かれた時期にはまさにそれこそが教育学(および人文科学全体)が解明すべき論点として共通の理解となっていたはずだ。しかし現在では多様化した論点が多方面に拡散して、もはや「個人性と普遍性」という観点から問題が立てられることがない。まあ、私が古い論点にこだわって研究をしているということなのだが、しかしこれが本質を捉えていると信じて研鑽を続けるしかない。というわけで、「個性」という概念に注目してサンプリングをしていく。
「アテネにおいては紀元前約400年頃にはじめて、高等教育理念が既存の義務教育では満足がいかないほどに発展し、その後特に紀元前四世紀に入って二方向に分かれて展開していく。すなわち、一方は(ソフィスト達の)実際生活上で用いる修辞学(詭弁術)の方向であり、他方は(ソクラテスープラトンーアリストテレスの所謂アカデメイア学派の)哲学的、学問的方向である。」32-33頁
「この合理主義者たちは自らを、それらを教える義務を果たす者とはみなしていなかった。彼らは七科(三形式科目:文法、弁論術、修辞学と四内容科目:算術、幾何学、天文学、音楽)を教えたが、これらの諸科目は西洋の近世にまで及んで一般高等教育の骨格となり、初等教育と職業教育の中間に位置して、普通高等学校の特別な基本教科目となった。」35頁
まずソフィストを起源とする修辞学の伝統が近世にまで及ぶ射程を持つことが、しっかり教科書的な記述になっていることを確認しておきたい。「人間の尊厳」という観念の考古学を深めようという場合、古代の修辞学や雄弁術は常に参照の対象となる。
「しかし、その際に十分注意すべき点は、ここで言うところの「人間的なもの」とは未だ今日言うところの個性の意味ではなく、「型」[ここに原文傍点]としての、換言すると、国家共同体の構成員、都市国家の市民を意味しているという点である。/特に古代ギリシア初期において、個人はまだ共同体の生活秩序に強固に組み込まれていた。」22頁
「ソクラテスはこの道徳的・自主的人格を全ての共同生活の核心と見なして、人間が第一義的には国家市民ではなくて、人間である、ということを強調した。」39頁
プラトン「このようにして、彼の国家は成文化された法律によるのではなく、修練に基づいた教育を根拠にした理想国家を意味している。しかもその教育のうちでも哲学こそが最高の教育力であり、プラトンにとって哲学研究とは、いわば仮象を超克して万物の原像を観照するための極めて人間的な努力に他ならない。」43頁
アリストテレス「そして人間にとって自己自身に関する継続的な仕事、すなわち人格形成[原文傍点]が彼にとってもまた重要な課題であったことは言うまでもない。」46頁
「そもそも国家の存在意義は、万人が個性の伸長や完成を目指すと共に狭義の道徳的共同生活の実現を可能にすることにある。このような観点からすると、個性の完成と家庭生活は国家にとっての必要不可欠な基礎となる。」47頁
「後期ギリシア文化期の特徴は、ソクラテス、プラトンに端を発し、アリストテレスにおいてさらに顕著となった超国家的、普遍的人間の出現にあった。今や誰もが自覚的な「世界市民」であり、もはや単に一ポリスの市民ではない。この時期には文明と都市文化が見事に開花し、人類の概念や独自な個性の分野が自然発生的集団(家族、種族、民族)以上に高く評価されるようになった。」50頁
「しかし、同時に集団作業や世界市民的考え方と共に個性的、人格的なものに対する特別な関心、すなわち、顕著な個人主義もまた成長してきた。」51頁
「個性」という言葉が連発されて、とても気になる。というのは、プラトンやアリストテレス自身は「個性」という概念をストレートには表現していないように思うからだ(だから著者の過剰な投影の疑いもある)。たとえばプラトンが探究する「善のイデア」の前では人間個人の差異そのものが最初から問題にならない。そもそもイデアとは個物の差異性を捨象する普遍性そのものだ。また一方プラトンとは逆に個物の唯一性に着目したアリストテレスも、エネルゲイアとかエンテレケイアとかエイドスなどという考え方に見られる通り、普遍性を看過しているわけではない。アリストテレスの詩論や雄弁論(同じものはテオプラストスの性格論に見られる)に確認できる個々人の差異的な性格描写についても、それぞれの個人の「かけがえなさ」にはまったく配慮しておらず、一般的な性格描写として理解できるものだ。そういう観点から、本書が古代ギリシア思想を評して「人格形成」とか「個性の完成」と呼ぶものがいったい何なのかは、鵜吞みにしないで突き放して考えておく必要がある。
キケロ「そのような両者の統一的総合形態の内に彼が追求したものは最高の人間性であった。その意味でキケロこそが、その後2000年に亘って重要な教育理想として尊重された人文主義的な教育理念を最初に明確に理解し根拠づけた人物と言える。(中略)キケロの求めた理想は全人(ganz Mensch)教育に他ならず、彼にとって全人とは真の政治的・国家的思考に養われ、包括的な専門的知識に精通して、内的文化や哲学的教養も豊かでなければならなかった。」60頁
確かにキケロの後の世への影響は絶大だ。特にルネサンス期の「人間の尊厳」にダイレクトに結びつく雄弁術の伝統を考える上で無視するわけにいかない。しかしおそらく忘れてはならないのは、ポジとしてのカエサルに対してネガとしてキケロがいる、という全体理解だろう。キケロだけ取り出して云々し始めると、おそらく何か大事なものを取りこぼすことになるような気がするのだ。ともかく、キケロについてはアウグスティヌスからルネサンス期に至る評価を念頭に入れて位置付けていくしかないわけだが、「個性」という概念が明確になったと見なすこともできない。キケロに個性概念を見出すのは後知恵による過剰な投影ということになるだろうし、それでも一方で重層的な個性概念の基底的な層の一つであることも確かなのだろう。端的な評価が難しい。
【個人的な研究のための備忘録】中世の有機体とルネサンスおよび宗教改革の個性
本書の中世理解は、完全にゲルマン民族中心主義的である。その偏りはベルギーの歴史家ピレンヌによって完膚なきまでに批判されており、それを著者も多少は気にしているのか、少々奥歯にものが挟まったような表現も見当たる。とはいえ中世理解は本書において致命的な論点ではなく、もちろん主たる問題はルネサンスと宗教改革の評価と位置づけにある。本書は、中世の有機体的世界観の下では「個性」という考え方がまったく見られなかったが、ルネサンスと宗教改革によって浮上したと明確に評価している。教科書的にはそれで問題ない。
「それと同時に中世というこの時期――この時期の個々の変化や特徴も決して無視されてならないことは言うまでもないが――を支配する統一体も形成されて行く。すでにこの中世期にロマン主義が早くも大規模な「有機体」について言及しているが、事実あらゆる領域で大規模な統一的生活秩序が明らかになってくる。すべての現象が巨大な全体的統一体に組み込まれてくる。」73頁
「またそのような力は人間を決して画一化することはないが、しかしまた個々人の個性を主張することもない。換言すると、そのような統制的に働く力は決して個性的なものではなく定型なのである。個性的なものはこの中世的生活形態においてはまだ言わば自己覚醒までに至っていない。それは後のルネサンスに入って初めて生じてくるのである。」74頁
「もちろん、学問の独立の意義は、人間が自己と世界に対して獲得する新しい位置を認識するときに初めてより深い意味で理解される。すなわち、今や単に理性の自律のみならず、個人の自我の自律を求める努力が目覚めてくる。中世期の強力な[宗教的]絆からの解放を求めた人間は、今や最も深い意味で自己への回帰を願望し、全く新しい方法で自己自身と世界を見出した。彼は自己をまさしく自我として、個性として発見し、今や初めて世界をも真に認識するようになる。」94頁
「しかし、既にこの個性の視点は中世期に際立って存在していたことも明らかなことである。主として規格品の作成の場合ではあったが、それでも独自の作品が誕生し、けっして個性的特徴を欠いていなかった。だが今や人間は個性ある存在の新しい立場を獲得した。個性的であることとは、もはや単なる客観的事実ではなく、喜びに満ち溢れた内的体験であり本来の生活理想である。中世期には個人は服装、生活態度、生活様式、心術などにおいて、自己の所属する集団と違ったり目立ったりすることを躊躇し、自らの社会階層に強固に組み込まれていたが、ルネサンス期に入ると、人間はまさしく個性としての承認と名誉を求めた。」94-95頁
「宗教改革は既に概略したように生活全体の大規模な変化との密接な関連性において考察しなければならないことが判明する。事実、今や宗教改革を通して宗教の領域に生じた個性のより深い自主独立への自覚はさらに一般的傾向となり、伝統の呪縛や中世の強固な秩序からの解放に向けての奮闘努力が出現してきた。」107頁
本書は「個性」の目覚めに関して、なんとなくルネサンスよりも宗教改革の方を高く評価しているわけだが、それはドイツ人の偏った見方だと考えていいところかどうか。あるいはルネサンスは焦点がぼやけているが、宗教改革は論点が明確になっているということだろうか。
【個人的な研究のための備忘録】バロック・啓蒙期の普遍性志向
そして17世紀に入ると、個性的なものに対して普遍的なものの見方が優勢になったという記述が見える。もちろん教科書的にはそうなるだろう。
「今や自律的思考や探求の原理が活発に活動し始める。この原理は既にルネサンス期に根づいていたが、具体的、個人的なものへの関心が強烈であったために妨害されていた。十五、十六世紀には思考は伝統の外的権威から解放されていたが、十七世紀になって初めて世界の普遍的法則性が本質的なものとして把握された。教会や国家の領域においてまた今や学問の領域においても、個性的なものは後退し、普遍的なものが前面に現れてきた。」144頁
啓蒙期「もちろん、この時期を(ヨエルに従えば)「個人的」と呼ぶことはできない。なぜなら合理主義とは個々人における一回性や演繹不可能性に注目するのではなく、万人に共通する法則性に注目するものだからである。合理主義とはまさしく個人を「個体」として評価するが、「個人格」としては評価しない。しかし、合理主義の関心はもっぱら人間にあり、しかも種としての人間個々人のあるべき典型に向けられており、そうして合理主義はまさしく合理的手法で自らの自律性の根拠づけを試み、理性の名において人間に自由と尊厳を約束する。」181-182頁
ただし問題になるのは、デカルト、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツを本当に「個性より普遍」を志向した思想家と理解していいのか、というところだ。確かに科学的な考え方(特に空間の無機質的同質性)を踏まえると、普遍的なものの見方が優勢に見える。しかし例えばデカルトの「我思うゆえに我在り」という著しく個人的な主観から始まる哲学は、もちろん最後には人間理性の平等性に行きついて個人性というよりは普遍性を土台とする考え方に落ち着くのだが、丁寧に見ていくと単純な普遍主義と見なすことには躊躇したくなる。ここには後の「個性」概念に繋がるような何かしらの種が撒かれていないか。丁寧に考えていきたいところではある。
そしてこの時代は、ドイツ人といえどもロックとルソーを無視して議論を進めるわけにはいかない。
ジョン・ロック「そして子どもにとって生き生きしていることと同様に、個性的であることもまた高く価値づけられる。(中略)この個性教育論が取り上げられたのは、ロックが家庭教師による教育を好んだためでもある。」196-197頁
ルソー「「自然教育」は、また教育目標に関して、なによりもまず普遍的な人間性を優先してあらゆる特殊な観点、すなわちすべての政治、社会、職業などの上位に根本的に位置づけられている。この普遍的な人間性に対する視野のために特殊的な観点を排除したことはルソーの革命的な業績であり、この業績こそが啓蒙主義を超克し、啓蒙主義の実用的、市民的有用性を目指す考えを遥かに乗り越えていることの証に他ならない。そしてこの普遍的人間教育の思想はその後、ゲーテの時代になって初めて完全な成果を見ることになる。」210頁
本書では、ルソーはロマン主義の先輩のような位置づけを与えられている。まあ、教科書的にはそれでまったく問題ないだろう。ただ、ルソーには汲めども尽きぬ紛れが多すぎて、丁寧に考え始めると手に負えなくなってくる。
【個人的な研究のための備忘録】古典主義・理想主義の個性
そして18世紀に入ると、本書は怒涛のドイツ人思想家ラッシュになる。もはやイギリス人やフランス人思想家には目もくれない。そして実際、確かにこの時代のドイツ人教育学者が果たした役割は極めて大きい。そして本書がドイツ人によって書かれたこともあるのだろうか、ここからの記述は私の知らないことが多く(いや単に私の勉強不足のせいか)、とても勉強になった。
まず「疾風怒濤」については、もちろん日本人による西洋教育史概説でも無視されるわけではないが、本書の記述はやたらと躍動していた印象だ。ここで「個性」という言葉が連発される。
「この若者たちが埋もれていた非合理性を発見することによって、彼らはまたルネサンスが既に持っていた個性への眼差しを再び獲得した。(中略)――啓蒙主義からは本気にされなかった――民衆詩、民衆歌、神話、童話は、今や自然のままの真の芸術として見いだされ、民族の個性を特徴づける表現として称賛された。というのも「個性」は単に個人の個性であるだけでなく、また集団の個性としても評価されるからである。」239-240頁
「したがって今や真実な人間性の要請として浮かび上がってきたことは、他方ではけっして思考する理性や抽象的な道徳律だけを認めるのではなく、その自分の存在全体を尊重することであった。これによって啓蒙主義が布告された人間の尊厳と個性の自律という理念は進化するのである。」240頁
「同様にこの古典主義の時期は自由と法則の総合、すなわち人間の個性的なものと超個性的なものとの総合を目指している。(中略)その際『理念』は歴史的特殊を超えた理性的普遍性としてではなく、特殊なものにおける普遍性として理解されている。」243-244頁
「この運動は、文学や哲学にとってと同様にまた教育思想にとっても大きな意味を持っていた。すでにあげた一般的特徴からも認識できるのは、人格教育こそがこの運動な主要関心事の一つであったということである。この運動がその有機的世界像から本来の意味で初めて「形成」(Bildung)の概念を想像しドイツ語で普及させた。」247頁
注目したいのは、ここからいきなり「民族の個性」についての記述が登場するところだ。実際、フランス革命以降にドイツ・ナショナリズムが激しく燃え上がることは世界史の一般常識ではあるが、この点が「個性」や「人格」概念の展開を考える上でも極めて重要だという印象を改めて深めた。「人間の個性」という概念の浮上は、おそらく「民族の個性」という概念の浮上と並行している。あるいは「国家主権」という概念の浮上と「人格」という概念の浮上も。疾風怒濤の探究を進めなければと思った次第。
「ジャン・パウルはヘルダー以上に教育目標の個性化をおこなった。彼の確信していたところによると、各人は誕生から定められた個性的理想像を持っており、教育はこの「価値ある人間」を自由にすること以外に何らの関係も有しない。」262頁
「ジャン・パウルの教育理論を特徴づけていた個性の原理は、ヴィルヘルム・フンボルトでは、なお一層際立たせられる。」263頁
不勉強にも名前しか知らない教育学者だが、ここまで評価されていたら読むしかない。
「すでに『独語録』では、シュライエルマッハーはまさしく教育(Bildung)の問題を、特に自己教育の問題を追及している。その際、特に強調しているのは、個性を目指した人間教育であり、「誰もが独自の方法で人間であることを表現すべきである」としていることである。」285頁
「教育の全体目標は次のような両極的対極の中で把握される。教育は一面において人間を純粋に個人的生活圏内から導き出して、客観的全体性に能力を与えることができるように教え導くべきである。シュライエルマッハーが極端に言っているように、すなわち人間を学問、国家、教会、共同体に「引き渡す」べきである。他方、教育は人間を未発達で何物にも染まらない個人から彼本来の個性的人格をつくり出し、すなわち個性を形成すべきである。この二つの課題は種々の矛盾を孕みながらも、すべて対立しているにもかかわらず、二つの異なる大きな教育的課題の二面にすぢないのであり、それらはじょじょにさらに次第に遠ざかるに過ぎない。両者とも他方を抑圧してはならず、もしそうすれば、自ら被害を受けることになるであろう。なぜならはっきりした個性だけが完全な意味で生活全体に奉仕することができるからである。」290-291頁
シュライエルマッハーは明治期日本教育界でも頻繁に言及される学者だ。日本の教育学への影響を考える上でもしっかりやっておかなければという認識を新たにした。勉強すればするほど勉強すべきことが増えていく。
■アルベルト・レーブレ、広岡義之・津田徹訳『教育学の歴史』青土社、2015年