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【要約と感想】山崎明子『「ものづくり」のジェンダー格差』

【要約】ものづくりは、客観的・中性的な「モノ」の存在ではなく、ものづくりを巡る言説によって価値づけられます。女性たちの主体的なものづくりへの意志や創造性は、家父長的な規範の中で常に周辺化され、フェミナイズされた言説によって都合よく利用され、大きな力に回収されてきました。

【感想】女性のクリエイティヴィティということで私がいつも即座に思い浮かべるのは、コミケだ。このコミケですらフェミナイズされた言説によって男性原理に回収しようとする人々が後を絶たないわけだが、コミケが女性たちの創造への意志によって成り立ってきたことは疑いようがない。で、コミケがすごいのは、男性の欲望や眼差しを排除して、家庭や家族という規範を無視して、女性だけの欲望に基づいた言説空間が成立しているところだと思う。そして交換(商品化)に基づく経済というより、贈与(感情の共有)に基づく経済に近いようなイメージもある。まあ、こういう物言いも、女性がケア領域を担当するというフェミナイズされた言説に回収されていると反省するところか、さてはて。
 で、問題の本質は個人的にはやはり資本主義だと思った。何でも商品化してしまおうという欲望渦巻く資本主義の圧力の中で、女性たちが蓄えた能力を商品化するための水路として「内職のススメ」が語られる一方、商品化が不可能(たとえば技術や購買力の不足による)な領域をフェミナイズされた言説によって家庭の責任(つまり家事)に押し付けるやり方。商品化できない仕事のことを「家事」と呼ぶとすれば、たとえば技術の発展による「商品化できるもの」の境界線の移動は、常に言説によって調整されることになる。本書が扱う「手芸」とは、その境界線を行ったり来たりするものだ。商品化できるとなれば仕事と職業の文脈で語られ、商品化できないとなれば家庭と趣味の領域で語られる。その境界線を決めるのは、あらゆるものを商品化しようとする欲望、つまり資本主義だ。今や性どころか人格や個性を簡単に商品化できてしまう世界において、本書が主題とする「フェミナイズされた言説」というアプローチは、「ものづくり」以外の領域を考える際にも極めて有効だと思った。創造や表現への意志は、知らないうちに何か大きな力に回収されていないか。

【個人的な研究のための備忘録】裁縫と人格形成
 明治初期に女子裁縫学校の設立者として活躍した渡辺辰五郎の研究を進めている身としては、裁縫教育に関わる次の文章は無視できない。

「手芸を学ぶ過程は、その多くが技術の修得に費やされるが、手芸の言説は技術に言及することはあまりなく、女性の精神性――婦徳・高尚優美など――ばかりが語られる傾向にある。(中略)こうした考えは近代女子教育のなかでは広く認識されており、裁縫や手芸は、忍耐、綿密、節約、清潔を必要とするものであり、これらの何か一つでもかけては完全な制作品はできず、またこれらは家政に不可欠な徳だと考えられていた。つまり裁縫・手芸は女子のを育て、またが身につかなければ裁縫・手芸はできない、どこまでいっても針仕事と婦徳は相互に不可欠なものとみなされていた。」38-39頁

 本書では下田歌子を引用しているが、裁縫と精神性を結びつける言説は、実は江戸時代から見ることができる。ご多分に漏れず、渡邊辰五郎も裁縫教育が「人格形成」に寄与するものだと言っている。だから問題は、その「人格形成」の具体的な中身である。「女性として」必要な徳を身に付けるのか、「人間として」必要な資質・能力を伸ばすのか、どちらなのかが問題となる。
 ともかく本書が指摘する通り、歴史的には、そして日本に限らず、裁縫や手芸は女性が経済的に自立するための手段というより、家庭を回すための必須技術として婦徳とセットで理解されていた。そういう時代背景において、裁縫教育を合理化した渡邊辰五郎の仕事はどのように理解することができるか。

【個人的な研究のための備忘録】個性
 高度経済成長期の手芸ブームを語るパートで「個性」という単語が大量に出現する。個性概念を追及している身としては、とても気になる。

「この言説から、団地への危機感は、画一化によって奪われる個性とみなされていることがわかる。それも文脈的には「主婦の個性」である。個性を奪われることが、人間性の否定につながり、その回復のためにこそ手芸が生かされるということになる。」169頁
「手芸家たちは家庭空間のあらゆる場所を、その場に適した手芸品で飾っていくことを是とした。それこそが個性の追求であり、画一性の回避であるからだ。」175頁
「手作り品によって個性を出すこと、つまり他者の暮しと差異化することは、手芸作家たちの大きな関心事であり、また受容者である高度経済成長期に生きる女性たちにとっては何によって人との差異化が図れるのかは重要な問題だったとも言える。」178頁
「また芸術品を分析することによって、手芸制作者の個性が刺激され、創作欲が生まれ、生活を豊かにするという目的が達せられるとも述べる。」178頁
「手芸をする主体であった女性たちも、自分の欲望に意味づけを必要とした。量産された材料に自らの労力をかけて唯一無二の手芸品を作ることによって、量産品に囲まれた家庭空間を個性的な空間へと変貌させるという、新たな手芸の意味づけであり、その使命をもつ者こそ主婦であるという新たな主婦規範であった。」182頁

 美術史的には、既成工業製品に対する手仕事の尊重は、19世紀末ウィリアム・モリス等のアーツ・アンド・クラフト運動に既に見られる現象だ。(これが美術の普遍主義から各国の「個性」を尊重するナショナリズムに結びついてく展開は個人的にも追求したいテーマだ)。で、本書はアーツ・アンド・クラフト運動から遅れること70年、日本の高度経済成長期に手芸による「個性」の表現が盛り上がったことを伝える。これは、既成工業製品が日本人の日常生活に決定的な(悪)影響を及ぼすようになったのがイギリスから70年遅れたことを意味している、と理解していいところか。そして、この文脈で使用される「個性」が、19世紀末のナショナリズムにおいても、高度経済成長期の日本の主婦においても、普遍的な科学・技術への対抗・反発する「ロマン主義」的な土台を持つ言葉だと理解していいところかどうか。そう理解していいなら、高度経済成長期におけるロマン主義的な「個性」概念は、地域共同体から切り離されて島宇宙化していく近代家族概念と極めて親和的だ。そして70年代乙女チック少女マンガ(わたしらしいわたしの尊重)の流行も、この流れと絡めて理解したくなるところだ。
 しかし翻って、この「個性」は、苅谷剛彦が言うところの階級間格差を隠蔽して「不平等を正当化する」ように機能する。本書のモチーフで言えば、ジェンダー間格差を隠蔽して「不平等を正当化する」ような個性だ。確かに個性は個性で間違いないのだが、往々にしてその個性にも序列があることが隠蔽される。本書で言えば、売れる個性と売れない個性がある。この「売れない個性」を慰撫してルサンチマンを冷却化するように「個性」という概念が機能する時、不平等な現実は正当化される。それを各個人が納得して受け入れられるかどうかは各人の性格と置かれた環境によるのだろうが、なんらかの社会的集団(たとえば本書であればジェンダー。他には学歴や地域、世代)に適用される場合は、隠蔽と無化のメカニズムを暴露しておいたほうがよいのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】自己実現
 「自己実現」の用法もサンプリングしておく。

「女性たちが自己実現を目指して伝統工芸界に参入することは、生活の保障がなく、多大な労力が必要で、後継者がいなくなった伝統工芸界にとって、まさに苦境を打破するものと見なされている。」214頁

 教育学で言えば「配分」の問題系で考えるところか。社会的な需要と個人の自己実現の折り合いをどうつけるか。少なくとも現状のキャリア教育の議論では、ここまで目配りできていない。途方に暮れる。

山崎明子『「ものづくり」のジェンダー格差―フェミナイズされた手仕事の言説をめぐって』人文書院、2023年

【要約と感想】苅谷剛彦『増補 教育の世紀―大衆教育社会の源流』

【要約】教育機会の平等を追及すると、実は個性の名のもとに不平等が可視化・正当化されるようになります。平等の基盤があって初めて比較・選別が可能になるからです。具体的に19世紀後半から20世紀初頭のアメリカで「知性平等主義」を掲げて教育を通じた社会平等の実現を目指した社会学者ウォードの来歴と思想、および20世紀初頭のハイスクールの展開を検討します。
 独学で自分の人生を切り拓き学者となって職業的・経済的に成功したウォードは、人工的に階級が構成されている人間社会では自由放任の社会進化論は機能しないと批判し、階級間格差に関わらず知識を普遍的に普及させる教育介入こそが社会の平等を実現すると楽観的な見通しを示します。これは単にウォード個人の主張というより、共和国の建国理念と無償の公教育制度が整備されつつあった19世紀後半のアメリカ社会の現実を背景として人々の間に広く共有されていた価値観でした。しかしウォードは知性分布の階級間格差や人種・民族間格差は認めずに階級間の知識格差の是正を主張するものの、個人の能力格差についてはあっさりと認めます。
 教育介入によって階級間の不平等を解決しつつ、一方で変化が目まぐるしい産業社会に必要な人材を選別・配分するべく、19世紀後半のアメリカでは、古典語学習を基礎として上級学校に進学することを前提としたエリート向け私立アカデミーから、様々な出自の子どもが同じ場所で学ぶ無償・公立のハイスクールへの転換が起きました。19世紀後半のハイスクールは教養主義的にすべての子どもに同じ知識を与えることで教育機会の平等を実現しようとしましたが、20世紀初頭には産業界の多様なニーズと児童中心主義の思想に応えて総合的なカリキュラムによる多様な教育を供給することで教育機会の平等を実現しようとしました。しかし個性を追求することは教育内部に競争と選別(しかも階級やエスニシティ差別に規定された)を生じさせ、教育機会平等(あるいは知性平等主義)の基盤を掘り崩しますが、教育はその矛盾を内部に抱え込んだまま「個性(あるいは自己実現)」というフロンティアに入り込み、終わりのない教育改革へと突き進みます。

【感想】とてもおもしろく読んだ。100年前のアメリカの教育について考えることがそのまま現代日本の教育の問題に直結するという、まあ本編で著者自身が何度も自画自賛しているけれど、構想力の勝利だ。
 まあ、本来であれば近代教育における「平等主義」の来歴について考えるのであれば、「国民としての等質性」に基づいた「包摂と排除」という観点(つまりナショナリズム)を無視することはできない。本書にはその視点がひとかけらもないのだが、まあもちろん著者もその程度のことには気がついていて、おそらくあえてバッサリと切り捨てている(そしてアメリカが対象だと切り捨てやすい)ところで、私としても本書の論旨そのものに対して特にイチャモンをつけたいわけではない。とはいえ、自分自身が「平等主義」の来歴と未来を考える際には忘れてはならないというメモのようなものは残しておく。
 ということで、本書は「国民国家」の観点を完全に排除した上で、「社会」の観点から近代教育が抱え込んだ「自由と平等」のアポリアに無自覚なこと(特に日本で)を滅多切りする。個人的には近代教育というものが本質的に抱えるアポリアを「自由でないものを自由にする営み」と表現しているわけだが、本書ではそれを森重雄の言う「誰でもないが誰にでもなれる」に代弁させておいて、「平等を追及すると不平等を正当化する」というアポリアの構造と、その無自覚さが生み出す悲喜劇を追及する。まあ、社会移動や階級間格差に対する鈍感さについては、仰る通りだったな、と思う。「個性」や「自己実現」を持ち上げてきた教育学界隈の無邪気さについてはしっかり反省する必要がある。
 しかし同時に思うのは、確かに日本には無邪気な学歴信仰がある一方で、真面目なガリ勉を揶揄するヤンキー風立ち回りが喝采を浴びる、イギリスで言う「ハマータウンの野郎たち」的な文化も目立つことだ。そしてそういう反学歴的な空気はアメリカではアメフト・チアリーダー文化として開花し、アイザック・アシモフやブルーナーが苦々しく言及している。そういう無邪気で野蛮なヤンキー信仰は、教育学者たちが醸成したものではないだろう。こういう現象を教育の回路内で理解する(競争の冷却と退却への慰撫)か、それとも教育の手の届かない領域の問題と見る(学校教育の限界)かで、話はずいぶん違ってきそうだ。

【個人的な研究のための備忘録】個性
 本書後半は「個性」と「自己実現」という概念が登場する背景を分析している。

「しかし、ホールの文章には、さりげない形で、その民主主義の価値の中核にまで肉薄する根本的な思想的転換が込められていた。いまや「共和国」の担い手として、民主主義に値する権利の主体となるのは、「個性」ある個人であった。「ハイスクールに入ったばかりの生徒たちに、一人で考えたり勉強したりするだけの能力が備わっていると過大に評価することは、大変危険だ」という考えに立ち、教養主義的な学問を通じた規律・訓練によって育成された知性ある市民を共和国の担い手とする考え方から、一人一人の興味や関心を尊重する教育によって育つはずの「個性」ある個人をその担い手とする教育観へ。共和国の担い手を「知性」から「個性」へと移し替える――「自立した市民」像の転換がここでおきたのである。」245-246頁
「(前略)それまでのハイスクールの教育では、個性を主張する若者たちは、卒業せずに早期に学校を離れていた。それは、個性ある若者が間違っているからではなく、その個性に合わせることのできない学校が間違っているからだ。それとは対照的に、「子ども中心」の教育は、個性を尊重し、個性を豊かにする。そこにおいて尊重され、育まれる個性ある個人に、「共和国」の命運をゆだねることができる。こうした学校をホールは「理想の学校教育」と考えたのである。」246頁
ホール原文「とりわけ、学校において個性(individuality)というものに、共和国という政府の形態にマッチするあらゆる権利を与えるだろう」245頁、原文傍点
ホール原文「個性individualityには、これまでよりもずっと長いもやい綱が必要である。」247頁

 まあ、なるほどなあというところだ。
 個人的に「個性」概念の立ち上がりを見極めるべく研究を進めていて、ルネサンスや啓蒙主義には見当たらず、さしあたってロマン主義が源流だろうと検討をつけているわけだが、なるほどアメリカで突然変異している可能性も高い。

「職業機会の制約という現実の前で、教育の拡大も多様化も、調整を図ることを余儀なくされる。(中略)ところが、一人一人の個性=個人の内面という新たなフロンティアの発見が、この調整を、個人の内面にところを移して行うことを可能にした。社会経済的な不平等の問題を、個人の興味関心や動機づけといった教育固有の個人の問題へと置きかえる。いかにして「自己実現」を保証するか。自己実現されている状態かどうかの判断が、個人の内面の問題であるとすれば、この新たなフロンティアの領域は無限である。個人の外部にはそれを妨げるいかなる境界もないのだから。(中略)「すべての者に自己実現を!」との新たな平等主義の目標を掲げることで、表面上は、現実の不平等問題を教育内部の問題に押しとどめておくことが可能になるのである。」296-297頁
「「何にでもなれる自分」の起点となる自己のとらえ返しの中で、そうした自己=個性をいかに育むかという課題をも、学校は担うようになった。すでにホールの時代から、個性ある個人を自立した個人と見立て、個性の発見・伸長を学校の主要な役割としていったのである。その結果、教育機会の平等も、一人一人の個性に見合った教育の提供という意味に変容していった。」306頁

 誰もが必ず「夢」を持たなければいけないというドリハラの起源である。「個人の内面を発見した」というより、「個人の内面を捏造する」のほうがより正確か。フーコーは教会による告白制度が個人の内面を捏造したと言ったが、近代学校は作文や進路指導によって内面を捏造するということかもしれない。

苅谷剛彦『増補 教育の世紀―大衆教育社会の源流』ちくま学芸文庫、2014年<2004年

【要約と感想】アルベルティ他『イタリア・ルネサンス期教育論』

【収録論文】
(1)ヴェルジェーリオ(1370-1444)「学芸について」
(2)ブルーニ(1370-1444)「諸学問ならびに文学について」
(3)アルベルティ(1404-72)「家庭教育論」
(4)ピッコローミニ(1405-64)「子どもの教育について」

【要約】子どもたちが持つ本来の特性を見極めて、早期に善い習慣を身につけさせ、悪習を取り除き、自由諸学芸を学ばせましょう。歴史や修辞学、詩の古典などを幅広く学ばせ、特に雄弁術の修得を通じて徳を身につけさせましょう。教育は早く始めるに越したことはありません。体罰はだめです。

【感想】15世紀、イタリア・ルネサンスの教育論アンソロジーなわけだが、この周辺の事情は学部生向け教育学の教科書ではそうとう手薄い印象がある。私の基礎教養が欠けているのも学部の概論でしっかり学んでいないせいだ(ということにしておこう)。
 一般論としては、ペトラルカ以来のイタリア・ルネサンスによってギリシア・ローマの古典が暗黒の中世から甦り、人文主義(ヒューマニズム)が勃興・充実・発展して、現代のリベラル・アーツ(教養主義)にまで繋がることになっている。確かに本書に収められた諸論考はギリシア・ローマの古典からの引用に満ちている。特にキケロ、プルタルコス、クインティリアヌスからの引用は飽き飽きとするくらい大量だ。というか、教育に関する考え方そのものはクインティリアヌスからほとんど進歩していないようにすら見える。古代とルネサンスの距離は、論旨だけに注目すれば、極めて近い。つまりキリスト教による影響は目につかない。
 しかし一方、ルネサンス期教育論と近代的教育論との距離は、極めて遠いように思う。ルネサンスの教育論からは、ちっとも近代的な臭いがしない。体罰禁止という主張そのものには近代的な臭いを嗅ぎ取ることもできようが、禁止の根拠はまったく近代的ではない。ルネサンス期教育論と近代的教育論が似ていないと思うおそらく最も大きな原因は「雄弁術」の位置づけだろう。ルネサンス期ヒューマニストたちが雄弁術を最大限に称揚するのは、彼らの教育論の土台がクインティリアヌスにあるのだからまったく不思議ではないというか、当たり前ではある。しかし一方彼らが拝み奉る雄弁術なるものは、近代的教育論ではほぼ完全に抹殺されている。ルネサンス期人文主義を引き継いだとされる現代リベラル・アーツでも、雄弁術そのもののトレーニングなどしない。
 近代的な教育においては、任意のテーマについて雄弁に語るより、真実を見極めること(およびその手続き)の方が決定的に重要だ。もちろんそれはガリレオ、コペルニクス、ニュートン等による自然科学の仕事がベーコン、デカルト、カント等によって帰納的・論理的・理性的・科学的な思考法に定式化されて以降のことだ。現代のリベラル・アーツも、雄弁的な素養を身につけることよりも、論理的・理性的・科学的・批判的な思考を育むことを目指している。そういう近代的な観点からすると、自然科学革命以前のイタリア・ルネサンス期の教育論がやたらめったら雄弁術の重要性を前面に打ち出してくるのは、時代背景を踏まえれば理屈では分かるとしても、少なくともその雄弁術への情熱はどう頑張っても共有できない。近現代においては、雄弁術の教育的意義は地に落ちている(まあ福沢諭吉が「演説」の重要性を説いていたことは思い出しておいても損ではないか)。
 そして個人的な研究上の関心に焦点を絞ると、教育基本法第一条でいう「人格の完成」という旧制高等学校的観念が雄弁術とどういう関係にあるかが問題となる。言い換えれば、雄弁術の伝統がキケロ的古代からイタリア・ルネサンスを経て近代以降にどう引き継がれているか。あるいは仮説として、たとえば近代的合理主義の浄化作用によって「人格の完成」という古代的・ルネサンス的観念から雄弁術の伝統が漂白され、背景と文脈を失った単なる観念あるいは理念としてより純化した、と見なすべきか。ともかく、雄弁術がリアルに政治的・法的・文化的意味を担っていた時代(たとえばキケロ的古代)であれば具体的にイメージできただろう「人格の完成」というものは、近代合理主義を経て高度に抽象化してしまった結果、現代では内容を失ってただのお題目にしか聞こえない状況になっている。かつて「教養」と呼ばれていた何かが説得力を失っているのもそのせいかもしれない。
 ひるがえって。本書収録の諸論文は、科学革命以前(というか前夜)の、雄弁術がまだ大きな権威と説得力を維持していた段階における、具体的な「人格の完成」を当然の前提とするような教育論たちだ。現代的な「人格の完成」概念に至る道筋のヒントが何かないかと思って本書を手に取ったわけだが、結果として欲しかったもの(自分のストーリーに都合の良い言質)は手に入らなかった。というか、ますます混迷の度を深め、軽い眩暈に襲われているのであった。

【個人的な研究のための備忘録】個性
 欲しかったものの一つは「個性」という概念(の萌芽)だったが、「かけがえのない個人」というものを指し示すような言葉は皆無だった。モンテーニュの段階(16世紀後半のフランス)では明瞭に見いだせる「かけがえのない私」という観念は、15世紀イタリア・ルネサンスには見いだせない。むしろ14世紀ペトラルカのほうが近代的自我を彷彿とさせるくらいだ。まあ、「ルネサンス期にはかけがえのない私という個性観念は一般論としては成熟しなかった」と、しばらくはみなしておいていいのだろう。
 一方、「様々な特性を持った個体がある」という個性観念は極めて重要な論点として前面に打ち出されている。それは古代のクインティリアヌスにも明瞭に見られる考え方で、その論理をそのままそっくり引き継いだルネサンス期教育論が同じような見解を示しているのは当然と言えば当然ではある。まあ、まずは「様々な特性」という意味での個性観念がやたらめったら表明されていることは事実として押さえておく。(とはいえそれは西洋に特徴的な現象でもなく、東洋でも伊藤仁斎などが「性」概念を論究する際に盛んに主張していたことも忘れてはならない)。だから問題は、ここからどうやって近代的な「かけがえのない私」という個性観念に繋がるか、あるいは繋がらないかだ。具体的にはモンテーニュとの関係がポイントになるか。

「各人は生まれたときからその固有の才能をたいせつにしなければなりません。(中略)生来、生まれついているものがなんであるかを熱心に窮めることがすべての人にもっとも重要なこととなります。」(V.20頁)
「ある者にとっては、親たちの期待そのもの、あるいは幼児期からの習慣が障害となります。子どものころから慣れ親しんだことはおとなになってもたやすくおこないます。そして、そのゆえにこそ生み育ててくれた親たちの技術や職業を子どもはみずから選ぶのです。われわれの教育という仕事のもう一つの障害は、生まれた土地の流儀です。われわれは、そこで生活する人びとが承認し、おこなうことを純金の財宝でもあるかのように尊重するのです。そこで、人びとはその固有の人生の方向を選択することが、非常にむずかしくなっています。」(V.37-38頁)
「ところで、才能が多様な性質をもっていることは事実です。ある者は自分の思想を論証する論点と証明を、よういになにごとのなかにでも見いだします。ある者は、それとは反対に、そのようなことには時間をかけなければなりませんが、しかし判断においてはより深くかつすぐれております。(中略)また、ある者は才能にはめぐまれていながら、ことばがさわやかでないということもあります。(中略)ついで、抜群の記憶力をもった人びとがおります。」(V.53頁)
「思弁的で実務的な二重の才能にめぐまれている者は、いずれの方向に自分がより適しているかを各自が判断することによって、のぞましいとおもわれる学問研究に専念すべきです。ついで、才能のおとっている者、つまり法律用語でいう<土地につながれた者>は、普通にはなにごとにおいてもうまくいかないようにおもわれておりますが、しかしなにか一つのことで成功することを示しております。そして場合によってはかなりの力を発揮するものです。したがって当然のことではありますが、このような人びとは、彼らにもっともふさわしいある一つの教育に専念すべきです。」(V.54頁)
すべての学習者に画一的規則をもうけることはのぞましくないし、また各自が自分の能力の状態ならびにその程度を判断すべきであることをわたしはつけくわえたいとおもいます。」(V.57頁)

「父親は子どもたちに適したことをやらせて欲しいものです。「お前の性質や才能がお前をひき寄せるところに、熱心に従い、はげみなさい」と、キケロに答えたアポロンの神託をお聞きなさい」(A.101頁)
「彼等によって、息子たちがどんな修行や徳に向いているかということを知ることは、それほど困難なことではないでしょう。」(A.102頁)
「日々、子どもたちにどんな習慣が生じるか、どんな欲望が持続するか、彼らはどんなことにしばしば関心を示しているか、何に一番熱心なのか、そして、どんな悪い欲望にとらわれやすいかを、父親は注意深く観察して欲しいと思います。そうすれば、子どもたちの、多くの明瞭な特徴をひき出し、彼らを完全に認識することができるでしょう。」(A.103頁)
「子どもが生来の傾向を何がしか示しはじめる最初の日から、彼らがどんな性向を持っているかということにあなたは気がつくでしょう。」(A.104頁)
「父親は多くの場合、子どもがそれぞれ何にむいているか、かなりよく気がつくものです。」(A.105頁)
「私たちの子どもたちの漠然とした隠れた傾向に注意を払って認めた後で、天性にしたがって彼らがひかれていた傾向に反した、新しい他の道へ彼らを矯正し、導くことが、私たちにとって、非常に困難でほとんど不可能なことではないと思うのですか?」(A.122頁)
「多血質の人は憂うつ質のひとよりももちろん恋をしやすく、胆汁質の人は怒りっぽいということでもわかるように、本来、多かれ少なかれ人間の欲望には何らかの刺激が自然に付与されているということを、おそらく私は告白しなければならないでしょう。」(A.124頁)

天性は教育がなければ盲目であるように、教育は天性がなければ不具であります。両者とも訓練をしなければあまり役に立ちません。」(P.139頁)

【個人的な研究のための備忘録】習慣
 というわけで具体的な教育方法としては、特に幼少期は子どもの「個性」を見極めたうえで、悪い習慣を抑えて良い習慣を身につけさせることがポイントとなる。

「したがって、悪い習慣は大変ふさわしく、良く作られた天性をことごとく堕落させ、汚すと言うことができましょう。時を得た良い習慣は、理性的でない欲望や不備な理性をことごとく克服し、改めます。」(A.125頁)

 このあたりの理屈や筆運びはただちにジョン・ロックの教育論を想起させるところだ。自然科学革命を経た近代合理主義であっても、「習慣」という観念や教育上の意義について変更された気配は感じない。このあたりに「人格の完成」観念の連続性を考えるヒントがあったりするか。

【個人的な研究のための備忘録】体罰
 ちなみに体罰は徹底的に非難される。このルネサンスの伝統はエラスムスにまで引き継がれる。

殴打を用いるのではなく注意するべきです。たとえ、弟子を殴るのは許されることで、クリシップスがそれを非難しなかったとは言っても、そしてまた、「成人したアキレスが故郷の山で歌った時、彼はなお鞭をおそれていた」というユウェナリスの言葉がしばしば用いられても、私にとっては、クィンティリアヌスとプルタルコスの方がずっと重要であります。彼らによれば、子どもたちは、なぐったり、鞭をあてたりするのではなく、勧告や討論により、善い生活をするように導かなければなりません。殴打は奴隷にはよくても、自由人には適しません。」(P.141頁)
殴打からは憎悪が生まれ、おとなになっても残ります。学ぶ者にとっては教師に対する憎しみ以上に有害なものはありません。」(P.142頁)

 ただし、古代のクインティリアヌスが体罰を徹底的に非難しており、それを無批判に引き継いだルネサンス期教育論が体罰を否定するのも当然というところではある。ルネサンス期の具体的な状況から帰納的に体罰否定の論理が編み出されているわけではない印象だ。

【個人的な研究のための備忘録】自由諸学芸
 教育内容としては、もちろん自由諸学芸(人文主義)が全面的に推奨される。

「手職であれ商売であれ、あるいは財産の管理であれ、なりわいのもろもろのわざに専念している人びとは、自由学芸に没頭しながらもそれをいやしいなりわいにかえてしまっている人びとと同様に、実際にはすぐれた諸習慣とはまったく反対の事柄に専念しているのです。」(V.25頁)
「卑俗な諸技術がその目的としてかせぎを快楽とを目ざすように、徳と栄光とが自由諸学芸の目的となります。」(V.34頁)

 解説では以下のようになっている。

「これはヒューマニストたちの教育論の中心的テーマである。古典的人間教養研究Studia humanitatisは、完全で統合的な人間の形成をめざし、また人間を自由人とすることをめざす。Leonardo Bruniはhominem perficiunt(人間を完成する)という表現をしている。
 この定義については、セネカ、『書簡集』(Epistola 88, 2)参照。かれによれば「なぜ自由諸学芸とよばれるかといえば、それらが自由な人間にふさわしいものだからだ」。(Quare liberalia studia dicta sint, Vides: Quia honine libero digna sunt.)とされている。
 ヒューマニストたちが、自由諸学芸の教育的価値を重視していたことが注目されなければならない。それは、自由なる人間に装飾的なものとしてにつかわしいから、自由で人間的な学芸であるのではない。それが人間を人間たらしめ(古典的人間教養研究とよばれるのは人間を完成するからだ。Humanitatis studia nuncupantur quod hominem periciant.)、人間を形成し、光へみちびく古典文学lettereだからである。奴隷の状態から自由へといざなうのは古典文学研究によってである(人間を自由にするから、それゆえに自由なのである。idcirco est liberalis, quod liberos homines facit.)。」

 しかし率直に言って、現代的な感覚から言えば、「教養」なるものは単に「装飾的なもの」に過ぎず、それによって「人間を人間たらしめる」ようなものではない。おそらく、我々現代人には既に失われた何らかの前提を設定しなければ、自由諸学芸は「人間を完成する」ものにはならない。しかしその前提は、キケロを読んでもクインティリアヌスを読んでも、もちろんルネサンス期教育論にも見出すことはできない。その前提とは、たとえば奴隷の存在のようなものだ。ルネサンス期教育論は、学問を日常生活で役に立たせることを自由人に相応しくないことだと見なしている。日常生活に役に立たないことこそ人間を人間(自由人)たらしめる。そしてその具体的な内容は、政治や裁判の場で発揮される「雄弁」だ。政治や裁判の場で雄弁を発揮することだけが自由人(完成した人間)に相応しいと言われても、現代人にはもはや何のことやらサッパリだ。だから、現代においてリベラル・アーツなるものに権威と説得力を持たせようと思ったら、古代とルネサンスの遺産に頼るだけではうまくいかない。そんなわけで、古代とルネサンスで言われている「人間」とは、「奴隷」というものの存在を前提とすることで初めて理解できる概念だということを忘れてはいけないだろう。

【個人的な研究のための備忘録】大人と子どもの区別
 大人の嗜みとしては許されるが子どもからは遠ざけておくべきもの、という観念をいくつか見ることができた。

「舞踏や愛欲をテーマにした演劇から子どもを遠ざけておくことはのぞましいことです。」(V.28頁)
「子どもの時期には、特にブドー酒について子どもが節制するようにとわたくしは申しあげたいとおもいます。」(V.29頁)
「酒飲の傾向のある子どもほど不愉快なものはありません。」(P.147頁)

 淫猥な演劇やアルコールは子どもに相応しくないと見なされていて、「教育的配慮」の存在を確認できる。アリエスによればアンシャン・レジーム期にはなかった心性のはずだ。というわけで、アリエスが間違っていると見なすか、フランスがイタリアよりも2世紀ばかり田舎だと考えるか、というところだ。

【個人的な研究のための備忘録】歴史的背景
 解説の記述について考えてみたい。

「人間の個性ならびに能力の発達をうながす条件は、中世的秩序の崩壊にともなう不安定の意識の高まりにくわうるに都市生活そのものによっても準備されることになる。」(200頁)
「都市の独自の発展に由来する地方主義regionalismの伝統と意識は今日でも顕著にみられる。イタリア人としての民族的自覚よりもさきにナポリ人でありフィレンツェ人であるとする郷土意識は、都市的伝統にもとづくものだ。これは諸都市の独自性を前提とする意識であり、また都市内部においてはそれをささえ構成する市民たちの個性が尊重された。したがって文化的諸成果も市民による個性的能力のあかしとなるものであった。」(201-202頁)
「いじょうにみたようにルネサンス期イタリア都市はそこに展開される諸現実をその所与性、一面性においてうけいれるのでなく、むしろ現実との格闘をとおしてそれをつくりかえ、選択し、展望をきりひらくように、市民たちにせまったのである。そのような環境のもとで、市民たちはその運命にかかわる自己決定や独立独歩の精神を容赦なくせまられることとなり、それを主体的につちかわざるをえなかった。そしてその反映と興亡がそこで生活する市民たちの努力と資質にかかわる都市において、市民たちの多様な個性と諸能力が社会的に重視され、またその発達を可能とするような土壌の準備がなされたことはけだしとうぜんというべきであろう。」(202頁)
「ルネッサンス期も後半にいたるとペダントリーと古代作家の模倣の現象があらわれる。しかし、これはヒューマニズムの思想からすればあくまでも派生的現象であって、けっしてその本質ではない。その理想に個性的で創造的な、しかも実践的な人間の形成がかかげられるいじょう、模倣や衒学は自己撞着であり、その否定こそヒューマニズムのもとめてきたものだったからである。つまり、キケロを読むのは外面的にキケロに似ることのためではなく、自分自身のなかにキケロいじょうの個性と可能性とを発見することをめざしたからであった。」(205頁)

 都市国家形成を重要な契機と見る視点は教科書的な記述としては問題がないのだろうが、気になるのは古代との直接的な連続性である。たとえばピレンヌテーゼによれば西ヨーロッパがローマ文化を喪失したのは7世紀中盤のイスラムによる地中海封鎖によるが、イタリア半島だけはビザンツ帝国との繋がりを保ちながらローマ文化を一定程度保存できている。また12世紀シチリア王国がイスラムやビザンツとの交流の中で文化的に栄えていたこともよく知られている。だとしたら、イタリア・ルネサンスに見られる人文主義的伝統は、解説が言うような都市国家形成と市民階級の勃興を待つまでもなく、直接的にローマ帝国からの連続性を保っていたと考えることも可能だ。
 あるいは、人文主義が中世のスコラ学とも近代のサイエンスとも異なるユニークな教育論を持っていたことにも留意したほうがいいのだろう。たとえば日本で言う本居宣長の国学のようなものだと理解したらどうなるだろうか。本居宣長は市井の活動の中から中世の漢学とも近代の洋学とも異なる別のストーリを打ち立てた。一定の平和と安定と経済的余裕という前提の下、郷土的意識という土台に立ち、学問に対する熱意と情熱が既存の制度の外にユニークな学統を打ち立てた。そういう観点から言ってしまうと、人文主義と翻訳調で呼ぶより、イタリアで「ローマ学」が流行したと考える方が個人的には落ち着いたりする。

「これ[中世スコラ学]にたいして、ひとしく古代の著作をとりあげ過去にモデルをもとめながらも、非歴史的態度におちいることなくまさに歴史を動かす主体としての自覚から未来へ目をむけたのがヒューマニストたちである。この歴史における主人公としての意識から、古典研究は人間形成、つまり教育の問題としてとらえられることになった。」(204頁)
「基本テーマはあくまで人間形成の問題であり、とくに重要なのは教育における人間の多面的把握の必要の強調とその視点である。教育における人間の本来的自然の重要性が強調され、そこから出発して具体的な個々の子どもの個性と人間としての可能性との調和的均衡的な発達の人間形成にしめる役割がくりかえしのべられている。」(205頁)

 私の読解では、ルネサンス期教育論から「歴史における主人公の意識」を読み取ることはできない。確かに「具体的な個々の子供の個性」に対する関心は極めて高いのであるが、それが「教育における人間の多面的把握」かと言われると首を傾げざるを得ない。そう見えてしまうのは、私の勉強不足が原因なのかどうか。

アルベルティ他『イタリア・ルネサンス期教育論』前之園幸一郎・田辺敬子訳、明治図書世界教育学選集81、1975年

【要約と感想】アルベルト・レーブレ『教育学の歴史』

【要約】ドイツの教員養成課程で教育史の基礎知識を身につけるための教科書です。単に人名を並べて個々の思想を解説するのではなく、背景にある精神文化生活についての深い洞察を土台として、一貫した観点から教育思想の展開を叙述します。
 古代ギリシア・ローマから始まり、中世とルネサンス・宗教改革を経て、バロックと啓蒙思想あたりまでは西ヨーロッパ全体の教育思想の展開を見ていきます。一転して18世紀古典主義・理想主義から産業化を経て20世紀に至るところでは、ドイツ語圏の教育思想に記述の焦点が当たり、イギリスやフランスはほとんど参照しません。

【感想】やはり定期的に教科書的な通史のようなものは読んでおいた方がいい。モノグラフは確かに個々の観念の解像度を格段に上げてくれるが、個人的な興味関心の全体像を俯瞰しながら個々の観念の位置を調節するためには解像度が低くとも教科書的な通史が大きな役割を果たす。
 もちろん個別的な思想に関してもとても勉強になった。特に汎愛派がコテンパンに批判されているところは「へぇ~」連発だった。さすがドイツ人がドイツ人向けに書いている教科書だけあって、日本人が記述する西洋教育史ではここまでこき下ろすことは難しそうだ。

【個人的な研究のための備忘録】古代の個性と人格
 個人的にとてもありがたかったのは、著者が「個人性と普遍性」について満遍なく配慮して記述を進めてくれた点だ。というか、本書が書かれた時期にはまさにそれこそが教育学(および人文科学全体)が解明すべき論点として共通の理解となっていたはずだ。しかし現在では多様化した論点が多方面に拡散して、もはや「個人性と普遍性」という観点から問題が立てられることがない。まあ、私が古い論点にこだわって研究をしているということなのだが、しかしこれが本質を捉えていると信じて研鑽を続けるしかない。というわけで、「個性」という概念に注目してサンプリングをしていく。

「アテネにおいては紀元前約400年頃にはじめて、高等教育理念が既存の義務教育では満足がいかないほどに発展し、その後特に紀元前四世紀に入って二方向に分かれて展開していく。すなわち、一方は(ソフィスト達の)実際生活上で用いる修辞学(詭弁術)の方向であり、他方は(ソクラテスープラトンーアリストテレスの所謂アカデメイア学派の)哲学的、学問的方向である。」32-33頁
「この合理主義者たちは自らを、それらを教える義務を果たす者とはみなしていなかった。彼らは七科(三形式科目:文法、弁論術、修辞学と四内容科目:算術、幾何学、天文学、音楽)を教えたが、これらの諸科目は西洋の近世にまで及んで一般高等教育の骨格となり、初等教育と職業教育の中間に位置して、普通高等学校の特別な基本教科目となった。」35頁

 まずソフィストを起源とする修辞学の伝統が近世にまで及ぶ射程を持つことが、しっかり教科書的な記述になっていることを確認しておきたい。「人間の尊厳」という観念の考古学を深めようという場合、古代の修辞学や雄弁術は常に参照の対象となる。

「しかし、その際に十分注意すべき点は、ここで言うところの「人間的なもの」とは未だ今日言うところの個性の意味ではなく、「型」[ここに原文傍点]としての、換言すると、国家共同体の構成員、都市国家の市民を意味しているという点である。/特に古代ギリシア初期において、個人はまだ共同体の生活秩序に強固に組み込まれていた。」22頁
「ソクラテスはこの道徳的・自主的人格を全ての共同生活の核心と見なして、人間が第一義的には国家市民ではなくて、人間である、ということを強調した。」39頁
プラトン「このようにして、彼の国家は成文化された法律によるのではなく、修練に基づいた教育を根拠にした理想国家を意味している。しかもその教育のうちでも哲学こそが最高の教育力であり、プラトンにとって哲学研究とは、いわば仮象を超克して万物の原像を観照するための極めて人間的な努力に他ならない。」43頁
アリストテレス「そして人間にとって自己自身に関する継続的な仕事、すなわち人格形成[原文傍点]が彼にとってもまた重要な課題であったことは言うまでもない。」46頁
「そもそも国家の存在意義は、万人が個性の伸長や完成を目指すと共に狭義の道徳的共同生活の実現を可能にすることにある。このような観点からすると、個性の完成と家庭生活は国家にとっての必要不可欠な基礎となる。」47頁
「後期ギリシア文化期の特徴は、ソクラテス、プラトンに端を発し、アリストテレスにおいてさらに顕著となった超国家的、普遍的人間の出現にあった。今や誰もが自覚的な「世界市民」であり、もはや単に一ポリスの市民ではない。この時期には文明と都市文化が見事に開花し、人類の概念や独自な個性の分野が自然発生的集団(家族、種族、民族)以上に高く評価されるようになった。」50頁
「しかし、同時に集団作業や世界市民的考え方と共に個性的、人格的なものに対する特別な関心、すなわち、顕著な個人主義もまた成長してきた。」51頁

 「個性」という言葉が連発されて、とても気になる。というのは、プラトンやアリストテレス自身は「個性」という概念をストレートには表現していないように思うからだ(だから著者の過剰な投影の疑いもある)。たとえばプラトンが探究する「善のイデア」の前では人間個人の差異そのものが最初から問題にならない。そもそもイデアとは個物の差異性を捨象する普遍性そのものだ。また一方プラトンとは逆に個物の唯一性に着目したアリストテレスも、エネルゲイアとかエンテレケイアとかエイドスなどという考え方に見られる通り、普遍性を看過しているわけではない。アリストテレスの詩論や雄弁論(同じものはテオプラストスの性格論に見られる)に確認できる個々人の差異的な性格描写についても、それぞれの個人の「かけがえなさ」にはまったく配慮しておらず、一般的な性格描写として理解できるものだ。そういう観点から、本書が古代ギリシア思想を評して「人格形成」とか「個性の完成」と呼ぶものがいったい何なのかは、鵜吞みにしないで突き放して考えておく必要がある。

キケロ「そのような両者の統一的総合形態の内に彼が追求したものは最高の人間性であった。その意味でキケロこそが、その後2000年に亘って重要な教育理想として尊重された人文主義的な教育理念を最初に明確に理解し根拠づけた人物と言える。(中略)キケロの求めた理想は全人(ganz Mensch)教育に他ならず、彼にとって全人とは真の政治的・国家的思考に養われ、包括的な専門的知識に精通して、内的文化や哲学的教養も豊かでなければならなかった。」60頁

 確かにキケロの後の世への影響は絶大だ。特にルネサンス期の「人間の尊厳」にダイレクトに結びつく雄弁術の伝統を考える上で無視するわけにいかない。しかしおそらく忘れてはならないのは、ポジとしてのカエサルに対してネガとしてキケロがいる、という全体理解だろう。キケロだけ取り出して云々し始めると、おそらく何か大事なものを取りこぼすことになるような気がするのだ。ともかく、キケロについてはアウグスティヌスからルネサンス期に至る評価を念頭に入れて位置付けていくしかないわけだが、「個性」という概念が明確になったと見なすこともできない。キケロに個性概念を見出すのは後知恵による過剰な投影ということになるだろうし、それでも一方で重層的な個性概念の基底的な層の一つであることも確かなのだろう。端的な評価が難しい。

【個人的な研究のための備忘録】中世の有機体とルネサンスおよび宗教改革の個性
 本書の中世理解は、完全にゲルマン民族中心主義的である。その偏りはベルギーの歴史家ピレンヌによって完膚なきまでに批判されており、それを著者も多少は気にしているのか、少々奥歯にものが挟まったような表現も見当たる。とはいえ中世理解は本書において致命的な論点ではなく、もちろん主たる問題はルネサンスと宗教改革の評価と位置づけにある。本書は、中世の有機体的世界観の下では「個性」という考え方がまったく見られなかったが、ルネサンスと宗教改革によって浮上したと明確に評価している。教科書的にはそれで問題ない。

「それと同時に中世というこの時期――この時期の個々の変化や特徴も決して無視されてならないことは言うまでもないが――を支配する統一体も形成されて行く。すでにこの中世期にロマン主義が早くも大規模な「有機体」について言及しているが、事実あらゆる領域で大規模な統一的生活秩序が明らかになってくる。すべての現象が巨大な全体的統一体に組み込まれてくる。」73頁
「またそのような力は人間を決して画一化することはないが、しかしまた個々人の個性を主張することもない。換言すると、そのような統制的に働く力は決して個性的なものではなく定型なのである。個性的なものはこの中世的生活形態においてはまだ言わば自己覚醒までに至っていないそれは後のルネサンスに入って初めて生じてくるのである。」74頁
「もちろん、学問の独立の意義は、人間が自己と世界に対して獲得する新しい位置を認識するときに初めてより深い意味で理解される。すなわち、今や単に理性の自律のみならず、個人の自我の自律を求める努力が目覚めてくる。中世期の強力な[宗教的]絆からの解放を求めた人間は、今や最も深い意味で自己への回帰を願望し、全く新しい方法で自己自身と世界を見出した。彼は自己をまさしく自我として、個性として発見し、今や初めて世界をも真に認識するようになる。」94頁
「しかし、既にこの個性の視点は中世期に際立って存在していたことも明らかなことである。主として規格品の作成の場合ではあったが、それでも独自の作品が誕生し、けっして個性的特徴を欠いていなかった。だが今や人間は個性ある存在の新しい立場を獲得した。個性的であることとは、もはや単なる客観的事実ではなく、喜びに満ち溢れた内的体験であり本来の生活理想である。中世期には個人は服装、生活態度、生活様式、心術などにおいて、自己の所属する集団と違ったり目立ったりすることを躊躇し、自らの社会階層に強固に組み込まれていたが、ルネサンス期に入ると、人間はまさしく個性としての承認と名誉を求めた。」94-95頁
「宗教改革は既に概略したように生活全体の大規模な変化との密接な関連性において考察しなければならないことが判明する。事実、今や宗教改革を通して宗教の領域に生じた個性のより深い自主独立への自覚はさらに一般的傾向となり、伝統の呪縛や中世の強固な秩序からの解放に向けての奮闘努力が出現してきた。」107頁

 本書は「個性」の目覚めに関して、なんとなくルネサンスよりも宗教改革の方を高く評価しているわけだが、それはドイツ人の偏った見方だと考えていいところかどうか。あるいはルネサンスは焦点がぼやけているが、宗教改革は論点が明確になっているということだろうか。

【個人的な研究のための備忘録】バロック・啓蒙期の普遍性志向
 そして17世紀に入ると、個性的なものに対して普遍的なものの見方が優勢になったという記述が見える。もちろん教科書的にはそうなるだろう。

「今や自律的思考や探求の原理が活発に活動し始める。この原理は既にルネサンス期に根づいていたが、具体的、個人的なものへの関心が強烈であったために妨害されていた。十五、十六世紀には思考は伝統の外的権威から解放されていたが、十七世紀になって初めて世界の普遍的法則性が本質的なものとして把握された。教会や国家の領域においてまた今や学問の領域においても、個性的なものは後退し、普遍的なものが前面に現れてきた。」144頁
啓蒙期「もちろん、この時期を(ヨエルに従えば)「個人的」と呼ぶことはできない。なぜなら合理主義とは個々人における一回性や演繹不可能性に注目するのではなく、万人に共通する法則性に注目するものだからである。合理主義とはまさしく個人を「個体」として評価するが、「個人格」としては評価しない。しかし、合理主義の関心はもっぱら人間にあり、しかも種としての人間個々人のあるべき典型に向けられており、そうして合理主義はまさしく合理的手法で自らの自律性の根拠づけを試み、理性の名において人間に自由と尊厳を約束する。」181-182頁

 ただし問題になるのは、デカルト、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツを本当に「個性より普遍」を志向した思想家と理解していいのか、というところだ。確かに科学的な考え方(特に空間の無機質的同質性)を踏まえると、普遍的なものの見方が優勢に見える。しかし例えばデカルトの「我思うゆえに我在り」という著しく個人的な主観から始まる哲学は、もちろん最後には人間理性の平等性に行きついて個人性というよりは普遍性を土台とする考え方に落ち着くのだが、丁寧に見ていくと単純な普遍主義と見なすことには躊躇したくなる。ここには後の「個性」概念に繋がるような何かしらの種が撒かれていないか。丁寧に考えていきたいところではある。
 そしてこの時代は、ドイツ人といえどもロックとルソーを無視して議論を進めるわけにはいかない。

ジョン・ロック「そして子どもにとって生き生きしていることと同様に、個性的であることもまた高く価値づけられる。(中略)この個性教育論が取り上げられたのは、ロックが家庭教師による教育を好んだためでもある。」196-197頁
ルソー「「自然教育」は、また教育目標に関して、なによりもまず普遍的な人間性を優先してあらゆる特殊な観点、すなわちすべての政治、社会、職業などの上位に根本的に位置づけられている。この普遍的な人間性に対する視野のために特殊的な観点を排除したことはルソーの革命的な業績であり、この業績こそが啓蒙主義を超克し、啓蒙主義の実用的、市民的有用性を目指す考えを遥かに乗り越えていることの証に他ならない。そしてこの普遍的人間教育の思想はその後、ゲーテの時代になって初めて完全な成果を見ることになる。」210頁

 本書では、ルソーはロマン主義の先輩のような位置づけを与えられている。まあ、教科書的にはそれでまったく問題ないだろう。ただ、ルソーには汲めども尽きぬ紛れが多すぎて、丁寧に考え始めると手に負えなくなってくる。

【個人的な研究のための備忘録】古典主義・理想主義の個性
 そして18世紀に入ると、本書は怒涛のドイツ人思想家ラッシュになる。もはやイギリス人やフランス人思想家には目もくれない。そして実際、確かにこの時代のドイツ人教育学者が果たした役割は極めて大きい。そして本書がドイツ人によって書かれたこともあるのだろうか、ここからの記述は私の知らないことが多く(いや単に私の勉強不足のせいか)、とても勉強になった。
 まず「疾風怒濤」については、もちろん日本人による西洋教育史概説でも無視されるわけではないが、本書の記述はやたらと躍動していた印象だ。ここで「個性」という言葉が連発される。

「この若者たちが埋もれていた非合理性を発見することによって、彼らはまたルネサンスが既に持っていた個性への眼差しを再び獲得した。(中略)――啓蒙主義からは本気にされなかった――民衆詩、民衆歌、神話、童話は、今や自然のままの真の芸術として見いだされ、民族の個性を特徴づける表現として称賛された。というのも「個性」は単に個人の個性であるだけでなく、また集団の個性としても評価されるからである。」239-240頁
「したがって今や真実な人間性の要請として浮かび上がってきたことは、他方ではけっして思考する理性や抽象的な道徳律だけを認めるのではなく、その自分の存在全体を尊重することであった。これによって啓蒙主義が布告された人間の尊厳と個性の自律という理念は進化するのである。」240頁
「同様にこの古典主義の時期は自由と法則の総合、すなわち人間の個性的なものと超個性的なものとの総合を目指している。(中略)その際『理念』は歴史的特殊を超えた理性的普遍性としてではなく、特殊なものにおける普遍性として理解されている。」243-244頁
「この運動は、文学や哲学にとってと同様にまた教育思想にとっても大きな意味を持っていた。すでにあげた一般的特徴からも認識できるのは、人格教育こそがこの運動な主要関心事の一つであったということである。この運動がその有機的世界像から本来の意味で初めて「形成」(Bildung)の概念を想像しドイツ語で普及させた。」247頁

 注目したいのは、ここからいきなり「民族の個性」についての記述が登場するところだ。実際、フランス革命以降にドイツ・ナショナリズムが激しく燃え上がることは世界史の一般常識ではあるが、この点が「個性」や「人格」概念の展開を考える上でも極めて重要だという印象を改めて深めた。「人間の個性」という概念の浮上は、おそらく「民族の個性」という概念の浮上と並行している。あるいは「国家主権」という概念の浮上と「人格」という概念の浮上も。疾風怒濤の探究を進めなければと思った次第。

「ジャン・パウルはヘルダー以上に教育目標の個性化をおこなった。彼の確信していたところによると、各人は誕生から定められた個性的理想像を持っており、教育はこの「価値ある人間」を自由にすること以外に何らの関係も有しない。」262頁
「ジャン・パウルの教育理論を特徴づけていた個性の原理は、ヴィルヘルム・フンボルトでは、なお一層際立たせられる。」263頁

 不勉強にも名前しか知らない教育学者だが、ここまで評価されていたら読むしかない。

「すでに『独語録』では、シュライエルマッハーはまさしく教育(Bildung)の問題を、特に自己教育の問題を追及している。その際、特に強調しているのは、個性を目指した人間教育であり、「誰もが独自の方法で人間であることを表現すべきである」としていることである。」285頁
「教育の全体目標は次のような両極的対極の中で把握される。教育は一面において人間を純粋に個人的生活圏内から導き出して、客観的全体性に能力を与えることができるように教え導くべきである。シュライエルマッハーが極端に言っているように、すなわち人間を学問、国家、教会、共同体に「引き渡す」べきである。他方、教育は人間を未発達で何物にも染まらない個人から彼本来の個性的人格をつくり出し、すなわち個性を形成すべきである。この二つの課題は種々の矛盾を孕みながらも、すべて対立しているにもかかわらず、二つの異なる大きな教育的課題の二面にすぢないのであり、それらはじょじょにさらに次第に遠ざかるに過ぎない。両者とも他方を抑圧してはならず、もしそうすれば、自ら被害を受けることになるであろう。なぜならはっきりした個性だけが完全な意味で生活全体に奉仕することができるからである。」290-291頁

 シュライエルマッハーは明治期日本教育界でも頻繁に言及される学者だ。日本の教育学への影響を考える上でもしっかりやっておかなければという認識を新たにした。勉強すればするほど勉強すべきことが増えていく。

アルベルト・レーブレ、広岡義之・津田徹訳『教育学の歴史』青土社、2015年

【要約と感想】リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』

【要約】ヨーロッパの中世は暗黒時代などではありません。カトリック教会が科学を弾圧したというのは皮相的な見方で、近代の科学的思考を準備したのは信仰と理性を調和させようとした神学的営為です。
 12世紀にアリストテレスの思想が再発見されたのは偶然ではありません。ヨーロッパの知的水準がアリストテレス思想を受容する用意が調ったのが12世紀ということです。中世のアウグスティヌス、アベラール、カタリ派異端、トマス・アクィナス、オッカム、エックハルトなどが、それぞれ固有の課題を持ってアリストテレス思想を受容したり対峙したりしながら、西洋中世は一貫して信仰と理性を協調させるべく科学的・合理的な思考様式を鍛え上げていきます。
 しかし近代の入口で、資本主義的価値観を正当化しようとしたトマス・ホッブズのような人物がトマス・アクィナスと共にアリストテレスを葬り去ることによって、中世の知的営為が忘却され、理性と信仰が分離し、西洋中世は暗黒時代と見なされるようになります。しかしいま再び、理性と信仰の統合について創造的な仕事が求められています。

【感想】章ごとに主人公が交替していくが、どの章も活き活きと個性が描かれた主人公と非凡なライバルとの対決が非常にエキサイティングで、おもしろく読んだ。それぞれの章(時代)に固有の課題が簡潔かつ明確に示されつつも、最初に提示されたモティーフが最後までブレない一貫して筋の通ったストーリーで、最後まで飽きずに読みとおせる。言ってみれば「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部から第八部までのおもしろさに通じるような、この種の本としては異例のエンターテイメント性を備えているのではないか。(だから逆に言えば、純粋な学術的にはそういう部分をさっ引いて判断しなければならない)。

 ドミニコ会とフランシスコ会の違いとその間の確執については、とても勉強になった。それぞれの会派については摘まみ食いしていてなんとなくイメージはしていたのだが、そのライバル関係について時代背景も含めて具体的に記述している文章は実は初めて読んだ。勉強になった。

 ただし専門的に気になるのは、エピクロス派の扱いだ。本書は後の近代科学に連なる思想の源泉を全てアリストテレス(およびそれに対する反応)に帰しているが、私としてはエピクロス派の唯物論と社会契約論の思想の方が遙かに近代的な発想に類似しているように思っている。実際にルネサンス期にはエピクロス派のルクレーティウスの本がよく読まれている。アリストテレスやトマス・アクィナスを葬ったとされているトマス・ホッブズの社会契約論は、エピクロス派の思想に影響されているかもしれない。エピクロスやルクレーティウスに言及しないで科学的思考の展開を説明しきるのは、少々乱暴のような気はする。
 まあ本書は明らかに、現代の新自由主義的思想が公共性の基盤を掘り崩している危機的な現状を、近代の自由主義的思想(ホッブズが代表)が公共性の基盤(トマス・アクィナスが代表)を掘り崩した過去になぞらえ、読者に警告を発することを隠れテーマとしているので、エピクロス派を無視するのも勉強不足ではなく意図的な戦略なのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】集合的人格と個性と三位一体
 一人一人の人格を超えて集団があたかも一つの人格を構成するような集合的人格(エヴァンゲリオンの人類補完計画のような)について言及し、さらにそこから「個性」が剔出される過程を描いていて、私のライフワークにダイレクトに関わる話をしていたので、サンプリングしておく。

「ここに至って、中世ルネサンスの思想家たちが普遍論争にあれほど熱中した理由が明らかになってくる。中世以前のキリスト教徒は自身を一つの人種――単なる生物学的な種ではない道徳的な種――のメンバーとみなすよう、教えこまれていた。この種はその霊においても運命においても完全に一体化しているので、彼らの始原の父母であるアダムとイヴが犯した罪を一人一人の人間が直接負っている。「真実在」の普遍たる人間という観念は、一人一人の人間の違いは本質的でも重要でもなく、場合によっては救済の障害にさえなることを、暗に意味していた(中略)。ヨーロッパの伝統的な社会体制も、個人を軽視する傾向を助長した。なぜなら、ある人物の個性など、彼または彼女が農民や聖職者や貴族等の社会階層のいずれに属しているかということに比べれば、取るに足りないことだったからだ。ところが、いまや、古代のプラトン主義の氷が溶け始めたのだ。大多数の人々は依然として、いかなる世襲グループに属しているかによって限界づけられていたとしても、一部の人々は従来の枠組みから脱け出そうとしていた。放浪する学者やトルバドゥール、貿易業者や十字軍兵士、巡歴説教師や地方から都市に移住する人々――これらすべての人々が、新しい意識を育みつつあったのだ。そう、いかなる階層に属していようと、重要なのは自分の個性なのだという意識を。」205-206頁

 そしてこの記述からすぐさま「三位一体」の話に繋がっていく。

「キリスト教の神はただ一つのペルソナではなく、父と子と聖霊という三つのペルソナを有しているが、中世ルネサンスの人々はその三つのペルソナすべてに熱烈な関心を寄せていた。創造主としての神はあまりに神秘的で想像を絶していたとしても、十二世紀のキリスト教徒は父なる神に正義を期待した。彼らは子なる神を愛し、あたかも彼らが磔刑に処せられたばかりであるかのように、彼のために悲しんだ。そして、すでに始まっている偉大な復活を象徴する聖霊、すなわち慰め主に彼らの望みを託したのだ。」207頁

 非常に興味深い。ただし、三位一体の思想が「個性」という観念の源であるとまでは言っていない。坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』は三位一体の思想に対する神学的な深まり(4~6世紀)が「個」の誕生にとって決定的に重要だったと説いているのだが、本書ではむしろ十二世紀の社会的・経済的変動を重要な背景と考えているようだ。その意味では阿部謹也『西洋中世の愛と人格―「世間」論序説』が個性誕生の瞬間を13世紀に見ている見解に近いのかもしれない(ちなみに阿部もキリスト教の三位一体が個の思想誕生にとって重要な背景だと示している)。
 このあたり、本書の論理展開は残念ながらあまり明快ではない。アベラールにとって三位一体思想がどういう意味を持っていたかは詳細に追究されるものの、西洋の「個性」という観念とどう絡むかについてはそれほど深掘りしてくれていないのだった。まあ、それが中心的なテーマというわけではないので、ないものねだりではある。

【個人的な研究のための備忘録】光
 キリスト教における「光」についての言及が気になった。というのは、コメニウスの教育思想の理解に関わってくるからだ。

「ベーコンをはじめとするフランシスコ会士にとって、超自然と自然とを結ぶ架け橋、宗教的経験の領域と科学的実験の世界とを結ぶ架け橋は「光」だった。(中略)「あらゆる哲学の精華」たる数学という鍵によって鍵を開かれる宝の箱は――のちに光学と呼ばれるようになるが――ベーコンの時代には「遠近法」と呼ばれていた光の科学だったのだ。」325-326頁
「ドミニコ会から見てもっと重大な問題点は、フランシスコ会士による光の霊化がはなはだしく時代に逆行していることだった。この点でフランシスコ会はアリストテレスから大きく後退していた。アリストテレスは光をある種の実体の特性とみなすにとどまり、純粋な形相とか霊とはみなしていなかった。ましてや光を、光ほど霊的でない自然の事物を動かす力とはみなしていなかった。アルベルトゥスとその若き盟友のトマス・アクィナスの見るところでは、光を普遍的な原因とみなす理論は――しょせん実験や観察によって立証できない神秘主義的な信念に過ぎないがゆえに――科学的営為を個々の原因を探求するものから、超自然的な相互関係を試作するものへと変容させてしまった。彼らはまた、人間の知解は神の「証明」によってもたらされるという説にも同意せず、それはむしろ、創造者が人間に天賦の能力として授けた理性によってもたらされると主張した。ロジャー・ベーコンらフランシスコ会士に属する教師たちは、アリストテレスの著作を講義し、アリストテレスの用語によって彼らの理論を構築した。けれども、彼らがよって立つ基盤は新プラトン主義的な神秘主義であり、それは物質と霊という時代遅れの区別を復活させた。」328-329頁

 コメニウスの活躍した時代はこの記述から400年ばかり遅れることになるが、ロジャー・ベーコン(およびフランシスコ会士)の言う「光」の論理は即座にコメニウスを想起させる。あるいは、コメニウスが関わっていたとされる薔薇十字会は、フランシスコ会士ロジャー・ベーコンの「錬金術」と「占星術」から影響を受けていることも分かっている。コメニウスはヤン・フスの系列に連なる神学者としてプロテスタントに位置付けられているが、実はその神学がフランシスコ会士のような修道思想(あるいはさらに東方キリスト教)に由来する何かだったりする可能性はあったりしないか。

【個人的な研究のための備忘録】ヨーロッパ中心主義
 自文化中心主義とトマス・ホッブズの位置づけには、なるほどと思ってしまった。ホッブズを読む時には、この観点を忘れないようにしたい。

「自文化中心主義者というものはそのタイプを問わず、おのれが属している文明は、その一部たりとも「ほかの文明」の思想の産物ではなく、完全に独力で創造されたと信じたがるものだ。アリストテレス革命を歴史から抹殺することは、西欧文明がより進んだイスラーム文明から非常に大きな恩恵を受けたという事実を隠しおおす役に立つ。だが、過去を抹殺することは、そのほかにもさまざまな形で、ヨーロッパの新しい時代のリーダーたちを利していたのだ。アリストテレス主義的キリスト教は、カトリック教会の権力を粉砕し、教会による教育資源の独占を終わらせたいと願うものたちすべてにとって――すなわち、国民国家の世俗統治者や、改革派教会の指導者や、新興の実業家階層や、科学を重視する知識階級にとって――大きな障害だった。だが――ここが当惑を禁じえないところなのだが――これらのエリートたちが排除しようとしていたのは、カトリック教会の政治的・組織的権威そのものではなく、カトリック教会が自然法や「正義の戦争」という類の概念を用いて繰り返し人々に教えこみ、押しつけようとしてきた道徳的な束縛だったのだ。」478-479

 この記述は、明らかに現代の状況とシンクロしている。16世紀にはナショナリストと自由主義者が結託して教会の排除に動いたが、現代ではネオ・ナショナリストと新自由主義者が結託してリベラルの排除に動いている。おそらく私の深読みではなく、著者がだれにでも分かるようなアナロジーとして強調して書いている。まあ、そういう政治的意図を抜きにしても、西欧の歴史(あるいは日本の歴史も)を正確に理解する上で「自文化中心主義」のバイアスをかいくぐる技術が重要であることは間違いないだろう。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ』ちくま学芸文庫、2018年<2008年