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【要約と感想】リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』

【要約】ヨーロッパの中世は暗黒時代などではありません。カトリック教会が科学を弾圧したというのは皮相的な見方で、近代の科学的思考を準備したのは信仰と理性を調和させようとした神学的営為です。
 12世紀にアリストテレスの思想が再発見されたのは偶然ではありません。ヨーロッパの知的水準がアリストテレス思想を受容する用意が調ったのが12世紀ということです。中世のアウグスティヌス、アベラール、カタリ派異端、トマス・アクィナス、オッカム、エックハルトなどが、それぞれ固有の課題を持ってアリストテレス思想を受容したり対峙したりしながら、西洋中世は一貫して信仰と理性を協調させるべく科学的・合理的な思考様式を鍛え上げていきます。
 しかし近代の入口で、資本主義的価値観を正当化しようとしたトマス・ホッブズのような人物がトマス・アクィナスと共にアリストテレスを葬り去ることによって、中世の知的営為が忘却され、理性と信仰が分離し、西洋中世は暗黒時代と見なされるようになります。しかしいま再び、理性と信仰の統合について創造的な仕事が求められています。

【感想】章ごとに主人公が交替していくが、どの章も活き活きと個性が描かれた主人公と非凡なライバルとの対決が非常にエキサイティングで、おもしろく読んだ。それぞれの章(時代)に固有の課題が簡潔かつ明確に示されつつも、最初に提示されたモティーフが最後までブレない一貫して筋の通ったストーリーで、最後まで飽きずに読みとおせる。言ってみれば「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部から第八部までのおもしろさに通じるような、この種の本としては異例のエンターテイメント性を備えているのではないか。(だから逆に言えば、純粋な学術的にはそういう部分をさっ引いて判断しなければならない)。

 ドミニコ会とフランシスコ会の違いとその間の確執については、とても勉強になった。それぞれの会派については摘まみ食いしていてなんとなくイメージはしていたのだが、そのライバル関係について時代背景も含めて具体的に記述している文章は実は初めて読んだ。勉強になった。

 ただし専門的に気になるのは、エピクロス派の扱いだ。本書は後の近代科学に連なる思想の源泉を全てアリストテレス(およびそれに対する反応)に帰しているが、私としてはエピクロス派の唯物論と社会契約論の思想の方が遙かに近代的な発想に類似しているように思っている。実際にルネサンス期にはエピクロス派のルクレーティウスの本がよく読まれている。アリストテレスやトマス・アクィナスを葬ったとされているトマス・ホッブズの社会契約論は、エピクロス派の思想に影響されているかもしれない。エピクロスやルクレーティウスに言及しないで科学的思考の展開を説明しきるのは、少々乱暴のような気はする。
 まあ本書は明らかに、現代の新自由主義的思想が公共性の基盤を掘り崩している危機的な現状を、近代の自由主義的思想(ホッブズが代表)が公共性の基盤(トマス・アクィナスが代表)を掘り崩した過去になぞらえ、読者に警告を発することを隠れテーマとしているので、エピクロス派を無視するのも勉強不足ではなく意図的な戦略なのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】集合的人格と個性と三位一体
 一人一人の人格を超えて集団があたかも一つの人格を構成するような集合的人格(エヴァンゲリオンの人類補完計画のような)について言及し、さらにそこから「個性」が剔出される過程を描いていて、私のライフワークにダイレクトに関わる話をしていたので、サンプリングしておく。

「ここに至って、中世ルネサンスの思想家たちが普遍論争にあれほど熱中した理由が明らかになってくる。中世以前のキリスト教徒は自身を一つの人種――単なる生物学的な種ではない道徳的な種――のメンバーとみなすよう、教えこまれていた。この種はその霊においても運命においても完全に一体化しているので、彼らの始原の父母であるアダムとイヴが犯した罪を一人一人の人間が直接負っている。「真実在」の普遍たる人間という観念は、一人一人の人間の違いは本質的でも重要でもなく、場合によっては救済の障害にさえなることを、暗に意味していた(中略)。ヨーロッパの伝統的な社会体制も、個人を軽視する傾向を助長した。なぜなら、ある人物の個性など、彼または彼女が農民や聖職者や貴族等の社会階層のいずれに属しているかということに比べれば、取るに足りないことだったからだ。ところが、いまや、古代のプラトン主義の氷が溶け始めたのだ。大多数の人々は依然として、いかなる世襲グループに属しているかによって限界づけられていたとしても、一部の人々は従来の枠組みから脱け出そうとしていた。放浪する学者やトルバドゥール、貿易業者や十字軍兵士、巡歴説教師や地方から都市に移住する人々――これらすべての人々が、新しい意識を育みつつあったのだ。そう、いかなる階層に属していようと、重要なのは自分の個性なのだという意識を。」205-206頁

 そしてこの記述からすぐさま「三位一体」の話に繋がっていく。

「キリスト教の神はただ一つのペルソナではなく、父と子と聖霊という三つのペルソナを有しているが、中世ルネサンスの人々はその三つのペルソナすべてに熱烈な関心を寄せていた。創造主としての神はあまりに神秘的で想像を絶していたとしても、十二世紀のキリスト教徒は父なる神に正義を期待した。彼らは子なる神を愛し、あたかも彼らが磔刑に処せられたばかりであるかのように、彼のために悲しんだ。そして、すでに始まっている偉大な復活を象徴する聖霊、すなわち慰め主に彼らの望みを託したのだ。」207頁

 非常に興味深い。ただし、三位一体の思想が「個性」という観念の源であるとまでは言っていない。坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』は三位一体の思想に対する神学的な深まり(4~6世紀)が「個」の誕生にとって決定的に重要だったと説いているのだが、本書ではむしろ十二世紀の社会的・経済的変動を重要な背景と考えているようだ。その意味では阿部謹也『西洋中世の愛と人格―「世間」論序説』が個性誕生の瞬間を13世紀に見ている見解に近いのかもしれない(ちなみに阿部もキリスト教の三位一体が個の思想誕生にとって重要な背景だと示している)。
 このあたり、本書の論理展開は残念ながらあまり明快ではない。アベラールにとって三位一体思想がどういう意味を持っていたかは詳細に追究されるものの、西洋の「個性」という観念とどう絡むかについてはそれほど深掘りしてくれていないのだった。まあ、それが中心的なテーマというわけではないので、ないものねだりではある。

【個人的な研究のための備忘録】光
 キリスト教における「光」についての言及が気になった。というのは、コメニウスの教育思想の理解に関わってくるからだ。

「ベーコンをはじめとするフランシスコ会士にとって、超自然と自然とを結ぶ架け橋、宗教的経験の領域と科学的実験の世界とを結ぶ架け橋は「光」だった。(中略)「あらゆる哲学の精華」たる数学という鍵によって鍵を開かれる宝の箱は――のちに光学と呼ばれるようになるが――ベーコンの時代には「遠近法」と呼ばれていた光の科学だったのだ。」325-326頁
「ドミニコ会から見てもっと重大な問題点は、フランシスコ会士による光の霊化がはなはだしく時代に逆行していることだった。この点でフランシスコ会はアリストテレスから大きく後退していた。アリストテレスは光をある種の実体の特性とみなすにとどまり、純粋な形相とか霊とはみなしていなかった。ましてや光を、光ほど霊的でない自然の事物を動かす力とはみなしていなかった。アルベルトゥスとその若き盟友のトマス・アクィナスの見るところでは、光を普遍的な原因とみなす理論は――しょせん実験や観察によって立証できない神秘主義的な信念に過ぎないがゆえに――科学的営為を個々の原因を探求するものから、超自然的な相互関係を試作するものへと変容させてしまった。彼らはまた、人間の知解は神の「証明」によってもたらされるという説にも同意せず、それはむしろ、創造者が人間に天賦の能力として授けた理性によってもたらされると主張した。ロジャー・ベーコンらフランシスコ会士に属する教師たちは、アリストテレスの著作を講義し、アリストテレスの用語によって彼らの理論を構築した。けれども、彼らがよって立つ基盤は新プラトン主義的な神秘主義であり、それは物質と霊という時代遅れの区別を復活させた。」328-329頁

 コメニウスの活躍した時代はこの記述から400年ばかり遅れることになるが、ロジャー・ベーコン(およびフランシスコ会士)の言う「光」の論理は即座にコメニウスを想起させる。あるいは、コメニウスが関わっていたとされる薔薇十字会は、フランシスコ会士ロジャー・ベーコンの「錬金術」と「占星術」から影響を受けていることも分かっている。コメニウスはヤン・フスの系列に連なる神学者としてプロテスタントに位置付けられているが、実はその神学がフランシスコ会士のような修道思想(あるいはさらに東方キリスト教)に由来する何かだったりする可能性はあったりしないか。

【個人的な研究のための備忘録】ヨーロッパ中心主義
 自文化中心主義とトマス・ホッブズの位置づけには、なるほどと思ってしまった。ホッブズを読む時には、この観点を忘れないようにしたい。

「自文化中心主義者というものはそのタイプを問わず、おのれが属している文明は、その一部たりとも「ほかの文明」の思想の産物ではなく、完全に独力で創造されたと信じたがるものだ。アリストテレス革命を歴史から抹殺することは、西欧文明がより進んだイスラーム文明から非常に大きな恩恵を受けたという事実を隠しおおす役に立つ。だが、過去を抹殺することは、そのほかにもさまざまな形で、ヨーロッパの新しい時代のリーダーたちを利していたのだ。アリストテレス主義的キリスト教は、カトリック教会の権力を粉砕し、教会による教育資源の独占を終わらせたいと願うものたちすべてにとって――すなわち、国民国家の世俗統治者や、改革派教会の指導者や、新興の実業家階層や、科学を重視する知識階級にとって――大きな障害だった。だが――ここが当惑を禁じえないところなのだが――これらのエリートたちが排除しようとしていたのは、カトリック教会の政治的・組織的権威そのものではなく、カトリック教会が自然法や「正義の戦争」という類の概念を用いて繰り返し人々に教えこみ、押しつけようとしてきた道徳的な束縛だったのだ。」478-479

 この記述は、明らかに現代の状況とシンクロしている。16世紀にはナショナリストと自由主義者が結託して教会の排除に動いたが、現代ではネオ・ナショナリストと新自由主義者が結託してリベラルの排除に動いている。おそらく私の深読みではなく、著者がだれにでも分かるようなアナロジーとして強調して書いている。まあ、そういう政治的意図を抜きにしても、西欧の歴史(あるいは日本の歴史も)を正確に理解する上で「自文化中心主義」のバイアスをかいくぐる技術が重要であることは間違いないだろう。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ』ちくま学芸文庫、2018年<2008年

【要約と感想】ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』

【要約】精神科医としての臨床の経験を踏まえると、「個性」などというものは存在しません。ただの幻想です。「人格」も、単に存在が仮定されているものに過ぎません。その代わりに決定的に重要なのは人間関係であり、それを規定する場としての文化です。人間関係の在り方によって、つまり場面が異なれば、人の行動や思考は変わります。精神科医として大事なことは、「人格」や「個性」を所与の前提とせず、クライアントの人間関係の有り様を浮かび上がらせることです。そして精神病を生み出す「社会」の有り様の改善へ足を踏み出すことです。

【感想】人格や個性など仮説に過ぎないという1930年代アメリカの意見というと、もう即座にG.H.ミードを思い出して、何らかの関係があるのかと最後まで読んだが、本書にはミードの「ミ」の字も出てこない(シカゴ学派や社会心理学との関連については言及がある)。しかし専門論文を当たったら、やはり関係があった。後藤将之「George H. Mead のコミュニケーション論について」によれば、サリヴァンは1920年代に「Sapir を介して Mead の仕事を知った」とされ、ミードの論理をさらに先鋭化したということになっていた。そうだろうそうだろう、ガッテンである。
 そしてミードの社会心理学の議論はおそらく1920年代アメリカの高度消費社会を背景として成り立っていたのだろうが、精神科医のサリバンはもっと先鋭的に高度消費社会の被害者たち(特にスキゾフレニア=統合失調症)を目の当たりにしていたはずで、「人格や個性なんて者は仮説に過ぎない」という確信はそうとう強かったのではないかと推察する。

【今後の研究のための備忘録】個性
 編訳者の前書きで、まず全体をこう俯瞰している。

「――「個性とは幻想である」とサリヴァンが言ったとき、それはあまりにラディカルな危険思想として受け取られた。しかしまずそれは端的に、独立ないし自立した人間というのが机上論に過ぎないことの指摘であった。個人ごとの差異を、彼はまったく決定的であるとか、特別視するべきものとは考えない。人間は互いに相違点よりも共通点をずっと多く持っていると信じて「人間集団に対しての精神医学psychiary of people」を唱えたのだった。」10頁

 この「ラディカルな危険思想として受け取られた」というのは、誰にどの程度そうだったのかは気になる。というのは、既に社会心理学者のG.H.ミードが同じようなことを言っていて、シカゴ学派の間ではそこそこ受け容れられていたように思えるからだ。そしてまた精神医学の分野であっても、フロイトやユングに連なる人たちが衝撃を以て迎えるとも考えにくい。
 ともかく、「個性とは幻想である」というテーゼが、思想全体を貫く決定的な軸であることは間違いない。以下はサリヴァン本人の言で、1944年の「「個性」という幻想」からの引用。

「不安の舞台となるのは、「自己self」と呼ばれる人格の一部分です。」102頁
「ここでは「人格の一部分」としたが、「人格」がそもそも仮説であるので、ここで述べているのは仮説内仮説に過ぎないと留意しておくこと。」114頁
「そして人格の作用もまた――一対一ないし多対多の関係を通じてのみ観察されます――目を瞠るばかりであって、そして人間的です。人格は、多数の人々そして文化からなる世界と深く絡み合った生命のコンタクトから生まれるものです。ですからその領野においては、人間が単純素朴であるとか、事物の中心にいて、個々独立していて、単位的であるなどと考えるのはまったく愚かしいことであります。」105頁
人格それ自体は単独で取り出すことが不可能です。」106頁
「それが完了すれば、個性というものが永遠不滅でも唯一無二でもないと明らかになるはずです。私たちは皆、対人関係の数と同じだけ人格の数を持ちます。」107頁
「「個性とは幻想である」と私が言うのは、そう考えることが実際の対人関係に手を入れることをずっと簡単にしてくれるという意味においてです。これ以外の仮定に基づいた操作をするのでは、理論的にも相当な無理が生じます。別の言い方をすれば、議論の出発点としてどこが一般に都合がいいか、ということを私は言っているのです。」110頁
「私自身についていえば、一人ひとりに備わった特別な個性なるものを仮定する必要はなさそうだと、ここのところ少しずつ考えるようになってきました。」110頁
人間が個々独立した個体であるというのは可能性の一つに過ぎないわけです。そして私が言っているのは、その考え方が果たして役に立っていますか、ということです。」113頁
「あなたが自分の人格を皮膚で覆われた骨格とその付属器に限定したいのならそれで構いません。どういう参照のシステムなら数多の学術用語だとか概念だとか複雑性を片付けられるか、そしてシンプルな操作によってそれと同等の結果を得られるかについて、私はそれと違う提案をします。しかしこのような考え方は、今の教育システムからどうやら相当の反発を受けるようですね。」113頁

 言っていることは明快だ。が、それがオリジナリティに溢れるかというと、21世紀の現在では「ですよね」としか言いようがないありきたりの言辞に見える。現在の生物学の知見を踏まえれば、群体であれ、共生であれ、DNAであれ、一人の人間を単位として絶対視することに有効性はまるでない。だから、このサリヴァンの見解が、1944年の時点で、G.H.ミードの社会心理学とどういうふうに響き合い、どの程度ラディカルなものと見なされていたのか、ということが関心の対象となる。

 さて、他の論文からも「人格」の用例サンプルを得られる。

人格personalityとはまず第一に、ヒトという可塑的動物に被せられた、文化なるものの産物である。西欧文明といえども不均一であって、その内側に多くの下位文化をもっている。下位文化の間では矛盾や対立のあることが珍しくない。そのなかにある個々の人格とはどういっても<様々な対人関係を取りまとめる比較的に持続性のシステム>以上のものではないだろう。いずれは満足とか安全保障の感覚に回収されていくものだ。人格が成長していく途上には障害物とか、余計な口出しばかりであるから、そのせいで前進と後退を繰り返し、そのうちに落ちぶれていく。それでいながら自己意識self-consciousnessは人格のことを独立独歩で、一定不変で、無矛盾なシステムとして認識する。自分で自分について語るときはとてもシンプルで、今日の記憶と機能の行動が違っていても気にはならない。だからこそ逆に、言行不一致を他人から指摘されると人間はまったく落ち着かなくなって、自尊感情が傷つくことを恐れて「何か」しなければいけない気分になる。」146頁

 上は「プロパガンダと検閲」と題された論文からの引用だ。「人格の一貫性」について正面から説こうという趣旨ではなく、人に影響力を行使するにはどうしたらいいかという関心から書かれていて、そして「人格の不一致」こそが相手をぐらつかせると言っているわけだ。まあ、「ダブスタ」を衝いたら「はい論破」と言えるのは、こういう理屈が背後にあるわけだ。しかしそもそも「人格の一貫性」そのものが成立しないのであれば、「ダブスタ」をいくら衝かれても、痛くも痒くもない。場面によって人格が切り替わるのは、当たり前のことなのだ。

「精神科医がクライアントについて一切合切を知ろうとすることはない。人格なるものは定義不能であり、たえず動きながらあると知っているからである。」247頁

 上は「緊張―対人関係と国際関係」にある一文だ。臨床の場面で「人格」概念が役に立たないと言っている。実際、そうなのだろう。ただし、具体的な人間関係が成立する場面において,「人格」という概念の実質的な意味内容である「人間の尊厳」という観念は、決定的に重要な役割を果たす可能性はある。

【今後の研究のための備忘録】人格と国家
 そして興味深いことに、人格と主権国家の相似性を指摘する一文がある。

「国家はその周囲に他国のあることを前提としていると同時に、他国から独立して機能するための組織を備えるものである。この二点によって国家が他の集合体と決定的に区別されるとしたギュルヴィッチの議論は、まさに正鵠を得ている。国際的運動の核となるような組織は他にあるにしても、しかし主権を与えられている点で国家はやはり特殊である。
 無数の準・国家的な運動が収束するところに国家が成り立ち、そして主権の行使という独特のプロセスによって結束されている。これは内的ないし相互的な作用が人格のもとに統合されていることと並行しているように思われる。国家のもつ主権とは、個々の人間に受け継がれてきた方式が、歴史を通じて具体的な形をとるに至ったものであると私は考えている。」278-279頁

 国家と人格に相似性を認める議論は、もちろんプラトン以降2400年の伝統を持っている。近代の主権国家誕生以降も、ドイツ国家学や国家有機体論でお馴染みだ。この一精神科医の発言が、はたして精神科医としての臨床の経験から出てきたものか、それとも逆に20世紀半ばにはまだ影響力を持っていた国家有機体論に影響されたものなのか、興味は尽きないところだ。

ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』阿部大樹訳、講談社学術文庫、2022年

【要約と感想】D・エラスムス『エラスムス教育論』

【要約】人間は他の動物と違って生まれつき教育されることに向いている生き物なので、早くから教育を行っても大丈夫です。というか若ければ若いほど柔軟かつ従順に物事を吸収するので、幼少期から教育を施すべきです。しかし現在の学校で広く行われているような教育方法、特に体罰は最悪です。子どもたちの個性を踏まえ、遊びのエッセンスを取り入れて、快活で若々しい教師が楽しく教えれば、子どもたちは自然に教師を敬愛し、学問を尊び、ぐんぐん才能が伸びていきます。

【知りたいことで書いてあったこと】
 以下、解説に書いてあったことの引用だが、ほぼほぼ西洋教育史の教科書にも書かれているような通説からはみ出すような記述は見あたらない。ということで、依拠するにしても反論するにしても、「通説はこうなっている」というときに安心して話せるものだ。

「印刷事業の商業化の波に乗って、エラスムスの著作は瞬時にして欧州全域に広がって行ったのであった。なかでも、エラスムスの教育的著作は”子供を教育する”という親の教育熱に支えられて欧州全域に広がった。」206頁
「当時の欧州社会に見られた子供に対する親の教育熱は、地域的なことを言うならば、まずイタリアからはじまり、それから他の欧州各国へと拡がって行った。この教育熱という現象は、経済的な活動と密接な関係があった。」208頁
「”専門的な高等教育を受けて社会で成功しようとするならば、その人間は基礎的・準備的な知識やラテン語を子供の頃から充分に習得していなければならない”ということをこの時代の市民たちは感じはじめるようになっていたのである。」210頁
「”完全なるものに向けて完成に到る”という高揚した精神を持つ人間観がギリシアからもたらされて、人間の尊厳や人間中心主義の思想がイタリアにおいて生まれることになった。(中略)人間主義の思想は人間が完全体へと到るための教育論であると言えるかも知れない」210-211頁
「エラスムスの生きた時代よりも以前の中世社会では、学習者は社会の中で必要とされる実際的な知識や技能を学校では習得していなかった。中世社会においては、一般民衆の子弟は、学校という形態をとる教育を受けずに、徒弟などの見習い奉公のなかで日常の仕事を通して実際的な知識や技能を習得していたのであった。ところが、エラスムスの生きた時代である一五・六世紀やそれ以後の時代においては、民衆の子弟の学びの形態と学びの内容が徐々に変わって来た。裕福な市民層の中に、自分たちの子供を学校に入学させ、そこで知識や技能を学ばせようとする人々が出て来たのであった。この時代は、学校が裕福な市民層の子弟を吸収することによって発展して来た時代であった。」244頁

 しかしさらなる問題は、どうして15~16世紀にこういう経済的な地殻変動がヨーロッパに発生したかというところだ。当然、ビザンツ帝国の崩壊とオスマントルコの圧迫による商圏の変更(特にヴェネツィアとフィレンツェの対抗関係)に加え、新大陸の発見と開発などが背景として想定される。だとすると、裕福な市民層が必要としたのはエラスムス流のユマニスム的教養(特にラテン語)なんかではなく、もっと実際的な経済活動に役立つ地理学や天文学や商習慣も含む民法の知識だったはずだ。実際、17世紀末には、ジョン・ロックあたりはラテン語の重要性を認めないようになっている。このあたりのズレをどう理解するところか。

【感想】内容としては、ユマニスト(人文主義者)としての面目躍如たる、堂々とした児童教育論だ。体罰を完全否定し、外から知識を注入するのではなく、子どもが本来持っている素質と個性を尊重し、内側から理性を発達させるために、穏健で教養豊かな大人が環境を整える。近代的な教育論の祖型がほぼ固まっているように見える一方で、しかし科学的に自然を分析しようとする姿勢や態度はまったく見られない。自然科学の成果が教育に影響を及ぼすのはまだまだ先のことになる。そういう意味でも、あまりにも典型的に「人文学的」な内容だと言えるかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】遊び
 エラスムスが16世紀の段階で既に遊びの教育的効能を説いて、苦しい勉強に対置していることは覚えておきたい。

「子供は勉学の辛苦よりもむしろ遊戯のなかで学ぶのです。」8-9頁

 この視点は、この後もロックやルソーに引き継がれていくことになるだろう。

【今後の研究のための備忘録】植物に喩える
 子どもの成長を植物に喩えることは、教育関連の話ではよく現れる。いちばん有名なのはフレーベルということになるだろうか。この点に関して、エラスムスもご多分に漏れない。

「農民は、木が固まって堅くなるまでじっと待つだけで、木の野生の本性があらわになる前のまだ柔らかい若木の時にすぐに接ぎ木を行うことを学んではいないのでしょうか。木が曲がったままで育たないように、また他のどのような欠点をも負わないように、農民は注意深く見守るものです。」15頁

【今後の研究のための備忘録】教育的人間と理性、教授
 人間を他の動物と区別するものが「理性」だということは、ギリシアやローマの古代から言われ続けており、エラスムスも引き継いでいる。しかし、「教授」が理性を補うものだという発想は古代に広く見られるわけではないと思う。
 「理性」というものが全ての人間に平等に備わっており、それを発達させるのが教育だという考え方は、ソクラテス以来広く見られる考え方だ。それに対し、外から知識を付け加えることは、ソクラテス的に言えばソフィスト的な行為であって、教育の本質に関わるものではない。しかしエラスムスは、外側から知識を与える行為を積極的に肯定する。本書ではその行為を「教授」と呼んでいる。原文ではinstitutだろうか。
 そして教育学的に重要なのは、この「教授」という概念が、「理性」なる概念とは別の形で、人間を他の動物から切り分ける極めて重要な要素となっていることだ。エラスムスの言によれば、動物には多くの英知(原文ではintelectだろうか)を持っているが、教授は受け付けない。実は人間を他の動物から引き離して卓越させているものは、「理性」よりも「教授」のほうなのかもしれない。

「確かに、獣という被造物は彼等に特有の機能を保持する手段を、全てのものの母である自然から与えられています。ところが、神様の摂理におきましては、全ての被造物の中で人間にだけに理性の力が授けられており、そして足りない部分を補うために教授というものが人間にはあるのです。」15頁
「人間は教授に向いた精神を与えられているのです。教えられることがあれば、人間は全ての他の被造物のなかのうちで唯一の存在となるものなのです。動物は教えることにはあまり適してはいないのですが、それでも動物はより多くの生まれながらの英知を持っています。(中略)入念にそして良い時期に教え込むことが行われなければ、人間は無用の被造物になってしまうのではないでしょうか。」16-17頁
「人間性をつくるのは理性です。欲情が全ての振舞を支配しているところでは、理性の位置は適切な場所にはないのです。」23頁

【今後の研究のための備忘録】親の義務
 エラスムスが体罰を完全否定し、子どもの素質や個性を重んじたことを以て、wikipediaは「人類の歴史上最初の、最もはっきりとした子供の人権宣言」としており、確かにそう言えなくもないとは思いつつ、しかしやはり現代の「子どもの人権」とは言っていることはかなり異なる。特に「親」の位置と役割が異なっている。現代的な理解では、子どもの権利を保障するのは第一義的には保護者であり、二義的に社会や国家である。しかしエラスムスにおいては、親が義務を負っているのはあくまでも国家や教会に対してであり、子どもに対してではない。それを踏まえると、「子供の人権宣言」というwikipediaの主張は、やや言い過ぎの感は否めない。

「人は父親であることを欲していますが、それには義務に忠実な父親にならなければなりません。子供を持つということは、その人自身のためにではなく国のためにであり、またキリスト教的に言うならば、その人自身のためにではなく神のためにであるのです。」27頁

【今後の研究のための備忘録】教育可能性と個性
 エラスムスが子どもの教育可能性について、(1)素質(2)学習(3)練習という3つの要素に分析しているのは、教育原理的には注目しておきたいところだ。

「人間の至福への一般的な原理は主として三つの事柄として知られているのですが、それは素質、学習、練習です。善きことに対して教化され得るものとか、善きことに対しての植え付けられた内奥にある傾向のことを素質という名で呼んでいます。警告とか教訓とかで知られていることの教授のことを学習という名で呼んでいます。素質によって植え付けられた習慣の熟練であり、また教授から引き出されたものを練習と呼んでいます。」37頁

 とはいえ、「練習」が具体的に何を指しているかは、この日本語からはよく分からない。訳の問題かどうか。
 また、人間には本質的に教授を受け容れる素質が備わっていると考えるところから、エラスムスは早期教育を厭わない姿勢を繰り返し強調する。

「学識ある方々の考えにおきましては、七歳以前の年齢の子供に学習を行わせないと考える人に対しては正統なる拒絶を致します。」55頁
「クリュシピュースは、人生の最初の三年間は養育者に授けられている、と言っております。この期間は、教育におきましては、殊に振舞や喋り方におきましては、何もしないのではない、と言うのです。というよりも、この期間に、養育者や親によって優しい方法で良習や文学への準備を子供はさせられるべきである、と言うのです。」55-56頁

 そして教育学的に注目したいのは、子どもの個性についてかなり具体的に目を向けているところだ。

「人間の自然にはそれぞれの人に独自の特性があります。例えば、ある者は数学の学習に、別のある者は神学の学習に、また他の者は修辞学や作詩法の学習に、また別の他の者たちは軍務に生まれ付きのものを示しております。大いなる力によってそれらの研究へと各人は駆り立てられており、それ故に何者も人をそれらの研究から遠ざけることは出来ないのです。嫌いな学問に精神を傾けることに更に熱を入れさせて突き進ませても、ますます激しくその学問を嫌いにさせるばかりなのです。」48頁
「ある特定の学問において、例えば音楽とか算術とか地誌とかにおいて、幼い子供たちのなかで特異な性向を自発的に現わす子供がおります。」91頁

  ここからは、いわゆる「ギフテッド」という現象についても観察している様子が伺える。しかし本書全体からは、エラスムスが「普遍的な人間性=理性」と「個別の性向=特性・素質」の関係をどう捉えているかは伺うことができない。このあたりは、内側から理性を発達させる「教育」と、外側から素質に従って与える「教授」との違いに繋がってくるのかどうかが知りたいところではあるのだが。

 また一方、児童理解にかかわって「人相学」について言及しているところもいちおうメモしておく。

「”容貌とか身体の形や状態とかによって才能を推測するということは絶対に偽りである”とは私は思いません。確かに、偉大な哲学者・アリストテレスは『人相学について』という書物を公にすることをためらいはしませんでしたし、その研究は無教養なことでもないし、不十分なものでもありません。」49頁

【今後の研究のための備忘録】愛情の大切さ
 しかしなんといっても本書の一番の見所は、体罰などに典型的に現れる「恐怖」によって子どもを支配することを徹底的に戒め、「愛情」によって子どもたちを惹きつけるべきだと、繰り返し主張しているところだ。

「最初の世話は愛情なのです。それは、恐怖を用いずに、自ずと生ずる敬意によって次第に子供を引き付けていくことであるのです。そして、このことは恐怖よりも有効性を持っております。
 それ故に、子供のことにはしっかりとした十分な警戒がなされるべきです。まだ四歳になったばかりの子供がすぐに読み書きに関する学校に送り込まれるということがあるのですが、そこの場所においては無知で、粗野で、ごく僅かの思慮の徳しか有していない教師によって管理が行われているのです。」67頁
「彼等はただ単に自分の楽しみのためだけに鞭打つのですし、確かに彼等の本性は残酷なものであり、また他人の拷問から快楽を得ているのです。このような種類の人間は、屠殺者とか死刑執行者に適しているのですが、子供の形成者には相応しくありません。」71頁

  もう500年も前に明確に述べられていることなのに、21世紀にもなって体罰を肯定する人間がいるのは悲しいことだ。
 また、子どもたちに愛される教師の条件も、なかなか含蓄に富んでいる。

「子供たちに愛されるためには、教師はある程度は再び子供になるべきです。それにも拘わらず、老人や殆ど老人と言ってもよい者に子供たちを委ねて、読み書きの初歩を習熟させることは良いことではありません。」87頁
「もしも有益な教え方を彼等に明示しましても、彼等は、彼等自身もこの方法によって教えられて来たのだと応答するでしょうし、また彼等自身の子供時代に生じたことよりも今の子供たちの方がより良い状態にあるということを許し難いものだと考えるのです。」101頁

 未だにチョーク&トークの手法にこだわってICTの活用を否定するような人たちがいるが、まあ500年前から教師(というか大人)の傾向が変わっていないということではある。

【今後の研究のための備忘録】ペルソナの用例
 また「ペルソナ」の用例が2つあったので、引用しておく。

「子供が嫌がるような人ではなく、またどのようなペルソナをも受け容れることを厭わないような若々しい年代の人を私は選びます。」88頁
「教師の役割は、この種の想念を幾つもの方法によって子供から取り除くことですし、また勉学に遊び戯れのペルソナを取り入れることなのです。」102頁

 通常であれば「人格」と翻訳されるような言葉なのだが、おそらく翻訳者も「人格」と翻訳したのでは意味が通らないと判断したのでカタカナのまま「ペルソナ」と表記したのだろう。この「ペルソナ」というラテン語は、おそらく英語のpersonalityと同じものだと考えるのでは、文脈全体を理解することはできない。エラスムスの16世紀前半まで生き残っていた意味を復元する必要があり、そしてその意味はおそらくカトリックの教義「三位一体論」で用いられるペルソナ概念とも響き合ってくることを予想する。

【今後の研究のための備忘録】服装
 現代の学校において、校則などで学生の服装を規制するときに、「服の乱れは心の乱れ」などと説き伏せることがある。同じようなことが既に16世紀前半エラスムスによって記されていることは記憶しておいていいのかもしれない。

「身体を包む衣服というものはある意味での身体である、とも言えるからなのです。つまり、身体を包む衣服というものは、その人間の精神の外観がどのようなものであるのかを暗に示しているのです。」160頁

 ただしエラスムスは、時代や地域によって服装の基準が大きく異なり、一意的に決めつけていいものではないことについてはしっかり留保している。
 また、子どもの飲酒について当時どう考えられていたかが伺える記述もあったので、メモしておく。

「ブドウ酒とか、麦酒(ブドウ酒と同じ位に酔うのですが)とかは、子供の健康を損ねるし、もちろん子供の品性をも損ねることになります。」169頁

【今後の研究のための備忘録】親の影響
 16世紀には親の影響がそんなに深刻に考えられていなかったことが伺える記述がある。

「私は、今は、全てに卓越する神に次いで敬意を当然に表すべき御両親のことについては話をしておりません。教師のように特別に強いものではないにせよ、人間の精神を形づくるには、御両親の影響がある程度はあります。」179頁

 御両親の影響が「ある程度は」あるというような言い方は、現代ではものすごい違和感がある。おそらく、決定的にあると理解しているはずだ。逆に言えば、16世紀には子育てに親が関与できる割合が、現代と比較して極めて少なかっただろうことを示唆している。日本でも西洋でも、子育ては親だけに押しつけられるのではなく、大人全体で担うべきものだったのだ。

【今後の研究のための備忘録】トルコ
 教育学とは直接の関係はないが、歴史的な証言なのでメモしておく。1530年に出版された本に残された記述だ。

「トルコ人が私たちの支配者になるかも知れないのですが」179頁

 まさにオスマン帝国スレイマン1世による第一次ウィーン包囲が1529年で、おそらくヨーロッパ中が恐慌に陥っているさなかに書かれたのだろう。エラスムスがオスマン帝国をどう理解していたのかつぶさには分からないのだが、個人的な印象では、平凡なカトリック信者の感覚を超えるようなものはないように思う。だとすると、滅びたビザンツの正教にも冷淡だったと理解しておいてもいいのかどうか。

『エラスムス教育論』中城進訳、二瓶社、1994年

【要約と感想】ダンテ『神曲【完全版】』

【要約】ダンテは地獄・煉獄・天国を巡る数奇な体験を得て、詩を詠みました。
 まず古代詩人ウェルギリウスの案内で地獄を経巡ります。地獄では、カトリック法王を始めとして、様々な罪を犯した人々が呵責ない責めにあって苦しむ様子を見ます。中には旧知の人々もいましたが、地獄に落ちて当然の奴らなので悲しんではいけません。
 煉獄では、天国に行くまでに様々な罪科の禊ぎを済ませるために苦しんでいる人々を見ます。中には旧知の人々もいて、地上に戻ったらよろしく伝えてくれと言われます。
 天国に入ると、それまで案内を努めてくれた頼もしいウェルギリウスの姿は見えなくなり、代わって初恋の女性であったベアトリーチェが至高天まで先導してくれます。ご先祖様から激励されたり、キリスト教の聖人たちと学理問答をしたりして、最終的に神の領域に辿り着きますが、それは言葉にできません。

【感想】予習をぬかりなくしたので噂には聞いていたものの、初恋の人ベアトリーチェをここまで神々しく描くというのは、いやはや、ちょっと私の感覚からは理解しがたい。やり過ぎ感がすごい。単に好きというレベルを遙かに超えるストーカー的偏執も含みこんだような情念を感じて、そこそこ怖い。

 地獄編は、訳者もノリノリに翻訳している感じが伝わってきて、けっこう楽しい。コントのような展開も多い。地獄に落ちた人々は基本的にダンテの独断と偏見で選ばれている。露骨に党派性が現れていて、槍玉に挙げられた人たちがちょっとかわいそうではある。しかし一方、党派性を離れて、キリスト教の原理原則に従って地獄に落ちざるを得なかった人々の立ち居振る舞いには、見所が多い。具体的には例えば男色などカトリック教義的に許容できない人々は、原理原則に従って地獄に落とされるものの、人格的矜持は高潔に保っていたりする。そういうところにキリスト教原理主義をはみ出す「人文主義」の臭いを感じる。
 天国篇は、訳者も言っていたように、確かに抽象度がくんと上がって、物語的に興趣が減じる上に、人文主義の臭いもなくなる感じがする。まあ個人的にはキリスト教神学の構成に興味があるので、そこそこおもしろく読める。

 文体的には、いわゆる「直喩」のオンパレードで、意外性のある喩えも多く、とても楽しい。現代で言えば、お笑いのくりぃむしちゅー上田のツッコミ(まるで○○のようだな!)を想起させる直喩だ。具体的な次元では遠くかけ離れていても形式的には似ている、というものを繋げて表現する才能は、ダンテと上田はよく似ているのかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】子どもに関する言及
 各所に子どもに関する言及があったので、サンプリングしておく。というのは、子どもに対する意識が中世と近代を切り分けるメルクマールだ、というアリエス『子供の誕生』が示唆するテーゼを検証する資料になるからだ。ダンテが属するのが中世なのか近代なのか、あるいはアリエスのテーゼそのものが信用に足るのかを検証するために、『神曲』の記述は有力な資料になる。

ウゴリーノ伯爵がおまえ〔ピーサ〕を裏切って
 城を敵方に明け渡したという風評があるにせよ、
 おまえは子供をああした刑に処するべきではなかった。
ああ第二のテーバイよ、ウグイッチョーネやブリガータ、
 また前に詩に出たあと二人の子供たちは
 年端もゆかず無邪気だった。
(地獄編第33歌85-87)

 ウゴリーノ伯爵と共に塔に閉じ込められた幼い子どもたちが餓死に追い込まれるという陰惨な場面で、よほど印象深いのか、訳者も何回も繰り返し言及している。ただ個人的に注目したいのは、ダンテが子どもたちを「年端もゆかず無邪気」と表現し、父親との連帯責任を取らせることに批判的な姿勢を示しているところだ。アリエス的な理論枠組みからは、少々外れている。

そこで私は、人間の罪から免れる〔洗礼の〕前に
 死の歯にかまれてしまった
 あどけない幼児たちと一緒にいる。
三つの聖なる徳に身を包むことをしなかった人たちと
 そこで私は一緒なのだ。
(煉獄篇第7歌31-35)

 ダンテの案内役ウェルギリウスがどうして天国に行けないかを説明している箇所で、子どもへの言及がある。イエス降誕前に死んだウェルギリウスはもちろんイエスに対する信仰を持てるはずがないわけだが、それを理由として天国に行かせてもらえない。日本人からしたらわけが分からない変な理屈だ。ダンテも同じように感じていたらしく、何カ所かでこの理屈に言及して疑問らしきものも呈しているが、最終的には神の摂理として受け容れている。問題は、天国に行けない人々の中に、洗礼を受ける前に亡くなった「幼児」も含まれていることだ。これもやはり日本人からしたら意味が解らない理屈だが、ダンテも不審に思いつつ神の摂理として受け容れている。キリスト教の子ども観を考える上では重要なポイントになる。

だから、自分たちの行いやその功徳とは関係なく、
 もっぱら最初の視力の鋭さの違いによって
 子供たちは違った段に据えられている。
世界がまだ創られたばかりのころには
 ただ両親に信仰がありさえすれば、
 無垢な子供たちはそれで十分救うことができた。
そのはじめの時代が過ぎた後は
 罪のない男の子は割礼を受けることにより
 天へ舞いあがる力をその羽に得た。
しかし恩寵の時代が到来した後は
 キリストのまったき洗礼を受けぬ場合は
 このような無垢な子供たちもあの下界にとどめおかれた。
(天国篇第32歌73-84)

 いわゆる「洗礼」というものの秘儀を担保するためには、洗礼前の用事を犠牲にしても構わない、というところか。目の前の人間に対する救いよりも神学の論理的一貫性の方が大事というカトリック教義。

信仰と清純は幼児たちの中にしか
 見あたらなくなりました。しかもそのいずれもが
 頬に髭が生えるよりも前に逃げ出してしまいます。
口がまだまわらないころは、断食を守る子供も、
 舌がまわりだすと、食物の如何や月日の如何を問わず、
 大食らいとなってしまうのです。
口がまわらないころは、母親になついて言うことを
 よく聞いた子供も、弁が立つようになると、
 母親は墓にいる方がよい、などと思うようになるのです。
(天国篇第27歌127-135)

 子どもたちにピュアさを見出すのは近代的な心性だという見解があるが、これを見るとダンテは近代的だということになってしまう。アリエスのテーゼが間違っているのか、本当にダンテが近代的なのか、あるいは別の解釈があるか。

【今後の研究のための備忘録】個性に関する記述
 「個性」というものを考える上で興味深い箇所があったのでサンプリングしておく。

すると彼がまた尋ねた、「では訊くが、もし地上で人が
 市民生活を営まないとすれば、事態はさらに悪化するだろうか?
 私が答えた、「むろん悪くなります」
「とすると人がさまざまの職務についてさまざまの生活を送ることなしに
 地上で市民生活が満足に営まれるだろうか?〔答えは〕
 否だ。その点は君らの師の書物にもはっきりと出ている」
こうして彼はここまで演繹的に論をひろげ、
 ついで結論をくだした、「そうしたわけだから
 君らの職務には職掌柄さまざまの根が必要とされるのだ。
それである人はソロンに、ある人はクセルクセスに、
 またある人はメルキゼデク、またある人は
 空中飛行をこころみて子をなくした人のように生まれつくのだ。
天球は回転しつつ、正確に仕事を営み、
 人間という蝋に型を捺すが、
 ひとりひとりが生まれる家に区別はつけていない。
それでエサウとヤコブは体内にいるうちからすでに違っていた。
 それでクィリヌスのような男が生まれ出たりするのだ。
 実父の身分が賤しいからマルスが彼の親ということになっている。
もし神の摂理に力がなかったとするならば、
 生まれ出た子は必ず生みの親に似、
 かつ似通った道をたどるはずだ。
これで前に見えなかった点が見えるようになったろう。
 君の訳に立てば私には嬉しいのだ。だから
 いま一つ補足して君の身に着けさせようと思う、
運命が性に合わないと、性に合わぬ土地にまかれた
 種と同じで、およそ生命のあるものは
 どうしても育ちが悪くなる。
自然によって人々各自の中に据えられたこの基盤に
 もし下界の人が留意し、かつそれに従うならば、
 人々はみなその処を得るはずだ。
しかるに君らは剣を帯びるべく生まれついた人を
 無理強いに宗門に入れ、
 説教をするべく生まれついた人を国王に仕立てたりする。
君らが道を踏みはずす原因は実はそこにあるのだ」
(天国篇第8歌115-148)

 人それぞれに持ち味や特徴があって、それに応じて相応しい役割が与えられるのが一番理に適っているという主張だ。これはたとえばガチガチの身分制では成立しない考えで、脱中世的な発想なのかもしれない。またあるいは119行に「市民生活」とあるように、適材適所の経済活動を想定した理屈なので、フィレンツェの卓越した商業活動が背景にあるのだろう。これが「個性」という概念の展開とどう関係してくるのか。

【今後の研究のための備忘録】近代科学観?

実験こそ人間の学芸の流れの変わらぬ泉なのです。
(天国篇第2歌96)

 訳註によれば「フィレンツェ市は(中略)ルネサンス期には自然科学の研究が非常に盛んになった学芸の都市である。その種の実験の精神ははやくもダンテのこの詩行に観取される。」とされる。一般的に科学的な実験で最初に名を挙げたのはイギリスのロジャー・ベーコンで、生年は1214年~1294年だ。ダンテはベーコンの約半世紀後に生まれているので、ベーコンの影響があっても不思議ではない。が、註が指摘しているとおり、ベーコン云々というより、フィレンツェの先進的な学芸を観取するところなのだろう。「ルネサンス」というものを考える上でもかなり気をつけるべき論点になる。

【今後の研究のための備忘録】三位一体

その時が来るに及び、神は造物主から離れていた人性を
 永遠の愛の働きによって
 神に、神の位格において、結びつけました。
(天国篇第7歌31-33)

 三位一体の秘儀について語られているところだが、訳者はペルソナを伝統通り「位格」と訳している。

この人性が結びついていた
 〔神の〕位格が蒙った非礼を考えてみると、
 かつてなく不当な罰といえるわけです。

 こちらは人性と神性の結びつきという観点から神のペルソナについて語った部分だ。問題になるのは、この「位格」という言葉の具体的な中身になる。

ダンテ/平川祐弘訳『神曲【完全版】』河出書房新社、2010年<1966年

【要約と感想】平野啓一郎『私とは何か―「個人」から「分人」へ』

【要約】本当の自分などありません。人間とは、ネットワークの「束」に過ぎません。そう考えた方が楽に生きられます。

【感想】まあ、同じようなことは100年くらい前にG.H.ミードがもっと徹底的に掘り下げていたりする。もっとちゃんと「自分と世界の相互作用」の理屈について分かりたい人は、ミードの1925年の論文『自我の発生と社会的統制』を一読することをお勧めする。
 で、おそらく著者はミードを知らずに同じようなことを言っているわけだが、意図せずに似てしまっているのは、1920年代のアメリカと1980年代の日本の歴史経済的状況が似ているせいでもあるだろう。現代人の人格が細分化されていくのは、生産と消費が一体化していた生活が、消費社会の高度な進展に伴って単なる消費の対象として切り離されてパッケージ化され、仕事も高度な分業体勢で切り刻まれて世界の中での位置づけを見失い、世界の全体像が失われて細分化していくこととパラレルな現象だ。それは人間にとって必ずしも普遍的な現象ではない。「本当の自分はひとつじゃない!」と50年前の日本で主張したら、「何を言ってるんだこの人」となっただろう。この主張が説得力を持つのは、高度に成熟した資本主義社会の下で、現代人の生そのものがズタズタに細分化されているせいだ。そのあたりの歴史的条件には、本書はまったく突っ込んでくれないのであった。

【今後の個人的な研究のための備忘録】
 「個性」という言葉に対する言質を得た。分析の対象というよりは、リード文として活用しやすそうで、ありがたい。

「雑誌の占い特集や自己啓発書などでしょっちゅう目にする「本当の自分」という言葉。これとセットになっているのが、「個性」である。そして、個性とは、一人一人の「個人」に特徴的な性質のことである。
 私たちは、自分の中に、何か人とは違う個性的なところを見つけたいと願い、人に左右されず、その個性を大切にしたいと思っている。
 にも拘らず、その個性がわからないというのは、いつでも煩悶の種だ。
 一体、個性とは何なのか?
 文部科学省(当時の文部省)の中央教育審議会で、「個性の尊重」が明確に目標として掲げられるようになったのは、一九八〇年代前半のことである。七五年生まれの私が小、中学生になったころには、教育現場でも、やかましいくらいに「個性を伸ばせ」、「個性的に生きなさい」と言われていた。
 私が属する段階ジュニア世代は、そもそも人数が多く、受験競争も激化の一途を辿っていたので、詰め込み式の画一化教育からの脱却という問題意識自体は、真っ当だったと思う、しかし、年がら年中、念仏のように聞かされていた「個性」という言葉は、まったくもってうっとうしかった。
 そもそも、個性的に生きろと言われても、その年頃の子供は、何をどうして良いのかわからない。みんな同じ制服を着て、朝から夕方まで、同じカリキュラムに従って勉強している。部活動でもすれば、個性的ということなのか? 仕方がないから、髪型に凝ってみたり、制服を改造してみたりすると、それは個性を履き違えている!と、職員室に呼び出されたりする。
 個性というのは、実のところ、だれにでもある。まったく同じ人間は、この世の中に二人といない、ものの見方から感じ方、考え方まで、十人十色である。そして、際立って個性的である人は、社会との軋轢も大きくなる分、苦しむことも多い。自分は周りから浮いていると感じる人は、むしろ平凡さにこそ、憧れる者だ。
 結局、教育現場で「個性の尊重」が叫ばれるのは、将来的に、個性と職業とを結びつけなさいという意味である。」38-40頁

 で、教育史的な観点からは少々不正確な記述なので、補足しておくと、いちおう文部省もオイルショック後の1977年学習指導要領改訂で「ゆとり」と「個性や能力に応じた教育」を打ち出して詰め込み教育からの転換を図ってはいるが、教育の場面に「個性」を積極的に持ち込んだのは文部省の中央教育審議会ではなく、中曽根康弘総理大臣の直下に置かれた「臨時教育審議会」であり、新自由主義による「教育の自由化」が挫折した結果としてオブラートに包まれて登場したのが「個性の重視」というスローガンだ。まあ、「個性」という言葉に対して当時の「ゆとり第一世代」が抱いた実感であり、貴重な証言である、ということについては間違いはない。引用していきたい。

 また、「人格」という言葉についても大量の言質を得た。

「分人は、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されてゆく、パターンとしての人格である。」7頁
「一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。」7頁
「私たちは、朝、日が昇って、夕方、日が沈む、という反復的なサイクルを生きながら、身の回りの他者とも、反復的なコミュニケーションを重ねている。人格とは、その反復を通じて形成される一種のパターンである。」70頁

 これだけ見ると、あたかもヒュームのようだ。まあ、ドイツ的というかフンボルト的な教養が後退していることの一つの表現系なのかもしれない。

 それからキリスト教への言及について。

「人間が「(分割不可能な)個人」だという発想は、そもそもは一神教に由来するものである。一なる神と向かい合うのは、一なる人間でなければならない。」49頁

 大雑把に言えばそうかもしれないけれども、大雑把すぎる。キリスト教の中にも、エヴァンゲリオンの人類補完計画のようなことを言っている派閥(というか異端)もあったりして、「一」がなんなのかについては極めて錯綜とした議論が積み重なっており、なかなか一筋縄ではいかない。新プラトン主義との関係も慎重に見極める必要がある。こう断言して許されるのなら、なんと楽なことか。まあこれは新書だからいいんだけれども。

平野啓一郎『私とは何か―「個人」から「分人」へ』講談社現代新書、2012年