最新学習指導要領(平成29年版)の構造と要点―深い学びとは何か?

はじめに―何がポイントか

 このページでは、最新学習指導要領(平成29年版)について解説します。特に「深い学び」に焦点を当てて考えます。「深い学び」という概念に着目しながら学習指導要領のキーワードを読み解くことで、全体の構造が明瞭に見えてきます。そして読み解くべきキーワードとは、

    1. 主体的・対話的で深い学び
    2. 社会に開かれた教育課程
    3. カリキュラム・マネジメント

 の3つです。
 (※ちなみに、このページの見解は、あくまでも私の意見ではなく、学習指導要領を素直に読めばそう解釈する以外にない、という見解を示しています。)

主体的・対話的で深い学び

 今回の学習指導要領のキーワードとして現場でもっとも注目されたのは、「主体的・対話的で深い学び」という言葉です。これまでアクティブラーニングと呼ばれていたものが、「主体的・対話的で深い学び」と呼ばれるようになりました。そしてもちろん、単に言葉が変わっただけではなく、考え方の中身も大きく変わったことに注意しなければいけません。

 まず注目したいのは、アクティブ・ラーニングという言葉が死語になったという事実です。最新指導要領には、「アクティブ・ラーニング」という言葉がまったく使われておりません。抹殺されました。アクティブラーニングという言葉によって、現場に根本的な誤解が広がってしまったから、文部科学省が抹殺しよう、というわけです。
 現場で行なわれたアクティブラーニングが文部科学省の狙いとズレていたのは、一言でまとめれば、「手段が目的化してしまった」のが本質的な問題でした。アクティブ・ラーニングは、もともとは手段に過ぎませんでした。しかし、ただの手段だったはずなのに、アクティブ・ラーニングをやること自体が目的になってしまう傾向にありました。アクティブ・ラーニングを行うこと自体が目的となってしまうことで、本来の教育目的が見失われてしまいました。単に授業がアクティブであることに満足してしまい、子どものほうは実はちっとも成長していないのがマズい、というわけです。
 こんなふうに手段が目的化して、本来の目的が見失われてしまったのはなぜか。アクティブ・ラーニングという言葉を使ってしまったから誤解を招いたのだ、というふうに文部科学省は反省をしたわけです。アクティブ・ラーニングという言葉を使うことによって、「アクティブならいいんでしょ、アクティブにやればいいんでしょ、アクティブなら何でもいいんでしょ」ということで、子どもたちがどのような資質・能力を身につけるかという教育目的を全く考えずに、単に子供を活動させてればいいんだという表面的な理解がはびこってしまった、と学習指導要領解説総則編に書いてあります。
 まずはアクティブ・ラーニングという言葉を死語にして、使わないようにしよう、ということで、今回の学習指導要領には全くアクティブ・ラーニングという言葉が出てきません。
 代わりに、誤解を招かないように出てきたのが「主体的・対話的で深い学び」という言葉です。

深い学び

 そして一番重要なのは深い学びという言葉です。手段ではなく、目的を指し示す言葉になっているのがポイントです。
 深い学びこそが、本来の目的です。そもそも深い学びを実現するためにこそ、アクティブ・ラーニングというものを手段として行おうとしていたわけです。深い学びという目的が見失われてしまっては、どんなにアクティブでも何の意味もありません。

 深い学びという本来の目的が実現されることが重要ですから、アクティブ・ラーニングを行うまでもなく深い学びが実現できているのであれば、子供達を活動的にさせる意味は全くありません。アクティブでなくても深い学びは実現できます。ただしかし、やはりアクティブ・ラーニングを実践することで深い学びを実現できる場合が多いのも確かです。見失ってはならないのは、目的はあくまでも「深い学び」であり、アクティブ・ラーニングはその手段に過ぎないということです。手段として有効ならどんどん行なえばいいし、役に立たないのであればきっぱりやめてしまえばいいのです。

 さてそれでは「深い学び」とはそもそも何なのか。この「深い学び」の理念と背景を示した言葉が「社会に開かれた教育課程」で、それを実現するための手法と考えかたを示したのが「カリキュラムマネジメント」という言葉です。「社会に開かれた教育課程」及び「カリキュラム・マネジメント」というキーワードを理解すれば、自ずと「深い学び」とは何かが理解できるという関係になっております。逆に言えば、「社会に開かれた教育課程」と「カリキュラムマネジメント」を理解していないと、「主体的・対話的で深い学び」について本質的なところはまったく分かっていない、ということにもなるわけです。
 と、私が言っているのではなく、学習指導要領を読む限りではそう理解するしかありません。

小まとめ

  • 「アクティブ・ラーニング」が死語とされるのは、手段が目的化したからです。
  • 失敗を繰り返さないためには、目的を見定めて、適切な手段を選択することが重要です。
  • 目的は「社会に開かれた教育課程」、手段は「カリキュラム・マネジメント」を踏まえましょう。

⇒さらに詳しくは、「主体的・対話的で深い学びとは―アクティブラーニングを超えて―

社会に開かれた教育課程

 文部科学省の答申に基づいて、「社会に開かれた教育課程」が何を目指しているのか、「深い学びを実現する」という観点から考えてみましょう。

目標を捉え直す

 まず一つ目、答申は「学校が目標を社会と共有せよ」と言っています。逆に言うと、どうやらこれまでの学校は目標を社会と共有していなかった、というふうに文部科学省は考えているようです。
 具体的には、受験のことしか考えず、社会に出てからのことを考えていないのではないか、ということになるでしょう。社会や世界の状況を幅広く視野に入れておらず、受験のことしか考えてないのではない。これが目標を社会と共有していないということです。学校の狭い世界のことしか考えていないと、社会から学校が閉じている浅い学び、というわけです。
 社会に開かれた教育課程を実現するために、具体的に学校に期待されていることは、まず改めて「目標」を捉え直すことです。

浅い学び=学校が社会と目標を共有していない
深い学び=学校が社会と目標を共有している

育成する資質能力を明確化する

 2つめに、どうやら文部科学省としては、これまでの学校は社会や世界に通用する資質能力を育ててこなかったと反省しているようです。専門用語ではこの資質能力はコンピテンシーとよく呼ばれています。
 今回の学習指導要領の変化は「コンテンツからコンピテンシーへ」と表現されています。20世紀の教育は、コンテンツを頭の中に詰め込むことを重要視していました。が、どうも日本の子どもたちには、せっかく詰め込んだコンテンツを活用する力がないということがわかってきました。 PISA調査の結果です。PISA調査によって、日本の子供達は基礎的な知識や技術は身につけているのに、その知識や技術を活用することができないという実態が浮き彫りになりました。コンテンツは詰め込んでるけれどもコンピテンシーが育まれていない。それまでにも薄々感じていたものが、数字で明らかに結果として出てきてしまったわけです。PISAショックです。そのため文科省は、教育をコンテンツからコンピテンシーへと転換しなければいけない、と考えました。

 ここに出てくる「資質能力」という言葉ですが、具体的には思考力・判断力・表現力と言われております。「○○力」と聞いたら、あ、コンピテンシーのことだ、とピンときてください。
「力」とは、現実に物事を変えていくものです。知っているだけでは、物事は変わりません。ものごとを変えていくためには、知識だけでなく、力を身に付けなければいけません。このような「○○力」=コンピテンシーを身に付けていくような教育にしていくことが、社会に開かれた教育課程の狙いなんだ、と文部科学省は言っているわけです。ただただコンテンツを暗記させるのは、社会から閉じている教育課程で浅い学び、ということになります。具体的に学校に期待されていることは、育成する資質能力を明確化することです。

浅い学び=コンテンツだけ暗記する
深い学び=資質能力(コンピテンシー)を育成する

学校運営と教育行政

 3つめに、これまでの学校は社会から閉じていたと文部科学省は反省しているようです。社会に学校を開くためにどうするか、キーワードはコミュニティ・スクールチーム学校です。
 これまでの学校は、教員免許を持った教師の集団によって運営されるのが当然とされてきました。また学校や教員を指導するのは教育委員会だ、というのがこれまでの常識でした。そういう教育行政の在り方自体を根本から変えていこうというのが、たとえばコミュニティ・スクールです。
 チーム学校とは、教員免許を持たないような人たちも、積極的に学校の中に取り入れていこうという考え方です。その上で、教員免許を持つ教育の専門家は、その専門的なスキルを十分に活かす方向で仕事の在り方を変えていこう、というわけです。
 こうして、学校という組織の在り方自体が根本から変わりつつあります。そうなると、校長先生に期待される役割が大きく変化します。校長先生には、教師としての力よりも、学校という組織をマネジメントできる力のほうが重要になります。教育ではなくマネジメントが期待されるので、校長には教員免許すら必要ありません。これが社会に開かれた教育課程の目指す校長先生、というわけです。

深い学びを実現するために、学校運営と教育行政の在り方自体を根本から変革する。

小まとめ

 「社会に開かれた教育課程」で、学校や教員に求められているのは、

  • 目標を捉え直す。
  • 育成する資質能力を明確化する。
  • 学校運営のありかたそのものを見直す。

さらに詳しくは
⇒「社会に開かれた教育課程とは―新学習指導要領の理念―
⇒「育成を目指す資質・能力とは―知識から21世紀型能力へ―
⇒「コミュニティ・スクール(学校運営協議会)とは何か?

カリキュラム・マネジメント

 深い学びを実現する方策が、カリキュラム・マネジメントです。カリキュラム・マネジメントに関して、学習指導要領は学校や教師が具体的にやるべきことを3つ設定しています 。

(1)教科横断的な視点で教育課程を編成する。
(2)教育実践の質の向上のために PDCA サイクルを確立する。
(3)実践を可能とする資源(人・金・物・時間・情報)を確保する。

 具体的に3番目から見ていきましょう。順番は逆になりますが、こっちからのほうが分かりやすいと思います。やはり「深い学びを実現する」という観点を忘れないでいると、要点を掴みやすいでだろうと思います。

資源を確保する

 カリキュラム・マネジメントでやるべきことの一つは実践を可能とする資源を確保することです。資源とは、ヒト・カネ・モノ・時間・情報に分類すると分かりやすいかもしれません。
 さて、目標を実現するためにはそのための十分な資源が確保されなければいけません。例えば近年、コロナウイルスのためにオンライン授業をやりましょうという話になりましたけれども、オンライン授業を行うためのタブレットやコンピューターや wi-fi など必要なものが揃っていない時、そもそもオンライン授業などできません。オンライン授業を実現するためには、モノが必要です。同様に現在の学校教育を成り立たせるためには、黒板やチョークなどのモノが当然必要になるわけです。これが「実戦を可能とする資源を揃える」ということです。

 ただし、ヒト・カネ・モノ・時間・情報のうち、一番重要な資源が何かと言うと、人です。「教育は人なり」なんていう言葉もよく知られているところですが、教育にとって最大の資源は「人」、つまり教師です。教師の力が増えれば増えるほど、資源が増えていくわけです。そんなわけで実践を可能とする資源を増やすために文部科学省が具体的に言っているのは、校内研修を充実させるなど、教員一人一人の力を伸ばして行くための環境を整えることです。

PDCAサイクル

 2つめが、 PDCAサイクルを確立するということです。学習指導要領には PDCAサイクルという言葉は直接的には出てきておりませんけれども、学習指導要領に頻繁に出てくる「評価」とか「改善」という単語がまさに PDCAサイクルを表現するキーワードです。「評価」はチェック、 PDCA の C。「改善」はアクション 、PDCA の A にあたります。「評価」や「改善」という言葉を見つけたら、あ、これは PDCAサイクルのことだなとピンと来ていただければと思います。
 改めて確認すると、 PDCA とは Plan→Do→Check→Action の一連の手続きをグルグル回して行くことによって目標を実現しようという、民間企業で行われていたマネジメントの手法です。民間企業でこのマネジメントの手法がうまくいった、ということで、これを学校のような公的部門にも導入しようという動きが20年ほど前から急速に強まってきているわけです。

 この PDCA のうち、学校では P(計画)とD(実行)はそこそこしっかりこれまででもできておりました。Pについては、しっかり年間計画を作ったり、授業の指導案を作ったりしてきました。Dについては、実際に授業を行うということはしっかり出来ておりました。逆にこれまで十分にできていないのは、C チェックと A アクションです。だから学習指導要領にも「評価」と「改善」というふうに、わざわざ PDCA の C と A だけ強調して書かれています。
従来「評価」と言うと、先生が生徒を評価するという観点でした。しかしもちろん、ここで言われている評価とは、学校や先生が生徒を評価するのではありません。学校が評価される、先生が評価される、という評価です。これがここまでほとんどできていなかった、ということで学校教育法や学校教育法施行規則を改正しまして、法律に定められた義務として学校が評価されなければいけないというふうに制度が変わりました。

 そして評価がほとんど行われてきていなかったのに加えて、Action(改善)もなかなか上手くいっていませんでした。学校というか教育行政というものには、前例主義が根強く残っています。何か問題があっても、それを目標に照らして根本的に改善するというよりは、前例どおりに行いがちです。しかし今は、前例通りにやるのではなく、C(評価)の場面で問題が確認されたらそれを積極的にA(改善)することが求められているのであって、むしろ前例というものは壊していくためにあります。
 ところが、これが学校や教育委員会が一番苦手な所だったりします。たとえば今回のコロナウイルス騒動の中でも、オンライン授業が全然行われないというところで、その弱点が露呈しました。
 前例主義の悪いところが、余すところなく、徹底的に出てしまいました。で、このA(改善)を着実に行っていくためには、校務分掌の中にしっかりと位置付けて責任をもって取り組むセクションがなければいけない、ということで、学校の組織や体制自体を変えていきなさいと、学習指導要領が言っております。

教科等横断的な視点

 最後に1つめ、「教科等横断的な視点」について考えていきます。結論から言うと、「教科等横断的な視点」を取り入れると深い学びが実現できます。が、これが何なのか、なかなか理解するのが難しくて、みなさん苦労しているわけですね。
 「教科等横断的」が分かりにくいのは、「何が教科を横断して串刺しするのか」がそもそも分からないからです。ポイントは、「コンピテンシー」です。教科を横断するのはコンピテンシーです。このポイントさえ押さえられれば、あとはけっこう簡単です。(逆に言えば、ここがいちばん難しい)

 学習指導要領は、教科等横断的に身につけるべきコンピテンシーを具体的に3つ示しています。

1:言語能力
2:情報活用能力
3:問題発見解決能力

 この○○力(コンピテンシー)を全ての教科にわたって身につける。これを学習指導要領は要求しているわけです。国語でも算数でも理科でも社会でも美術でも音楽でも家庭科でも技術も保健体育でも、言語能力を育て、情報活用能力を育み、問題発見解決能力を伸ばす、ということです。これで教科横断的な視点が実現しています。

教科の本質

 しかし難しいのは、各教科で言語能力や情報活用能力を具体的にどう身につけさせるかです。重要なのは、それぞれの教科の担当教員が教科の本質をしっかり掴んでいるかどうかということになりそうです。国語なら国語、理科なら理科、音楽なら音楽の教科の本質を掴んでいれば、言語能力や情報活用能力や問題発見解決能力を伸ばして行くような指導が可能になります。教科の本質を踏まえた上で言語能力や情報活用能力や問題発見解決能力を伸ばすことが、深い学びです。コンピテンシーを伸ばせるのが深い学びです。単にコンテンツを頭に刻み込むだけでは、浅い学びに留まります。

小まとめ、深い学びを実現するために

 資源をしっかり確保すれば、深い学びの実現に結びつきます。資源がなければ、深い学びどころか、普通の学びすらできません。

 PDCAサイクルを確立することが、深い学びを実現するための手段になります。深い学びが実現できているかどうかをC(評価)して、できていないとしたらA(改善)アクションする。このサイクルを繰り返していくことで深い学びの実現に一歩一歩近づいていきます。

 教科の本質を踏まえてコンピテンシーを育むと、改めて苦労するまでもなく、自然と教科等横断的になり、深い学びが実現します。

さらに詳しくは
⇒「カリキュラム・マネジメントとは―3つの指針と学校運営の要点―
⇒「【教育課程編成の基礎】教科等横断的な視点とは何か?

まとめ

 「深い学び」を実現するためには、
(1)目的や理念としての「社会に開かれた教育課程」を理解する。
(2)具体的な方策としての「カリキュラム・マネジメント」を遂行する。
 これで学習指導要領の全体的な構造を把握したことになります。

「人格の完成」とは何か?