鵜殿氏一門の墓は、鵜殿城の隣の山にあります。(2016年8月訪問)
一門の墓の脇にある案内板では、鵜殿氏の履歴がなかなか詳しく解説されています。熊野大社に深く関わっていた海賊だということが分かりますね。
一門の墓自体は、貴弥谷社という神社にあります。ちなみに貴弥谷社は、社略記によると、熊野神が2500年前に神倉山からこちらにお移りになった神社だそうです。その貴弥谷社は、極めて行きにくいところにあります。
貴弥谷社にたどり着くためには、中学校の校庭を経由しなければいけません。本当に大丈夫かと多少の不安を抱えながら学校の校庭を抜け、階段を登ると、いきなり熊野古道のような山道に入ります。人の気配は一切なく、鳥の鳴き声だけが響き渡ります。かなり登ったところに鳥居が見えてきます。
静かな山の中で、とても落ち着きます。真夏の猛暑日に行ったのですが、ここは不思議と涼しかったです。熊野三山はどこも観光客で溢れていますが、ここは隠れた癒やしスポットだと思います。
これが鵜殿氏一門の墓。地元の方が綺麗に管理してくれています。熊野の鵜殿氏自体は大坂夏の陣で滅びてしまったのに、たいへんありがたいことです。しっかりお参りしてきました。
鵜殿の野望シリーズ
【第一章】鵜殿城という城がある
鵜殿一族は、平安時代に紀伊半島の熊野大社に関わる海賊として頭角を現します。
【第二章】鵜殿氏一門の墓
大坂夏の陣で滅びた鵜殿一族の墓を、現在も地元の人が大切に管理してくれています。
【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う
鵜殿一族は、戦国時代に今川義元配下の武将として頭角を現し、徳川家康と死闘を繰り広げます。
【第四章】桶狭間の合戦で何をしていた?
桶狭間の合戦においても、鵜殿氏は重要な役割を果たしています。
【第五章】蒲郡に君臨する鵜殿一族
愛知県蒲郡市には、鵜殿一族が構えた城の痕跡がいくつか残されています。
【第六章】吉田城と鵜殿兵庫之城
鵜殿氏は、徳川家康との戦いの末、愛知県豊橋市に残る吉田城にも立て籠もります。
さらに続く。刮目して待て??