鵜殿の野望【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う

三河鵜殿氏の本拠地「上ノ郷城」は愛知県蒲郡市にあります。蒲郡駅から北に2kmくらい行ったところです。桶狭間の戦いと絡むので、様々な歴史ドラマでも触れられる城です。
2020年1/22放送の『歴史秘話ヒストリア』では、極めて防御の堅い城として登場しました。(ただ、忍者が落としたという点では、私の解釈とは異なる話になっていましたが)
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』8~11話では、今川家が三河に侵攻しますが、その三河攻略最前線基地の一つとなっていたのが、この鵜殿氏が治める上ノ郷城です。城主の鵜殿長照は、義元の妹を嫁にもらうほど信頼されていた武将で、長年にわたって三河の松平諸家と抗争を繰り広げています。

さて、鵜殿氏はもともと熊野を本拠地としていましたが、室町時代には蒲郡に進出しています。いつ来たのか、正確な時期と理由は分かりません。

私が勝手に推測するに、おそらく熊野大社が所有する荘園を管理する地頭としてやってきて、次第に地元に根づき、最終的に今川義元の配下に入ったのでしょう。周りにはなんとなく熊野大社ゆかりの神社もあるみたいですし。

さて、温室ハウスが広がる畑を抜けていくと、城の案内看板があります。

上ノ郷城跡を愛する会」が設置した縄張図の案内板もあります。地図を見ると、城は北東南の三方を川に囲まれた舌状台地の端にあって、自然の要害であったことが分かります。

下から見上げた上ノ郷城の本丸。当時はもっと高い土塁や土塀があったんでしょうけど、今は一面に雑草が生い茂って、諸行無常の響きあり。

登城口。城はミカン畑になっていて、水撒き用のホースに併走して登っていきます。石垣は当時のものではなくて、ミカン畑を造成するために造られたものでしょう。

いよいよ本丸に入る虎口の脇に、赤い木の案内がありました。青い空と緑の雑草に、素朴な赤い案内柱が映えます。

本丸には詳しい案内板があります。鵜殿氏は蒲郡の王者だったんですね。注目すべきは、1562年、すなわち桶狭間の2年後に鵜殿氏と徳川家康が戦っていることです。桶狭間で義元が討ち死にした後も、鵜殿氏は今川家に忠誠を誓っていたんですね。今川義元の妹を嫁にもらっていたので、逃れられなかったのでしょう。

さておき、徳川家康の三河統一の過程において、鵜殿氏が三河一向一揆と並んで最大の敵であっただろうことが分かります。そして1562年に上ノ郷城が落城した際、鵜殿長照の息子2人氏長と氏次が捕えられます。氏長と氏次は、今川家に捕えられていた家康の正室築山殿(瀬名)と人質交換されます。
近年では2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』でエピソードとして扱われました。2020年1/22放送『歴史秘話ヒストリア』では、家康はそもそも人質交換を狙いとして上ノ郷城を狙ったことになっていました。新解釈です。

さて、本丸から南を臨むと、遠くに三河湾が見えます。三方を山に囲まれ、南側だけ海に開けている蒲郡の地形は、鎌倉の地形を思い起こさせます。守るに易く、攻めるに難い、本拠地としては最高の立地条件ではないでしょうか。家康がこの城を落とすのに手こずったのも、よく分かります。「忍者が活躍したこと」については、いろいろ面白いエピソードもあるので、また別の機会に。

雑草が生い茂る本丸に立ち、遠く三河湾を眺めていると、つわものどもが夢の跡。ここから見る月は、とても美しそうです。

蒲郡市博物館:上ノ郷城跡を愛する会
蒲郡市博物館:上ノ郷城跡ってなに?(こども向け)

鵜殿の野望シリーズ

【第一章】鵜殿城という城がある
鵜殿一族は、平安時代に紀伊半島の熊野大社に関わる海賊として頭角を現します。

【第二章】鵜殿氏一門の墓
大坂夏の陣で滅びた鵜殿一族の墓を、現在も地元の人が大切に管理してくれています。

【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う
鵜殿一族は、戦国時代に今川義元配下の武将として頭角を現し、徳川家康と死闘を繰り広げます。

【第四章】桶狭間の合戦で活躍・・?
桶狭間の合戦においても、鵜殿氏は重要な役割を果たしています。

【第五章】蒲郡に君臨する鵜殿一族
愛知県蒲郡市には、鵜殿一族が構えた城の痕跡がいくつか残されています。

【第六章】吉田城と鵜殿兵庫之城
鵜殿氏は、徳川家康との戦いの末、愛知県豊橋市に残る吉田城にも立て籠もります。

さらに続く。刮目して待て??