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【長野県松本市】開智学校は建築も展示も資料もすごい

松本市にある旧開智学校に行ってきました。2019年9月、国宝に指定されました。

洋風建築を見よう見まねして作られた、擬洋風建築を代表する建物です。土台部分は煉瓦造りに見えますが、実は木造で、漆喰によって模様をつけているだけです。

授業料や校舎建築費の自己負担に憤って学校を焼き討ちしてしまう地域もある中、長野県では住民がお金を出し合って学校を作っています。開智学校のような先進的な校舎を作り上げてしまうというのは、並大抵の気合いではありません。教育にかける期待がいかに高かったかを伺えます。

正面玄関の彫刻が、とてもユニークですね。唐破風に付けられた校名額の天使が愛らしいのかどうか。

訪れたのは国宝指定の一ヶ月前のことでしたので、この時点ではまだ「重要文化財」です。

中に入ることもできます。2階の講堂は、なかなか豪華な作りですね。

展示も充実しています。国定教科書の紹介など、近代教育の流れが大まかに分かるような展示内容になっています。

専門的にいっても興味深い展示がいくつかあります。たとえば開智学校では、明治32(1899)年に特別学級が設けられています。

この場合の「特別学級」とは、特に障害児教育を意味していません。ビネー式の知能検査が開発普及するのはもう少し後のことです。
展示パネルで興味深いのは、「料理屋への方向や芸妓修行で学習時間の確保が困難な女児のための裏町特別学級」という記述です。一般的には日露戦争前後に就学率が100%近くになったと言われていますが、現実的には特別学級のような「抜け道」が用意されることで、就学率が見せかけ上100%に近づいていただけということが伺えます。長野県だけではなく、東京や大阪の工場地帯でも事情は同じです。この時点でも、子どもは「労働力」として期待されており、学校へ行って勉強できるのは必ずしも当然のことではありませんでした。

また明治31(1898)年には「子守教育」も始まっています。

現在では子育てを担うべきなのは専ら母親であると思いこまれていますが、当時は母親が子育てなどしていませんでした。母親に期待されていた役割は、子育てではなく「肉体労働」でした。子どもを産んだ翌日には、母親は畑に出て野良仕事を開始しています。
では誰が子育てをしていたかというと、子どもたちです。子どもが子どもを育てていました。それがよく分かるのが「子守」という言葉です。開智学校に展示されている写真は、なかなか衝撃的です。

子どもを背負った子どもが、輪になってフォークダンスをしているところでしょうか。子どもを背負いながら授業を受けている写真は、開智学校だけでなく、日本各所で見ることができます。
現在、「日本では昔から母親が子育てをしてきた」と主張する人がいますが、こういう写真を見れば、一発でウソだと分かります。子育てをしていたのは、子どもです。大人は働くので精一杯でした。そして母親が働くので精一杯で子育てにまで手が回らないという事情は、実は現在でもさほど変わっていません。変わったのは、子育ての責任を母親だけに押しつける風潮が強くなったところです。

ところで、開智学校がすごいのは、建築や展示だけではありません。一般の見学者が立ち入りできない資料保管所があって、そこに研究者垂涎の資料がたっぷり残っているのです。
特に個人的には、明治年間の「教案」が大量に残っているのがありがたいです。教案とは、現在で言えば「指導案」のようなもので、個々の授業の目的や段取りを現場の教師がデザインしたものです。教育雑誌に掲載されている模範的な授業案ではない、現実に使用された生の教案が残されているというのは、実証研究にとって本当にありがたいことです。

ところで展示で以下のようなパネルがあったので。

「哲学概説」の「二」は、おそらく「実態」ではなく「実体」ですね。物質的な実体と精神的な実体の二元論が特徴だと答え、日本的哲学(西田幾多郎など)において一元化されたと批判することが期待されているのでしょう。
「大化改新」については、現在なら中大兄皇子実行犯説は怪しいとか、黒幕は実は孝徳天皇だったとか言いたくなります。当時であれば、豪族支配を終わらせて天皇制を確立した端緒というふうに答えるべきところなのでしょう。同じく、「建武中興」について、現在では後醍醐天皇の政策の是非について荘園など土地経済制度を踏まえて答えるところですが、当時であれば天皇制の理念に沿って回答することが期待されていたはずです。歴史的事実を正確に知っているかどうかよりも、国体思想に素直に適応しているかどうかが試されている問題ですね。テストが行なわれた昭和12(1937)年は、盧溝橋事件から日中戦争が泥沼化していくタイミングでした。
(2019年8月訪問)

ブロトピ:国内旅行

【北海道札幌市】北海道開拓の村で教育と近代について考える

北海道開拓の村に行ってきました。札幌駅からだいたい45分くらいで着きます。
開拓の村は、歴史的建築物の復元展示をしている野外博物館です。愛知県にある明治村や、小金井にある江戸東京たてもの園と同様のコンセプトです。
一日いても飽きない、たいへん素晴らしい空間でした。

展示はたいへん充実していたのですが、私の仕事に絡めて教育関係だけ記録しておきます。

北海中学校の校舎は、明治42(1909)年に建築されました。

北海中学校は、札幌農学校へ優秀な人材を送り込むことを主目的とした私立中等教育機関でした。明治18(1885)年に北海英語学校として設立された時は、学校の名前に「英語」とついているとおり、英語の修得を主目的とする予備校でした。というのは、当時最先端の学問を日本語で学ぶことは不可能だったからです。札幌農学校で最先端の農業を修得するためには、その条件として英語を身につけていることが必須でした。

校舎のスタイルは、木造と鉄筋コンクリートの違いがあるとはいえ、基本的には昭和まで引き継がれる形ですね。

建物内には北海道の教育に関する展示が行なわれています。教育について考えるときは、ついつい無意識に東京を中心にしてしまいがちですが、北海道の事情は東京都はもちろんまるで違っていました。基本的に開拓事業が優先され、教育は後回しにされます。森有礼が明治19(1886)年に小学校令を出して現在の義務教育の基礎を作ったことはよく知られていますが、北海道では就学期間が短くてもよい「簡易小学校」を中心に展開することになります。
初代北海道庁長官に就任した岩村通俊は、明治20年にわざわざ「教育ノ程度ヲ低フス」という施政方針演説を行なって、殖産工業重視の姿勢を強調しています。子どもは学校で勉強するのではなく、労働力として期待されています。

他にも様々な違いがありますが、特にアイヌの存在は極めて重要でした。「母語ではない日本語」を教え込むというコロニアルな仕事が教育に課せられていたわけです。

簡易小学校やアイヌの日本化が進められている一方で、この私立北海中学校は日本の近代化に貢献するエリートを養成するための学校として期待されていました。近代という時代の両極を感じられる、軽く目眩のする空間となっております。

続いて下の写真の建物は、学生寮です。札幌農学校の寄宿舎「恵迪寮」です。

なんだか馴染みのある佇まいだなあと思っら、東大駒場寮と雰囲気がよく似ているのでした。木造と鉄筋コンクリートの違いはありますが、形や雰囲気はよく似ているように思います。

下の写真にある「畳ベッド」も、駒場寮にあった畳ベッドを彷彿とさせます。

展示されている案内パネルもたいへん充実しており、見応えがありました。自治寮としての誇りを感じさせる内容となっております。「落書」はおもしろいですね。駒場寮の落書きもなかなかのものだったことを思い出します。

他にもたくさん見所があるのですが、ボリュームが多すぎてまとめきれません。
ともかく、同種の野外博物館との決定的な違いは、「近代の影」を垣間見ることができる点だろうと思いました。たとえば明治村は、文明開化に向かう若々しい高揚感を感じられる場所です。開拓の村でも、札幌市街を中心とした都市部の展示(写真館とか新聞社など)にはそういう若々しいエネルギーを感じることができます。
が、開拓の村には辺境フィールドも設定されていて、ここが類似博物館との大きな違いとなっています。

たとえば上の写真は「平造材部飯場」です。都内の飯場も同じような感じだったのでしょうが、北海道の厳しい自然環境の中で一人あたり畳一枚の生活は、さぞ大変だったことでしょう。
また、下の写真は、入植者が最初に建てた「開拓小屋」です。

寒風吹きすさぶ苛酷な北海道の自然をこれで切り抜けたかと思うと、かなり驚きます。近代国家として国土開発を進めるというとき、最前線はこうだったのかと。

馬車鉄道が行き交う風景は、のんびりとしたものです。

しかしこういう都市生活の裏で、最前線を支える人々の苛酷な仕事があったことが、よく分かる博物館です。そして実は現在もあまり変わっていないのでしょう。
(2018年5/21訪問)

ブロトピ:国内旅行

【要約と感想】柳父章『翻訳語成立事情』

【要約】翻訳とは、外国語の言葉の意味をそのまま日本語に移し替えることではありません。翻訳語は、日本固有の言葉の体系に組み込まれる過程で、新たな機能と役割を持ちます。それは、意味は分からないけど何か重要なことを言っているような雰囲気を醸し出すことです。
江戸から明治に切り替わるとき、日本固有の文化になかった概念がヨーロッパから大量にもたらされました。ヨーロッパ固有の概念をどのように日本語で表現するのか、先哲の様々な工夫と葛藤を追いながら、日本語そのものの変化を明らかにします。

【感想】とんでもない名著だと思っている。近代史を囓る人は必ず読むべき本だと思う。通読したのは今回で3回目だが、読むたびに新たな発見がある。おそらく私自身が成長して、別の視角から内容理解ができるようになっているのだと思う。もう40年近く前の本だが、決して古くなっていない。

以前は、前近代から近代への移行を端的に象徴する「社会」とか「個人」という言葉に興味があったわけだが、今回読んでみて、「存在」とか「自然」とか「彼、彼女」という言葉も実に味わい深いことが分かった。日本固有の言葉のセンスに意味内容が引っぱられていく過程がよく理解できた気がする。

これからも繰り返し読んでいきたい本だ。自宅にあった岩波新書の大半は捨てた(図書館で読めるから)が、この本はしっかり残っているのであった。

【個人的な研究のための備忘録】
含蓄のある記述が多い。ためになる。論文等で積極的に引用していきたい。

「意味内容が抽象的であるということは、意味が知識として入ってきて、具体的な用例が乏しいので、ことばの意味が乏しく、分かりにくい、ということである。
そして翻訳語は、こうして意味が乏しいにもかかわらず、漠然と肯定的な、いい意味をもつとされるために、ある時期、盛んに乱用され、流行語となる。」20頁

「あらゆる流行語がそうであるように、この「近代」もまた、その流行の渦中にある人でなければ容易に理解しにくいような、ある特別な意味を持っている。それは、ふつう言う「意味」ではない。ここで言われているような「特別な調子」である。特別な語感、特別な、ある言語活動上の「効果」である。
意味という点から言うならば、意味はむしろない、と言ったほうがよい。そして意味はないからこそ、かえって人々を惹きつけ、乱用され、流行するのである。」61頁

「実はよく意味が分らない、が重要な意味がそこにはこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。」142頁

ここに引用した文章は、私が追跡している「人格」「個性」「自己実現」といった言葉に、そのままそっくり適用できるように思う。政策文書とか教科書とかいろいろ見ても、実は「人格」とか「個性」とか「自己実現」という概念を丁寧に解説しているものは、驚くほど少ない。あたかも意味内容が分かっているかのように書いているのだが、実は柳父が明らかにしたように、そこに意味などなく、「特別な調子」でもって、何らかの「効果」を発揮することが期待されているにすぎないことが多いように思うのだ。「意味はないからこそ、かえって人々を惹きつけ、乱用され、流行する」という言葉が、まさに当てはまっているように思うわけだ。

柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、1982年

【要約と感想】ガート・ビースタ『よい教育とはなにか』

【要約】「よい教育とはなにか」を考えずに、客観的な測定さえすれば教育問題が解決するかのような勘違いが蔓延しています。「エビデンスに基づいた教育」は効率性と効果性を追求しますが、「よい教育とはなにか」という疑問には一切答えてくれません。
教育とは「資格化/社会化/主体化」が交錯した地点で成立するものですが、「主体化」がどのように可能となるかが本書の関心です。現在は、「学習」の視点が強く打ち出されすぎており、この「教育=主体化」という課題が後退しています。原因は、新自由主義の蔓延によって、公共圏が私的領域と市場から挟み撃ちになって痩せ細っているからです。教育は消費者に対する「説明責任」を果すのではなく、代替不可能な「応答責任」を取り戻さなければなりません。
主体でないものを主体化するという教育の課題を達成するには、単に「主体化」を狙う働きかけをするのではうまくいきません。「資格化」や「社会化」を目指す途中で、局地的に限定された形で主体化(多様な世界への参入)へのきっかけが現れた時に、いったん教育を「中断」することが大事なのです。そしてその教育こそが、民主主義の本質と深く響き合うのです。

【感想】いやあ、なかなか読み応えのある本だった。論理的に明快で、すっきりした読後感だった。まあ、もともとの私の教育学的スタンスと同じ方向をむいている、という事情はあるのかもしれないけれど。

まず、「エビデンスに基づいた教育」に対する違和感について、過不足なく説明してくれているところが心強い。仮に「目的」が最初から決まっているなら、確かに「エビデンスに基づいた教育」にも意味がある。しかし逆に言えば、「エビデンスに基づいた教育」からは決して「教育の目的」を導き出すことはできない。どうしてもエビデンスとは完全に切り離された次元で「価値判断」が必要となる。このあたり、「エビデンスに基づく教育」を称揚する人々は、最初から価値判断を放棄している上に、放棄していることをまったく自覚していないところが気持ち悪いのであった。

そして、「エビデンスに基づいた教育」が跋扈している原因についても、私と意見を同じくする。というか、新自由主義的傾向が問題であることは、著者や私でなくとも指摘していることではあるが。

そして現状を踏まえた上で、論理的な視角として教育目的を「資格化/社会化/主体化」に区分した上で、「主体化=自由」を可能にする条件を探っていく。ここで真っ先にカントとデューイを参照するところは、私の教育観と合致するところだ。(同じようなタイトルで同じような関心から同じような試みをしている苫野一徳は、真っ先にカントとデューイではなくヘーゲルとフッサールを参照しているわけだが、個人的にはとても違和感がある)。
このカントのヒューマニズムが、本質的なアポリアを抱えているわけだ。私が従来から関心を持ってきた言葉で言えば、「自由でないものを強制的に自由にする」ことの可能性と正当性である。本書はこの問題に真正面から切り込んでいくのが、たいへんスリリングだった。

まず単なる「学習」では、「自由でないものを自由にする」ことはできない。「学習」は「資格化」や「社会化」を可能にしても、「主体化」には届かない。学校が消費者に対する説明責任を果すことは、仮に「資格化」や「社会化」には意味があるとしても、「主体化」とは何の関わりも持たない。「主体化」を果すためには、「学習」ではなく「教育」が、「説明責任」ではなく「応答責任」が求められる。
この場合の「教育」とは、learningでもなくinstructionでもなくinstituteでもなく、まさにeducationということになるのだろう。そしてそれは、真っ直ぐに「主体化」を目指す働きかけではなく、局地的な「中断」が可能にするという。つまり「自由でないものを強制的に自由にする」ことを目指さないのだ。なんらかの働きかけの途中で「自由になる」という契機が生じた時、働きかけを「中断」して、「応答責任」を果たすということなのだ。「自由でないものを自由にする」というとき、教師にできることとは、自由がはじまる時に「応答責任」を果たすことだけなのだ。
ああ、なるほどなあと。本質的なアポリアを解消するために、こんな形のアイデアがあるんだなあと。いやはや、恐れ入った。

【今後の研究のための個人的備忘録】
「自由でないものを自由にする」ことを巡っての言及は、いろいろと参考になる。

「カントの教育的介入について最も重要なことは―そして、だからこそ、我々は、彼の仕事が近代教育の始まりのしるしとなると言いうるのだが―、彼が、教育と人間的自由の間のつながりを確立したことである。カントは他律的決定と自己決定の間に区別を設けることによって、そして教育は究極的には前者ではなくて、後者と関係があると主張することによって、人間の自由に関する問いを近代教育の中心問題にした。したがってある意味で、社会化と主体化の間で区別することが可能になったのは、カント以降のみであった。」(114頁)
「しかし、もっと重要なことは、近代教育の基礎づけであるカントの表現における閉鎖もまた気づかれなかったということだ。というのも、人間存在の目的(telos)についてのこの定義から排除された人々―理性的でない、もしくはまだ理性的になっていないと考えられていた(子どもたちのような)人々―が彼ら自身の排除に対する抵抗の声を欠いていたからである。そして彼らがこの声を欠いているのは、まさしく、人間であるということが何を意味するのかについての特定の定義のためである。言い換えれば、彼らは、話すことさえできず、あるいは話す能力があると認められることさえなく、排除されていた。」(115頁)
「教育的な観点からすれば、ヒューマニズムのこの形式で問題になるのは、それが、人間性の「実例」の実際の明示の前に、人間であるとは何を意味するのかについての基準を明記するということである。それは、子どもや生徒や新参者が何にならなければならないのかを、彼らが何者であり、何者になり得るのかを示す機会を彼らに与える前に、明記している。したがって、ヒューマニズムのこの形式は、新参者が人間であるとは何を意味するのかについての我々の理解を根本的に変えるかもしれない、という可能性を閉ざしているように思われる。その結末とは、そのとき、教育は(再び)社会化の形式になるということだ。」(118頁)

私個人の直感としては、「近代」という時代を支える根底の土台とは、「大人/子ども」の峻別だ。「労働/教育」の峻別や「自由/保護」の峻別など、近代社会を支える原理のすべてが「大人/子ども」の峻別に由来する。そして「大人/子ども」を架橋するという本来的に不可能な役割を負わされたものこそが教育であり、だから教育には近代社会の矛盾が集中して現れることになるわけだ(と私は理解している)。本書は、この矛盾に直接ぶちあたっていくわけだ。
そしてその矛盾を解決するために著者は「中断の教育学」という新しい概念を持ち出す。

「中断の教育学は「強い」教育学ではない。つまりそれはどんな意味においてもその「成果」を保証しうる教育学ではないのだ。それはむしろ、主体化の問いに向き合っている教育の基本的な弱さを承認する教育学である。教育のこの存在論的な弱さは、まさに同時にその実存的な強さである。なぜなら、独自性が世界に表れるために空間が開くかもしれないのは、人間の主体化がある方法で教育的に生み出されうるという理念を我々が諦めたときだけだからである。」(134頁)

いやあ、なかなかすごいことを言っているように思う。「弱さ」とか「諦めた」とか。実感的には、よく分かるのだ。「主体」なんて、作り出そうと意図して作り出せるものではない。この本来的に無理な注文を率直に「無理だ」というところから、そしてそれにも関わらず諦めないところから、新しい教育学は始まるのかもしれない。
諦めなかった結果、次のような結論が出てくる。

「子どもや若い人々を「よい民主主義者」になるように教育する代わりに―それは、私の見方では、基本的にポリス的秩序のなかにとどまるという戦略である―、教育者には当然、民主主義化が「生じる」無数の瞬間瞬間に学習する機会を利用し支援するという演じるべき役割がある。」(179頁)

うわあ、たいへんだなあ。が、これが「応答責任」というやつなんだろう。私も日々の実践のなかで忘れないように「応答」していきたいとは思う。できるかどうかは、さてはて。

ガート・ビースタ/藤井啓之・玉木博章訳『よい教育とはなにか―倫理・政治・民主主義』白澤社、2016年

【感想】クリムト展―ウィーンと日本1900(東京都美術館)

東京都美術館で開催されている「クリムト展―ウィーンと日本1900」に行ってきました。

とても面白く観てきました。やはり有名な「ユディトⅠ」の生は圧巻でした。図版で見ている時は気づかなかったのですが、生で見ると、額縁も含めた立体的な装飾技術が素晴らしいのに驚きます。平面的な装飾美術と立体的な装飾美術の総合が、他にない独特の雰囲気を作り出しているような感じがしました。人物表現の立体性(顔と乳房)と平面性(頭髪と衣服)の落差に対する衝撃も、全体的な装飾技術の立体性と平面性の落差によってさらに際立っている気がします。見入ってしまいました。凄いです。

あと不勉強にして知らなかったのですが、「ベートーヴェン・フリーズ」は圧巻でした。わけの分からない執拗な迫力に満ちております。お腹とか、垂れた乳房とか、膝の描写とか、病的で、衝撃を受けます。この病的な感じに対して、なんとなく宮西計三とか大矢ちきとか山岸凉子とか楠本まきとかを思い出してしまうわけですが、もちろんクリムトのほうが先ですね。

個人的な研究に関して、もちろん私は美術の専門ではないわけですけれども、かねてから気になっていたのは19世紀後半から20世紀初頭にかけて先鋭化していったように見える「純粋芸術/装飾美術」=「普遍主義/民族主義」の展開過程です。先行研究でもジャポニズムの流行と絡めて議論が進んでいるところだと思います。クリムトが活躍した多民族国家オーストリア=ハンガリー帝国でも、大ドイツ主義の挫折とも絡んで、芸術概念の再編成とナショナリズム意識の錯綜とした展開があっただろうと思います。チェコのアルフォンス・ミュシャとは異なって明示的な民族主義は見られないものの、ジャポニズムの影響を受けつつ「純粋芸術」に対する「分離」を志向したクリムトにも、何らかの時代精神が反映しているのではないかと注目しながら見たわけではあります。が、まあ、私の現在の実力では、よく分かりませんでした。そういう観念的なものよりも、「退廃」や「官能」や、あるいは「死」の臭いの方が圧倒的に濃厚でした。敢えてやるとすれば、同時代のベルグソンとかディルタイとか、「生」という観念から接近する方が相応しいのでしょうが……

「接吻」とか「ダナエ」とか「人生は戦いなり」がなかったのは少し残念ですが、まあ、また別のところでぜひ。