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【要約と感想】山本文彦『神聖ローマ帝国―「弱体なる大国」の実像』

【要約】962年のオットー大帝戴冠から1806年の滅亡までの神聖ローマ帝国の権力構造と政治過程を、(1)皇帝と教皇の関係(2)開かれた国制/凝集化という2つの観点から複合的・重層的に描きます。
 皇帝と教皇の関係については、具体的には帝国教会を通じた支配構造を説明した上で11世紀の叙任権闘争の意味について考えます。
 権力構造の制度化という観点からは、一方では皇帝選挙制度や帝国議会制度の整備、地方分権的な安全保障体制の整備について記述しつつ、もう一方では三十年戦争の戦後処理や同盟・外交戦略における人的ネットワークの意義を強調し、中央集権的な国民国家とは異なる権力構造の在り方を描きます。
 総じて、神聖ローマ帝国は確かに近代的な国民国家の価値観から見れば時代錯誤の「弱体」な権力構造にしか見えないかもしれませんが、権力構造や政治過程の実態を丁寧に確認してみると、実は強大な権力を作らずに平和を維持するための知恵としては優れているし、その知恵は現在のEUにまで活きています。

【感想】前提として必要となる知識がそこそこあるのと、それ以上に既存の教科書的な通史記述を乗り越えようという意欲を感じて、ゼロからドイツ史を学ぼうという初学者には少々お勧めしにくい印象はある。多少なりとも西洋史の大枠や地理について分かっている人なら、封建制の重層的な権力構造の実態(皇帝と国王・大公の権力関係、有力貴族の婚姻戦略、皇帝選挙の実態、聖俗領邦の異同、宗教改革の影響、帝国外権力との同盟や権力均衡策など)が具体的に分かって面白く読めるだろうと思う。しかしやはり少なくとも近代国民国家を相対化することの意味が共有できていないと、個々の記述の狙いが掴めないんじゃないかという気がする(たとえば三十年戦争そのものの経緯ではなくその戦後処理に大量のページを割いていることの意図など)。

 自分の課題意識としてはビザンツ(東ローマ)帝国の皇帝との関係がいちばん気になっていて、基本的なところは序章で解説があるものの、最も知りたかった11世紀~14世紀あたり(イタリアルネサンス前夜)はもっぱら叙任権闘争と金印勅書の話になっていて、ビザンツ帝国は話題に上らない。そしてその後はルネサンスではなく宗教改革の話に突入する。意外なところでペトラルカの名前が出てきて勉強になったが。ともかく本当にこのイタリアルネサンス前夜にビザンツ帝国との関係は無視してもいいほどになっていたのか、あるいは著者が重点を置かなかっただけなのか、分からなくてモヤモヤするところではある。まあ、自分で勉強しよう。このあたりは神聖ローマ帝国の政治史ではなく、ハンザ同盟の経済史の方が示唆するところが多いかもしれない。

 ところで本書はところどころに日本史と比較する話が出てきて、分かり味は深い。ということでオットー戴冠から帝国滅亡まで約850年ということだが、むりやり日本史と比較しながら考えてみると、鎌倉幕府成立から明治維新まで約700年にわたる武家政権の道のりになぞらえられるだろうか。ローマが京都で教皇が天皇、レーゲンスブルクが鎌倉で皇帝が将軍、ウィーンが江戸。まあもともと無理がある比較ではあるけれども、日本に絶対起こらないのはフランスとトルコの連携という事態だろうな。

山本文彦『神聖ローマ帝国―「弱体なる大国」の実像』中公新書、2024年

【要約と感想】菊池良生『ドイツ誕生―神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』

【要約】西暦962年にローマ皇帝戴冠を果たしたオットー1世の生涯を辿りながら、ドイツという概念の誕生の場面に立ち会います。オットーが生きた時代にはドイツという概念も言葉もありませんでしたが、オットーによるイタリア遠征という一つの目的に集結することでそれまでバラバラだった東フランク諸大公国が(イタリア側から見ても)一つのまとまりを形作るようになります。しかし同時にオットーのイタリア遠征は東フランク領内の権力細分化と在地領主の自立化を促進し、ドイツが国として一つにまとまることを長く妨げる事にもなりました。

【感想】本書の発行が2022年11月で、三佐川著『オットー大帝』発行が2023年8月。ついでに山本文彦著『神聖ローマ帝国』発行が2024年4月ということで、何か流れができているのか、ただの偶然なのか。
 ともかくつい昨日読んだばかりの三佐川著『オットー大帝』とどうしても比べてしまうわけだが、分量がコンパクトなことも含めておそらく初学者はまずこちらを手に取る方がいいのだろう。一方大学院生レベルなら三佐川著のほうが史料への立ち向かい方などの歴史技法も含めて相当な勉強になるような気がする。良いとか悪いとかではなく、お互いに対象としている読者層が違っているような印象だ。
 また使っている史料が基本的に同じなので、判断材料となる歴史的事実はほとんど同じなのだが、細かいところでけっこう解釈が異なっていておもしろい。三佐川著のほうが史料を厳密に批判して少々禁欲的に解釈を施すのに対し、本書は同時代の文脈の方を重視して合理的な解釈を施しているような印象だ。
 で、私が個人的に興味を持っている「西洋における皇帝という称号の意味」については、三佐川著のほうは禁欲したのかほとんど語らないのに対し、本書の方は史的文脈も含めてそうとう分かりやすく整理している。オットー大帝だけでなくカール大帝の事績に遡ってビザンツ帝国の状況と立場と判断を整理してくれて、とても分かりやすい。

【個人的な研究のための備忘録】リテラシー
 文化史に関して気になる記述があったのでサンプリングしておく。

「ところがオットーが国内の行政機構の整備に取り掛かってきたころから、東フランクの非識字者の社会が様相を変えはじめるのである。歴史叙述が重視され、教養が尊ばれるようになるのだ。そして952年ごろからオットーの官房では文書が増大していった。(中略)
 オットーの文書覚醒は続き、オットーは第一次イタリア遠征の際にノヴァラの学者グンツォをその有名な蔵書ともども東フランクに迎えている。さらに晩年になると、彼はフランス人の最初のローマ教皇シルウェステル二世となるオーリヤックのジェルベールの数学、天文学に興味を示すのである。ある史家はこの現象をカール大帝の宮廷でのカロリング・ルネッサンスになぞらえてオットー・ルネッサンスと呼んでいる。」144-146頁

 オットー期から識字率が向上し文書による政治が一般化していったことはしっかり押さえておきたい。「ノヴァラの学者グンツォ」とか「オーリヤックのジェルベール」は完全ノーマークだったので、調査しておきたい。

「ニケフォロス二世はこのリウトプランドをあたかもスパイ同然に扱い、四ヵ月にわたってコンスタンティノープルに軟禁同然に留め置いた。リウトプランドはこの体験をつづるが、これが先にも挙げた有名な『コンスタンティノープル使節記』である。(中略)
 ビザンツに対する情報が極端に少なかった当時、この書が唯一の情報源であり、その後のヨーロッパのビザンツ観を形成していったのである。その意味で、この『コンスタンティノープル使節記』はビザンツの東方教会と鋭く対立していたローマ・カトリックの長である教皇ヨハネス十三世がリウトプランドに依頼して書かせた反東方教会のプロパガンダである、という説もあながち無視できないのである。」206頁

 リウトプランドは、中世の教養や知識人のあり様を考える上でとても重要な人物だということをよく理解した。たとえば10世紀にリウトプランドがギリシャ語を巧みに操ってアルプスの北側とコンスタンティノープルを結んでいたわけだが、13世紀にはフェデリーコ二世の宮廷がアルプスの北側とビザンツおよびイスラームを結びつける。そこまでは個人的には分かっているつもりだ。ということで個人的な課題は、一つにはこの流れがイタリア・ルネサンスや人文主義とどう結びつくか(あるいは結びつかないか)の理解であり、一つには10世紀から13世紀のイタリアの状況に対する理解である。勉強すべきことが多い。

菊池良生『ドイツ誕生―神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』講談社現代新書、2022年

【要約と感想】三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』

【要約】時は10世紀、アルプス北方の辺境地域ザクセン王族から身を起こしたオットー1世は、度重なる内乱を抑えて周辺領域の統治基盤を固めながら、異教徒ハンガリー人の侵攻を退ける大戦功を挙げてキリスト教普遍世界の守護者の名声を得ると、アルプスを越えて先進地域イタリア半島へ侵出して「皇帝」の称号を得ます。イタリアでは二枚舌を弄するローマの統治に手こずりながらも三度の遠征を経て「皇帝」としての実権を固め、東ローマ皇帝(ビザンツ帝国)との関係も構築し、のちの神聖ローマ帝国の礎を築きました。

【感想】個人的にはとても勉強になったけれども、西洋史初学者にはちょっとお勧めしにくい。10世紀のビザンツ帝国や東欧情勢について大まかなあらましを知っているくらいには世界史の基礎的素養を持っていないとあらゆる点で「?」の連続だろうと思うし、ナショナル・ヒストリー(国民史)の枠組みをある程度相対化できるくらいには歴史学研究史の意義を理解できている人でないと、端々の表現で本当に言いたいことの意味というか叙述スタイルの前提そのものから伝わらないのではないか。
 が、世界史に対する基礎的素養を持っている場合には、痒い所に手が届く非常にありがたい本だと思う。単にオットー個人の事績を丁寧に理解できるだけでなく、それが近代史まで射程に入ってくるような長い文脈の中で持つ歴史上の意義に対する理解や、日本人が見落としがちな東欧やビザンツとの関係も含めたいわゆる「ヨーロッパ」という概念そのものを反省するための基本的な知識と観点が手に入る。逆説的な「ドイツ人」(およびイタリア人)概念の形成過程など、なかなかスリリングな行論だ。とても勉強になったし、痒いところに手が届いて気持ちいい。まあ、ここまで視野を広げて議論の射程を伸ばして深堀りしようとすると、ある程度は一見さんお断りのようなスタイルにならざるを得ない、ということなのかもしれない。
 とはいえ、やはりビザンツ帝国の「東ローマ皇帝」という称号と立場の意味が東ローマ教会(ギリシア正教)との関係を踏まえて理解できていないと、西ローマ教会(カトリック)によるオットー戴冠(あるいは遡ってカール戴冠)の歴史的意味は理解できないのではないか。そのあたりの事情が本書では触れられていないので、東西教会の分裂と相克の事情を知った上でオットー戴冠の意味を深めるべく本書を手に取った私のような立場であれば「痒い所に手が届く」と言って喜んでいればいいのだけれど、その基本的な背景を知らないで本書を読んでもカトリックにおける「皇帝」の本質的な意味や教皇との関係というものはぜんぜん分からないのではないかと思ってしまうのであった。

【個人的な研究のための備忘録】ギリシア語
 著者は文化史についてはほとんど触れられなかったと言っているが、少しだけ記述の中に入り込んでいたのでサンプリングしておく。

「リウトプランドが学んだパヴィーアの宮廷学校は、当時のイタリアではミラノと並んで最も高い学問水準を誇っていた。(中略)949年、リウトプランドは、ベレンガーリオにギリシア語能力を買われ、二人の父と同じくコンスタンティノープルに遣わされることになった。」133-134頁

 このあたりはビザンツ帝国についての基本的な素養がないと何を言っているのかチンプンカンプンだろうが、知っていると少しテンションが上がる。古代とルネサンスを繋ぐ道が見える。

三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』中公新書、2023年

【要約と感想】アンリ・ピレンヌ『中世都市―社会経済史的試論』

【要約】西欧の資本主義は10世紀の経済ルネサンスから始まりました。それを証明するために、具体的に中世都市(主にフランドル)の発展の様子に注目します。
 そもそも古代ローマ時代に栄華を誇っていたヨーロッパ地中海世界が衰退したのは、なにも5世紀のゲルマン民族大移動が原因ではありません。ゲルマンの野蛮人どもはことごとくローマ文明に圧倒されたのであって、仮に西皇帝がいなくなったとしても、たいした問題ではありません。精神的なローマと、実質的な地中海交易圏は無傷で残ります。本当に衰退したのは7世紀にムスリムに東地中海を封鎖され、かつての地中海経済圏が崩壊してからのことです。それはローマ的なメロヴィング朝と封建的なカロリング朝の経済や制度や文化の違いに注目すれば明らかです。
 この衰退したヨーロッパが10世紀に復活するのは、ビザンツ帝国との繋がりを保っていたヴェネツィアを先頭に北イタリアの商業が活発化し、ノルマン人によるバルト海・北海交易に伴ってアルプス北側に勃興したフランドル商工業と繋がって、交換経済が甦ったからです。商人たちはかつての宗教都市あるいは城塞都市の周りに集団で定住し始め、農村経済とは相容れない自由で才気に溢れる生活を営みながら、封建的旧慣に依らない独自の特権を得たり、自治的な共同体経営を積み重ねることによって、貴族や聖職者と並ぶ第三の特権階級に育っていきました。不動産中心だった農村経済は、商人階級の勃興によって動産中心の資本主義へと展開していくことになります。ついでに宗教改革の種も。

【感想】原著出版がほぼ100年前、訳が50年以上前という古典ではあるけれども、今でも楽しく読める。時代の変化によっても簡単に変わらない確固たる事実を踏まえて、シンプルな理屈を分かりやすく表現しているからなのだろう。歴史叙述はこうありたいというお手本のような文章だ。

 それにしても、ゲルマン人を下げすぎで、笑う。いかにドイツ人のことを嫌っていたかが伺える(まあ捕虜として無体な扱いを受けたから当然だ)。逆に言えば、実はゲルマン民族大移動のインパクトを過剰に評価したがるのはドイツ人のナショナリズムを反映しているだけかもしれない。冷静に見れば、確かにピレンヌの言うとおり、ゲルマン民族大移動の後もビザンツ帝国は健在(千年も!)だし、むしろいっそう繁栄して、ユスティニアヌスの中興もある。いっそ、ローマ教皇がカール大帝に戴冠したことを以て、本当にローマ的な西ローマが滅亡してゲルマン化が完了したと見なしていいのかもしれない。しかしそうなると、ヨーロッパが地中海世界から乖離した理由は、実はイスラムの軍事的圧迫ではなく、ビザンツ帝国(東ローマ)に対するコンプレックスかもしれない。

 ともかく、いわゆるピレンヌ・テーゼ、7世紀の経済圏封鎖による封建(自給自足的農業経済)化と、10世紀の商人階級勃興に伴う貨幣経済化のコントラストは、図式的に非常に明快で、分かりやすい。あまりにも分かりやすすぎて、日本の状況にもなんとか適用したくなる誘惑が持ち上がる。
 たとえばすぐ気がつくのは、やや小さな経済圏封鎖による封建化は江戸幕府誕生時(17世紀初頭)に発生し、続く18世紀には商人階級勃興に伴う貨幣経済化が進展(荻原重秀や田沼意次)して、19世紀半ばの天保改革まで流れが止まらないことだ。徳川幕府による経済圏封鎖(世界的にも国内的にも)は、豊織政権によるグローバル経済圏への参入をはっきりと拒絶し、自給自足に基づく農村経済を志向したものだ。それを壊したのは、三代将軍家光による参勤交代制度など、国内移動の促進だったかもしれない。江戸や大阪が大量消費地となるのに伴って、当然のように物流システムが整備され、交換経済が発展する。軍事的中心地(城下町)が同時に経済的な中心地となるのも、まさにピレンヌ・テーゼの図式とおりだ。
 また、大きな観点からは、飛鳥~奈良・平安初期まで中国大陸と繋がりを持っていた列島経済が、唐の没落によって経済圏が封鎖(894年の遣唐使廃止)され、同時期に荘園制度が発達し、また農業経済圏であった関東の存在感が増して(939年の平将門~1051年の前九年役)、土地に根付いた武士による封建制度の確立に繋がっていったことを想起する。付け加えれば、平清盛による瀬戸内海を中心とした軽やかな交換経済構想(日宋貿易)が挫折して、鎌倉幕府による関東を中心とした鈍重な農業経済が勝利して封建制度に落ち着いたことも想起する。南北朝の争乱も、事によっては土地に根付いた封建的農業経済と軽やかな交換経済(いわゆる悪党や倭寇)との相克が根底にあるのかもしれない。
 そんなことは日本史研究プロパーは普通に織り込み済みで、それを踏まえて荘園制度の発達過程とか、土倉の役割とか徳政令の意味とか、悪党や倭寇や石清水八幡宮神人の経済活動とか楽市楽座とか、幕末マニュファクチュアなどを個別具体的に史料に即して解明しようとしているのではある。
 ここらへんまで掘り下げようとすると、無駄な知識は何一つなくなり、あらゆる事象が一本のストーリーに絡んでくるので、まあ、歴史は面白い。

【要検討事項】中世とはどんな時代だったか
 一つ気にかかるのは、ベルギー人ピレンヌとオランダ人ホイジンガの理論的関係だ。ピレンヌはフランドルを対象として中世に近代の前兆を見ているが、ホイジンガはブルゴーニュを対象として中世の独自性を強調する。ルネサンスや西洋近代の意義を理解するうえでも、どちらの立場に親近感を抱くかによって極めて大きな違いを生じさせる。個人的な印象では、ホイジンガは感傷的に過ぎて、唯物的なピレンヌの見解を推したくなる。

【個人的な研究のための備忘録】教育
 本書は教育が主要な関心ではないが、言及は興味深いので引用しておく。

「一〇世紀になると既にヴェネツィアの商業実践がどれほど完成されていたかを知るならば一驚を喫する。ヨーロッパの他の地方ではどこでも教育が聖職者の完全な独占物である時期に、ヴェネツィアでは文字を書くことが広く普及してい、この興味ある現象を商業の発展と関連づけてみずにはいられない。」113頁
「都市の知的文化は、何よりもまず、すぐれて世俗的な文化であるというあの性格を示している。十二世紀の半ばになると、市参事会は、古代の終焉以降におけるヨーロッパ最初の世俗学校である学校を、市民の子弟のためにつくることに熱心であった。この学校の出現によって、教育は、修道院の修練士や未来の聖堂区司祭だけにその恩沢を頒ち与えるものではなくなる。読み書きの知識は、商業を営む上に必要不可欠であるからして、もはや聖職者身分に属する者だけが独占するものではなくなる。市民は、貴族にとっては知的贅沢にすぎなかったものが市民にとっては日常欠くことのできないものであったが故に、貴族よりも先に読み書きの知識を身につけた。教会はただちに都市の設けた学校に対する監督権を要求することを忘れなかったが、この監督権が教会と都市当局の間における数多くの紛争のたねとなった。宗教上の問題は無論これらの紛争とは無関係である。これらの紛争の原因は、自分達のつくった、そして自分達にその管理を保留しておくことを欲していた学校、その学校に対する支配権を自分達の手に保留したいという都市の欲求に尽きていた。」230-231頁

 読み書きの知識(原文ではリテラシーか)が商業の発達に伴って要求されるという話は、特に不思議でもなく現在では常識に属する基本事項ではあるが、古典的研究でも言及されていたことは記憶しておきたい。

【個人的な研究のための備忘録】集合人格
 都市そのものを一つの「人格」とみなす記述があった。

「すべての都市が等しくコミューンである。というのは、すべての都市において、市民は一つの団体、一つのウーニヴェルシタースuniversitas、一つのコムーニタースcommunitas、一つのコムーニオーcommunioを形成してい、そのメンバーはすべて、相互に連帯責任を負い、分かつことのできない部分を構成しているからである。その解放の起源が何であれ、中世の都市は単なる諸個人の集合体ではない。都市それ自体が個人である。但しこの個人は集団的個人であり、法人である。」180頁
「愛郷心の熱烈さには、その排他主義が照応する。その発達の極限に達した都市はそれぞれに一つの共和国――そう呼びたいのであれば――一つの集団的領主権を形成しているというまさにそのことによって、各都市は、他の諸都市に好敵手あるいは敵だけを見る。各都市は、自分の都市の利害関係の埒外に出ることができない。各都市は自分の都市にだけ関心を中心し、各都市が近隣の諸都市に対して抱いている感情は、より限られた範囲においてではあるが、かなりよく現代のナショナリズムに似ている。」209-210頁
「中世の都市は、十二世紀に入って現れてくるところでは、防備施設のある囲いの保護の下に、商工業によって生活を営み、都市を特権的な集団的人格とするところの特別の法、行政、裁判を享受する、コミューンである、と。」211頁

 この記述に個人的な関心を持つのは、「個人の人格」が認められる前に「集団の人格」が認められた、という歴史的な順序が示されているからだ。個人的にはこれまで「国家の人格に対する認識に伴って個人の人格に対する認識が生じた」のではないかという仮説を立てていたが、実は「都市の集団的人格」への承認が先行しているらしい。この「都市の集団的人格」と「個人の人格」の歴史的・論理的関係は、もちろん本書の関心ではないので明らかになっていないわけだが、もちろん即座に思い出すのは北イタリアの都市国家で活躍したフィチーノやピコ・デラ・ミランドラが「人間の尊厳」を打ち出しているという事実だ。フィチーノやピコの話をする際、もちろん北イタリア自由都市の影響には言及されるものの、「都市の集団的人格」との歴史的・論理的関係にまで視野を広げることはない。個人的に、たいへん気にかかるところである。

アンリ・ピレンヌ/佐々木克巳訳『中世都市―社会経済史的試論』講談社学術文庫、2018年<1970年

【要約と感想】リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』

【要約】ヨーロッパの中世は暗黒時代などではありません。カトリック教会が科学を弾圧したというのは皮相的な見方で、近代の科学的思考を準備したのは信仰と理性を調和させようとした神学的営為です。
 12世紀にアリストテレスの思想が再発見されたのは偶然ではありません。ヨーロッパの知的水準がアリストテレス思想を受容する用意が調ったのが12世紀ということです。中世のアウグスティヌス、アベラール、カタリ派異端、トマス・アクィナス、オッカム、エックハルトなどが、それぞれ固有の課題を持ってアリストテレス思想を受容したり対峙したりしながら、西洋中世は一貫して信仰と理性を協調させるべく科学的・合理的な思考様式を鍛え上げていきます。
 しかし近代の入口で、資本主義的価値観を正当化しようとしたトマス・ホッブズのような人物がトマス・アクィナスと共にアリストテレスを葬り去ることによって、中世の知的営為が忘却され、理性と信仰が分離し、西洋中世は暗黒時代と見なされるようになります。しかしいま再び、理性と信仰の統合について創造的な仕事が求められています。

【感想】章ごとに主人公が交替していくが、どの章も活き活きと個性が描かれた主人公と非凡なライバルとの対決が非常にエキサイティングで、おもしろく読んだ。それぞれの章(時代)に固有の課題が簡潔かつ明確に示されつつも、最初に提示されたモティーフが最後までブレない一貫して筋の通ったストーリーで、最後まで飽きずに読みとおせる。言ってみれば「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部から第八部までのおもしろさに通じるような、この種の本としては異例のエンターテイメント性を備えているのではないか。(だから逆に言えば、純粋な学術的にはそういう部分をさっ引いて判断しなければならない)。

 ドミニコ会とフランシスコ会の違いとその間の確執については、とても勉強になった。それぞれの会派については摘まみ食いしていてなんとなくイメージはしていたのだが、そのライバル関係について時代背景も含めて具体的に記述している文章は実は初めて読んだ。勉強になった。

 ただし専門的に気になるのは、エピクロス派の扱いだ。本書は後の近代科学に連なる思想の源泉を全てアリストテレス(およびそれに対する反応)に帰しているが、私としてはエピクロス派の唯物論と社会契約論の思想の方が遙かに近代的な発想に類似しているように思っている。実際にルネサンス期にはエピクロス派のルクレーティウスの本がよく読まれている。アリストテレスやトマス・アクィナスを葬ったとされているトマス・ホッブズの社会契約論は、エピクロス派の思想に影響されているかもしれない。エピクロスやルクレーティウスに言及しないで科学的思考の展開を説明しきるのは、少々乱暴のような気はする。
 まあ本書は明らかに、現代の新自由主義的思想が公共性の基盤を掘り崩している危機的な現状を、近代の自由主義的思想(ホッブズが代表)が公共性の基盤(トマス・アクィナスが代表)を掘り崩した過去になぞらえ、読者に警告を発することを隠れテーマとしているので、エピクロス派を無視するのも勉強不足ではなく意図的な戦略なのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】集合的人格と個性と三位一体
 一人一人の人格を超えて集団があたかも一つの人格を構成するような集合的人格(エヴァンゲリオンの人類補完計画のような)について言及し、さらにそこから「個性」が剔出される過程を描いていて、私のライフワークにダイレクトに関わる話をしていたので、サンプリングしておく。

「ここに至って、中世ルネサンスの思想家たちが普遍論争にあれほど熱中した理由が明らかになってくる。中世以前のキリスト教徒は自身を一つの人種――単なる生物学的な種ではない道徳的な種――のメンバーとみなすよう、教えこまれていた。この種はその霊においても運命においても完全に一体化しているので、彼らの始原の父母であるアダムとイヴが犯した罪を一人一人の人間が直接負っている。「真実在」の普遍たる人間という観念は、一人一人の人間の違いは本質的でも重要でもなく、場合によっては救済の障害にさえなることを、暗に意味していた(中略)。ヨーロッパの伝統的な社会体制も、個人を軽視する傾向を助長した。なぜなら、ある人物の個性など、彼または彼女が農民や聖職者や貴族等の社会階層のいずれに属しているかということに比べれば、取るに足りないことだったからだ。ところが、いまや、古代のプラトン主義の氷が溶け始めたのだ。大多数の人々は依然として、いかなる世襲グループに属しているかによって限界づけられていたとしても、一部の人々は従来の枠組みから脱け出そうとしていた。放浪する学者やトルバドゥール、貿易業者や十字軍兵士、巡歴説教師や地方から都市に移住する人々――これらすべての人々が、新しい意識を育みつつあったのだ。そう、いかなる階層に属していようと、重要なのは自分の個性なのだという意識を。」205-206頁

 そしてこの記述からすぐさま「三位一体」の話に繋がっていく。

「キリスト教の神はただ一つのペルソナではなく、父と子と聖霊という三つのペルソナを有しているが、中世ルネサンスの人々はその三つのペルソナすべてに熱烈な関心を寄せていた。創造主としての神はあまりに神秘的で想像を絶していたとしても、十二世紀のキリスト教徒は父なる神に正義を期待した。彼らは子なる神を愛し、あたかも彼らが磔刑に処せられたばかりであるかのように、彼のために悲しんだ。そして、すでに始まっている偉大な復活を象徴する聖霊、すなわち慰め主に彼らの望みを託したのだ。」207頁

 非常に興味深い。ただし、三位一体の思想が「個性」という観念の源であるとまでは言っていない。坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』は三位一体の思想に対する神学的な深まり(4~6世紀)が「個」の誕生にとって決定的に重要だったと説いているのだが、本書ではむしろ十二世紀の社会的・経済的変動を重要な背景と考えているようだ。その意味では阿部謹也『西洋中世の愛と人格―「世間」論序説』が個性誕生の瞬間を13世紀に見ている見解に近いのかもしれない(ちなみに阿部もキリスト教の三位一体が個の思想誕生にとって重要な背景だと示している)。
 このあたり、本書の論理展開は残念ながらあまり明快ではない。アベラールにとって三位一体思想がどういう意味を持っていたかは詳細に追究されるものの、西洋の「個性」という観念とどう絡むかについてはそれほど深掘りしてくれていないのだった。まあ、それが中心的なテーマというわけではないので、ないものねだりではある。

【個人的な研究のための備忘録】光
 キリスト教における「光」についての言及が気になった。というのは、コメニウスの教育思想の理解に関わってくるからだ。

「ベーコンをはじめとするフランシスコ会士にとって、超自然と自然とを結ぶ架け橋、宗教的経験の領域と科学的実験の世界とを結ぶ架け橋は「光」だった。(中略)「あらゆる哲学の精華」たる数学という鍵によって鍵を開かれる宝の箱は――のちに光学と呼ばれるようになるが――ベーコンの時代には「遠近法」と呼ばれていた光の科学だったのだ。」325-326頁
「ドミニコ会から見てもっと重大な問題点は、フランシスコ会士による光の霊化がはなはだしく時代に逆行していることだった。この点でフランシスコ会はアリストテレスから大きく後退していた。アリストテレスは光をある種の実体の特性とみなすにとどまり、純粋な形相とか霊とはみなしていなかった。ましてや光を、光ほど霊的でない自然の事物を動かす力とはみなしていなかった。アルベルトゥスとその若き盟友のトマス・アクィナスの見るところでは、光を普遍的な原因とみなす理論は――しょせん実験や観察によって立証できない神秘主義的な信念に過ぎないがゆえに――科学的営為を個々の原因を探求するものから、超自然的な相互関係を試作するものへと変容させてしまった。彼らはまた、人間の知解は神の「証明」によってもたらされるという説にも同意せず、それはむしろ、創造者が人間に天賦の能力として授けた理性によってもたらされると主張した。ロジャー・ベーコンらフランシスコ会士に属する教師たちは、アリストテレスの著作を講義し、アリストテレスの用語によって彼らの理論を構築した。けれども、彼らがよって立つ基盤は新プラトン主義的な神秘主義であり、それは物質と霊という時代遅れの区別を復活させた。」328-329頁

 コメニウスの活躍した時代はこの記述から400年ばかり遅れることになるが、ロジャー・ベーコン(およびフランシスコ会士)の言う「光」の論理は即座にコメニウスを想起させる。あるいは、コメニウスが関わっていたとされる薔薇十字会は、フランシスコ会士ロジャー・ベーコンの「錬金術」と「占星術」から影響を受けていることも分かっている。コメニウスはヤン・フスの系列に連なる神学者としてプロテスタントに位置付けられているが、実はその神学がフランシスコ会士のような修道思想(あるいはさらに東方キリスト教)に由来する何かだったりする可能性はあったりしないか。

【個人的な研究のための備忘録】ヨーロッパ中心主義
 自文化中心主義とトマス・ホッブズの位置づけには、なるほどと思ってしまった。ホッブズを読む時には、この観点を忘れないようにしたい。

「自文化中心主義者というものはそのタイプを問わず、おのれが属している文明は、その一部たりとも「ほかの文明」の思想の産物ではなく、完全に独力で創造されたと信じたがるものだ。アリストテレス革命を歴史から抹殺することは、西欧文明がより進んだイスラーム文明から非常に大きな恩恵を受けたという事実を隠しおおす役に立つ。だが、過去を抹殺することは、そのほかにもさまざまな形で、ヨーロッパの新しい時代のリーダーたちを利していたのだ。アリストテレス主義的キリスト教は、カトリック教会の権力を粉砕し、教会による教育資源の独占を終わらせたいと願うものたちすべてにとって――すなわち、国民国家の世俗統治者や、改革派教会の指導者や、新興の実業家階層や、科学を重視する知識階級にとって――大きな障害だった。だが――ここが当惑を禁じえないところなのだが――これらのエリートたちが排除しようとしていたのは、カトリック教会の政治的・組織的権威そのものではなく、カトリック教会が自然法や「正義の戦争」という類の概念を用いて繰り返し人々に教えこみ、押しつけようとしてきた道徳的な束縛だったのだ。」478-479

 この記述は、明らかに現代の状況とシンクロしている。16世紀にはナショナリストと自由主義者が結託して教会の排除に動いたが、現代ではネオ・ナショナリストと新自由主義者が結託してリベラルの排除に動いている。おそらく私の深読みではなく、著者がだれにでも分かるようなアナロジーとして強調して書いている。まあ、そういう政治的意図を抜きにしても、西欧の歴史(あるいは日本の歴史も)を正確に理解する上で「自文化中心主義」のバイアスをかいくぐる技術が重要であることは間違いないだろう。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ』ちくま学芸文庫、2018年<2008年