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【要約と感想】髙宮利行『西洋書物史への扉』

【要約】体系的というより、エッセイのように西洋の書誌学に関する話をしています。どんな文字を、何で、何に残したか。巻子本と冊子本の特徴と変遷。写字生の実態。音読と黙読の特徴と変遷。目録と書架。ルネサンスと中世の書誌と蒐集家。戯作者と復元者。電子書籍の未来など。

【感想】基本的に著者の自慢話を軸に話が展開するのだが、実際確かにすごいし、人間の業を浮き彫りにするおもしろい話が多いから、まああまり鼻につかない。知らないことが多くて勉強になった。
 個人的には写本の値段を具体的に知りたかったところだが、ヒントになる記述は多かったもののドンピシャの回答はなかった。また別のところで勉強しよう。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンス
 ルネサンス期の人文主義の没落に関する記述があった。

「奥書に写字生が自ら名前を記す習慣は、中世ゴシック写本の時代にはほとんどなく、イタリア・ルネサンスの個人主義の萌芽とみなしてもよいだろう。」104頁

 ルネサンスにおける個人主義の萌芽についてのメルクマールはいろいろあって、ペトラルカやダンテの作品に見出されてきたが、本書は「奥書に写字生が自ら名前を記す習慣」を挙げている。記憶しておきたい。

「この時代、人文主義者が再発見したギリシャの古典は印刷されて、次々に世に送り出されて行った。同時に大航海時代の地理上の発見に関する情報は印刷本として発売されると、たちまちベストセラーとなった。そして宗教改革も対抗宗教改革も情報合戦の様相を呈していく。新旧のキリスト教会による宗教戦争の武器となったのは、印刷された冊子や本である。さらに次々と各地に誕生した大学では、教科書として多数の印刷本が必要となった。」111-112頁
「新世界、そしてそこからもたらされる科学や医学など、情報の多くは、アリストテレスやプリニウスなど古代の作家たちが描写した世界とはかなり異なっていた。(中略)
 かくして、あれほど人文主義者たちが情熱を込めて掘り起こし、印刷術によって流布した古典や記述の妥当性に、矛盾やかげりが見えるようになったのである。これは由々しきことであった。なぜならば、中世人にとって最高の権威は聖書であったが、ルネサンス人にとってのそれは、古典だったからである。その古典の権威がいまや揺らぎつつあった。」113-114頁

 人文主義と大航海時代は、どちらとも印刷術によってブーストがかかったにも関わらず、どうやら相性がよろしくないことにはなんとなく気がついていたが、本書は明確に相反するものと見なしている。どちらかというと人文主義のほうは印刷術誕生より遥か前のペトラルカに端を発しており、また1453年ビザンツ帝国滅亡による原典流出のほうがインパクトを持つこともあり、相対的には印刷術という技術の持つ重要性が低いかもしれない。一方で大航海時代の情報伝達の質とスピードの向上は、明らかに印刷術のおかげだ。そういう事情を考え合わせると、印刷術の誕生は人文主義にとっては逆風とまではいかなくとも、追い風ではなかったと見なしていいのかもしれない。そしてガリレオやデカルトの科学主義にとっては明らかに追い風であるとも。
 そしてそうなると、「人格の尊厳」という観念の登場について、その淵源をルネサンス期の人文主義(ピコなど)に求める見解についても、どこまで真に受けるべきか慎重に考える必要が出てくる。確かにテキスト上ではルネサンス期人文主義に明らかに「人格の尊厳」という考えが見いだされる。しかしそれが現代の「人格の尊厳」という概念に対してどれほどのインパクトを持っているかという話になると、実際の影響はあまりなかったのではないかとも思えてくる。

髙宮利行『西洋書物史への扉』岩波新書、2023年

【要約と感想】ヴィンツェンツォ・ヴィヴィアーニ『ガリレオ・ガリレイの生涯 他二篇』

【要約】ガリレオの晩年に口述筆記を行った人物による評伝で、ガリレオ本人と実際に対面している人物の証言として重要です。
 もともと父親に医者になるための教育を受けさせられたガリレオは、しかし幾何学に対する天性の才能を発揮して自然学の道へ進み、次々と重要な自然学的発見と実用的発明を行った結果、貴顕王侯からも重要視されて高額な報酬で名誉ある地位に迎えられ、世間からも一目置かれるようになる一方、古代哲学に執着する頑迷な敵対者に悩まされ、異端審問裁判で追及されて軟禁状態に置かれますが、視力を失った晩年まで活動を続けました。

【感想】解説にもあるように、確かに科学的真理の発見そのものよりも、その「応用」のほうに大きなインパクトがあるという書きっぷりだった。あるいは、科学的真理の発見そのものとその応用を区別しているのは単に我々の現代的科学技術観であって、ガリレオの生きた科学黎明期にあっては科学と技術の区別そのものが意味をなさなかったと考えるところか。またあるいはそれは、美術の分野で言えば「美」そのものよりも「実用的な装飾」のほうが重要だという世界観と響き合っているのだろうし、「善」の分野では弁論術や修辞学の権威が高く見積もられていたことと関係するのだろう。真理を真理そのものとして、美を美そのものとして尊重(あるいは絶対視)する態度というものが、真理や美が制度化された後に一般化するのだと考えると、弁論術や修辞学が衰退した過程も併せて説明できそうだ。

【個人的な研究のための備忘録】教育と人文学
 当時のフィレンツェの教育と、人文学に対する距離感について伺える記述がたくさんある。

「少年期の彼は、フィレンツェのありふれた評判の教師について人文学を学んで過ごした。(中略)彼は主要なラテン語の著者の読書に専念し、独力で人文学の幅広い知識を獲得した。(中略)この頃、彼はギリシア語の学習にも没頭したが、もっと重要な研究に役立てるために学んだのである。」15-16頁

 ガリレオ(1564-1642)の少年青年期は16世紀の後半、大航海時代の幕開けから既に半世紀以上が過ぎており、地中海貿易の重要性が相対的に低下して、イタリア都市国家の没落が始まっていた。フランスではユグノー戦争が猖獗を極め、エラスムス(1466-1536)の頃のような希望に満ちたルネサンスの栄光はもう遠い過去の話になっている。そんな中でも、というかそんな状況だからだろうか、フィレンツェでは「人文学」や「ギリシア語」を学ぶことがありふれた出来事だったことが確認できる。

「ガリレオはヴァンブローサの神父から論理学の基本的な規則、そして弁論術の用語、非常に多くの定義と差異、文章の多様さ、教義の序列と進展を学んだが、このすべてが彼には退屈で、役に立たないように思われ、彼のすばらしい知性にはほとんど満足を与えなかった。」16頁
「しかしガリレオは、何世紀ものあいだ、たったひとりの人物の意見と言葉に囚われて人間の心の暗闇のなかに埋もれたままになっている世界の秘密をあばくために自然によってえらばれたのであり、これらの教えを他の人たちがそうしてきたように盲目的に受け入れることができなかった。彼は自由な知性をもっていたから、議論と感覚的経験で同じことがかなえられるのに、古代や現代の著者の言葉と意見にそんなにたやすく同意しなければならないとは思われなかった。だから、自然についての議論では、彼はアリストテレスの述べたことをすべて熱烈に擁護する人びとにいつも反対し、このために反抗の精神をもっているという評判を得た。そして、真実を発見した見返りとして、彼らの憎悪をかき立てた。」18頁
「彼がその頃から学校に共通した強制的な哲学のやり方に自分の自由な個性を順応させることができなかったことがわかる。」185頁

 人文学的なカリキュラムが時代遅れになりつつあることが分かる。しかし思い返してみれば、ペトラルカ(1304-1374)の頃にはアリストテレスは東方ギリシア世界からもたらされた最新の学問であったはずだ。アリストテレスに心酔する若者たちに愚か者と見なされたペトラルカは、頑迷で結構などと韜晦している。本書は「何世紀ものあいだ」アリストテレスが君臨していたかのように記述しているが、具体的には中世後期(トマス・アクィナス)からルネサンスにかけての350年間程のことだ。ペトラルカもガリレオもアリストテレスに反抗したが、ルネサンス夜明け前のペトラルカは保守的な立場から、ルネサンス日没後のガリレオは革新的な立場からそうした。つまりアリストテレスそのものが、ルネサンス期を通じて、革新的であったものから保守的なものへと変化したわけだ。というかそもそも思い返してみれば、理念先行のプラトン主義に対してアリストテレスは感覚的経験を重要視する立場だったはずだ。そんなわけで、アリストテレスの考え方そのものに致命的な問題があったというより、ルネサンス期を通じた「人文学」の在り様のほうに何かしら根本的な問題があったと考えるべきところだ。そんなものをリベラルアーツの起源などとありがたがっている場合か。そして逆に、ガリレオがどうしてその枠から飛び出すことができたのか、単にガリレオ個人の資質に還元するのではなく、ルネサンス期を通じた社会変化を踏まえて探究する必要がある。個人的な直観では、人文学とは関係のない流れから出てきている。

「彼が言うには、そこに書かれている文字は数学的命題、図形、そして証明だった。それらを用いるだけで、自然そのものの無数の秘密のいくつかを洞察することができるのである。」60頁

 時代を遡ればピタゴラスをどう考えるかという厄介な話もあるが、それでもやはり新しい。経験を重視するベーコンやヴィーヴェスにも見られない。デカルトあるいはスピノザに引き継がれるこの新しい世界観は「人格の尊厳」という考え方とどう響き合うのか、あるいは響き合わないのか。今のところ響き合う予感はまったくしない。

「教師は弟子たちの眼が読書で、その心と頭脳があるときは議論に、あるときは文字に、続いて図形に、とぎれとぎれに集中することで疲れてしまうことがないように気を配るしかない。しかし、このような気配りから生徒が真の利益を得ることはほとんどない。幾何学的証明を理解し、我がものとする唯一の方法は、自分自身の学習であって、他人によるものではない。わたしが信じるに、これら二つの学び方には、個人的な興味と注意力をもって世界を自分自身で見、観察しに出かけるのと、単に地図上で、たとえそれが正確であってもとても誠実な著者によって報告されていても、そこに留まること以上に非常に大きな違いがある。」172-173頁

 「幾何学に王道なし」と言ったエウクレイデスを踏まえていると考えていいのだろう。この真理観・学習観は、スピノザに引き継がれていくような印象だ。しかし「暗記の反復」や「教え込み」ではなく「理解のための学習」が決定的に重要で、教師の気配りが何の役にも立たないという観点は、きっと教育の在り方にも大きな変化をもたらすのだろう。

ヴィンツェンツォ・ヴィヴィアーニ/田中一郎訳『ガリレオ・ガリレイの生涯 他二篇』岩波文庫、2023年

【要約と感想】ベーコン『学問の進歩』

【要約】人類の進歩に貢献するため、あらゆる学問の領域に渡って過去の業績を点検して問題点と課題を明らかにし、未来へ向けた展望を示します。学問は様々な誤解や学者たち自身の問題によって批判されることもありますが、本質的には神と人間にとって極めて高い価値を誇るものです。
 学問の領域は(1)歴史(2)詩(3)哲学(4)神の4つの領域に区分できます。歴史には(1)自然誌(2)社会の歴史(3)教会史があります。詩の領域はテコ入れするまでもなく勝手に発展します。哲学の領域は(1)第一哲学(2)神学(3)自然哲学(4)人間学に分かれます。
 現在の学問水準は、真理を発見する手段の整備や様々な発明のおかげで格段に上がっており、ギリシアやローマの時代を超えて進歩しています。確かに乗り越えなければいけない課題はたくさんありますが、人類の未来は明るいのです。

【感想】現代的な感覚からすれば、学問全体の領域を余すところなく点検してこれからの展望を示すなど、途方もない無理無茶無謀な企てだ。本書が公になったのが1605年で、同じような企ては1531年のヴィーヴェスにも見られた。この後、17世紀序盤にはデカルトが出て、中盤には清教徒革命が発生し、終盤ではニュートンが活躍することになる。学問の全体像を個人で描こうとする企ては見られなくなり、ディドロ「百科全書」のような企画に変わっていくこととなる。
 本書全体を通じて印象に残るのは、「ルネサンスが終わったなあ」ということだ。ルネサンスの定義にもいろいろあるが、共通しているのはギリシア・ローマの文芸に憧れ、再現しようとする熱意である。ベーコンには、その憧れも再現しようとする熱意もない。というか、「ギリシア・ローマを超えた」という認識が各所に噴出している。実際、容赦なくプラトンやアリストテレスを槍玉に挙げる。その認識と姿勢を支えているのが、大航海時代によって地球全体の姿を明らかにした学問の成果への自信だ。哲学的観照や文献読解や雄弁術など古代的な教養では不可能な大事業を実現したという、発明発見と真理と活動に対する自信だ。だから、現実の地球の全体像を写す「地球儀」が完成したこのタイミングで、学問の全体像を示す「学問の地球儀」も完成させなければならない。
 そんなわけで、ベーコンの中でルネサンスは完全に終了しており、つまり近代の夜明け前までは来ている。しかしまだ近代は訪れていない。「かけがえのない人格」という発想はまったく見られない。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスの終わり
 当時の学問水準について窺える記述がたくさんあって面白いのではあるが、個人的な研究に役に立ちそうなところだけサンプリングしておく。特に教育や学校に関する記述と、「ルネサンスの終わり」に関する記述が重要だ。

「なお、注意すべきことに、教師たちの生き方は圧政のサルまねだと芝居などでずいぶん嘲笑されてはいるし、また、最近のだらしないなげやりな風潮は学校の教師や家庭の教師の選択に当然はらうべき顧慮を払わなくなっているが、しかし、とおい昔の最良の時代の知者は、国家はその法律のことにあまりにもいそがしく、教育のことにかけてはあまりにも怠慢であると、いつももっともな不満をもらしていたのであって、そのとおい昔の教育のすばらしいぶぶんが、最近イエズス会員の学院によってある程度まで復活されたのである。」38-39頁

 この部分に至るまでの話の流れは「学者の貧乏」をテーマにしていてなかなか身につまされるのだが、サンプリングしたところは文脈からは少々切り離されて唐突に差しはさまれる。実は本書にはそういう行き当たりばったりの思い付きにしか見えない冗長な記述が極めて多く、前近代的な印象が色濃くなる原因にもおそらくなっている。ともかく、16世紀の教師が嘲笑の的になっていたらしいことが分かるが、こういうエピソードはヴィーヴェスなどにもあって、事欠かない。しかし一方「イエズス会員の学院によって復活された」という記述の具体的な中身はよく分からなくて、気になるところだ。イグナチウス・ロヨラの活動のことを指しているのだろうか。

「マルティン・ルターは、(疑いもなく)一段たかい摂理に導かれてではあるが、理性をはたらかせて、ローマの司教と教会の堕落した伝統とを向こうにまわして、自分がどのような仕事をくわだてたかを悟り、またどのみちかれの時代の世論の支持は得られず、まったく孤立していることを悟って、現代にたち向かう党派をつくるためには、古代のすべての作家をよびさまし、むかしの時代に援軍を求めなければならなかった。こうして、それまで長らく図書館のなかに眠っていた、神学と人文学との両方と、古代の作家たちがひろく読まれ、とくと考えられることとなった。(中略)これを助長し促進したものは、それらの遠いむかしのものでありながら見た目には新しい説を唱えた人びとが、スコラ学者に対してもっていた敵意と敵対であった。(中略)これら四つの原因、古代の作家に対する感嘆と、スコラ学者に対するにくしみと、言語の厳密な研究と、説法の効能とが重なって、当時さかえはじめていた雄弁と能弁とのひたぶるな研究がおこることとなった。これはたちまち極端に走った。」49-50頁

 なんだかいろいろ間違った記述になっている。古典文芸復興はルターと関係がない。こういう勘違いが生じるのは、宗教改革と古典研究をセットとして考えるのが当時の認識枠組みとしては常識だったから、と推測しておこう。エラスムスの存在も考慮していいか。
 事実の間違いはともかく、ベーコンの認識では「スコラ学者への敵意」と人文主義的な「雄弁術」の流行がセットになっていることは確認しておく。

「キリスト教会は、一方では、北西ではスキタイ人の侵入と、他方では、東からサラセン人の侵入とのただなかにあって、異教の学問の貴重な建物をも、その聖なるふところに抱き、膝にのせて保護したのであって、それらの遺物は、この保護がなければ跡形もなく消滅したであろう。」77-78頁

 ここでベーコンが言う「キリスト教会」とは、コンスタンティノープルの東ローマ教会のことだろうか。ウクライナにいたスキタイ人にローマが北西から浸入されるとは思えない。そして、となると、「異教の学問」とはギリシア文化のことになる。そうだとすれば、これはベーコンがビザンツ帝国が果たした文化的役割を認識していた証拠になる記述として理解できるが、そんなことあるのか。

「まず第一にヨーロッパにはずいぶん多くのりっぱな学院が設けられているのに、それらはすべて専門科目(神学、法学、医学)に専念して、教養科目(哲学と一般原理の研究)をやる余裕のあるものが一つもないことを、わたしは不思議に思う。というのは、人びとは、学問は行動を目的とすべきであるというとき、判断を誤ってはいないが、しかしそう信じこんで、むかしの寓話に語られているあやまちに陥っているからである。その寓話では、胃は四肢のするように運動の役目もせず、また頭のするように理解の役目もしないので、身体の他の部分は胃が怠けていると推測したのである。」117頁

 これも事実認識としてはどうか。西洋教育史の教科書によれば、大学に付属する学寮(カレッジ)において基礎教養の自由七科が学ばれていたはずだ。ただしベーコンの言う「哲学と一般原理の研究」が、自由七科を眼中に入れていない可能性は考慮してよいか。
 また「胃」の寓話に触れていることも覚えておきたい。胃の寓話は、後にヘーゲルが多用することになる。

「それは、大学の学生が時期尚早に、未熟なままで、論理学や弁論術といった、年はのいかぬ修行中のものよりも大学をおえたものにふさわしい学問をする習慣である。すなわち、両者は、正しく理解されるなら、諸学のうちもっとも重みのあるもの、学問中の学問であり、論理学のほうは判断のためのもの、弁論術のほうは修飾のためのものである。そしてそれらは、内容をどう表現しどうとり扱うべきかの規則と指図なのである。」121頁

 この記述から、ベーコンが「弁論術」をどう認識していたかが具体的に分かる。クインティリアヌスやそれを引き継いだ人文主義的な教育論とはまったく異なる見解となっている。クインティリアヌスやルネサンス教育論では、雄弁術は人格を形成するために欠いてはならない学問だった。ベーコンにおいては、人格形成に関わらないただのスキルである。雄弁術そのものの位置づけがどう変化したかは別に検討する必要があるが、ともかくベーコンの認識のなかではそうとう価値が低くなっていることを確認しておく。

「すなわち、あるものごとがなされるまでは、はたしてなされるだろうかといぶかっているが、なされるとたちまち、こんどは、どうしてもっと早くなされなかったかといぶかるのである。それはアレクサンドロスのアジア遠征にみられる(中略)そして同一のことがコロンブスにも西方への航海のさいにおこったのである。」62-63頁
「というのは、この世界という大建築物が、われわれとわれわれの父祖との時代になってはじめて、ガラス窓から光線を貫通させるようになったのは、現代にとって名誉なことで、古代と競いそれをしのぐものだと主張してもまちがいないと思われるからである。」141頁
航海者の磁針の使用がまず発見されなかったら、西インド諸島もけっして発見されなかったであろう。一方は広大な地域であり、他方は小さな運動なのではあるが。同じように、発明と発見の術そのものがこれまで見おとされていたら、諸学にいま以上進んだ発見がなかったとしても、あえて異とするには当たらない。」211頁
「たとえば、当代の学者たちは優秀で活気をおびている。むかしの著作家の労苦のおかげでわれわれは高貴な助けと光をもっている。印刷術のおかげで書物はあらゆる境遇の人びとに伝えられる。航海のおかげで世界が開け、それによって多くの経験と莫大な自然誌の資料があかるみに出た。(中略)この第三の時期は、ギリシアとローマの学問の時期をはるかにしのぐであろう。」354頁

 コロンブスの西インド諸島到達をはじめとする大航海時代の成果によって「世界という大建築物」の姿が明らかになったことを極めて重要な出来事だと記述している。そもそも本書に見られるベーコンの企てそのものが「地球儀」を完成させようという発想に発している。現実世界の「地球儀」は船乗りたちの冒険によって完成しつつあるわけだが、「知の地球儀」を完成させようとするベーコンの企ても相当の冒険だし、それを自負してもいる。ここに、古典文芸復興として古代ギリシア・ローマ文化にひたすら憧れるルネサンス精神は完全に終わった。
 また、大航海時代を支えた「発明と発見」を高く評価している点も見逃せない。ベーコンがこれからの学問ん課題として設定しようとしているのは、この「発明と発見」の技術だ。「印刷術」への高い評価も記憶しておきたい。
 大航海時代がヨーロッパに与えた知的刺激は低く見積もらない方がいい、と改めて思う。(しかし同じような発明と発見の時代にいて同じ対象の言及しながら完全に冷めているモンテーニュが一方にいることも忘れてはならない)

「それゆえ、デモクリトス一派は、万物の構成のなかに精神とか理性とかを想定せずに、持続してゆくことのできる万物の形態を、自然の無限の試み、あるいはためし、かれらのいわゆる運命(必然性)に帰したので、かれらの自然哲学は、(残存する記録と断片によって判断することのできるかぎり)個々の現象の自然学的原因の説明においては、アリストテレスとプラトンの自然哲学よりも真実で、よく研究されたもののようにわたしには思われる。」171頁

 ここで挙がっている固有名詞はデモクリトスだが、実はルネサンス期からデモクリトス一派としてのエピクロスやルクレティウスの評価も高い。このベーコンの文脈ではもちろん唯物主義的な自然科学の体系に親和的だということだが、社会科学的にも「社会契約論」の文脈で重要な役割を果たしている可能性を考慮したほうがいい。

「第二に、論理学者たちが口にする、そしてプラトンには熟知であったらしい帰納法は、それによって諸学の諸原理が発見され、したがってまたそれらの諸原理からの演繹によって中間の命題が発見されると主張されるかもしれないが、くりかえしていうが、かれらの帰納法の形式はまったく欠点だらけで、無力である。そしてこの帰納法において、自然を完璧にし、ほめそやすことが技術の義務であるのに、かれらはそれとは反対に、自然をきずつけ、はずかしめ、そしったのであるから、かれらの誤りは、なおさらひどいのである。」214頁

 ベーコンの言う「プラトンには熟知であったらしい帰納法」とは、プラトン自身は「仮設廃棄」の方法と呼んでいて、確かに近代科学の言う帰納法とはまったく別のものだ。個人的には「前提さかのぼり法」と呼びたい。そしてベーコンが「自然をきずつけ、はずかしめ、そしった」と評価しているように、プラトンの仮設廃棄の手続きは最終的に「善のイデア」にたどりつき現実の自然や人間の感覚を否定する根拠となる。ベーコンの言う本物の「帰納法」がどういう手続きかは別の本で明らかになるわけだが、ここではベーコンが帰納法について「自然を完璧にし、ほめそやすことが技術の義務である」と言っていることは記憶しておきたい。

「つぎに知識の教育的な伝達についていえば、これには、若者に特有な、伝達上の特異性があるので、それには、大きな効果をうむさまざまな考慮が必要である。
 たとえば、第一に、知識を授ける時期をあやまたず、時節到来を待つ考慮であって、若者に何から教えはじめ、何をしばらく教えずにおくかなどである。
 第二に、どこからもっともやさしいものを手がけて、次第にむずかしいものに進んでゆくか、また、どんな道をとって、かなりうずかしいものをおしつけ、それから比較的やさしいものに若者を向かわせるかの考慮が必要である。(中略)
 第三は、若者の知能の特性に応じた学問の応用についての考慮である。(中略)そしてそれゆえ、どのような種類の知力と性質がどのような学問にもっともよく向いているかを調べることは、すぐれた知恵を必要とする研究である。
 第四に、修練の順序を決めることは、害になったり役にたったりする、重大な問題である。(後略)」258-259頁
「しかし、セネカは雄弁に対して、「雄弁は、内容よりも雄弁そのものを愛好する人びとに害を及ぼす」とすばらしい反撃を加えている。教育は、人びとを教師にではなく、課業にほれこませるようなものでなければならない。」263頁

 ベーコンは、同じような企て(学問の全体像を示す)を完遂したヴィーヴェスとは異なり、教育の論理そのものに対しては大きな関心を示していない。ここにサンプリングした文章も、本書によく見られるように思い付きで挿入されているようにしか見えない形で紛れ込んでいる。とはいえ、ベーコンの教育観を示す記述ではあるので、読み込んでおきたい。好意的に見れば、近代的なカリキュラム論に親和的な論点を示しているようには思える。

「この(全体の善が部分の善に優越する)ことは、たしかな真理として確立されているのであるから、道徳哲学がかかりあっているたいていの論争に裁断と決定を下すものである。というのは、それはまず、観想の生活と活動の生活とのうち、どちらをよしとするかという問題を解決して、アリストテレスとは逆な判定を下すからである。」267頁

 イギリス経験論の面目躍如といったところか。

「人間か神の本性、あるいは天使の本性に近づき、あるいはそれに似ようとすることは人間の本質を完成することであり、そうした完成しようとする善にしくじり、あるいはそれをまちがえて模倣することは、人間の生活のあらしとなる。」275頁

 中世からよく見られる表現ではあるが、果たしてベーコンがどれほど本気で言っているか。ともかく、本気だろうが韜晦だろうが死刑にならないための保険だろうが、ベーコンでもまだスルーできない表現だったということは確認しておく。

「同じようにまた、人間の精神の耕作と治療においても、二つのことがわれわれの意のままにならない。それは天性に関することと運命に関することとである。というのは、生まれつきそなわった性格は、細工を施すようにと与えられた材料であり、境遇は、そのなかでつくりかえの仕事をやりとげるべき条件であって、われわれはそれによって制限され、拘束されるからである。それゆえ、これら二つのものについては、せっせと活用してゆくより手はないのである。」287頁
「それで、この知識の第一項は、人間の天性と傾向とのいろいろちがった性格と気質との確実で正しい分類と記述を書きとめるということである。」288頁

 人間に様々な異なった性格があるということを学問の対象にまで鍛え上げようということで、「個性」という観念を生じさせる必要条件ではあるが、「かけがえのない人格」という概念に至るための十分条件はまだ欠けている。

「信条は、神の本性と神の属性と神のみわざとの教理をふくんでいる。神の本性は、一体である三位から成っている。神の属性は、三位一体である神に共通であるか、三位のそれぞれに特有であるか、どちらかである。(中略)天地創造のみわざは、質量の塊を創造することにおいては父なる神に、形をととのえることにおいては子なる神に、存在を維持し保存することにおいては精霊なる神に関係している。」373頁

 適当な記述である。あまり関心はないのだろう。

ベーコン/服部英次郎・多田英次訳『学問の進歩』岩波文庫、1974年

【要約と感想】ヴィーヴェス『ルネッサンスの教育論』

【要約】(1531年出版『学問伝授論』の一部を訳出したものです。)
 人々の自分たちの生活を良くしようという努力と経験に、神から与えられた知性と好奇心が加わることで、学問(術知)は立ち上がってきました。学問を身につけるために優れた本を読みましょう。
 学校を建てる場所に気を付けて、教師には豊かな学識を持つことはもちろん人格的にも立派な人を採用しましょう。子どもは堕落しやすいので小さい時から厳しく躾けましょう。中には学問に向いていない子どももいるので、すぐに別の進路を与えましょう。
 教育課程では、ラテン語に精通すべきことはもちろんですが、各国語やアラビア語も学ぶべきです。ギリシャ語は後回しでかまいません。健康のためにスポーツもして、食事にも気をつけましょう。読む本は優れたものを精査しましょう。
 言語に習熟したら高等な学問として論理学と自然研究に進みましょう。自然の観察から確実な知識だけを得る姿勢を身につけたら、次に第一哲学(形而上学)と討論に進み、確実な知識から普遍的な真理を導き出しましょう。討論では名誉を追及するのではなく、真理の認識を心がけましょう。運動も忘れてはいけません。続いて修辞学を身につけ、数学を学びましょう。数学は根気強さや集中力を養います。
 一通りの術知を身につけたら、社会で役に立つ実学的な学びを深めましょう。もはや学びの場は学校ではなく、商店や工場でのインターンです。ちなみに教師は人間の霊魂(感覚・感情・理解・記憶・推理・判断)の作用についての洞察を深め、教育に役立たせましょう。自然観察は人々の生活をより良くし、食物研究は健康を増進し、医学は病から身を守ります。実践的な判断力は歴史や倫理哲学(家政学・政治学)や法律の研究によって養います。
 学者は謙虚な気持ちで研究に熱意を傾けましょう。あなたの力は神から与えられたものだということを忘れて高慢になってはいけません。金儲けや追従阿諛で学問を売ることなどもってのほかです。名声の追及も感心しません。学問的な成果を上げたら、本に書き残して、公共の福祉に還元しましょう。

【感想】なるほど、近代的で包括的な教育論の先駆けと評価されている理由がよく分かった。論旨は素朴でありつつ取っ散らかってまとまりもなく、読後直後は凄さにピンと来ていなかったが、こうやって感想をまとめようとして振り返っているうちにジワジワ来ている。これは確実に新しい。さすが巨匠エラスムスが一目置いた男だけのことはある。
 まず決定的に重要なのは自然科学的な手続きに関する意識的な言及だ。これは同時代の人文主義者たちにはまったく見られなかったものだ。いちおう帰納法の萌芽みたいなものは各所に散見されつつも、ここまで意識的に前面に打ち出したのは管見の限りではあるが本書が最初のような気がする。デカルトはもちろん、ガリレオやフランシス・ベーコンより早い。もちろん自然科学そのものは既に様々な形で展開しているわけだが、本書はその手法を教育論としてカリキュラムの中に位置づける試みを見せているところが画期的なように思う。このあたりは小林博英(1961)「ヴィーヴェスに於ける実学思想の発端」が勉強になる。
 また、14~15世紀の人文主義は日常生活に役立つ実学を徹底的に軽蔑して古典学習と雄弁術ばかりを推奨していたわけだが、本書は実学の価値を極めて高く評価している点が極めてユニークだ。しかも実学は学校で学ぶものではなくインターンで修得するのが良いとまで主張している。また、数学や歴史を現実的に役に立つ学問と理解しているところも新しい。このあたりは小池美穂(2018)「ルネサンスにおける学問の方法化 : 知識の「有用性」」が参考になる。この実学に対する理解の進展が果たしてヴィーヴェスの個人的資質によるものか、それとも新大陸発見が何かしらのインパクトを与えているのか、そこそこ気になるところだ。
 そして学者の人格に関する記述は、身につまされる。学問を金儲けの手段にするのはもってのほかだし、名誉を追及するのも感心せず、公共の福祉に貢献してナンボとか。いやはや、仰る通り。
 ともかく、一応ヴィーヴェスの名は西洋教育史の教科書にも出てきてそこそこ重要人物として扱われてはいるのだが、実際に読んでみるとなるほど、これは重要だと見なされて当然だ。一時代前のルネサンス教育論からは一線を画した出色の出来になっていることは間違いない。大きく一歩近代に踏み込んでいる。しかしそのヴィーヴェスにも「かけがえのない人格」という観念が見当たらないことも確認しておく。

【個人的な研究のための備忘録】
 最初のまとまった教育論ということで気になる表現は非常に多いのだが、まずは個人的関心に即してサンプリングしておきたい。

「人間がそこへ向けて造られた目的に各人が到達すること、これ以外に、人間の完成はないのである。(中略)各々の事物にとっては、それが創造された目的を達成することが結局そのものの完成であり、その全部分での仕上りでもある以上、疑いもなく敬神が人間完成の唯一の道である。」26頁
「しかし聖愛によって自己をより高く引き上げた人の敬神こそ完成なのである。」37頁
「実際、規範は完璧な形で自然の中にある。そして各人はその才能や熱心の度合に応じてこの規範に表現を与えるのであるから、ある者は他の者よりもりっぱに表現することはあっても、誰も充全かつ完全に表すことはないのである。」94頁

「完成」という観念そのものには独自性は認められず、同時代の一般的な使い方(キリスト教的目的論)をしている印象ではある。問題になるとすれば、このキリスト教的目的論の「完成」と、本書がこの後で記述する教育論の内容があまり噛み合っていないように見える点か。

「そして推理と観察とはほとんどすべてこの術知の発見に向けられていた。初めのうちは新規さに感嘆しながら、一つまた一つと獲得した経験を生活上の実益のために記録していった。知性はいくつかの個別的な実験から普遍的なものを集約し、さらにそれは引続いて多くの実験によって補強され、確認されて、確実なもの、確証されたものとして考えられるに至った。」28頁

 明らかに自然科学の経験主義的な手法を祖述している。ブルーノが生まれたのは本書出版から17年後、ガリレオが生まれたのは約30年後、またコペルニクスの主張が広く知られ出すのはほぼ同時期だから、やはり相当早い時期の表現だ。また単に自然科学の手法を叙述するだけでなく、教育課程に組み込んでいこうとする点で画期的なことは間違いないだろう。

「少年の天賦の才が何にもっとも適しているかは、肉親や親戚の者が探し当てることができるが、少年の方でも、自らの才能を示す兆候を多く顕わすものである。学問に適性がない場合は、学校では学科を遊んですごし、さらに学科以上に大切な時間を遊びで失ってしまうのであるから、もっと適していると判断され、したがってこれならば豊かな収穫を得て全うできるであろうと思われる方面へ、早い時期に移してやらなければならない。」77頁
「二カ月ないし三カ月に一度、教師たちは会合をもち、受けもっている生徒たちの才能について熟考し、父親の愛情と冷厳な判断力をもってこれを洞察しなければならない。そして各生徒が適性をもっていると思われる方へ送ってやらなければならない。」87-88頁
「この後、生徒のうちで誰が学問に精進するのに適し、誰が別の道に適しているかを吟味しなければならない。」91頁
「ともあれ術知を伝授する場合には、常にもっとも完全なもの、もっと完璧なものを提供しなければならないとはいえ、教える場合には、生徒の知能に適合した部分を術知から選んで提示してやらなければならない。」95頁
「このようなわけで、一人の青年の知性が結局どの分野に最も適しているかを周到に洞察することが必要である。」179頁
「もし青年が自分で模倣しようと決心したものを下手に描くようであれば、模倣することはやめさせ、自分自身の本来の傾きの方へと移してやり、他人のものではありえない、自分自身のものになるようにさせなければならない。」181頁
「まず初めに、自分はどのような事柄に関して才能があり、どの分野について書くのに適しているかを理解するために、自分自身を知り、自らの力を吟味しなければならない。」270頁

 教授に当たって子どもたちの生まれつきの才能に配慮すべきことは、繰り返し繰り返し、しつこいほどに主張される。この考え方自体はルネサンス期教育論に共通していてヴィーヴェス特有の論理というわけではないが、本書の場合はやはり教育課程に組み込まれる形で活用されている点がユニークなのだろう。そしてここでみられる個性観念が単に教授の有効性や進路の適性に関わって関心の対象になっていることも確認しておきたい。「かけがえのない人格」というニュアンスの表現は見当たらない。

「子どもたちは遊びを通して訓練されなければならない。こうすること自体が子どもの知性の鋭敏さや生来の性格を顕わすものであるが、同じ位の年齢の者や同類の者の間では、虚飾はいっさい行われないし、すべてが自然のままに現れるからとりわけそうなのである。実際、競争というものは天賦の性質を引き出しかつ示すのであって、草や根や果実を温めると香りや生来の能力が引き出し示されるのとほとんど異ならないのである。」87頁

 遊びの重視も、エラスムスなどルネサンス期人文主義に共通する考え方で、特にヴィーヴェスに限った話ではない。が、ご多分に漏れずちゃんと重視しているということは確認しておく。というのは、人文主義一般とは異なる見解も多く示されているからだ。

「人々との対話や会合には節度を失うことなく親しみの心を込めて参加しなければならない。そしてこの悪臭を放つものから身を遠ざけるのではなく、慎重に品性を陶冶することによって能う限り自らを救うべきである。」107頁

 「品性」にはモールム、「陶冶」にはクルトウーラのルビがある。「陶冶」という概念はドイツ疾風怒濤で鍛えられたというのが一般的な理解だが、クルトウーラ(cutureの語源)の考古学については目配せしておいた方がいいのだろう。もちろんキケロが使っている。「Cultura animi philosophia est.」

「しかし、精神の病癖がつのると人間の知能の働きが圧迫されて鈍くなるものであるから、無分別な行動は抑制させ、言葉でたしなめたり、必要な場合は鞭に訴えてでも𠮟責して止めさせなければならない。つまり理性の働きが充分でない少年の場合には、動物的な行為を止めさせるのに苦痛を咥えることが必要なのである。」124頁

 そしてエラスムスをはじめとするルネサンス期人文主義者は共通して体罰を否定しており、その主張は古代のクインティリアヌスに遡るわけだが、なんとヴィーヴェスは体罰を許容している。後のロックやペスタロッチーも体罰を許容する言葉を残しているが、ここに何らかの教育学的論点を見出すべきところか。

「健康についての一切の配慮は、精神が健やかになり、かの詩人[ユニウス・ユヴェナリス]が神々に切に祈り求めたように、「健全な精神が健全な身体の中に住むように」というにつきるのである。」126頁

 「健全な精神は健全な身体に宿る」というスローガンはいろいろなところに繰り返し登場する(たとえばジョン・ロック)が、ここにも出てきたことはメモしておこう。

「第一哲学を教授する場合には、一種の廻り道をして進むべきで、ある箇所まで進んだら、そこからまたもときた同じ処へもどることが必要である。AからBに進み、また逆にBからAに戻るのである。というのは、このような事柄の探究においては、われわれは精神を「存在のあり方に従って」導くのではなく、多くの曲折を含む「感覚の働きに従って」導くからである。それゆえ、より単純なもの、より生のままのもの、つまりいっそう感覚に顕わに知られているものを先に捉えるよう、常に工夫をこらさなければならない。」168頁

 形而上学を後回しにして経験主義的な考え方を重視する主張だ。プラトンが聞いたら卒倒しそうな主張だが、どうもヴィーヴェスは実践的なクセノフォンのほうを重視しているような印象がある。そしてもちろんここで表現されている考え方を突き詰めていくとデカルトに至るわけだが、1531年のヴィーヴェスと1637年のデカルトの間に流れる百年の時間をどう理解するか。(もちろんフランシス・ベーコンはここに入って来るわけだが)

「こういうわけで、母国語で書くことがいっそう望ましいであろう。母国語においては民衆こそ自らの国の言葉の偉大な作者であり、教師であり、判定者だからである。」183頁

 母国語の重視は瞠目すべき主張だ。この時代ではもちろん学術用語としてのラテン語が圧倒的に優位にあり、ルネサンス期人文主義者の大半はラテン語でコミュニケーションを行っており、母国語の意義を主張した論者は他に見当たらない。17世紀初頭ラトケまで待つ必要がある。ただ、本書から母国語を尊重する理由を抽出することが難しいのは残念なところだ。理由として、たとえばヴィーヴェスがスペインで活動していたことが何らかの意味は持ったりするか。深堀するといろいろおもしろいことが出てきそうなところではある。

「しかしこういうこと(円環的知識)に関しては、キケロもいっているように、学校で博学の士が講義するよりも、古老がその仲間や集いの中ではるかにすぐれた知識を披露するものである。(中略)そうであるから、ここで必要なのは学校ではなく、聴きかつ知ろうとする激しい意欲なのである。商店や工場の中にまで入って行き、そこの職人たちから彼らの仕事について詳しく訊ね、教えてもらうことを恥かしく思わないだけの熱意がいるのである。」193頁

 まさにインターンを主張している。実学教育の祖と評価されているだけのことはある。ここはルネサンス期人文主義者には見られない主張、というか逆立ちしても言いそうにないことで、ヴィーヴェスのユニークさを際立たせている。この実学主義というか現実主義はどこから出て来るのだろう。新大陸発見に伴う世界観の転換に関わっていたりするだろうか。「円環的知識」の考古学を進めなければ全体像が見えてこなさそうではある。

「これに対して、人間の霊魂に関する考察研究はあらゆる学問分野に最大の援助をもたらしてくれるものである。なぜなら、ほとんどあらゆる事柄に関してわれわれが下す評価は、存在それ自体に基づくというよりは、霊魂の理解能力や把握力に依存するものだからである。」195頁

 本書の中で繰り返し現れる経験主義的な主張ではあるが、その根拠としてヴィーヴェス特有の教育心理学が大きな役割を果たしていることが理解できる。後のデカルトやカントのモノ自体、あるいはフッサール現象学にまで通底するような認識論は、プラトンにもアリストテレスにも見当たらず、どこから出てきたのか不思議な感じがする。ヴィーヴェスの創案だとしたらとんでもないことだが、そんなことあるのか。中世やルネサンス期になにかモトネタがあって、私の勉強が届いていないだけか。

「歴史がかしずくところ、子どもは大人に成長し、歴史なきところ、おとなは子どもになり下るのである。」213頁
「メガロポリスのポリビウスは「全人類史」を動物の完全な体にたといえ、他との関連から切り離して部分部分を叙述した場合は、四肢に分解された体となり、誰もこのように引き裂かれた部分からは、もとの体の相貌や美しさや力を推定することができないものとなることを指摘している。それゆえわれわれも、歴史の各肢体を、その各々の部分が、たとえ動物の身体のようではなくても、しっかり組み立てられている一つの建築物のように、一つの部分が他の多くの部分と結合しているものと見ることができるように、構成しなければならない。」220頁

 自然科学だけでなく歴史の教育的効果も重視しているのは、さすがに人文主義者らしいと評価すべきか、それとも法律や倫理にも活用できる学問だと見なしている点を新しい発想と見なすべきか。

「また国の道徳習慣が立派であれば、少しの法律で足りるか、ほとんど法律がなくてもよいくらいであり、逆に道徳習慣が腐敗していれば、法律がどんなに多くても充分ではないのである。それゆえ、共和国の訓令においてだけでなく、また人々がその権威を認めて非常に尊重している法律の命令によって児童の教育が汚れない、清廉なものであるように細心の注意を払わねばならない。」246頁
「「立派な子どもたちを持つにはどのようにしたらよいか」との質問に対して、「立派に治められている国で子どもたちを育てるならば」と答えた哲学者もこれに劣らぬ叡智の言葉を語っているのである。」247頁

 この部分の「教育」にはエドウカチオのルビがある。学校で行われる授業ではなく、社会の中で人格を形成するというイメージの言葉だ。適切な法律が立派に守られている社会でこそまっとうな人格が形成できるという考え方はプラトンから見られる。そういう観点から、翻訳で「教育」という言葉が出てきた時も、それがエドゥカティオなのか、それとも学校教育を想起させる言葉なのかには注意して読んでいく必要があるのだった。

「学問の諸分野は人文諸学と呼ばれている。それはわれわれを人間らしくさせるためのものだからである。」266頁

 人文主義の語源に触れたリアルに同時代の表現として、サンプリングしておきたい。

ヴィーヴェス、小林博英訳『ルネッサンスの教育論』明治図書世界教育学選集、1975年

【要約と感想】アルベルティ他『イタリア・ルネサンス期教育論』

【収録論文】
(1)ヴェルジェーリオ(1370-1444)「学芸について」
(2)ブルーニ(1370-1444)「諸学問ならびに文学について」
(3)アルベルティ(1404-72)「家庭教育論」
(4)ピッコローミニ(1405-64)「子どもの教育について」

【要約】子どもたちが持つ本来の特性を見極めて、早期に善い習慣を身につけさせ、悪習を取り除き、自由諸学芸を学ばせましょう。歴史や修辞学、詩の古典などを幅広く学ばせ、特に雄弁術の修得を通じて徳を身につけさせましょう。教育は早く始めるに越したことはありません。体罰はだめです。

【感想】15世紀、イタリア・ルネサンスの教育論アンソロジーなわけだが、この周辺の事情は学部生向け教育学の教科書ではそうとう手薄い印象がある。私の基礎教養が欠けているのも学部の概論でしっかり学んでいないせいだ(ということにしておこう)。
 一般論としては、ペトラルカ以来のイタリア・ルネサンスによってギリシア・ローマの古典が暗黒の中世から甦り、人文主義(ヒューマニズム)が勃興・充実・発展して、現代のリベラル・アーツ(教養主義)にまで繋がることになっている。確かに本書に収められた諸論考はギリシア・ローマの古典からの引用に満ちている。特にキケロ、プルタルコス、クインティリアヌスからの引用は飽き飽きとするくらい大量だ。というか、教育に関する考え方そのものはクインティリアヌスからほとんど進歩していないようにすら見える。古代とルネサンスの距離は、論旨だけに注目すれば、極めて近い。つまりキリスト教による影響は目につかない。
 しかし一方、ルネサンス期教育論と近代的教育論との距離は、極めて遠いように思う。ルネサンスの教育論からは、ちっとも近代的な臭いがしない。体罰禁止という主張そのものには近代的な臭いを嗅ぎ取ることもできようが、禁止の根拠はまったく近代的ではない。ルネサンス期教育論と近代的教育論が似ていないと思うおそらく最も大きな原因は「雄弁術」の位置づけだろう。ルネサンス期ヒューマニストたちが雄弁術を最大限に称揚するのは、彼らの教育論の土台がクインティリアヌスにあるのだからまったく不思議ではないというか、当たり前ではある。しかし一方彼らが拝み奉る雄弁術なるものは、近代的教育論ではほぼ完全に抹殺されている。ルネサンス期人文主義を引き継いだとされる現代リベラル・アーツでも、雄弁術そのもののトレーニングなどしない。
 近代的な教育においては、任意のテーマについて雄弁に語るより、真実を見極めること(およびその手続き)の方が決定的に重要だ。もちろんそれはガリレオ、コペルニクス、ニュートン等による自然科学の仕事がベーコン、デカルト、カント等によって帰納的・論理的・理性的・科学的な思考法に定式化されて以降のことだ。現代のリベラル・アーツも、雄弁的な素養を身につけることよりも、論理的・理性的・科学的・批判的な思考を育むことを目指している。そういう近代的な観点からすると、自然科学革命以前のイタリア・ルネサンス期の教育論がやたらめったら雄弁術の重要性を前面に打ち出してくるのは、時代背景を踏まえれば理屈では分かるとしても、少なくともその雄弁術への情熱はどう頑張っても共有できない。近現代においては、雄弁術の教育的意義は地に落ちている(まあ福沢諭吉が「演説」の重要性を説いていたことは思い出しておいても損ではないか)。
 そして個人的な研究上の関心に焦点を絞ると、教育基本法第一条でいう「人格の完成」という旧制高等学校的観念が雄弁術とどういう関係にあるかが問題となる。言い換えれば、雄弁術の伝統がキケロ的古代からイタリア・ルネサンスを経て近代以降にどう引き継がれているか。あるいは仮説として、たとえば近代的合理主義の浄化作用によって「人格の完成」という古代的・ルネサンス的観念から雄弁術の伝統が漂白され、背景と文脈を失った単なる観念あるいは理念としてより純化した、と見なすべきか。ともかく、雄弁術がリアルに政治的・法的・文化的意味を担っていた時代(たとえばキケロ的古代)であれば具体的にイメージできただろう「人格の完成」というものは、近代合理主義を経て高度に抽象化してしまった結果、現代では内容を失ってただのお題目にしか聞こえない状況になっている。かつて「教養」と呼ばれていた何かが説得力を失っているのもそのせいかもしれない。
 ひるがえって。本書収録の諸論文は、科学革命以前(というか前夜)の、雄弁術がまだ大きな権威と説得力を維持していた段階における、具体的な「人格の完成」を当然の前提とするような教育論たちだ。現代的な「人格の完成」概念に至る道筋のヒントが何かないかと思って本書を手に取ったわけだが、結果として欲しかったもの(自分のストーリーに都合の良い言質)は手に入らなかった。というか、ますます混迷の度を深め、軽い眩暈に襲われているのであった。

【個人的な研究のための備忘録】個性
 欲しかったものの一つは「個性」という概念(の萌芽)だったが、「かけがえのない個人」というものを指し示すような言葉は皆無だった。モンテーニュの段階(16世紀後半のフランス)では明瞭に見いだせる「かけがえのない私」という観念は、15世紀イタリア・ルネサンスには見いだせない。むしろ14世紀ペトラルカのほうが近代的自我を彷彿とさせるくらいだ。まあ、「ルネサンス期にはかけがえのない私という個性観念は一般論としては成熟しなかった」と、しばらくはみなしておいていいのだろう。
 一方、「様々な特性を持った個体がある」という個性観念は極めて重要な論点として前面に打ち出されている。それは古代のクインティリアヌスにも明瞭に見られる考え方で、その論理をそのままそっくり引き継いだルネサンス期教育論が同じような見解を示しているのは当然と言えば当然ではある。まあ、まずは「様々な特性」という意味での個性観念がやたらめったら表明されていることは事実として押さえておく。(とはいえそれは西洋に特徴的な現象でもなく、東洋でも伊藤仁斎などが「性」概念を論究する際に盛んに主張していたことも忘れてはならない)。だから問題は、ここからどうやって近代的な「かけがえのない私」という個性観念に繋がるか、あるいは繋がらないかだ。具体的にはモンテーニュとの関係がポイントになるか。

「各人は生まれたときからその固有の才能をたいせつにしなければなりません。(中略)生来、生まれついているものがなんであるかを熱心に窮めることがすべての人にもっとも重要なこととなります。」(V.20頁)
「ある者にとっては、親たちの期待そのもの、あるいは幼児期からの習慣が障害となります。子どものころから慣れ親しんだことはおとなになってもたやすくおこないます。そして、そのゆえにこそ生み育ててくれた親たちの技術や職業を子どもはみずから選ぶのです。われわれの教育という仕事のもう一つの障害は、生まれた土地の流儀です。われわれは、そこで生活する人びとが承認し、おこなうことを純金の財宝でもあるかのように尊重するのです。そこで、人びとはその固有の人生の方向を選択することが、非常にむずかしくなっています。」(V.37-38頁)
「ところで、才能が多様な性質をもっていることは事実です。ある者は自分の思想を論証する論点と証明を、よういになにごとのなかにでも見いだします。ある者は、それとは反対に、そのようなことには時間をかけなければなりませんが、しかし判断においてはより深くかつすぐれております。(中略)また、ある者は才能にはめぐまれていながら、ことばがさわやかでないということもあります。(中略)ついで、抜群の記憶力をもった人びとがおります。」(V.53頁)
「思弁的で実務的な二重の才能にめぐまれている者は、いずれの方向に自分がより適しているかを各自が判断することによって、のぞましいとおもわれる学問研究に専念すべきです。ついで、才能のおとっている者、つまり法律用語でいう<土地につながれた者>は、普通にはなにごとにおいてもうまくいかないようにおもわれておりますが、しかしなにか一つのことで成功することを示しております。そして場合によってはかなりの力を発揮するものです。したがって当然のことではありますが、このような人びとは、彼らにもっともふさわしいある一つの教育に専念すべきです。」(V.54頁)
すべての学習者に画一的規則をもうけることはのぞましくないし、また各自が自分の能力の状態ならびにその程度を判断すべきであることをわたしはつけくわえたいとおもいます。」(V.57頁)

「父親は子どもたちに適したことをやらせて欲しいものです。「お前の性質や才能がお前をひき寄せるところに、熱心に従い、はげみなさい」と、キケロに答えたアポロンの神託をお聞きなさい」(A.101頁)
「彼等によって、息子たちがどんな修行や徳に向いているかということを知ることは、それほど困難なことではないでしょう。」(A.102頁)
「日々、子どもたちにどんな習慣が生じるか、どんな欲望が持続するか、彼らはどんなことにしばしば関心を示しているか、何に一番熱心なのか、そして、どんな悪い欲望にとらわれやすいかを、父親は注意深く観察して欲しいと思います。そうすれば、子どもたちの、多くの明瞭な特徴をひき出し、彼らを完全に認識することができるでしょう。」(A.103頁)
「子どもが生来の傾向を何がしか示しはじめる最初の日から、彼らがどんな性向を持っているかということにあなたは気がつくでしょう。」(A.104頁)
「父親は多くの場合、子どもがそれぞれ何にむいているか、かなりよく気がつくものです。」(A.105頁)
「私たちの子どもたちの漠然とした隠れた傾向に注意を払って認めた後で、天性にしたがって彼らがひかれていた傾向に反した、新しい他の道へ彼らを矯正し、導くことが、私たちにとって、非常に困難でほとんど不可能なことではないと思うのですか?」(A.122頁)
「多血質の人は憂うつ質のひとよりももちろん恋をしやすく、胆汁質の人は怒りっぽいということでもわかるように、本来、多かれ少なかれ人間の欲望には何らかの刺激が自然に付与されているということを、おそらく私は告白しなければならないでしょう。」(A.124頁)

天性は教育がなければ盲目であるように、教育は天性がなければ不具であります。両者とも訓練をしなければあまり役に立ちません。」(P.139頁)

【個人的な研究のための備忘録】習慣
 というわけで具体的な教育方法としては、特に幼少期は子どもの「個性」を見極めたうえで、悪い習慣を抑えて良い習慣を身につけさせることがポイントとなる。

「したがって、悪い習慣は大変ふさわしく、良く作られた天性をことごとく堕落させ、汚すと言うことができましょう。時を得た良い習慣は、理性的でない欲望や不備な理性をことごとく克服し、改めます。」(A.125頁)

 このあたりの理屈や筆運びはただちにジョン・ロックの教育論を想起させるところだ。自然科学革命を経た近代合理主義であっても、「習慣」という観念や教育上の意義について変更された気配は感じない。このあたりに「人格の完成」観念の連続性を考えるヒントがあったりするか。

【個人的な研究のための備忘録】体罰
 ちなみに体罰は徹底的に非難される。このルネサンスの伝統はエラスムスにまで引き継がれる。

殴打を用いるのではなく注意するべきです。たとえ、弟子を殴るのは許されることで、クリシップスがそれを非難しなかったとは言っても、そしてまた、「成人したアキレスが故郷の山で歌った時、彼はなお鞭をおそれていた」というユウェナリスの言葉がしばしば用いられても、私にとっては、クィンティリアヌスとプルタルコスの方がずっと重要であります。彼らによれば、子どもたちは、なぐったり、鞭をあてたりするのではなく、勧告や討論により、善い生活をするように導かなければなりません。殴打は奴隷にはよくても、自由人には適しません。」(P.141頁)
殴打からは憎悪が生まれ、おとなになっても残ります。学ぶ者にとっては教師に対する憎しみ以上に有害なものはありません。」(P.142頁)

 ただし、古代のクインティリアヌスが体罰を徹底的に非難しており、それを無批判に引き継いだルネサンス期教育論が体罰を否定するのも当然というところではある。ルネサンス期の具体的な状況から帰納的に体罰否定の論理が編み出されているわけではない印象だ。

【個人的な研究のための備忘録】自由諸学芸
 教育内容としては、もちろん自由諸学芸(人文主義)が全面的に推奨される。

「手職であれ商売であれ、あるいは財産の管理であれ、なりわいのもろもろのわざに専念している人びとは、自由学芸に没頭しながらもそれをいやしいなりわいにかえてしまっている人びとと同様に、実際にはすぐれた諸習慣とはまったく反対の事柄に専念しているのです。」(V.25頁)
「卑俗な諸技術がその目的としてかせぎを快楽とを目ざすように、徳と栄光とが自由諸学芸の目的となります。」(V.34頁)

 解説では以下のようになっている。

「これはヒューマニストたちの教育論の中心的テーマである。古典的人間教養研究Studia humanitatisは、完全で統合的な人間の形成をめざし、また人間を自由人とすることをめざす。Leonardo Bruniはhominem perficiunt(人間を完成する)という表現をしている。
 この定義については、セネカ、『書簡集』(Epistola 88, 2)参照。かれによれば「なぜ自由諸学芸とよばれるかといえば、それらが自由な人間にふさわしいものだからだ」。(Quare liberalia studia dicta sint, Vides: Quia honine libero digna sunt.)とされている。
 ヒューマニストたちが、自由諸学芸の教育的価値を重視していたことが注目されなければならない。それは、自由なる人間に装飾的なものとしてにつかわしいから、自由で人間的な学芸であるのではない。それが人間を人間たらしめ(古典的人間教養研究とよばれるのは人間を完成するからだ。Humanitatis studia nuncupantur quod hominem periciant.)、人間を形成し、光へみちびく古典文学lettereだからである。奴隷の状態から自由へといざなうのは古典文学研究によってである(人間を自由にするから、それゆえに自由なのである。idcirco est liberalis, quod liberos homines facit.)。」

 しかし率直に言って、現代的な感覚から言えば、「教養」なるものは単に「装飾的なもの」に過ぎず、それによって「人間を人間たらしめる」ようなものではない。おそらく、我々現代人には既に失われた何らかの前提を設定しなければ、自由諸学芸は「人間を完成する」ものにはならない。しかしその前提は、キケロを読んでもクインティリアヌスを読んでも、もちろんルネサンス期教育論にも見出すことはできない。その前提とは、たとえば奴隷の存在のようなものだ。ルネサンス期教育論は、学問を日常生活で役に立たせることを自由人に相応しくないことだと見なしている。日常生活に役に立たないことこそ人間を人間(自由人)たらしめる。そしてその具体的な内容は、政治や裁判の場で発揮される「雄弁」だ。政治や裁判の場で雄弁を発揮することだけが自由人(完成した人間)に相応しいと言われても、現代人にはもはや何のことやらサッパリだ。だから、現代においてリベラル・アーツなるものに権威と説得力を持たせようと思ったら、古代とルネサンスの遺産に頼るだけではうまくいかない。そんなわけで、古代とルネサンスで言われている「人間」とは、「奴隷」というものの存在を前提とすることで初めて理解できる概念だということを忘れてはいけないだろう。

【個人的な研究のための備忘録】大人と子どもの区別
 大人の嗜みとしては許されるが子どもからは遠ざけておくべきもの、という観念をいくつか見ることができた。

「舞踏や愛欲をテーマにした演劇から子どもを遠ざけておくことはのぞましいことです。」(V.28頁)
「子どもの時期には、特にブドー酒について子どもが節制するようにとわたくしは申しあげたいとおもいます。」(V.29頁)
「酒飲の傾向のある子どもほど不愉快なものはありません。」(P.147頁)

 淫猥な演劇やアルコールは子どもに相応しくないと見なされていて、「教育的配慮」の存在を確認できる。アリエスによればアンシャン・レジーム期にはなかった心性のはずだ。というわけで、アリエスが間違っていると見なすか、フランスがイタリアよりも2世紀ばかり田舎だと考えるか、というところだ。

【個人的な研究のための備忘録】歴史的背景
 解説の記述について考えてみたい。

「人間の個性ならびに能力の発達をうながす条件は、中世的秩序の崩壊にともなう不安定の意識の高まりにくわうるに都市生活そのものによっても準備されることになる。」(200頁)
「都市の独自の発展に由来する地方主義regionalismの伝統と意識は今日でも顕著にみられる。イタリア人としての民族的自覚よりもさきにナポリ人でありフィレンツェ人であるとする郷土意識は、都市的伝統にもとづくものだ。これは諸都市の独自性を前提とする意識であり、また都市内部においてはそれをささえ構成する市民たちの個性が尊重された。したがって文化的諸成果も市民による個性的能力のあかしとなるものであった。」(201-202頁)
「いじょうにみたようにルネサンス期イタリア都市はそこに展開される諸現実をその所与性、一面性においてうけいれるのでなく、むしろ現実との格闘をとおしてそれをつくりかえ、選択し、展望をきりひらくように、市民たちにせまったのである。そのような環境のもとで、市民たちはその運命にかかわる自己決定や独立独歩の精神を容赦なくせまられることとなり、それを主体的につちかわざるをえなかった。そしてその反映と興亡がそこで生活する市民たちの努力と資質にかかわる都市において、市民たちの多様な個性と諸能力が社会的に重視され、またその発達を可能とするような土壌の準備がなされたことはけだしとうぜんというべきであろう。」(202頁)
「ルネッサンス期も後半にいたるとペダントリーと古代作家の模倣の現象があらわれる。しかし、これはヒューマニズムの思想からすればあくまでも派生的現象であって、けっしてその本質ではない。その理想に個性的で創造的な、しかも実践的な人間の形成がかかげられるいじょう、模倣や衒学は自己撞着であり、その否定こそヒューマニズムのもとめてきたものだったからである。つまり、キケロを読むのは外面的にキケロに似ることのためではなく、自分自身のなかにキケロいじょうの個性と可能性とを発見することをめざしたからであった。」(205頁)

 都市国家形成を重要な契機と見る視点は教科書的な記述としては問題がないのだろうが、気になるのは古代との直接的な連続性である。たとえばピレンヌテーゼによれば西ヨーロッパがローマ文化を喪失したのは7世紀中盤のイスラムによる地中海封鎖によるが、イタリア半島だけはビザンツ帝国との繋がりを保ちながらローマ文化を一定程度保存できている。また12世紀シチリア王国がイスラムやビザンツとの交流の中で文化的に栄えていたこともよく知られている。だとしたら、イタリア・ルネサンスに見られる人文主義的伝統は、解説が言うような都市国家形成と市民階級の勃興を待つまでもなく、直接的にローマ帝国からの連続性を保っていたと考えることも可能だ。
 あるいは、人文主義が中世のスコラ学とも近代のサイエンスとも異なるユニークな教育論を持っていたことにも留意したほうがいいのだろう。たとえば日本で言う本居宣長の国学のようなものだと理解したらどうなるだろうか。本居宣長は市井の活動の中から中世の漢学とも近代の洋学とも異なる別のストーリを打ち立てた。一定の平和と安定と経済的余裕という前提の下、郷土的意識という土台に立ち、学問に対する熱意と情熱が既存の制度の外にユニークな学統を打ち立てた。そういう観点から言ってしまうと、人文主義と翻訳調で呼ぶより、イタリアで「ローマ学」が流行したと考える方が個人的には落ち着いたりする。

「これ[中世スコラ学]にたいして、ひとしく古代の著作をとりあげ過去にモデルをもとめながらも、非歴史的態度におちいることなくまさに歴史を動かす主体としての自覚から未来へ目をむけたのがヒューマニストたちである。この歴史における主人公としての意識から、古典研究は人間形成、つまり教育の問題としてとらえられることになった。」(204頁)
「基本テーマはあくまで人間形成の問題であり、とくに重要なのは教育における人間の多面的把握の必要の強調とその視点である。教育における人間の本来的自然の重要性が強調され、そこから出発して具体的な個々の子どもの個性と人間としての可能性との調和的均衡的な発達の人間形成にしめる役割がくりかえしのべられている。」(205頁)

 私の読解では、ルネサンス期教育論から「歴史における主人公の意識」を読み取ることはできない。確かに「具体的な個々の子供の個性」に対する関心は極めて高いのであるが、それが「教育における人間の多面的把握」かと言われると首を傾げざるを得ない。そう見えてしまうのは、私の勉強不足が原因なのかどうか。

アルベルティ他『イタリア・ルネサンス期教育論』前之園幸一郎・田辺敬子訳、明治図書世界教育学選集81、1975年