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【要約と感想】森安達也『東方キリスト教の世界』

【要約】カトリック(西方教会)とは異なる伝統や教義を持つ東方キリスト教について、巡礼・神秘思想・建築・イコン・儀礼・異端などを詳述しています。

【感想】御多分に漏れず、東方キリスト教と言えば私も馴染みがあるのはお茶の水にあるニコライ聖堂くらいで、西方から見た偏った知識しか持ち合わせていなかったわけだが、実際には東方キリスト教にもいろいろあることがよく分かった。勉強になった。印象に残るのは、神化を目指して山に籠もり修行に励む隠修士の姿だ。日本で言えば修験道の山伏のような感じか。
 印象としては、カトリックの方が弱者救済に焦点を当てる大乗的な姿勢を示すのに対し、東方教会は修道士などの個人的な修行による「神化」を目指す小乗的な傾向を示しているように思えた。カトリックがビザンツ的な文化を蔑むのは、大乗仏教の壮大な宇宙論を学んだ正統派僧侶が無学な修験道山伏のスピリチュアルな言動をバカにするのと似ているような感じがする。カトリックはイエス・キリストを人間には手の届かない絶対的な無限遠に置くが、東方キリスト教はお手本となる先達だとみなす。それは仏教でいえば、絶対に手の届かない「如来」と手の届く「菩薩」の違いに当たりそうだ。そして、14世紀ヨーロッパの神秘主義(主にエックハルトを想定)は、この東方キリスト教の修験道的な文化に影響を受けているのではないかとも思ったりした。
 で、「個」に関する思想史では、東方キリスト教の理論が「個の誕生」に極めて重要な役割を果たしたという研究があるが、だとしたら大乗仏教に対する小乗仏教の論理も同じような機能を果たすこともあるのではないかとも思ったりするわけだ。さてはて。

【個人的な研究のための備忘録】神化への傾向
 いわゆる「三位一体」論のうちの父と子についてはなんとなく分かるような気がするものの、日本人にとってまったく理解できないのは「精霊」というものの存在と意味と役割で、これまで私以外にも「精霊についてサッパリわからない」という言質をたくさん得てきたわけだが、本書でもは精霊の意味不明さの原因に触れている。

「精霊論は古代教会の時代に徹底的に議論されなかったつけが中世以降にもち越されたわけである。」30頁

 とはいえ、西方カトリックよりは東方キリスト教の方が精霊に対する理解と尊敬は深いようで、それが小乗的な「神化」の思想にも繋がってくるようだ。

「東方の修道士が厳しい修行と禁欲生活を身に課してひたすら求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであった。異端とされたキリスト単性論が東方であれほど根強く信奉された理由も、自己完成の目標ともいうべき模範、キリストに少しでも近づきたいとの願望からキリストの完全なる神性を特に重視したことに求められるであろう。」91頁

 このような「神化」への憧憬が、一般教養を旨とする学問の発達を阻害するのかもしれない。

「教育思想は意外に扱いにくい問題である。その理由はいくつか挙げられる。まずビザンツ帝国の教育の実態があまりわかっていない。首都コンスタンティノープルに大学と称すべき高等教育機関が存在したことは疑いないが、それに関する直接史料は現存しない。(中略)
 次に、ビザンツ文化は神秘思想家は多数生んだが、教育思想の面ですぐれた著作家を輩出していない。(中略)こうした著作家の作品分析を通じてビザンツ時代に特有の教育思想を抽出することは多大の困難を伴うし、またあまり意味がない。」72-73頁

 個人的な修行を通じての「神化」という傾向が東方キリスト教にあるという補助線を引くだけで、いろいろな事象がすっきり見えてきそうな気がするのだった。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスとの関連
 イタリア・ルネサンスを多面的に考える上でのヒントもあった。

「東方におけるラテン語の衰退は西方におけるギリシア語の忘却とほぼ軌を一にする。これは考えてみれば奇妙な現象である。ギリシア語にしろラテン語にしろ有力な文化的背景を持ち、通用語としての衰退は理解できるものの、政治と文化の領域においてはけっして無視しえない重要な言語のはずである。結局、ビザンツ文化そのものが本質的には内部に留まる、すなわち求心的なものであったからかもしれない。」77頁

 いや、本当に、「奇妙な現象」だ。地理的にもただアドリア海を挟んでいるだけなのに、どうしてカトリックとビザンツはこんなにも交流が絶たれたのか。あるいは両者の間に位置するヴェネツィアやナポリやシチリアが実は地政学的に何かしら決定的に重要な役割を果たしていたということか。

「ヘシュカスモスをめぐって教会が論争に明け暮れた十四世紀は、他方ではパライオロゴス朝ルネサンスの名で知られるヘレニズムへの回帰がおこった時代でもある。(中略)
 しかしパライオロゴス朝ルネサンスの灯が消えたわけではなかった。著名な異教的哲学者ゲミストス・ブレトンはフェララ・フィレンツェ公会議に参加したのちイタリアに留まり、フィレンツェのプラトン・アカデミアの創設に尽力した。ブレトンはイタリア・ルネサンスの展開に大きな足跡を残したわけである。」94-95頁

 ビザンツ帝国からイタリア・ルネサンスへの影響は各所で語られているが、実は具体的に詳しい実相はさほど詳らかになっていないように思う。

【個人的な研究のための備忘録】近代以降の東欧の教育
 スラヴの教育に関わって気になる記述があった。

「オストロクスキ公は、イエズス会の教育活動をまのあたりにして、正教徒の教育の必要を痛感し、教会スラヴ語の聖書(いわゆるゲンナディイの聖書)を刊行するほか、1580年にはオストルクに正教徒のための最初のコレギウム(神学校だが一般教育をも行った)を開設した。」233-234頁
「そこで信徒団に学校開設の許可をあたえ、出版事業のためにイヴァン・フョードロフの印刷機を買わせた。」234頁

 オストロクスキ公とは、キーフ付近と西ウクライナ・リトアニアに領地を持った大貴族だ。もちろん教育学者として気になるのは、この時期の直後にヨーロッパ全域で活躍することになるモラヴィア(現在のチェコ)出身の教育学者コメニウスとの関係だ。コメニウスは薔薇十字団と関連があると指摘されているし、ポーランドのソッツィーニ派からの影響も気になるが、コメニウスの「光」への極度のこだわりなども鑑みて、彼のキリスト教はプロテスタント的に理解するよりも、東方キリスト教の文脈で理解する方が分かりやすくなるかもしれないと思った。

森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫、2022年

【要約と感想】ペトラルカ『ルネサンス書簡集』

【要約】若いころは愛と理想と名誉のために情熱を燃やしたし、祖国復興のために熱弁を振るったり、古典文学復興のために努力を重ねたりもしたけれど、歳をとってきたら落ち着いてきて、しみじみとキリストの愛に感じ入るようになりました。

【感想】訳文の妙もあるのかもしれないけれど、さすが人文主義者の先駆けとの誉れも高いペトラルカだけあって、近代的な感性に溢れているように思えた。特に自意識のあり方には、確かに中世を抜け出しているような印象を持つ。
 個人的に極めて面白かったのは、キケローに宛てた手紙だ。キケローの作品そのものしか知らなかった時はとても尊敬していたけれど、実際の人となりを知って幻滅した、という内容だ。実は私もまったく同じ感想を持っていた(参考:『キケロー書簡集』)。キケロー、言っていることは立派なのだが、やっていることは下衆の極み。そしてペトラルカが尊敬するアウグスティヌスも、キケローに対して似たような感想を抱いていたりする。まあ、おそらく時と場所の違いを超えて、誰もが同じような印象を抱くのだろう。
 そしてキケロー(あるいはローマ的伝統)に幻滅したペトラルカがアウグスティヌス(あるいはキリスト教的伝統)に心酔していくのも、興味深い。近代哲学の祖と言われるデカルトに先行する自我の論理をアウグスティヌスが示していたりもするが、ルネサンス人文主義の祖とみなされるペトラルカに先行するのも「自分の心」に沈潜したアウグスティヌスだ。西洋の考え方の大枠を形づくったのはアウグスティヌスと言われることもあるが、まあ宜なるかな、だ。思い返せば、アウグスティヌス自身が、ギリシャ・ローマ的伝統(あるいは合理性先行)からキリスト教(あるいは不合理・神秘先行)に転向した経歴を持つ。ペトラルカの生き方自体がアウグスティヌスの伝統を繰り返していると考えてもいいのかもしれない。改めて、アウグスティヌスは侮れないとの感を強くしたのだった。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンスとヒューマニズム
 解説のところで、さすがにルネサンスとヒューマニズムについて言及している。

「さて、いわゆるルネサンスヒューマニズム運動(人文主義運動)とともにはじまるが、この運動にペトラルカのはたした役割は絶大であった。かれの生涯は、ほとんどそのまま、ヒューマニズムの形成・成立の過程にほかならなかった。ところでヒューマニズムは、まず広義の文学研究、なかんずく詩や歴史や修辞学の研究とむすびついておこる。要するに、中世以来の修辞学的伝統を母体として、その自己更新運動としておこり発展したのである。だがこの運動は、けっして審美的次元のそれにとどまりはしなかった。むしろ、すぐれた文学にそなわる偉大な人間形成の働き、つまり「雄弁」に注目し、これを人間とその生に役だてようとする根強い実践的要求に突きうごかされていたのである。」17頁

 実は個人的に未だによく分からないのは、西洋的伝統において「雄弁」が担ってきた意味だ。形式的に言えば、古代ローマから論理学的な「弁証」に対して実践的な「雄弁」が対置され、ギリシャでは弁証が重んじられたのに対し、ローマでは実践的な雄弁が重んじられたことになっている。実際、キケローは「雄弁」を重んじる著作を残し、自らも実践している。ペトラルカもその伝統にのっとって、キケローに心酔し、スコラ的論理学に対して雄弁の価値を強調している。その後のイタリア・ルネサンスでも、アカデミズムのスコラ的な弁証に対して雄弁を重んじる議論が繰り返される。という事情は一通り知っているのだが、その意味が個人的にはピンとこない。
 現代的な文脈に当てはめて、大学アカデミズムのお固い論文(これがスコラ学に当たる)に対し、民間商業ルートに乗るジャーナリズム(これが雄弁にあたる)のようなものをイメージしていいのかどうか。

【今後の研究のための備忘録】アウグスティヌスとキケロ
 まあギリシャ語が読めないのでギリシャ教父ではなくラテン教父の方に傾くのは自然ではあるが、それにしてもペトラルカのアウグスティヌスに対する入れ込みようは相当のものだ。

「私のアウグスティヌスは、あなたのヒエロニムスのように、夢のなかで永遠なる裁きの庭にひきだされたこともなければ、自分をキケロの徒と呼んで責める声を聞いたこともないのです。ところがヒエロニムスは、ご存じのように、そのような声を聞き、もはや異教徒の著作にはいっさい触れないと誓って、あらゆる異教作家とくにキケロから懸命に遠ざかりました。しかしアウグスティヌスは、なんら夢などで禁止されることなく、かれら異教徒の書物を親しく利用しつづけて恥じなかったのです。そればかりではありません。かれが率直に告白しているところによりますと、プラトン派の書物のうちにわれわれの信仰の大部分を見いだしたのであり、『ホルテンシウス』とよばれるキケロの書により驚くべき転換をなし、あらゆる偽りの希望や相争う諸学派の無益な論争からひきはなされて、唯一なる心理の探究へと向かったのです。」87-88頁

 この時点では、ペトラルカはキケロを通じてアウグスティヌスへの親愛の情を深めているようだ。だがこの後、キケロに対して幻滅する事件が起こる。

訳者解説「この発見によってペトラルカは、キケロという人物の未知の一面を知ることができた。キケロの哲学書や弁論(演説)からはうかがいえないような、弱点や矛盾をそなえた一個の人間の姿が浮かび出てきたのである。ことに、政治的行動におけるキケロの首尾一貫性のなさは、あわれみの情をそそるほどであった。」143頁

 そしてこのキケローに対するペトラルカの批判のあり方が、実に多面的というか、人間味溢れるというか、まあ、味わい深い。キケローが単なるキャラクターではなく、個性を持った一人の人間として浮かび上がるような味わい深い文章になっている。こういう、ダンテ『神曲』(特に地獄篇)にも共通するような、身分とか役割に還元しつくされない「多面的な人間」の表現こそが、おそらく「もっと人間らしい」教養のあり方を求めて中世を超えたルネサンスの神髄というものなのだろう。

ペトラルカ『ルネサンス書簡集』近藤恒一編訳、1989年、岩波書店

【要約と感想】イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』

【要約】考えるな、感じるんだ!

【感想】読んで知識を蓄えるタイプの本ではなく、修行を実践するための指南書だ。頭で理解するのではなく、行動と実践を通じて「体験」しなければ、本書に書いてあることは何の意味も持たない。だから、修行も体験もしなかったし、最初からするつもりもなく、おそらく今後もしないであろう私にとっては、ほぼ無意味な読書ではあった。まあ、私にとって無意味であることを知っただけでも意味があるのかもしれない。他の誰かにとって有意義であればいいのだ。他の誰かにとって無意味だと主張するつもりは、まったくない。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンスと人文主義
 ロヨラの本文ではなく、解説のところで、ルネサンスと人文主義に関する言及があった。が、その記述には疑問なしとしない。

「パリ大学で学んだことはイグナチオに多くのことを教えた。まず第一に、ルネサンス・人文主義を学び、ルネサンスの最初のヒューマニストと見なされるようになった。」36頁

 わたしの知識の範囲だと、ルネサンス最初のヒューマニストと呼ばれるべき人物はペトラルカだし、百歩譲って「ヒューマニスト」という言葉にケチをつけて範囲を絞るとしても、他にエラスムスやトマス・モアなど候補はいくらでも挙げられる。本書がどういう観点からどういう意図でロヨラを「ルネサンス最初のヒューマニスト」と言うのか、よく分からない。
 で、ここに続く文章は、教育史的に考慮すべき材料を多く含んでいるのでサンプリングしておく。

「というのは、イエズス会を創立し、若い会員を養成するとき、ラテン語・ギリシャ語とギリシャ・ローマの文学の徹底的な勉学を義務づけ、その上で哲学・神学の研究をさせるようになったからだ。その後、イエズス会のコレジウムが全ヨーロッパに拡がり、この教育方針が受け継がれ(一六世紀には二百校を数えた。その中の一つ、ラフレーシュ王立コレジウムから近代哲学の祖デカルトが生まれた)、西洋近代教育史に絶大な影響を与え、西洋文化にヒューマニズムの伝統を築き上げる上に大きな影響を与えた。」36頁

 イエズス会が近代に続く学校制度の源流の一つであろうことまでは否定しない。ヒューマニズムの伝統を築き上げる上で影響を与えたこともある程度は事実だろう。だがしかし、たとえば同時代のエラスムスと比較した時、どうなのか。最終的には徹底的に宗教的修行と神秘的体験を重んじて「考える」ことを相対的に低く置いたイエズス会の理念と、とにかく「考える」ことを中心に丁寧なテキストクリティークを積み重ねていったエラスムスなど人文主義者の活動では、どちらがヒューマニズムの伝統の中核に位置付くのか。ロヨラやイエズス会が仮にヒューマニズムの時代的雰囲気に棹さしていたとしても、本質はまったく別のものではないのか。

「「霊操を授ける人」から「霊操を受ける人」へ神体験が伝えられ、霊的伝承がイグナチオから現代にまで継承され続けている。それがキリスト教の本質を形成する上の根幹となっているだけでなく、この霊的伝承から近代教育が生まれ、西洋文化全体を活性化させている。」41頁

 教育学者から見れば、筆が滑っているように見える記述である。確かにロヨラの活動の一端は近代教育に繋がるのだろうとしても、いやいや、他にもっと源流として重要な要素がいくらでもある。
 あるいは、そもそも、「キリスト教の本質を形成する上の根幹」というところが、意味が分からない。例えばアウグスティヌスから見たら、ロヨラの考え方はペラギウス的異端に似ていたりしないか。実際、ヒューマニズム的感性からキリスト教の本質に迫ろうとしたエラスムスの試みは、カトリックからもルター派からも異端の疑いを受けた。だとしたら、著者が言うようにロヨラが「ルネサンス最初のヒューマニスト」とすれば、異端へ転がり落ちるのは容易だ。実際、自らの意志による修行で神に近づけるという傾向を持つビザンツ的な修道士たちは、ペラギウスがアウグスティヌスから批判されたのと同様に、カトリックから何度も異端の烙印を押されている。ロヨラのように自らの修行で神的体験を得ようという傾向は、「キリスト教の本質」から言えば極めて危険な考え方ではないだろうか。
 解説者は「禅宗の師資相承による法灯伝統とそれによる日本文化への影響を考えれば、日本の読者にはわかり易いかも知れない」(41頁)と畳みかけるが、それこそビザンツ(東方)的な小乗の感性に近いということであって、カトリック(西方)的な大乗の本質からすれば危険であることの証拠に過ぎない。キリスト教の本質とは、貧しく、弱く、醜いものにこそ神への道が開かれているという考え方ではなかったか。厳しい修行を経なければキリスト教の本質に近づけないという「強者」の発想は、キリスト教の土台を掘り崩すものではないのか。

 とはいえ、アウグスティヌスに非難されたペラギウスが極めて高潔な人物で、カトリックから異端の烙印を押されたネストリウスが人望厚い立派な人物であったのと同様、仮にロヨラの思想と活動がカトリックから見てどうだったとしても、立派な人物だったであろうことには変わりない。ただそれが「キリスト教の本質」とか「ルネサンス最初のヒューマニスト」だったかと聞かれると、それはさすがに怪しいですよね、となるだけの話だ。

イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』門脇佳吉訳・解説、1995年、岩波文庫

【要約と感想】マキアヴェッリ『フィレンツェ史』

【要約】イタリア半島の都市国家フィレンツェの、ローマ帝国滅亡(5世紀)から1492年までの歴史を描きました。フィレンツェ以外のイタリア半島の諸勢力(特にミラノ公国、ナポリ王国、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ローマ教皇)の動向にも目を配りつつ、フィレンツェ内の党派争いを詳述しているのが類書と異なる著しい特徴です。

【感想】ところどころにマキアヴェッリ節(目的のためなら手段は選ばない)が垣間見えて、単純に読み物としても面白い。ただ、訳者によるツッコミを見ると、単なる事実誤認もかなりあるようで、そのまま歴史的事実として受け取るのには気をつけた方がよさそうだ。

 歴史的に事実かどうかはともかく、面白く読めるのが、市内の党派争いに勝つためなら市外の敵と組むことも厭わない事件が連発する、一般的に言われる「内憂と外患が連動する」というメカニズムがよく分かるような、フィレンツェ市内の党派争いの醜さだ。まさに「目的のためなら手段は選ばない」というマキアヴェッリ理念を体現したような醜さで、しかも前書きから察するに、マキアヴェッリは意図的にこの醜さを強調するように全体を構成している。自身が権力闘争の渦中にいたマキアヴェッリとしても、度しがたい連中だと心底苦々しく思っていたのだろう。
 そして本書を踏まえると、『君主論』や『ディスコルシ』の表現の背後にあるものもなんとなく見えてくるような気がするのだった。

【今後の研究のための備忘録】有機体論
 都市を一つの「人体」に喩えている議論をサンプリングしておく。

「祖国に対して武器を取るのを、どんな理由からであれ、非難する者はいないでしょう。なぜなら、都市はいろいろな部分からなるとはいえ、一個の人体に似ているからです。都市には、鉄と火なしには治せない病いが幾度も生じますが、都市にたいへん不幸な事態が多発して鉄が必要になった際、祖国に忠実な善人が都市を治療せずに放置するとしたら、その人は間違っているのです。こういうわけですから、共和国という一個の人体にとって、隷属よりも重い病いなどありうるでしょうか?」第5巻第8章

 都市国家(ポリス)を一つの人体に喩えるのは、もちろんプラトン『国家』の伝統を踏まえたものであり、その観点から言えば極めて人文主義的な議論ではある。が、これがフィレンツェ自体を攻撃することを正当化するレトリックに使われているのが、なんともいやはやな議論だ。

【今後の研究のための備忘録】ペトラルカ
 ペトラルカは、もちろん教科書的にはイタリア人文主義の嚆矢と位置付けられる詩人であり、マキアヴェッリを200年遡る人物だ。マキアヴェッリがペトラルカに触れているところはサンプリングしておく。

「彼に期待を抱かせたのは、とりわけ「この手足を支配する崇高な精神」で始まる、ペトラルカの詩の数行であった。詩人はこう歌う。
 タルペイアの丘の上で、歌よ、汝は出会うであろう
 全イタリアが讃える一人の騎士
 わが身よりも他人の身を案じる者に
 ステファーノ殿は、詩人たちが神々しい予言者の精神にしばしば満たされるのを知っていた。だから、ペトラルカがこの歌の中で予言したことを何としても実現しなければならない、そしてそのような栄光に満ちた事業を成し遂げるべき者は自分である、と思ったのである。」第6巻第29章

 ペトラルカは古代ローマ賛美を通じてイタリア・ナショナリズムを浮上させたと見なされている。それが近代的なナショナリズムとどれくらい同じでどれくらい隔たっているかは丁寧に検討する必要があるが、この引用箇所でマキアヴェッリはペトラルカをイタリア・ナショナリズムを体現する詩人として扱っている。日本で言えば頼山陽の日本外史が幕末の志士たちを鼓舞したのと似た現象なのだろう。

【今後の研究のための備忘録】フィレンツェの人文主義
 コジモ・メディチがフィレンツェの人文主義を保護した記述をサンプリングしておく。

「コジモは、さらに文人を愛し、賞讃した。そこで彼は、ギリシア生まれで当時最高の教養人であったアルギュロプロスをフィレンツェに招聘したが、それは、フィレンツェの若者がこの人からギリシア語やそのほかの学識を習得できるようにするためであった。プラトン哲学の第二の父であり、彼が熱愛したマルシリオ・フィチーノの生活の面倒を自宅でみた。そして、マルシリオがより快適に学問の研究に打ち込めるように、またより気楽に使うことができるように、カレッジの別荘近くの土地と家屋を贈った。」第7巻第6章

 ここにフィチーノの名前が挙がり、「プラトン哲学の第二の父」と言われていることは気に留めておきたい。

【今後の研究のための備忘録】ひろゆき
 ひろゆきがもてはやされる風潮が分析されていた。

「多くの場合は平和なときに生じがちな災厄が、この都市に起きた。というのは、通常よりも束縛のなくなった若者たちが、衣服や宴会やそのほかの同様な放縦に常軌を逸した浪費をおこない、暇をもて余しては賭け事や女に時間と資産を空費したからである。かれらの努力は、華麗な衣服や、利口ぶった抜け目ない話しぶりをみにつけることにあった。他人をうまくへこますことのできる者が、より利巧とされたし、より高く評価された。」第7巻第28章

 人間の性は、洋の東西や歴史の違いに関わらず、そんなに変わらないということか。

【今後の研究のための備忘録】印刷術
 印刷術が宣伝合戦に活用された事例が記述されていた。

「教皇は狼であって羊飼いではないことが明らかになったので、在任として貪り食われてしまわないように、ありとあらゆる手段を使って自分たちの大義を正当化し、自分たちの国家に対して為された背信行為をイタリア全体に周知させた。」第8巻第11章

 ここに「フィレンツェ人は、モンテセッコの告白録を導入されたばかりの活版印刷によって刊行し、ここに正真正銘の文書合戦が始まった」と註が付されている。これが1478年のこと。グーテンベルク活版印刷の発明が1450年頃のこととされているので、本当だとしたらまさに直後の出来事だ。活版印刷を使用したプロパガンダ合戦はルター以後の宗教改革の事例がよく知られているが、これはもちろん1517年以降のことになる。宗教改革プロパガンダよりも40年早くイタリアの勢力争いで活版印刷が利用されていたことは気に留めておきたい。

マキアヴェッリ『フィレンツェ史』(上)齊藤寛海訳、岩波文庫、2012年
マキアヴェッリ『フィレンツェ史』(下)齊藤寛海訳、岩波文庫、2012年

【要約と感想】ロレンツォ・ヴァッラ『快楽について』

【要約】ストア派「人間にとって最大の善とは高潔の徳ですが、人間本性は邪悪で、自然も悪意に満ちていて、高潔の徳には辿り着きません。」
エピクロス派「高潔の徳などというものは存在せず、人間にとっての善は快楽のみです。自然は五感を通じて我々を楽しませる美しい物で満ちています。」
キリスト教修道士「確かに人間にとっての善は快楽ですが、現世の快楽は人間を堕落させる邪悪なものなのに対し、天上の快楽は至高の神の愛です。」

【感想】様々に多様な読み方ができる本なのだろうが、個人的な関心から言えば、「自然」に対する新しい感性・態度が生じているところをまず味わいたい。ストア派は自然を人間本性に敵対し堕落させるものと理解する一方、エピクロス派は自然を人間本性に調和し恵みをもたらすものと理解する。ストア派とエピクロス派の違いは、表面的には本書タイトルのように「快楽」に対する態度として表出するわけだが、その根底には「自然」に対する考え方と姿勢の決定的な違いがある。逆に言えば、「自然」に対する態度の違いを考慮に入れずに表面的な「快楽」への態度だけあげつらっても、意味がない。このあたり、amazonレビューを見ると皮相な読み方をしている人が多いような印象を持つ。
 ただし、著者のヴァッラはストア派に対してもエピクロス派に対しても正確な理解をしていないように思える。本来のストア派(セネカやエピクテトス)が自然をそんなに単純に人間本性に敵対するものと考えているわけがないし、エピクロス派(アリスティッポスやルクレーティウス)が無条件に自然を人間性に調和するものと考えているわけでもない。だから本書で描写されるストア派やエピクロス派の主張をオリジナルの姿と理解するのは極めて危険だ。「自然」に対する二つの極端な態度を擬人化した上で、ストア派とエピクロス派に配したものと理解して読み進めるのがいいのだろう。
 無論、ヴァッラの無理解をヴァッラ個人の資質に帰してもならない。むしろ、その無理解の有り様こそがルネサンス期の知性が何に関心を持ち、何を新しく生み出したかを浮き彫りにする。本書で言えば、中世にはありえなかった「自然」に対する態度の有り様が決定的に重要なように思える。そして中世の自然観とは、本書では3人目のキリスト教主義者が言う「天のしくみ全体も世界内の万物も、すべて人間個々人のために造り出されたと考えるべきです。」(400頁)という言葉に端的に表れているような、目的論的自然観だ。一方、ヴァッラが描くストア派もエピクロス派も、こういう目的論的自然観から遊離している。敵対的と見るか親和的と見るかの違いはあるが、人間(あるいは神)とは切り離されて独立した外部的な環境と捉える点では共通している。そして中世的な目的論的世界観では、人間存在は完全に自然(あるいは神)の位階秩序の中に組み入れられているため、自由意思に基づいた「徳」なるものを考慮する余地は出てこない。一方、人間を自然(あるいは神)から切り離すと、襲い掛かってくる災害と理解するとしても逆に利用可能な資源と理解するにしても、問題の焦点は自由意思に基づいた「徳」へと移行する。だからヴァッラの描くストア派とエピクロス派は、表面上は「徳」(あるいは快楽)に対する考え方が相反しているとしても、実質的には共犯者だ。カトリック正統派の「恩寵」概念から見たら、両者とも許容することのできない異教・異端だ。だから本書でも、キリスト教修道士はストア派・エピクロス派共に切って捨てることとなる。まっとうなカトリック的見解である。またあるいは、キリスト教にとっては、人間の自由意思で「徳」(あるいは「善」)を形成できるという考え方(ストア派)の方が危険だ。キリスト教によれば、「徳」「善」とはすべて神に由来して、人間の自由意思が関与できないものだ。(このあたりは100年後にエラスムスの自由意思論とルターの奴隷意思論で激しい論戦が行われることになる)。だから本書でも、キリスト教修道士はストア派よりもエピクロス派の方を好ましく思っている。エピクロス派は自然本性に従うことを尊び、自由意思で「徳」を形成しようとはしないからだ。しかしもちろん、カトリックの目的論的自然観とエピクロス派の機械的自然観は、根本的になにもかも違っている。ガリレオやデカルトにつながるのは、もちろんエピクロス派の機械的自然観だ。
 で、このヴァッラの本が思想史的に重要なのは、近世以降の機械的自然観に連なるエピクロス派の自然観が、ルクレーティウスなどキーパーソンの名前も挙げながら、前面に表れているところにある。単に「快楽」を主張していることに意味があるのではない。その背後にある機械的自然観の表出こそが重要なのだ。そしてこの機械的自然観は、単にガリレオやデカルトなどの自然科学の発展の背景をなすだけでなく(いや、これだけでもものすごいことだが)、社会契約論のような「人間社会の在り方も機械的に構成できる」という発想をも醸成していく。これは14世紀のペトラルカやダンテのような人文主義者にはまったく見当たらない、15世紀の人文学者の特徴だ。そしてこれは「ルネサンス」という概念そのものを考える上で、極めて重要な観点となる。

 さて、ここまでの理解を踏まえて、ヴァッラの思想に関する論争に対し、個人的な意見を記す。論争点は、ヴァッラの目的は現世的快楽を肯定するところにあってカトリック的な言辞はアリバイに過ぎないと見るか、あるいは本心からカトリックの教義を信じているのか、というところにある。個人的には、本心からカトリックの教義を信じていると主張したい。根拠は、教父的古代からカトリックが直面してきた最大の論理的課題がペラギウス派への対処だった、というところにある。ペラギウス派の特徴は、人間の自由意思を重視し、自ら「徳」を形成する努力を促すところにある。これを古代最大の教父アウグスティヌスは「恩寵」の立場から徹底的に批判した。アウグスティヌスによれば、人間の自由意思など神の恩寵の前では塵芥ほどの価値すら持たず、人間が「善」であり得るのはもっぱら神の恩寵による。そしてこのアウグスティヌスの恩寵主義がカトリックの公式教義となる。しかしアウグスティヌスが徹底批判したペラギウス派異端は、何度も何度も甦る。分かりやすいからだ。しかしそれはカトリックにとって最大の躓きの石でもある。だから徹底的に自由意思を主張する考えは挫かねばならない。アウグスティヌスもルターも徹底的に自由意思を叩いた。ヴァッラの同時代であればトマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』のような無知礼賛という形にもなるだろう。そういう文脈を踏まえておくと、本書は一風変わった形ではあるが、やはり自由意思を徹底的に叩いている。「快楽」の賛美も、自由意思(本書の言葉で言えば「善」)の否定という観点から首尾一貫している。ということで、私の個人的な感想では、ヴァッラはカトリック正統思想の擁護を企図し、具体的には人間の自由意思を挫くためにエピクロスの援用が有効だと考えた、ということになる。

【個人的な研究のための備忘録】子ども観
 子どもに関する言及があったのでサンプリングしておく。

ストア派「じっさい子どもたちは、幼年のころからすぐに見られることですが、栄誉や高潔へと自分を高めるよりもむしろ美食や遊びや享楽に流れ、叱正をきらい、へつらいを好み、教訓を避け、放縦を求めます。かれらに良風美俗を教えこむにはどれほど骨が折れるかについては黙っておきます。」39-40頁
修道士「きみによれば子どもは食い意地や遊びや娯楽などの悪徳に従順ですが、その子どもたちにしても悪によって誘導されているのではありません。かれらが理解できる身体的善を求めているので、これはかれらにあっては悪徳とはみなされないのです。かれらは自分たちの理解しない栄誉や高潔の徳をすぐには追い求めません。追い求めるようにあまり急きたてるべきでもありません。きずつきやすい年少のことですから、疲れはて憔悴することのないようにすべきです。これは粗野な農夫でも知っていることです。農夫は、やわらかい小枝にも鎌をあてるべきだとは考えません。なぜなら若枝は鉄製の鎌をおそれていて、まだ傷跡には耐えがたい、そんなふうに見えるからです。それに子どもたちは、日々正しく教育されると、賞賛すべきものを愛するようになり、年とともに子どもっぽい情念を捨てていきます。」347頁
修道士「ぼくは子どものことに言及しました。ぼくらは子どものころ、たくさんのことを楽しんでいましたが、いまもそれらの楽しみにふけることは、楽しくないばかりか恥ずかしいでしょう。たしかにぼくらは、いまなお半ば子どもであって、こうした遊びの魅力に捕らえられていますが、しかし今はまだ子どもっぽくても、やがてはほうとうに賢明になったとき、やはりこうした遊びの魅力に捕らえられているべきだと思うでしょうか。ただし、ぼくらが精神的に異常で子ども以上に子どもであって、将来の知恵にたいする願望に導かれず、天上においても愚かに生きることをえらび、愚かさにこそ最高の愉楽があるかのように思うなら、そのかぎりではありません。」430頁

 ストア派の意見はまさに伊武雅刀の「わたしは子どもが嫌いだ」のようで、子どもを単に未成熟な存在とみなしているだけだが、いっぽう修道士のほうは子ども期の固有性を見出している。この子ども期の固有性についての見解には、そうとうの注意を払っておきたい。とはいえ、発達論的に子ども期を大切にしようという発想はまだ見えない。

【個人的な研究のための備忘録】学校と教師
 当時の学校や教師に関して言及された文章をサンプリングしておく。

ストア派「あなたはおそらく、われわれを子どものように鞭で従わせようとのぞんでいるのでしょうか。別の道をとるべきです! この残酷な道は子どもにもふさわしくありません。なぜなら、ことばによる叱責によって学習へ導かれない者は、鞭による叱正によっても導かれはしないでしょう。」47頁

修道士「しかし神は、それでも忠告することをお止めになりません。懇望し、叱責し、希望と恐れを教え示してくださいます。それも学校教師のようにではありません。つまり子どもたちに読み書きを教えこみ、教えるとき罰したり励ましたりする、そのような学校教師のようにではなく、まるで父親のように、です。自分の子どもたちといっそう親密なかかわりをもつ父親のように。」401頁

 当時の体罰上等な学校の在り方がうかがえる一文だが、体罰の効果を否定しているのは注目をひく。また「学校教師」と「父親」を対比的に理解し、教師の方が単なる学習を担当しているのに対し、父親の方が「親密なかかわり」を担っていると言っているところにも注目しておく。

【個人的な研究のための備忘録】処女
 快楽論の中で「処女」についても言及されている。処女に注目するのは、14世紀のボッカッチョがまったく処女性を重視しているように見えないのが、単にボッカッチョの個人的資質に由来するのか、あるいはイタリア・ルネサンス期に広くみられる態度かを判断する材料にしたいからだ。

ストア派「われわれはなぜ、貞婦や生娘や修道女や貴婦人を凌辱すると、これほど喜びをおぼえるのでしょうか。われわれは彼女たちをたらしこんで淫らな行為をすると、娼婦や性悪女や淫婦や下女たちとそうする場合よりも(たとえ彼女たちが美女であっても)もっと情欲に燃えやすいのはなぜでしょうか。(中略)かれが欲したのは罪を犯すことそのこと、また高潔なものをけがすことにほかなりません。」41頁

エピクロス派「処女の修道女を最初に考え出した人は、にくむべき風習を国に持ちこんだのです。こんな風習は地の果てにいたるまで地上から抹殺すべきです。」129頁

 ここからは、少なくとも15世紀イタリアでは処女に高い価値を置いていたと判断するしかない。

【個人的な研究のための備忘録】人間の尊厳
 「人間の尊厳」について言及された文章をサンプリングする。

修道士「そしてきみが高潔を唯一の善としたのは、それが唯一の善だからではなく、それだけが人間の尊厳にかかわるからで、ほかの善は人間ばかりか獣にも固有のものであるようにみえると考えたのです。」345頁

 「人間の尊厳」という言葉に注目するのは、もちろんこれが15世紀イタリア・ルネサンスを象徴する言葉だと考えられている一方、最新の研究では疑義も呈されている、論争的な言葉だからだ。この引用文でも「人間の尊厳」という言葉の具体的な意味内容は必ずしも明確ではない。今後の研究のための材料としてキープしておきたい。

ロレンツォ・ヴァッラ『快楽について』近藤恒一訳、岩波書店、2014年