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【要約と感想】清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』

【要約】本書で言う「中世」とは12~15世紀の盛期中世を指し、「イタリアの都市」とは主にヴェネチア・ジェノヴァ・ピサなどの港湾商業都市を指し、ローマやミラノなど古くからの政治都市は対象としていません。
 これまでの都市研究は、フランドルや北ドイツの都市については近代的市民社会に直結する重要な役割を果たしたと評価する一方、イタリア諸都市については豪族・領主層や特権階級の影響力が大きいとみなされ、軽んじられていました。しかしイタリア諸都市の公証人の活動や都市周辺農村との関係を具体的に調べてみると、北欧と南欧の違いは明確には認められません。

【図らずも知った知識】1492年以降大航海時代の新航路開拓によって東南アジアからヨーロッパに香辛料が直接運ばれるようになり、一般的には地中海貿易は衰退したとイメージされているが、実際にはインド→イスラム→イタリアの交易ルートはしぶとく生き残り、そんなにすぐには衰退していない。

【感想】関心があったのは、フィレンツェなど北イタリア諸都市でどうして「ルネサンス」が盛り上がったかということで、本書はまさにその時代をドンピシャで対象にしているにも関わらず、ルネサンスについてはほとんど語っていない。まあ、ちゃんとした西洋史学とはそういうものなのだろう。
 とはいえ、関心に直接応えてくれる記述がたくさんあった。ダンテとかペトラルカとかボッカッチョなどが俗語(トスカーナ語)による文筆活動を成立させるためには、どうしても背後に広範な識字階層が必要になる。読者が存在していないところで、執筆ができるわけがない。で、フィレンツェにおける識字階層は、単純に考えれば、ヨーロッパを股にかけて活動していた商人たちとしか思えない。当時一般的に識字力があったのはキリスト教のお坊さんたちくらいなものだが、彼らはラテン語を用いて俗語は扱わないはずだし、ダンテやボッカッチョのようなキリスト教を批判したり揶揄したりする本を好んで読むとも思えない。ダンテやボッカッチョの読者は、商人たちだったと考えてよいと思う。で、本書はその仮説を傍証してくれるように、フィレンツェにおいて多くの公証人が活動していたことを記している。インドからの香辛料貿易や、イングランドに至るまでの羊毛・毛織物貿易を行うとなれば、どうしても記録類の作成や情報の伝達と共有のために文字を使いこなす必要がある。公証人が作成した公文書には保存義務があって後世まで残りやすく、かつての商業活動に際して文字がどのように活用されたか、一端を垣間見せてくれるわけだ。

【研究のための備忘録】教育
 で、教育に関して直接言及があったのでメモしておく。

「十三世紀から十四世紀にかけて公証人層の急速な増大が見られるが、その準備教育は、各地に多数存在した公証人学校において行われた。これは、多くの場合、小規模な私塾的な教育機関であって、大学ではなかった。中世イタリアの主要都市のうち、公証人に大学教育を義務づけている唯一の都市はボローニャであるが、これも、著名な法学部での勉強を要求しているのではない。むしろ、その母体となったと考えられる七自由学科(とくに修辞学、文法)の学校での勉強が必要だったのである。」
「十四世紀イタリアの大都市においては、中・上層市民における教育のレヴェルは、われわれの想像以上に高いものであった。」
「商人の子弟は、五、六歳で学校(私塾)に入り、五年間ほど勉強したのち、算術学校で二年半ないし三年の課程をおさめ、この後ラテン語学校に学び、さらに公証人のもとで修行するわけである。したがって、公証人になるにはかなり長期の準備教育が必要であった。ラテン語および修辞学がその教養の基礎になっていたのであるから、たとえばコルッチオ・サルターティのようなルネサンスを代表する人文主義者が公証人の中から生まれて来るのも不思議はないであろう。」129-130頁

 まず当たり前であるが、「公教育」という観点がまったくないことが分かる。教育とは徹底的に私事に属するものであって、市政当局が関わるべき仕事ではない。そして初等教育を扱う寺子屋のような施設があり、中等職業教育を行う私塾があり、高等教育を行う大学(七自由学科だから教養学部のようなもの)という段階もあったのだろう。それら教育機関は、もちろん商業に携わるための実務的な関心から作られて発展してきたわけだが、付随的に人文主義を支える教養の土台となり、ダンテやボッカッチョの読者層を送り出していったということだろう。
 そう考えると、やはりイタリアのルネサンスは、商業活動がまず背景にあって、それに付随して行われた識字教育が前提となり、広範な読者層を得て浮上してきたと考えるべきところになる。これはラテン語をベースとしてイスラム経由でアリストテレスに触れて活発化したスコラ学者たちの活動(十二世紀ルネサンス)とは根本的に異なる性格を持っていると理解するべきだろう。この2つ(ラテン語べースの十二世紀スコラ・ルネサンスと、俗語ベースの十四世紀イタリア・ルネサンス)の交差するところは、やはり15世紀半ばの印刷術発明ということになるのではないか。(十三世紀の大学という場だったという仮説も侮れないが)。印刷術の発明によって「本屋」という商売が歴史上初めて成立し、その本屋という空間にアリストテレスの哲学書とボッカッチョの艶笑譚(あるいはもっと酷いゴシップ誌)が並んで置かれるという従来はあり得なかった現象が発生して、そこで初めていわゆるルネサンスという空気が立ち上がってくるのではないか。

清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』講談社学術文庫、2021年<1989年

【要約と感想】瀬谷幸男・狩野晃一編訳『シチリア派恋愛抒情詩選』

【要約】13世紀初頭、シチリアの王宮で、俗語を用いて恋愛を歌った詩作が流行します。12世紀南仏トルバドゥールの影響を受けつつ、13世紀後半トスカーナ清新体派、さらにダンテ、ペトラルカ等に引き継がれていきます。
 詩の内容は、「愛しすぎて死んじゃう」という感じです。

【感想】内容は、ほぼ、ない。極めて抽象的で、「愛しすぎて死んじゃう」以上のことは言っていない(しかし、それは極めて現代的な見方に過ぎず、13世紀には最新の感覚だった)。言葉はとても雅びで、美しい。中二病的なラブレターに引用すると、効果がありそうだ。
 引用される古典で目につくのは「トリスタンとイゾルデ」の伝説で、それに絡んでアーサー王伝説への言及が散見される。ギリシア、ローマの古典は完全無視というところが、後のルネサンスの空気とは根本的に異なっている。

【研究のための備忘録】俗語
 で、問題は、内容ではなく形式だ。当時の国際標準語であるラテン語ではなく、俗語(シチリア語)で表現されていることが重要になる。中世からルネサンス、あるいは近代への変化を考察する材料の一つとして、13世紀シチリアというビザンツ帝国やイスラム帝国の影響を色濃く受けた時代と地域の特性を踏まえつつ、14世紀イタリア・ルネサンス(ダンテやペトラルカ)への影響をどう評価するのか、具体的に考える必要がある。

「ラテン語に固執して俗語を軽蔑し続けるローマ教皇庁に逆らい、中世では公式文章は教会の公用語のラテン語で書かれる慣わしに反して、シチリア王国の憲法たる「メルフィ憲章」を誰でも理解できる俗語で書かせたフェデリコ帝に準って、この流派の詩人らはラテン語に対する揺籃期のイタリア語の文章語としての俗語の優位性を導き出したのである。」255頁

 本書では、この分野の研究の常識なのか、ダンテとの関係は強調するものの、ルネサンスという概念との関係には触れない。個人的にはかなり気になるところだ、というかそういう関心から本書を手に取った。12世紀ルネサンスによって、古代地中海文明に関する知識をヨーロッパは手に入れているはずだ。しかし本書所収の詩には、ギリシア・ローマ文明の面影はない。
 また俗語に関して言えば、フェデリコ帝の宮廷で俗語を使用していたとしても、恋愛詩に俗語を使うのはそういう政治的な意図に出ていたのか、あるいは南仏やドイツの抒情詩と同じ流れを汲むのか。12世紀南仏トルバドゥールが使用したオック語は北イタリアまで広がっていたし、12世紀後半ドイツのミンネゼンガー、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデも中高ドイツ語を使用している。俗語を用いて詩作するのは、シチリア特有の現象ではない。さらに言えば、本書がイタリア語でフェデリコ帝と呼んでいる人物は、神聖ローマ皇帝(ドイツ語)のフリードリヒ二世であって、そしてフリードリヒ二世(1194年~1250年)とヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170年~1230年)に直接の接触があるわけだから、ドイツのミンネゼンガーの影響を受けていたと考えることも可能ではないか。さらに言えば、シチリアはイスラム文化の影響を極めて色濃く受けているわけだが、そもそも南仏トルバドゥールの起源がイスラム文化だという話もある。フェデリコ帝=フリードリヒ2世はアラビア語もよくしたと言われているので、宮廷でラテン語を使わないことにそもそも違和感はなかったりする。疑問は尽きないが、門外漢としては口をつぐんでいるのが賢明な段階である。

瀬谷幸男・狩野晃一編訳『シチリア派恋愛抒情詩選―中世イタリア詞華集』論創社、2015年

【要約と感想】R.W.B.ルイス『ダンテ』

【要約】初期ルネサンス期イタリアの詩人ダンテの伝記で、主著『神曲』の概要も紹介します。

【感想】「ルネサンス」という概念について思案するための材料を得ることを期待して手に取ったけれども、そういう期待に直接応えるような本ではなく、堅実にダンテの生涯と著書の概要をまとめた本だった。それはそれで勉強になったからいいのだけれど。
 まあ改めて、フィレンツェという街が13世紀後半あたりから何かおかしなことになっていることは理解した。トスカーナ方言という「俗語」で文学を著すこと、そしてそういう著書が印刷術発明前にも関わらず速やかに流布すること。他の地域では不可能だったことが、どうしてフィレンツェ(あるいはトスカーナ)で可能だったのか。いわゆる12世紀ルネサンス(特にイスラムと融合したシチリア周辺の文化)との関係はどうだったのか。そのあたりの事情に対する具体的な理解が、いわゆる「ルネサンス」という概念を掴む(あるいは却下する)には不可欠のようだ。

R.W.B.ルイス『ペンギン評伝双書 ダンテ』三好みゆき訳、岩波書店、2005年

【要約と感想】ボッカッチョ『デカメロン』

【要約】Wooooわかちこわかちこ!
 ペストの大流行を避けてフィレンツェ郊外に逃れた男3人と女7人が、無聊の慰めのため、お互いに物語を語り合います。一人一話で十日間、合計百話が語られます。百話物語の舞台となるのは同時代(14世紀)のヨーロッパ(一部イスラム含む)全体で、主人公になるのは貴族だったり商人だったり農民だったり貧しい画工だったりしますが、14世紀当時にまさに生活していた人々です。話の内容は100話様々ではありますが、基本的に男女の恋愛が絡んだ話で、多くが肉体関係を含みます。しかも純愛はほとんど扱われず、既婚男女の不倫関係を扱う話が極めて多い上に、詐欺やペテンに満ちあふれ、3Pや4Pもあってやりたい放題な上、ウンコまみれになるとか、教会の僧侶や修道院の尼をバカにするようなエピソードも多く、自分の性的欲望に忠実に従って大胆かつ狡猾(しかし迂闊)に振る舞う有様に対して、既に当時から作者に対する倫理的批判が喧しかったようで、著書内でたくさん言い訳をしています。わかちこ!

【感想】艶笑譚の類いだとは噂に聞いていたものの、聞きしに勝るというのはこういうことかもしれない。まあ、酷い酷い。細部に至るまで下品で酷い。しかも作者がそれを自覚して意図的にやっていることも分かって、酷さにも拍車がかかるのであった(←褒め言葉)。まあこれが恋愛先進国イタリアが誇る伝統ってやつよ(←偏見)。さらに訳者の博識とこだわりが詰まった名解説と訳注も相まって、非常に楽しく読めるのであった。
 気になるのは、出てくる女性がみな絶世の美人なのはともかくとして、ほぼほぼ人妻であるところ。単に著者が人妻好きなのか、中世騎士物語で主君の奥方に恋愛的中世を誓う伝統を引き継いでいるのか、それとも当時の一般的な世相を反映したものなのか、ともかく処女崇拝的なものが一切出てこないところは中世の特徴かもしれない。いわゆる処女崇拝的なセンスが近代以降に顕著になったことは各所で指摘されているわけだが(ちなみに古代にはある)、中世にそういうセンスがなかった証拠の一つにはなるのかもしれない。

【研究のための備忘録】識字率
 で、教育史的な関心からは、こういう艶笑譚が可能になった歴史的・社会的背景が気にかかるわけだ。常識的には、中世ヨーロッパではキリスト教が世の中を厳粛に支配しており、破廉恥な物語が入りこむ余地はなさそうに思える。逆に言えば、デカメロンを可能にした14世紀のフィレンツェという場所が歴史的に特別な意味を持っていたということなのだろう。羊毛産業の隆盛を背景に金融業も勃興し(その様子は本作中でも描かれる)、従来の支配者階級に代わって商人の存在感が大きくなり(本作中でも商人が活き活きと活躍する)、教会の聖職者に対する容赦のない批判を可能にするような言論の自由が保証され、共和政を謳歌する社会から、本作のような問題作が生じてくる。中世の封建的生産関係にあった他地域では、こんな本が許されるとは考えられない。
 そして問題は、デカメロンが印刷術発明前の作品というところだ。印刷できないのだから、出回るとしたらとうぜん写本の形になる。しかし当時は、聖書を始めとするキリスト教関係の書物(時祷書など)が、しかもラテン語写本によって流通していたに過ぎない。このデカメロンが現地語(イタリア語トスカーナ方言)で書かれ、しかも写本として流通したというのは、そうとう驚異的なことだ。もちろんこれを社会的・経済的に支えるには、高い識字率が必須条件になる。金融業で栄え、ヨーロッパ中に支店を持っていたフィレンツェだからこそ、印刷術発明前にあって高い識字率を実現することができたのだろう。本書にも文字を習う子どもの様子が描かれていて、興味深い。

「先生は林檎の上にABCを書いて字を覚えようとする豚児どもと違って、瓜の上に書いて覚えました。」第8日第9話(下巻p.150)

 子どもたちが字を覚える時に林檎をつかっているということだが、それはもちろん「紙」がないからだ。(ちなみに「瓜」というのは、相手をバカにしている表現らしい)。ともかく、特に才能のない子どもも文字を学んでいるだろうことが伺える描写になっている。印刷術発明以降であれば文字を習う子どもの姿は日常的な光景になるが、印刷術発明以前であることを考えると、ヨーロッパ全体でこういう教育を行なっていたのはフィレンツェ(あるいはイタリア都市国家)くらいだったのではないか。この高い文化的水準が、いわゆるルネサンス(あるいは人文主義)を下支えする条件になっていたのは間違いないだろう。
 日本の江戸時代においても、寺子屋が普及して識字率が向上するのは1750年あたりのことになるが、やはり江戸に出荷する商品作物の栽培の隆盛を背景に金融・流通が発展したことが大きく影響している。また訳者も解説で触れてているが、商人であった井原西鶴の活動や作品内容との類似は、地中海貿易流通の拠点だったフィレンツェと瀬戸内海流通の拠点だった大阪の類似も相まって、興味深いところだ。
 で、ボッカッチョや井原西鶴のような印刷術発明前の商人階級を担い手とした識字文化がかつてあり、仮にそれをルネサンスと呼んでみたとして、現代の我々が目にしているのは印刷術を前提に国民すべてを巻き込んだ識字文化なわけだが、それはどの程度ルネサンスと連続していると考えていいのか。個人的には、本質的なところから大きく異なっているように見えている。そういう観点から言えば、確かにデカメロンには様々に近代的(あるいはルネサンス的)な要素が仄めかされているものの、本質的には中世に属するように思える。それは、14世紀フィレンツェ・ルネサンスそのものが中世的かどうか、近代とどの程度連続してくるのか、という問題にもなる。デカメロンは、そういうことを具体的に考えるための素材として極めて重要な位置を占めている。そんなわけで、ただの艶笑譚として笑っている場合ではないのだ。わかちこ!

ボッカッチョ『デカメロン』上、平川祐弘訳、2017年<2012年
ボッカッチョ『デカメロン』中、平川祐弘訳、2017年<2012年
ボッカッチョ『デカメロン』下、平川祐弘訳、2017年<2012年

【要約と感想】鹿子生浩輝『マキァヴェッリ―『君主論』をよむ』

【要約】マキァヴェッリ『君主論』は誤読されています。単に権謀術数を推奨する内容の本ではありません。普遍的・一般的に読むのではなく、当時のフィレンツェが置かれた状況を踏まえた上で、マキァヴェッリがメディチ家に就職するために用意した論文として読みましょう。そしてローマ史を論じた『ディスコルシ』と合わせて読むと、マキァヴェッリが共和政の自由を重んじる姿勢が見えてきます。また、近代国民国家などまったく考えておらず、中世的な枠内でフィレンツェという都市国家の統治を考察しています。ただし運命に唯々諾々と従うのではなく、人間の力量(ヴィルトゥ)の意義を前面に打ち出した世俗的な精神は、キリスト教的世界観から離れて近代的です。

【感想】『君主論』は実際に自分で読んだけれども、古代ローマ史批評『ディスコルシ』は読めていないので、これがマキァヴェッリを理解する上で極めて重要な補助線になることがよく分かった。勉強になった。
 たしかにマキァヴェッリの祖国フィレンツェは、ローマと同じ地方(イタリア)の同じ共和政の都市であって、偉大な先例として古代ローマの政治や文化を参考にしたくなる気持ちはよく分かる。さらに言えば、ローマとは別に、トスカーナ地方の先輩であるエトルリアを参考にしようとしているところも興味深い。これは日本人が唐虞三代(古代中国)の政治思想を理想としつつ、一方で聖徳太子を参照しているようなものだろうか。

 で、マキァヴェッリの近代性を否定して、あくまでも中世およびルネサンスの思想家だとする見解は、個人的には腑に落ちた。私も『君主論』を自分で読む限り、確かにそう判断したくなる。マキァヴェッリは共和政における「市民の自由」を重視しているものの、それは古代ローマ共和政に由来していて、近代的な国民国家をイメージして言っているわけではない。マキァヴェッリの主張に過度に近代性を読み込むのは、著者の言うように、確かに単に後知恵に過ぎないだろう。
 一方、キリスト教的世界観から離脱して近代に足を一歩踏み入れているという評価はどうか。個人的には、そういう観点で言えばフィレンツェの先輩ボッカッチョのほうが遙かに世俗的のように思える。しかし、それで以てボッカッチョを近代的に理解していいかというと、そういう単純な話でもないだろう。同様に、確かにマキァヴェッリは世俗性に突き抜けているように思えるが、果たしてそれは近代性のメルクマールたりえるのか。ひょっとしたら、ボッカッチョから続く「フィレンツェ(あるいはイタリア)のみに特有の人文主義」が世俗性として表面に現れているだけで、それを近代性と理解してよいかどうかについては改めて別の指標を踏まえて考える必要があるのではないか。
 ともかく改めて、フィレンツェの14世紀~16世紀初等は特別な場所と時間であることを感じたのであった。中世やルネサンスについて云々しようと思ったら、どうやらフィレンツェに対する具体的な知識と理解が必須のようだ。

鹿子生浩輝『マキァヴェッリ―『君主論』をよむ』岩波新書、2019年