はじめに―人文学の危機をどう捉えるか
1.問題の所在――価値ある知の基準の変化
「人社系のダウンサイジング」とは、人文社会科学系の学部や学科が一律に廃止されることだけを意味しない。人文社会科学系の学部・学科の統合や改組、理工・情報系への定員移動、ICT・AIなどの「成長分野」に対する重点的な財政支援、外部評価の強化、さらに大学内部における予算、教員ポスト、発言力の相対的な低下までを含む、一連の変化を指している。ダウンサイジングとは単なる量的削減ではなく、公的資源を配分する際の優先順位が変更され、その結果として人文社会科学系の規模と自律性が相対的に縮小していく過程である。 この変化は、一つの政策によって突然始まったわけではない。例えば、2015年の文部科学大臣通知は、国立大学の使命として「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野」の継承を認める一方で、人文社会科学系学部・大学院に対しては、組織の廃止や「社会的要請の高い分野」への転換を求めていた。この文書の内部には、需要の多寡にかかわらず重要な学問を継承するという原理と、社会的需要に応じて大学組織を転換するという原理との緊張が、すでに表れている。
【参照】文部科学省「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」
その後、政策の重点は、単なる組織見直しから、成長分野への積極的な資源移動へと進んでいる。現在の「大学・高専機能強化支援事業」では、デジタル、グリーン、AI、半導体、量子、バイオなどへの学部転換が財政的に支援されている。2026年に新設された枠では、文系学部の定員削減を伴う理系学部への再編が支援要件に組み込まれた。ここでは、人社系の縮小が直接命令されるというより、特定分野への転換に財政的誘因を与えることによって、大学の資源配分が政策的に誘導されている。
【参照】文部科学省「大学・高専機能強化支援事業」
つまり、政府が人文学の廃止を一律に命じているのではない。どの知を維持し、どの知を拡大し、どの知に縮小や転換を求めるのかを決定する基準が変化していることが問題の本質である。
人社系のダウンサイジングは、一般には、18歳人口の減少、学生の進路選択、卒業後の就職、産業界の人材需要などによって説明される。これらが現実的な要因であることは否定できない。学生数が減少する以上、すべての大学と学部を従来と同じ規模で維持することは困難である。また、情報技術者や理工系人材の不足に対して、高等教育が一定の対応を行うことにも合理性がある。
しかし、それだけでは、なぜ特定の分野が縮小の対象となり、別の分野が「成長分野」として重点的に支援されるのかを十分に説明できない。「社会的需要」や「人材需要」は、社会の外部に客観的な事実として存在し、大学が受動的に対応するだけのものではない。何を将来の需要とみなし、どの能力を重要と評価し、どの分野に公的資源を配分するのかは、政府、産業界、国際機関、大学、専門家などの判断によって構成される。したがって、問うべきなのは、単にどの分野に需要があるのかではなく、誰が、どのような将来社会を想定し、何を「社会的需要」と定義しているのかである。
何を価値ある知とみなすのか、その基準が急激に変化しているなかで、とりわけ公的支援を受ける正当性を説明しにくくなっているのは、効果が現れるまでに長い時間を要する知、直接的な職業や産業との対応関係を示しにくい知、数値によって成果を測定しにくい知、対象の意味や価値を解釈して目的そのものを問い直す知、そして大学内部の専門的基準によって自律的に正当化されてきた知である。人文学は、こうした性質を持つ代表的な領域である。
ただし、これは人文学だけの問題ではない。短期的な成果を示しにくい基礎科学や、資料保存、長期観測なども、同じ評価基準のもとでは不利になり得る。反対に、人文学や社会科学であっても、観光、コンテンツ、政策立案、データ分析などに接続できる領域は、積極的に支援されることがある。現在進んでいるのは、「文系から理系へ」という単純な転換というより、測定可能で、経済的・政策的な成果へ翻訳しやすい知と、そうではない知との間の選別である。
従来、人文学や教養は、人格形成、国民文化の継承、民主的市民の育成、学問それ自体の価値などによって正当化されてきた。しかし現在では、雇用可能性、人的資本、イノベーション、国際競争力などが、より強い正当化の言葉になっている。ここで生じているのは、知の公的正当性を支える語彙群の交代である。
もちろん、現代の人文学の危機は、このような政策的・経済的な選別だけでは説明できない。国内だけでなく海外においても、専門家や大学に対するポピュリズム的反発、アイデンティティ・ポリティクスをめぐる文化戦争、政権や既存秩序にとって不都合な批判的知性を排除しようとする政治的動きも存在する。したがって、人文学の危機には、人的資本やイノベーションを基準として支援すべき知を選別する政策的・経済的な側面と、大学、専門家、批判的知性を特権的、偏向的な存在として批判する政治的・感情的な側面とがある。
そして両者は同じものではないが、しばしば結び付く。「役に立たない」という評価と、「信用できない」「偏向している」という評価が重なることによって、人文学の縮小が正当化されるからである。本論では、政策的・経済的な選別を中心的な分析対象としつつ、政治的な反知性主義をその外部にある偶発的な現象とはみなさない。それもまた、どの知を信頼し、どの知を排除するのかを決めるヘゲモニー形成の一部として位置付けるべきだろう。
以上を踏まえ、本論では、何を価値ある知とみなす基準が歴史的にどのように形成され、変化してきたのかを検討する。そのうえで、18世紀フランス啓蒙主義による知の再編と、現代の人社系ダウンサイジングが、どのような構造を共有しているのかを明らかにする。さらに、国民国家を前提として成立した近代大学の知の秩序が、グローバル化、知識基盤社会、第四次産業革命のもとでどのように組み換えられているのかを考察したい。
2.人文学・人文知・教養の区別
議論に先立ち、本論における「人文学」「人文知」「教養」の意味を区別しておく必要がある。
本論でいう「人文学」とは、文学、歴史学、哲学、言語学など、大学の学部、学科、専攻、学会、学術雑誌、学位制度として組織された専門領域を指す。人文学は研究対象の集合であるだけではない。何を研究成果として認めるのか、誰を専門家として認定するのか、どの資料を保存し、どの知識を次世代へ継承するのかを決定する制度でもある。
この制度の背後には、図書館、文書館、博物館における資料の収集・保存・整理、古典の校訂や翻訳、目録の作成、古典語や外国語の習得、研究者の雇用と養成、査読と専門家共同体、長期的な研究時間など、膨大な費用と時間を必要とする知的インフラが存在する。人文学を大学の学部や学会という外形だけで捉えることはできない。
これに対して「人文知」とは、人文学という制度と密接に関係しながらも、特定の学部や学科だけには限定されない知の働きを指す。人文知は、過去の記録を保存して社会の記憶を継承し、人間の行為、言語、制度、文化が持つ意味を解釈する。また、何が正しいのか、何を社会の目的とすべきなのかを検討し、現在では自明とされている概念や制度を歴史化する。さらに、異なる文化、経験、価値の間を翻訳し、知を生み出す制度と権力関係を自己反省的に問い直す。
このような人文知の働きは、人文学の内部だけに存在するものではない。法学、教育学、社会科学、医学、工学、自然科学においても、研究の意味、目的、倫理、歴史を問うときには、人文知が必要になる。
しかし、人文知が人文学の外部でも働くことと、人文学という制度が不要であることは同じではない。人文知は、資料、方法、専門家共同体、研究時間、世代間継承といった制度的基盤によって養われる。制度を弱体化させたまま、人文知の働きだけを企業、行政、メディアに求めれば、それはコンサルティング、マーケティング、コンテンツ制作など、市場が利用しやすい形に回収される可能性が高い。したがって、人文学と人文知は分析上区別すべきだが、現実には切り離すことができない。
「教養」とは、人文知を含む複数の知を、専門家養成だけでなく、人格、判断力、市民性の形成へと結び付ける教育理念である。したがって、教養は人文学そのものではない。自然科学や社会科学も教養を構成する。また、教養とは専門知識の量を増やすことだけでもない。異なる知を関連付け、自分自身と社会のあり方について判断できるようにする教育的構想である。
ただし、従来の教養理念には、エリート階層の文化を普遍的なものとして扱い、特定の古典や趣味を「教養ある人間」の基準とした側面もある。したがって、教養を擁護する場合にも、旧来の教養教育をそのまま復活させればよいわけではない。大学が大衆化し、学生の背景や進路が多様化した現代において、誰に、何を、何のために保障するのかを、改めて構想する必要がある。
さらに、「人文社会系」は、人文学と社会科学を一括して扱う政策上・組織上の分類である。しかし、哲学や文学と、経済学、法学、経営学、教育学では、研究方法、職業との関係、政策的評価が大きく異なる。社会科学の中には、データ分析や政策立案を通じて、現在の有用性基準と親和的な分野も存在する。
したがって、人文社会系が一つのまとまった領域として一様に縮小していると考えるべきではない。実際には、人文社会系内部でも、成長分野に接続しやすい領域、職業資格や政策実務と結び付く領域、数量的成果を示しやすい領域が選択的に維持・拡大される一方で、歴史的・解釈的・規範的研究を中心とする領域が縮小の圧力を受けている。
そこで本論では、政策現象を指す場合には「人社系」または「人文社会系」を用い、制度化された専門領域を指す場合には「人文学」を用いる。また、人文学の内外を横断する知の働きを論じる場合には「人文知」を用い、それを人格や判断力の形成へ結び付ける教育理念については「教養」と呼ぶことにする。
3.分析枠組み――知の制度化・正当性・ヘゲモニー
知が持続的に生産・伝承されるためには、学校、大学、教会、学会、出版、図書館、研究費、資格制度など、一定の制度に組み込まれる必要がある。制度化されることによって、知は個人の経験や一時的な発見を越えて蓄積され、世代を越えて継承される。また、研究方法や評価基準が共有されることによって、専門的な探究が可能になる。
しかし、知の制度化には別の側面もある。制度が安定すると、知の評価基準、専門家の資格、組織の境界が固定される。知の蓄積は専門分化を促し、専門分化はより高度な研究を可能にする一方で、制度内部の論理と、その外部にある社会との間に距離を生み出す。さらに社会の構造や人々の欲求が変化すれば、既存の制度が生産する知と、新たに求められる知との間にズレが生じる。
このズレが拡大すると、既存の知を支えてきた正当化原理が問い直される。そして、新しい社会像を提示する勢力が、何を価値ある知とみなすのかを再定義し、制度と資源配分を組み換えようとする。したがって、知の再編は、社会の変化に対する中立的・自動的な適応ではない。それは、異なる社会勢力が、自らの必要とする知を社会全体にとって普遍的に価値あるものとして承認させようとする政治的過程でもある。
この点からすれば、「社会的要請」という言葉を無批判に用いることはできない。社会には複数の要求が存在する。産業界が求める人材、地域社会が必要とする文化的記憶、市民が必要とする政治的判断、国家が求める競争力は、必ずしも一致しない。その中から特定の要求だけが「社会的要請」として選び出されるのは、政府、企業、国際機関、専門家、大学、市民などの間に、権力と発言力の差があるからである。
本論では、特定の社会勢力が自らの価値や利害を、「社会全体の利益」「時代の要請」「避けることのできない未来」として承認させる過程を、ヘゲモニーの形成と呼ぶ。ヘゲモニーは、単なる強制を意味しない。特定の価値基準が常識となり、それ以外の選択肢を考えること自体が困難になる状態である。
例えば、「デジタル人材が不足している」「大学は成長分野に転換すべきである」「学んだ成果は測定できなければならない」といった命題には、それぞれ一定の合理的根拠がある。しかし、それらが大学全体を評価する唯一の基準となり、その基準から外れる知を維持する理由が語れなくなったとき、知をめぐるヘゲモニーが成立する。
本論では、このような知の再編が大規模に生じた二つの時代を比較する。
第一は、中世的な教会・大学を中心とする知の秩序から、啓蒙主義、科学革命、市民社会、国民国家を前提とする近代的な知の秩序への移行である。そこでは、商業、出版、科学、技術、専門職を担う新興諸層が、自らの知を「理性」「進歩」「公共的有用性」として普遍化した。その知は、19世紀以降、近代大学、国民教育、学会などの制度に組み込まれた。
第二は、国民国家を共通の前提として成立した近代大学から、グローバル化、知識基盤社会、第四次産業革命を前提とする知の秩序への移行である。そこでは、国際機関、政府、産業界、デジタル企業、政策専門家、大学経営組織などが、「人的資本」「コンピテンシー」「イノベーション」「国際競争力」という言葉によって、価値ある知の基準を再定義しつつある。
もちろん両者は同一の出来事ではない。しかし、社会秩序の前提が変化するなかで、新たな資源を持つ勢力が、自らの必要とする知を普遍的な知として提示し、既存の知の制度を組み換えるという構造を共有している。
この比較を行うためには、近代大学が何によって自らを正当化してきたのかを整理する必要がある。近代大学には、少なくとも三つの正当化原理が存在していた。
第一は、短期的な有用性から独立して、自由に真理を追究するという「真理探究」の原理である。
第二は、教養を通じて人格、判断力、市民性を形成するという「人間形成」の原理である。
第三は、国家、社会、職業、産業に必要な知識と人材を生み出すという「社会的有用性」の原理である。
これらは、最初から完全に調和していたわけではない。しかし、国民国家という共通の枠組みの中で一定の均衡を保っていた。真理探究は国民的な学術の発展に、人間形成は国民とエリートの形成に、社会的有用性は国家、産業、行政の発展に、それぞれ結び付けられたからである。
現代に起きているのは、社会的有用性が単に強くなることではない。社会的有用性の中でも、測定可能で、経済成長、国際競争力、イノベーションへと翻訳できる有用性が、他の二つを評価する上位原理になりつつあることである。
その結果、真理探究はイノベーションや研究インパクトとして、人間形成は人的資本やコンピテンシーとして再定義される。真理探究と人間形成が消滅するのではない。それらが経済的・政策的に理解可能な言葉へ翻訳され、特定の有用性の内部に取り込まれるのである。
以上を踏まえ、本論では、現代の人文学の危機を次のように捉える。
現代の人文学の危機とは、人文知一般が否定されていることではない。それは、国民国家を前提として近代大学を支えてきた真理探究、人間形成、社会的有用性の均衡が崩れ、グローバルな知識基盤社会に適合する、測定可能で経済的に理解可能な有用性が、他の正当化原理を再定義しつつあることである。
ただし、この変化は制度や市場の自動的な作用だけによって生じるのではない。専門家への反発、文化戦争、政治的な反知性主義も、どの知を信頼し、どの知を排除するのかを決めるヘゲモニー形成に関与している。
したがって、本論では、人文学の危機を、知の価値基準の変更、大学を支える社会的前提の変化、知をめぐる社会勢力間のヘゲモニー争い、専門家と大学に対する政治的信頼の危機、そして人文知を支える制度的・物質的基盤の動揺が重なり合う現象として分析する。
第1章 第一の知の再編――啓蒙主義と近代大学
1.中世的な知の制度化とその動揺
ヨーロッパでは、中世以来、教会、修道院、司教座学校、大学などが、知を収集し、保存し、伝承する広域的なネットワークを形成してきた。修道院の写本工房は古代の文献を筆写し、教会はラテン語を共通言語とする知識人のネットワークを維持した。12世紀以降に成立した大学は、神学、法学、医学、自由学芸を専門的に教授し、学位によって知識と専門家の資格を認定する制度となった。
大学は教師と学生からなる団体として一定の自治を持ち、教会権力や世俗権力との交渉を通じて、自らの権利と秩序を形成した。ラテン語による教育と学位資格は、地域を越えて通用する知識人を生み出し、ヨーロッパ規模で知を流通させた。知は、個々の教師や修道院に属するものから、専門家共同体によって生産・審査・継承されるものへと変化したのである。
この制度化の中心にあったのが、スコラ学だった。スコラ学は、権威ある文献を無批判に暗記するだけの方法ではない。異なる学説を整理し、問いを立て、賛否の議論を組み立て、論理的に解決を導く方法だった。アリストテレスをはじめとする古代の文献が、アラビア語圏などを経由してラテン語に翻訳されると、大学はそれらをキリスト教的世界観の中に組み込みながら、体系的な知へと再編した。スコラ学は、中世的な知の硬直化をもたらしただけではなく、知を論証可能なものとし、専門的な討議を成立させる基盤でもあった。
しかし、その強みは同時に限界ともなった。大学で正当な知として認められるためには、既存の権威ある文献と接続し、定められた論証形式に従う必要があった。そのため、知の整合性を高めることには適していても、既存の分類そのものを変更したり、文献の外部にある現象を新しい方法で捉えたりすることには、制度的な摩擦が生じた。
15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ社会の側も大きく変化した。活版印刷によって文献の複製と流通が拡大し、航海と植民地進出によって、古代の文献には記載されていない動植物、地理、民族が知られるようになった。商業の拡大は、測量、会計、航海術、暦、地図などの実践知を必要とした。国家間の競争と戦争は、築城、砲術、造船、鉱山、土木に関わる技術を発展させた。知の対象も、知を必要とする社会的主体も、中世大学が形成された時代とは異なるものになっていった。
ルネサンスと科学革命を通じて登場した新しい知は、この変化に応答するものだった。コペルニクス、ガリレオ、ベーコン、デカルト、ニュートンらに象徴される知は、古典や権威の解釈だけでなく、観察、実験、数学的記述、方法的懐疑によって正当化されようとした。何が真実であるかを決める根拠が、誰が述べたのかという権威から、どのような方法によって確かめられたのかという手続へと、次第に移動し始めたのである。
重要なのは、この過程で、教会や大学が知を生産する唯一の中心ではなくなったことである。宮廷、王立アカデミー、学術協会、サロン、職人の工房、出版市場、書簡による通信ネットワークなど、教会や大学とは異なる場所で知が生産され、交換されるようになった。知の正当性を決定する拠点が多様化したのである。
この変化の中で、教会と大学が独占してきた知の権威は次第に相対化された。新しい知の担い手たちは、既存制度への所属によってではなく、観察や実験の結果、数学的な証明、出版物を通じた批判と応答によって、自らの知を正当化しようとした。科学革命とは、新しい発見の集合であるだけでなく、誰が、どこで、どのような手続によって真理を語ることができるのかをめぐる、知の権威の再編だった。
2.ルネサンスという過渡的形態と啓蒙主義による知の再編
一般的な歴史叙述では、ルネサンスそのものが、中世から近代への決定的な転換として理解されている。確かにルネサンス的人文主義は、スコラ学的な知のあり方を批判し、言語、歴史、文学、修辞、道徳、政治、人間の現世的生活に対する新しい関心を生み出した。
ルネサンス的人文主義者たちは、中世スコラ学を通じて積み重ねられた注釈や解釈をいったん退け、古代ギリシア・ローマの文献や、聖書の原典へ直接立ち返ろうとした。古代の文献を収集し、異なる写本を比較し、語句の用法や成立年代を検討する文献学的方法は、伝承されてきた権威を歴史的批判の対象に変えた。
しかし一方で、ルネサンス的人文主義は、中世的権威を相対化しながら、新しい権威を古典に求めていた。中世の注釈と体系に対して古代の原典を、スコラ学的論理に対して修辞や歴史を、来世に対して現世の人間を押し出したが、知の価値を古典的模範から完全に切り離したわけではなかった。
これに対して、17世紀の科学革命と18世紀の啓蒙主義は、古典そのものにも限界があることを明確にした。新大陸の地理や動植物、望遠鏡によって観測された天体、顕微鏡によって発見された微細な世界は、古代人が知らなかったものである。古典をどれほど正確に読んでも、そこから新しい世界のすべてを知ることはできない。知の源泉は、過去の文献だけでなく、現在の自然と社会へ移されなければならなかった。
ダランベールが『百科全書』の「序論」で描いた知の歴史において、ルネサンスによる「文芸の復興」は重要な出発点ではあるが、知の再編の完成でもない。古代の文献を回復したルネサンスの後に、ベーコンが知の新しい分類と経験的方法を示し、デカルトが方法的懐疑によって思考の出発点を組み替え、ロックやニュートンが観察と経験に基づく知を発展させたと位置付けられた。啓蒙主義者の自己理解から見れば、ルネサンスは中世的知から抜け出すための必要な段階だったが、なお過去の権威に依存する未成熟な段階に過ぎなかった。
ディドロとダランベールの『百科全書』は、知の再編の在り様を、一つのメディアの中に可視化した試みだった。本論の論旨に関わって重要なのは、機械的技芸の位置付けである。従来の知の序列では、精神的活動に関わる自由学芸が高く評価され、身体と手を用いる機械的技芸は低く見られてきた。これに対してディドロは、職人の仕事を実際に観察し、使用される道具、材料、工程、技法を文章と図版によって記録した。
図版においては、完成した製品だけでなく、道具の構造、身体の動作、作業場の配置、製造工程が細かく分解され、可視化された。職人の身体に埋め込まれていた暗黙的な知は、言語と図像によって記録され、他者が参照できる知へと変換された。機械的技芸は、単なる手作業ではなく、観察、判断、経験を必要とする合理的な知として位置付け直された。
『百科全書』は、新興の都市的・商業的・専門職的諸層が持つ知と価値を、社会全体にとって普遍的なものとして提示した。彼らが重視した生産、技術、流通、実務に関わる知は、「理性」「進歩」「公共的有用性」という言葉によって正当化された。特定の社会層が担っていた知は、社会全体を導くべき知として語り直されたのである。
その意味で、『百科全書』は、新興諸層が蓄積していた経済的・技術的・情報的資源を、文化的・政治的権威へと転換するヘゲモニー形成の装置だった。ただし、それは新興ブルジョアジーが旧体制の外部から一方的に権力を奪取する運動ではなかった。旧体制内部の改革派、出版市場、国家の保護と検閲、王立アカデミー、貴族的サロンなどが複雑に交差するなかで形成された、新しい社会勢力の連合だった。
したがって、啓蒙主義を、自由な知識人が閉鎖的な教会や大学に対抗した運動としてだけ捉えることはできない。それは、社会の新しい欲求に応答できない知の権威を批判し、何を価値ある知とみなすのかを再定義すると同時に、その知を支える新しい出版市場、新しい専門家、新しい読者、新しい権力関係を作り出す運動だったのである。
3.近代大学という「同床異夢」
啓蒙主義と科学革命によって再編された知が、そのまま近代大学へ直線的に流れ込んだわけではない。フランス革命以後の専門教育機関、ドイツの大学改革、イギリスの古典教育など、異なる制度と理念が並行して形成されていくことになる。19世紀の高等教育は、一つの「近代大学モデル」に収斂したのではなく、各国の国家形成、階級構造、宗教、産業化のあり方に応じて、複数の制度へと分岐した。
それでも、近代的な高等教育制度の内部には、少なくとも三つの正当化原理を見いだすことができる。
第一は、自由な研究によって真理を追究するという真理探究の原理である。学問は、既存の知識を学生に伝達するだけでなく、いまだ知られていない知を生産する営みとして理解されるようになった。そのためには、研究者が国家、教会、市場の直接的な要求から一定の距離を保ち、学問それ自体の基準によって問いを設定できなければならない。
第二は、教養を通じて人格や判断力を形成するという人間形成の原理である。大学は特定の職業技術を教えるだけでなく、多様な知との出会いを通じて、人間の能力を全体として発達させる場であると考えられた。学ぶことは、外部から知識を付加することではなく、自己が世界との関係を作り替える過程として捉えられた。
第三は、国家、産業、行政、職業に役立つ人材と知を生み出すという社会的有用性の原理である。近代国家は、官僚、法曹、医師、教師、技術者を必要とした。産業化は、科学と技術を生産へ接続する専門家を求めた。高等教育は、学問の自由を掲げる一方で、国家と社会の発展に必要な人材を計画的に養成する制度でもあった。
フンボルトの名と結び付けられるドイツの大学理念は、第一と第二の原理を統合しようとする試みだったと言えよう。そこでは、教育と研究の統一、教える自由と学ぶ自由、専門的探究と人格形成の結合が掲げられた。学生は完成した知識を受け取るのではなく、研究の過程に参加することによって、自らを形成すると考えられた。知をそれ自体のために追究することが、結果として自由な人格を形成するという構想である。
もちろん、「フンボルト型大学」を、1810年のベルリン大学において一挙に完成した制度とみなすことには注意が必要である。研究と教育の統一や大学の自治という理念は、複数の思想家と大学改革の中から形成され、後世になってフンボルトの名のもとに一つのモデルとして整理・統合された面がある。それでも、この理念が近代大学の自己理解に強い影響を与えたことは否定できない。大学は、国家から財政的保障を受けながら、国家の直接的命令からは自由であるべきだとされた。ここには最初から緊張がある。国家が大学の自律性を保障するのは、自由な学問が長期的には国家の文化的・科学的発展に貢献すると期待されたからである。無目的な真理探究は、国家にとって無用だったのではない。直接命令しない方が、より高い成果を生み出すと考えられたのである。
人文知も、この近代的な制度の中で新しい位置を与えられた。ドイツの新人文主義では、古代ギリシアの言語、文学、芸術、哲学が、人間の諸能力を調和的に形成するための媒体として重視された。ゲーテやシラー、ヘルダー、フンボルトらにとって、古典は単に権威として模倣すべきものではなく、現在の自己を形成し、他者や世界との関係を作り直すための対象だった。
このとき古典文献の研究は、教養の内容であると同時に、専門的な学問へと再編された。古典語、文献学、歴史学は、厳密な資料批判と方法を持つ学問として制度化されていった。ルネサンス的人文主義が担ってきた文献の収集、校訂、解釈は、近代大学の中で専門的な人文学へと作り替えられたのである。
イギリスにおいても、パブリックスクールやオックスフォード、ケンブリッジを中心に、古典教育は人格と指導者層を形成するための教養として重視された。ただし、そこで形成されたのは、抽象的で普遍的な「人間」だけではない。古典教育は、統治能力、自己規律、共通の趣味と作法を持つジェントルマンを形成し、支配階層の社会的結合を支えるものでもあった。古典は人格形成の媒体であると同時に、階級的な選抜と文化的威信の装置だった。
一方、工学などの実践的分野は、大学の自然哲学から直線的に分化したわけではない。フランスでは、軍事、鉱山、道路、橋梁、土木などに必要な技術者を養成するため、18世紀から専門学校が設立された。1794年に創設されたエコール・ポリテクニークは、技術者と高級官僚の不足に対応し、数学、物理学、化学を基礎として、砲兵、工兵、鉱山、道路・橋梁などの国家的実務へ進む人材を養成した。ここでは、科学的知は自由な人格形成のためではなく、国家の軍事力、行政能力、産業基盤を強化するために制度化された。科学と技術の制度化は、大学の自律的研究だけでなく、国家が必要とする専門家を計画的に養成する制度によって進められたのである。
近代的な高等教育は、このように異なる原理と制度の組み合わせとして成立した。真理探究は、学問の自由と専門家共同体を必要とした。人間形成は、教養と人格の自律を重視した。社会的有用性は、国家、産業、行政が求める人材と知の生産を要求した。
三つの原理は、完全に調和していたわけではない。真理探究は、短期的な有用性からの独立を要求する。人間形成は、専門分化によって人間の能力が断片化されることを警戒する。社会的有用性は、国家や産業の具体的な需要に応答することを求める。それぞれが異なる目的を持ちながら、同じ高等教育制度の中に組み込まれたのである。
それにもかかわらず、三つの原理が同居できたのは、国民国家という共通の枠組みがあったからである。真理探究は、国民的な学術と科学の発展に貢献するとされた。人間形成は、国民文化を継承し、国家と公共社会を担う市民やエリートを形成するとされた。社会的有用性は、行政、軍事、産業、学校を支える専門家を養成するとされた。
この意味で近代大学は、真理を求める者、人間を形成しようとする者、国家や社会に役立とうとする者が、一つの制度に同居する「同床異夢」の組織だった。ただし、その異なる夢は、国民国家の発展という大きな物語の中で、相互に調整することが可能だった。
したがって、近代大学は、啓蒙主義によって解放された知が到達した最終的な完成形ではない。それは、真理探究、人間形成、社会的有用性という異なる原理を、国民国家という共通の床の上に配置した歴史的な妥協だった。その内部には、自由と国家的統制、普遍性と階級的選抜、自律的研究と社会的動員という矛盾が、成立の当初から埋め込まれていたのである。
第2章 近代大学の膨張と内部矛盾
1.専門分化・大衆化・機能拡張
19世紀以降、近代大学が安定的な制度として各国に定着すると、その内部で生産される知の量は急速に増加した。大学は、すでに確立した知識を学生に伝達するだけの場所ではなく、未知の知を継続的に生産する研究機関となった。研究が蓄積されるにつれて、学問分野は細分化され、それぞれが固有の研究対象、方法、用語、評価基準を持つようになった。
哲学や自然哲学の内部に含まれていた領域は、物理学、化学、生物学、心理学、社会学、経済学などの独立した学問へと分化した。人文学においても、文学、歴史学、言語学、哲学が、それぞれの内部で時代、地域、対象、方法によって細かく分かれていった。専門分化は、単なる組織上の区分ではない。何を研究対象として認め、どの方法を正当とし、どのような成果を価値あるものと評価するのかを決定する、知の制度的な境界形成だった。
学部、学科、講座、研究所が設置され、学会と学術雑誌が形成され、博士号が研究者としての資格を示すようになった。研究者は、特定の専門分野における方法と先行研究を習得し、同じ分野の専門家による審査を受けることによって、専門家共同体の一員として認められるようになった。
この制度は、知の信頼性・正統性を高めた。研究成果は、研究者個人の身分や名声だけで認められるのではなく、資料、方法、論証を専門家が相互に検討することによって評価されるようになった。査読制度は、誤りを発見し、研究成果の質を保証し、学問分野の共通基盤を形成するための重要な仕組みとなった。
しかし、専門家による質保証は、同時に、専門家だけが価値を理解できる知の領域を形成する。研究が高度化すればするほど、その意味や妥当性を判断するためには、長期間の専門教育が必要になる。ある研究が重要である理由は、その分野の内部では明白であっても、他分野の研究者や一般市民には理解しにくくなる。
このとき、専門家共同体の自律性は、二つの顔を持つ。一方では、政治、宗教、市場、世論から距離を取り、短期的な有用性に左右されずに真理を追究するための条件となる。他方では、なぜその研究に時間と資源を投入する必要があるのかを、専門家共同体の外部に説明しなくても済む閉鎖性を生み出す。
専門分化は、知を増大させると同時に、知の全体像を見えにくくする。個々の研究者は、自らの狭い専門については高度な知識を持つが、大学全体で何が研究され、それらがどのように関係しているのかを説明する者はいなくなる。
この変化は、人文知に固有の問題ではない。しかし人文学では、研究対象や方法の妥当性を実験や数値によって直接示しにくいため、専門家共同体の内部における評価と、外部社会から見た価値との間に、とりわけ大きな隔たりが生じやすい。細分化された研究が、学会報告、紀要、専門誌の内部で循環するようになれば、社会の側からは、研究者がなぜその問題を研究しているのかさえ見えにくくなる。
第二次世界大戦後には、近代大学にはもう一つの大きな変化が生じる。高等教育への進学者が増加し、大学は少数の支配階層や専門職を養成する機関から、社会の広い層が進学する大衆的な制度へと変化した。
エリート段階の大学では、大学進学は少数者に与えられた特権であり、国家や社会の指導層に入るための準備とみなされていた。そこでは、学生が一定の文化的背景、学習習慣、言語能力を共有していることが暗黙に想定されていた。教養教育は、限られた階層が共有する古典、歴史、文学、哲学を通じて、指導者にふさわしい人格と判断力を形成するものだった。
これに対して、マス段階では、大学進学は社会的上昇、専門職への参入、安定した雇用を得るための経路となる。ユニバーサル段階に至れば、大学進学は一部の例外的な人々の選択ではなく、多くの若者にとって標準的な人生経路となる。大学は、選ばれた少数者を既存のエリート文化へ参入させるだけではなく、異なる家庭背景、学力、言語、文化、障害、進路希望を持つ多数の学生を受け入れなければならなくなった。
この変化が、教育機会の民主化という大きな意義を持つことは間違いない。かつて大学から排除されていた女性、労働者階級、人種的・民族的少数者などに、高等教育への道が開かれた。しかし、学生が多様化すれば、従来は家族や出身階層によって与えられていると想定されていた学習方法、言語能力、生活習慣、進路情報を、大学自身が保障しなければならなくなる。大学には、授業と研究だけでなく、初年次教育、補習教育、キャリア支援、心理相談、経済支援、障害学生支援、留学生支援、課外活動などの機能が求められるようになった。
さらに大学には、地域社会への貢献、産業界との連携、政策形成への助言、社会人の学び直し、国際交流、知的財産の創出、起業支援、イノベーションなどが期待されるようになった。大学は、研究機関、教育機関、資格認定機関、福祉的支援機関、地域拠点、産業政策の担い手という複数の役割を同時に担うことになった。
ここで生じたのは、単なる組織の肥大化ではない。無際限に役割と機能を受け入れた結果、近代大学を支えてきた真理探究、人間形成、社会的有用性という三つの正当化原理の対立が先鋭化することになる。
研究の側から見れば、大学は、高度に専門化された研究に資源を集中し、国際的な研究競争に参加しなければならない。しかし教育の側から見れば、大学は、多様な学生一人ひとりに学習機会を保障し、卒業まで支援しなければならない。社会的有用性の側から見れば、大学は、卒業生の就職、地域課題の解決、産業への貢献、イノベーションの創出など、外部社会から寄せられる多様な要求に応答しなければならない。
これらの要求は、必ずしも相互に調和しない。研究業績を重視すれば、学生教育や支援に投入する時間が減少する。学生へのきめ細かな支援を重視すれば、教員の研究時間が圧迫される。産業界との連携を重視すれば、短期的な成果を生みにくい研究が周辺化される。大学がすべての要求に応えようとするほど、それぞれの機能を担う組織と職員が増加し、大学全体の目的は見えにくくなる。
とりわけ困難に直面したのが、教養による人間形成という理念だろう。エリート段階の大学では、特定の古典、言語、歴史、芸術を共有することが、そのまま人格形成と社会的指導力の獲得につながると想定されていた。しかし、大学が多様な学生を受け入れ、卒業後の進路も多様化したとき、誰の文化を教養の基準とするのか、何をすべての学生に共通して教えるべきなのか、その学びが学生の生活や職業とどのように関係するのかを、改めて説明しなければならなくなった。
従来の教養主義をそのまま維持すれば、特定階層の文化を普遍的なものとして押し付けることになる。しかし、学生の直接的な職業要求に応じて、教養教育を実用的なスキル教育へ置き換えれば、大学が職業訓練機関とは異なる理由を失う。大学の大衆化は、教養を不要にしたのではない。少数のエリートに暗黙に保障されていた教養を、異なる背景を持つすべての学生に、何のために、どのような内容で保障するのかという、より困難な課題を突き付けたのである。
2.啓蒙の自己反転――フランクフルト学派
近代大学の専門分化と大衆化が進む一方で、近代的な知と理性そのものに対する根本的な自己批判も生じた。その代表が、アドルノとホルクハイマーを中心とするフランクフルト学派である。彼らの問題意識の背景にあったのは、資本主義の発展、官僚制の拡大、大衆社会の成立、ファシズム、ナチズム、反ユダヤ主義、世界大戦という20世紀の歴史的経験だった。
啓蒙主義は、理性と科学によって神話、迷信、伝統的権威を打破すれば、人間は自由になると考えてきた。しかし、科学技術と合理的官僚制を発達させたはずの近代社会が、なぜファシズムと大量殺戮を生み出したのか。なぜ教育を受け、科学的知識を持ち、高度な文化を築いた社会が、野蛮へと逆行したのか。フランクフルト学派が直面したのは、啓蒙の失敗というより、啓蒙そのものの内部にある矛盾だった。
彼らによれば、啓蒙とは、単に18世紀に始まった思想運動ではない。それは、未知の自然を理解可能なものへ変え、恐怖から逃れようとする人間の長い運動である。人間は自然の法則を知り、未来を予測し、技術によって自然を操作することで、自然の脅威から自由になろうとした。しかし、自然を理解することが、自然を支配することと同一視されるとき、理性の性格は変化する。対象が何であるのか、どのような意味や価値を持つのかを考える理性ではなく、ある目的を達成するために対象をどのように利用できるかを計算する理性が優位になる。
このような理性を、ホルクハイマーは道具的理性として批判した。道具的理性は、目的そのものが正しいかどうかを問わない。与えられた目的を、最も効率的に達成する手段を選択する。合理性は、何を目指すべきかを判断する能力ではなく、目標達成の効率へと縮減される。自然を計算し、分類し、操作するために発達した理性は、やがて人間と社会にも適用される。人間は、固有の歴史、経験、感情、意味を持つ存在としてではなく、測定、比較、配置、交換の対象として扱われる。労働者は生産力として、消費者は購買力として、国民は人口として、学生は能力と成績の集合として把握される。人間を自然から解放するはずだった理性が、人間そのものを管理可能な資源へ変えるのである。
この自己反転は、国家による強制だけを通じて進むわけではない。資本主義市場では、異質な物や活動が価格によって比較される。官僚制では、異なる人間や事例が、共通の規則と分類によって処理される。統計、心理検査、能力測定、標準化された教育などは、複雑な個人を共通の尺度に置き換える。合理化とは混乱を整理することだが、その整理によって、尺度に収まらない差異が切り捨てられる。
つまり、知の再編は、旧来の権威を解体し、人間を自由にするだけではない。新しい知が制度化され、国家、市場、官僚制と結び付けば、それ自体が新しい管理と支配の技術になる。啓蒙は、外部の敵によって裏切られるのではない。自然を計算し、予測し、支配することによって人間を解放しようとする原理の内部に、管理への反転可能性を含んでいるのである。
この議論は、現代の大学を考えるうえでも重要な示唆を与える。研究成果を論文数、引用数、外部資金、特許によって測定し、教育成果を単位修得率、就職率、資格取得率、学生満足度によって測定すれば、複雑な教育研究活動を比較可能な情報へ変えることができる。それによって説明責任と透明性が高まる面もある。しかし、測定可能なものだけが価値あるものとして扱われれば、研究と教育の目的そのものが、指標によって逆に規定される。
人格、文化、創造性、コミュニケーション能力が、人的資本やコンピテンシーとして表現される状況も、同じ問題を持つ。人間の内面的能力が重視されなくなったのではない。むしろ、それらは経済的・社会的成果を生み出す資源として、積極的に発見、分類、測定、開発される。人格形成までが、利用可能な能力の形成として理解されるのである。
フランクフルト学派の議論は、人的資本論やコンピテンシー概念を直接批判したものではない。しかし、人格や文化までもが測定・交換・動員可能な資源へ変換される現代の状況を、道具的理性の拡張として解釈するための視点を提供する。
3.知と制度の自己批判――ポスト構造主義と学生運動
フランクフルト学派が、近代的理性がなぜ支配へと自己反転するのかを問うたのに対して、1960年代以降のフランス思想は、何が真理とされ、どのような主体が形成されるのかを、知、言説、制度、権力の関係から問い直した。
フーコーは、狂気、医学、監獄、性などをめぐる歴史研究を通じて、近代的な知が、すでに存在する対象を中立的に発見しただけではないことを明らかにした。誰を正常とし、誰を異常とするのか、何を健康とし、何を病気とするのか、誰を犯罪者として処罰し、矯正するのかは、病院、精神医学、監獄、学校、軍隊などの制度と結び付いて決定される。知と権力は、外部から対立するだけではない。権力は、人間を観察し、記録し、分類することによって知を生み出す。知は、その分類に基づいて人間を処遇し、訓練し、矯正することで権力を作動させる。フーコーが「権力=知」として問題にしたのは、この相互形成の関係だった。
この関係を象徴するのが「試験」である。試験は、個人が何を知っているのかを中立的に確認するだけのものではない。個人を観察し、記録し、他者と比較し、順位付けし、正常と異常を区分する。試験によって個人は、成績、能力、適性、発達段階などを持つ存在として可視化される。同時に、その評価に適合するように、自らを訓練する主体へと形成される。
この視点から見れば、大学は真理を自由に探究する場所であるだけでなく、学位、試験、資格、専門分野を通じて、人間を分類し、社会的な位置へ配分する制度でもある。専門家は、既存の知を所有しているから権威を持つだけではない。何を正常な知と認め、誰を専門家として承認するのかを決定する制度の中に位置することで、権威を持つのである。
もちろんフーコーは、「真理は存在しない」「専門知はすべて権力の偽装である」と主張したわけではない。彼が問うたのは、ある言明が真理として成立し、ある人物が専門家として発言し、ある分類が自然で自明なものとして受け入れられるためには、どのような歴史的・制度的条件が必要なのかという問題だった。彼の仕事は、専門的な知が中立性と普遍性を掲げながら、実際には特定の主体を正常とし、別の主体を周辺化してきたことを、社会が見過ごせなくなりつつあることを示した。その意味で、制度化された知がやがて公共的信頼を失う危険を早くから察知した「炭鉱のカナリア」だったのかもしれない。
同じ時期、大学制度そのものに対しても、大規模な異議申し立てが生じた。1960年代後半に世界各地で起きた学生運動である。もちろん、フランス、ドイツ、アメリカ、日本など、それぞれの運動は異なる政治的・社会的背景を持っていた。大学の管理運営、授業や試験への不満だけでなく、ベトナム戦争、植民地主義、人種差別、権威主義的政治、消費社会、家父長制など、広範な問題が争点となった。しかし、これらの運動には、共通する背景があった。大学は高等教育の民主化を掲げ、多数の若者を受け入れるようになった。しかし、大学の管理運営、教育方法、教授と学生の関係、知の内容は、なおエリート段階の権威主義的構造を残していた。進学者数は増えたが、学生が大学の意思決定に参加する機会は限られていた。教育機会の拡大は、自由な人格形成を約束しながら、実際には官僚制と産業社会に適応する人材を大量に養成する仕組みになりつつあった。
学生たちが批判したのは、大学へのアクセスが狭いことだけではない。何のために大学で学ぶのか、誰が教育内容を決めるのか、大学が国家、軍事、企業とどのような関係を持つのかという、大学の目的と統治をめぐる問題だった。学生運動は、大学を単なる知識の伝達機関ではなく、社会の権力関係が集中的に現れる政治的空間として可視化した。大学は、誰を入学させるのか、どの知を正統とするのか、誰に発言権を与えるのか、卒業生を社会のどの位置に配分するのかを決める。大学の自治は、国家からの自由を意味する一方で、教授会や専門家共同体が学生や市民の関与を排除する根拠にもなり得る。学生運動は、この二重性を突いたのである。
4.自己批判の制度的回収
フランクフルト学派、ポスト構造主義、学生運動による批判と並行して、大学へのアクセスは急速に拡大し、学生参加の制度が整備され、教育内容と研究領域は大きく変化した。労働者階級、女性、人種的・民族的少数者、植民地支配を受けた地域の経験が、学問の対象として本格的に取り上げられるようになった。女性学、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアル研究、エスニック・スタディーズなどの新しい領域は、従来の学問が普遍的人間や客観的知識の名のもとに排除してきた経験を可視化した。学際研究も拡大し、既存の学部・学科の境界を越える研究組織が作られた。学生運動や社会運動による異議申し立てが、大学のカリキュラムと制度に実質的な変化をもたらしたことは否定できない。それまで知の対象にも主体にもなれなかった人々が、自らの経験を研究し、既存の知を修正する制度的な場所を獲得したという点で、重要な成果だった。
しかし、新しい知が大学の中で存続するためには、それ自体が制度化されなければならなかった。新しい研究領域は、専攻、学科、研究センター、学会、学術雑誌、学位プログラムを形成し、研究費と教員ポストを獲得する必要があった。既存の専門分化を批判して生まれた知も、存続するためには、新しい専門分野として自らの境界、方法、専門用語、業績評価を作らなければならなかった。
おそらく、ここに、自己批判の制度化が持つ避けがたい逆説がある。制度化されなければ、批判的な知は一時的な運動として消滅する。しかし、制度化されれば、批判的な知もまた、専門家共同体の内部で生産・評価される研究業績となる。権力と知の結び付きを批判する研究が、学会報告、査読論文、研究費、昇進の材料として流通する。専門分化を批判する研究が、新しい専門分野を形成する。
学生運動も同様である。大学の権威主義的な統治を批判し、参加と民主化を要求することはできた。しかし、専門性を維持しながら、誰がどのように意思決定するのか、多数の学生を教育しながら教育の質をどう保障するのか、大学の自治と公共的説明責任をどう両立させるのかについて、安定した制度を形成することは容易ではなかった。
その結果、大学は基本構造を置き換えるよりも、新しい要求に対応する組織と機能を追加する方向へ進んだ。既存の学部・学科の上に学際的研究センターが作られ、従来の教養教育の上にキャリア教育が置かれ、教員組織の周囲に学生支援、国際交流、地域連携、産学連携、研究推進、広報、評価などを担う組織が加えられた。大学、学部、学科、学会、査読、学位、専門分化という基本構造は維持された。その上に、教育機会の平等、多様性と包摂、学生参加、学際性、地域貢献、社会人教育、国際化、産業連携、イノベーションなど、新しい理念と機能が次々と付け加えられた。
近代大学は、「同じ床」を作り直さないまま、その上で見るべき「異なる夢」を増やし続けた。
この機能拡張は、大学が社会の変化に柔軟に対応してきた証拠でもある。しかし、大学が多くの要求を取り込むほど、誰が大学全体の目的を決定するのかという問題は困難になる。研究者は学問の自由を、学生は教育と支援を、政府は説明責任を、産業界は人材と技術を、地域社会は地域貢献を要求する。いずれも一定の正当性を持つため、大学はどれか一つを簡単に拒否することができない。
近代大学の肥大化は、中世ヨーロッパにおいて、教会が教育、救済、福祉、法、文化、知識の保存など、社会の多くの役割を一身に抱え込んでいった過程を想起させる。もちろん、中世教会と現代大学は同じ制度ではなく、両者を直接同一視することはできない。共通しているのは、ある制度が高い社会的正当性を獲得した結果、新しい役割と期待を次々と吸収し、社会にとって不可欠になる一方で、その目的と内部構造を外部から理解しにくくしていく点である。
多くの役割を担う制度は、簡単には廃止できない。しかし、機能が増え、内部構造が複雑になり、自らの目的を統一的に説明できなくなると、「非効率である」「硬直化している」「社会の変化に対応できていない」という批判を受けやすくなる。制度の自己改革が十分に進まなければ、やがて外部の勢力が、何が重要な機能であり、どの分野に資源を集中すべきかを決定するようになる。
近代大学が直面したのは、単なる規模の拡大ではない。真理探究、人間形成、社会的有用性という異なる原理を調整してきた国民国家的な枠組みが揺らぐなかで、大学自身が、何のために存在するのかを統一的に語れなくなったという正当性の危機である。
この空白に入り込むのが、グローバル化、知識基盤社会、人的資本、イノベーション、国際競争力という新しい正当化の言語である。第二の知の再編は、近代大学の外部から突然始まったのではない。専門分化、大衆化、機能拡張、自己批判、数量的評価が重なり合い、近代大学が自らの目的を説明できなくなった場所から始まったのである。
第3章 現代における知の再編
1.知識基盤社会と有用性の一元化
現代における人文学の危機は、日本政府の政策だけを見ていても十分には説明できない。人文社会系の縮小や理工系への資源集中は、日本固有の財政事情や少子化への対応として現れているが、その背後には、大学、教育、研究、人間形成を捉える世界規模の枠組みの変化がある。
「知識基盤社会」「人的資本」「コンピテンシー」「イノベーション」「第四次産業革命」「デジタルトランスフォーメーション」といった言葉は、その変化を表現する政策言語である。これらはそれぞれ異なる由来と射程を持っており、単純に同一視することはできない。しかし、知を経済成長と社会変革の主要な資源として捉え、教育制度をその生産・更新・配分の装置として再設計しようとする点では、相互に結び付いている。
OECDが1996年の報告書で示した「知識基盤経済」は、知識と情報の生産、流通、利用が経済成長や生産性を左右する社会を意味していた。そこでは知識は、蓄積される文化的遺産や人格形成の媒介であるだけでなく、技術革新を生み出し、産業競争力を高める直接的な生産要素として捉えられる。
この転換が意味するのは、知の価値が低下したことではない。むしろ、知に対する社会的・経済的な期待はかつてないほど高まっている。ただし、新しい価値を生み出す知、他の領域へ移転できる知、問題解決に利用できる知、データとして把握できる知、成果を測定できる知が優先される。知の重要性が高まることと、価値ある知の範囲が選別されることが、同時に進行しているのである。
この変化の中で、大学もまた、すでに形成された知を保存し、伝承する機関であるだけではなく、イノベーションを生み出す知識生産拠点として位置付け直される。教育は将来の収益を生み出す投資となり、研究は産業や政策へ接続される成果の源泉となる。大学の価値は、そこでどのような真理が探究されているかだけではなく、どれだけの特許、起業、共同研究、雇用、地域経済効果を生み出したかによって説明されるようになる。
「人的資本」という概念は、この変化を人間の側から表現している。人間が持つ知識、技能、健康、経験、態度は、将来の生産性や所得を生み出す資本として捉えられる。世界銀行の人的資本指標は、教育や健康への投資が次世代の労働者の生産性にどれだけ寄与するかを共通の尺度によって示そうとしている。
もちろん、人的資本という考え方は、教育を単純に企業利益へ従属させるものではない。貧困の削減、健康の改善、教育機会の拡大、社会参加の促進も、その重要な目的に含まれている。しかし、教育、健康、人格、能力が「投資」と「収益」の関係によって把握されるとき、人間は教育を受ける主体であると同時に、継続的に価値を高めなければならない資本として理解されることになる。個人は、自らの技能が陳腐化しないように学び続け、自らを更新し、自らの雇用可能性を管理することを求められる。
「コンピテンシー」という概念は、この人的資本の範囲を、知識や技能から人格や態度へと拡張する。コンピテンシーは、知識を所有していることではなく、具体的な状況において、知識、技能、態度、価値を動員し、問題を解決する能力を意味する。OECDの教育構想も、知識や技能だけでなく、主体性、責任、価値、ウェルビーイングを含む幅広い人間的能力を重視している。
この構想には、知識の暗記に偏った教育を乗り越え、学習者の主体性や社会的責任を回復しようとする側面がある。したがって、コンピテンシーを単なる企業向け能力へ還元することは適切ではない。しかし同時に、従来は人格や教養として一体的に語られてきたものが、創造性、協働性、批判的思考、コミュニケーション能力、自己管理能力といった個別の能力へと分解され、教育目標として設定され、評価の対象となる点は重要である。
ここでは、人間形成そのものが否定されているのではない。むしろ人間形成は、以前よりも広い範囲で政策の対象となっている。ただし、何を学んだか、どのような人間になったかという問いは、何ができるようになったか、どのような状況で能力を発揮できるかという問いに翻訳される。人格は、その人固有の存在のあり方であるよりも、社会的成果を生み出す能力の集合として捉え直されるのである。
さらに、「第四次産業革命」や「デジタルトランスフォーメーション」という言葉は、この変化に時間的な切迫性を与える。AI、ロボット、データ、プラットフォームによって産業と労働市場が急速に変化し、既存の技能が陳腐化するという未来像が提示される。その未来は、政治的に選択し、形成する対象であるよりも、すでに到来しつつある不可避の環境として描かれる。大学や個人に残されるのは、その変化に適応できるか否かという選択である。
世界経済フォーラムの「Education 4.0」構想が、技術的能力だけでなく、創造性、対人関係能力、グローバル市民性を「未来の市民と労働力」に必要な能力として位置付けていることは、この再編をよく示している。人文学が従来扱ってきた創造性、倫理、文化理解、対話能力は消去されるのではなく、新しい経済と労働市場に必要な能力として再定義されるのである。
このような政策言語は、未来を記述するだけではない。それは、未来に適応するためには教育制度を変えなければならないという切迫感を作り出し、改革の方向を限定する。どの分野を拡大し、どの分野を縮小するか、どのような学生を育てるか、何を研究成果とみなすかという判断が、「避けられない技術変化への適応」として正当化される。未来についての語りが、現在の資源配分を決定するのである。
さらに、現代の知の再編は、大学政策や教育理念だけによって進むのではない。データベース、大学ランキング、学術情報プラットフォーム、引用指標、学習管理システム、オンライン教育、生成AIといった新しいメディアが、知の生産と流通の形式を変えていく。研究成果は検索され、引用され、比較される単位となり、教育成果は学習履歴や到達度として記録される。測定可能なものが可視化され、可視化されたものが資源配分の根拠となり、測定しにくいものは存在していても評価されにくくなる。
ここで、近代大学を支えてきた三つの正当化原理の関係が再編される。真理探究は、イノベーションや社会的インパクトを生み出す限りで評価される。人間形成は、人的資本やコンピテンシーの形成として評価される。そして社会的有用性は、複数ある大学の目的の一つではなく、真理探究と人間形成の価値を判定する上位原理となる。
もちろん、ここでいう「有用性の一元化」は、あらゆる価値が即時的な金銭利益へ還元されることを意味しない。社会課題の解決、包摂、持続可能性、健康、安全、文化振興なども、有用性に含まれ得る。問題は、真理や人格や文化が、それ自体の論理によってではなく、あらかじめ設定された成果へどれだけ貢献するかによって正当化されることである。説明可能で、測定可能で、比較可能な有用性が、価値判断の共通通貨となりつつあるのである。
2.18世紀啓蒙主義と現代の構造的相似
以上のように現代の知の再編を捉えると、18世紀の啓蒙主義との構造的な相似が見えてくる。
第一に、いずれの時代においても、既存の知の制度は、新たな社会的欲求に応答できないものとして批判される。18世紀には、教会や大学の知が、神学的権威と古典の注釈に閉じこもり、商業、科学、技術、民生、そして軍事の発展に対応できないとみなされた。現代では、学部・学科・学会によって細分化された大学の知が、デジタル化、産業構造の変化、地球規模の課題、流動化する労働市場に対応できないと批判される。
第二に、新しい知の担い手は、自らが必要とする知を、特定の集団の利害としてではなく、社会全体にとって普遍的な価値として提示する。18世紀において、科学、技術、商業、出版、そして軍事を担う諸層は、自らの知を「理性」「進歩」「公共的有用性」の名によって正当化した。現代において、政府、企業、国際機関、大学経営組織などは、自らの求める知を「イノベーション」「人的資本」「社会課題の解決」「未来への適応」の名によって正当化する。
第三に、いずれの場合にも、知の内容だけでなく、知の序列が組み替えられる。18世紀の『百科全書』は、神学や古典注釈に対して、実験科学、職人の技、機械的技芸を価値ある知として引き上げた。現代の大学改革も、データ科学、情報技術、工学、起業、学際的問題解決などを重点領域として位置付ける一方、既存の専門分野に対して、その社会的意義を改めて説明することを要求する。
第四に、知の再編は、新しいメディアによって具体化される。『百科全書』は、知を分類し、配列し、相互参照によって接続し、図版によって職人の技を可視化した。百科全書という形式そのものが、何が知であり、異なる知がどのように関係するのかを示していた。現代において、この役割を担うのは、データベース、検索エンジン、学術プラットフォーム、大学ランキング、成果指標、教育データ、生成AIなどである。これらのメディアは、既存の知をただ流通させるだけではない。検索可能な単位へ分解し、関連付け、順位付け、推薦し、利用履歴を収集することによって、何が発見され、何が読まれ、何が価値ある成果として認識されるかを左右する。『百科全書』が印刷文化における知の再編装置だったとすれば、現代のデジタル・プラットフォームは、データ化された知の再編装置である。
第五に、知の再編は、新しい人間像の形成を伴う。『百科全書』は、理性を用いて世界を理解し、技術によって社会を改善する市民的人間像を提示した。現代の知識基盤社会は、変化に適応し、問題を解決し、協働し、自ら学び直し続ける人間像を提示している。知の再編とは、知識の分類を変えるだけではない。何を知るべきか、どのように働くべきか、どのような人間であるべきかを組み替えることでもある。 したがって、両者の間には、制度化された知が新しい社会的欲求に応答できず、その正当性を失ったとき、新しい社会勢力が、自らの担う科学・技術・実践知を普遍的価値として提示し、新しいメディアと制度を通じて知の序列と資源配分を組み替える、という構造的な相似がある。
もちろん、この相似は、両者の理念や政治的意味が同じであることを意味しない。18世紀の啓蒙が解放を目指し、現代の市場化が管理だけを目指しているという単純な対比も成立しない。
18世紀の科学と実用知は、身分的特権や神学的権威を相対化し、知の公共圏を拡張する力を持っていた。しかし同じ知は、国家行政、軍事、植民地支配、産業管理を高度化する力ともなった。現代の人的資本政策やデジタル教育も、人間を測定・動員する側面を持つ一方で、教育機会の拡大、障害の克服、知識へのアクセス、社会参加を支える可能性を持っている。
知の再編は、解放か支配かのどちらか一方ではない。ある支配から人間を解放する知が、制度化されることによって別の管理を生み出す。新しい制度が可能性を開くと同時に、そこで評価されない知や人間を周縁化する。フランクフルト学派が指摘した啓蒙の自己反転は、まさにこの両義性に関わっていた。
比較すべきなのは、二つの時代の善悪ではなく、知の再編が進行する仕組みである。既存制度の機能不全が語られ、新しい社会的欲求が提示され、新しい知の担い手が登場し、その担い手の価値が普遍的な価値として承認される。そして新しい分類、評価、メディア、資源配分によって、知の秩序が組み直される。
18世紀の啓蒙主義と現代の大学改革は、この意味において、異なる歴史的条件のもとで生じた同型の知の再編なのである。
3.二つのヘゲモニー再編――国民国家からグローバルな知識秩序へ
18世紀啓蒙主義と現代の知の再編の違いは、単に、それを担う主体や掲げられた理念が異なるという点にあるのではない。両者は、それぞれ異なる社会秩序への移行に伴って生じた、知をめぐるヘゲモニーの組み換えだったと考えられる。
ここでいうヘゲモニーとは、ある社会勢力が他の勢力を強制的に排除することだけを意味しない。特定の社会勢力が担う知、価値、利害を、社会全体にとって普遍的で合理的なものとして承認させることである。ヘゲモニーは、命令や禁止だけによって成立するのではない。人々が何を当然と考え、何を未来への適応とみなし、どのような能力を自発的に身に付けようとするかを方向付けることによって成立する。
18世紀の啓蒙主義の背後には、商業、金融、出版、専門職、行政、科学、技術などを担う新興諸層の成長があった。これらの諸層は、少なくとも商業的富、信用、技術、情報流通といった領域では、旧来の貴族や聖職者に匹敵し、場合によってはそれを上回る資源を蓄積していた。しかし、その経済的・技術的・情報的な力は、身分的、政治的、文化的権威へと十分には転換されていなかった。
『百科全書』は、この不均衡を組み替える装置だった。生産、技術、商業、実務に関わる知を、単に新興諸層にとって有益な知としてではなく、「理性」「進歩」「公共的有用性」を体現する普遍的な知として提示したのである。職人の技術を図版によって可視化し、実験科学や機械的技芸を知の体系へ組み込むことは、それらを担う社会集団の地位そのものを引き上げることでもあった。その意味で『百科全書』は、新興諸層が経済的・技術的・情報的資源を文化的・政治的権威へと転換するための、ヘゲモニー形成の装置だったといえる。
この知の再編は、フランス革命と19世紀の国民国家形成を経て、新しい制度へ組み込まれていく。近代大学、国民教育、学会、博物館、図書館、国語教育、国民史などは、新たな知の秩序を制度化する装置となった。
その過程で、人文知は、国民の歴史、言語、文化を形成し、国民国家を担う市民とエリートの人格を形成する知として、近代的に再編された。古典、文学、歴史、哲学は、国民文化の中核を構成し、市民的教養と国家的統合を支える役割を与えられた。
近代大学に同居していた「真理探究」「人間形成」「社会的有用性」という三つの原理は、たしかに異なる方向を向いていた。しかし、真理は国民国家の威信を高め、人間形成は国民とエリートを育て、有用な知は国家の産業・軍事・行政を支えるという形で、最終的には国民国家という共通の床によって結び付けられていた。近代大学の「同床異夢」を支えていた床とは、「国民国家」である。
現代に起きているのは、この国民国家を前提として成立した知の秩序の再編である。
もちろん、国民国家が消滅したわけではない。政府は依然として大学制度を設計し、公的資金を配分し、学位を認証し、教育課程を規制している。むしろ大学改革の多くは、国家政策を通じて実施されている。
変化しているのは、国家の役割そのものと、国家が教育に求める目的である。国家は、共通の歴史、言語、文化を持つ国民を形成する「教育国家」であるだけでなく、グローバルな市場の中で資本、人材、企業、研究拠点を獲得する「競争国家」として振る舞うようになる。国家はグローバル化によって消滅するのではなく、国際競争へ参加する一つの経営単位として再定義されるのである。
そのため大学は、国民文化の継承と国内エリートの形成だけでなく、世界大学ランキングでの位置、国際的な研究競争力、外国人研究者や留学生の獲得、産学連携、起業、地域産業の高度化に責任を負わされる。国家は大学を保護する主体であると同時に、大学を競争へ参加させ、成果を比較し、資源を傾斜配分する主体となる。
この再編を担うのは政府だけではない。国際機関、多国籍企業、デジタル・プラットフォーム企業、金融・コンサルティング、政策官僚、大学経営組織、研究資金配分機関、教育産業、科学技術分野の研究組織が、緩やかなネットワークを形成している。
ここで注意すべきなのは、これらのステイクホルダーが、単一の意図によって大学を支配する統一的な集団ではないということである。国際機関は包摂や社会的福祉を重視することがあり、企業は収益と人材獲得を求め、政府は経済成長と政治的支持を求め、大学経営組織は財政と組織の存続を求める。それぞれの利害は必ずしも一致しない。
それにもかかわらず、これらの主体は、「知識基盤社会」「人的資本」「イノベーション」「コンピテンシー」「第四次産業革命」「デジタルトランスフォーメーション」といった共通の言語によって接続される。その言語を通じて、どのような未来が到来し、どのような知が必要となり、どのような人間を育成すべきかについて、大まかな合意が形成される。
これらは単なる政策用語ではない。何を問題として認識し、どのような解決策を合理的とみなし、どの分野に資源を配分するのかを方向付ける、新しいヘゲモニーの言語である。
しかも、このヘゲモニーは上から押し付けられるだけではない。不安定な労働市場の中で、学生と家族は就職に結び付く学部を選び、研究者は外部資金を獲得できるテーマへ接近し、大学は生き残りのために重点分野を設定する。それぞれの主体が不確実性に対して合理的に行動する結果、人的資本とイノベーションを中心とする秩序が再生産される。ヘゲモニーとは、外部からの強制だけではなく、個々の合理的な適応を通じて成立する支配でもある。
国民国家を前提とした大学が形成しようとしたのは、自国の歴史、言語、文化を共有し、公共社会を担う「国民」だった。そこでは教養は、人格形成の理念であると同時に、国民文化への参入資格でもあった。
これに対して、グローバルな知識基盤社会が形成しようとするのは、変化する環境に適応し、自らの能力を更新し続け、組織や国境を越えて価値を生み出す「人的資本」である。理想的な主体は、特定の知識を身に付けた完成された人間ではなく、学習し続け、変化に対応し、自らを管理し、自らの能力を組み替えることのできる人間となる。
人間形成そのものが否定されているのではない。創造性、共感、文化的理解、倫理的判断、コミュニケーション能力は、むしろ積極的に求められている。しかし、その意味は変化している。人格をそれ自体として形成することから、市場と社会において価値を生み出す能力を形成することへ。教養を共有された文化へ参入する過程と捉えることから、変化へ適応するための移転可能な能力を獲得する過程へ。教育を社会が人間に保障するものと捉えることから、個人が将来に備えて自らへ投資するものと捉えることへ。
おわりに―人文学のダウンサイジングが意味するもの
したがって、人文学のダウンサイジングを、科学技術が人文学を単純に排除する過程として捉えることはできない。
そこで起きているのは、国民国家、国民文化、人格形成を前提として制度化されてきた人文知が、グローバルな知識基盤社会における人的資本、イノベーション、国際競争力という基準によって選別され、再配置されることである。
新しい秩序に翻訳できる人文知は、排除されるどころか積極的に動員される。文化はコンテンツ産業、観光、地域振興、ソフトパワーへ接続される。語学はグローバル・コミュニケーション能力となり、倫理学はAIや生命科学の社会実装を支える知となる。歴史は文化遺産や国家ブランドとなり、芸術は創造産業とイノベーションの源泉となる。
反対に、翻訳しにくい人文知は縮小圧力を受ける。特定の地域や時代に限定された基礎研究、希少な資料や言語の保存、成果が長期的にしか現れない研究、国家や市場の前提そのものを問い直す批判的研究は、資源配分の根拠を示すことが難しい。人文学の内部に境界線が引かれ、「役立つ人文知」と「役立たない人文知」が選別されるのである。
また、国民国家的な人文知が全面的に衰退するわけでもない。グローバル化とナショナリズムは、必ずしも相反しない。国民文化は、観光資源、国家ブランド、国際競争上の差異として再動員され得る。政権や社会の自己像を強化する歴史や文化には資源が与えられる一方、その自己像を批判的に検討する人文学は攻撃されることがある。
この点で、現代の人文学の危機には、知識基盤社会による構造的な再編だけでなく、反知性主義やポピュリズムをめぐる政治的対立も重なっている。市場的有用性の論理と政治的な反知性主義は同じものではない。しかし両者は、大学内部で自律的に正当化されてきた知への不信という点で結び付き、人文知を選別する異なる圧力として作用する。
同時に、制度化された人文学を、旧秩序の無垢な被害者として描くこともできない。近代的人文学は、国民文化とエリート教育の中心に位置することで資源と権威を得てきた。そこで作られた国民史や文学正典や教養概念は、ある言語、文化、階級、ジェンダーを普遍的なものとして提示し、それに属さない人々を周縁化してきた。現代の再編によって失われつつあるのは、人文知の普遍的な本質ではなく、国民国家的秩序の中で人文学に与えられていた特定の地位なのかもしれない。
しかし、旧来の制度が問題を抱えていたことは、その制度的基盤を解体してよい理由にはならない。資料の保存、少数言語の継承、長期的研究、研究者の生活保障、専門的訓練、批判的知性の自律性は、一定の制度、予算、ポスト、研究時間がなければ維持できない。制度化された人文学と人文知の働きを区別する必要はあるが、両者を切り離すことはできない。
この観点に立つならば、人文学に必要なのは、国民国家的な大学秩序の中で与えられていた旧来の地位をそのまま維持することではないのだろう。問われるべきなのは、知を市場的有用性へ一元化せず、真理探究、人間形成、社会的有用性の緊張関係を維持できる新しい制度的基盤を、どのように構想し直すかということである。そのためには、おそらく、「同じ床」には載せられない「夢」もあるということを直視しなければならないだろう。問題の本質は、人文学の規模が変わることそれ自体にはない。誰が、いかなる基準によって、どの知を維持し、どの知を不可逆的に失わせるのか、である。
(※本論は私の霊感を土台としながら、生成AIとの会話による反論と批判、提案と示唆を受けて、勉強しながら書いています。)