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読書感想文に対する教育学的見解

読書感想文は、やらなくていい

どうも世間には誤解が満ちているようなので、事実を端的に示しておくと、学校や教師が読書感想文を行う必要は、まったくありません。なぜなら、『学習指導要領』に「やれ」とは一言も書いてないからです。読書感想文を行うことは、学校に期待されていません。

学習指導要領に書いてあることが学校の仕事

ごくごく基本的なことを確認しますと、学校や教師が絶対にやらなければいけないことは、『学習指導要領』に書いてあることです。『学習指導要領』は法的拘束力を持つと文部科学省は主張しています。法学的解釈としては様々な立場がありますが、ともかく文部科学省としては、学校と教師には『学習指導要領』に書いてあることをしっかりやってもらいたいと期待しているわけです。
逆に言えば、『学習指導要領』に書いていないことは、文部科学省が学校や教師の仕事として強制的に課しているものではない、ということです。そして、読書感想文をやれとは、『学習指導要領』に、一言も書いてありません。つまり、学校や教師は、読書感想文を行う必要は、まったくないのです。

学習指導要領に書いてあること

『学習指導要領』に書いてあるのは、「読書活動を充実すること」(小学校22頁、23頁)、「楽しんで読書をし、国語を大切にして、思いや考えを伝え合おうとする態度を養う」こと(小学校28頁)だったりします。読書活動を充実するべきことは書いてありますが、読書感想文をやれとは、一言も書いてありません。学校や教師の仕事は、子どもたちに「楽しんで読書をし」てもらうことであって、読書感想文を書かせることではありません。私がそう主張しているのではなく、『学習指導要領』を読めば、そう書いてあります。
(※いちおう、「文章を読んで理解したことに基づいて、感想や考えをもつこと」(小学3・4年)、「文章全体の構成や展開が明確になっているかなど、文章に対する感想や意見を伝え合い、自分の文章のよいところを見付けること」(小学5・6年)という記述はあります。ただしそれを「読書感想文」という形で実現せよとは書いていないわけです。)

文部科学省の公式見解

さらに、文部科学省の公式見解を見ても、読書感想文は特に推奨されているわけではありません。
たとえば2004年の文化審議会答申に「これからの時代に求められる国語力について」というものがあります。ここに、答申として提出された公式見解として、こう述べられています。

読書感想文を書くこと 自体は子供たちの国語力を向上させる有効な方策の一つであるが、一律に、読書感想文を強制するなど子供たちに過度の負担を感じさせてしまうような指導では、子供たちが物語の中に入り込めず、読書を楽しむことができない。常に子供たちの状況を的確に把握し、意欲を出させるための取組が必要である。(24頁)

どう読んでも、読書感想文を推奨していません。そしてこの答申では、読書感想文ではないやりかたで「読書を充実させる」ための様々な施策が提案されています。

「必要か必要でないか」以前の問題

そもそも私がなんでこんな文章を書いているかというと、「読書感想文は必要か」国語教師らしき人物の問いかけが議論を呼ぶ」(LivedoorNEWS)という記事を読んで、唖然としたからです。「必要か必要でないか」を議論する以前に、「学習指導要領にやれとは一言も書いていない」という事実を知らないのが問題だからです。特に現役国語教師がこれを知らないというのは、あまり褒められたことではないと思います。『学習指導要領』を読んでいないということですから。

目的を見極め、手段を工夫する

私としても、別に『学習指導要領』が100%正義とか言いたいわけではありません。やらなきゃいけないとされているものにしても、「ほんとうに必要か?」と疑いの目を向けることはあります。が、読書感想文に関して言えば、『学習指導要領』にすら「やれ」とは一言も書いていないわけです。
学校や教師の仕事は、「読書活動の充実」をすることです。これが「目的」です。この目的を達成するために、様々な手段を考え、工夫するわけです。「読書感想文」とは、「読書活動の充実」という目的を達成するための手段のひとつに過ぎません。その手段が、目的に達成にとって有効ならやればいいし、目的の達成にとって効果がないのであればやめればいい、ただそれだけのことです。『学習指導要領』は、「読書活動の充実」という目的は示していても、それを達成するための手段として「読書感想文をやれ」なんて書いていません。手段は、各学校と教師が考えて工夫すればいいだけです。それにも関わらず相変わらず読書感想文が続いているとすれば、それは単に学校と教師の前例主義に基づく思考停止に過ぎません。教師のほうで読書感想文に意味を見いだせなければ、さっさとやめればいいのです。ただし、仕事として「読書活動の充実」をしなければならないということは、もちろん忘れてはなりません。

手段が目的化したときに、ものごとはおかしくなる

読書感想文が相変わらず続いているのは、本来の目的が見失われ、手段が目的化していることが強く疑われる事例です。本来の目的を達成しようと思ったら、他に有力な様々な手段があります。しかし目的を見失って、単なる手段だったものを目的化してしまうと、なんのためにやるのか意義が分からないに関わらず、ずるずる続けてしまうわけです。
事は、読書感想文だけ留まらないのでしょう。わけの分からないブラック校則も、手段が目的化してしまったものです。その校則を作った時点では何らかの目的を達成するはずだったものが、いつのまにか本来の目的が見失われ、校則を守ること自体が目的となってしまうと、ブラック校則になります。部活動にも、手段が目的化しているおかしな事例がたくさん見られます。
学校にも、日本社会にも、手段が目的化してしまったばかりに、多くの人々を不幸にしているものが、たくさんあります。読書感想文とは、そういう「手段が目的化したわけのわからないもの」を象徴するものなのかもしれません。

結論

やる必要を感じないのなら、読書感想文はさっさとやめてしまって、なんの問題もありません。ただし、「読書活動の充実」は必ず行って下さい。

【教師論の基礎】教師の服務義務―地方公務員法と教育公務員特例法

公立学校の教師には、法律で定められた服務規程があります。特に「地方公務員法」と「教育公務員特例法」の2つを理解しておく必要があります。他に地方自治体や教育委員会が定める条例や規則があります。規定に違反してしまった場合、懲戒処分(免職・停職・減給・戒告)されますので、しっかり認識しておきましょう。
もちろん教員採用試験にもよく出題されます。たくさん出題されるのでネットで解説しているサイトも多いところですが、根本的に何も理解せずに間違って解説しているサイトも多く、たいへん遺憾なところです。特に憲法や行政法についてまったく無知なサイトが多いのには、閉口するところです。本来は、憲法や「法治主義」に対する本質的な理解を土台にして、具体的な条文を理解するべきところです。
まず、そもそもどうして「義務」に従わなくてはならないのか。その根本的な理由から確認しましょう。

全体の奉仕者

服務の根本基準

地方公務員法第30条(服務の根本基準)
すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

義務に従わなくてはならないのは、「全体の奉仕者として公共の利益のため」に働くためです。しっかりした理由があります。
まずは「全体の奉仕者」と「公共の利益」という言葉の中身と意義について適切に理解しましょう。「全体の奉仕者」という言葉は、もちろん日本国憲法第15条2項に基づいています。

日本国憲法第15条2項
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

ある特定の個人や団体や集団の利益になるようなことを、公務員はしてはなりません。日本に住む全ての人々の生活を豊かにすることが、公務員の務めです。仕事中は、全力で「公共の利益」のために頑張りましょう。
「公共の利益」という言葉については、「公共」と「公」の区別をしっかりつけておきましょう。「公共」とは「みんなの」という意味です。「公共の利益のために勤務」とは、みんなが幸せになるために自分の能力を働かそうということです。一方「公」となると、ただちに「国家」を意味する場面が多くなります。国家の利益がみんなの利益といつも同じなら問題ないのですが、実は、国家の利益がみんなの利益と同じとは限らない場面がたくさんあります。そういうときは、「国家の利益=公」ではなく「みんなの利益=公共」を優先して働くべきだということです。(※ただ難しいのは、「みんな」の範囲ですけどね。)

服務の宣誓

地方公務員法第31条(服務の宣誓)
職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。

絶対に勘違いしてはいけないことは、誰に対して宣誓するのか、ということです。最悪の勘違いは、知事や教育長など、任命権者に宣誓すると思ってしまうことです。第30条の根本基準を踏まえれば、そんなわけはありません。公務員は「公共の利益」のために働くのであって、任命権者のために働くのではありません。宣誓の対象は、住民です。そもそも知事や教育長も、住民のために働いている、いわゆる「公僕=public servant」です。そういう意味では対等な立場なのであって、教員が知事や教育長に宣誓するいわれなどありません。極めて重要な事実ですので、絶対に勘違いしてはならないところです。
具体的には、宣誓内容はこんな感じになっています。

私は、ここに、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ、擁護することを固く誓います。
私は、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的且つ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として、誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います。
(※東京都の場合)

極めて重要なポイントは、宣誓の内容が「日本国憲法を尊重し、且つ、擁護する」となっているところです。この内容は、日本国憲法第99条に基づいています。

日本国憲法第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ

99条において、公務員は日本国憲法を尊重し擁護する義務を負っていると規定されています。この規定をしっかり遵守することを、公務員になる際に「宣誓」するということです。そして、「憲法を守る」ことは、「法律を守る」こととはまったく異なることには、くれぐれも注意しましょう。この違いを認識していなければ、そもそもなぜ「宣誓の義務」が必要なのかが分からないでしょう。ネット記事等を見ると、分かっていない人が多すぎるところです。「ちゃんと仕事をするぞ」とか、そういう低レベルの話ではありません。
「憲法を守る」とはどういうことかについては、別のところでしっかり考えます。

続いて具体的な義務の内容を見ていきますが、すべてこの30条が土台にあることを踏まえていると、全体像が見えやすくなります。
さて、教員の義務は、内容によって、「職務上の義務」2つと、「身分上の義務」5つの2種類に分けられます。

職務上の義務2つ

職務上の義務は、「働いているとき」に守らなければならない義務です。逆に言えば、プライベートの時間では守る必要はありません。
(※ちなみに、教員採用試験関連の参考書等では、職務上の義務が「3つ」とされていることがあります。上ですでに見た「服務の宣誓」を、こちらの職務上の義務に含めている場合が多いです。ただし法的に3つである根拠もありませんし、論理的に考えても「服務の宣誓」は根本規定として理解する方が相応しいので、大半の参考書の記述とは異なり、このページでは「職務上の義務は2つ」と考えます。ご了承ください。)

職務上の命令に従う義務

地方公務員法第32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。

法治主義」を確認している項目です。なぜか日本人は「法治主義」と聞くと、ただちに「刑法」が行き届いていることだと勘違いしてしまう人が多いのですが、大間違いです。犯罪が少ないことと、法治主義が徹底していることは、まるで関係がないことです。法治主義とは、国家機構が「行政法」に基づいて客観的に運営され、人間の恣意的・主観的な判断が差し挟まれないということです。「人が治める=人治主義」ではなく「法が治める=法治主義」ということなので、間違えないようにしましょう。
公務員に関して言うと、「法治主義」とは、公務員は自分の判断ではなく、法律に従って仕事をしてくださいということです。この場合の「法律」とは、もちろん人を殺しちゃダメとか物を盗んじゃダメというような「刑法」ではなく、「行政法」です。公務員のするべき仕事は、すべて法律で規定されています。それ以外のことは、基本的にはやってはいけません。人間の勝手な判断で勝手に仕事をすることは、公務員には期待されていません。法律に従って、粛々と働くことが期待されています。そのような法律を「刑法」や「民法」と区別して「行政法」と呼んでいます。
上司の命令には絶対服従とか、そんなマヌケなことを言っている条文ではありません。ネットではそういう勘違いも蔓延しているようですので、くれぐれもご注意ください。

職務専念義務

地方公務員法第35条(職務に専念する義務)
職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。

職務に専念するのは、法律に言われるまでもなく当たり前のことです。ここではむしろ例外規定の「特別の定」について、どういう場合に職務専念義務を外れても大丈夫なのか、しっかり認識しておくべきところです。一般的にはもちろん有給休暇とか育児休暇を指します。教員に関しては、「研修」と「兼業」に絡んで、教育公務員特例法に特別の規定がありますので、そこはしっかり押さえておくのがよいでしょう。

身分上の義務5つ

身分上の義務は、働いていないときにも適用される義務です。プライベートな時間にも適用されます。365日24時間、しっかり守る必要のある義務です。

信用失墜行為の禁止

地方公務員法第33条(信用失墜行為の禁止)
職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。

教員採用試験の面接でやたら聞かれるのは、この項目です。個人的には、この項目ばかりが聞かれ、一方で30~32条の極めて重要な規定があまり問われることがないことに、不当な偏りを感じるところではありますが。
ともかく、校長先生や教育委員会が一番関心を持っている規定は、これです。というのは、ただちに自分たちの責任問題に関わってくるからでしょう。
「信用失墜行為」とは、具体的には、刑法に触れる行為(窃盗、殺人、傷害、贈収賄、体罰等)、セクハラやパワハラ、交通事故などを起こして、教師という職に対する世間の信用を貶めてしまうことです。法律に言われるまでもなく、やってはいけないことです。が、教師という職業は全ての人の生活や人生に深く関わってくることもあり、一般的なサラリーマンよりも注目を集めやすいのも、また事実です。何かするとマスコミなどに報道されてしまいます。校長先生や教育委員会がぴりぴりするのも、現実的には仕方がないところなのかもしれません。

守秘義務

地方公務員法第34条(秘密を守る義務)
職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。
2 法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表する場合においては、任命権者(退職者については、その退職した職又はこれに相当する職に係る任命権者)の許可を受けなければならない。
3 前項の許可は、法律に特別の定がある場合を除く外、拒むことができない。

公務員は、国家権力の一部として働いているため、一般人が決して知り得ない情報にアクセスすることができます。法律に則って粛々と仕事をするために知り得た情報ですので、もちろん個人的な利益や興味のために使用するのは、「公共の利益」に反します。
教員の場合は、生徒たちの個人情報だけでなく、家族に関する情報にもアクセスすることになります。本人の口からは絶対に出てこないような情報を知ることになります。興味本位で外部に漏らすなど、常識的に考えても、絶対に許されることではありません。
かつては、通知表を電車の網棚に置き忘れたという事例があったりしましたが、近年では電子機器の扱いに注意が必要です。生徒の個人情報データが入ったUSBメモリを落としてしまったり、パスワードが漏れて学校のパソコンに侵入されるなど、電子機器を通じた情報漏洩が数多く報告されています。
単に倫理的な問題というだけでなく、国家機構の健全な運営という観点から考えても、一部の人間が自分の勝手な判断で情報を扱うことは極めて危険なことです。注意していきたいものです。
ただし、例外規定があります。裁判や国会等で証人となる場合には、国家権力は背後に退かなくてはなりません。仮に国家権力の不利益になる場合でも、一私人の利益を保護するためには「職務上の秘密」を明らかにすることも必要になるかもしれません。

政治的行為の制限

この項目は、地方公務員法ではなく、「教育公務員特例法」が規定します。

教育公務員特例法第18条1(公立学校の教育公務員の政治的行為の制限)
公立学校の教育公務員の政治的行為の制限については、当分の間、地方公務員法第三十六条の規定にかかわらず、国家公務員の例による。

たらい回しされました。国家公務員法を確認しましょう。

国家公務員法第102条(政治的行為の制限)
職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らかの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。
2職員は、公選による公職の候補者となることができない。
3 職員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問、その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない。

またたらい回しされました。「人事院規則で定める政治的行為」について確認する必要があります。

人事院規則1417(政治的行為)
6 法第百二条第一項の規定する政治的行為とは、次に掲げるものをいう。
一 政治的目的のために職名、職権又はその他の公私の影響力を利用すること。
二 政治的目的のために寄附金その他の利益を提供し又は提供せずその他政治的目的をもつなんらかの行為をなし又はなさないことに対する代償又は報復として、任用、職務、給与その他職員の地位に関してなんらかの利益を得若しくは得ようと企て又は得させようとすることあるいは不利益を与え、与えようと企て又は与えようとおびやかすこと。
三 政治的目的をもつて、賦課金、寄附金、会費又はその他の金品を求め若しくは受領し又はなんらの方法をもつてするを問わずこれらの行為に関与すること。
四 政治的目的をもつて、前号に定める金品を国家公務員に与え又は支払うこと。
五 政党その他の政治的団体の結成を企画し、結成に参与し若しくはこれらの行為を援助し又はそれらの団体の役員、政治的顧問その他これらと同様な役割をもつ構成員となること。
六 特定の政党その他の政治的団体の構成員となるように又はならないように勧誘運動をすること。
七 政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物を発行し、編集し、配布し又はこれらの行為を援助すること。
八 政治的目的をもつて、第五項第一号に定める選挙、同項第二号に定める国民審査の投票又は同項第八号に定める解散若しくは解職の投票において、投票するように又はしないように勧誘運動をすること。
九 政治的目的のために署名運動を企画し、主宰し又は指導しその他これに積極的に参与すること。
十 政治的目的をもつて、多数の人の行進その他の示威運動を企画し、組織し若しくは指導し又はこれらの行為を援助すること。
十一 集会その他多数の人に接し得る場所で又は拡声器、ラジオその他の手段を利用して、公に政治的目的を有する意見を述べること。
十二 政治的目的を有する文書又は図画を国又は行政執行法人の庁舎(行政執行法人にあつては、事務所。以下同じ。)、施設等に掲示し又は掲示させその他政治的目的のために国又は行政執行法人の庁舎、施設、資材又は資金を利用し又は利用させること。
十三 政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し又は編集すること。
十四 政治的目的を有する演劇を演出し若しくは主宰し又はこれらの行為を援助すること。
十五 政治的目的をもつて、政治上の主義主張又は政党その他の政治的団体の表示に用いられる旗、腕章、記章、えり章、服飾その他これらに類するものを製作し又は配布すること。
十六 政治的目的をもつて、勤務時間中において、前号に掲げるものを着用し又は表示すること。
十七 なんらの名義又は形式をもつてするを問わず、前各号の禁止又は制限を免れる行為をすること。

いろいろ決められていますが。要するに、教員は地方公務員よりも厳しく政治的行為が制限されるということのようです。他の地方公務員には許されても、教員には許されないことがたくさんあるわけですね。
「全体の奉仕者」という立場から当然できないと主張する人もいれば、「全体の奉仕者」の理念からここまで規定することはできないと主張する人もいて、論争的な問題が含まれるところです。

争議行為等の禁止

地方公務員法第37条(争議行為等の禁止)
職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。

「争議行為」とは、一般的には「ストライキ」のことです。民間企業の労働者には法律で認められた権利ですが、「全体の奉仕者」である公務員には認められないという理屈です。
海外の教員にはストライキの権利が認められているところもありますが、「日本では認めていない」という事実として理解しておきましょう。

兼職の禁止

この項目は、教育公務員特例法による例外規定があります。
まず基本的には、教員に限らず公務員一般は、民間企業への兼業が禁止されています。

地方公務員法第38条(営利企業への従事等の制限)
職員は、任命権者の許可を受けなければ、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下この項及び次条第一項において「営利企業」という。)を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは自ら営利企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない。

公務員は、一般人が知り得ない情報や近づき得ない個人・集団に容易に近づき、強大な国家権力を動かすことができます。そのアドバンテージを営利企業が利用するのは、公共の利益を損なう不当な行為であるということです。

しかし一方、教員には例外が用意されています。

教育公務員特例法第17条(兼職及び他の事業等の従事)
教育公務員は、教育に関する他の職を兼ね、又は教育に関する他の事業若しくは事務に従事することが本務の遂行に支障がないと任命権者において認める場合には、給与を受け、又は受けないで、その職を兼ね、又はその事業若しくは事務に従事することができる

他の地方公務員には許されていないことが、教員には許されています。というのは、教育に関する知識や経験は、本来は広く共有すべきもののはずです。兼業の禁止規定は、この利益を損なってしまう可能性が高いものです。たとえば教育に関する記事や本を書いたり、学校で講演をしたり、教員を対象にワークショップを行なったりすることなどが、兼業禁止規定のためにできないとすれば、とても残念なことです。
もちろん条件はあって、本来の仕事に支障がなく、教育に関する知恵や経験を共有しようとする場合に限って、例外として認められます。

【教師論の基礎】教員免許制度

教師になるためには、通常は「教員免許状」の取得が必要となります(様々な抜け道が用意されていますが、ここではいったん脇に置きます)。近代国家の中で学校という組織が一定の役割を期待されている以上、教員の能力には一定程度の水準を確保する必要があるからです。

教育職員免許法

教員免許状は、「教育職員免許法」という法律に則って発行されます。たとえば教職課程における必要な取得単位はこの法律で厳密に決められており、大学の裁量でどうにかなるものではありません。

教員免許は国家資格ではない

医師や弁護士の資格は、国家資格です。「国家試験」があって、それにパスしないと取得できないものは、国家資格です。しかし教員には、「国家試験」がありません。つまり、国家資格ではありません。
教員免許を発行しているのは、文科大臣ではなく、都道府県の教育委員会です。なぜ国家ではなく教育委員会が発行しているかというと、「教育行政は一般行政から独立しているべきだ」という理念が土台にあるからです。この理念については、「教育制度論」等で詳しく学んでください。
近年は、教員資格を国家資格化するべきという主張を掲げて活動している人々もいます。

相当主義

免許は学校種(幼・小・中・高)や教科・分野ごとに区別されています。基本的には、中学校の免許を持っていても、小学校で教えることはできません。中学数学の免許を持っていても、中学理科を教えることはできません。ただし何事にも例外はあって、都道府県教育委員会からハンコをもらえれば、可能になる場合もあります。
ちなみに大学の教員には、教員免許が必要ありません。

種類

普通免許状・特別免許状・臨時免許状の3種類があります。大学の教職課程を修了して獲得できるのは、普通免許状です。
普通免許状には、二種免許(短大・専門学校)・一種免許(学士)・専修免許(修士)の3段階があります。給与や職能がそれぞれ違っています。

近年の変化

教員免許更新制度

2009年から教員免許に有効期限(10年)が設けられました。更新するためには教員免許更新講習を受ける必要があります。

複数種の取得

小中連携(2016年に義務教育学校が登場)や中高連携を推進するために、複数種の免許取得を推奨する動きが強まっています。たとえば、小学校一種と中学英語二種を同時取得する例が増えています。

再課程認定―旧カリ/新カリ

教育職員免許法が改訂されたために、各大学は2019年に「再課程認定申請」に対応する必要に迫られました。このタイミングで教職課程をとりやめた大学・学部もたくさんあります。世間一般にはあまり知られていませんが、未来の日本において教師の質が変化したとしたら、これが原因である可能性が高いだろうと推測します。
業界では、2018年以前の教職課程を「旧カリ」、2019年から開始された課程を「新カリ」と呼んで区別しています。変更されたのは、具体的には「教職に関する科目」と「教科に関する科目」の調整(大括り化)でした。詳しくない人から見ればひょっとしたら些細な変更かもしれませんが、教職に関わっている立場からすると、「教職の専門性」の議論に関わって、教師観の大転換に見えます。

【教師論の基礎】教師のなりかた―養成・採用・研修

もともと「師」になるための条件は特に決まっていませんし、そもそも決められるものでもありません。誰かが弟子となって自分のことを「師」と仰げば、それでもう「師」でした。多くの人が「人生の師」と呼べる人を持っているだろうと思いますが、その「師」は特に何かしらの資格を持っているわけではありません。どんな観点だろうが、どんな基準だろうが、誰かが誰かを「師」と仰ぐことを止めることはできません。自由です。
しかし一方で、現代日本の学校で働く「教師」となるためには、制度に則った手続きを経なければなりません。

養成・採用・研修

教師になる道筋を一般的には3つの段階に分けています。(1)養成(2)採用(3)研修、の3段階です。
(※それぞれの段階で様々な脇道がありますが、ここでは脇に置きます)

(1)養成=開放制

現在は大学で教職課程を履修すれば教員免許を取得することができます。これが当たり前だと思っている人もいるかもしれませんが、実は当たり前の制度ではありません。
かつて80年ほど前までの日本では、大学に教職課程は設置されていませんでした。教師を志望する人は、大学ではなく、「師範学校」に進学していました。師範学校とは、教師のみを養成することを目的とした教育機関です。師範学校を卒業すると尋常小学校(現在の小学校に当たる)の教員になることができましたし、基本的にならなくてはいけませんでした。尋常中学校の教師を志望する場合は、さらに高度な養成を行なう「高等師範学校」に進学しました。(高等師範学校は全国に2つしかなかった、高レベルな教育機関でした。現在の筑波大学と広島大学に当たります。筑波と広島が教育に強いのは、高等師範の伝統があるからです。また、女子高等師範も全国に2つだけで、現在のお茶の水大学と奈良女子大学に当たります。※ちなみに金沢・岡崎の高等師範、広島女子高等師範は、戦時中設置のため、例外扱いさせていただきます)
このように教員のみを養成する専門教育機関が存在する方が、かつては当たり前だと思われていました。しかし敗戦後の教育制度改革において、教員養成は大学で行なうことが確認されました。単に専門的な知識や技術を身につけただけでは教師としては不十分だと考えられたからです。教員はまず大学で幅広い一般教養(リベラルアーツ)を身につけた学士である必要があり、その上で専門性を身につけなければならない、という考え方が説得力を持ちました。
戦後教育改革から現在に至るまで、教員養成専門機関ではなく、大学という「一般教養」を身につける施設において、教員養成が行なわれるようになりました。これを「開放制」と呼んでいます。
現在は、開放制の理念の下、各大学が建学の精神を土台とした教員養成を行なっています。多様で個性的な教員を供給する上でも、開放制は基本的な考え方となっています。

(2)採用=教員免許を取得しても教師にならない(なれない)

医師や弁護士の資格を取得した人は、だいたいその職に就きます(もちろんならない人もたくさんいますが)。ところが教員免許を取得したからといって、教師になるとは限りません。あるいは、なれるとは限りません。現場に立つためには、教員免許の取得だけでは不十分で、都道府県および政令指定都市の教育委員会が実施する「教員採用試験」に合格しなければなりません。大学の教職課程で免許が取れても、教育委員会による「採用」の段階で弾かれてしまうことがあるわけです。
ところで、従来の教育委員会は「採用」の段階で顔を出してきましたが、20年ほど前から「養成」にも深く関わり始めています。「採用」の段階で影響力を行使するだけでは、教育委員会が望むような即戦力の教師を確保できないという、大学での教員養成に対する忸怩たる思いが背景にあるのでしょう。東京都「教師養成塾」や千葉県「ちば!教職たまごプロジェクト」など、教育委員会主催の「養成」の影響力が大きくなりつつあります。これが「養成と採用の一体化」というものですが、大学における教員養成の理念(開放制)とどう整合性がとれるのか、本質的に考える必要があるところです。

(3)研修=法的に規定されている

採用されたら終わり、というものではありません。教師になった後も、たゆまない研鑽を続けることが期待されています。そのため、教師の研修が、法律で規定され、保障されています。具体的には初任者研修や十年経験者研修が法律で規定されている他、10年ごとの教員免許更新講習も義務化されています。
ただし医師の世界での研修医のような考え方は、教育の世界にはありません。教育の世界では、研修を受けていなくても、採用後すぐに担任を持たされたりします。学校で本番の授業を行ないながら、並行して初任者研修を行ないます。
現在は、養成・採用・研修の一体的改革が急速に進行している最中です。

近年の動き

「開放制」の理念に基づく教員養成が、急速に揺らぎつつあります。具体的には、「教員の養成・採用・研修の一体化」の掛け声の下で、じっくりと腰を据えた一般教養(リベラルアーツ)ではなく、現場で活躍できる即戦力を現場で育てようという動き(OJT)が強まっています。
即戦力を求める上で分かりやすい動きとして、インターンシップの単位化やボランティアの強化と充実が図られています。
大学のほうには「質保証」が求められ、「教職コアカリキュラム」が導入されました。
そういう中で、大学と教育委員会の連携も多面的に強化され、お互いの役割が新たに模索されつつあります。

教員採用試験

教員の採用は、都道府県と政令指定都市の教育委員会が行なっています。したがって、教員を採用するための試験も、教育委員会が実施しています。全国で統一されているものではありません。地域によって大きく特徴が異なります。
とはいえ、もちろん共通した特徴もあります。

筆記試験

普通は筆記試験が課されます。筆記試験の問題は、大きく分けて3種類あります。(1)教職教養、(2)専門教養、(3)一般教養です。

(1)教職教養
教師として必要な知識や考え方を身につけているかをテストします。具体的には、教育に関する法律、文科省答申、教育振興基本計画、学習指導要領、生徒指導提要など公的文書の他、教育史・教育課程論・教育心理等の知識や、各地域の教育政策等が出題されます。

(2)専門教養
同じ教師といっても、学校種(小学校か中学校か高校か)や教科が異なれば、必要となる知識や技術も異なります。それぞれの学校種や教科に特化した問題が出ます。

(3)一般教養
幅広い知識と教養を身につけているかが問われます。自治体によって傾向はまちまちで、センター試験のように国社数理英の問題が出題される一方で、時事問題やローカル問題も扱われたりします。

面接

近年は「人物重視」の掛け声の下、筆記試験よりも面接のほうの比重が重くなる傾向があります。面接には「個人面接」と「集団面接」の二種類がありますが、両方とも「人柄」を見るような出題傾向が強まっています。答える「内容」ももちろん大事なのですが、同じ程度に「答え方」とか「表情」というものが重要になってきます。明るく、元気にいきましょう。自分の良いところや持ち味を自覚して、それを積極的に前面に打ち出しましょう。試験官に「この人を部下に持ちたい」と思わせましょう。

本番で緊張しないための工夫を各自容易しておくといいだろうと思います。個人的に伝授したい技は、面接室に入る前に「コント。面接。」と呟くというものです。

論作文

出題傾向は自治体によって大きく異なります。学習指導要領の中身を理解しているかどうかを確認するものか、人柄を見るようなものかに大きく分かれます。
いずれにせよ、評論家のごとく他人事のように問題を分析するのは御法度でしょう。現場の最前線に出る当事者としての自覚と熱意を示せるかどうかがポイントとなります。採点者に「この人が教師にならないと、日本の損失だ」と思わせましょう。

模擬授業・実技

実際に模擬授業を行なわせる自治体があります。また保健体育や家庭科など、実技が重要な科目に関しては、実技試験が行なわれる場合もあります。自治体によって出題傾向や採点形式などがまったく異なるので、事前に情報は収集しておくのがよいでしょう。

特例

各自治体によって、様々な特例が設けられています。大学推薦枠で一次筆記試験が免除されたり、臨時採用教員経験者が優遇されたり、社会人特別枠があったりなど、優秀な教員を確保しようとして各自治体が様々な工夫をしています。

対策の立て方

自治体によって出題傾向がかなり異なります。まずはどの自治体を受験するか決めた上で、過去3~5年分の過去問に当たり、傾向をつかむのがよいでしょう。
ただし、「人物重視」の傾向が強まっていることを踏まえて、お手軽に場当たり的な対策をするのではなく、本質を見据えて充実した日々を過ごすことをお勧めしたいところです。
教育実習に行くのであれば、ぜひ校長先生と仲良くなりましょう。教員採用試験に合格する人とは、校長先生から「この人をうちの学校のスタッフに欲しい」と思われる人です。校長先生がどういう人材を欲しているかが分かれば、自動的に合格への道が見えてきます。予備校に通うよりは、現場の最前線にいる校長先生と仲良くなる方がはるかに意味があるだろうと思います。しかも校長先生は、採用試験の面接官だったりもするわけですから。教育実習先の校長先生が採用試験の時の面接官というレアケースすらあります。
また、現役の大学生であれば、教職センター(名称は各大学でいろいろ異なります)を有効に活用することをお勧めします。教職センターの先生は優秀な場合が多いので(もちろん例外はたくさんありますが)、高い金を払って予備校に行くまでもなく、教職センターを活用するのが賢いやり方でしょう。細かい情報もよく手に入ります。私の経験から言えば、教職センターによく顔を出す学生は、合格率が極めて高かったです。

私立学校の教員

私立学校の教員になるためには、特に自治体の教員採用試験を受ける必要はありません。民間企業における採用と同じく、私立学校からの求人に応募し、面接等の就職活動を経て、学校の設置者と雇用契約を結ぶことができれば、それで教員になれます。筆記試験がある場合もあれば、ない場合もあります。教育実習で私立学校に行った際に気に入られて、すぐに採用というケースも稀に発生します。公立学校ではあり得ないことですが、民間企業ではアリです。
また都府県によっては、「私学教員適性検査」という筆記試験が用意されている場合があります。この試験で良い成績を収めていると、優秀な教師を欲している私立学校から連絡が来る場合もあります。

非正規採用

残念ながら教員採用試験に合格できなかった場合でも、実はすぐに教壇に立てる手段が用意されています。「臨時的任用教員(省略して臨採と呼ぶことが多い)」や「非常勤講師」と呼ばれる道を選ぶことができます。
実は現在、正規に採用された教員だけでは、学校に期待されるニーズを満たすことができておりません。産休や病欠による一時的な欠員が生じているだけでなく、新学期からの担任すら足りなかったりします。また、自治体によっては、法律で決められた人数よりも多くの教員を配置しようと努力しているところもあります。そこで、正規に採用というわけにはいかないけれども、現場のニーズを満たすための要員が、かなり大量に必要になっております。
自治体によって臨採の制度は異なりますが、基本的には各教育委員会に登録しておけば、向こうで必要になったときに連絡が来るような仕組みになっています。今はどこの教育委員会でも教員の数が足りないので、新学期が近づいた3月になると、大学の教職センターに「余っている学生はいないか?」と教育委員会からよく電話がかかってきます。学生には、大学の教職センターやキャリアセンターから連絡が来ることもあるでしょう。

仕事の内容は、正規採用の教員とまったく同じです。授業は当然ふつうにやりますし、担任を持たされることもあります。校務分掌を任されることもあります。給料も、短期的には正規採用と同じです。
が、やはり非正規ではあるので、いつクビになっても文句は言えません。また身分保障や社会保障、研修の面でも待遇の差があります。そして自治体によっては、正規採用の人数を抑えて非正規を増やそうとしているところもあります。一般社会での非正規問題と同じく、多くの問題を抱えている制度です。

【道徳教育の基礎】道徳教育の目的

法律や『学習指導要領』に示された、学校で行なわれる道徳教育の目的について確認します。人生における道徳教育の目的については、触れません。

目的の階層

道徳の目的には、階層があります。
教育基本法→学校教育法→学校教育法施行規則→『学習指導要領』総則→『学習指導要領』特別の教科道徳、という順番に構造化されていることを踏まえましょう。

教育基本法

「教育基本法」第一条は、以下の通りです。

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法に則って行なわれる学校教育は、もちろんこの第一条の目的規定に従わなくてはなりません。
ここで注目すべきことは、教育の目的が「知識や技術の獲得」とはされていないということです。もちろん「偏差値を上げる」というようなことは一言も書いてありません。目的は「人格の完成」を目指すことなのです。
しかし難しいのは、「人格の完成」とはいったいどういう状態を指しているのかが、よく分からないということです。またあるいは、「人格」とは何かということ自体が、よく分からなかったりします。「人格とは何か?」については、別の記事にまとめてありますので、そちらをご参照下さい。→「人格とは何か?

学校教育法

さて、教育の目的が「人格の完成」としても、学校教育の目的はさらに限定して考える必要があります。というのは、教育を行なうのは学校だけではなく、家庭や地域も役割を担っているからです。人格を完成するのは、家庭や地域や学校が全体として目指すものです。その中で、学校は学校にしか果たせない役割を積極的に担っていくべきでしょう。
この学校の役割は、「学校教育法」に記されています。小学校の目標は第21条に、中学校の目標は第46条に示されています。そして「第21条の一」が、道徳教育の規定に当たるかと思われます。

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
(以下略)

ここで注目すべきことは、まだ「道徳」という言葉が登場していないことです。「自主」とか「自律」とか「規範意識」というような言葉によって「人格の完成」の具体的な方向性が示されていることを読み取るところです。

学校教育法施行規則

「道徳」という言葉が登場するのは、このレベルです。小学校に設けられるべき教科が第50条、中学校に設けられるべき教科が第72条に示されています。

第五十条 小学校の教育課程は、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭及び体育の各教科(以下この節において「各教科」という。)、道徳、外国語活動、総合的な学習の時間並びに特別活動によつて編成するものとする。
2 私立の小学校の教育課程を編成する場合は、前項の規定にかかわらず、宗教を加えることができる。この場合においては、宗教をもつて前項の道徳に代えることができる

法律で定められている以上、法律に従って運営される学校(いわゆる一条校)においては、必ず道徳(あるいは宗教)を開設しなければなりません。年間授業時数の基準も施行規則に示されており、年間35単位時間は行なうこととされています。

『学習指導要領』総則

ここまでの法令を踏まえて、『学習指導要領』にはさらに細かく目標が示されています。まず「総則」には以下のように記されています。

道徳教育や体験活動、多様な表現や鑑賞の活動等を通して、豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること。
学校における道徳教育は、特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり、道徳科はもとより、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行うこと。
道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とすること。
道徳教育を進めるに当たっては、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、公共の精神を尊び、社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人の育成に資することとなるよう特に留意すること。(3頁)

ここで真っ先に注目すべきことは、道徳教育が「学校の教育活動全体を通じて行なう」とされていることです。道徳教育というと、週に一回だけ行なわれる「道徳の時間」の活動のことだと勘違いしやすいのですが、学習指導要領にはそう書いてありません。学習指導要領によれば、「学校の教育活動全体」が道徳教育と関係してきます。つまり、朝の会も、国語の時間も、給食の時間も、掃除の時間も、部活動も、すべて道徳教育と関わりがあるということです。理科の先生は理科だけ教えていればいいのではなく、実は理科を通じて道徳も教えなければならない、と要求しているわけです。
では、どうしてわざわざ週一回の「道徳の時間」があるのかというと、「要」として期待されているからです。この「要」とはどういうことかについては、改めて考えます。

『学習指導要領』特別の教科 道徳

週に一回ある「道徳の時間」の目標は、『学習指導要領』に示されています。

第1章総則の第1の2の⑵に示す道徳教育の目標に基づき、よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。

この記述を理解するポイントは2つです。まずは「総則」に示された道徳教育の目標に基づいているという視点です。次に、いわゆる「学力の三要素」に基づいて目標が示されている点です。学力の三要素とは、(1)基礎的基本的な知識(2)活用力(3)関心・意欲・態度です。この学力の三要素に基づいて、まず(1)道徳的諸価値について基礎的基本的な知識を得て、(2)それを活用して自己や物事について考え、(3)道徳的な意欲と態度を育てる、ということです。