【要約と感想】ヒポクラテス『古い医術について―他八篇』

【要約】医師は、自然を観察して、事実に基づいて帰納的に考察し、お金儲けのためではなく、相手の地位や身分如何に関わらず、患者の福祉のために働くものです。観念的な哲学者の空想や神様を言い訳にする人々に付き合ってはいけません。
人間の体の性質が四体液(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁)で構成されていることを知り、その特質に通じて、季節ごとの違いや空気や水の特徴に気をつけ、食事に心を配れば、病気は治ることが多いものです。

【要検討事項】「思春期」という言葉が出てくる(11頁)が、原文の単語は何か。人生の発達段階に対応している言葉か。

【感想】ヒポクラテスは「医学の父」とも称される、実にソクラテス以前に活躍した伝説的な人物だ。その著書に書かれていることは、近代にまで大きな影響を与えている。そして実際に読んでみると、現代にまで射程が及んでいるような印象も受ける。

近代にまで大きな影響を及ぼしたのは、いわゆる「四体液説」と呼ばれるものだ。人間の性格や体質は四体液(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁)の組み合わせで決まるという考え方である。そして四体液は「熱/冷」×「乾/湿」というマトリクスにまとめられ、春→夏→秋→冬の4季節とも対応するものと構想される。現在の科学水準から見ると荒唐無稽ではあるのだが、19世紀まで支持されていた理論であることを思うと、現実をなにかしらの形でうまく説明していたことも間違いないのだろう。19世紀の教育学書を見ると、その多くに四体液説が登場し、それを前提に教育学の体系が組み立てられていたりする。

現代にまで射程が及んでいると感じたのは、外科を軽んじて食事療法を本質的なものと考える姿勢だ。表題作である「古い医術について」の「古い医術」とは、まさに食事療法を指している。(一方の「新しい医術」とは哲学的な論理に基づいた観念的な医術)。また水や空気に気を遣うべき事を説いているほか、過度な労働を戒めていたりする。
「誓い」では膀胱結石除去などの外科施術を行なわないことを誓っている。病気に対してはその症状や患者の体質に合った適切な食事を提供することで治ると考えているようだ。何かしら個別の病気が発症していると考えるのではなく、身体全体のバランスを快復することが重要だと見ている。
フィクションでは、ブラックジャックなりドクターXなり、華々しい外科医が脚光を浴びることが多い。現実の医学技術の進歩も目覚ましい。しかし我々一般庶民が日常の健康を維持する上で、適切な食事と適度な運動がいちばん大事だということは誰もが理解している。どんなに「新しい医術」が登場しようとも、「古い医術」を着実に実践することが大切なのは今でも変わりがない。

【個人的な研究のための備忘録】
人間の体形と性格が風土や環境に決定的な影響を受けると記している。後にモンテスキューなり和辻哲郎なり多くの人が同じようなことを言うわけだが、オリジナルはヒポクラテスということでよいか。

「一般に人間の体形と性格とは土地の性質に従うことが見出されるであろう」36頁

また、土地の性質を「東西南北」に「春夏秋冬」を絡めた4つの観点から分類しているのもおもしろい。

それから「技術」としての医学に関する記述は、教育学を考える際にも参考になる。

「医の技術には三つの要素がある、すなわち病気、病人、および医者。医者は技術の助手である。病人は医者と協力して病気に抵抗すべきものである。」124頁

教の技術にも三つの要素がある、すなわち知識、生徒、および教師。教師は技術の助手である。生徒は教師と協力して知識に向き合うべきものである。

ヒポクラテス/小川政恭訳『古い医術について―他八篇』岩波書店、1963年