【群馬県下仁田市】幕末下仁田戦争の犠牲者を偲び、こんにゃくの概念が変わる

下仁田といえば、ネギとこんにゃく。そう思っていた時期が私にもありました。

が、ここは、幕末に水戸天狗党と高崎藩が死闘を繰り広げた、「下仁田戦争」の舞台でもあります。

高崎駅から上信電鉄で約一時間。激しく揺れる電車の旅を楽しんで、終点の下仁田駅に着きます。

上信電鉄の駅には、それぞれ御当地の「上毛かるた」が掲げてあって、昭和の風情が漂います。

駅から歩いて15分くらいで、下仁田町歴史館に着きます。丘を登ると、下仁田戦争と遺跡の案内図が見えてきます。

下仁田戦争は、西暦1864年、上洛を目指して水戸を発った天狗党の一行と、それを阻止しようとする高崎藩が激突した戦いです。この戦いで高崎藩の36名が戦死・処刑されます。戦闘に勝利した天狗党は、下仁田から峠を越えて信州に抜け、さらに京都を目指しますが、敦賀で投降し、悲惨な最期を遂げます。

今はのどかな風景が広がっていて、凄惨な戦闘があったことなど想像もできません。

歴史館が建つ丘の麓には、戦死した高崎藩士の碑が建っています。題字は勝海舟が書いています。

案内板に、下仁田戦争の概要が書いてあります。

丘の上には、水戸の回天神社から献木された梅の木が植えられています。天狗党の変145周年を記念して、2009年に水戸回天神社から送られたものでした。脇には祈念碑が建てられています。水戸と高崎の遺恨も晴れたでしょうか。【参考】回天神社

歴史館は丘の上に建っていて、遠くからでもよく目立ちます。

展示では、さすがに下仁田戦争の経緯や遺物が充実していました。下仁田に逗留した藤田小四郎が揮毫した扇子など、なかなか感慨深いものが展示されています。また、単に高崎藩や天狗党を美化するのではなく、客観的に幕末の情勢を描いているのにも、好感を持ちました。

意外だったのは、縄文時代の出土品が充実していることでした。特に石棒未製品を見られたのは、貴重な経験でした。石器や土器、土偶などの出土品も充実していて、なかなか侮れない縄文先進地域であることが分かりました。

本当は、歴史館の目玉展示は世界遺産にも登録された荒船風穴なのですが、こちらは次の機会にまたゆっくり訪れたいと思います。

さて、下仁田に来たのだから、こんにゃくをいただかなくてはなりません。

ということで、駅前に店を構える常磐館で、こんにゃくフルコースをいただきました。こんにゃくの松前漬けや、こんにゃくそうめん、こんにゃく白和え、酒盗和え、こんにゃくの刺身、田楽など。いやあ、うまい。

さらに、こんにゃくの天ぷらに、こんにゃく炒り鳥と、たいへんゴージャズ。こんにゃくの概念を改めざるを得ません。うめえ!

また、デザートの蒟蒻ゼリーがうまい。いやあ、これだけ食べても低カロリーで、こんにゃくは素晴らしいですね!

(2018年8月訪問)