【感想】青年劇場「あの夏の絵」

昨日、演劇を観てきました。青年劇場「あの夏の絵」です。

心が揺さぶられる演劇でした。
広島の原爆をテーマにした劇で、現代の高校生が被爆者の証言を元に絵を描くという筋立てです。高校生たちが自分の抱える困難を自分たちの力で乗り越えていく姿、そしてそれに刺激を受けて大人たちも変わっていく過程に、引き込まれるわけですが。

原爆投下という事実を客観的に読んで理解するという作業では体感できないような生々しさは、さすが演劇の力でした。おそらく現代高校生の主観的な視点から出来事を捉え、理解しようと努力し、彼らの言葉で再構成して、自分の言葉として語り直すというプロセスが、とてもリアルだったのだと思います。役者さんは、キャラクターの個性が際立つ、迫真の演技でした。迫力がありました。そして観客としても、客観的な歴史的事実として把握するべきものではなく、自分の言葉で再構成して語り直すべきものとして見えてきます。

僕が思い出すのは、僕の故郷がかつて「ソ連の核ミサイル第一攻撃目標」だったことです。僕の家から直線距離にして1kmくらいのところに米軍の通信基地がありました。高さ250mの鉄塔が8本、田んぼの中に聳え立っていて、東京から故郷に帰るときに新幹線の車内からもよく見えました。新幹線の車窓から鉄塔が見えると「帰ってきたなあ」と思ったものです。夜は鉄塔に明かりが灯り、どこかから帰るときは瞬く赤い光を目印にしていました。地平線が見えるほど田んぼ以外に何もなかったので、どこからもよく見えました。雷は必ずその鉄塔に落ちたので、子供の頃は雷が鳴っても怖くありませんでした。

その鉄塔から、アメリカ軍は超短波通信で原子力潜水艦に指令を送っていました。逆に言えば、その基地さえ最初に潰してしまえば、原子力潜水艦に指令が伝わらず、ミサイルが発射されないというわけで、ソ連はその通信基地を核攻撃第一目標に設定していたのです。その事実を僕が知ったのは小学3年生の頃でした。NHK特集で、核戦争の恐怖というような番組をやっていて、何気なくテレビを眺めていると、レポーターが「ここがソ連の核ミサイル攻撃第一目標です」と言います。「どこだろう、かわいそうに、一番最初に死ぬんだ」などと思っているうちに、画面が切り替わって、なんのことはなく、家から直線距離1kmくらいの鉄塔が映し出されたわけです。

次の日、さっそく図書館に行って、核ミサイルが飛んできたときの対処法を調べました。子供心に、穴でも掘って隠れられるかと思ったわけですが。で、分かったのは、水爆の着弾地点から1kmくらいだと、人間は熱風で蒸発して消えてなくなるということでした。ものすごい恐怖が背筋を駆け上ったのを覚えています。不幸なことに、家は小牧空港に向かう飛行機が上空を通過するルート下にあったので、頻繁に「ゴー」という音が鳴りました。そのたびに「ミサイルじゃないか」と不安に駆られて、しゃがんだのでした。それがミサイルだったら、どっちみち蒸発するだけなので、しゃがんだところでどうしようもないのですが。

幸いなことに、実家近くの米軍基地は、現在は既に撤去されていて、十分の一サイズの鉄塔の模型だけが公園に残されています。もはや原子力潜水艦に指令を送るのは軍事衛星の役目となり、地上にある通信施設はお役御免となったわけです。うちの故郷は、もうミサイルの恐怖とは無関係の、のどかな田舎町になりました。戦争になった時、真っ先に頭の上からミサイルが降ってくるのは、僕ではなく、別の誰かになりました。僕が子供の頃に感じた恐怖を、今は代わりに別の人が抱いているわけです。

で、僕は恐怖から逃れられて、それでいいということになるのだろうか、とも思うわけです。あの恐怖を他人に肩代わりさせて満足というのは、何かが間違っている気がしてならないのですが、具体的にどうすべきかはよく分かりません。どうしてもどこかの誰かが引き受けなければならないものなのかもしれません。とはいえ、恐怖を他人に肩代わりさせることに居直っている人々の声が胡散臭く聞こえるのは、どうしようもありません。

演劇「あの夏の絵」を観た帰り道、そんなことを思ったのでした。