問題の所在
人間はどうして集団で生活するようになったのか。どうして支配する者と支配される者に立場が分かれているのか。その支配は正当なものか、もし正当化できるのならどういう理屈なのか。仮に不当な支配だとしたら支配を覆すことは許されるのか。あるいは理想的な集団とはどういうものか。
こういう一連の問いに対して、「神」を持ち出さずに、「人間」に関わる原理原則だけで解答を与えようと試みるものが社会契約論である。神を持ち出さないことから唯物論に親和性があり、社会の存在を前提とせず「個」から議論を起こすことから自然科学的には原子論と親和性が高い。逆に、あらゆる領域にわたって「神」の原理原則が貫徹し、原子論ではなく調和的・階層的宇宙論に基づいて世界を理解しようとする中世においては、社会契約論が出現する余地はない。「人間」の原理原則に基づいた社会論が説得力を持つのは、古代(キリスト教がないから)と近代(キリスト教が衰えるから)ということになる。
ただしキリスト教という宗教が、旧約でも新約でも「契約」という手続きに基づいて成立していることには留意しておく必要がある。ルネサンス期以降の西欧で社会契約論が説得力を持ち得たとすれば、おそらくキリスト教による「契約」の論理が地ならしをしているからだ。古代的ヒューマニズム(人文主義)に基づく社会論と中世的キリスト教に基づく契約論の領域が重なったところに、近代的な社会契約論が立ち上がってくる。
以下、古代に社会契約論の芽を確認した上で、近代の議論を精査する。
古代
古代ギリシアとローマでは、もちろん近代的な社会契約論に類する議論を見ることはできない。アリストテレスは、人間が集団で生活するのは「自然な本性」だとみなし、議論の対象になるとは考えなかった。プラトンは「理想的な国家のあり方」については徹底的に考え抜いたけれども、「そもそも国家が必要か」については丁寧に掘り下げることがなく、神話的なエピソードを示して神からの賜りものという理解を示すにとどまる。
ただし古代的民主政が発達したギリシア(特にアテナイ)や共和制期ローマにおいては「正義あるいは法律」(ラテン語ではどちらもius)の本質に関する議論が展開され、そこに社会契約論の芽のようなものがあったことを確認できる。特に確認しておきたいのは、人間の本質的な性質に基づいて(つまり神様なしで)社会の成立を考えようとする姿勢である。
ルクレーティウス『物の本質について』
エピクロス派のルクレーティウス(紀元前99頃 – 紀元前55)は『物の本質について』の中で以下のように、人間が社会を構成する以前の原始状態について記述している。
この原初の自然状態で人間が人間をコントロールするものは「欲望」「力」「報酬」に限られ、神様に言及されないことには注意を払っておきたい。この描写に続いて、ルクレーティウスは社会状態への移行メカニズムを説明する。
ここに素朴な「約束」が締結されるにいたるプロセスが描かれているが、その変化の理由が神様ではなく、人間の性質を踏まえたうえで、「安全」と「弱者の保護」から説明されていることに注目したい。そしてここでは保護の対象となる「弱者」として具体的には子どもと女性が挙げられているわけだが、頭の片隅に置いておきたいのは、子どもと女性が人類(男性)にとって一番最初の「私有財産」であった可能性(現実かフィクションかは問わない)である。原初の家父長制は、子どもと女性を家長の所有物と見なす。たとえば旧約聖書やホメロス『イリアス』などを見ると、古代においてはあからさまに女性や子どもを家長の所有物と見なす描写が散見される。そうなると、ルクレーティウスが「弱者の保護」とした記述は、実質的には「私有財産の保護」という意味を持っている。こういうことを確認しておくのは、もちろん後に「安全」を強調して契約論を唱えるのがホッブズで、「私有財産の保護」を強調して契約論を唱えるのがロックであるからだ。ホッブズとロックの主張の芽は、ルクレーティウスに確認できる。
エピクロス
ルクレーティウスは忠実なエピクロス主義だとされているが、元祖エピクロス(紀元前341-紀元前270)のテキストは完全に失われてしまっている。いちおうディオゲネス・ラエルティオス(3世紀前半)の『ギリシア哲学者列伝』に教説の概要が記されており、ここに「契約」への言及を見出すことができる。
(32)生物のうちで、互いに加害したり加害されないことにかんする契約を結ぶことのできないものどもにとっては、正も不正もないのである。このことは、互に加害したり加害されたりしないことにかんする契約を結ぶことができないか、もしくは、むすぶことを欲しない人間種族の場合でも、同様である。
(33)正義は、それ自体で存在する或るものではない。それはむしろ、いつどんな場所でにせよ、人間の相互的な交通のさいに、互に加害したり加害されたりしないことにかんして結ばれる一種の契約である。」
(36)一般的にいえば、正はすべての人にとって同一である。なぜなら、それは、人間の相互的な交渉にさいしての一種の相互利益だらからである。しかし、地域的な特殊性、その他さまざまな原因によって、同一のことが、すべての人にとって正であるとはかぎらなくなる。」
『エピクロスー教説と手紙』83-84頁
このエピクロスの教説を祖述したと思われるテキストで現実的に問題になっているのは「正義」の由来と根拠であり、具体的に展開されているのは「ピュシス(自然の法)/ノモス(人為の法)」の弁証法である。唯物主義のエピクロスにおいて、「正義」の由来はもちろん神様ではなく、人間の本性に求められる。そしてノモス(人為の法)の観点から「契約」という手続きが示され、ピュシス(自然の法)の観点から「正」はすべての人間に同一だという法則が示される。このように神様抜きで人間の原則から「正義」の根拠を導き出してくる論理構成は、後のホッブズにそのまま見ることができる(自然権と自然法の弁証法)だろう。
【要約と感想】『エピクロス―教説と手紙』
【要約と感想】ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』
プラトンが描くソフィスト
伝統的なピュシス(自然の法)を否定してノモス(人為の法)を前面に打ち出す議論を始めたのは、ソクラテス(紀元前5世紀)と同時代に活躍したソフィストたちである。その様子は、プラトンが描写するカリクレスやトラシュマコスの諸説に鮮やかに見出すことができる。プラトンは『国家』の中でソフィストの議論をこう描写している(もちろんプラトン自身はこれに反対する立場だ)。
これがすなわち、<正義>なるものの起源であり、その本性である。つまり<正義>とは、不正をはたらきながら罰を受けないという最善のことと、不正な仕打ちを受けながら仕返しをする能力がないという最悪のこととの、中間的な妥協なのである。」上巻106-107頁
「すべて自然状態にあるものは、この欲心をこそ善きものとして追求するのが本来のあり方なのであって、ただそれが、法の力でむりやりに平等の尊重へと、わきへ逸らされているにすぎないのです。」上巻108頁
このテキストに関してまず注目したいのは、ソフィストが「自然本来のあり方」から議論を起こしていることだ。その認識が正しいかどうかはともかく、神様ではなく人間本性(特に欲心)という「自然」から議論を組み立てようとする態度だ。そして「自然(ピュシス)」から始まった話が、「契約」という「人為(ノモス)」へ着地するという論理構成だ。
また共和政期ローマのキケローもほとんど同じことを言っているが、これは明らかにプラトンに倣ったものだろう。後世のラテン文化圏の読書人たちは、プラトンではなくキケローからこの考え方を知ることになったはずだ。
キケロー『国家について 法律について』154頁
キケローの議論は「恐れ」という人間本性から話が始まるが、「自然(ピュシス)」も「意志(ノモス)」も否定され、「力」の不在が正義の根拠とされる。もちろんキケロー本人はこれに反対する立場であり、この発言者の議論は後に克服されることになるわけだが、ともかく神様抜きで人間本性から話を起こし、「自然(ピュシス)」と「人為(ノモス)」の弁証法を展開する議論がプラトンとキケローによって記述されていたことは押さえておきたい。
また、プラトン最晩年の著書『法律』にも注目すべき記述がある。
これは直ちにホッブズ『リヴァイアサン』を想起させる記述になっている。さらに「自然状態」に言及した記述も見られる。
――
この者たちには 審議の集会も法令もないのだ
彼らは 高い山々の頂き うがたれた洞窟の中に住みなし
各自その子供や妻を支配し
互いに無関心のまま 過ごしているのだ」680B
ここでは自然状態において各家族がバラバラに生活していることと同時に、子どもと女性が家父長制のもとに所有物として扱われている状況が描写されている。
以上みたように、既に古代ギリシアとローマに後の社会契約論へと発展しそうな芽を確認することができる。実際、多くの先行研究が影響を認めている。ただし「契約」に関する議論は「正義論」の中で出現するだけで、国家や社会の構成原理の話に展開することはない。国家論にならない以上、統治の正当性や抵抗の可能性について触れることもない。近代に至るには、まだ様々な条件が整備される必要がある。
【要約と感想】プラトン『国家』
【要約と感想】プラトン『法律』
【要約と感想】キケロー『国家について 法律について』
中世
ローマ帝国が滅びて中世キリスト教世界の時代に入ると、プラトンの著作もエピクロスの著作も失われ、しばらく忘れ去られることとなる。キケローの著作はラテン世界で読み継がれるものの、アウグスティヌスはともかく、基本的にはラテン語文法典範として活用されるにとどまり、精神世界には『聖書』の権威が君臨する。
キリスト教においては、人間の歴史は『旧約聖書』に記されたアダムとイブのエピソードから始まる。この創世記における人類創造の記述が妥協されることは絶対にない。アダムとイブには「自然状態」(さらには子ども期)が存在せず、創造の瞬間から「コミュニケーション可能=社会状態」が成立している。したがって、子どもから大人への移行プロセスに一切の関心が払われないのと同様、自然状態から社会状態への移行プロセスにも関心が持たれることはない。キリスト教の関心の中心は、「人の国/神の国」の相違と移行プロセスにあるのであって、「自然の国/人為の国」の境界線などまったく問題にならない。キリスト教的宇宙論のなかでは、人間のみならず神や天使や動物も含めた階層的かつ調和的な世界像が示される。剥き出しの個人が世界から切り離されて単独で生活する原初の自然状態など想像もされなかった。確かに俗世間を離れた修道的隠遁者はいくらでもいたが、彼らは神と繋がっていて、剥き出しの個人ではなかった。こういう環境では、社会契約論どころか「社会」の形成に関わる議論が行われる余地すらない。
ただしもちろん西暦500年から1500年まで千年もの時間があって、何も変わらなかったということはない。叙任権闘争(それに伴う世俗権力の剔抉)、封建国家から絶対王政への展開(それに伴う主権概念の発達)、都市やギルドの発展(それに伴う法人格概念の萌芽)、大学の誕生やスコラ学の成熟(特に普遍主義論争)、正義論の成熟(iusとlexの区別など)、東方教会とも連動しているであろう神秘主義の勃興(特に神との関係における個の剔抉)などなど、伏線となるような動きはいくらでも確認できる。また個人的には、三位一体論の成熟が大きな伏線(persona概念に絡んで)になっているのではないかと睨んでいる。ただこれらの流れがひとまとまりとなって奔流となり、世の中を大きく動かしていくのは、宗教改革とルネサンスを待たなければならない。
ルネサンス
1453年のビザンツ帝国崩壊をきっかけとして、失われていた古代のテキストがイタリア半島に流れ込むと同時に、グーテンベルクによる活版印刷が書物の流通を加速させる。それまでプラトンのテキストは『ティマイオス』がもっともよく知られていたが、ルネサンス以降は『国家』が広く読まれ始めるようになる。このプラトン『国家』で描写されたソフィストの議論に社会契約論の芽があったことは先に確認した。
ルクレーティウスの再評価
そして最大限に確認しておきたいことは、ルネサンス期においてルクレーティウス『物の本質について』が高く評価されたという事実である。たとえばロレンツォ・ヴァッラ(『快楽について』)、テレジオ、パトリーツィ、エチエンヌ・ドレなどがルクレティウスに好意的に言及している。また内容的にはルクレティウスを非難するピコ・デラ・ミランドッラも、雄弁的な観点からはルクレティウスを評価している。そしてルネサンスの雄エラスムスについては「エラスムスにはホッブズの社会契約という思想は未だ認められていないが、それに近い思想が芽生えている。」(金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』248頁)との指摘があり、詳細は説明されていないのだが、ルクレーティウス経由の可能性が高い。またエラスムスの友人トマス・モアについては以下の指摘がある。
エピクロス自身のテキストが失われている以上、仮にモアがエピクロスの教説を知っていたとしたらルクレーティウスを経由した可能性が高い。ただしもちろん、エラスムスやトマス・モアを含めて、ルネサンス期には近代の社会契約論の水準に到達している議論を見ることはできない。古代以来の「正義論」の範囲内で話が進むだけだし、大枠ではキリスト教宇宙論の射程圏内にある。エピクロスの影響といっても自然科学から人生論まで範囲は広大であり、ただちに社会契約論が立ち上がるわけではない。
ちなみにルクレーティウスについては、近代以降も、モンテーニュが盛んに引用したり、ホッブズがヒントを得ていたり(田中浩『ホッブズ』)、デカルトやホッブズとも交流のあるガッサンディが強い影響を受けていたり、ルソーも影響を受けていたりする(ルソー『人間不平等起原論』解説)ことが指摘されている。社会契約論を考えるうえでキーパーソンであることは間違いない。
そしてもう一人、後の社会契約論の展開を考えるうえでルネサンス期で忘れてはならない人物は、マキアベッリである。マキアベッリが社会契約論に類する議論を展開した形跡はまったくないものの、神様を排除して「人間」の原理原則だけで国家の動向を考察する姿勢は間違いなく近代に向かっている。ルソーも『社会契約論』でマキアベッリの人格と業績を極めて高く評価している。
【要約と感想】ロレンツォ・ヴァッラ『快楽について』
【要約と感想】金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』
【要約と感想】И.Н.オシノフスキー『トマス・モアとヒューマニズム』
【要約と感想】マキアヴェッリ『君主論』
近代への離陸
何をもって近代と見なすかについて難しい問題は多々あるが、ここでは便宜的に大航海時代・宗教改革・ルネサンスを目印としておく。
大航海時代は南北アメリカ大陸やアフリカ大陸から人類学的知見をもたらし、社会契約論を展開するうえで必須の要素である「自然状態」に関する想像力を刺激した。
宗教改革の空気は聖書に対する書誌的研究を可能とし、旧約新約両聖書における「契約」の概念に関する洞察を深めた。またイギリス国教会に典型的なように、世俗国家がカトリック教会からの独立性を高める動きは権力の正当性の問題を露骨に浮かび上がらせる。
ルネサンスの雰囲気は、社会の成立を「神」による創造ではなく「人間」の本性に基づいて考察する姿勢を後押しした。
これらの動きが総合的に絡み合いながら近代を準備していくことになる。
近代
近代に入り、様々な論者が様々な形で社会契約論を提示することになる。あらかじめすべての論者に共通する要素を示すと、
(1)人間の「自然状態」と「社会状態」を厳密に区別する。
(2)人間の「自然状態」を聖書の記述によらず、人間の自然本性に基づいて理解しようと試みる。その結果、自然科学における原子論と響きあうように、まず人間を「個人」として理解する。
(3)人間の「社会状態」を自然なものと見なさず、何らかの人為的な手続きを経てできたものと考える。その結果、理性的で合理的な「合意」を重視する。
(4)統治の正当性の原理を示すことを目的としている。その結果として、道徳的な「正義」や「公正」に関する洞察が伴う。
といったところだろうか。
一方、それぞれの論者の論理構成の違いを理解する目安となるのは、
(1)自然状態の定義。この相違は「自由」や「権利」という概念に対する理解の違いに基づくだろう。
(2)自然状態から社会状態へ移行するメカニズム。この相違は、社会契約の性質の違いや、抵抗の正当性に対する態度の違いに帰結するだろう。
(3)社会状態の定義。この相違から政府の権限の範囲に関する見解も異なってくるだろう。
(4)カトリック教会への対応。それぞれの論者の宗教観の違いだけでなく、現実的に直面していた課題に対応して異なるだろう。
となるだろうか。ちなみに古代の理論には、(4)はあるわけないとして、(1)はルクレーティウスとホメロスの詩に、(2)はルクレーティウスとエピクロスに、(3)はプラトンとキケローが描写するソフィストとエピクロスの正義論に見られるが、それぞれが論理として有機的に結びついているわけではなく、バラバラに記述されている。
以下、社会契約論と称されるいくつかの理論の内容と構成を確認する。
ホッブズ『リヴァイアサン』
まず、極めて独創的な発想で社会契約論の水準を一気に引き上げたのが、イングランドの思想家トマス・ホッブズ(1588-1679)である。
背景として、先行研究においてはピューリタン革命の影響が強調されるが、個人的には宗教改革のほうが、特にイングランド国教会とカトリックとの確執の方が根が深いように思える。というのは、個人的な見解では、ホッブズは民主派ではなく王党派であり、王党派の利害関心に依ってカトリックの影響を排除しようと目論んだ結果が『リヴァイアサン』に強く反映しているように見えるからだ。実際、『リヴァイアサン』は後半でしつこくカトリック批判を繰り返して世俗権力への一本化を主張する。前半で自然状態から社会状態への移行を詳細に記述しており、それによって民主派と評価されるわけだが、個人的には、ただ後半戦に備えて世俗権力を一本化しておきたかったからのように見える。
個人的に強い関心を持つのは、ホッブズが「人格」という言葉について極めて深い洞察を示している点だ。ホッブズは「人格」にまつわるギリシア語とラテン語の相違を丁寧にたどって定義を明確にしたうえで、全編にわたって、しかも要所要所で頻繁に使用する。しかもキリスト教最大の奥義「三位一体論」に関わる記述で「人格」という言葉を巧みに使いながら、それを主権論の文脈に降ろしてくるところなど、ぜんぶ分かったうえで意図的に仕組んでいるような印象を持つ。侮れない。
以下、論者の論理展開の相違を浮き彫りにする4観点からホッブズの特徴をまとめる。
(1)自然状態の定義。
ホッブズは自然状態の記述に先立ち、デカルト『情念論』やスピノザ『エチカ』を想起させるような筆致で人間の「情念」を丁寧に分析して、人間は欲望や嫉妬から逃れられないと喝破する。そして、人間は生まれながらにあらゆることを自由に行う「自然権」を平等に持つ一方で、だからこそ情念に支配される人間たちの自然状態は「万人の万人に対する戦争」に陥ると定義した。この状態では人間の生活は「孤独で、貧しく、下劣で、野蛮で、短い」もので、常に不安と恐怖に苛まれる。
ホッブズの理論が説得力を持つかどうかは「情念」の理解にかかっている。
(2)自然状態から社会状態へ移行するメカニズム。
ホッブズによれば、安全を実現しようとしたときに理性が必然的に見出す「自然法」の条理に基づいて、生存権を保障するためにこそ各人は「自然権」を自発的に放棄し、絶対的な権力者リヴァイアサンへ委譲する。この理屈を成立させるため、ホッブズは中世まで混同されていた「法:lex」と「権利:jus」の概念の違いを強調し、理性が見出す「自然法」の必然性を前面に打ち出す。
ホッブズの理論が説得力をもつかどうかは「自然法」の理解にかかっている。
(3)社会状態の定義。
ホッブズは秩序と安全を確保するために権力を絶対的な一点に集中するべきことを提唱し、君主政を擁護する。いったん社会状態が成立した以上は、統治者に逆らうことは許されない。「正義」とは統治者が決めたルールである。まさに古代のソフィストが主張したとおりの絶対的統治体制となっている。
ホッブズの理論が説得力を持つかどうかは、絶対王政による強権を是とするかどうかの姿勢にかかっている。
(4)カトリック教会への対応。
ホッブズはカトリック教会を極めて強い態度で批判し、権力の根拠をいっさい持たないことを丁寧に示したうえで、宗教的な指導力も世俗権力が握るべきだと主張する。カトリック教会に許されているのは示唆する程度の強制力を持たない教育に過ぎず、国家運営に口出しをするなどもってのほかだと言う。
【要約と感想】ホッブズ『リヴァイアサン』
【要約と感想】梅田百合香『甦るリヴァイアサン』
【要約と感想】田中浩『ホッブズ』
【要約と感想】田中浩『人と思想ホッブズ』
スピノザ『神学・政治論』
オランダの思想家スピノザ(1632-1677)はホッブズと同時代を生き、お互いに影響を与え合っていると理解されている。政治学の教科書において社会契約論の論者として扱われることは滅多にないが、個人的には、『旧約聖書』の「契約」概念を現実の社会に降ろしてきた発想はかなり重要な意義を持つと思っている。
(1)自然状態の定義。
スピノザは自然状態を個人が無限の「自然権」を持つ状態と見なし、自由は他者の干渉がない状態で自己保存を追求する能力として定義する。一方で、ホッブズのような「万人の万人に対する闘争」が起こるとは考えない。このホッブズとの違いは『神学・政治論』だけでは分からないが、おそらくスピノザ『エチカ』で示される「情念」論と合理的・調和的な世界観によると考えられる。
(2)自然状態から社会状態へ移行するメカニズム。
スピノザは合理性に基づく自発的な協力として社会契約を見ており、個人が共同の利益のために自由の一部を制限することが社会全体の最大の自由をもたらすと考える。極めてユニークなのは、『旧約聖書』において神と人民の間に結ばれた「契約」の在り方を徹底的に掘り下げたうえで、それを現実社会において政府と人民の間に結ばれる「契約」と実質的に同じ性質の服従契約だったと見なす点である。キリスト教が「契約」の宗教であったことが世俗国家における「契約」という発想をもたらした可能性(つまり中国やインドやイスラムではそうならなかった)を、ここに見ることはできるだろう。
(3)社会状態の定義。
スピノザは社会状態を個人の理性と合理的な欲望に基づく自由な協力の産物と見なし、政府はこの自由と秩序を維持するために存在すると考える。またどれだけ政府が人々をコントロールしようと思っても、人民は自らの本性に従って行動するだけで、無駄なことだという。これは空想ではなく、歴史上のオランダ共和国に実際にあり得た現実的な見方でもある。スピノザ自身はホッブズ理論との違いについて、社会状態においても「自然権」が手つかずのまま残っていると証言している。
(4)カトリック教会への対応。
スピノザ『神学・政治論』は社会契約論を示そうとして書かれたものではなく、真の自由と理性に基づく社会を実現するために宗教と政治の完全な分離を支持し、キリスト者として最低限必要な信仰箇条を守っていれば問題ないと主張することを眼目としている。その結果、カトリック教会からは無神論のチャンピオンとして蛇蝎のごとく敵視されることになる。
【要約と感想】スピノザ『神学・政治論―聖書の批判と言論の自由―』
【要約と感想】スピノザ『エチカ―倫理学』
【要約と感想】上野修『スピノザ『神学政治論』を読む』
【要約と感想】國分功一郎『スピノザ―読む人の肖像』
【要約と感想】吉田量彦『スピノザ―人間の自由の哲学』
ロック『統治二論』
イングランドの思想家ジョン・ロック(1632-1704)は、スピノザと同年に誕生している。二人の直接的な交流は確認できていないが、オランダ滞在時に著書を読んでいるなど影響を受けているだろうことは分かっている。またホッブズとの接触も確認できていないが、著書を読む限り意識していただろうことは推測できる。思想的背景として名誉革命(1688)との関連を云々されることもあるが、歴史的研究により、執筆時期そのものは名誉革命に先行することが分かっている。
(1)自然状態の定義。
ロックは自然状態を自然法に基づいた平和的秩序がある程度は成立している状態と考える。自由は自然権としての生命、健康、自由、財産の保護を含むが、特に労働に基づいた「私有財産」の不可侵性を強調する。また自分が被った被害を回復する権利を各人が持つだけでなく、他人に被害を与えた者を罰する裁判権・執行権も自然に与えられていると主張する点はユニークだ。
ポイントは「私有財産」の正当化にある。
(2)自然状態から社会状態へ移行するメカニズム。
ロックは財産権を確実に保障するために政府への権力の委譲が必要だと主張するが、どうして自然状態で平和的秩序が実現しているのに権利を放棄しなければいけないのかという説明は不十分かつ不明確で、社会状態への移行の必要性が厳密に説明されているとはみなしがたい。一方、他人に被害を与えた者を罰する裁判権・執行権を各人から取り上げて政府に一本化するメリットは明確にされている。
(3)社会状態の定義。
ロックは社会状態を法と政府による自然権の保護と定義し、政府は民衆の同意に基づいて設立されるとする。そして極めて限定的な条件付きではあるが、政府による自然権(特に財産権)の保護が不可能となった場合、政府への抵抗が許容される。
ポイントは、抵抗権の理解にある。
(4)カトリック教会への対応。
『統治二論』の前編は王権神授説に対する批判であり、世俗権力を正当化する原理としてのキリスト教は明確に否定している。また、別著で宗教的寛容を説く一方、カトリックに対する敵意は隠していない。ただしロック自身は敬虔なキリスト者であり、その社会契約論のいちばん根底にも「神の制作物」という人間理解が前提にある。
【要約と感想】ジョン・ロック『完訳 統治二論』
【要約と感想】加藤節『ジョン・ロック―神と人間との間』
ルソー『社会契約論』『人間不平等起原論』
ジュネーブで生まれフランス語で活動したルソー(1712-1778)は、ホッブズやロックを意図的に批判しながら、独自の社会契約論を打ち立てる。歴史的背景としてはアメリカ独立に深く関わったりフランス革命の理論的支柱になったとみる向きもあるが、実証研究のレベルではフランス革命にはさほど関係していないと理解されている。
ルソーの論理の全体像を理解するためには、『社会契約論』だけでなく『人間不平等起原論』も併せて読む必要がある。先行研究においては両著書間の矛盾や論理的不整合が指摘されてはいるが、「自然状態の定義」や「自然状態から社会状態へ移行するメカニズム」は『社会契約論』で詳述されておらず、『人間不平等起原論』を参照しなければルソーの見解は分からない。確かに不整合なところは散見されるが、全体像を理解するうえで致命的な障害になるとも思えない。
(1)自然状態の定義。
各人は完全に生まれながらに自由と平等をもつ。全員が自己保存に一番の関心を注ぎ、それぞれが生存に必要な行動をとるが、お互いの生活を侵害することはあり得ない。アメリカ大陸や類人猿の生活等にも触れながら、自然状態が人類にとって極めて理想的な状況だったと描く。あまりにも「自然人」が理想的に描かれ、当時から多くの批判を浴びている。
(2)自然状態から社会状態へ移行するメカニズム。
『人類不平等起原論』では、人類が堕落した結果として、自然状態のままではいられなくなると主張する。特に私有財産の発見によって貧富の差が拡大し、その貧富の差が不可逆的に権力の偏在化に向かうと言う。
一方『社会契約論』では詳細にメカニズムを語らないが、社会状態への移行がもはや不可避となった時点で理想的な形の移行が起こると言う。自然状態の自由と平等をそのまま実現するために、人民と統治者の間の「服従契約」ではなく、まずは人民同士が水平に「社会契約」を結んでひとかたまりの集団になる。この生命と一般意志を持った集団に従うことで、各人は自然状態と変わらずに自分の主人のままでいられる。どういう形の政府にするかは、契約段階の話ではなく、契約が結ばれた後に一般意志が判断すればよい。
(3)社会状態の定義。
『人間不平等起原論』においては、滅びゆく人類の堕落の極みとして悲観的に描かれる。文化や芸術は、老人の杖のようなもので、健康な自然人には必要ないが、堕落しきった現代人にとってのみ必要になるものだと言う。
一方の『社会契約論』においては、社会状態とは「自然の自由」に代わって「市民の自由」を得た状態であり、それに加えて「道徳的な自由」も得た素晴らしい状態であると主張する。政府も一般意志を実現するための公僕として理解されるため、一般意志と相容れない政府を覆すのはまったく問題がない。ただし一方、社会契約を結んだ以上、共同体の構成員は一般意志に絶対的に従わなくてはならない。たとえ多数決で少数者の側になろうと、命を失うような義務が発生しようと、無条件に従わなければならない。
(4)カトリック教会への対応。
『社会契約論』においては、キリスト教の考え方は世俗的国家の現実とはまったく相容れないものだと厳しく批判したうえで、社会的紐帯を根底から支える基盤として「市民宗教」が必要であると説き、この宗教に忠誠を誓えない人間は追放せよとまで言う。しかし実質的にはこのような市民宗教が成立する見込みはないので、次善の策として宗教的寛容に徹するべきことを主張する。もちろんカトリック教会は大激怒し、『社会契約論』には禁書の指令が下ることになる。
【要約と感想】ルソー『社会契約論』
【要約と感想】ルソー『人間不平等起原論』
【要約と感想】仲正昌樹『今こそルソーを読み直す』
古代に還る:ソクラテス
こうしてルソーは、人民がいったん合意して社会を形成した以上、共同体の成員は命を投げ出すような理不尽な法にさえも従うべきだと主張する。そして実際にそうした人物を、我々は古代に見出すことができる。『クリトン』に描かれたソクラテスである。
「またお前は今、われわれ自身に対してした契約と合意とを蹂躙しようとしていはしないか。しかもお前がその契約と合意とを与えたのは、余儀なくされたためでもなく、欺かれたためでもなく、短時日の間に考慮決定することを強いられたためでもない、もしわれわれがお前の気に入らず、この合意が不当だと思われたならば、ここを立去ることがお前に許されていた時日は、七十年もあったのだから。」
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』岩波文庫、84頁
このソクラテスの態度について、先行研究はこうコメントして、ルソーの論理との関係を見出している。
この意味においてソクラテスの国法観は、確かにルソオの社会契約説の先駆をなすものともいいうるのである。」
稲富栄次郎『ソクラテスのエロスと死』福村出版、1973年、184頁
個人的には、ソクラテスの態度がルソーに相通じるというよりは、アテネの国政とソクラテスの生き様を念頭に置きながらルソーが『社会契約論』を書いた、というほうが真実に近いように思う。ホッブズはソクラテスの敵であるソフィストの議論を下敷きにして『リヴァイアサン』を書いたように見えるが、ルソーはソクラテスの生き様を踏まえて『社会契約論』を書いたように思える。紀元前5世紀に行われたソクラテスとソフィストの対決は、2000年以上後の18世紀にまで続いていたのである。あるいは今も延長戦の最中か。
【要約と感想】プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』
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まとめ
論者による相違
以上確認したように、一口に「社会契約論」と言ったとしても、その具体的な論理展開や実質的な内容は論者によってまるで異なる。先行研究においても、その相違を前面に打ち出してくるものが多いような印象だ。
それぞれの論理の相違に注目すると、日本における歴代政治体制の相違についても新たな視点を得られるように思う。(あくまでも日本の政治体制の特徴を相互に浮き彫りにするために社会契約論の特徴を借りて考察するだけであって、西洋の論理をそのまま日本の歴史的政治体制の実態に当てはめようとするものではない)
(1)ホッブズを踏まえて豊臣秀吉の惣無事令を考える。
日本の中世においては鎌倉・室町時代を通じて地方小領主同士の私闘が相次ぎ、室町中期から安土桃山には広域大領主間の私闘に発展するが、豊臣秀吉による1585~87年の惣無事令によって実質的な天下統一が成ったとされる。実証的には豊臣政権の実態をどう考えるかには様々な立場があるが、各大名に絶対服従を確約する誓紙を納めさせて私闘を禁じる一方で、刀狩令や海上賊船禁止令、喧嘩停止令など被支配民の武装解除を進めたことを踏まえると、理念的には、豊臣家をリヴァイアサンとする絶対主義体制が整ったと見なすこともできる。実質的には武力を背景とした威嚇による統一ではあるが、形式的にはホッブズが言うように不安と恐怖から逃れて平和と秩序を構築するために自発的に自然権を返上する服従契約となっている。
もちろん農民を含めた日本の全住民が自発的な契約を秀吉と結ぶわけはないのだが、ホッブズ自身も果たしてイングランドの無産者や一般庶民や、あるいは陪臣たちすら視野に入れていたかは怪しいところではある。
(2)スピノザ・ロックを踏まえて徳川政権下の幕藩体制を考える。
江戸幕府統治下265年間には、島原の乱などいくつかの悲惨な戦乱はあるものの、おおむね平和だったと言ってよい。その間、全国約300あった藩(一万石以上)やそれ以下の小領主の領地では、法も裁判も経済も、基本的には領地内の自治に任された。これはスピノザの言う「自然権が手つかずのまま放置」の状態であり、ロックが言うように私有財産が保障(領地が安堵)された状態である。この自然権の恣意性が目に余るようになったときには公共の福祉を保障するために公権力(いわゆる公儀)が発動する。恐怖や不安に基づいたホッブズ型権力というより、平和と安定を保障するための公権力ということで、理念的にはスピノザ・ロック型と言えるだろう。また政府の専横が目に余った場合に百姓たちが武器を持って立ち上がったのは、ロックが言う抵抗権の発露と考えてよいか(あるいはホッブズ的なやむにやまれない生存権の主張のほうか)。
ただしもちろんパックス・トクガワ―ナは身分制を土台とした暴力装置の偏在が支える制度であり、オランダの共和政を背景としたスピノザ理論やブルジョワ階級的ロック理論にそのまま適用するのは乱暴ではある。
(3)ルソーを踏まえて廃藩置県+大日本帝国憲法+教育勅語を考える。
大名や領主たちが先祖代々実力で制圧してきた領地をいったん天皇(公)に戻したうえで、元の土地に行政官として戻ってくるという版籍奉還と廃藩置県の手続きは、まさに自然権を市民権へと転換して権力を一元化する社会契約論的なカラクリである。そして教育勅語は日本の建国神話を土台として日本人民を一体のものとして創出するフィクショナルな試みだったが、それはルソーが言う「市民宗教」を土台とした人民の組織化の手続きである。市民宗教(教育勅語)は、政治的統合を促進するために共有されるべき価値観や信念体系を提供し、国家が個々人の意識の中に深く根ざす共通のアイデンティティを形成した。その土台の上に大日本帝国憲法で定めた権利と義務の体系が作動し、市民権と公民権が実質化する。天皇制(ルソーが言う君主制)であることは、ルソーも『社会契約論』本文で主張するように、共和政であることとまったく矛盾しない。ただしそれは美濃部達吉の天皇機関説のようなものとして天皇が機能している限りの話にはなる。親政により天皇が無謬の審級かつ皇軍の大元帥としての役割を期待され始めると、とたんに人民主権が破綻する。これが大日本帝国に限られた話に過ぎないのか、それともルソーの理論が内在的に抱える根本的な問題かは、「一般意志」の絶対性・抑圧性と絡んで、実はなかなか厄介な話である。あるいは大日本帝国の司馬遼太郎史観的な勃興と頽廃の過程は、ルソー理論の射程範囲内の話になるのか。これを理論的な水準で克服するのは、カントやヘーゲルの仕事になるのだろう。
論者を超えた共通点
さてしかし個人的には、論者による理屈の違いを強調するよりも、共通点を強調した方が実りが多いように感じる。その共通点とは、繰り返しになるが以下の4点である。
(1)人間の「自然状態」と「社会状態」を厳密に区別する。
(2)人間の「自然状態」を聖書の記述によらず、人間の自然本性に基づいて理解しようと試みる。
(3)人間の「社会状態」を自然なものと見なさず、何らかの人為的な手続きを経てできたものと考える。
(4)統治の正当性の原理を示すことを目的としている。
これは古代や中世には見られない特徴的な論理構成だ。
教育学への応用
なぜ私が社会契約論に共通する論理を剔抉することが実り多いと考えるかと言うと、それがそっくりそのまま近代教育のありようを説明する原理になるからだ。
(1)人間の「自然状態(子ども)」と「社会状態(おとな)」を厳密に区別する。
(2)人間の「自然状態(子ども)」を人間の自然本性に基づいて理解しようと試みる。
(3)人間の「社会状態(おとな)」を自然なものと見なさず、何らかの人為的な手続きを経てできたものと考える。
(4)教育の正当性の原理を示すことを目的としている。
これを認めるにせよ批判するにせよ、「近代」という時代の原理を理解するうえで、政治にも教育にも貫徹する論理を把握しておくことに意味がないわけがない。