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【要約と感想】デカルト『方法序説』

【要約】学校で学ぶことはデタラメで何の意味もないことを悟り、自分自身の内部と世界そのものだけに真実を求めて旅に出ました。そしたら旅先でもみんな言っていることがそれぞれ違うので、人が言っていることは何も信じてはいけないことを確信しました。
 これまでに教師からデタラメを教え続けられたことが分かった以上、曖昧でいい加減な知識は全部捨て去り、焦らず時間をかけて、確実な思考を進めるための原理を考えた結果、4つの規則に落ち着きました。
(1)疑う余地のない明晰で判明な真実以外は判断の材料としない。
(2)解決すべき問題はできるだけ細かい部分に分割する。
(3)もっとも単純で認識しやすいものから階段を上るようにして順番に理解し、最終的に複雑なものの認識に至る。
(4)あらゆる要素を完全に枚挙して見落としがなかったと確信する。
 この思考法を数学で試すとたちまち難問を解きまくることができるようになり、これでいけるという自信を持ったので、最も重要な哲学で同じことができるかチャレンジしてみることにしましたが、焦らず時間をかけて丁寧に考えようと思ったので、決定的な答えを見出す前に暫定的な行動方針を立てました。
(1)わたしの国の法律と慣習、そして最も良識ある穏健な人の意見に従う。
(2)一度決断を下したら、多少怪しくても首尾一貫してそれに従う。
(3)他人を変えようと無駄なことはせず、自分を変える。
 この方針でしばらく大丈夫そうだったので、予定通り少しでも疑わしいものはどんどん捨て去りました。しかしあらゆるものを疑い続けるうちに、考えている自分自身の存在だけは疑えないことは、何があっても揺るぎない確実な真理であることを見つけました。「われ惟う故にわれ在り」こそ探し求めていた哲学の第一原理ということでファイナルアンサーです。そうなるとたちまち(2)仮に身体(物体)がなくても考えるわたし(精神)は存在する。(3)わたしたちが明晰かつ判明に捉えることはすべて真実である。(4)完全な神が存在する。(5)われわれの理性には何かしら真理の基礎がある、という真理が演繹されます。
 この原則に立って考え始めると、これまで哲学上の難問と思われてきたことにも簡単に答えを出すことができます。たとえば地球を含むこの世界全体の成り立ちやあらゆる現象、さらに人間の体の仕組みは、古代哲学やスコラ学が駆使する概念なんかなくても、すべてメカニカルに説明し尽くせます。ただし人間の魂は物質ではないので、別に考えなければいけません。
 ここまでの考えを論文にまとめて出版する準備を進めていましたが、宗教裁判でガリレオが有罪になったのを見て、やめました。しかしやはり自分が到達した真実へ至る方法は人々を幸福に導くものです。なぜなら自然の原理を解明し、それを応用することで、われわれは自然の主人となり所有者となることができるからです。わたしが到達した地点はごくごく初歩的なところにすぎませんが、この方法を貫徹すれば、人間はますます発展していきます。今後の探究では実験が重要になります。序説はこれで終わりますので、次の章から具体的な成果をご覧ください。(翻訳はここでおしまい)

【感想】まあ私が改めて評価するまでもないことだが、新しい時代の幕開けを告げる画期的な論考だ。いよいよ近代に突入した。
 まず重要な事実は、中世的スコラ学を徹底的に排除しているのに加えて、ルネサンス的人文主義も完全に排除している点である。デカルト的近代は人文主義(ヒューマニズム)の伝統から完全に切り離されている。ルネサンス的人文主義の研究者たちはもちろん人文主義こそが近代の幕開けだと主張するわけだが、虚心坦懐に本書を読めば、そんなことはない。むしろ人文主義は近代化を妨げるような世迷言に過ぎない。古代哲学など、現実を理解するのに何の役にも立たない。デカルトに直接連なるのは、コペルニクス、ブルーノ、ベーコン、ガリレオなど、自然科学の発展に果敢に尽くした人々だ。
 とはいえ判断が難しいのは、デカルトの自己主張にも関わらず、既存の権威を相対化するという批判的な姿勢や態度を育む上で人文主義が何の貢献もしていないと即断するわけにはいかない、というところだ。15世紀後半から17世紀前半に至る100年強の時間の中で、人文主義の活動(そして宗教改革)によって少しずつ既存の権威が失われていく。この既存の権威への批判と相対化という地ならしがなければ、デカルトの画期的な論考も芽生えることがなかったかもしれない。というか、たぶんそうだろう。となると、人文主義とデカルトの間に直接的な繋がりがなくとも、時代背景や土台づくりという点で人文主義の意義を認めることはできる。
 また、実は「我惟う故に我在り」というアイデアそのものが既にアウグスティヌス『神の国』に見られるという事実には配慮しておいて損はしないだろう。デカルト自身がアウグスティヌスに言及することはもちろんないのだが、あれほどデカルトがバカにしているイエズス会の学校でアウグスティヌスについて聞いていないなんてことがあるわけないので、意識的にパクったか無意識的に参照したかはともかく、アイデアそのものがデカルトの完全オリジナルでないことは間違いないと思う。もちろんそれを第一哲学の原理に据えたのはデカルトの創見だが、学校で学んだことをそんなにコケにすることもないということでもある。
 そんなわけで、ルネサンスや人文主義の歴史的意義については、デカルトの方針に従って、少ない情報のみで即断することなく、時間をかけて丁寧に見ていかなければならない。

 次に個人的な関心から問題になるのは、「かけがえのない人格」という近代的自我の観念形成に対してデカルトがどれほどの貢献をしているか、というところだ。
 まず「我惟う故に我在り」という例のテーゼそのものが「かけがえのない我」という観念を浮上させるのは間違いない。しかも哲学の第一原理ということで、荘子など中国哲学的な独我論とも異なり、あるいは仏教で乗り越える対象となる「欲望の主体としての我」とも異なり、間主観的な議論に発展させることが可能な、つまり民主主義の土台となる健全な個人主義の原理として意味を持つ。デカルトそのものには「かけがえのない人格」という表現を明確に見ることはできないが、ここに個人主義の哲学的土台を見ることは許されるだろう。
 そして本書を通読して改めて思ったのは、デカルトは自身の主張を論理形式のみにおいて成立させようとしているのではなく、自分の独自な生育史を踏まえて説得力を持たせようとしている、ということだ。本書の書き方そのものが「過剰な自分語り」になっていて、たとえば扱っている内容や主張がまったく違うように見えるモンテーニュ『エセー』における「私」と立ち位置が実はよく似ている。こういう「自分語り」は古くはペトラルカやダンテあたりの詩的表現には見られるが、哲学の領域において、プラトンのような対話形式でもなく、アリストテレスのような客観的論文調でもなく、過剰に自分語りをしながら表現してみせたのは実はけっこうすごいことではないか。そもそもデカルトは真理の「伝え方」にそうとう意図的で、客観的な真理として他人に押し付けようとはしておらず、あくまでも「自分自身がたどりついた確信」について述べるという表現形式を徹底している。つまり、自分がたどりついた真理を自分自身の表現形式に忠実に適用している。デカルトが画期的なのは、内容だけでなく表現形式と伝達手法においても「我惟う」を貫いたところだ。ここに近代的自我(かけがえのない人格)の始まりを見たくなるわけだ。

 ちなみに評判が悪い「神の存在証明」は、確かに無理筋だ。「完全性」という中世スコラ的概念を持ち込んだ瞬間に話がおかしくなった。逆に、いかに「完全性」という概念が中世を支配していたかを照射する表現としては注目できる。そして、実はここにこそ「人格の完成」という概念の根っこがあるのかもしれないので、侮れない。ちなみに「神」を必要としない「我惟う」哲学第一原理の確立は、フッサールを待つことになる。

【個人的な研究のための備忘録】
 スコラ学や人文主義に対する批判については直接的な表現を確認できる。

「わたしは子供のころから文字による学問(人文学)で養われてきた。そして、それによって人生に有益なすべてのことについて明晰で確実な知識を獲得できると説き聞かされてきたので、これを習得すべくこのうえない強い願望をもっていた。けれども、それを終了すれば学者の列に加えられる習わしとなっている学業の全課程を終えるや、わたしはまったく意見を変えてしまった。」11頁
「わたしは雄弁術をたいへん尊重していたし、詩を愛好していた。しかしどちらも、勉学の成果であるより天賦の才だと思っていた。」14頁
「以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問(人文学)をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。」17頁
「われわれが人生にきわめて有用な知識に到達することが可能であり、学校で教えているあの思弁哲学の代わりに、実践的な哲学を見いだすことができ、この実践的な哲学によって、火、水、空気、星、天空その他われわれをとりまくすべての物体の力や作用を、職人のさまざまな技能を知るようにはっきりと知って、同じようにしてそれらの物体をそれぞれの適切な用途にもちいることができ、こうしてわれわれをいわば自然の主人にして所有者たらしめることである。」82頁
「これまでの医学で知られているすべてのことは、今後に知るべく残されているものに比べたら、ほとんど無に等しい」83頁
「しかも実験については、知識が進めば進むほど、それが必要になることをわたしは認めていた。」86頁

 あとはスコラ学や人文主義を批判する文脈で「自然の主人にして所有者たらしめる」という近代の人間中心主義が露骨に表明されていることについては、やはり見逃すわけにはいかない。

「われわれはみな、大人になる前は子供だったのであり、いろいろな欲求や教師たちに長いこと引き回されねばならなかった。しかしそれらの欲求や教師は、しばしば互いに矛盾し、またどちらもおそらく、つねに最善のことを教えてくれたのではない。」22頁

 大人と子どもの比較が表現されていたのでサンプリングしておきたい。またここでさりげなく「教師」に対する批判が見られることも確認しておく(ただしヴィーヴェス等に見られるような倫理的人格に対する批判ではないのだろう)。

「しかし、だからといってわたしは、疑うためにだけ疑い、つねに非決定でいようとする懐疑論者たちを真似たわけではない。」41頁

 モンテーニュと比較されることに対する牽制だと理解していい表現か。ともかく16世紀前半の段階で一般的に「懐疑論」について理解されていただろうことは確認しておく。
 確認しておけば、デカルトは「方法的」に懐疑しているだけで、結論として懐疑を容認しているわけではない。デカルトの「我惟う」は独我論に陥らず、間主観的な議論が成立する土台となる健全な個人主義に結びつく。そういう意味で、フッサール現象学が方法論としてエポケー(判断停止)するのは、確かにまったくデカルト的である。

「続いてわたしは、わたしが疑っていること、したがってわたしの存在はまったく完全ではないこと――疑うよりも認識することのほうが、完全性が大であるとわたしは明晰に見ていたから――に反省を加え、自分よりも完全である何かを考えることをわたしはいったいどこから学んだのかを探求しようと思った。そしてそれは、現実にわたしより完全なある本性から学んだにちがいない、と明証的に知った。(中略)完全性の高いものが、完全性の低いものからの帰結でありそれに依存するというのは、無から何かが生じるというのに劣らず矛盾しているからだ。そうして残るところは、その観念が、わたしよりも真に完全なある本性によってわたしのなかに置かれた、ということだった。その本性はしかも、わたしが考えうるあらゆる完全性をそれ自体のうちに具えている。つまり一言でいえば神である本性だ。」48-49頁

 デカルト自身が「スコラ学」から言葉を借りてきていると正直に表明している通り、この神の存在証明に近代的な表現は見当たらない。荒唐無稽だ。
 ただし、「完全性」という概念がヨーロッパ思想史で極めて重要な役割を果たしてきたことだけは明瞭に理解できる。そして近代の「人格の完成」という概念は、私の感想では、おそらくこの「完全性」の概念を背景として成立している。デカルトのこの荒唐無稽でデタラメな神の存在証明には、しかし繰り返し立ち戻ることになるだろう。

デカルト/谷川多佳子訳『方法序説』岩波文庫、1997年

【要約と感想】ベーコン『学問の進歩』

【要約】人類の進歩に貢献するため、あらゆる学問の領域に渡って過去の業績を点検して問題点と課題を明らかにし、未来へ向けた展望を示します。学問は様々な誤解や学者たち自身の問題によって批判されることもありますが、本質的には神と人間にとって極めて高い価値を誇るものです。
 学問の領域は(1)歴史(2)詩(3)哲学(4)神の4つの領域に区分できます。歴史には(1)自然誌(2)社会の歴史(3)教会史があります。詩の領域はテコ入れするまでもなく勝手に発展します。哲学の領域は(1)第一哲学(2)神学(3)自然哲学(4)人間学に分かれます。
 現在の学問水準は、真理を発見する手段の整備や様々な発明のおかげで格段に上がっており、ギリシアやローマの時代を超えて進歩しています。確かに乗り越えなければいけない課題はたくさんありますが、人類の未来は明るいのです。

【感想】現代的な感覚からすれば、学問全体の領域を余すところなく点検してこれからの展望を示すなど、途方もない無理無茶無謀な企てだ。本書が公になったのが1605年で、同じような企ては1531年のヴィーヴェスにも見られた。この後、17世紀序盤にはデカルトが出て、中盤には清教徒革命が発生し、終盤ではニュートンが活躍することになる。学問の全体像を個人で描こうとする企ては見られなくなり、ディドロ「百科全書」のような企画に変わっていくこととなる。
 本書全体を通じて印象に残るのは、「ルネサンスが終わったなあ」ということだ。ルネサンスの定義にもいろいろあるが、共通しているのはギリシア・ローマの文芸に憧れ、再現しようとする熱意である。ベーコンには、その憧れも再現しようとする熱意もない。というか、「ギリシア・ローマを超えた」という認識が各所に噴出している。実際、容赦なくプラトンやアリストテレスを槍玉に挙げる。その認識と姿勢を支えているのが、大航海時代によって地球全体の姿を明らかにした学問の成果への自信だ。哲学的観照や文献読解や雄弁術など古代的な教養では不可能な大事業を実現したという、発明発見と真理と活動に対する自信だ。だから、現実の地球の全体像を写す「地球儀」が完成したこのタイミングで、学問の全体像を示す「学問の地球儀」も完成させなければならない。
 そんなわけで、ベーコンの中でルネサンスは完全に終了しており、つまり近代の夜明け前までは来ている。しかしまだ近代は訪れていない。「かけがえのない人格」という発想はまったく見られない。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスの終わり
 当時の学問水準について窺える記述がたくさんあって面白いのではあるが、個人的な研究に役に立ちそうなところだけサンプリングしておく。特に教育や学校に関する記述と、「ルネサンスの終わり」に関する記述が重要だ。

「なお、注意すべきことに、教師たちの生き方は圧政のサルまねだと芝居などでずいぶん嘲笑されてはいるし、また、最近のだらしないなげやりな風潮は学校の教師や家庭の教師の選択に当然はらうべき顧慮を払わなくなっているが、しかし、とおい昔の最良の時代の知者は、国家はその法律のことにあまりにもいそがしく、教育のことにかけてはあまりにも怠慢であると、いつももっともな不満をもらしていたのであって、そのとおい昔の教育のすばらしいぶぶんが、最近イエズス会員の学院によってある程度まで復活されたのである。」38-39頁

 この部分に至るまでの話の流れは「学者の貧乏」をテーマにしていてなかなか身につまされるのだが、サンプリングしたところは文脈からは少々切り離されて唐突に差しはさまれる。実は本書にはそういう行き当たりばったりの思い付きにしか見えない冗長な記述が極めて多く、前近代的な印象が色濃くなる原因にもおそらくなっている。ともかく、16世紀の教師が嘲笑の的になっていたらしいことが分かるが、こういうエピソードはヴィーヴェスなどにもあって、事欠かない。しかし一方「イエズス会員の学院によって復活された」という記述の具体的な中身はよく分からなくて、気になるところだ。イグナチウス・ロヨラの活動のことを指しているのだろうか。

「マルティン・ルターは、(疑いもなく)一段たかい摂理に導かれてではあるが、理性をはたらかせて、ローマの司教と教会の堕落した伝統とを向こうにまわして、自分がどのような仕事をくわだてたかを悟り、またどのみちかれの時代の世論の支持は得られず、まったく孤立していることを悟って、現代にたち向かう党派をつくるためには、古代のすべての作家をよびさまし、むかしの時代に援軍を求めなければならなかった。こうして、それまで長らく図書館のなかに眠っていた、神学と人文学との両方と、古代の作家たちがひろく読まれ、とくと考えられることとなった。(中略)これを助長し促進したものは、それらの遠いむかしのものでありながら見た目には新しい説を唱えた人びとが、スコラ学者に対してもっていた敵意と敵対であった。(中略)これら四つの原因、古代の作家に対する感嘆と、スコラ学者に対するにくしみと、言語の厳密な研究と、説法の効能とが重なって、当時さかえはじめていた雄弁と能弁とのひたぶるな研究がおこることとなった。これはたちまち極端に走った。」49-50頁

 なんだかいろいろ間違った記述になっている。古典文芸復興はルターと関係がない。こういう勘違いが生じるのは、宗教改革と古典研究をセットとして考えるのが当時の認識枠組みとしては常識だったから、と推測しておこう。エラスムスの存在も考慮していいか。
 事実の間違いはともかく、ベーコンの認識では「スコラ学者への敵意」と人文主義的な「雄弁術」の流行がセットになっていることは確認しておく。

「キリスト教会は、一方では、北西ではスキタイ人の侵入と、他方では、東からサラセン人の侵入とのただなかにあって、異教の学問の貴重な建物をも、その聖なるふところに抱き、膝にのせて保護したのであって、それらの遺物は、この保護がなければ跡形もなく消滅したであろう。」77-78頁

 ここでベーコンが言う「キリスト教会」とは、コンスタンティノープルの東ローマ教会のことだろうか。ウクライナにいたスキタイ人にローマが北西から浸入されるとは思えない。そして、となると、「異教の学問」とはギリシア文化のことになる。そうだとすれば、これはベーコンがビザンツ帝国が果たした文化的役割を認識していた証拠になる記述として理解できるが、そんなことあるのか。

「まず第一にヨーロッパにはずいぶん多くのりっぱな学院が設けられているのに、それらはすべて専門科目(神学、法学、医学)に専念して、教養科目(哲学と一般原理の研究)をやる余裕のあるものが一つもないことを、わたしは不思議に思う。というのは、人びとは、学問は行動を目的とすべきであるというとき、判断を誤ってはいないが、しかしそう信じこんで、むかしの寓話に語られているあやまちに陥っているからである。その寓話では、胃は四肢のするように運動の役目もせず、また頭のするように理解の役目もしないので、身体の他の部分は胃が怠けていると推測したのである。」117頁

 これも事実認識としてはどうか。西洋教育史の教科書によれば、大学に付属する学寮(カレッジ)において基礎教養の自由七科が学ばれていたはずだ。ただしベーコンの言う「哲学と一般原理の研究」が、自由七科を眼中に入れていない可能性は考慮してよいか。
 また「胃」の寓話に触れていることも覚えておきたい。胃の寓話は、後にヘーゲルが多用することになる。

「それは、大学の学生が時期尚早に、未熟なままで、論理学や弁論術といった、年はのいかぬ修行中のものよりも大学をおえたものにふさわしい学問をする習慣である。すなわち、両者は、正しく理解されるなら、諸学のうちもっとも重みのあるもの、学問中の学問であり、論理学のほうは判断のためのもの、弁論術のほうは修飾のためのものである。そしてそれらは、内容をどう表現しどうとり扱うべきかの規則と指図なのである。」121頁

 この記述から、ベーコンが「弁論術」をどう認識していたかが具体的に分かる。クインティリアヌスやそれを引き継いだ人文主義的な教育論とはまったく異なる見解となっている。クインティリアヌスやルネサンス教育論では、雄弁術は人格を形成するために欠いてはならない学問だった。ベーコンにおいては、人格形成に関わらないただのスキルである。雄弁術そのものの位置づけがどう変化したかは別に検討する必要があるが、ともかくベーコンの認識のなかではそうとう価値が低くなっていることを確認しておく。

「すなわち、あるものごとがなされるまでは、はたしてなされるだろうかといぶかっているが、なされるとたちまち、こんどは、どうしてもっと早くなされなかったかといぶかるのである。それはアレクサンドロスのアジア遠征にみられる(中略)そして同一のことがコロンブスにも西方への航海のさいにおこったのである。」62-63頁
「というのは、この世界という大建築物が、われわれとわれわれの父祖との時代になってはじめて、ガラス窓から光線を貫通させるようになったのは、現代にとって名誉なことで、古代と競いそれをしのぐものだと主張してもまちがいないと思われるからである。」141頁
航海者の磁針の使用がまず発見されなかったら、西インド諸島もけっして発見されなかったであろう。一方は広大な地域であり、他方は小さな運動なのではあるが。同じように、発明と発見の術そのものがこれまで見おとされていたら、諸学にいま以上進んだ発見がなかったとしても、あえて異とするには当たらない。」211頁
「たとえば、当代の学者たちは優秀で活気をおびている。むかしの著作家の労苦のおかげでわれわれは高貴な助けと光をもっている。印刷術のおかげで書物はあらゆる境遇の人びとに伝えられる。航海のおかげで世界が開け、それによって多くの経験と莫大な自然誌の資料があかるみに出た。(中略)この第三の時期は、ギリシアとローマの学問の時期をはるかにしのぐであろう。」354頁

 コロンブスの西インド諸島到達をはじめとする大航海時代の成果によって「世界という大建築物」の姿が明らかになったことを極めて重要な出来事だと記述している。そもそも本書に見られるベーコンの企てそのものが「地球儀」を完成させようという発想に発している。現実世界の「地球儀」は船乗りたちの冒険によって完成しつつあるわけだが、「知の地球儀」を完成させようとするベーコンの企ても相当の冒険だし、それを自負してもいる。ここに、古典文芸復興として古代ギリシア・ローマ文化にひたすら憧れるルネサンス精神は完全に終わった。
 また、大航海時代を支えた「発明と発見」を高く評価している点も見逃せない。ベーコンがこれからの学問ん課題として設定しようとしているのは、この「発明と発見」の技術だ。「印刷術」への高い評価も記憶しておきたい。
 大航海時代がヨーロッパに与えた知的刺激は低く見積もらない方がいい、と改めて思う。(しかし同じような発明と発見の時代にいて同じ対象の言及しながら完全に冷めているモンテーニュが一方にいることも忘れてはならない)

「それゆえ、デモクリトス一派は、万物の構成のなかに精神とか理性とかを想定せずに、持続してゆくことのできる万物の形態を、自然の無限の試み、あるいはためし、かれらのいわゆる運命(必然性)に帰したので、かれらの自然哲学は、(残存する記録と断片によって判断することのできるかぎり)個々の現象の自然学的原因の説明においては、アリストテレスとプラトンの自然哲学よりも真実で、よく研究されたもののようにわたしには思われる。」171頁

 ここで挙がっている固有名詞はデモクリトスだが、実はルネサンス期からデモクリトス一派としてのエピクロスやルクレティウスの評価も高い。このベーコンの文脈ではもちろん唯物主義的な自然科学の体系に親和的だということだが、社会科学的にも「社会契約論」の文脈で重要な役割を果たしている可能性を考慮したほうがいい。

「第二に、論理学者たちが口にする、そしてプラトンには熟知であったらしい帰納法は、それによって諸学の諸原理が発見され、したがってまたそれらの諸原理からの演繹によって中間の命題が発見されると主張されるかもしれないが、くりかえしていうが、かれらの帰納法の形式はまったく欠点だらけで、無力である。そしてこの帰納法において、自然を完璧にし、ほめそやすことが技術の義務であるのに、かれらはそれとは反対に、自然をきずつけ、はずかしめ、そしったのであるから、かれらの誤りは、なおさらひどいのである。」214頁

 ベーコンの言う「プラトンには熟知であったらしい帰納法」とは、プラトン自身は「仮設廃棄」の方法と呼んでいて、確かに近代科学の言う帰納法とはまったく別のものだ。個人的には「前提さかのぼり法」と呼びたい。そしてベーコンが「自然をきずつけ、はずかしめ、そしった」と評価しているように、プラトンの仮設廃棄の手続きは最終的に「善のイデア」にたどりつき現実の自然や人間の感覚を否定する根拠となる。ベーコンの言う本物の「帰納法」がどういう手続きかは別の本で明らかになるわけだが、ここではベーコンが帰納法について「自然を完璧にし、ほめそやすことが技術の義務である」と言っていることは記憶しておきたい。

「つぎに知識の教育的な伝達についていえば、これには、若者に特有な、伝達上の特異性があるので、それには、大きな効果をうむさまざまな考慮が必要である。
 たとえば、第一に、知識を授ける時期をあやまたず、時節到来を待つ考慮であって、若者に何から教えはじめ、何をしばらく教えずにおくかなどである。
 第二に、どこからもっともやさしいものを手がけて、次第にむずかしいものに進んでゆくか、また、どんな道をとって、かなりうずかしいものをおしつけ、それから比較的やさしいものに若者を向かわせるかの考慮が必要である。(中略)
 第三は、若者の知能の特性に応じた学問の応用についての考慮である。(中略)そしてそれゆえ、どのような種類の知力と性質がどのような学問にもっともよく向いているかを調べることは、すぐれた知恵を必要とする研究である。
 第四に、修練の順序を決めることは、害になったり役にたったりする、重大な問題である。(後略)」258-259頁
「しかし、セネカは雄弁に対して、「雄弁は、内容よりも雄弁そのものを愛好する人びとに害を及ぼす」とすばらしい反撃を加えている。教育は、人びとを教師にではなく、課業にほれこませるようなものでなければならない。」263頁

 ベーコンは、同じような企て(学問の全体像を示す)を完遂したヴィーヴェスとは異なり、教育の論理そのものに対しては大きな関心を示していない。ここにサンプリングした文章も、本書によく見られるように思い付きで挿入されているようにしか見えない形で紛れ込んでいる。とはいえ、ベーコンの教育観を示す記述ではあるので、読み込んでおきたい。好意的に見れば、近代的なカリキュラム論に親和的な論点を示しているようには思える。

「この(全体の善が部分の善に優越する)ことは、たしかな真理として確立されているのであるから、道徳哲学がかかりあっているたいていの論争に裁断と決定を下すものである。というのは、それはまず、観想の生活と活動の生活とのうち、どちらをよしとするかという問題を解決して、アリストテレスとは逆な判定を下すからである。」267頁

 イギリス経験論の面目躍如といったところか。

「人間か神の本性、あるいは天使の本性に近づき、あるいはそれに似ようとすることは人間の本質を完成することであり、そうした完成しようとする善にしくじり、あるいはそれをまちがえて模倣することは、人間の生活のあらしとなる。」275頁

 中世からよく見られる表現ではあるが、果たしてベーコンがどれほど本気で言っているか。ともかく、本気だろうが韜晦だろうが死刑にならないための保険だろうが、ベーコンでもまだスルーできない表現だったということは確認しておく。

「同じようにまた、人間の精神の耕作と治療においても、二つのことがわれわれの意のままにならない。それは天性に関することと運命に関することとである。というのは、生まれつきそなわった性格は、細工を施すようにと与えられた材料であり、境遇は、そのなかでつくりかえの仕事をやりとげるべき条件であって、われわれはそれによって制限され、拘束されるからである。それゆえ、これら二つのものについては、せっせと活用してゆくより手はないのである。」287頁
「それで、この知識の第一項は、人間の天性と傾向とのいろいろちがった性格と気質との確実で正しい分類と記述を書きとめるということである。」288頁

 人間に様々な異なった性格があるということを学問の対象にまで鍛え上げようということで、「個性」という観念を生じさせる必要条件ではあるが、「かけがえのない人格」という概念に至るための十分条件はまだ欠けている。

「信条は、神の本性と神の属性と神のみわざとの教理をふくんでいる。神の本性は、一体である三位から成っている。神の属性は、三位一体である神に共通であるか、三位のそれぞれに特有であるか、どちらかである。(中略)天地創造のみわざは、質量の塊を創造することにおいては父なる神に、形をととのえることにおいては子なる神に、存在を維持し保存することにおいては精霊なる神に関係している。」373頁

 適当な記述である。あまり関心はないのだろう。

ベーコン/服部英次郎・多田英次訳『学問の進歩』岩波文庫、1974年

【要約と感想】桑瀬章二郎『今を生きる思想ジャン=ジャック・ルソー―「いま、ここ」を問いなおす』

【要約】ルソーの生い立ちから死までの経歴と活動を辿りながら、一つ一つの著書の内容にそれほど深入りすることはしませんが、様々な知の領域に渡って展開する不可分な思考の枠組みを示しながら現代的な意義を明らかにします。
 ルソーは今も昔も十全に理解することが困難な思想家ですが、それは多面的多角的に読める著書から領域横断的で根源的な「問い」が迫ってくるだけでなく、著者ルソー自身が読み方の「解」を提示するという他に類を見ないような形で人生とテキストが絡み合う作りになっているからです。もしも現代的な意義があるとすれば、もちろんSNSや公衆に向けた自己顕示欲など様々な観点から響き合うトピックはたくさんありますが、すべての前提と先入観を取り去って、誰かに忖度することなく、ものごとの根源を自由に考え抜く姿勢そのものが重要でしょう。

【感想】分量も少なく、著書の内容そのものにそれほど深く立ち入らない一方、ルソーの矛盾に満ちた生涯と作品の全体像をコンパクトに概観できるので、どういう人物でどういう本を残したかをさくっと知りたい人にはまず良い本のような印象だ。高校生までの世界史や倫理の教科書では、ルソーというと近代の政治や社会に関する理論を打ち立てた人ということになっているわけだが、本書はもちろんその教科書的な記述にとどまらず、音楽家や野心的批評家やベストセラー作家や自伝作家としてのルソーをしっかりと描いている。政治社会的な関心からのアプローチだけでは、『新エロイーズ』に対する評価をこういう形でルソーの思想全体に関連付けて表現することはできない。研究者の面目躍如といったところだろう。ある特定の決まった興味関心からルソーを都合よく使ってやろうというのではなく、ある程度無心にルソーの本を読んでいる人には、おそらくところどころに分かり味が深い洞察がちりばめられていて、様々なインスピレーションが湧いてくるのではないか。私個人としては、ぜひ「教育学」の立場から『エミール』以外の著作を深堀りしたいものだ(76頁には法学・経済学・宗教学・社会学は挙げられているけど、教育学は抜けてるんだよね)。

桑瀬章二郎『今を生きる思想ジャン=ジャック・ルソー―「いま、ここ」を問いなおす』講談社現代新書、2023年

【要約と感想】吉田量彦『スピノザ―人間の自由の哲学』

【要約】17世紀オランダの哲学者スピノザの生涯を辿り、著書の要点を解説し、スピノザ研究史についても概略します。
 宗教的不寛容によって自由が失われつつあった時代に、実際にスピノザは自由を奪われましたが、しかし徹底的に自由の意義と可能性を考え抜きました。国家論的な観点からは、寛容性を失った国が必然的に滅び、自由を尊重する国が栄えることを唱えました。その自由とは単に考える自由だけでなく、それを表現し行動する自由でなければなりません。いっぽう倫理的な観点からは、いったん人間の自由など原理的にあり得ないかのような決定論を展開しながら、しかし最終的には現実の人間の在り様を考え抜くことによって「理性」の役割を解き明かし、人間にとっての自由の意味を根拠づけました。人間は目の前の出来事に必ず感情を揺さぶられてしまう受動的な存在ですが、しかし理性と直観を働かせて世界がまさにそうあるべき必然的な姿とその原因を判明に理解することにより、能動的に感情を馴致することができます。
 スピノザの思想は、しばらく宗教的不寛容や哲学的無理解のために不遇な扱いを受けていましたが、「自由」について根源的に考えようとするとき、必ず甦るのです。

【感想】やたらと読みやすく、初学者にも絶賛お勧めだ。平易な語り口で分かりやすいだけでなく、ところどころの悪ふざけがアクセントになっていて飽きが来ない。どうやら学術論文でも「悪ふざけ」していると叱られているとのことで、親近感が湧く。それに加えて語り口だけでなく構成も考え抜かれている印象だ。また主人公スピノザだけでなく、脇役たちの描写にも無駄がない。というか、脇役たちの描写によって時代背景が浮き彫りになり、スピノザ哲学が持つ意味がより鮮明となる。

 本書ではドイツ観念論の論者たちがスピノザ哲学の一部(エチカ第一部)にしか注目せず、政治社会的な議論については完全に無視していたとのことだが、個人的な印象では30年前の学部生の時に読んだ哲学史の概説書にもその傾向が根強かったように思う。単に私の読解力不足だった可能性もなくはないだろうが、実際にスピノザの本(翻訳だが)を読むまでは、スピノザといえば「一つの実体に二つの属性」と「汎神論」というくらいの教科書的理解から「デカルトの下位互換」程度に思い込んでおり、特にいま改めて読む必要なんてあるのかな、という印象だった。が、実際にいくつかの翻訳書に目を通してみると、これが意外にサクサク読めておもしろい。ひょっとしたら翻訳が良かったのかもしれないが、やはり内容そのものがおもしろくないと刺さらないはずで、俄然個人的なスピノザ熱が高まり、改めて基礎から勉強してみようとなった次第。本書を読んで、自分なりにスピノザ哲学の意義が明確になった気がするのだった。特に個人的な興味関心から言えば、ホッブズ社会契約論との相違に関する理解がものすごく深まって、とてもありがたい。

【個人的な研究のための備忘録】近代的自我
 個人的な研究テーマとして「人格」とか「近代的自我」というようなものの立ち上がりの瞬間を見極めようとしており、数年前から改めて西洋古代のテキストから読み始め、ようやく中世を抜けて17世紀に差し掛かりつつあるわけだが。やはり古代はともかく中世には「人格」とか「自我」というものの芽生えを感じさせる表現に出会うことはない。トマス・アクィナスやダンテやペトラルカはいい感じではあるものの、決定打にはならない。そして問題は、いわゆるイタリアルネサンスにも決定打が見当たらないところだ。確かにフィチーノやピコやビーヴェスやヴァッラはいい感じだが、決定打ではない。エラスムスやトマス・モアもまだまだだ。16世紀後半モンテーニュはそうとういい感じだが、明確な表現にまで成熟しているわけではない。そろそろ、近代的な「人格」や「自我」の概念に対してルネサンス人文主義は大した影響力を持っていなかったと結論してもいいような気がしている。そして、だとしたら、ポイントになるのはデカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツということになるのだ。
 そういう関心からすると、本書の以下の記述は見逃せない。

「わたしがそれに固執しようとするのは、むしろ現に存在している一人の人間としてのわたし、つまり今ここにこうして生きているわたしが、そうあることを望んでいるようなあり方です。そのあり方はわたしに固有のものであり、同じ一人の人間ではあっても、他のだれかがそう望んでいるあり方とは(もちろん共通点も少なくないでしょうが)どこかが必ず違っています。そういう、それぞれの具体的な人間がそれぞれ具体的に望んでいるあり方に固執しようとする営みこそ、人間のコナートゥスの本質だとスピノザは言いたいのでしょう。したがってそれは、形式面からみればあらゆる人に共通する営みではありますが、内容面から見れば決して同じではなく、あくまで個々の人がそれぞれ現にそうありたがっているあり方に固執しようとする営みであり、その意味では「そのものの現に働いている本質」とでも表現するしかない営みなのです。」294頁
「このように、「自らの存在に固執しようとする」人間の力=コナートゥスは、最初から具体的に内実の決まったものではなく、むしろ一人一人の人間がそれぞれの人生を送る中で「これが自分の存在だ」と考えたことに、つまりひとそれぞれの自己理解に大きく左右されます。人間はどうあがいても結局は自分がそう考えるように生きようとするし、それ以外の生き方をめざすことが精神の構造上不可能になっている生き物なのです。」295頁

 ここで決定的に重要なのは、294頁の「形式面からみればあらゆる人に共通する営みではありますが、内容面から見れば決して同じではなく」という表現だ。この「形式的な共通性」と「内容的な独自性」こそが近代的な「人格」を理解するうえで決定的に重要なポイントであり、古代・中世にはそのどちらか片方を洗練させた表現には出会えても、この両方を満足させる表現には出くわさない(たとえばイタリアルネサンスの「人間の尊厳」という概念は前者にしか響かないし、いっぽうモンテーニュは後者にしか響かない)。さらに295頁の「それぞれの自己理解」という表現にみられるように、再帰的な自己理解まで至れば完璧だ。いよいよ17世紀スピノザで出てきた、というところだが、本書の表現はあくまでもスピノザ本人ではなく研究者による解釈なので、しっかりオリジナルな表現で確認しなければならない。ともかく、個人的には盛り上がってまいりました、というところだ。

【個人的な研究のための備忘録】属性
 スピノザ哲学を把握するうえで「属性」という概念の正確な理解は欠かせないわけで、もちろん本書でも「属性」概念について解説が施されるが、そこで眼鏡が登場したとあっては見逃すわけにいかない。

「一般的には、何かに本質的に属する性質、それがその何かに属していないとその何かをその何かと同定できなくなってしまうような性質、それが属性です。あえて変な例で説明しますが、きわめて個性的な、そこを捨象したらその人らしさが根こそぎ消えてしまうほど特異な性的嗜好を表現するのに「〇〇属性」という言葉を使ったりしませんか。メガネをかけた異性(同性でもいいですが)にしか欲情しない人を「メガネ属性」と呼んだりする、あれです。あれはじつは、属性という概念の基本に意外と忠実な用法なのです。」262頁

 筆者は私より年齢が一つ上でほぼ同世代であり、おそらく我々は文化的な経験を共有している。「属性」という言葉でもって「特異な性的嗜好を表現」することが広がったのは、我々が学生の頃だったはずだ。ひょっとしたら二回り上の世代や、あるいは二回り下の世代には通用しない恐れがある。いま現役のオタクたちは「属性」という概念でもって諸現象を理解していない印象があるし、そもそも使い方を間違っている例(もちろん彼らにとってみれば間違いではない)を散見する。

吉田量彦『スピノザ―人間の自由の哲学』講談社現代新書、2022年

【要約と感想】三好信浩『日本の産業教育―歴史からの展望』

【要約】明治期から昭和戦前期にかけての産業教育(工学・農学・商学)の全体像を、学校数や生徒数などの統計、時代背景、学校沿革史、校長などキーパーソンの教育思想などの分析を通じて多角的に示した上で、現代の産業教育(あるいは日本の教育全体)が抱える課題の核心と解決への見通しを示します。

【感想】さすがに長年の研究の蓄積があり、教育史的に細かいところまで丁寧に神経が行き届いているのはもちろん、本質的な概念規定についても射程距離が長く、とても勉強になった。概念規定に関しては、いわゆる「普通教育」と「専門教育(職業教育)」の関係に対する産業教育の観点からの異議申し立てにはなかなかの迫力を感じる。本書でも触れられているとおり、総合高校などの改革にも関わって極めて現代的な課題に触れているところだ。この問題をどう考えるにせよ、本書は必ず参照しなければならない仕事になっているだろう。

【個人的な研究に関する備忘録】人格
 個人的には「人格」概念の形成について調査を続けているわけだが、人格教育に偏る講壇教育学に対する産業教育思想からの逆照射はかなり参考になった。大雑把には、明治30年代以降は産業教育界でも「品性の陶冶」とか「人格形成」などが唱えられるようになった姿が描かれていたが、おそらくそれはヘルバルト主義の影響(本書ではヘルバルトの「へ」の字も出てこないが)で間違いないと思う。しかし昭和に入ると、「人格形成」という概念に対して疑義が呈せられるようになっていく。そして敗戦後はいったん「人格」が再浮上するわけだが、1970年代以降にまた説得力を失っていく。さて、この「人格」の浮沈をどう理解するか。

針塚長太郎(上田蚕業学校初代校長)『大日本蚕糸会報』第154号、1905年3月
「教育の期するところの主たる目的は、其業務に関する諸般の事項に就き綜合的知識を授け、業務経営の事に堪能ならしめ、兼て人格品性を育成し、以て社会に重きを致し、健全なる常識に富むみたる者を養成するにあり」

尾形作吉(県立広島工業学校初代校長)『産業と教育』第2巻10号、1935年10月
「産業と教育といふ題目は余りに大きな問題で、我々世間知らずに只教育といふ大きな様な小さな城郭に立籠つて人格陶冶や徳性涵養一点張りの駄法螺を吹いて居つた者の頭では到底消化し切れないことである。」

【個人的な研究に関する備忘録】instruction
 また、教育(education)と教授(instruction)に関して、ダイアーの言質を得られたのも収穫だった。

「私がまず第一に申したいことは、日本では教育の中心的目的がまだ明確に自覚されなかったことであります。それが単なる教授(instruction)と混同されることがしばしば見られます」(Veledictory Address to the Students of the Imperial College of Engineerting)ダイアー1882年の離別の演説。

 VeledictoryとあるのはValedictoryの誤植だろうか。ともかく、ここでダイアーが言う「教育」とは「education」のことだろう。本書では特にeducationとtrainingの違いに焦点を当てて話が進んだが、より理論的にはeducationとinstructionの違いが問題になるはずだ。ダイアーもそれを自覚していることが、この離別の演説から伺うことができる。乱暴に言えば、educationのほうは品性や倫理などを含めた全人的な発達を支える営みを意味するのに対して、instructionは人格と切り離された知識や技能の伝達を意味する。ダイアーの言う「教育=education」の意味は、もっと深掘りしたらおもしろそうだ。

【個人的な研究に関する備忘録】女子の産業教育
 そして女子の産業教育についても一章を設けて触れられていたが、全体的なトーンとしては盛り下がっている。

「これまでの日本の近代女子教育史の研究物は、高等女学校の教育を中心にしてきたうらみがある。しかし、産業教育の指導者たち、例えば工業教育の手島精一、農業教育の横井時敬、商業教育の渋沢栄一らは、高等女学校に不満を抱き、よりいっそう産業社会に密着した教育を求めてきた。」p.287
「日本の職業学校がこのように産業から遠ざかった理由は多々あるであろうが、その一つとして共立女子職業学校の先例がモデルにされたことも考えられる。同校は、一八八六(明治一九)年という早い時期に宮川保全を中心とする有志によって各種学校として設置された。岩本善治の『女学雑誌』のごときはその企図を美挙として逐一紹介記事を載せた。」pp.271-272
「日本の女子職業学校の先進校である共立女子職業学校が裁縫と並んで技芸を重視したこと、中等学校の裁縫科または裁縫手芸家の教員養成をしたことは、戦前期の女子の「職業」の範囲を区画したものと言えよう。」p.272

 どうだろう、問題の本質は学校の有り様どうこうというよりは、「裁縫」の技能が家庭内に収まるだけで産業として成立しなかったところにあるような気がするのだが。実際、学校の有り様如何にかかわりなく、ユニクロが栄えだしたら裁縫学校は衰えるのである。

三好信浩『日本の産業教育―歴史からの展望』名古屋大学出版会、2016年