【要約と感想】岩波講座教育_変革への展望1『教育の再定義』

【要約】近代を支えてきた原理が、グローバル化とポスト産業主義化の流れによって、急速に崩れています。それに伴って、従来の教育学の分析枠組の有効性は失われています。現実には、臨時教育審議会以降の新自由主義的政策によって教育格差が拡大し、公教育の基盤が掘り崩され続けています。この危機を克服するために、教育や教育学にできることはたくさんあります。本巻の役割は講座全体の大まかな見取り図を示すことであって、具体的な論理展開は第二巻以降に委ねられます。

【感想】久々の岩波講座「教育」で、講座全体の基調を示す第一巻なわけだけど、全ての論者がグローバル化と新自由主義政策に対する危機感を共有しつつ、従来の教育学の枠組みを脱構築する必要性を訴える。公教育が極めて危険な状況にあるというシビアな現状認識と、だからこそ根底から変革するチャンスでもあるというポジティブな未来志向も共通しているように見える。その道筋が大文字の「私」にも「公」にも回収されない新しい「公共性」を立ち上げることにあり、その実現のためには様々な回路を通じて政策に実際的な影響を与えなければいけないという見通しも共有されている。現状分析に関する具体的な記述の細部に違和感がないわけではないが、大雑把な見通しに対しては基本的に反対できないというか、大学で教員養成に携わる立場としては「やむなし」という感じで、現実的にはその方針を承認してテーブルに着くしかないように思える。

ちなみに違和感の源は主に2点ある。一つは、「教育の再定義」というタイトルを掲げるなら、教育基本法第一条「人格の完成」の有効性が失われたかどうかについての教育哲学的な考察が必要だと個人的には思うわけだが、誰もその作業に手をつけていないこと。もう一つは、ポスト産業社会化に当たって「知識」を生産する人材養成が必要になることが全ての論者の前提になっているが、個人的には「ものづくり」を舐めているとどこかでしっぺ返しを喰らうんじゃないかと思ってしまうことだ。
この二つの個人的感想は、結局は「人/物」を峻別したカント哲学的な枠組みの中にあって、自分で言うのも何だけれども19世紀的と言えば19世紀的ではある。19世紀に確立された近代原則のド真ん中には「人格」という概念が鎮座していたはずだ。その近代原則の賞味期限が切れたというのなら、少なくとも「人格」という概念や教育基本法第一条「人格の完成」のどこがどう無効になったのか、教育原理的に明らかにする手続きは必要だろう(このあたりは今井康雄氏のテリトリーではあるが編集委員じゃないんだね)。この作業を欠いて、「人格」という言葉を教育の中核に残し続ける限り、いくら近代が賞味期限切れを起こしたと言い続けても、いつまでも教育は近代であり続ける。それでいいなら、いいんだけれども。

そんなわけだが、とりあえず小異を捨てて大同につくべき時代ではあるので、教員を目指す学生には積極的に(あるいは無理矢理にでも)読ませて、現状認識を共有させていこうかと思う。

岩波講座教育_変革への展望1『教育の再定義』岩波書店、2016年