阪大の出題ミスについて教育学者として思うあれこれ

2018年1/6、大阪大学が「平成 29 年度大阪大学一般入試(前期日程)等の理科(物理)における出題及び採点の誤りについて」を公表した。 この問題に対する反応が、物理学者と教育学者とでかなり異なったことが気になったので、思ったことをつらつら記す。

大学関係者として

まず、不利益を被った学生たちは、本当にかわいそうだ。大学側として誠実な対応をするのは当然だと思う。再発防止のための取組みも真剣にしていかなければならない。
そしてこれは阪大だけの問題ではない。「他山の石」という言葉もあるが、全ての大学関係者が気持ちを引き締めなければならないと思う。

尾木直樹の発言に対する違和感

それはそうとして、気になったのは物理学者と教育学者で、問題に対する反応がかなり違ったことだ。まあ、教育学者と言ってもサンプルは尾木直樹だけではあるが。彼は「被害学生には何の落ち度もない」と言っていて、それ自体はその通りだと思う。私もそう思う。ただ、阪大の対応が「初歩的」で「杜撰」で「謙虚さが欠落」と言っているのには、違和感を持つ。なぜなら、本当にそう言い切れるためには、出題をなぜミスしたかの具体的な検討が必要なはずだが、彼はその作業をまったく行っていないからだ。内容そのものを完全にスルーして、「形式的」な問題指摘に終始している。この態度でも、確かに一般的で形式的な教訓を引き出すことはできる。しかし逆に、この問題だけに固有の事象を捉えることは放棄する態度と言える。
一方、物理学者たちはさっそく当該問題そのものの具体的な検討に入った。この問題を単に一般的・形式的な出題ミス問題にとどめず、どのような固有の事情があるかを突き止めようとしたのだ。固有の内容を突き止めようとする物理学者たちの態度と、形式的で一般的な批判で終わる教育学者の態度の違いは、どこから生じるのか。ここが私が持った違和感である。

実際に問題を解いてみよう

まず、教育学者に欠けているのは、当該の物理問題を実際に解いてみようとする態度である。というわけで、私は実際に問題に取り組んでみた。(問題そのものを知らない人は、阪大の公式見解pdfをご確認ください)
問題を見た瞬間、正直、「めちゃめちゃ簡単な問題だなあ」と思った。こんな簡単な問題で解答が3つもあるとは、にわかには信じがたい。数式を使わなくとも、10秒もあれば答えは出る。と思った。

ということで、出した答えは「d=1/2nλ-1/4λ」。両辺を2倍すれば、阪大の当初の模範解答となる。
が、しかし。まさかこんな簡単な問題で紛れがあるはずがない。どこに落とし穴があるかと改めて考え直してみると、私が「音」というものの性質を見落としていることに気づいた。単純に「音=波」と考えてはダメで、波は波でも音は「粗密波」であることを考慮しなければならない。音が「粗密波」であり、音源から360度放射されているを考えると、音叉から出る音はy軸上の正と負で同位相になっているだろう。ということで、改めて考え直すと。

どう見ても答えは「2d=nλ」となる。つまり最初の回答はまちがっていたことになる。
と思った瞬間に、さらに「あれ?」となる。というのは、壁で波が反射する時、粗密波は位相が反転するんだっけ?というのに確信を持てなくなったからだ。位相が反転するなら「2d=nλ」でいいのだが、反転しないなら位相をズラす必要があって、答えは「2d=nλ-1/2λ」とならなければならない。「-1/2λ」をつけるかつけないかを決めるのは、単に波の性質を一般的に知っているだけでは不十分で、「波としての音の本質」というものを理解していなければならないのだ。
ここまで来て、当初抱いた「なんて簡単な問題だ」という感想は見事に裏切られる。実は「音の本質」を聞いてくる、なかなか要点を突いた問題のように見えてきたからだ。実際に問題を解いてみれば、教育学者の方もひょっとしたら違った感想になったかもしれない(変わらないかもしれない)。

では、どこが問題だったのか?

じゃあ、実際のところ、この問題の何が間違っていたのか。それはもはや25年前に受験物理を囓っただけのシロウトには荷が重い。物理学者たちの解説を傾聴するしかない。たいへん参考になったのは、藤平氏の解説である。解説はこちら
正直言ってもはや細かい説明にはついて行けてないのだが、いちおう「点音源」という表現に問題の核心がありそうだということだけは掴んだ気がする。そして「音叉」というものが、理想音源として扱うには地獄のようなものだということも。
つまり、私の理解が正確なら、事は単純な「物理の問題」ではなく、「世界設定」の問題だ。むしろ、単純な「物理の問題」であったら、常識的に考えれば、解決までこんなに時間がかかるわけがない。「世界設定」の問題だったからこそ、解決まで様々な紆余曲折を経なければならなかった可能性はあると思う。いやまあ、教育学者の言うように、単に「杜撰」で「謙虚さが欠落」していた可能性もゼロではないけれども。

物理の日本語問題

ここまで考えて思い出したのが、AIとして東大受験を目指し、偏差値57.1まで行ったという「東ロボくん」のことだ。(参照「「東ロボくん」が偏差値57で東大受験を諦めた理由」)
意外なことに、東ロボくんは数学や物理がけっこう苦手だという。AIなんだから計算は得意だろうと思っていたら、どうやら事はそう単純ではないようだ。AIにとって、日本語問題文の読み取りと理解が、特に物理ではかなり難しいらしい。物理では、問題を解く前に「世界設定」を理解する必要がある。あるいは暗黙の世界設定に乗っかって問題を解く必要がある。どうやら現在のAIでは、この世界設定というものにまだついてこられないようなのだ。ディープラーニングによって地理や歴史の穴埋め問題には簡単に対応できるAIも、世界設定を理解した上で問題に取り組むレベルには届いていないらしい。
となると、「物理」という世界は、人々の一般的なイメージとはかなり異なり、実はあまりにも人間くさい領域ということすら言える。だって、「世界設定」ができるのは人間だけなのだから。私が尾木直樹の発言に抱いた違和感の源は、ここにあるのかもしれない。彼は、なんとなく「物理なんだから答えは一つで間違えるわけないでしょ。指摘されても間違いを認められなかったのは担当者が傲慢だったせいだ」と考えているように見えるのだが、私から見ればそう断言できる根拠はない。これは、AIではまだ理解できない「人間くさい」領域だからこそ起きた問題だったのではないかと思えてくるのだ。
だからといって、もちろん阪大のミスが免罪されるわけではない。再発防止のために、阪大だけでなく、すべての関係者が気を引き締めていかなければならないところだ。

ところで、この問題を受けて。大学入試改革に伴って導入される「思考力・判断力」を問うような「人間くささ」を前面に打ち出した新テストにおいて、どのように評価の 客観性を確保するかは、極めて困難な課題であることが分かる。新テスト導入にはたいへんな混乱が起こることが容易に予想できるわけだが、さて、文部科学省はどう対応するのだろう。人ごとではないので、さらに動向に注意して、しっかり対応していきたい。