流通経済大学「教育学Ⅰ」(1)

■龍ケ崎キャンパス 4/10(月)
■新松戸キャンパス 4/14(金)

単位について

・試験は行わず、レポートで成績を決定する。
・レポート提出期限は学期最後の授業時間内とする。(龍ケ崎7/17、新松戸7/21予定)
・レポートの形式および内容については、6月中に指示する。
・出席数が足りていない者については、レポート提出を認めない。
・レポートに関して、コピペが発見された場合は、カンニングと同じ扱いとする。

出席について

・出席確認は「出席調査システムC-learning」で行う。
・スマホを忘れた、電池が切れた、電波が届かない等の理由でC-learningが使用できなかった場合は、必ずその日のうちに申し出ること。いかなる理由があろうと後日の申し出は認めない。
・事由ある欠席の場合は、必ず公式な文書を作成して提出すること。
・公式文書の作成が認められない場合(就職活動等)による欠席も、やむを得ない理由がある場合は必ず書面で報告すること。
・遅刻は出席と認めない。
・出席に関して不正が確認された場合は、どれだけ出席していようと単位は認められない。

予習復習について

・大学設置基準によれば、1回90分の授業につき3時間の予習復習が要求されている。
・本講義も、予習と復習を前提として構成される。本講義の内容が理解できないとしたら、予習と復習が足りていない可能性が高い。
・予習と復習の具体的な指示、参考文献等の提示については、このサイトで行う。

質問について

・非常勤講師なので、授業日以外には出校しない。
・質問がある場合は、時間がある限り授業後に対応する。
・込み入った質問の場合は、回答をこのサイトに掲載することで対応する。

半年間の予定

・具体的にはシラバスを参照のこと。
・本講義は「教育」という現象と観念を対象とする教育の「学」であって、頭がよくなる画期的な教育の方法を扱うような「術」ではない。
・「学」とは、人々が当り前と思っていることを疑ってみるところから始まる。
・たとえば「教育学」の場合、「教育は本当に意味があるのか?」と問うところから始めてみよう。そして、「教育に意味があるとして、どのような意味があるのか?」とか「誰にとって意味があるのか?」と疑いの目を広げていこう。根本的なところから問い直すことによって、「教育」の意味が改めて明るみに出てくる。
・また「学校」というものの存在についても疑ってみよう。「どうして子供たちは全員学校に行かなくてはならないのか?」とか「学校の教育は、家庭や社会の教育とどこが違っているか?」とか「学校は誰のためにあるのか?」など、疑ってみよう。
・そして「子供/大人」の関係についても疑ってみよう。今は「子供/大人」は法的に完全に別の存在として扱われている。だが、「子供/大人」を分割する境界線について改めて考えてみると、不思議なところがいくつも出てくることになる。

次回までの準備

・自分が「子供」なのか「大人」なのか、考えておくこと。
・どうしてそう考えたのか、判断の根拠や理由についてもまとめておくことが望ましい。

円覚寺の降誕会

4月8日は降誕会ということで、円覚寺の「花まつり」に参列してきました。

円覚寺はJR北鎌倉駅から徒歩30秒。鎌倉五山の第二位、臨済宗大本山の一つです。あいにくの雨でしたが、桜がとても綺麗でした。

「降誕会」とは、お釈迦様が誕生したことをお祝いする儀式です。方丈に据えられた「花御堂」の真ん中には、生まれたばかりのお釈迦様が天と地を指さしている像が祀られています。

禅様式の独特な儀式を見た後、お焼香を上げて、お釈迦様の子供像に柄杓で甘茶をかけてお祝いをしてきました。

儀式としての降誕会に茶々を入れたいわけではないと言い訳を前置きして。「子供観の歴史」に取り組んでいる教育史学徒としては、生まれた直後に歩いて天上天下唯我独尊と宣言する「早熟な子供の表象」が気になるところです。円覚寺の誕生仏は子供らしい体型をしていましたが、誕生仏の子供像はいつ頃から子供らしい造形になったのかな?





鵜殿の野望(3)上ノ郷城

三河鵜殿氏の本拠地「上ノ郷城」は愛知県蒲郡市にあります。蒲郡駅から北に2kmくらい。室町時代には熊野から蒲郡に移ってきているようです。

周辺にはなんとなく熊野大社ゆかりの神社等もあるっぽいので、熊野三山の荘園管理人として移ってきたんでしょう(証拠はない)。
さて、温室ハウスが広がる畑を抜けていくと、城の案内看板があります。

上ノ郷城跡を愛する会」が設置した縄張図の案内板もあります。北東南の三方を川に囲まれた舌状台地の端にあって、自然の要害であったことが分かります。

下から見上げた上ノ郷城の本丸。当時はもっと高い土塁や土塀があったんでしょうけど、今は一面に雑草が生い茂って、諸行無常の響きあり。

登城口。城はミカン畑になっていて、水撒き用のホースに併走して登っていきます。石垣は当時のものではなくて、ミカン畑を造成するために造られたものでしょう。

いよいよ本丸に入る虎口の脇に、赤い木の案内がありました。青い空と緑の雑草に、素朴な赤い案内柱が映えます。

本丸には詳しい案内板があります。鵜殿氏は蒲郡の王者だったんですね。注目すべきは、1562年、すなわち桶狭間の2年後に鵜殿氏と徳川家康が戦っていることです。桶狭間の後も、鵜殿氏は今川家に忠誠を誓っていたんですね(今川義元の妹を嫁にもらっていましたから…)。徳川家康の三河統一の過程において、鵜殿氏が三河一向一揆と並んで最大の敵であったろうことが分かります。

本丸から南を臨むと、遠くに三河湾が見えます。三方を山に囲まれ、南側だけ海に開けているこの地形は、鎌倉の地形を思い起こさせます。守るに易く、攻めるに難い、本拠地としては最高の立地条件ではないでしょうか。家康がこの城を落とすのに手こずったのも、よく分かります。「忍者が活躍したこと」については、いろいろ面白いエピソードもあるので、また別の機会に。

雑草が生い茂る本丸に立ち、遠く三河湾を眺めていると、つわものどもが夢の跡。ここから見る月は、とても美しそうです。

蒲郡市博物館:上ノ郷城跡を愛する会
蒲郡市博物館:上ノ郷城跡ってなに?(こども向け)



鵜殿の野望(2)鵜殿氏一門の墓

鵜殿氏一門の墓は、鵜殿城の隣の山にあります。(2016年8月訪問)

「鵜殿氏一門の墓」の案内板

一門の墓の脇にある案内板には、鵜殿氏に関してなかなか詳しく解説されています。熊野大社に深く関わっていた海賊だということが分かりますね。
一門の墓自体は、貴弥谷社という神社にあります。ちなみに貴弥谷社は、社略記によると、熊野神が2500年前に神倉山からこちらにお移りになった神社だそうです。その貴弥谷社は、極めて行きにくいところにあります。

貴弥谷社にたどり着くためには、中学校の校庭を経由しなければいけません。本当に大丈夫かと多少の不安を抱えながら学校の校庭を抜け、階段を登ると、いきなり熊野古道のような山道に入ります。人の気配は一切なく、鳥の鳴き声だけが響き渡ります。かなり登ったところに鳥居が見えてきます。

貴弥谷社の鳥居

静かな山の中で、とても落ち着きます。真夏の猛暑日に行ったのですが、ここは不思議と涼しかったです。熊野三山はどこも観光客で溢れていますが、ここは隠れた癒やしスポットだと思います。

鵜殿氏一門の墓

これが鵜殿氏一門の墓。地元の方が綺麗に管理してくれています。熊野の鵜殿氏自体は大坂夏の陣で滅びてしまったのに、たいへんありがたいことです。しっかりお参りしてきました。



カニンガム『概説子ども観の社会史』

【要約】「子ども」という概念および実態が主にヨーロッパと北米でどのように変化したか、先行研究の到達点と疑問点を簡潔にわかりやすくレビューした上で、人口動態史など社会史が積み重ねた実績を睨みつつ、福祉政策など国家レベルの政策にも目配りしてまとめた、論理的枠組が明快な概説本。

【感想】結論をおおざっぱにまとめると、(1)「子ども期」が最も根本的な変革を被ったのは20世紀前半であり、(2)そして現在は「子ども期」が消滅しつつある、という見解となる。

(1)20世紀前半の意義を強調することによって、まずアリエスの言うような近代初頭における変化の意義が相対的に小さくなる。50年前にアリエスが眼前に見ていたのは、まさに大人と子供の距離が極大に遠ざかった時期であった。一方で著者のカニンガムが生きているのは、大人と子供の距離が近づきつつある時代だと言う。研究者の「現在」の視点が歴史研究の態度を決めるというカニンガムの記述は、アリエスの研究をもすでに「史料」と見なして処理しているわけで、ちょっとおもしろい。

(2)また20世紀後半から子どもと大人の距離が縮まりつつあるという見解は、「近代」と「ポストモダン=成熟した近代」の相克と読めば、特に目新しい見解ではない気はする。たとえば「近代」という時代を、理念的には身分制を破壊して自由と平等を称揚しつつ、実質的には白人男性ブルジョワの権利のみを認めた時代だとすれば。そして「成熟した近代」を、白人男性にしか認められていなかった権利が実質的にマイノリティ=女性・労働者・有色人種・植民地・障害者にも与えられた時代だとすれば。人権の普遍原理はもちろん子供にも適用されることになる。カニンガムも指摘するとおり、その具体的な表現は1989年の「子どもの権利条約」に鮮やかに見ることができる。

「大人/子供」という二項対立の境界線の移動を見て近代とポストモダンの違いを強調することにも積極的な意味はあるだろうけれども。一方で、「子供」概念の展開を「人権の適用範囲の拡張」という一元的な過程として把握すれば、実は近代とポストモダンは連続した一つの発展過程として描けるだろうという気もする。というわけで、私は「近代の超克」的な記述に懐疑的な一方、「近代=未完のプロジェクト」という思考法に親和的なのを改めて実感したのだった。

ヒュー・カニンガム著、北本正章訳『概説 子ども観の社会史: ヨーロッパとアメリカからみた教育・福祉・国家』新曜社、2013年

 

鵜殿篤の「人格の完成」はどっちだ?