教育概論Ⅰ(保育)-13

短大保育科 7/19、7/21

前回のおさらい

・隠れたカリキュラムと文化的再生産。学校は実際にはどういう機能を果たしているのでしょうか。

新教育

・20世紀初頭から世界的に広まった教育運動のことです。様々な人が活躍しますが、ほぼ共通して、主知主義的な教育を批判し、子供の自発性や能動性、創造性を重視します。日本では大正期(1912年~1926年)に流行し、大正新教育運動と呼ばれます。

人間の範囲の拡大

・「白人+男性+キリスト教徒+中産階級」のみを人間とした市民社会から、様々な人々の努力により、徐々に人間(人格を持ち、自由と権利を行使できる者)の範囲が拡大していきます。たとえば、労働者、女性、異教徒(無神論者)、子供、障害者。→動物?
・具体的な権利の拡大過程として、男子普通選挙権(労働者への公民権拡大)。女性参政権、フェミニズム(女権拡大論)。植民地の独立。公民権運動。
児童の権利に関する宣言(1959年)。児童の権利条約(1989年)。児童を、保護の対象から、権利の主体へと捉え直します。
障害者権利条約(2006年)→障害者基本法改正、障害者差別解消法(2013年)へと繋がっていきます。

児童中心主義

児童中心主義:子供を「客体」として扱うのではなく、子供が「主体」となります。「教育する=教師や学校が主語」のではなく「学習する=子供が主語」へと転換します。

ジョン・デューイ John Dewey

・アメリカ出身。1859年~1952年。
・著書:『学校と社会』『民主主義と教育』
・キーワード:コペルニクス的転回。実験学校。問題解決学習。
・名言:「なすことによって学ぶ。」

エレン・ケイ Ellen Karolina Sofia Key

・スウェーデン出身。女性。1849年~1926年。
・著書:『児童の世紀』
・名言:「教育の最大の秘訣は、教育しないことにある。」←ルソーの消極教育の影響が指摘されています。

モンテッソーリ Maria Montessori

・イタリア出身。女性。1870年~1952年。
・著書:『幼児の秘密』『子どもの発見』
・キーワード:子供の家。感覚教育法。教具。自発性。整えられた環境。

特別支援教育

・平成19年の学校教育法改正により、すべての学校(幼稚園含む)で特別支援教育を推進することが明確となりました。
・「特別支援教育の推進について(通知)」2007年。
・「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」2012年。

特別支援教育の理念

共生社会:障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ、様々な人々が活き活きと活躍できる社会です。誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様なあり方を相互に認め合える全員参加型の社会です。
インクルーシブ教育:障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするためにも、障害のある子供が障害のない子供と共に教育を受けられる仕組みです。
教育的ニーズ:子供が必要としている支援です。
合理的配慮:障害のある子供が、他の子供と平等に教育を受ける権利を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、障害のある子供にたいし、その状況に応じて、学校教育を受ける場合に個別に必要とされるものです。体制面・財政面において、均衡を失した過度の負担は課しません。
ユニヴァーサル・デザイン:あらかじめ、障害の有無、年齢、性別、人種等にかかわらず多様な人々が利用しやすいよう都市や生活環境をデザインする考え方です。

発達障害

発達障害:これまでの特殊教育の対象とはなっていなかった、知的な遅れのない障害のことです。
→LD(学習障害):知的発達に遅れはありませんが、聞く・話す・読む・書く・計算するなどの能力のうち、特定の分野に極端に苦手な側面が見られます。
→ADHD(注意欠陥多動性障害):注意力や衝動性、多動性などが年齢や発達に不釣り合いで、社会的な活動や学業に支障をきたすことがあります。
→高機能自閉症・アスペルガー症候群:他者の気持ちを察することや周りの状況に合わせたりする行動が苦手だったり、特定のものにこだわる傾向が見られます。

学校の仕事

校内委員会:校長のリーダーシップの下、全校的な支援体制を確立し、実態把握や支援方策の検討等を行うために設けなければならない組織です。
特別支援教育コーディネーター:各学校における特別支援教育の推進のために、情報収集、校内委員会・校内研修の企画・運営、関係諸機関・学校との連絡・調整、保護者からの相談窓口となります。
個別の教育支援計画:特別支援学校では、ひとりひとりの教育的ニーズに応じた支援を効果的に実施するため、乳幼児期から学校卒業後までの一貫した長期的な計画を作成しなければなりません。作成にあたり、医療・福祉・労働などの関係機関と連携し、保護者の参画や意見を聞きます。
個別の指導計画:特別支援学校では、障害のある子供ひとりひとりの教育的ニーズに対応して工夫され、学校における指導内容・方法を盛り込んだ指導計画を作成しなければなりません。

復習

・新教育にかかわる人物を、著作やキーワードとともに押さえておこう。
・「特別支援教育」の理念と、学校や先生が携わる具体的な仕事について理解しよう。

流通経済大学「教育学Ⅰ」補講2

■新松戸キャンパス 7/18(水)

近代教育思想

ルソー Jean-Jacques Rousseau

・市民革命、ロマン主義。
・1712年~1778年。ジュネーヴ出身。
・主著『社会契約論』(政治思想)、『人間不平等起源論』(政治思想)、『新エロイーズ』(恋愛小説)、『エミール』(教育思想)
・キャッチフレーズ:子どもの発見消極教育
・名言:万物を創る者の手を離れるときはすべてよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる
・子供期の独自性を初めて主張した。消極教育とは、書物による早期教育をいましめ、まず自然による教育(たとえば感覚の訓練など)を重視する姿勢を指す。また、思春期や青年期の持つ独特の意義について意識を向けたのも大きな特徴である。
▼参考:ルソー『エミール』

ペスタロッチー Johann Heinrich Pestalozzi

・1746年~1827年。スイス出身。
・主著『隠者の夕暮』『シュタンツだより』『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』『白鳥の歌』
・キャッチフレーズ:実物教授。直感教授。労作教育。3つのH(Hand、Heart、Head)=知徳体。
名言:「王座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間だ」=身分に関係なく、普遍的な人間を教育するということです。「生活が陶冶する」
・孤児や貧民の子供の教育を通じて、身分や階級に関わらない人間一般の教育原理を打ち立てた。ルソーが理論だけだったのに対して、ペスタロッチーは実践を通じて教育原理を明らかにした。
・アメリカを経由したペスタロッチー主義(開発主義教育)は、明治初期に日本でも流行した。
▼参考:ペスタロッチー『隠者の夕暮れ・シュタンツ便り』

ヘルバルト Johann Friedrich Herbart

・1776年~1841年。ドイツ出身。
・主著『一般教育学』『ペスタロッチー直感教授のABC』
・キャッチフレーズ:教育学の父。目的としての倫理学、方法としての心理学。段階教授法。
・名言:「教授のない教育などというものの存在を認めないし、逆に、教育のないいかなる教授も認めない
・ペスタロッチーの実物教授を引き継ぎながら、教育学を体系化された学問へと鍛えた。家庭教師による教育ではなく、学校における教師の教授法を理論化した。

ヘルバルト主義教育学

・ヘルバルトを引き継いで、科学的な教育学を発展させた。
・チラー、ライン。
五段階教授法。予備→提示→比較→総合→応用。
・中心統合法。宗教(道徳)を中心としたカリキュラム(スコープ)構成の原理。
・開化史的段階。カリキュラム配列(シークエンス)の原理。

教育概論Ⅰ(栄養)-14

▼短大栄養科 7/17(火)

前回のおさらい

・子どもを主人公と考える「新教育」の展開。
・特別支援教育の理念と学校の仕事。

「近代教育」のさまざまな形

自分の言葉で説明できるかどうか、チェックしよう。

(1)昔の教育(1~3)

前近代では、人々は所属する身分や共同体で生きるのに必要な知識・技能を身につけるため、基本的に親と同じような人間になれば問題ありませんでした。

□前近代の子供が置かれていた状況を、「労働」や「遊び」という観点から、現代と比較して説明することができる。
□「形成」という専門用語によって表される人間形成のあり方が、現在の人間形成とどのように異なっているか説明することができる。
□「イニシエーション」という言葉の意味と、人間形成における意義を説明することができる。
□「生理的早産」という言葉を使って、人間が他の動物とどう違っているか説明できる。

(2)リテラシーと個人主義の教育(4~6)

前近代では、生きるためにリテラシーは特に必要ありませんでした。しかし近代以降、印刷術による情報伝達革命に対応するうち、リテラシーが生きる上で必要不可欠な知識・技能となりました。リテラシーを身につけるために、人々は労働から解放され、隔離された施設(学校)で、もっぱらトレーニングに励む期間を必要とするようになりました。このトレーニング期間のことを「モラトリアム」と呼びます。
さらにコンピュータの登場に典型的なように、情報伝達手段が大きく変化した時、新しい知識・技能に対応できなければ、生き残ることができなくなってしまいます。人々はリテラシーを習得するため、学校に行くようになりました。

□「リテラシー」という言葉の意味や、リテラシーの習得が必要不可欠になっていった過程を説明できる。
□リテラシーを習得する教育が、前近代の人間形成とどのように違っているか、「形成」や「イニシエーション」や「モラトリアム」という専門用語を使って説明できる。
□個人主義が発達した過程を説明できる。

(3)人格形成の教育(自由権としての教育:6~9)

個人主義が台頭してくると、自分勝手でワガママな人ばかりでも王様なしで社会が成立する新しい社会理論(=社会契約論)が登場してきます。それに伴って、民主主義にふさわしい新たな人間像が生まれてきます。前近代では、身分や共同体に応じた人間形成を行っており、身分や共同体の違いを超えた普遍的な人間形成は必要とされませんでした。しかし市民社会においては、すべての人間を生まれながらに自由で平等なものと考えます。すべての人間に共通する教育が、新たに必要とされることになります。これが「人格の完成」を目指す教育の土台となります。
教育とは、かけがえのない個性を自覚し、アイデンティティを確立し、責任を伴った自由を獲得し、理性を育み、自分自身の人生を自分で決定することができる(=自己実現)ような人間を作る仕事です。自分の人生を決めるに当たっては、どんな権力者からも命令されるいわれはありません(=自由権)。

□社会契約論の考え方を説明できる。
□民主主義を成立させるために憲法が果たしている役割を説明できる。
□「自由権」について説明できる。
□「人格の完成」について説明できる。
□「個性」「アイデンティティ」「自由」「理性」「自己実現」という言葉の意味を説明できる。
□近代教育思想について説明できる。

(4)義務教育(社会権としての教育:9~10)

産業革命の進展によって、資本家と労働者の階層分化が激しくなり、資本家は自由権としての教育を享受することができる一方で、貧しい労働者の子供たちは児童労働を余儀なくされていました(=自由のワナ)。すべての子供たちが教育を受ける権利を保障されるためには、有利な側の人間たちの自由を制限し、自分では自由に到達できない人々に実質的な自由を与えるような、新しい権利が必要となります(=社会権)。社会権を保障するのは、国家に期待される役割です。
子供たちの学習権を守るのは、大人の役割です。特に教師に期待されるのは、親が安心して教育権を信託できるような、教職の専門性です。

□自由権だけでは世の中がうまくいかない理由を説明できる。
□学習権の思想について説明できる。
□「社会権」について説明できる。
□「義務教育」について説明できる。
□「教職の専門性」について説明できる。
□教育において国家の果たす役割を説明できる。

(5)産業が必要とする教育(11~13)

急速な階層分化により、都市には貧しい労働者たちが大量に流れ込み、衛生や治安に関する問題が発生しました。この新たな都市問題を解決しようとする時、安く早く大量に優秀な労働者を作るような学校システムが開発されます。
一方で、産業をさらに発展させるためには、有能な人材をより難しく重要な仕事に、取り柄のない人材を誰でもできる単純な仕事に割り振るなど、適材適所の人材配分を行う必要があります。人々の個性を見極め、適切に配分する機能が教育に期待されます(メリトクラシー、学歴主義)。難しい仕事を受け持つことが期待される優秀な人物には最先端の知識を着実に身につけてもらう必要があります(正式のカリキュラム)が、特に難しい仕事をする訳ではない人々には難しい知識を身につけてもらう必要はありません。しかし自分の生活と切り離された(分業された)単純労働を文句も言わずに黙々と続けてもらうための能力は、知らず知らずのうちにいつの間にか身につけてもらう必要があります(=隠れたカリキュラム)。
人間をただの歯車として扱おうとする閉塞的な状況を打破するために、人間の範囲を拡大していこうという動きが一方で進んでいます。

□産業革命の進展(=分業体制)によって、効率的に人材を配分する役割が教育に期待されるようになったメカニズムを説明できる。
□人々がどうして人生に必要ないと思われる知識を一生懸命勉強しなければならないか、理由を説明できる。
□人生に必要な教育とはどういうものか考えようとした理論(新教育)について説明できる。
□特別支援教育について説明できる。

予習・復習

・来週はテストです。しっかり準備しましょう。

教職基礎論(栄養)-11

短大栄養科 7/14

前回のおさらい

・道徳。教科化されました。
・体育。(1)食育の推進(2)体力の向上(3)安全に関する指導(4)心身の健康の保持増進の4つの領域があります。

生徒指導

・「学習指導」と「生徒指導」は、学校教育の二本柱です。(自治体によっては生活指導とも言ったりします)
・学習指導は教師と生徒の間を「教育内容」が媒介しますが、生徒指導は教師と生徒の人格が直接的にふれあうのが特徴です。

『生徒指導提要』

・生徒指導の方針は、文部科学省が平成22年に提示した『生徒指導提要』にかなり細かく書いてあります。

1ー1-1 生徒指導の意義
・「 生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のこと」
・「生徒指導は、すべての児童生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目指すとともに、学校生活がすべての児童生徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを目指す」
・「生徒指導は学校の教育目標を達成する上で重要な機能を果たすものであり、学習指導と並んで学校教育において重要な意義を持つ」

1-1-2-(1)生徒指導の基盤となる児童生徒理解
・「生徒指導を進めていく上で、その基盤となるのは児童生徒一人一人についての児童生徒理解の深化を図ること」
・「教員と児童生徒との信頼関係を築くことも生徒指導を進める基盤」

1-1-2-(2)望ましい人間関係作りと集団指導・個別指導
・「自他の個性を尊重し、互いの身になって考え、相手のよさを見付けようと努める集団、互いに協力し合い、よりよい 人間関係を主体的に形成していこうとする人間関係づくりとこれを基盤とした豊かな集団 生活が営まれる学級や学校の教育的環境を形成することは、生徒指導の充実の基盤であり、 かつ生徒指導の重要な目標の一つ」

1-1-2-(3)学校全体で進める生徒指導
・「生徒指導を進めるに当たっては、全教職員の共通理解を図り、学校として の協力体制・指導体制を築くことは欠くことのできない大切なこと」
・「学校が中心となって生徒指導を進めていくことは当然のことですが、家庭や地域の力を活用できれば、より豊かな生徒指導を進めていくことができる」

学級経営

・経営=マネジメント。様々な資源・資産・リスクを管理し、目的実現のために効果を最大化する手法のことです。
・学校の先生には、「教科担任」だけではなく、「学級担任」としての役割が期待されています。
・自分が学級担任としたら、どんなクラスにしたいですか?
・目標、ルール、役割分担、人間関係、支持的風土。
・物的環境:掲示物、学級通信。

問題行動

懲戒と体罰

【学校教育法第11条】
「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」

・何がどこまで「懲戒」で、どこから「体罰」なのでしょうか?
・「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)
・「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例

いじめ

・「いじめ防止対策推進法

【(定義)第二条】
この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

・いじめの防止:第15条。
・いじめの早期発見:第16条。
・いじめに対する措置:第23条。

・「埼玉県いじめの防止等のための基本的な方針
・「家庭用いじめ発見チェックシート

復習

・「生徒指導」について、意義を押さえよう。
・「体罰」の定義、「いじめ」の定義を理解しよう。

予習

・「チーム学校」という言葉について、調べておこう。

アリストテレス『政治学』

【要約】国家の形には様々ありますが、いずれにせよ、国家の目的としていちばん重要なのは教育であり、そして国家を維持していく手段としていちばん重要なのも教育です。

【感想】タイトルは「政治学」となっているけれども、教育思想の本として読むわけだ。
というのも。ニコマコス倫理学で一人の人間の幸福について考察したアリストテレスは、その興味関心と結果を引き継いで、人間の集団である国家へと議論を展開していく。さすがアリストテレスだけあって、多様な国家の形態を緻密な議論の運びで縦横無尽に検討していく。しかしアリストテレスの議論は、最終的に教育へと着地するのだ。教育は「目的」と「手段」の二つの意味で、国家にとっていちばん重要なものとされている。

まず、アリストテレスは国家の存在意義について検討し、社会契約論的な見方を明快に切り捨てる。アリストテレスによれば、お互いの利益を図るために作られた国家など、形式的に成立しているだけの、まがいものの国家に過ぎない。ほんものの国家は、ただの互助団体や軍事同盟などとは全く違うものである。国家は国民を幸福にするために存在するものでなければならない。そして幸福とは、ニコマコス倫理学で既に明らかになっているように、徳に満ちた生活を送ることだ。つまり国家とは、ただ人々が「生きる」ために存在するのではなく、人々が「善く生きる」ために存在しなければならないのだ。そして、「善く生きる」ことを知るためには、教育を受けなければならない。ただ単に「生きる」だけなら、食料や住居など生活必需品が行き渡るように工夫するだけでよい。しかし「善く生きる」ためにはそれだけでは不十分で、人々が「徳」について自覚を深めなければならない。だからほんものの国家は、国民の「徳」を呼び覚まし、ほんものの幸福な人生を与える。国家の本質は、教育機能にあるのだ。
そんなわけで、本書の解説も「それなら国は簡単には何団体と呼んだらよいか。敢えて言えば、優れた意味において、「教育団体」である。従って国はその国民のいろいろな徳の涵養を第一の、主要な任務としなければならない。」(460頁)と言っている。
ただし、ちなみにこの場合の教育とは、我々がすぐさまイメージするような学校教育を指してはいない。アリストテレスがイメージしているのは「社会教育」である。実際、アリストテレスが生きた時代には、中等教育は存在していなかった。教育=人間形成は、実際の社会の中で行われる。だから社会教育の具体的な手段が真剣に議論され、その際に「法律」が大きな問題となるわけだ。さらにちなみに言えば、ルソーが『エミール』の中で「ほんものの市民教育は失われ、二度と復活しない」というようなことを言っているが、おそらくギリシア時代に行われていた「法律を土台とした社会教育」のことを指していると思われる。

このような教育国家は、おそらくアリストテレスだけのものではなく、東洋にも広く見られる考え方であるように思う。特に儒教的な考えでは、善い君主は同時に善い教育者であらねばならない。というか、「天」から与えられた「道」を人々に指し示すことが君主の役割なのだから、そもそも善き教育者であることは君主であることの必須条件だといえる。そしてそれは「教」という漢字の成り立ちからも伺うことができるだろう。人々を支配するとは、「道」と「教」を手に入れることに外ならない。教育権を放棄した権力などというものは、想像することすらできない。支配するとは、教育するということなのだ。
もちろんこの場合の教育も、我々がただちにイメージするような学校教育のことではない。「宗教」も含め、人間の価値観全体を一つの方向に染め上げるような権力のことだ。「教育」の「教」という漢字が「宗教」の「教」でもあることを想起しなければならないところだ。「教育」は、近代的な感覚では、ただ単に価値中立的な知識を与えることを意味しがちだ。しかしアリストテレスにせよ儒教にせよ、「教」とは価値中立的な知識を機械的に与えるものなどではなく、人の価値観全体を強制的に作り上げる力だ。

だから当然、あらゆる国家を滅亡から救うのは、「教育」以外にはない。国家のあり方に相応しいような形で教育が行われているとき、国家は存続していく。逆に、国家のあり方に逆らうような形で教育が行われるとき、国家は容易に滅亡する。これは「教=人に価値観を植えつける」の定義からして必然的な帰結であると言える。というわけで、教育は国家存在の「目的」であると同時に、国家を保持存続させるために最も重要な「手段」でもある。というわけで、本書の全8巻のうち、最後の第8巻はまるまる教育に関する議論に費やされることとなる。
この教育の議論が、なかなか興味深い。たとえば、どのような順番で教育を行うかという議論では、まず「体育」を施してから「音楽」へ展開するという道筋を示す。この「体育→音楽」という順序にアリストテレスはかなりこだわっているわけだが、事情を知らない人には、どうしてアリストテレスがこんなにも長々と記述するのか理解できないだろう。実はこの論述でアリストテレスが試みているのは、プラトンの教育思想への反駁なのだ。プラトンは『国家』で教育思想を全面的に展開し、そこで「音楽・文芸→体育」という教育順序を示している。アリストテレスは、このプラトンの見解に真っ向から勝負を挑んでいるわけだ。かつての師匠であるプラトンの教育説と勝負するわけだから、自然と熱が籠もる。現在の我々から見ると「体育→音楽」だろうが「音楽→体育」だろうがどうでもいいように思えてしまうわけだが(あるいは「体育と音楽は同時並行でやれよ」などと思うわけだが)、プラトンやアリストテレスにとってみれば、この問題は自分の人間観全体(具体的には肉体と魂の関係をどう捉えるか)の価値を示す試金石となるものなのだ。教育論での勝敗は、思想全体の優劣を決する。アリストテレスが本書の末尾を教育に関する議論に費やしているのは、教育思想こそが哲学大系全体の要石であることを痛感しているからだ。
個人的におもしろく読んだのは、カリキュラム論だ。どのような内容を教えるべきかというカリキュラム論では、素朴な形ではあるものの、教科分類を試みている。アリストテレスは(1)読み書き(2)体操(3)音楽(4)図画というように、全教科を4つの領域に分類する。その上で、特に「音楽」の教育効果に関する具体的な議論が長々と展開される。「音楽」は何のために教えられなければならないのか? この議論は、まさに現代の「カリキュラム・マネジメント」の精神にも通じるような内容となっている。プラトンの音楽教育論と比較しながら読むと、とてもおもしろい。

研究のための個人的備忘録

本書を通じて目立つのは、一貫して「子供」を価値のないものとして理解する態度だ。そしてそれは、「奴隷」や「女性」を価値のないものとして理解する態度と通底している。アリストテレスにとって、「人間」とは「自由のある成人男性」だけなのだ。これはアリストテレスを含め、ギリシア時代の教育を考える上で頭の片隅に置いておかなければならない事実と言える。

【子供観】
「従って支配するものと支配されるものとには本性上多数の種類があることになる、すなわち自由人の奴隷に対する支配と男性の女性に対する支配と大人の子供に対する支配はそれぞれ別である、そして魂のいろいろの部分は凡ての人々のうちにあるけれども、しかしそのあり方に相違がある。つまり、奴隷は熟慮的部分を全く持たないが、しかし女性は持っている、けれどもそれは権威を持たない、また子供も持っているが、不完全である。」1260a
「しかし子供は不完全なものであるから、子供の徳も自分と自分との関係に属するものではなく、完全なる者や指導する者との関係に属するものであるということは明らかである。」1260a
「すなわち子供や老人たちは或る仕方で国民だと言わなければならないが、しかし全然条件ぬきにではなく、むしろ附け足しをして、子供の方は「未成年の」国民と言い、老人の方は「男盛りを過ぎた」国民、或は、別のこういう類の「なになにの」国民(というのはわれわれの言おうとしていることは明らかなので、どんな言葉を使っても構わないから)と言わなければならないのである。」1275a
「何故なら国民の子供でさえも大人と同じように国民であるのではなく、一方の大人たちは無条件に国民であるが、他方はただ[国民になり得るという]前提のもとに国民なのであるから。というのは、子供たちは国民ではあるが、しかし「不完全な」国民であるのだから。」1278a

このように子供を価値のないものとみなす態度は、「欲望」にたいする考え方を土台としている。子供は自分の「欲望」に打ち勝つことが出来ないために不完全な存在とみなされるのだ。

【欲望と子供】
「というのは勇気や節度や思慮の何らの部分も持たず、傍を飛ぶ蠅は恐れるが、食ったり飲んだりする欲望が起れば、極端なことさえ何一つせずにおくことはなく、一文のために最愛のものすら亡ぼす者を、しかしまた同様にその心のことでも、子供や気狂いのような風に考えがなかったり、間違っていたりする者を、誰も至福な者とは言わないだろうから。」1323a

そんなわけで、教育の存在意義は、人間の「欲望」を制御するところにある。

【教育と欲望】
「しかしなお、たとい、ひとが凡ての人に中庸を得た財産を規定したにしても、何の役にも立たない。というのは財産よりも欲望を平均化することの方がむしろ必要だからであるが、このことは法律によって充分に教育されたものにとってでなければ不可能なのである。」「しかし、その教育はどのようなものであるだろうか、それを言わなければならない。一つで同じものだと言うだけでは何の役にも立たない。というのは同じ一つのものではあるが、しかしそれは金銭なり名誉なり或はその両方なりを余分に取ることを望む者にするような教育であり得るのである。」1266b
「さらに、また、人間どもの賤しい欲望は飽くことを知らないものである。例えば、初めのうちはただ二おろぼすで充分であるが、しかしすでにそれが伝統的なものになると、常にそれ以上のものを必要とし、遂に無限に進んでいくのである。というのは欲望の本性は無限であって、これを充たすために大衆は生きているのだからである。従って、かようなことがらの源は、財産を平均化することよりも、むしろ策を施してその本性の優れた人々は、これを余分のものを取ることを欲しないような者にし、賤しい人々は、これをそれの出来ないような者にすることである、そしてこのことはこの賤しい人々の数が少く、また不正に取扱われなければ、可能なのである。」1267b

人々の欲望をコントロールし、国を存続させるためには、教育を最重要の仕事として認識しなければならない。

【国家の仕事としての教育の至高性】
「このことによってまた、ただ言葉の上でなく、いやしくも真の意味で国と呼ばれるものなら、徳について意を用いるところがなくてはならぬということも明らかである。というのはもしそうでなかったら、この共同体は一つの軍事同盟体であることになるからであるが、それは他の互に離れている軍事同盟体にくらべて、[その同盟者は離れず接しているので]その他のものとはただ場所によってのみ異なっている。また、もしそうでなかったら、法律は契約であることになり、ソフィストのリュコプロンが言ったように、ただ双方に対して正しいことを保証してやる証人であることにはなるが、しかし国民を善き者や正しき者にすることは出来ないことになる。」1280b
「国とは氏族や村落の完全で自足的な生活における共同である、そしてかかる生活は、われわれの主張するように、幸福にそして立派に生きることである。従って国的共同体は、共に生きることの為ではなく、立派な行為のためにあるとしなければならない。」1281a
「しかし国制が存続するために、私の語った凡てのことのうちで最も重要なことは、今日凡ての人々に軽んじられているけれど、それぞれの国制に応じて教育がほどこされることである、というのはもし国制の精神によって習慣づけられ教育されていなければ、例えばもし法律が民主制的なものなら、民主制的に、もし寡頭制的なものなら、寡頭制的にそうされていなければ、その法律が最も有益なものであり、凡ての国民によって是認されたものであっても、何ら益するところはないからである。」1310a 以下も教育について語られる。
「ところで立法家が特に努力を致さなければならないのは、若者の教育についてであるということを、とやかく問題にする者はひとりもいないだろう。というのは実際国においてそのことが為されないならば、国制は害われるからである。何故なら国民はそれぞれの国制に応じて教育されねばならないからである。何故ならそれぞれの国制に固有の性格がその国制を維持するのを常とし、またもともとその国制を作り出すものだからである。」1337a
「また政治家はいろいろの生活と行為の選択に関しても同様でなければならない、というのは国民は事業と戦争とを行うことが出来なければならないが、しかし一そう多く平和と閑暇とに生きることが出来なければならないからである。また生活に必要なことや有用なことを為さなければならないが、一そう多く立派なことを為さなければならないからである、従ってこれらのものを目標にして、国民がまだ子供である時にも、また教育を必要とするその他の年齢にある時にも、教育をほどこさなければならない。」1333a-b

アリストテレス/山本光雄訳『政治学』岩波文庫、1961年

鵜殿篤の「人格の完成」はどっちだ?