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教育学Ⅱ(龍ケ崎)-7

■龍ケ崎キャンパス 11/20(月)

前回のおさらい

・人間以外の動物は本当にスポーツをしないのか。スポーツをしないとしたら、どうしてか?
・人間以外の動物がスポーツをしないとしたら、どうして人間だけがスポーツをするのか?

▼人間だけがスポーツをするという意見
(ア)人間には主体性があるが、動物は調教や命令によって動くだけ。
(イ)人間は手足を器用に操れるが、動物はできない。
(ウ)人間にはスポーツをする余裕があるが、動物は生きるために精一杯で余裕がない。
(エ)人間は勝利や名誉を求めるが、動物は求めない。
(オ)人間は達成感や自己満足を求めるが、動物にはない。
(カ)人間は娯楽を求めるが、動物は求めない。
(キ)人間は言葉を使ってコミュニケーションして団体行動ができるが、動物にはできない。
(ク)人間にはルールを作ってそれを守る能力があるが、動物にはない。
(ケ)人間は文化を持っているが、動物には持っていない。

▼動物もスポーツをするという意見
(ア)ウォーキングをスポーツと呼ぶなら、動物もやっている。

意見の吟味

・単に自分が思っていることを言うだけでなく、他の人が言った意見を受け止め、理解し、自分のものとすることに意味がある。物事を多面的・総合的に理解することができる。
・とはいえ、それぞれの意見はまだしっかり吟味されていない。
→人間だけがスポーツをするという意見に関して、納得できる意見が上位に来るように順位をつけてみよう。
→一位と最下位の意見について、どうしてその順位にしたか、理由を説明してみよう。

・また、知識を単に他人事として理解するのでは勉強する意味はあまりない。学んだ知識を自分の生き方に反映させ、知識を社会と繋げて活かしていくところに「勉強」の意味がある。
→自分自身がスポーツをする理由を考えてみよう。
→自分に主体性はあるか、手足を器用に操れるか、余裕があるか、勝利や名誉を求めるか、達成感はあるか、娯楽なのか、団体行動ができているか、ルールを守っているか、文化を持っているか、考えてみよう。
→自分が十分に身につけているものと足りないものを考えてみよう。

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-6

■龍ケ崎キャンパス 11/13(月)

前回のおさらい

・文部科学省が目指す大学教育の目的は、「答えがない課題に最善解を出す」ことだった。それはどういうことか?←まだ吟味がすんでいない。
・文部科学省が考える「人間とは何か?」について。「生き方についての探求は、人間とは何かという問いから始まると言ってもよい。人間についての深い理解なしに、生き方についての深い自覚が生まれるはずはないのである。」
・人工知能(AI)が発達した世の中では、多くの仕事が消えてなくなる。生き残るためには、人工知能には不可能な、人間にしかできない仕事とは何か?を真剣に考える必要がある。「人間とは何か?」を真剣に考えなかった人から滅びていく。
・「人間とは何か?」について、ある回答例→「人間とはスポーツをする動物である」

意見の吟味

「人間とはスポーツをする動物である」という回答が適切かどうか、吟味してみよう。
→人間以外の動物は本当にスポーツをしないのか。スポーツをしないとしたら、どうしてか?
→人間以外の動物がスポーツをしないとしたら、どうして人間だけがスポーツをするのか?
→スポーツをしない人間もいるが、どうしてスポーツをしないのか?
→スポーツをする人間としない人間では、何がどう違うのか?
→そもそも「スポーツ」とは何か?

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-5

■龍ケ崎キャンパス 11/6(月)

前回のおさらい

・どうして授業中にスマホをいじるのか?
・どうしてまともに授業を聞く気がないのか?←どうやら聞くか聞かないかは自分で決めるらしい。
・どういう基準で聞くか聞かないかを決めるのか?←「明確な知識」なら聞く。
・「明確な知識」とは何か? 数学の定理や物理の法則のことか?←違う。「人間とは何か?」のように答えが複数あるものは明確な知識ではないらしい。
・なぜ答えが複数あるものは「明確な知識」ではないのか?←人によって答えが異なるので、どうとでもなる。
・それは本当のことか。根拠は何か?←「こんなことして意味あるんですか?」

意見の吟味

・「明確な知識」とは何か? それはどういうものか? 仮にそれがあるとして、どうやって手に入れるのか?
・「答えが複数あるものは考えても意味がない」という意見は本当か? その考えが正しいという根拠はあるのか? 誰にとって「意味」があり、あるいはないのか? そもそも「意味」の意味とは?

文部科学省が目指す大学教育

・「答えがない課題」に最善解を出す。

文部科学省が目指す道徳教育。

思春期にかかる中学生の発達の段階においては、ふだんの生活においては分かっていると信じて疑わない様々な道徳的価値について、学校や家庭、地域社会における様々な体験、道徳科における教材との出会いやそれに基づく他者との対話などを手掛かりとして自己との関わりを問い直すことによって、そこから本当の理解が始まるのである。また、時には複数の道徳的価値が対立する場面にも直面する。その際、生徒は、時と場合、場所などに応じて、複数の道徳的価値の中から、どの価値を優先するのかの判断を迫られることになる。その際の心の葛藤や揺れ、また選択した結果などから、道徳的諸価値への理解が始まることもある。このようなことを通して、道徳的諸価値が人間としてのよさを表すものであることに気付き、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念に根ざした自己理解や他者理解、人間理解、自然理解へとつながっていくようにすることが求められる。(『学習指導要領解説 特別の教科道徳編』14~15頁)

文部科学省が考える「人間とは何か?」

人間にとって最大の関心は、人生の意味をどこに求め、いかによりよく生きるかということにあり、道徳はこのことに直接関わるものである。
そもそも人生は、誰かに任せることができるものではない。誰かの人生ではなく一人一人が自分自身の人生として引き受けなければならない。他者や社会、周囲の世界の中でその影響を受けつつ、自分を深く見つめ、在るべき自分の姿を描きながら生きていかなければならない。その意味で、人間は、自らの生きる意味や自己の存在価値に関わることについては、全人格をかけて取り組むのである。
また、人間としての生き方についての自覚は、人間とは何かということについての探求とともに深められるものである。生き方についての探求は、人間とは何かという問いから始まると言ってもよい。人間についての深い理解なしに、生き方についての深い自覚が生まれるはずはないのである。言い換えれば、人間についての深い理解と、これを鏡として行為の主体としての自己を深く見つめることとの接点に、生き方についての深い自覚が生まれていく。そのことが、主体的な判断に基づく適切な行為の選択や、よりよく生きていこうとする道徳的実践へつながっていくこととなる。(『学習指導要領解説 特別の教科道徳編』16~17頁)

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-4

■龍ケ崎キャンパス 10/16(月)

前回のおさらい

・人間とは何か?←「見た目で人間と分かる」
・「見た目」とは具体的にはどこのことか?←「服を着ている」:確かに他の動物たちは服を着ておらず、人間だけが服を着ているように見える。

・しかし町の中には服を着て歩いている犬も現実に存在している。「服を着ている犬」と「服を着ている人間」との違いは何か?←ここで「この授業はためにならない」という認識が示され、この問題は探求終了。

・では「ためになる授業」とはどういう授業か?←回答がなく、探求終了。

ためになる授業とは何か?

・そもそも「授業」とは何か?
・一般的に「授業」とは、「何かためになることを知っている人=教師」が、「ためになることを知らない人=生徒」に、「ためになること」を「受け渡すこと」と考えられているかもしれないが、これは本当のことか?

*教師は本当にためになることを知っているのか?
*生徒は本当にためになることを知っていないのか? 自分の「ためになること」を知らないとき、それを学ぶことなどできるのか?
*仮に「ためになること」があったとして、それを「受け渡すこと」は可能なのか?

ソクラテスという人が考えたこと

*ソクラテス:紀元前399年に処刑されたギリシャの人物。
・無知の知:自分は何も知らないという自覚。
・産婆術:自分は何も知らないにもかかわらず、対話相手から知が生まれるメカニズム。
・汝自身を知れ:本当に知るべき重要なことは、自分自身についてであるということ。

教育学Ⅱ(龍ケ崎)-3

■龍ケ崎キャンパス 10/9(祝)

前回のおさらい

・人間とは何か?←「人間とは、直立二足歩行をするものである」:確かに人間は直立二足歩行することによって、手を自由に使えるようになり、他の動物にはできない様々な活動を行えるようになった。

・しかしアヒルやハトやペンギンも二足歩行するのではないか?←鳥類は卵を産むが、人間は卵を生まない。「人間とは、直立二足歩行をする卵を生まないものである」:確かに人間は卵を産まない卵を産まない「哺乳類」である。心臓の作りなど、他の動物と異なっている。

・しかしガンダムや鉄腕アトムも直立二足歩行をする卵を生まないものではないのか?←人間には血が通っている。「人間とは、直立二足歩行をする卵を生まない血が通っているものである」:確かに人間は体の中を血が通うことによって生命活動を行っている。

・では、血が通わなくなったもの=死んでしまった人間は人間ではなくなるのか?←人間ではなくなる。

・人間でないなら何なのか?←仏や神になる。

・しかし「仏」と「神」はまったく違うものである。「仏」とはインドで発祥し、中国を経由して日本に入ってきた仏教による考えである。一方「神」とは、日本独自の神道の考え方による。お墓の作り方も、仏教と神道ではまったく異なる。←魂になる。

・「魂」とは何か? どこにあるのか?←わかりません。

ここで探求終了。

「人間」とは何か?

・考えてみよう。