「経済史」タグアーカイブ

【要約と感想】И.Н.オシノフスキー『トマス・モアとヒューマニズム』

【要約】ソ連時代の歴史学者の研究書で、トマス・モアをコミュニストとして高く評価します。モアは16世紀イギリスの政治・経済の状況を的確に理解した上で、封建君主制だけでなく初期ブルジョワジーをも批判し、形成されつつあった労働者階級に共感しながら私有財産制の問題を追及していることが決定的に重要です。モアを反宗教改革的なカトリック知識人として理解しようとするブルジョア学者は致命的に誤っています。しかし16世紀前半の段階では機械制工業が成熟しておらず、時代的な制約もあって、空想的社会主義の段階に留まっています。

【感想】ルネサンス期の人文主義(ヒューマニズム)について勉強しはじめた時、日本ではトマス・モアに関する研究が分厚い一方、エラスムスはほとんど顧みられないという話を読んで意外に思ったのだが、その理由が本書でよく分かった。モアの仕事が共産主義の重要な論点に関わっていたからだ。特に、単に私有財産制の放棄を空想的に主張しただけでなく、いわゆる「囲い込み」の実態について具体的に言及しながら16世紀イギリスの政治経済史を描写し、原始蓄積の経過について理解する上で決定的に重要な史料の一つを提供しているところが極めて重要だ。エラスムスの方は聖書研究などキリスト教的文脈から見れば大きな仕事をしたものの、日本人の関心から視界に入りにくいのは仕方がない。
 そんなわけでルネサンス期の人文主義者の中でも共産主義陣営から極めて高く評価されるモアなのだが、一方、私有財産放棄の主張だけであれば、実はヨーロッパはプラトン以来の長い伝統を持っている。だからモアの画期性を論理的に主張するためには、まずプラトンとの違いを浮かび上がらせる必要がある。もちろんモア自身はヒューマニスト(人文主義者)の名に恥じずプラトンをしっかり勉強して影響も受けているのだが、決定的な違いは、プラトンが奴隷制を前提とした社会を構想しているのに対し、モアが「平等」な社会制度を構想しているところだ。もちろんプラトンの思想が単に劣っているということではなく、歴史的な発展段階を踏まえれば、プラトンの生きた紀元前の社会では不可能だった生産が、モアの時代には可能になっていたということではある。
 そして問題の焦点は、その生産様式の発展が、「囲い込み」に代表されるような原始蓄積の収奪を伴って展開していたことだ。この初期資本主義の発展段階の様子を的確に描写できたのがルネサンスの当時にあってモアただ一人であり、それがエラスムスやマキアヴェッリやルターなど同時代の知識人とは決定的に異なる特徴ということになる。19世紀以降の科学的社会主義(あるいは日本の人文社会科学)がモアに注目するのも、もちろんこの論点に関わっている。
 思い返してみれば、ルネサンスが開始された14世紀イタリア(特にフィレンツェ)は、地中海貿易を基礎とした商業資本で栄えた地域だった。人文主義の王者エラスムスを輩出したフランドルも、ハンザ同盟以降バルト海貿易を中心に商業資本で栄えた地域だった。フィレンツェやフランドルは原材料(羊毛)を輸入して、製品に加工し、輸出することで財を蓄えていた。だからフィレンツェの人文主義者(ペトラルカ・ダンテ・ボッカッチョ)やフランドルの人文主義者(エラスムス)は、製品加工や商業資本を土台とした初期資本主義の上澄み部分を実地経験している一方、しかし原材料(羊毛)を供給する地域の原始蓄積過程については間接的にしか理解できない。こういう商業資本を土台として栄えたルネサンスの中心地から見ると、モアが活動したイングランドは辺境の後進地域に見える。しかしそういう辺境だからこそ、「原材料の供給地」としての特徴がはっきりと浮かび上がっていたということかもしれない。モアが目の当たりにしていたのは、テューダー朝の絶対主義王権が確立する過程に伴って進行する原始蓄積の凄惨な収奪現場であり、その現実こそがフィレンツェやフランドルの知識人の視野に入らなかったリアルな歴史だったのだろう。というようなことが経済史家等によって追及された結果、日本ではエラスムスが一向に顧みられなかったのに対し、モアが盛んに研究対象となったわけだ。個人的には、ものすごく納得する。
(そして、だとすると、資本主義の離陸に向かう原始蓄積の過程にとってプロテスタンティズムは何も関係ないので、ヴェーバー『プロ倫』は戯言ということになりそうだが、どうなのか。)
(あるいは、こういう恥知らずな囲い込み的私有財産制を積極的に擁護したのがジョン・ロックということになるとすれば、プロ倫の言うことにも一理あるか。)

【今後の研究のための備忘録】ジョン・コレット
 トマス・モアの人文主義の仲間として登場するジョン・コレット(1467-1519)が教育史的にはどうやら極めて重要な位置を占めるらしいことを理解したので、メモしておく。論文も発見したので、勉強を進める所存。本書では20-22ページに言及がある。

【今後の研究のための備忘録】エピクロス主義
 エピクロス主義は、単なる快楽主義という観点からのみならず、唯物論的な科学志向や社会契約論的な論理からも注目する必要を感じている。本書もトマス・モアがエピクロスから影響を受けていたことに言及している。

「たとえば、ユートピア的理想社会の倫理に注目すれば、モアはエピクロスの教義やストア哲学を知っていたことが明らかになる。エピクロスやストア哲学の要素がユートピアにおける倫理概念に含まれていることは疑いない。とくに、人間の存在目的としての快楽、満足に関する教義、真理および虚偽の満足に対する認識においてそうである。」218頁

 とはいえ、モアの段階では唯物論や社会契約論的な傾向は見えない気がする。ホッブズを待たないといけないか。

И.Н.オシノフスキー『トマス・モアとヒューマニズム―16世紀イギリスの社会経済と思想』稲垣敏夫訳・亀山潔監訳、新評論、1990年