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【要約と感想】オウィディウス『変身物語』

【要約】ギリシア神話の天地創造や神々の戦いからトロイア戦争に至る様々なエピソードとローマ市建設からカエサルに至るローマ神話を、変身というモチーフで貫いた作品です。

【感想】まず圧倒的な構成力と人物描写の妙が印象に残る。アポロドーロス『ギリシア神話』のように単に参考書的に事実を羅列したのではなく、考え抜かれた構成と彩り溢れるキャラクター描写とで、ぐいぐいと読ませる。ペルセウスとかオルペウスとかエコーとナルキッソスとか魔女メデイアとかダイダロスとイカロスとか、アポロドーロスではほとんど内容が分からなかったエピソードが、本作ではしっかり肉付けがされていて、キャラクターの心情に寄り添いながら読むことができる。ギリシア神話に手っ取り早く触れたいという向きには打って付けの作品だと思う。というか世間一般に流布しているギリシア神話は、アポロドーロスではなく、本作が参照されているのだろう。

採用されるエピソードは、実らない恋愛と不倫による破滅が目立つ。妹と兄、娘と父の実らない恋とか、嫉妬や勘違いや神々の一方的な私怨やストーカー行為によって人生を破滅に追いやられる人々が印象に残る。北斗の拳ばりの派手なチャンバラも2個所ほどあったけれども、全体的には恋愛中心の甘ったるい構成になっている。

全体の構成は見事としかいいようがない。それぞれのエピソードが入れ子構造になったり相互に結びついたりして、全体で一枚の織物のようにできあがっている。圧倒的な構想力がないと、複雑かつ大量なギリシア神話エピソードを有機的に集成することは不可能だろう。最終章でピュタゴラスの輪廻転生説を持ち出して恒常性と変化との関係を説き、「変身」を論理的に総括するところなど、まあ、見事だ。感服つかまつる。

【恒常性と変化に関するピュタゴラスの教説】
「この世界に、恒常的なものはないのだ。万物は流転し、万象は、移り変わるようにできている。『時』さえも、たえず動きながら過ぎてゆく。それは、河の流れと同じだ。河も、あわただしい時間も、とどまることはできぬ。波は、波に追いたてられる。同じ波が、押しやられながら進みつつ、先行する波を押しやるように、時間も、追われながら、同時に追ってゆく。こうして、それは、つねに新しい。以前にあったものは捨て去られ、いまだなかったものがあらわれるからだ。そして、この運動の全体が、あらためてくり返される。」下p.308

「われわれ自身のからだも、つねに休みなく変化している。昨日のわれわれ、今日のわれわれは、明日のわれわれではないのだ。かつては、われわれは、いわば単なる胚種でしかなく、やがて人間になるのだという希望の萌芽として、母親の胎内に宿っていた。」下p.310

「要するに、天空と、その下にあるものはみな、姿を変えてゆく。大地も、そこにあるすべてのものもだ。この世界の一部であるわれわれも、その例にもれない。それというのは、われわれは単に肉体であるだけでなく、飛びまわる霊魂でもあり、野獣のなかに住むことも、家畜の胸へはいりこむこともできるからだ。だから、それら動物たちのからだが安全無事で、敬意をもって遇せられるようにしてやろうではないか。そこには、われわれの親兄弟や、あるいは、ほかの何かのきずなによってわれわれと結ばれた者たちの、それとも、すくなくともわれわれと同じ人間の、霊魂が宿ったかもしれないのだ。」p.322

変化について論理的に突き詰めた結果、最終的には仏教のような論理になっているのが興味深い。

オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳、岩波文庫、1984年
オウィディウス『変身物語(下)』中村善也訳、岩波文庫、1984年

【要約と感想】アポロドーロス『ギリシア神話』

【要約】ゼウスを中心とした神々やその子孫である英雄たちが、戦ったり騙したり裏切ったり結婚したり国を作ったり滅ぼしたりします。

【感想】あらかじめギリシア神話のあれこれを知っている人が「答え合わせ」のために読むような類の書であって、これからギリシア神話を知りたいと思っている人が読むべき本ではない。無味乾燥な事実の羅列に終始して、面白おかしくよめるような文章にはなっていない。逆に言えば、この無味乾燥な事実の羅列そのものに価値を認めるような「原典主義」の人にとっては、極めてありがたい。巻末の人物索引が実に有益で、アポロドーロスの制作意図通り「参考書」として座右に置いておく類の書だろう。

アポロドーロス・高津春繁訳『ギリシア神話』岩波文庫、1953年

【要約と感想】ヘーシオドス『仕事と日』

【要約】怠け者でロクデナシの弟よ、ちゃんと働け! ちなみに人間が働かなくてはならないのは、神様がそう定めたからです。農業のやりかたについての具体的なアドバイス付き。

【感想】ギリシア神話の最古の古典の内の一つということだけれども、ニートの弟への語りかけという体裁は、ちょっと微笑ましい。というか、ニートの弟を働かせるための説得手段が壮大な神話体系になるところが、古代感覚というところか。

多少気になるのは、プラトンやアリストテレスの時代になると、労働があまり尊いものと見なされなくなっていることだ。労働はもっぱら奴隷がするべきものであって、自由人は観照的生活を送るのが最高だという価値観となる。しかしそこから300年ほど遡るヘシオドスでは、労働が最高に尊いものと見なされている。この違いは、300年という時代の違いのせいなのか、アテネとの場所の違いのせいなのか、それともヘシオドスの個性によるのか。本書を一読するだけでは、分からないのだった。

【個人的備忘録】

労働に価値を認めるのは、プラトンやアリストテレスには見られない記述だ。とはいえ、「労働は決して恥ではない」と言っているということは、逆に言えば「労働は恥」とする価値観が一般的に存在していたということかもしれない。ヘシオドスの価値観が当時のギリシア世界をどれだけ代表しているかは、気になるところだ。

「労働は決して恥ではない、働かぬことこそ恥なのだ。」311行
「これからわしの説くようにせよ、労働につぐに労働をもってして、弛みなく働くのだ。」382行

あと多少気にかかるのは、処女を善いものとする記述があるところだ。処女を重んじるのは近代的な価値観という話をしばしば見かけるところだが、2700年前にもテキストとして存在していることは知っておいていいかもしれない。まあ、ヘシオドスがミソジニーかつ結婚悲観論者であることは、「嗜みを躾ける」という記述に影響しているかもしれない。

「嫁には生娘をもらえ、さすれば妻として心うべき嗜みを躾けることができる。」699行

ヘーシオドス『仕事と日』松平千秋訳、岩波文庫、1986年

【要約と感想】ヘシオドス『神統記』

【要約】ウラノス→クロノス→ゼウスと、神々のトップが交替しました。神々が交わった結果、さらにたくさん神様が生まれました。それぞれの神様は、権能をそれぞれ与えられています。

【感想】いわゆるギリシア神話の、最古の原典の一つ。世界の創出からゼウスを頂点とする秩序形成まで描かれている。私がそれについて言うべきことは特にない。

個人的に気になったのは、作者のヘシオドスがミソジニー(女性嫌悪と蔑視のカタマリ)かつマチズモ(腕力主義+権威主義)ということだ。やたら女に対して厳しい一方で、ゼウスには寛大だ。このあたり、ホメロスとは違うところで、本来のギリシア神話のあり方を歪めている可能性があるような気がしてならない。

手がかりは、結婚について、やたら悲観的なところか。ひょっとしたら、妻に酷い目に遭わされていただけなのかもしれない。

個人的備忘録

女が金持と結婚して貧乏人には見向きもしないという下りがあるけれども。まあ、2700年前もそりゃ変わらないよねー、というところではある。女に対する罵詈雑言は、570行~600行まで、かなり長々と続く。

「彼女たちは 死すべき身の人間どもに 大きな禍いの因をなし 男たちといっしょに暮らすにも 忌わしい貧乏には連合いとならず 裕福とだけ連れ合うのだ。」592-593行

結婚に対して批判的な下り。結婚してもしなくても男にとっては禍となるらしいが、ゼウスの呪いだから仕方ないらしい。結婚の呪いについては、602行~612行まで、そこそこ長く描かれている。

「また 彼は 善きものの代りに 第二の禍悪を 与えられた。
すなわち 結婚と 女たちの惹き起す厄介事を避けて 結婚しようとしない者は 悲惨な老年に到るのだ」602-604行

「ヘカテ」という神格についても、気になる。ホメロスにはまったく出てこないのに、神統記ではやたらと格が高い神様になっている。そして子供の養育者という権能を与えられているところは、教育学としては気になるところだ。

「クロノスの御子は 彼女を また 子供らの 養育者とされたのだ 彼女の後から 数多の事物をみそわなす曙の光を その目でみることになった子供たちの。 このように はじめから 子供の養育者であり これが彼女の特権である。」450-452行

ヘシオドス『神統記』廣川洋一訳、岩波文庫、1984年