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【要約と感想】ダンテ『新生』

【要約】愛した女性のためにたくさん愛の歌を詠んだけど、死んじゃったので死にたくなるほど悲しい。ということを後になって回想したら、その女性がほとんど神だということに気がつきました。

【感想】愛を歌う詩に、作者自身の解説がついている。作詩の教科書として利用されることを狙ったもののようにも勘ぐる。特に「愛」を擬人化して表現した描写について、その意図や狙いを細かく説明しているところなどは、詩の初学者向けの案内のように感じる。
 肝心の詩の内容はとにかく「愛している」ということは強く伝わってくるものの、一方で極めて抽象度が高く、具体性に乏しい。髪の色とか仕草など、現代の散文で描かれるような描写がほとんどない。ベアトリーチェの個性や特徴が浮き彫りになるような表現はまったく見あたらず、極度に一般化された「美」と「徳」への賛美と傾倒に終始する。そういう意味では、やはり分析的思考の近代ではなく、どっぷり象徴的思考に浸かった中世ということなのだろう。やたら「9」という数にこだわるのも、中世の象徴的思考の表れだろう。(ちなみにいちおう、つまらないということではない。)

【個人的な研究のための備忘録】俗語

「昔は俗語で愛を歌つた者はなく、ただラテン語で愛を歌つた詩人だけがいくたりかあつた(中略)。即ち我等のうちでは(おそらく他の人々のうちにも同じ事が、たとへばギリシヤに於ける如く、昔あつたのみならず今もあるであらうが)俗語詩人でなく雅語詩人がこれらの詩材を取扱つたのである。そしてこれら俗語詩人(韻を踏んで俗語で歌ふのは、ある範囲内では韻律によつてラテン語で歌ふのに等しい)が始めて現れたのは久しい以前のことでない。久しくないといふしるしには、オコの国語やシの国語に求むるに、今より百五十年以前のその先には何等の作品も見当らない。ある拙い人たちが詩家たるの名を得た理由は、かれらがシの国語で歌つたいはば最初の者であつたからである。また俗語詩人として歌ひはじめた最初の人がさうするやうになつたのは、ラテン語の詩をよく理解しえない一婦人に自分の言葉を理解させようとの心からであつた。そしてこれが愛以外の詩材を捉へて韻文を作る人達にとつては不利なのである。かかる表現の方法はもともと愛を歌ふために見出されたものであるから。」84頁

 このダンテの認識は、解説でも指摘されているように、事実としては間違いだらけだ。まず俗語の詩作が始まったのは、ダンテの言うように「百五十年」ではない。さらに100年は遡る。また詩材が恋愛に限られるという認識も誤っている。
 ただしだからといって無意味な記述ではない。当時超一流の詩人の認識が素直に現れている言質として、事実誤認そのものも含めてとても価値がある。特に、俗語で詩作することに対して、ダンテが誇りを持っているらしいことが表現されているところが貴重だ。
 たとえば日本でも、漢詩から和歌への切り替わりのタイミングで、古今和歌集の仮名序のように、「敢えて和歌を詠うことの意味」を表明するものが現れる。俗語で歌を詠むことが「芸術に価するかどうか」について、なんらかのためらいが存在し、それを意識的に打ち破る必要があった、ということだ。
 ダンテの場合、詩の内容として「愛」を扱うことが詩の形式として「俗語」を採用することの決定的な理由だ、というところが重要だ。歴史的には間違っているが、14世紀初頭の超一流詩人がそう理解していた、ということが重要だ。
 日本でも、愛の歌は漢詩ではなく和歌で扱われた。「俗語」を尊重する動きに関しては国民国家形成との絡みがよく指摘されるところだし、実際に重要な論点だとは思うものの、個人的には恋愛の観点もとても重要だと思うのだ。

ダンテ『新生』山川丙三郎訳、岩波文庫、1948年

【要約と感想】チョーサー『カンタベリー物語』

【要約】カンタベリー大聖堂へ向かう29人の巡礼者(著者チョーサーもそのうちの一人)が、宿屋の主人の提案で、道すがら持ち回りで物語を話すことになりました。騎士や僧侶や粉屋や大工や貿易商や医者や錬金術師など、様々な立場のキャラクターが、下品な話からお上品な話まで、バラエティーに富んだ話を語ります。大聖堂に着く前に未完。

【感想】14世紀後半の作品ということで、その頃既にフィレンツェにはダンテ『神曲』(14世紀前半)とボッカッチョ『デカメロン』(14世紀中盤)が現れている。本書にもその影響が見て取れる。というか、チョーサーはイタリアに旅行して、ダンテやボッカッチョから影響を受けていることが明らかになっているようだ。ということもあるのだろう、デカメロンで最もムカついた話(貞淑で敬虔な妻を夫が試す話)がこっちにも再録されていて、同じようにムカついたのであった。ちなみに本書ではボッカッチョではなく、ペトラルカから聞いた話ということになっている。

 まず気になるには、『デカメロン』と『カンタベリー物語』は枠物語としては似たような形式を持ちつつ、作品から受ける印象がかなり違っているところだ。
 まず『カンタベリー物語』のほうが、話者のキャラクターが圧倒的に立っている。『デカメロン』のほうは話者によって話の内容が変わることはない。そもそも個性が際立つキャラクターが設定されていない。誰が何を話しても特に違和感はなく、似たようなテイストの話が100話並んでいるに過ぎない。ところが一方『カンタベリー物語』のほうは話者のキャラクターが極めて個性的に作られていて、話の内容もキャラクターに関連して設定されている。だから『デカメロン』の方は「枠」が形式的に設定されているに過ぎないように見えるのに対し、『カンタベリー物語』の枠設定は高い必然性を感じるような作りになっている。
 そういう「枠」の違いに伴っているのだろうが、『カンタベリー物語』のほうが、話のバリエーションに富んでいるように見える。『デカメロン』のほうが一貫して下品でバカバカしいのに対し、『カンタベリー物語』のほうには、下品でバカバカしい話もありつつ、高尚で格調高い(むしろ高すぎて退屈な)話もあったりする。けつあなを焼かれる話と七つの大罪の大まじめな話が混在しているのは、考えてみればかなり不思議なことだ。

 そして『デカメロン』との比較で目につくのは、処女崇拝的な描写の数々だ。『デカメロン』には処女崇拝の影もなく、一貫して人妻に恋慕する話ばかり並ぶ。そして一応『カンタベリー物語』にも5人の夫を持った女傑キャラクターが設定されていて、読んでいる方が恥ずかしくなるような下品な話を展開したりもしている。しかし尼僧が語る「セシリア」の話を筆頭に、そこかしこで処女崇拝的な描写が繰り返されてもいる。女傑バースの女房にしても、処女崇拝を前提に自説を展開している。この『デカメロン』と『カンタベリー物語』の相違が、地域の違い(トスカーナとイングランド)によるものか、階級的な影響によるのか、それとも単に著者の性癖によるものなのか、少々興味を誘われるところだ。
 また解説から得た知識だが、本書は英語で書かれた最初の本格的な作品とのことだった。14世紀の終わりになって俗語文学が立ち上がってくる事情として、フィレンツェの文学状況(ダンテ・ペトラルカ・ボッカッチョ)が関わっているのはまず間違いないところだろうが、イングランド特有の事情として百年戦争が関わってくるだろうことは容易に想像がつくところだ。百年戦争の過程でフランス側にナショナリズムの萌芽が見られることは別の本(佐藤猛『百年戦争ー中世ヨーロッパ最後の戦い』)で読んだが、似たような状況はイングランドの方にも発生しているだろう。ナショナリズムの離陸(あるいは「近代」の立ち上がり)を考える上で、本書は重要な参照軸になるのだろう。

【今後の研究のための備忘録】三位一体
 キリスト教神学の奥義である「三位一体」についての言及があったが、これは明らかにアウグスティヌスの見解を土台にした理解だ。

「ちょうど人が三つの知恵、すなわち、記憶、想像力、それに知性、これらをもっているように、神の一つの存在の中に三つの人格が宿るのも、まさにことわりです」第二の尼僧の物語、下巻91頁

 著者がことさらアウグスティヌスそのものに影響を受けていたというよりは、アウグスティヌスの見解がそのままカトリックの公式見解として通用していたということなのだろう。

【今後の研究のための備忘録】処女崇拝
 処女崇拝的な記述が頂点に達するのは、第二の尼僧が語る「処女にして殉教者なるセシリア聖人」(下巻75頁)の物語だ。エンターテインメントとしては退屈きわまりない(失礼)し、宿屋の主人の辛辣な批評が一言もないのが残念なところなのだが、ともかく処女崇拝が極まっていることだけはよく分かる。そして他の箇所でも、処女崇拝の記述が繰り返されている。

「処女であることが二度の結婚に勝る」「処女であることとは大いなる道徳的完全さ」バースの女房の話、中巻11頁

「姦淫のもう一つの罪は処女からその純血を奪うことです。というのはこの罪を犯す者は、確かに、処女をこの現世の最高の位置から投げ落とし、聖書が百の果実と呼ぶような、かの貴重な果実を彼女から取り去るからです。」教区司祭の話、下巻256頁

 さしあたっては中世キリスト教のセンスが表現されていると理解しておくところか。

チョーサー『カンタベリー物語(上)』桝井迪夫訳、岩波文庫、1995年
チョーサー『カンタベリー物語(中)』桝井迪夫訳、岩波文庫、1995年
チョーサー『カンタベリー物語(下)』桝井迪夫訳、岩波文庫、1995年

【要約と感想】ダンテ『神曲【完全版】』

【要約】ダンテは地獄・煉獄・天国を巡る数奇な体験を得て、詩を詠みました。
 まず古代詩人ウェルギリウスの案内で地獄を経巡ります。地獄では、カトリック法王を始めとして、様々な罪を犯した人々が呵責ない責めにあって苦しむ様子を見ます。中には旧知の人々もいましたが、地獄に落ちて当然の奴らなので悲しんではいけません。
 煉獄では、天国に行くまでに様々な罪科の禊ぎを済ませるために苦しんでいる人々を見ます。中には旧知の人々もいて、地上に戻ったらよろしく伝えてくれと言われます。
 天国に入ると、それまで案内を努めてくれた頼もしいウェルギリウスの姿は見えなくなり、代わって初恋の女性であったベアトリーチェが至高天まで先導してくれます。ご先祖様から激励されたり、キリスト教の聖人たちと学理問答をしたりして、最終的に神の領域に辿り着きますが、それは言葉にできません。

【感想】予習をぬかりなくしたので噂には聞いていたものの、初恋の人ベアトリーチェをここまで神々しく描くというのは、いやはや、ちょっと私の感覚からは理解しがたい。やり過ぎ感がすごい。単に好きというレベルを遙かに超えるストーカー的偏執も含みこんだような情念を感じて、そこそこ怖い。

 地獄編は、訳者もノリノリに翻訳している感じが伝わってきて、けっこう楽しい。コントのような展開も多い。地獄に落ちた人々は基本的にダンテの独断と偏見で選ばれている。露骨に党派性が現れていて、槍玉に挙げられた人たちがちょっとかわいそうではある。しかし一方、党派性を離れて、キリスト教の原理原則に従って地獄に落ちざるを得なかった人々の立ち居振る舞いには、見所が多い。具体的には例えば男色などカトリック教義的に許容できない人々は、原理原則に従って地獄に落とされるものの、人格的矜持は高潔に保っていたりする。そういうところにキリスト教原理主義をはみ出す「人文主義」の臭いを感じる。
 天国篇は、訳者も言っていたように、確かに抽象度がくんと上がって、物語的に興趣が減じる上に、人文主義の臭いもなくなる感じがする。まあ個人的にはキリスト教神学の構成に興味があるので、そこそこおもしろく読める。

 文体的には、いわゆる「直喩」のオンパレードで、意外性のある喩えも多く、とても楽しい。現代で言えば、お笑いのくりぃむしちゅー上田のツッコミ(まるで○○のようだな!)を想起させる直喩だ。具体的な次元では遠くかけ離れていても形式的には似ている、というものを繋げて表現する才能は、ダンテと上田はよく似ているのかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】子どもに関する言及
 各所に子どもに関する言及があったので、サンプリングしておく。というのは、子どもに対する意識が中世と近代を切り分けるメルクマールだ、というアリエス『子供の誕生』が示唆するテーゼを検証する資料になるからだ。ダンテが属するのが中世なのか近代なのか、あるいはアリエスのテーゼそのものが信用に足るのかを検証するために、『神曲』の記述は有力な資料になる。

ウゴリーノ伯爵がおまえ〔ピーサ〕を裏切って
 城を敵方に明け渡したという風評があるにせよ、
 おまえは子供をああした刑に処するべきではなかった。
ああ第二のテーバイよ、ウグイッチョーネやブリガータ、
 また前に詩に出たあと二人の子供たちは
 年端もゆかず無邪気だった。
(地獄編第33歌85-87)

 ウゴリーノ伯爵と共に塔に閉じ込められた幼い子どもたちが餓死に追い込まれるという陰惨な場面で、よほど印象深いのか、訳者も何回も繰り返し言及している。ただ個人的に注目したいのは、ダンテが子どもたちを「年端もゆかず無邪気」と表現し、父親との連帯責任を取らせることに批判的な姿勢を示しているところだ。アリエス的な理論枠組みからは、少々外れている。

そこで私は、人間の罪から免れる〔洗礼の〕前に
 死の歯にかまれてしまった
 あどけない幼児たちと一緒にいる。
三つの聖なる徳に身を包むことをしなかった人たちと
 そこで私は一緒なのだ。
(煉獄篇第7歌31-35)

 ダンテの案内役ウェルギリウスがどうして天国に行けないかを説明している箇所で、子どもへの言及がある。イエス降誕前に死んだウェルギリウスはもちろんイエスに対する信仰を持てるはずがないわけだが、それを理由として天国に行かせてもらえない。日本人からしたらわけが分からない変な理屈だ。ダンテも同じように感じていたらしく、何カ所かでこの理屈に言及して疑問らしきものも呈しているが、最終的には神の摂理として受け容れている。問題は、天国に行けない人々の中に、洗礼を受ける前に亡くなった「幼児」も含まれていることだ。これもやはり日本人からしたら意味が解らない理屈だが、ダンテも不審に思いつつ神の摂理として受け容れている。キリスト教の子ども観を考える上では重要なポイントになる。

だから、自分たちの行いやその功徳とは関係なく、
 もっぱら最初の視力の鋭さの違いによって
 子供たちは違った段に据えられている。
世界がまだ創られたばかりのころには
 ただ両親に信仰がありさえすれば、
 無垢な子供たちはそれで十分救うことができた。
そのはじめの時代が過ぎた後は
 罪のない男の子は割礼を受けることにより
 天へ舞いあがる力をその羽に得た。
しかし恩寵の時代が到来した後は
 キリストのまったき洗礼を受けぬ場合は
 このような無垢な子供たちもあの下界にとどめおかれた。
(天国篇第32歌73-84)

 いわゆる「洗礼」というものの秘儀を担保するためには、洗礼前の用事を犠牲にしても構わない、というところか。目の前の人間に対する救いよりも神学の論理的一貫性の方が大事というカトリック教義。

信仰と清純は幼児たちの中にしか
 見あたらなくなりました。しかもそのいずれもが
 頬に髭が生えるよりも前に逃げ出してしまいます。
口がまだまわらないころは、断食を守る子供も、
 舌がまわりだすと、食物の如何や月日の如何を問わず、
 大食らいとなってしまうのです。
口がまわらないころは、母親になついて言うことを
 よく聞いた子供も、弁が立つようになると、
 母親は墓にいる方がよい、などと思うようになるのです。
(天国篇第27歌127-135)

 子どもたちにピュアさを見出すのは近代的な心性だという見解があるが、これを見るとダンテは近代的だということになってしまう。アリエスのテーゼが間違っているのか、本当にダンテが近代的なのか、あるいは別の解釈があるか。

【今後の研究のための備忘録】個性に関する記述
 「個性」というものを考える上で興味深い箇所があったのでサンプリングしておく。

すると彼がまた尋ねた、「では訊くが、もし地上で人が
 市民生活を営まないとすれば、事態はさらに悪化するだろうか?
 私が答えた、「むろん悪くなります」
「とすると人がさまざまの職務についてさまざまの生活を送ることなしに
 地上で市民生活が満足に営まれるだろうか?〔答えは〕
 否だ。その点は君らの師の書物にもはっきりと出ている」
こうして彼はここまで演繹的に論をひろげ、
 ついで結論をくだした、「そうしたわけだから
 君らの職務には職掌柄さまざまの根が必要とされるのだ。
それである人はソロンに、ある人はクセルクセスに、
 またある人はメルキゼデク、またある人は
 空中飛行をこころみて子をなくした人のように生まれつくのだ。
天球は回転しつつ、正確に仕事を営み、
 人間という蝋に型を捺すが、
 ひとりひとりが生まれる家に区別はつけていない。
それでエサウとヤコブは体内にいるうちからすでに違っていた。
 それでクィリヌスのような男が生まれ出たりするのだ。
 実父の身分が賤しいからマルスが彼の親ということになっている。
もし神の摂理に力がなかったとするならば、
 生まれ出た子は必ず生みの親に似、
 かつ似通った道をたどるはずだ。
これで前に見えなかった点が見えるようになったろう。
 君の訳に立てば私には嬉しいのだ。だから
 いま一つ補足して君の身に着けさせようと思う、
運命が性に合わないと、性に合わぬ土地にまかれた
 種と同じで、およそ生命のあるものは
 どうしても育ちが悪くなる。
自然によって人々各自の中に据えられたこの基盤に
 もし下界の人が留意し、かつそれに従うならば、
 人々はみなその処を得るはずだ。
しかるに君らは剣を帯びるべく生まれついた人を
 無理強いに宗門に入れ、
 説教をするべく生まれついた人を国王に仕立てたりする。
君らが道を踏みはずす原因は実はそこにあるのだ」
(天国篇第8歌115-148)

 人それぞれに持ち味や特徴があって、それに応じて相応しい役割が与えられるのが一番理に適っているという主張だ。これはたとえばガチガチの身分制では成立しない考えで、脱中世的な発想なのかもしれない。またあるいは119行に「市民生活」とあるように、適材適所の経済活動を想定した理屈なので、フィレンツェの卓越した商業活動が背景にあるのだろう。これが「個性」という概念の展開とどう関係してくるのか。

【今後の研究のための備忘録】近代科学観?

実験こそ人間の学芸の流れの変わらぬ泉なのです。
(天国篇第2歌96)

 訳註によれば「フィレンツェ市は(中略)ルネサンス期には自然科学の研究が非常に盛んになった学芸の都市である。その種の実験の精神ははやくもダンテのこの詩行に観取される。」とされる。一般的に科学的な実験で最初に名を挙げたのはイギリスのロジャー・ベーコンで、生年は1214年~1294年だ。ダンテはベーコンの約半世紀後に生まれているので、ベーコンの影響があっても不思議ではない。が、註が指摘しているとおり、ベーコン云々というより、フィレンツェの先進的な学芸を観取するところなのだろう。「ルネサンス」というものを考える上でもかなり気をつけるべき論点になる。

【今後の研究のための備忘録】三位一体

その時が来るに及び、神は造物主から離れていた人性を
 永遠の愛の働きによって
 神に、神の位格において、結びつけました。
(天国篇第7歌31-33)

 三位一体の秘儀について語られているところだが、訳者はペルソナを伝統通り「位格」と訳している。

この人性が結びついていた
 〔神の〕位格が蒙った非礼を考えてみると、
 かつてなく不当な罰といえるわけです。

 こちらは人性と神性の結びつきという観点から神のペルソナについて語った部分だ。問題になるのは、この「位格」という言葉の具体的な中身になる。

ダンテ/平川祐弘訳『神曲【完全版】』河出書房新社、2010年<1966年

【要約と感想】平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』

【要約】ダンテ『神曲』の日本語翻訳者による連続講義です。『神曲』のストーリー全体を概観できる構成になっている上に、訳者ならではの適切な読書案内がありがたいことこの上ないのですが、本当の見所は、著者の学問や文学や教育に対する姿勢を垣間見ることができる様々なエピソードです。
 『神曲』そのものについては、特に地獄篇を大きく取り上げて、煉獄篇と天国篇については触りだけ扱っています。これは作者の『神曲』観が深く関わった処置です。また随所で様々な日本古典文学や西洋の詩作品との比較を行っており、これこそ著者の本領発揮です。特にボッカッチョとの比較を行って、世間的にダンテを高く祭り上げる傾向があるのを批判し、むしろ好感を持ってボッカッチョを遇すのは、ダンテに精通している著者だからこそ可能な真摯な身振りです。

【感想】500頁二段組の大著なのだが、著者の洒脱な語り口や豊富なエピソードのなせる業のせいなのかどうか、飽きずに読み通すことができた。私はダンテ『神曲』を読む前に本書を手にとって予習してしまったが、著者の文学観によればあまりよろしくない行為だったようで、失礼いたしました。

 で、そもそも私がダンテ『神曲』に手を出したのは、作品そのものに興味があったというよりは、「ルネサンス」という概念を批判的に検討するための材料を手に入れるのが目的であった。教科書的にはルネサンスは14世紀初頭、ダンテやペトラルカの人文主義から始まったとされることが多いが、個人的にはこれに大きな違和感を持つ。個人的な意見では、メディア論的に考えて、印刷術を経た15世紀末から16世紀がルネサンスの本丸であって、ダンテやペトラルカは本質的には中世に属するのではないかと思っている。で、こういうことを『神曲』も読んだこともないくせに主張するのは最悪なので、最低でも翻訳には一通り目を通しておくべきだと思いつつ、まずは予習として本書を手に取った次第。
 ちなみに本書では、『神曲』のことをルネサンスともルネサンスでないとも言っていない。そんなことは著者の関心にはない。ただただ、作品そのものに対してまっすぐに向きあう姿勢が大切なのだというメッセージが力強く繰り返される。なんだか私の動機が邪だったように思えてきて、ちょっぴり恥ずかしい感じになったのであった。

平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』河出書房新社、2010年

【要約と感想】瀬谷幸男・狩野晃一編訳『シチリア派恋愛抒情詩選』

【要約】13世紀初頭、シチリアの王宮で、俗語を用いて恋愛を歌った詩作が流行します。12世紀南仏トルバドゥールの影響を受けつつ、13世紀後半トスカーナ清新体派、さらにダンテ、ペトラルカ等に引き継がれていきます。
 詩の内容は、「愛しすぎて死んじゃう」という感じです。

【感想】内容は、ほぼ、ない。極めて抽象的で、「愛しすぎて死んじゃう」以上のことは言っていない(しかし、それは極めて現代的な見方に過ぎず、13世紀には最新の感覚だった)。言葉はとても雅びで、美しい。中二病的なラブレターに引用すると、効果がありそうだ。
 引用される古典で目につくのは「トリスタンとイゾルデ」の伝説で、それに絡んでアーサー王伝説への言及が散見される。ギリシア、ローマの古典は完全無視というところが、後のルネサンスの空気とは根本的に異なっている。

【研究のための備忘録】俗語
 で、問題は、内容ではなく形式だ。当時の国際標準語であるラテン語ではなく、俗語(シチリア語)で表現されていることが重要になる。中世からルネサンス、あるいは近代への変化を考察する材料の一つとして、13世紀シチリアというビザンツ帝国やイスラム帝国の影響を色濃く受けた時代と地域の特性を踏まえつつ、14世紀イタリア・ルネサンス(ダンテやペトラルカ)への影響をどう評価するのか、具体的に考える必要がある。

「ラテン語に固執して俗語を軽蔑し続けるローマ教皇庁に逆らい、中世では公式文章は教会の公用語のラテン語で書かれる慣わしに反して、シチリア王国の憲法たる「メルフィ憲章」を誰でも理解できる俗語で書かせたフェデリコ帝に準って、この流派の詩人らはラテン語に対する揺籃期のイタリア語の文章語としての俗語の優位性を導き出したのである。」255頁

 本書では、この分野の研究の常識なのか、ダンテとの関係は強調するものの、ルネサンスという概念との関係には触れない。個人的にはかなり気になるところだ、というかそういう関心から本書を手に取った。12世紀ルネサンスによって、古代地中海文明に関する知識をヨーロッパは手に入れているはずだ。しかし本書所収の詩には、ギリシア・ローマ文明の面影はない。
 また俗語に関して言えば、フェデリコ帝の宮廷で俗語を使用していたとしても、恋愛詩に俗語を使うのはそういう政治的な意図に出ていたのか、あるいは南仏やドイツの抒情詩と同じ流れを汲むのか。12世紀南仏トルバドゥールが使用したオック語は北イタリアまで広がっていたし、12世紀後半ドイツのミンネゼンガー、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデも中高ドイツ語を使用している。俗語を用いて詩作するのは、シチリア特有の現象ではない。さらに言えば、本書がイタリア語でフェデリコ帝と呼んでいる人物は、神聖ローマ皇帝(ドイツ語)のフリードリヒ二世であって、そしてフリードリヒ二世(1194年~1250年)とヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170年~1230年)に直接の接触があるわけだから、ドイツのミンネゼンガーの影響を受けていたと考えることも可能ではないか。さらに言えば、シチリアはイスラム文化の影響を極めて色濃く受けているわけだが、そもそも南仏トルバドゥールの起源がイスラム文化だという話もある。フェデリコ帝=フリードリヒ2世はアラビア語もよくしたと言われているので、宮廷でラテン語を使わないことにそもそも違和感はなかったりする。疑問は尽きないが、門外漢としては口をつぐんでいるのが賢明な段階である。

瀬谷幸男・狩野晃一編訳『シチリア派恋愛抒情詩選―中世イタリア詞華集』論創社、2015年