【要約】日本人は「人格」「個人」「社会」「愛」という概念を、明治以降にヨーロッパから輸入しましたが、今に至るまでその意味を理解していません。
西欧で「個人の人格」という概念が形成され始めるのは12世紀頃からのことです。決定的に重要な契機はキリスト教の告解という制度の成立です。男女の性愛が反省の対象として意識化され、霊と肉の統一体としての人格が浮上します。
【感想】斯学の権威に対して私が言うのもなんだけど、一次史料をほとんど使わずに、もっぱら二次史料から議論を組み立てて、自分の価値観に都合の良い結論に引っ張っていく行論には、あまり感心しない。人格の形成において「告解」という制度が重要だという本書の核心にある論点はもちろんフーコーが提出したものだし、それを援用した議論は柄谷行人が先に展開していた。
まあ、日本が「民主主義」とか「個人の尊厳」という観点から西欧に遅れているという問題意識と危機感はよく伝わってくる。いわゆる西洋近代がルネサンスではなく12世紀に起源をもつという議論が一般化した以上は、西欧中世史家として専門的な観点から状況を説明する義務感をもつのは当然ではある。そういう意味では、いわゆる「12世紀ルネサンス」の専門的な歴史議論と現代日本の日常生活を繋げるという使命を果たした本であることには間違いない。著者が示す危機感に共鳴するか反発するかはともかく、遠いヨーロッパの「12世紀ルネサンス」の議論が現代日本の我々の生活にも関係しているだろうことは頭の片隅に置いておいていいのだろう。
【研究のための備忘録】人格
タイトルに「人格」とついているとおり、西欧中世における「人格」概念の形成に関する記述がたくさんあったので、サンプリングしておく。
まず専門的な歴史の話の前に、日本人が「人格」という概念を理解していないという危機感が繰り返し表明されている。
「私たちは社会科学、人文科学のいずれを問わず、学問のすべての分野において西欧的な人格概念を前提にして議論をしている。しかし日常生活の分野においては、西欧的な人格概念ですべてを通すことは少なくとも日本国内においては不可能である(後略)」156頁
「明治十七年(1884)にindividualという語に個人という訳語が定められてから、一〇〇年が経過しているにもかかわらず、日本には個人の尊厳の思想は根づいていないといってよいであろう。」172頁
苅谷剛彦は2019年の著書で、日本人は「人格」とか「個性」という概念を完全に理解しているという見解を示しており(苅谷『追いついた近代 消えた近代』)、阿部の論述と真っ向から対立している。阿部論文が1990年発行なので、およそ30年の間に受け止め方が変わったということか、どうか。
で、現代日本の問題を踏まえた上で、西欧がどのように「人格」概念を形成していったかの話に入る。ポイントは、従来の歴史学では15~16世紀のルネサンス期が近代的個人の始まりだとされていたところ、中世史の進展によって12世紀こそが決定的なターニングポイントだったと理解されているところだ。
「十三世紀には、個人の自己意識に転機が訪れる。(中略)これまで人間の霊魂のみを問題にしていた哲学者たちは、十三世紀には、不可分の統一体としての霊と肉体に目を向け始めるようになったが、それこそ人格を形成するものなのであった。」66頁
このあたりは著者やその周辺が勝手に言っているのではなく、学会というか知識人全体の共通理解になっている。
で、歴史的な論述を具体的に進める際に著者がとりわけ注目してこだわっているのだ、男女の性愛関係だ。
「人間と人間の関係のなかで、男と女の関係が最も親密なものであろう。この親密な関係を肉の面で棄てることによって得られるもの、それが「一つ心」であった。自分の肉体の奥底にある「真の自分」を発見し、絶対者である神に直面しようとする態度である。ここには冒頭でのべた、ペルソナのキリスト教的理解が明確な形で示されているように見えるのである。三位一体の神を構成する三つのペルソナに対して、ひとつのペルソナである人間が、自己のペルソナを発見することによって応えようとしているのであり、絶対者と人間の個とが直面する構図があり、近代のヨーロッパ哲学における人格の概念につらなってゆくものをみることができるのである。」p.88
個人的に言えば、なんとなくこのあたりは論理が飛躍しているようにも思えるところではある。「人格の形成」と「男女の性愛」はいきなり繋がるようなものなのか、またさらにそれがキリスト教のペルソナといきなり接触するものなのかどうか、疑問なしとはしない。まあ、言いたいことそのものは分からないでもない。
で、「男女の性愛」が「人格の形成」に結びつくのは、カトリックが制度化した「告解」という仕組みが媒介するという論理になっている。本論が成立するかどうかは、この論点の説得力にかかっている。
「告白の中で個人は自分の行為を他人の前で語らねばならないのである。自己を語るという行為こそ、個人と人格の形成の出発点にあるものだからである。たとえ強制されたものであったにせよ、そこには自己批判の伝統を形成する出発点があった。ヨーロッパ近代社会における個人と人格は、まさにこの時点で形成されつつあった、といってよいだろう。」140頁
まあ、なんとなくフーコーと柄谷行人の議論でお馴染みの話ではあるように思える。ここに納得するかどうか。言いたいことは分からないではないけれども、そうとう眉に唾をつけておきたい気分だ。別のストーリーも大いにあり得るところだ。個人的に気になっているのは、いわゆる「近代的個人」の成立が「近代的国家」とパラレルになっているというところだ。「告解」という制度から攻めるよりも、「近代的国家と近代的個人の相似」のほうに注目する方が説明としては説得力をもつのではないか。まあ、「告解」を重視する議論は一つの仮説として留意はしておきたい。
話はさらに、12世紀トゥルバドゥールの宮廷風恋愛の具体的分析に進む。
「この頃にヨーロッパの多くの人が愛について語り始めた背景には、第二章で述べたように個人・人格が成立しつつあったことがあるであろう。真の意味での恋愛が成立するためには、男女両性が独立した人格をもっていなければならない。(中略)宮廷風恋愛は、このような西欧における愛の発見の一環として生まれたものであった。そしてその大前提として、個人の成立・人格の成立があったのである。」p.277
うーん、どうなんだろう。牽強付会な感じがしないでもない。本論でもちょこっと言及されているが、こういう恋愛の技法はアラビア経由で入ってきたという説も有力なところで、そうなると特に「西欧に個人が誕生した」という文脈で語るべきことではなくなってくる。実際にトゥルバドゥールの詩を読んでみても、中身は極めて抽象的で、具体的な個性が描かれているわけではなく、「個人」とか「人格」の誕生に繋がるとは素直に受け取ることはできない。
まあしばらくは、眉に唾を大量につけつつ、一つの仮説として頭の片隅に置いておく、という扱いでいこうと思う。